ジャズ・ピアニストの流れを概観する |
ここでは、別のところで述べているように1940年代のビ・バップ以降のジャズを対象にしている。したがって、ピアノについてもそれ以前のプレイヤーや録音は対象としない。このような線引き自体に意味のあることとは思わないけれど、私自身が、個人として全部選択する範囲とことだけで、あまり厳密にどうだというのではない。例えば、オスカー・ピーターソンは活動暦も長いし、それなりの時代の変化も受け容れていると言えるから対象としてはどうなのか、と言われれば、単に私は聴いていないので、という程度の話だ。(下図は小川隆夫さんの著作からの引用で、図をクリックすると拡大します) で、ここで採り上げているピアニストや録音について、個々のコメントだけでは説明できない部分があるので、ジャズのピアノの流れを私なりに概観して、その中で、ピアニストたちを位置づけているかを述べて行きたいと思う。 ビ・バップ以降という絞り方をしたということは、ここでの記述のスタートは意図的に選択をする。ビ・バップのメジャーなピアニストとしてバド・パウエルとセロニアス・モンクあたりからスタートするということにしたい。くどいようだけれど、ジャズ音楽史がどうこうというのではなくて、私の聴いているのが、というのがもともとなので、音楽史的な配慮とかはまったくないので、誤解しないでいただきたい。バド・パウエルに対する影響関係をみれば、アール・ハインズからテディ・ウィルソンを経てアート・テイタムへの流れに続いていると言えるのだろうけれど、パウエルの場合は、それ以上に後世に影響を与えた方が大きく目立つ、パーカッシブで独特のハーモニーはビ・バップ以降のスタンダードなスタイルとなってしまった。とくに、それ以前のオスカー・ピーターソンやデューク・エリントンらが3人編成でピアノ・トリオという形態を始めていたのを、ピアノ、ベース、ドラムの編成に定着させ、3人で起伏に富んだ、激しい演奏を繰り広げたのはパウエルによるところが大きく、編成だけでなくプレイのあり方も、その後のピアノ・トリオによる演奏のスタンダードなスタイルとなってしまったと言える。俗に“パウエル派”と言われるほどパウエルのフォロワーを後に生み出してしまった。例えば、直系といえるほどパウエルのスタイルを受け継いだ人としては、エルモ・ホープ、バリー・ハリス、サディ・ハキム、リッチー・パウエル、ハンプトン・ホーズ、カール・パーキンス、白人ではアル・ヘイグ、ジョージ・ウォーリントン、クロード・ウィリアムソン、ドイツ人のユタ・ヒップや日本では秋吉敏子などもそう言える。また、パウエルの影響を受けながら、よりファンキーな持ち味を示したのが、ホレス・シルヴァー、レッド・ガーランド、ウィントン・ケリー、レイ・ブライアント、ソニー・クラーク、その他にも、ハンク・ジョーンズ、トミー・フラナガン、ケニー・ドリュー、デューク・ジョーダン、タッド・タメロンらがいた。この人たちに続く世代として、デューク・ピアソン、シダー・ウォルトンがいるし、ウォルトンのスタイルを受け継いだのがマッコイ・タイナーだ。一方、パウエル〜ホレス・シルヴァーの流れを受けてファンキーなタッチを売り物にした人たちとして、ボビー・ティモンズ、ジーンハリス、ホレイ・バーラン、ハーマン・フォスター、レス・マッキャンがいた。 一方、セロニアス・モンクは、一応はライオン・スミス〜デューク・エリントンの系譜に位置づけられるといえるが、多少こじつけと言えるかもしれない。それほどユニークなプレイ・スタイルで、それだけでなくコンポーザーとしての才能も高く数多くのスタンダード・ナンバーを作曲している。自身のバンドの中から優れた管楽器奏者を育て輩出させてもいる。そのため、ピアニストでモンクの直接的な影響を受けたと明白にいえるのは、パウエル派のようなフェロワーに比べると殆どいない。そのなかで、影響を感じさせる人としては、ハービー・ニコルズ、セシル・テイラー、マル・ウォルドロンらがいる。 また、ビ・バップの時代、代表的な二人のピアニスト以外にも、彼らに並ぶ個性溢れるピアニストはいた。一人はジョン・ルイスで、のちにモダン・ジャズカルテットを結成することになる人だが、クラシックやブルースとの融合を試みたりもしている。またクール派と言われるレニー・トリターノは、即興的なアドリブを真摯に追求して商業性と相容れないところまでいってしまう。彼の直接的なスタイル影響を受けたピアニストは見られないが、クールなプレイはとくに白人のピアニスト広く影響を与えたと言われている。たとえば、ピル・エヴァンスなど。しかし、彼の場合はトリスターノ・スクールともいえるグループを形成し、管楽器奏者の中に強い影響受けたプレイヤーを輩出した、その代表的な人がリー・コニッツやウォーン・マーシュである。 そして、ビル・エヴァンスこそ、パウエルやモンクの影響下から離れ、繊細なハーモニーを用いた印象派風ともいえる独自のリリックなスタイルを築いた、影響力の強かったピアニストと言える。とくに、ピアノ・トリオの演奏で、彼以前のピアノがリーダーでペースとドラムは脇役という一般的なスタイルを一新させて、3人が対等な形で演奏に関わってくる“インター・プレイ”というスタイルを確立させた。極端に言うと、50年代はパウエルの影響が絶大だったが、60年代以降はそれに加えてエヴァンスの影響なしにピアノは語れなくなったと言える。俗にエヴァンス派と言われるピアニストとしては、代表的な人がドン・フリードマン、スティーヴ・キューン、あるいはフリー・ジャズの影響の中から出てきたポール・ブレイ、デニー・ザイトリン、そして、エヴァンスと並んで後世のピアニストに大きな影響を及ぼしたハービー・ハンコックもエヴァンスの影響が見られる。さらに、ヨーロッパのピアニストたち、ミシェル・ペトルチアーニ、ジャッキー・テラソンらが代表的と言える。 また、エヴァンスと並んで70年代以降のピアニストに影響が大きかったのがハービー・ハンコックである。70年代以降に頭角を現わすほとんどの白人ピアニストに何らかの形でエヴァンスの影響の跡が現れているし、白人・黒人を問わず半ハンコックが開拓したモダンなハーモニーとタッチは、彼らの間ではなくてはならないものになっていった。ハンコックの影響は、彼と同世代のチック・コリア、ジョージ・ケイブルス、シダー・ウォルトン、マッコイ・タイナー、デューク・ピアソンなどのプレイに反映されている。次の世代では、イリアーヌ、ケニー・ワーナー、カーク・ライトシー、ロニー・マシューズといったピアニストたちにいっそう顕著な形で受け継がれている。 70年代に入るとフョージョンが勃興し、その中でピアニストが輩出した。その先駆者の一人が、クルセイダースでファンキーなピアノを弾いていたジョー・サンプル、スタッフで人気を博したリチャード・ティー、ジョージ・デュークなどだ。もともとはホレス・シルヴァーに通じるファンキーなタッチの持ち主だったジョー・ザヴィヌルも、ウェザー・レポート結成によって浮上してきた一人である。このザヴィヌルのスタイルに刺激されたのが、ヤン・ハマーやボブ・ジェームス、あるいは初期のジョージ・デュークで、デイヴとドンのグルーシン兄弟もザヴィヌル〜ジェームスのライン上にあると言える。 |