ラファエル前派の画家達
ジョン・エヴァレット・ミレイ
 

 

 

ラファエル前派を見ていると、ラファエル前派兄弟団という集団とかそのグループが推し進めた運動と、ミレイやロセッテイなどの個々の画家たちとが、必ずしも一致しないのではと見えてくることが、よくあります。それは、ミレイにしてもロセッテイにしても、互いに異なる点の方が大きくて同じグループに括ってしまうことが難しいほどなのです。たとえば、この二人に画風で似ているところはほとんどありませんし、描法の点でも共通点はほとんど見られません。多分、この二人でひとつの作品を共同制作することなどは不可能に近いことでしょう。では、ラファエル前派とは何だったのか、ということになってしまいますが、おそらく、純粋な絵画運動というよりは、理念とか絵画に対する姿勢とか考え方とかの点で互いに共感してグループを成したというものだったのではないか、と思います。だから、ミレイにしてもロセッテイにしてもラファエル前派に対しての距離感や態度が大きく違います。ミレイはラファエル前派兄弟団の設立に参加したものの、数年で脱退してしまいます。

端的に結論から先に述べてしまうことにすれば、ミレイにとってラファエル前派という運動は、おそらく本質的に彼の資質には必ずしもそぐわなかったのではないかと思います。しかし、ミレイは、ラファエル前派の参加することによって、良くも悪くも、その後の自身の活動や姿勢を決定づけられてしまった、その意味では、ラファエル前派に対してはどちらかというと運動を創ったというよりは、運動から影響を受けたという方が強かったのではないか、思えるのです。それは、ミレイという画家の描くという技量の点においては、ロセッテイは言うに及ばず、ハントやバーン=ジョーンズに比べても突出して勝っていたのではないかということに存します。ミレイという人は、描こうと思えば如何様にも描けてしまう人だったのではないかと、私には作品を見ていると思います。それだけ達者だし、デッサンなどを見ていると、つくづく思います。何でも描けてしまうのだけれど、しかし、だからこそ「これ」を描くということがなかったのではないか。一種の器用貧乏です。そんなミレイに「これ」を与えたのがラファエル前派だったのではないか、と私には思えるのです。これから、そのことを彼の作品を見ながら、考えていきたいと思います。 

 

T.ラファエル前派時代

(1)ラファエル前派時代のミレイ

本来ならば画家の特徴をひとつひとつあげて、具体的に見ていきたいのですが、ミレイという画家は、年代によってその基本的な姿勢を何度も変えてしまう、ちょっと節操のないところもあるので、時期的な変遷をたどりつつ、それらに通底している特徴を炙り出すように見ていきたいと思います。

ミレイという人の伝記を見てみると、この人はいわゆる天才少年で幼い頃から達者なスケッチをものしていたと言います。それがゆえに年少でロイヤル・アカデミーの附属学校に入学を許されています。その事実や、彼の残されたスケッチを見てみると、描く技量については達者な少年だったのではなかったのかと思います。

ラファエル前派の特徴として、細密な描写とか、見たままを写実するなどを指摘しましたが、それを体現しているのがミレイだったと思います。ミレイに比べれば、ロセッティなどは描写する技量の点で大きく水をあけられ、しかも細密に描き込む忍耐力もなかったので、この時期のロセッティは描くことよりも、ある種のイデオローグのように言説でミレイを振り回していたのではないかと思われる節があります。また、ハントは技量の点ではミレイにはかなわなかった。実際、ラファエル前派にいたころのミレイの作品は、ロセッティやハントに比べて仕上げの完成度という点では群を抜いているように見えます。とくに、個々のモティーフの緻密な描き込みは凄いと思います。しかし、その反面、全体としてみると窮屈というのか、詰め込み過ぎと感じられることもたしかです。例えば『マリアナ』(右図)という作品の左手のテーブルの奥行のなさは極端で、まるで小津安二郎の映画に出てくるラーメン屋のカウンターのようです。そのテーブルに比して下に散らばっている紅葉の葉がバランスを欠くほど大きく描かれています。私には、そこにミレイの長所と裏腹の弱点があったのではないか、それがラファエル前派に加わることで、その長所と弱点を生かす道を見つけて行ったのではないか、と私には思えるのです。

