ジャズ・サックス・プレイヤーの系譜概観
 

1.アルト・サックスの系譜

●ベニー・カーター(1907〜2003)

カーターの功績の第一はビッグ・バンド・アレンジ、とくにサックス・セクションのアレンジを方向づけたことにある。アルト・サックスではジョニー・ホッジス、チャーリー・パーカーと並ぶ巨人だ。しかし、知名度に比べて認知度は高くない。影響力だけでも声高に語られれば、アーリー・ジャズだろうが、奏者としての露出度が相対的に低かろうが、もう少しは聴かれるのではないか。輝かしいトーンによるリズミックなラインが個性的で、ノン・ヴィブラート奏法とメローな感覚の完成したエレガントなスタイルに西海岸を中心に影響をうけた者は多い。白人ではリー・コニッツアート・ペッパーのほかに、ブーツ・ムッサリ、ハル・マクシック、バド・シャンクが、黒人ではバディ・コレット、キャノンボール・アダレイがいる。コールマン・ホーキンス(テナー・サックス)やロイ・エルドリッジ(トランペット)も、カーターの流麗なスタイルに触発されてスタイルを築きあげた巨人だ。

●ジョニー・ホッジス(1907〜1970)

ホッジスはパーカーですら一目をおいたスタイリスト中のスタイリストで、ジャズ界の至宝というべき存在だった。流麗で官能美に溢れるヴィルチュオーゾ・スタイルは、後への影響は大きく、白人のチャーリー・バーネットとウディ・ハーマン、黒人ではオリヴァー・ネルソンとローランド・カークに痕跡が窺える。その他、ホッジスに触発されて独自のバラード奏法を確立したベン・ウェブスター(テナー・サックス)らが代表的だ。

●チャーリー・パーカー(1920〜1955)

パーカーはルイ・アームストロング(トランペット)以来の広範かつ決定的な影響をおよぼした。サックスに限っても、オーネット・コールマン(アルト・サックス)が出現するまで、パーカーの影響を免れた者はいない。パーカー以前と以後、まさに時代を画した。もっとも、パーカーが強力すぎて、バップ期に見るべきアルト・サックス奏者は出ていないのではないか。バップ期では、ある程度はパーカーと距離をおけたテナー・サックス界から、デクスター・ゴードンをはじめ、レスターとパーカーの楽想を融合した巨人が輩出した。1950年代に入ってパーカーの神通力は薄れたが、演奏の分析は進み、アルト・サックス界からパーカー派と呼ばれる連中がゾロゾロ出てくる。「もう1人のパーカー」と揶揄されるのを嫌ってテナー・サックスをメーンにしていたソニー・スティットが、再びアルト・サックスをとりあげ、名演を連発するのもパーカー没後のことだった。独自のスタイルを築きあげた名手は少なくないが、そのうえで大きな影響をおよぼしたということになると、白人ではリー・コニッツ、黒人ではキノンボール・アダレイとエリック・ドルフィーを数えるのみではないだろうか。

リー・コニッツ(1927〜)

チャーリー・パーカーがアルト・サックス界の覇者だった時期に表舞台に登場したコニッツは、やがてレニー・トリスターノ(ピアノ)の高弟としてクール・ジャズの旗手となった。影響をうけた奏者は白人に多く、バド・シャンク、ハル・マクシック、テッド・ブラウン(テナー・サックス)がいる。黒人では前衛派のアンソニー・ブラクストンと、信奉者にマーク・ターナー(テナー・サックス)がいる。

●キャノンボール・アダレイ(1928〜1975)

生地フロリダの陽光を思わせる(行ったことはないが)明るく健康的な演奏に、パーカーが発散するヤバさはない。むしろ、スウィング期の巨匠に通じる、優雅で自然な歌心(不自然でも歌心といえるか?)に溢れている。「大きな影響を与えたのはジョニー・ホッジスやベニー・カーターで、このほかジミー・ドーシーからも影響された」という発言は、額面どおりにうけとっていい。ホッジス流のブルース感覚、カーター流の明るさ、ドーシー流の饒舌は、初リーダー作に認められる。リヴァーサイドとキャピトルから傑作や快作を連発した。80年代以降、アダレイを信奉する黒人の若手が出てくる。代表格はヴィンセント・ハーリングとアントニオ・ハート。

