グレン・グールドをもとにした
ゴルトベルク変奏曲の聴き比べ
 

  

第1章 グレン・グールドの録音から接したゴルトベルク変奏曲という作品

@はじめに

私は、グレン・グールドの1981年録音で、はじめてゴルトベルク変奏曲を興味深く聴くことが出来ました。その前にも、他の演奏家の演奏を聴いたことがなかったわけではないのですが、何の印象も残っていません。断言すると、私はグレン・グールドの演奏によってゴルトベルク変奏曲と出会うことができました。これから、それを契機にしてゴルトベルク変奏曲を好きになった挙句、グールド以降(なかにはグールド以前のピアニストもいるけれど)のピアニストを聴きまくったことを、以下に述べていきたいと思います。

上述のように、私はグレン・グールドによってゴルトベルク変奏曲に出会ったので、どうしてもその出会いの強烈な印象に拘束されていて、この曲を聴く際には歪みを持っています。例えば、そもそも、作曲された時代状況からもゴルトベルク変奏曲は、ピアノのためではなくチェンバロのため(楽譜でも、二段鍵盤のためと断ってあるという)の曲であることは明らかです。しかし、ここで触れている演奏はピアノのよるものばかりです。私にとって、ゴルトベルク変奏曲はチェンバロの曲ではないからです。それが私の偏向しているところです。

また、例えば、20世紀初頭にブゾーニが、この曲を編曲していますが、この30の変奏の中から数曲をピックアップして、それをまとめたものになっていると言います。同じバッハの平均律クラヴィーア曲集をピアニストが演奏する時には、曲集の中から数曲だけ取り出して演奏会のプログラムに載せることがよくあります。ゴルトベルク変奏曲の場合も、そういう演奏のされていたようで、現在のように全曲を通して演奏されるのはグールドの1955年盤の影響ということになると思います。ここでは、全曲を通して聴くということを前提に以下で述べていきます。これも、グールドの演奏によって歪められた私の偏見です。まあ、歪みとか偏見とか自分で自分のことを述べていますが、これについては、私自身は肯定的で、否定的な意味合いは持っていませんが・・。

Aゴルトベルク変奏曲について

この後で、アリアと各変奏と、その演奏について述べていきますので、その前に総論のようなものとして、ゴルトベルク変奏曲について全体的に述べていきたいと思います。とはいっても、制作年代とか経緯といったエピソード的なことは、とくにここで述べなくて、散々述べられているので、ここでは素通りします。

ここでは全体の構成に重点をおいて述べていきます。

ゴルトベルク変奏曲で特徴的なのは、変奏の基となるテーマがアリアの主旋律にあるのではなく、32小節の低音進行にあるという点です。8小節毎にその流れを示すと、G→Fis→E→D→H→C→D→G、G→Fis→E→A→Fis→G→A→D、D→H→C→H→G→A→H→E、C→H→A→D→G→C→D→Gとなるそうです。低音進行は主にラインクリシェとドミナントモーションによって導かれた基本的な動きだそうですが、調性の進行に注目すると、ト長調(主調)→ニ長調(下属調)→ホ短調(平行短調)→ハ長調(属調)→ト長調(主調)と短い曲の中にも転調が何度も施され、これらの美しい和声進行を先ほどのなめらかで自然な低音進行が支えているといいます。この流れは理路整然とした構成美を伴って、2部形式の曲として仕上げられている。といっても、私は譜面が読めず、ピアノを弾けるわけではないので、単にそうなっているか、くらいです。

このアリアを含めたすべての変奏曲は、それぞれ前半と後半と二部形式でつくられています。第3、第9、第21、第30変奏は8+8小節、それ以外は16+16小節、ただし第16変奏のみは16+32小節で例外ですが、それ以外は前半と後半のシンメトリーになっていて、変奏曲全体も第16変奏にはフランス風序曲が配されていて、ちょうど30の変奏の中間点で後半がはじまるというシンメトリーになっています。

ゴルトベルク変奏曲全体の構成は「アリア」−「30の変奏」−「アリア・ダ・カーポ」から成り立っています。この3つの部分の中間の「30の変奏」のそれぞれの変奏を独立した曲と見なすと、全体的に32の小曲から成り立っていることになります。この30の変奏の中で、3曲ごとにカノンが配置されているので、このカノンを締めとして変奏三曲で1セットで、その3曲目がカノンとなる見方をすることが多いようです。グレン・グールドの1981年録音の演奏は、そういう構成を念頭に入れて演奏を設計しています。そして、カノンは第3変奏、つまり1曲目のカノンはユニゾンのカノン、第6変奏、つまり2曲目のカノンは2度のカノンというように、カノンの音程が一音ずつ広がっていって9度のカノン(第27変奏)までいって、10度のカノンに当たるところが第30変奏のクオドリベット(複数のメロディを寄せ集めて一つの曲にしたもの)となっています。