ミレイの代表作として有名な『オフィーリア』(左図)を見ると、オフィーリアの周囲に散りばめるように配置された様々な花々は、博物学的な正確さで細密に描かれているといいます。また、オフィーリアに関しても特定の女性をモデルにして浴槽に浸かったポーズをとってもらい、それを寸分たがわずスケッチに写し取った結果できたものだったといいます。そこに、ラファエル前派の様式的な特徴として実際にあるものを、あるがままに正確に写しとるように描くということが端的に現われていることは、別のところで詳しく述べました。これは、ミレイの場合ラファエル前派の理念で描いたというよりも、もともとのミレイの描き方をラファエル前派の理念によって正当化され、ミレイ自身がその正当化に力を得て存分に腕を振るった、あるいは振るい過ぎたというのが本当のところではないか、と私には思えます。これは、ミレイのこの時期の作品を見た私の推測ですが、描くという技量に秀でたミレイは美術学校の授業でも、石膏デッサンやモデルのデッサンなどは、ほとんど苦労することもなく優秀な成績をおさめることができ、単に目の前にある物や人を描き写すことに関しては他を圧して秀でていたのではないかと思います。しかし、アカデミーの最終的な目標は立派な歴史画を描くことだったはずです。それはラファエロに代表されるグランド・マナー様式の、人間の秀でた業績としての歴史や神話の一場面を多彩な人々やモチーフを巧みに構成して作り出すというというものだったはずです。それには、単に描くという技術だけでは足りず、場面を企画し構想し多彩なモチーフを構成して一つの場面にしていく、歴史的な知識・教養やデザイン力、画面の構成力が求められていたはずです。そして、ミレイには、そういう構想力の面が弱かったのではないか、と私には思われるのです。それは、ラファエル前派に属していたころの彼の作品に、空間を感じさせることがなかった、余白を生かすということがなかった、ということから推測したことです。それゆえ、ラファエル前派はアカデミーのグランド・マナー様式を批判したと言いますが、ミレイに限っていえば、彼自身はグランド・マナー様式に必要な構想力が足りず、それが出来ない故のコンプレックスを原因とした一種のルサンチマンの発露として声を出していたのではないか、と私には思えます。だからこそ、ラスキンの言う、様式にとらわれず、見たままを忠実に描くという主張は、ミレイにとってコンプレックスを中和してくれる救いの主張だったのではないか、そう私は想像します。そう考えると、ラファエル前派というのは、ミレイにとっては、満たされない自己を正当化してくれる理念の運動として、彼はそこで画家としてスタートを切ることができた、と思えるのです。

画家ミレイという個人はそうだったとしても、その一方で、彼の作品の購買者層となる人々、産業革命により勃興した新興のブルジョワジーや中産階級の人々にとっては、王宮や城郭に飾るようなグランド・マナーの大層な歴史画は、彼らの住居である都市部のそれほど広くはない室内に飾るには不似合いに映ったのではないかと考えられます。ミレイの作品のサイズは『両親の家のキリスト』(右図)が多少大きいと思える(といっても歴史画の大作に比べれば、はるかに小さい)程度で、後は現代の日本のアパートの居間に飾ることのできる程度の小さなサイズです。そこに描かれている画面も、壮大な空間というよりも平面的で切り詰めたようなチマチマした画面です。だから、つつましい市民の居間やロビーに飾っても、結果としておさまりのつくものになっていた、と言えるのではないでしょうか。つまり、ラファエル前派の特徴的な様式は、新たな時代の新興階級のニーズにうまく合致するものとなりえた、ということです。そして、さらにミレイの作品は版画として大量に複製されたものが広く出回ることらなっていきましたが、かれの特徴的な様式が、版画というコンパクトで線を主体に構成される画面にうまく適合できたものでもあったと考えられます。これらのことが、ミレイの画家としての方向性を決定づけたのではないか、と私は考えます。

 

(2)ラファエル前派時代のミレイの特徴

ラファエル様式的特徴については、これまで述べてきましたが、その中でもミレイという画家は、他のロセッティやハントに比べ、どのような特徴的な個性を発揮していたのかをここで見ていきたいと思います。