●オーネット・コールマン(1930〜2015)

出発点はビ・バップだった。オーネットがビ・バップをやると、アヴァンギャルドなパーカーが出来あがる。パーカーの「瞬間的逸脱」を発展させたと見るべきかもしれない。第3作の『ジャズ来るべきもの』で、初めてオーネットの真価と全貌がとらえられ、そこからフリー・ジャズが始まった。影響について、本人は「ジミー・ドーシー、ピート・ブラウン、レスター・ヤング、チャーリー・パーカーたちを尊敬したし、〈中略〉そっくりまねて吹くことはできたが、幸運にもうんと若い時から、自分自身の音楽を吹くことができた」と語っている。オーネットは自分の感覚に忠実だった。オフ・ピッチ、小節の伸縮、和声の逸脱もその結果だろう。なんとジャズ的であることか。革命児オーネットの影響をうけた者は数知れない。代表格に黒人前衛派のロスコー・ミッチェル、ヘンリー・スレッギル、ブラクストンがいる。

エリック・ドルフィー(1928〜1964)

チャーリー・パーカーからアブストラクトなフリー・ジャズへの橋渡しのような位置付けの存在。彼の影響をうけた奏者は黒人前衛派に多く、ケン・マッキンタイヤー、ソニー・シモンズ、ブラクストンがいる。

 

2.テナー・サックスの系譜

●コールマン・ホーキンス(1904〜1969)─テナー・サックスの創始者

1920年代の初めにアルト・サックスはソロ楽器として自立する道を歩み始める。一方で、テナー・サックスはトロンボーンの代役に甘んじていた。たいていはアンサンブルのアクセント付け、たまに稚拙なメロディーを吹くくらいで自立できるはずもない。ホーキンスがテナー・サックス奏法の開発に挑んだのは、そんな時代だった。レスター・ヤングほど重視されないきらいがあるが、ホーキンスこそ、テナー・サックスの「最初の一人」なのだ。1930年代の後半にレスター・ヤングが出現するまで、あらゆるテナー・サックス奏者がホーキンスをモデルにした。

●ベン・ウェブスター(1909〜1973)

ベンは、ホーキンスとレスターと並んで「スウィング期の三大テナー」に、ホーキンスとベリーと並んで「ホーキンス派の三大テナー」に数えられる巨人だ。アップ・テンポではグロウルをまじえた豪快なトーンで激情をほとばしらせ、一転してバラードでは切々たる心情をむせび泣くようにつづる、蒸気機関車の爆走と徐行を思わせるスタイルの持ち主だった。実際、いつもは温厚だが、いったん怒りに火がつくと周りの手に負えない二面性をもっていたという。

●レスター・ヤング(1909〜1959)─ビ・バップのさきがけとなった天才

1937年、レスターはクールなトーン、かすかなヴィブラート、小節線にこだわらないソロ構成など、ホーキンスと正反対のスタイルを引っさげて表舞台に登場した。さらに、チャーリー・クリスチャン(ギター)にビ・バップの方法論を示唆し、チャーリー・パーカー(アルト・サックス)のスタイル形成にも影響をおよぼしている。ビ・バップになじめなかったレスターをモダン・ジャズの開祖とは呼べないが、モダン・ジャズはレスターの楽想とともに始まったとはいえるのではないか。後の世代に、彼の全盛期には軽視されていたスタイルをモデルとする奏者が輩出してくる。第一世代はデクスター・ゴードン、ワーデル・グレイ、ジーン・アモンズといった黒人バッパーで、彼らはホーキンス流のタフ・トーンにレスター流のフレーズをのっけた。クール・ジャズの台頭とともに第二世代が輩出してくる。スタン・ゲッツズート・シムス、アル・コーンといったウディ・ハーマン楽団出身の白人奏者で、彼らはトーンもフレーズもレスターにのっとり、そのスタイルを築きあげた。

デクスター・ゴードン(1923〜1990)─テナー・サックスのパーカー

バップ期のアルト・サックス界はチャーリー・パーカーが一人勝ちの様相を呈したが、パーカーの吸引力が少しは緩和されたテナー・サックス界からは数人の優れた奏者が出てきた。ただ、そのなかで「テナー・サックスのパーカー」にあたるのは誰かと問われると、しばし答えに窮することになる。それぞれが優れて個性的であったにもかかわらず、功績も影響力も遠くパーカーにはおよばなかったからだ。とはいえ、多くの奏者が出発点にしたということでは、デクスター・ゴードン(愛称デックス)の右に出る者はあるまい。

