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TINA
BROOKS(ティナ・ブルックス) |
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というわけで、肝心なブルックスの音楽について、あえて私なりに述べてみる。特徴と言えるほど突出しているとは必ずしもいえないが、音色の点で、ややかすれ気味で、派手にブローするようなことはなく、くすんだ感じという、どちらかというと、こうでもないああでもないという否定の方向で語られるタイプの音。しかし、長年ジャズを聴き込んだ年季の入ったファンであれば、これぞハード・バップとでも言いたくなる音色なのだ。そういう音で、ブルックスは“泣きのフレーズ”とでも形容されるブルージーなフレーズを適度に散りばめながら、ただし、同じようなフレーズを発展させていくのではなく、数小節単位で全く違う音列を持ったフレーズを次から次へと重ねていく。それを自然にギャップを感じさせず流麗に聴こえる。そのため“泣き”がくどくなっておセンチに堕すことなく、ときに平凡なメロディでも次のフレーズとの関係が加わり独特の味わいが生まれてくる。誤解を恐れずに言えば、マクリーンとモブレーの間とでもいったらよいだろうか。一発の必殺フレーズで聴き手をノック・アウトするのではなくて、小さなパンチを繰り出し、それがボディー・ブローのように、その瞬間は気がつかないのだけれど、後になって徐々に効いてくる。そういうタイプのプレイをしている。 だから、ブルックスはファンの好き嫌いが分かれるというタイプではなく、知る人ぞ知るとなってしまうのは、このようなプレイ・スタイルにも大きな要因があると思う。
バイオグラフィー 長年の麻薬に苦しんだ末の1962年、ジャズの世界から突然いなくなってしまったハード・バップのテナー奏者。ティナ・ブルックスは自身のポテンシャルを達成することがなかったが、いくつかの価値ある音楽を録音で残した。彼は1951年にサニー・トンプソンのR&Bバンドと4曲入りの録音でレコード・デビューした。ニュー・ヨークでエイモス・ミルバーン、ライオネル・ハンプトン、そしてフリーランスで数回のツアーの後、1958年にブルックスはブルー・ノートでレコーディングを始めた。1958年から61年までの間、リーダーとしての4つのセッションに加えて、ジミー・スミス、ケニー・バレル、フレディ・ハバード、フレディ・レッド、ジャッキー・マクリーンそしてハワード・マギーといった人々のサイドマンとしてブルー・ノートでの日々を送りました。
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