@一点突出のインパクト

前述のようにミレイという人は構想力の面での弱さを抱えていたというのは、彼の作品に複雑な構成のものがないことからも分かります。ミレイの作品の多くは、1人または2、3人の人物が画面の中心近くにいてポーズをとっているというシンプルなものです。そして、ちょうどラファエル前派に参加していた未だ若い時に特徴的なのですが、そのシンプルな構成であっても、構図や人物のポーズなどにおいて、奇を衒ったと言ってもいいようなことを試みているのです。それは、シンプルな画面で一点集中で突出させるように目立つものです。例えば、『イザベル』(左図)のテーブルを真横のアングルで描いて、居並ぶ人物たちが横顔で重なっている構図は奇妙です。テーブルに居並ぶ人々を描くのであれば、ダ=ヴィンチの『最後の晩餐』(右下図)のように横並びにして人物を正面で描き分けるというのが常套ではないかと思います。『イザベル』の手前左の人物の白いタイツの足をまっすぐ伸ばしているポーズも目立ちます。また、『オフィーリア』では水面下に女性が横たわって沈んでいるという構図もユニークです。普通に考えれば溺死体など描くことは避けるでしょうし、溺れる場面なら横たわることはありません。『花嫁の付き添い』(左下図)では画面全面に少女の金髪が広がって印象的です。『マリアナ』であれば、こちらに尻をむけて腰に手を当てて仰け反るようにして、その尻を強調するようなポーズは目立つのではないでしょうか。これは、アイディアとか豊かな構想力による、というよりは奇を衒ったという方が近いと思います。というりも、ミレイは年齢を重ねるにしたがって、このような試みをしなくなっていき、構図は穏当なものになっていくのです。

だから、これらの作品はミレイの若さゆえの気負いかもしれませんし、反抗というラファエル前派の理念を体現しようとしたのかもしれません、また、構想力の弱さからグランド・マナーの歴史画をものにできない代償として一点突破の人目を惹くものを描こうとしたのかもしれません。ラファエル前派の仲間たちと比べてみても、ロセッティにしろハントにしろ作品それぞれで一点を突出させるようなことは見られません。

これを、作品を鑑賞する側からみれば、従来の伝統的な絵画にみられない、斬新で前衛的に見えたのであろうことは容易に想像できることです。そして、一点突出してインパクトというのは、見る側にとっては、とりあえずその突出部分にまず注目すればいいので、絵としては分かり易いことになるわけです。例えば『オフィーリア』について会話をする時には、美しい少女の死体が横たわっているという共通の話題をつくりやすいのです。その意味で、ミレイのこれらの作品は、ミレイという画家、あるいはラファエル前派という運動に親しんでもらう入口として寄与したのではないかと思います。

ただし、ミレイの作品は一見のインパクトだけで終わるような底の浅いものではありません。だからこそ100年以上隔てた私たちにも新鮮な感動を届けることが出来ているのです。そして、ミレイは画家としての経験を重ねていって、このようなポーズや構図を洗練させ、全体として穏当な画面を活き活きとさせるテクニックとして、活用していくようになります。

A過剰な情報の詰め込み

ミレイは細部を細かく描き込むことに関しては、ラファエル前派の画家たちの中でも群を抜いていたと言えます。例えば『両親の家のキリスト』における大工の仕事場に置かれた道具類や木くずの細かな描写。『オフィーリア』の溺死体の周りに浮かぶ花々や背景に生える草木にたいする植物学の図像になりそうなほど正確で緻密な描写。これらの細かなモティーフが小さな作品の画面に溢れそうなほど、詰め込まれています。画面構成はシンプルになっているので、このような細かなモティーフに視線を移すことができるのも、細部が目立つひとつの要因になっていると思われます。『オフィーリア』では、主役であるオフィーリアにも増して、草花の描写に力が入り、それだけで美しい箱庭のような自然の風景を作り出しています。この風景は、当時の中産階級にでもできる小規模で精細な、いわゆるガーデニングを想わせるような自然が身近に目の前に現れてくるような描かれ方をしています。まるでタペストリーのように装飾的な細部描写による瑞々しい自然が目前に在り、その奥にハムレットで周知の悲劇的な死が対置させられ、その両者の照応が深い神秘的な情景を作り出すことに成功しているといえるのです。これは、シンプルな構成と細部の横溢が作り出した世界と言えると思います。『両親の家のキリスト』では、少年キリストが手を怪我した箇所が、後年磔刑に処せられた時に釘を打ちつけられることになる箇所を暗示していることや、少年の脇で手当てをしている母親であるマリアの表情がちょっとした切り傷の手当てには不相応な深刻な表情に描かれていることで、この絵を観る者に深読みを誘います。