また30の変奏曲は性格の異なる三つのグループに分けることができます。第1変奏から始まって3曲おきに、つまり、第7、第11ときて第28変奏までの10曲はソナタや組曲に用いられる自由な舞曲の系統です。そして、第2、第5、第8と3曲ごとに第29変奏までの10曲は、二段鍵盤を用いたトッカータ風で技巧的な曲、そして、第3、第6から第27変奏まではカノンです。

それらの構成は次のようになります。(リンクで、それぞれの説明と演奏紹介を見ることができます。)

アリア ARIA

第1群

第1変奏 a 1 Clav 2声 性格変奏

第2変奏 a 1 Clav 3声 性格変奏

第3変奏 a 1 Clav . Canone al'Unisuono 3声 同度のカノン

第2群

第4変奏 a 1 Clav 4声 性格変奏

第5変奏 a 1 ovverro 2 Clav.  2声 デュエット

第6変奏 a 1 Clav. Canone alla Seconda 3声 2度のカノン

第3群

第7変奏 a 1 ovverro 2 Clav.  2声 性格変奏(シチリアーノ)

第8変奏 a 2 Clav. 2声 デュエット

第9変奏 a 1 Clav. Canone alla Terza 3声 3度のカノン

第4群

第10変奏 a 1 Clav. Fughetta 4声 性格変奏(フゲッタ)

第11変奏 a 2 Clav. 2声 デュエット

第12変奏 Canone alla Quarta 3声 4度のカノン

第5群

第13変奏 a 2 Clav. 4声 性格変奏(サラバンド)

第14変奏 a 2 Clav. 2声 デュエット

第15変奏 a 1 Clav. Canone alla Quinta, Andante 3声 5度の鏡像カノン(ト短調)

第6群

第16変奏 a 1 Clav. Quverture. 3声 性格変奏(フランス風序曲)

第17変奏 a 2 Clav. 2声 デュエット

第18変奏 a 1 Clav. Canone alla Sesta 3声 6度のカノン(アラ・ブレーヴェ)

第7群

第19変奏 a 1 Clav. 3声 性格変奏(フランス風序曲)

第20変奏 a 2 Clav. 2声 デュエット

第21変奏 Canone alla Settima 3声 7度のカノン(ト短調)

第8群

第22変奏 a 1 Clav. Alla breve. 4声 性格変奏(フゲッタ、アラ・ブレーヴェ)

第23変奏 a 2 Clav. 2声 デュエット

第24変奏 a 1 Clav. Canone all'Ottava 3声 8度のカノン

第9群

第25変奏 a 2 Clav. 3声 性格変奏(アダージョ)

第26変奏 a 2 Clav. 2声 デュエット

第27変奏 a 2 Clav. Canone alla Nona 2声 9度のカノン

第10群

第28変奏 a 2 Clav. 3声 性格変奏

第29変奏 a 1 ovverro 2 Clav. 2声 性格変奏

第30変奏 a 1 Clav. Quodlibet 4声 クォドリベット

アリア ARIA 

この構成の捉え方については、様々な解釈があります。学者による学問的な分析から、演奏者による演奏の設計のためのものまで。例えば、グレン・グールドの1981年録音の演奏では、上の表のような変奏を3曲ずつひとつのグループとしてまとまりをもたせて3曲目のカノンによってグループの締めとしています。この解釈を踏襲して弾いているピアニストは少なくないのですが、それとは別の構成で演奏を設計しているピアニストもいるわけです。この解釈の根拠は楽譜を見て、演奏していくためにそれが適切と感じたことにあるのでしょうが、学者たちの解釈でも同じような結論を導くものもあると言います。その理由として、バッハはカバラの影響を受けて数というものを聖なるもののシンボルとして重視したというのです。ゴルトベルク変奏曲は「30」の変奏で「3」曲ごとにカノンが現われます。この「3」という数字は三位一体を表わす完全数であるといいます。しかも、カノンは最初のユニゾンのカノンから、曲が現われるごとに音程の幅が一音ずつ広がって9度のカノンまで行きます。9は3×3の結果です。このように一度ずつ広がっていったカノンが9度までいって、その先のクオドリベッドはあたかも一度広がったカノンが複旋律音楽の別の究極的な形態に進化したかのようでもあります。そして、アリアという出発点から始まったゴルトベルク変奏曲は、このような上昇的円環のプロセスを経て、再び出発点でもあるアリアに行き着くのである。これは魂の遍歴の象徴のようでもあると言えます。

