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ジャズのアルバム紹介をしようと思う。当方、ジャズとジャンル分けされた音楽を聴き始めて未だ日が浅い。こういうタイプの音楽に慣れていないせいか、いくつかの録音を聴いたが、どれも同じに聞こえてしまう。それでは、数多ある録音のどれを聴こうか、たくさん出ている、これらの、それぞれの違いはどこにあるのか、皆目見当すらつかなかった。そこで、浅はかなことに、本屋で雑誌だのジャズ入門とか名盤ガイドといった本だのをバラバラめくってみた。 残念ながら、それらには音楽のことが、全く書かれていない。ミュージャンのエピソードとか著者の個人的な思い入れとか体験は、延々と書き連ねてあるけれど、AさんとBさんという演奏家の演奏は、どこが違うのかとか、Aさんのウリは何なのか、といったことは殆ど書かれていなかった。著者にとっては、そんなこと自分の耳で聴け、ということなのだろうか。それができるなら、その手の本を手にとったりしない、と私は思う。実際、よほどセンスのある人は別にして、何も予備知識とかその音楽に対する感性がない真っ白な状態で、音楽を聴いて、そこで奏でられているのを聴き取ることができる、というのは余程のことがない限り難しい。 そこで、ここではそのための、ひとつの視点を提供することを試みたいと思う。例えば、Aさんの演奏について、「ここでこんなこと演っているのが特徴」というようなことを、できるかぎり演奏に即して、述べていきたいと思う。そうやって、言葉にして、初めて聴こえてくる音というのが、たしかにあるからだ。ただし、ここで述べることは、あくまでも私の耳が主観的に感じ取ったことであることを、了解しておいてほしい。ここで、書かれていることを、実際に聞いてみて、聞こえてこない可能性は否定できない。 また、ここで書かれている通りに聴くことを押し付けるつもりもない。 だから、これは一つの議論のふっかけのようなものだ。ここで述べていることは、一度紹介しているアルバムを聴いた人を対象にしている。多分、ここで述べていることは、これからアルバムを買おうとして、どのアルバムを選ぼうかという人には、参考にならないと思う。それよりも、アルバムを聴いてみたが、印象に残らないとか、聴いた印象以外に違った聴き方があるのではないか、とか誰かとアルバムのことを話したいけれど適当な言葉が見つからない、という人を対象に想定している。 実は、音楽を聴くときに、虚心坦懐に自分の耳で聴け、とか指南書とか入門書にかかれていることが多いが、それで聞いてみて、たんに音を流しているだけということが結構あったりする。あとで、聴いたアルバムについて、誰かと話していて、ここでこんなフレーズがあって等と言われて、そこを聴いたことがあるのに全く知らなかったということがよくある。後で、帰宅して、改めて聴き直してみると、たしかにそういうところがある、と今まで気が付かなかったものを発見するのだ。そして、それを糸口に聴き直すと、それまで漫然としか聞いていなかったのではないか、と思えるほど違って聞こえて、改めて、そのアルバムの価値を再発見することもある。かなり、生意気なことを考えているが、そういうことの契機とならないか、と秘かに目論んでいる。 話は変わるが、渡辺保という演劇評論家による歌舞伎の劇評をよむと、役者のほんの些細な型の違い、例えば刀に沿える左手の位置の違いから、その登場人物の舞台全体での位置づけや人物の心もちが違ってくることを説明している。歌舞伎というのは様式性の強い伝統芸能だけれど、ジャズの場合だって、演奏の中であるフレーズを差し挟むのは演奏するプレイヤーにとって何らかの必然性があるはず(当人は何も考えないで身体感覚で自然に演っているにしても)で、それを純音楽的に分析することもできるかもしれないが、聴く側はそれとはちがって、演奏を聴く際に提示される音に対して無意識のうちに何らかの意味付けを施して音楽という形に転換させているはずで、その意味の捉え方には言葉によって影響を受けていることが多い。歌舞伎に対して渡辺保がやっているようなことが、音楽でもできるのではないか、と少し思っている。ここではそのささやかな試みも行いたいと思っている。 ただし、あくまでも、ひとつの切り口を提示するだけであるので、それを理解しておいて、いただきたい。
アイク・ケベック エリック・ドルフィー (伝統的なジャズの文脈に連なりながら、独自の方法論で前衛的個性を表現) オーネット・コールマン (フリー・ジャズと称された他の誰も真似のできないメロディ感覚) ティナ・ブルックス (短い活動期間とブルージーな哀感を漂わせたフレーズが持ち味ゆえの地味な存在)
ファラオ・サンダース |