これは、後年の熟達した作品では整理されて、細部が横溢することも抑えられ洗練されていきました。この時点では、この細部が過剰というほど詰め込まれていることで、写実的表現を超えて象徴主義的に見えてくるものとなっています。題材としての主題が、シェイクスピアの文学や聖書などのものがたりを取り上げたことから、出典を知る者が作品を見れば、溢れんばかりの細部の表現がものがたりの様々なモティーフを連想させて、深読みを誘うものとなっています。それは、鑑賞者にとっては、作品の味わいを幾重にも深くさせるものであると同時に、ものがたりを知っていると味わえるというプライドをくすぐられる楽しさもあるというわけです。

一方、描くミレイにとっては、人物はモデルを使って忠実に写しているわけで、彼にとっては構想を考えることなく、細部にこだわって、人物や花や草を好きなだけ描き込むことができたというものだったと思います。おそらく、細部が横溢されることで得られた効果は、当初から意図されたものではなく、結果としてこうなったので、それをミレイ自身が後付けで気が付いて、次第に自分のものにしていったのではないかと思います。私が思うに、ミレイという画家は考える(構想する)よりも先に、筆(腕)が先行して動いてどんどん描いてしまうタイプだったのではないか。それが、ラファエル前派の運動に参加して理念的な方向性を与えられて、構図やポーズで凝ったことを考えることはあっても、その結果としてシンプルな構成の上で、好きなだけ細かいことを描くことができる、という道を、とにもかくにも見つけることができた。その結果として出来上がった作品が象徴主義的な解釈が可能な作品となることができた、というところではないか、と私は思います。そういう、ミレイという画家の持っている特徴的な美点が、偶然に活かすことのできる枠を見つけ、それに従って質の高い作品を連続して作り出すことができた、というのが、ラファエル前派に参加していた時期のミレイの作品であると、私は思っています。

 

(3)ラファエル前派時代のミレイの主な作品

『両親の家のキリスト』 

『イザベラ』

『オフィーリア』 (『オフィーリア』に見られるラファエル前派の様式的特徴) 

『マリアナ』 

 

U.ラファエル前派から離れる

(1)ラファエル前派から離れる

ミレイは1853年、アカデミーの準会員に推挙されたことを機に、ラファエル前派兄弟団から離れます。ラファエル前派に関しての私論として書いているところなので、本来ならば、ここで止めてしまってもいいのですが、ミレイという画家をみれば、ラファエル前派という枠に収まらないで、ラファエル前派をきっかけに自らの作品世界を展開させていったところに大きな魅力があるので、続けて追いかけていきたいと思います。以前にも述べましたように、ミレイが、単なる巧みなお絵かきとしてではなく、画家として作品を創作することができたのは、ラファエル前派に参加したことが大きな契機であったのではないか、というのが彼の作品を見ている限りでの、私の推測です。これには、特に資料とか証拠はなく、あくまでも私の想像で、そのようなストーリーでミレイの作品を見ているということなので、誤解なきように。