また、どの曲をもって区切りとするかについては、全32曲の16曲ずつを前半と後半として、前半をため息のような第15変奏で区切り、後半を第16変奏のフランス風序曲で始まるという解釈をしている演奏者がほとんどのようです。実際に演奏時間が長くなって、演奏会で演奏者が手を休める区切り(区切りであって、休憩まではいかないようです)を、この第15変奏と第16変奏の間にとっていることがあるようです。この他にも、解釈として実際に演奏で用いられているかは別として、いろいろな考え方があるようです。例えば、変奏は30曲ですからニでも三でも割れる数です。それゆえ、ある説によると第24変奏、8度のカノンがこの曲が一つの区切りだという。最初のカノンから1オクターヴ上がって、ちょうど切りがいいと言います。そしてもう一つは第27変奏、9度のカノンで区切るという説。3×3×3=27で、3は三位一体の3で特別な数字。3×3×3で一つの世界が完成して初めて完全なカノンが出る、そんな解釈です。そして第30変奏でクォドリベットが出てきて、「はい、これで本当の最後ですよ」と示している。でもその前で何ヶ所か準備している。どれが正しいではない。どういうふうな切り口で行くかによって、何通りにも世界が開けるつくりになっている曲なのです。

次のように部分に分けて、リンクの別ページで、ピアニストの録音を比較しながら、曲の内容を述べていきたいと思います。

アリア 

第1群(第1変奏〜第3変奏)

第2群(第4変奏〜第6変奏)

第3群(第7変奏〜第9変奏)

第4群(第10変奏〜第12変奏)

第5群(第13変奏〜第15変奏)

第6群(第16変奏〜第18変奏)

第7群(第19変奏〜第21変奏)

第8群(第22変奏〜第24変奏)

第9群(第25変奏〜第27変奏)

第10群(第28変奏〜第30変奏)

Bグレン・グールドのゴルトベルク変奏曲の衝撃

前にも述べましたが、現在のようにゴルトベルク変奏曲を全曲、コンサートのプログラムとして弾いたり、録音として残したりというは、1955年のグレン・グールドのレコード録音が大きな契機となりました。しかし、それ以前に、そういうことがまったくなかったというと、偉大な先駆者はいました。それが、ワンダ・ランドフスカ(1879〜1959年)という偉大な鍵盤楽器奏者です。1933年に、バッハ以降ではじめてゴルトベルク変奏曲の全曲演奏会とレコード録音をしたのはこの人です。彼女はチェンバロで弾いています。当時、チェンバロはピアノとの競争に負けて衰退し、チェンバロの演奏家は激減しました。ただでさえ衰退気味のチェンバロの演奏は小品をお洒落に弾くBGMか、家庭でのおけいこ程度になっていった状況で、ゴルトベルク変奏曲のような大曲に手を出すような余裕のある人はいなかったのでしょう。一方、ピアノで弾くことについては、この曲はチェンバロの二段鍵盤を使用して弾くように作られています。それをピアノによる一段鍵盤で弾いてみると、右手と左手が交差するばかりでなく、両手を上下に重ねて弾かなくてはならない場面もあるといいます。ピアノの一段鍵盤では、高速のパッセージや技巧的に困難な場面では過酷な指使いを強いられることになるといいます。その困難なわりには、聴く人には難しそうに聞こえない。だからピアニストが手を出すこともなかった。そこで、ランドフスカが演奏したということは画期的であったと言えます。この人は、学究的な志向と、バロック音楽への嗜好があった、他の演奏家とは一線を画す人だったようです。ランドフスカの録音を聴くと、当時の時代背景や制約などから、ゆったりしたテンポなのですが、繰り返しを行わず、演奏時間はレコード録音の制限時間内に収められています。また、楽譜に忠実なことが重視される現在からみると驚くような独自の解釈もありましたが、これがゴルトベルク変奏曲のお手本とされ、ランドフスカに対抗する奏者は、以後現れなかった。そこに突如出現したのがグレン・グールドだったわけです。