いち早くバップ・スタイルを築きあげたデックスは格好のモデルになった。黒人ではアモンズとテディ・エドワーズが、白人ではスタン・ゲッツがいる。第二世代ではソニー・ロリンズとジョン・コルトレーンが代表格だ。本人はドラッグ癖もあって53年から引退も同然となったが、60年の秋にロリンズとコルトレーンの影響を示したスタイルで再起、その後はトップ・クラスの地位を守った。

スタン・ゲッツ(1927〜1991)

いち早くバップ奏法を確立したデクスター・ゴードン(愛称デックス)は多くの奏者がモデルにしたが、早々に吸収され尽くすことにもなった。そもそもネタ(レスター・ヤングとチャーリー・パーカーの融合)は割れていたわけで、無理もない。当のデックスですら長期低迷に陥った。40年代の末、デックスと入れ替わるように、一群の白人奏者が表舞台に登場してくる。彼らは一様にトーンもフレーズもレスターに準じたスタイルで、クール・ジャズをになった。その筆頭が白人屈指のインプロヴァイザー、スタン・ゲッツだ。ゲッツのクール・ジャズに影響を受けた者としては、白人ではズート、イースト派のアレン・イーガーとフィル・アーソ、ウエスト派のビル・パーキンスとリッチー・カミューカが、黒人ではセルダン・パウエルがいる。

ズート・シムス(1925〜1985)

ジャズ史を揺るがす問題作を残したわけではないし、可もなく不可もない凡作を乱発したわけでもない。聴いている間はすこぶる快適だが、あとに残るものは小さい。しかし、愛すべきジャズ・ミュージシャンだ。これがズートに対する大方の見解ではないか。ワーデル・グレイと同様に、ミュージシャンとして望ましい資質をそなえ、演奏は常に一定以上の水準を保っていた。確立したスタイルに安住していたともいえるわけだが、そこまでの道のりは思いのほかに平坦ではなかったし、ズートをモデルにした奏者も少なくない。ズートはアル・コーンとテナー・チームを組み、ウォームでスウィンギーなスタイルを確立する。そこで、ズートはアルからダークでハードな感覚を、アルはズートからスウィンギーな歌心を吸収した。晩年は逞しさを増し、テナー一本サラシに巻いて行くが男の生きる道を貫く。アル、イーガー、アーソ、ウエスト派のジャック・モントローズが影響をうけている。

ソニー・ロリンズ(1930〜)

アドリブがジャズの肝だからといって、ミュージシャンは無から有を生みだしていると思っている方はあるまい。アドリブ能力は脳と身体を結ぶ回路の出来いかんにかかっていて、パーカーは膨大なストックを瞬時に検索・出庫する能力が桁外れだったのだと考えられる。ところが、最盛期のロリンズには、そうした回路を通さずに「リアルタイムでアドリブしているな」と感じさせる天才的なところがある。コルトレーンが頭角を現すまで、ロリンズは大きな影響力を誇った。黒人ではそのコルトレーン、新主流派のウェイン・ショーターとジョー・ヘンダーソン、前衛派のアルバート・アイラー、逆影響されたデックスがいる。白人ではイースト派のJ・R・モンテローズ、フランス外人部隊のバルネ・ウィラン、コルトレーン派から鞍替えしたスティーヴ・グロスマンがいる。ロリンズのアドリブの境地に達するのは不可能事に思える。コルトレーンの「システム」は真似られても、ロリンズの「天然」は真似るものではないだろう。

●ジョン・コルトレーン(1926〜1967)

コルトレーンによって、テナー・サックスはコルトレーン以前と以後に分けられたといっても言いすぎではないだろう。影響をまぬがれた者を並べたほうが早いのではないかとも思うが、そうもいくまい。ここでは、コルトレーンを出発点にして独自のスタイルを築きあげた大物をあげておこう。黒人ではショーター、ヘンダーソン、前衛派のアーチー・シェップ、ここでも逆影響をうけた格好のデックスがいる。白人では初期のグロスマン、コルトレーン派の急先鋒というべきデイヴ・リーブマンとマイケル・ブレッカーがいる。

 
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