ミレイにとって、画家という姿勢を形作ることのできたラファエル前派からあえて離れたのは、なぜなのか。端的に言えば、アカデミー会員に推挙されたという世俗的な理由が一番大きいのでしょう。しかし、私には、彼の作品を見ていると、それを契機として作風の特徴が変容しているように見えます。そこに、内在的な理由があったのではないか、と私は推測します。その大きな理由というのは、観衆の発見ということではなかったか、と思います。これも、あくまでも私の想像であって、証拠は何もないので、割り引いて受け取っていただきたいのですが、ミレイはラファエル前派の画家たちと作品を発表し、グループがそれなりに注目されたことで、一般の絵画を消費する人々と、つまりは素人の人々とはじめてコミュニケィションをとることができ、それが彼の作品に対する考え方に大きな影響を与えたのではないか、ということです。美術学校で絵を描いても、それを見てくれるのは教官や同級生たちいった人々、いうなれば専門家やその予備軍です。そして、アカデミー展に出品しても、それを評価するのはアカデミーの人々、これまた専門家です。ミレイの初期作品は批評家から酷評を受けたといいますが、批評家も専門家に他なりません。しかしながら、この人達は作品に対して口を差し挟みますが、実際に作品を買ってくれたり、注文をくれたりする人々ではありません。言ってみれば、芸術家という限られた世界の内輪の人々です。これに対して、当時は市民社会という専門知識や従来の教養の蓄積の薄い人々が抬頭し、経済的な実力を背景に絵画の消費者として存在感を増していた時代です。その状況では、芸術家たちの内輪の世界と芸術を消費する人々の乖離が起こり始めていたと思われます。そのような状況の中で、ラファエル前派の運動は、ラスキン等の一部の批評家のバックアップを受けながらも、消費者の側に少しずつ受け入れられていって、実際にミレイの作品を購入する人が現われてきたと言います。それは、学校とか、アカデミーという狭い世界で絵を描いてきたミレイにとっては、別の世界の発見というような大きなことであったと、と私は思います。ミレイだけでなく、ラファエル前派の画家たちもロセッテイは水彩画に一時転じるなど鑑賞者との関係を発見した上での変化を始めているように思います。そのことが、ミレイの作品に変化をもたらしたのではないか、というのが私の推測です。その変化が、ミレイをしてラファエル前派から離れさせる大きな要因となったのではないか、ということも含みます。

では、ミレイの作品は、どのような変化をしたのか。それは、端的にいえば、むずかしい試みをやめる、ということでした。どういうことかというと、ブルジョワや中産市民が絵画を購入し、自宅に飾るという目的を考えてみると、かつての王侯貴族のようにそれを広く人々に見せて、自分の政治的な力を誇示したりとか教養や見識を見せつけたりというのとは違って、主には自分や家族、あるいは知り合いの親しい人々と楽しんだり、部屋の調度として飾ったというものだったと思います。そこでは、これ見よがしの豪華で美しい、知的な情報が詰まったような見栄えのする作品というよりは、より親しみ易く、見易いもの、それでいて芸術的香気が感じられるものが求められていた、と思われます。そういう物差しで見れば、ミレイのラファエル前派の作品は、一面では親しみ易いのは確かですが、物語の附加的な情報の意味を持たせたディテールが過剰なほど詰め込まれています。見る人にとっては、意味ありげな細部に溢れて難しそうです。作品画面全体に遊びがないというのか、何から何までくっきりと描き過ぎなほど描き込まれていて、息つく暇もないほどほどです。『オフィーリア』にせよ『マリアナ』にせよ、観る人を疲れさせるところがあります。それは、人によっては難しげに映ると思います。そこで、ミレイは、ラファエル前派のことろの画面にできるだけ多くの情報を詰め込んでいことする方向から、180度方向転換し画面の情報を少なくする、(それを突き詰めて行くと、言葉にできるような情報を画面から失くしてしまおうという唯美主義の作品に行き着くことになります)プラスからマイナスの方向に変わります。それは、ラファエル前派の理念を踏まえた上で、すでにラファエル前派とは違った方向を志向するものになっていたのではないかと思います。

 