1955年のグレン・グールドのゴルトベルク変奏曲の録音は、それまでスタンダードとされていたランドフスカのゴルトベルク変奏曲に対して、まったく新しい解決をもたらしただけでなく、それまで連綿と続いていた19世紀以降のロマンチックで自由なピアニストの演奏スタイルの根幹をも覆してしまうほどの衝撃的だった言う人もいます。バッハの技巧的な作品を、二段鍵盤のチェンバロではなくてピアノで苦もなく弾いてしまうグールドの圧倒的な超絶技巧を、プロの演奏家や批評家には驚異的に見えたのではないでしょうか。それまでのヴィルトゥオーゾとも言われた巨匠ピアニストというのは、楽譜に忠実とは違って、楽譜に沿って自らの強烈な個性を音楽として創造する、そこにピアニストの個性的な音楽を聞き手に提示していました。そこに、二段鍵盤のために書かれた弾くのが困難で、しかもその効果をひけらかすことも少ない曲を楽譜通りに弾いてしまった。しかも、現代的なスマートな演奏として颯爽と時代の最先端として現れたことに、これらのピアニストは一挙に古臭いものとなってしまう衝撃をもたらした、というわけです。

そのテンポは、ランドフスカのゆったりとしたテンポに慣れた人の度肝を抜きました。さらにレガート奏法に適していたはずの、手指を真っ直ぐに伸ばした弾き方で、スタッカートのように短く切って弾く奏法にも人々は驚かされました。その演奏する姿は独特で椅子を低くして重心を安定させ、腕を鍵盤に対して水平、というより肘を鍵盤の下にあるというものでした。

また、グールドは、その奏法と響きを作り出すために自身のスタインウェイのピアノに改造を施していました。チェンバロの場合には鍵盤を押すとアクションの先に装着されたプレクトラム(爪のようなもの)が間髪を入れずに下から上に動いて弦を弾きます。これに対してピアノの場合は、鍵盤を押しても途中までは音になりません。さらに押し込むとハンマーが弦を叩いて音を出すのです。グールドはチェンバロのアクションのような瞬発を好んでいたため、ハンマーについたフェルトを剥がし、代わりに金属製のステップルを打ち込み、「自分がハープシコードだと思っている神経症的なピアノ、ハープシピアノ」といっていたそうです。このようなピアノで弾くとき、タッチはノンレガートで、またノンペダル奏法を貫いていました。ただし、使わなかったペダルはダンパーペダルであって、時にはソフト・ペダルを踏んでいました。このペダルは弱音効果のためだけではなく、鍵盤とアクションが同時に2ミリ程度右へ動くというもので、ピアノに張ってある例えば中高音の3本の弦のうち右側の2本だけを叩くようになります。ハンマーも一緒に動くためです、3本のうち1本が叩かれないことで、共鳴するだけに留まるのです。その結果繊細かつ透明感のある音色に変化します。こうした楽器の改造や独特な奏法によって、グールドは、ゴルトベルク変奏曲に潜むダイナミズムを明らかにし、駆動力を備えた進行によってポリフォニーのテクスチャーを明晰に提示し、超絶的な指の動きで各声部を鮮やかに彫琢しました。そして、研ぎ澄まされたような彼特有の玲瓏な音色は、音楽が必要以上にロマンチックに傾くを抑制し、ゴルトベルク変奏曲の様式美や造形美を示すことが、音楽の愉悦そのものであることを示して見せたのです。

Cゴルトベルク変奏曲を弾くピアニストについて

ついでではありますが、ゴルトベルク変奏曲を弾くピアニストにはひとつの傾向があるように見えます。もちろん例外はあるのは勿論のことですが、例えば、いわゆるヴィルトゥオーゾ・タイプのピアニストで、この曲を弾く人はほとんどいません。また、音色とかタッチの多彩さで聴かせるタイプのピアニストもほとんど弾きません。このような人たちは、同じバッハの鍵盤曲でも、平均律クラヴィーア曲集やパルティータのような組曲作品であれば、曲集のなかから適当にピックアップして、小品として弾くことはあるのに、です。

一方、ゴルトベルク変奏曲を弾くピアニストは、バッハの他の鍵盤曲もレパートリーに載せている傾向にあると思います。この人たちは、作曲家を体系的に弾く傾向にある人、あるいはポリフォニーを好むのでバッハのレパートリーが多くなってしまう、というところでしょうか。とくに、グレン・グールドが1955年にレコードをリリースした時には、異例の事態だったので、この曲を通して弾くのをレコードに録音したり、リサイタルのメイン・プログラムに載せるというのは例外的なことだったので、ピアニストにとっては公開の場で弾くことは、相当の決意が必要だったと思います。そこで敢えて弾くということは、そこに本人の強い意志と、弾くからにはという曲に対するピアニストの強い意識、つまり開拓者意識のようなものがあったと思います。それは、グールドが切り開き、その後に続いたピアニストたちの録音からも感じられることです。そういう先駆者たちの苦労の結果、ゴルトベルク変奏曲が一部の好事家向けの曲ではなく、ポピュラリティのある曲になって、新人コンクールで弾く人が出てくるような曲になって、この曲を弾くピアニストの意識から当初の開拓者意識のような意志が感じられなくなったのは、いつごろからでしょうか。けっこう若いピアニストが、先人の手垢に染まった演奏スタイルを批判して、奇を衒ったとしか思えないような新解釈で、マニエリスムが前面にでてくるような演奏に触れることが多くなりました。ここでは、そういう新しいものには、あまり触れず、ノスタルジックかもしれませんが、グールドと彼に続いた人たちの演奏を中心に聴いたものについて述べていきたいと思います。