(2)唯美主義

@ものがたりを描くからものがたりを作るへの逆転

ミレイはラファエル前派とは離れ、それまで、画面に情報を詰め込んでいく方向から、画面の情報を絞る方向に転換しました。それは単に情報量を減らすということではありませんでした。そこには情報の質的な転換がありました。つまり、ミレイが情報量を削っていったのは、例えば『両親の家のキリスト』で壁に掛けられた大工道具の中でも三角定規が三位一体をを象徴しているといった類の意味を分かるためには知識の裏付けが必要で、直喩的にちかい何らかの情報に代わるものディテールとして作品画面に描き込むということでした。これが、ミレイの作品の魅力の一つであったことは確かですが、どうしても、勉強をしなくてはならないとか、難しそうといったことになりがちです。また、ゲームでいう隠れキャラ探しのように、ややもすると作品の細部を主題とは無関係に探偵のように探し回るこことにもなりかねません。そこで、ミレイが志向したのが、シンボライズされた情報でした。彼の後の時代の象徴主義の人たちが、音楽という媒体に範とした表現をします。音楽は時間の芸術、パフォーミングアートで、絵画のように繰り返すように鑑賞することはできません。一瞬で流れ去ってしまうもので、そこで人々に何らかの情報が伝わるのです。しかし、その情報というは言葉で論理的に説明できるように明確なものではなく、意識下の感情とか気分のような雰囲気的なものです。それは、何度も繰り返す必要もなく、鑑賞者に特別な集中力や知識を要求するものでもありません、しかし、鑑賞者からある種の感情を引き出し、共感を得たり感動を誘うことができるものです。ミレイが目指そうとしたのは、このような情報だったと思います。それは、後にミレイの芸術の大きな特徴として言われるようになる“哀感”とか“詩的なイメージ”と言われるものです。例えば、ラファエル前派の理念では、自然はありのままに描きこむもので、ミレイは博物学的な正確さに基づく精緻な描写を追求していました。花や草といった自然が作品画面では背景の一部として埋没してしまうのではなくて、背景から浮き上がるようにそれ自体で存在感を主張するようになり、主人公の人物と画面上の存在を競うようになり、それが観る者に情報が溢れるような印象を与えていたと言えます。それを、ミレイは、言ってみれば博物学的な客観性の高い自然から、絵画作品を創ったり見たりする人間の感情、つまりは主観の動きに従う、あるいはそれを煽るような主観的な見方に沿うような大胆なデフォルメを施していくようになります。それは、例えば、主人公がある気持ちを表わしているのを補完するような雰囲気を効果的に作り出す小道具のようにアレンジされていくようになります。例えば『浅瀬を渡るイザンプラ卿』では、ラファエル前派の時の作品のように文学テクストの場面を描くということを反転して、もともとのテクストがありません。これは、ミレイがテクストがあるかのように場面を想像して絵画に仕立て上げ、観る人に逆にものがたりを自由に想像してもらおうと試みた作品です。そこでの自然は写実的に描写するのではなく、また、テクストの中の意味をディテールに託して表わすことはできません。作品の劇的な効果を強調するためのツールとなっています。例えば、人物と馬と背景のバランスが人がリアルと感じるものとはずれていますし、光の使い方が不自然に見えます。その中で、馬のシルエットや騎士の鎧といった厳格な要素は、柔肌が剥き出しになった手足や弱々しさを強調するような子どもたちの不安げな表情と不釣り合いに組み合わされています。一方で、遠景にある神秘的な尼僧たちは、死後の世界への憧憬を仄めかすものでもあり、子供たちが生と死を分ける危険な境界を彷徨っていることを示唆します。ただし、これらは直接的なこうだということを主張しているのではなく、そのような雰囲気を醸し出して、作品を見る者が、ここにあるようなことから、何となく感じ取るように、そして、鑑賞者自身によるこの作品のものがたりを想像するように巧妙に仕向けられている、と言えます。

A唯美主義

ミレイは、方向を誤ったのでしょうか。それとも試みをやり過ぎてしまったのでしょうか。これは、後付けの結果論になってしまいますが、晩年はアカデミーの会長になり叙勲されるような成功した画家となるために、このときの当時としては過激な試みを敢えて行ったことが、大きく寄与していると考えられるため、ミレイにとっては試練だったと言うしかありません。

さて、絵画の場面からものがたりを想像してもらうという『浅瀬を渡るイザンプラ卿』(左上図)は人々の理解を得ることができませんでした。そこまでできるなら、絵画を見てある種の雰囲気とか気分を感じてもらう、例えば、しんみりしてしまう風景とか、楽しくてうきうきしてしまう情景というような、それこそ音楽を聴いた効果に近いものを実現することも可能ということになります。それは、それまでのミレイの作品に必ずのように関わっていた文学でも歴史でも聖書でも社会事件でも、ものがたりを切り離すということです。その一連の作品に対して、後のオスカー・ワイルドらの主張した“芸術のための芸術”の先駆的試みとして唯美主義と評する人もいるようです。『安息の谷間』(右図)では、ここでの尼僧たちは何かを行っている行為が主題となっているのではなくて、例えば、画面右側の若い尼僧の顔は、発表当時には醜い表情と評されたそうですが、彼女の絵を観る者を見てくるような理想的な顔とは異なる、いかにも近くの修道院にいそうな顔があってこそ、背後の夕暮れに迫ってくる死の深い意味と、ときに甘美とも錯覚されることもある誘惑的な死の意味が際立つように実感させられる効果を醸し出しています。それは、歴史的なものがたりや道徳的な教訓などとは異なる何かでした。ただし、それは直接的なメッセージではなくて、観る人が自由に感じるものでした。ミレイの緻密な細部描写は、写実的なものから象徴的な表現へと変容していきます。しかし、この@Aのいずれにせよ、当時の鑑賞者たちには追いつくことができなかったようです。

 

(3)ラファエル前派から離れた時代のミレイの主な作品

『安息の谷間』 

『秋の葉(枯葉)』

『エステル』 

 

V.成熟と晩年

(1)人気の回復と画家の成熟

@人気の回復と画家の成熟

1859年、アカデミー展に出品した『ブラック・ブランズウィッカー』(右図)が好評を得て、ミレイは人気画家に復帰しました。この作品はワーテルローの戦いに赴くブランズウィック騎兵隊の兵士と恋人の別れの場面を題材としたもので、歴史的、ものがたり的な題材を扱ったもので、ラファエル前派時代の物語的な絵画への回帰のようにもみえます。しかし、当時のミレイとは別人のような画家がここにいます。卓越したデッサン力による性格で巧みな描写は相変わらずで、それがラファエル前派時代と変わらぬ数少ない点でしょう。ラファエル前派時代と大きく変わった点は、鑑賞者が作品を見て想像する余地を大きく残している点です。ラファエル前派時代の作品は、『オフィーリア』が典型的ですが、作品の中に意味情報が満載されていて、観る方は沢山の情報をあてがわれて、それを理解する、あるいは解釈するという受け身の態度を取らされることになります。これに対して、『ブラック・ブランズウィッカー』の場合は、提示されている情報が抑えられていて、観る人の想像で足りない情報を補う余地が生まれるように仕組まれています。そこに鑑賞者が作品を見ることによって積極的に関わることが可能になってきます。例えば、別れる女性の感情を象徴する細部は『オフィーリア』の時のように描かれていないので、観る者は彼女の身になって気持ちを想像することになります。そこに感情移入が生まれます。比喩的な説明になりますが、何かを伝えたいとき、言葉を尽くして説明するのではなく、少ない言葉でニュアンスを表わして後は相手の想像に期待するという方法があります。この方法では、余韻をつくりだす詩的な表現に通じるものと言えます。『ブラック・ブランズウィッカー』では、そのた歴史の主役であるヒーローの活躍場面ではなく、平凡な人々に焦点を当て、しかもクライマックスの状況を敢えて外して、ドラマの先行きが定まらない日常的な場面とドラマの境目のようなところを描いています。それが鑑賞者にとって想像を誘うような、想像しやすい設定を巧みに行っているわけです。そして、描き方についてもラファエル前派時代の精緻さから、流麗で大胆な筆遣いにより、画面中の人物に動感を与えています。ここに、ラファエル前派時代に鑑賞者と出会い、唯美主義的な作品や出版物の挿絵などの様々な試行錯誤を繰り返しながら、鑑賞者とのコミュニケイションの形を見つけ出すことができたミレイの姿があると思います。それはまた、消費者のニーズを察知するマーケティングの成功も意味するわけで、人気作家としての地位を確固たるものにしていったのでした。

しかしです。巧くまとまってはいて、広く受け入れられるものになっているのは確かなのでしょうけれど、私には、巧さが先に立ってしまっているように見えます。ラファエル前派時代の、過剰とも言える意味の氾濫に代表される、付け焼刃かもしれないけれど、押しつけがましいところがあるかもしれないが、理念を奉じていた迫力が失われてしまった、と私には見えます。悪く言えば、こじんまりまとまってしまっている。そのため、退屈な印象を避けられません。

A肖像画とファンシー・ピクチャー

イギリス美術において肖像画は絵画の中で独自の位置にあり、画家にとっては経済的な繁栄をもたらす最短の道であり、合わせて画家としての経済的のみならず芸術的な成功を測る目安でもあったということです。肖像画を注文する人々は、富裕な人々や社会的な地位の高い人々でしたから、その人々から注文を数多く受けるということは、そのような画家は世間的な成功者と見なされることになるわけです。もちろん、ミレイはそのことを十分に分っていたと思います。