 

 

 グレン・グールド

1981年録音

 グレン・グールド

1955年録音

ヴィルヘルム・ケンプ 

マレイ・ペライア

アンドラーシュ・シフ  

ロザリン・テューレック 

シモーネ・ディナースタイン 

 

 アリア

 3:05

 1:53

 1:58

 3:58

 3:45

 4:46

 5:39

 

 第1変奏

 1:10

 0:45

 1:30

 1:51

 1:54

 2:16

 1:47

 

 第2変奏

 0:50

 0:38

 1:04

 1:36

 1:22

 1:59

 2:35

 

 第3変奏

 1:31

 0:55

 2:20

 1:57

 2:02

 2:14

 3:24

 

 第4変奏

 0:50

 0:29

 0:47

 1:07

 1:04

 1:16

 1:10

 

 第5変奏

 0:37

 0:37

 1:16

 1:24

 1:27

 1:51

 1:23

 

 第6変奏

 0:40

 0:35

 1:06

 1:25

 1:18

 1:54

 1:22

 

 第7変奏

 1:16

 1:08

 1:50

 1:47

 1:42

 2:00

 2:32

 

 第8変奏

 0:54

 0:45

 1:36

 1:51

 1:42

 2:00

 1:53

 

 第9変奏

 1:00

 0:38

 1:52

 2:12

 1:22

 2:04

 1:53

 

 第10変奏

 1:04

 0:43

 1:10

 1:34

 1:36

 1:58

 1:31

 

 第11変奏

 0:53

 0:55

 1:25

 1:46

 1:58

 2:31

 1:58

 

 第12変奏

 1:38

 0:56

 4:03

 2:18

 2:00

 1:48

 2:59

 

 第13変奏

 2:39

 2:10

 2:58

 4:59

 4:07

 3:27

 5:15

 

 第14変奏

 1:04

 0:59

 1:42

 2:06

 2:00

 2:15

 2:02

 

 第15変奏

 5:02

 2:17

 4:38

 4:20

 3:53

 2:23

 2:54

 

 第16変奏

 1:38

 1:18

 1:35

 2:44

 2:46

 2:54

 1:59

 

 第17変奏

 0:54

 0:53

 1:45

 1:41

 1:59

 2:05

 1:36

 

 第18変奏

 1:03

 0:46

 1:19

 1:24

 1:27

 1:30

 1:36

 

 第19変奏

 1:03

 0:43

 0:59

 1:29

 1:17

 1:17

 1:49

 

 第20変奏

 0:50

 0:48

 1:46

 1:52

 1:49

 2:13

 1:48

 

 第21変奏

 2:13

 1:42

 3:12

 2:45

 2:14

 2:42

 4:20

 

 第22変奏

 1:03

 0:42

 1:02

 1:29

 1:48

 1:44

 2:26

 

 第23変奏

 0:58

 0:55

 1:43

 1:56

 2:12

 2:49

 1:58

 

 第24変奏

 1:42

 0:58

 3:32

 2:32

 2:17

 3:03

 2:15

 

 第25変奏

 6:03

 6:30

 4:51

 7:25

 7:00

 4:11

 4:38

 

 第26変奏

 0:52

 0:52

 1:47

 1:58

 2:05

 2:31

 1:44

 

 第27変奏

 1:21

 0:50

 1:43

 1:38

 1:44

 2:13

 2:05

 

 第28変奏

 1:03

 1:11

 1:52

 2:11

 2:40

 2:34

 1:45

 

 第29変奏

 1:02

 1:00

 1:48

 2:10

 1:53

 1:49

 2:17

 

 第30変奏

 1:28

 0:49

 1:30

 1:44

 1:40

 1:57

 2:00

 

 アリア

 3:45

 2:10

 1:26

 2:20

 3:43

 2:02

 3:29

 

 

 

 
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