肖像画とういうのは、たいていは、等身大で描かれ、一人あるいは、それほど多くはない人物を描きます。そのため、物語が主役である歴史画や宗教画のような場合と比べて、対象である人物の描写に省略がきかないため、高度な描写力が必要とされます。その描写力はさらに顔が似ていなければならないことや、たんに似ているだけでは十分でなく人柄をしのばせるような精神性の表現も求められます。それだけでなく、その人物の社会的な権威や世間的な成功がおり込まれていなければなりません。これは、ラファエル前派時代から物語を絵画にしてきたミレイの知識と経験の蓄積が大きく寄与したと思います。他方、婦人の肖像画の場合には、何をおいても美しく描くことが必要不可欠となるでしょう。上流社会の夫人たちは肖像画に対しては17、8世紀の貴族社会のような豪華で装飾的な衣装が愛好されていたようです。このような装身具や繊細な衣装の描写は、緻密な自然描写によって培われたミレイの技術が得意としたものであったでしょう。しかしまた、肖像画のモデルとなる人々は専業のモデルと違って長時間アトリエでポーズを決めてくれません。短時間のうちに下絵をつくり、それをもとに表現を肉付けして最終的に仕上げて完成させるという、制約の多いものでもありました。しかし、これは、考えてみれば、描くと言う技量についていえば右に並ぶものがいないほど達者なミレイにとっては最もうってつけの仕事であり、それにラファエル前派時代からの構想の蓄積をテイストとして加味させたものを作品としてつくってしまうので、ある意味人気が高まるのは、当然と言えるかもしれません。ミレイは、肖像画の注文を数多く受けるようになったのは1870年以降のことですが、多数の肖像画を残しているようです。

この肖像画はミレイの収入や地位を高めたものなのでしょうけれど、私がその作品を見る限りにおいては、ミレイが批判したレイノルズの描いたものと、ほとんど変わらないものとなってしまったように見えます。ミレイ自身が権威となってしまったということなのでしょうか。これは、ミレイが批判する側から、批判される側に移ってしまったということでしょうか。そうであるのならば、ミレイは死後、急速に忘れられてしまい、作品は歴史に埋もれてしまったというのも分かる気もしないではありません。

肖像画によく似たものにファンシー・ピクチャーがあります。ファンシー・ピクチャーは直訳すれば、空想的な絵ですが、18世紀後半にイギリスで流行した風俗画の一種です。特にジョシュア・レイノルズやトマス・ゲインズバラは、愛らしい子供や若い女性を仮装させるなどして空想的に描き人気を博したといいます。言ってみれば、深みのある物語よりは情緒をする絵画ジャンルと言えるでしょう。ミレイは家庭生活で父親となって、自分の子供たちをモデルにして、親ならでは喜びや誇らしい気持ちを託して、愛する子供たちの成長を見守るように作品を制作しました。その一方で、描かれた子供たちは悪戯っぽかったり、拗ねていたり、笑顔を浮かべていたりといった子供らしいパターンは避けられ、内省的に描かれていました。これは外部から影響に左右されないことが美にとって不可欠であり、それは、経験や性格により個性が容貌に未だ鮮明に表われてない子供の姿にあらわれているという考えによるものです。言うなれば、ロマンティックな純粋で無垢な子どもというイメージを実際の子供にうまくあてがって、いそうでいない子供を作品上に定着させたのがミレイのファンシー・ピクチャーと言えると思います。例えば『目ざめ』という作品には症状が描かれていますが、そこには、大人の肖像画に求められる威厳や高貴さはないものの、ごく日常的な情景であるパジャマ姿や寝具は中産階級の落ち着きを示しています。このような中庸な情景が、自宅のサロンに飾るほどよい絵画として、人気を博したものと思います。

B晩年の風景画

晩年のミレイは、スコットランドの風景をポエティックに描いたと言いますが、私にはあまり面白いとは思いません。

 

(2)ラファエル成熟期の主な作品

『三姉妹』

『ブラック・ブランズウィッカー』 

『初めての説教』『第二の説教』 

 
ラファエル前派私論トップへ戻る