ラファエル前派の画家達
ジョン・エヴァレット・ミレイ
『安息の谷間』
 

 

 

ラファエル前派時代のミレイは、宗教にせよ、歴史にせよ、文学にせよ、物語に題材をとった一場面を作品として制作してきました。風景、静物あるいは肖像というような即物的な作品は制作しておらず、姿勢は一貫していたと言えます。そして、ラファエル前派という運動の性質から、本来であれば、ミレイは即物的な絵画で立派な作品をものにする技量を備えていたにもかかわらず、そういう方向に行かなかった人になってしまいました。もっとも、ミレイという人は巧みに描くという技量は達者だったと思いますが、静物画や風景画の場合の“どのように描くか”ということ、例えば、彼の少し前の世代で、コンスタブルとターナーが風景画で全く違う個性を競ったような、そういう面での突出した個性を認めることの出来ない画家でもあったと思います。あえて、誤解を恐れずに言えば、ミレイは慥かに巧い人ではありましたが、画家というか芸術家としては凡庸に近かったのではないかと思います。それが、ラファエル前派という運動に参加して、ユニークな“何を描くか”(いわば理念)を与えられ、それを終生をかけて使い果たした人だったのではないか、と私は思います。その一つの証拠として、ミレイの作品の内容は言葉で説明しやすくなっているのです。視覚で感覚し、その感覚をもって画面という世界を直接的に構築するならば、そこに言葉が介在する必要はないはずです。現に、単に果物と皿が描かれているというだけで、他に何もないという画面が、観る人に宗教的な畏敬を起こさせるような作品について、何が描かれていると具体的に列記するのは無意味です。これは究極的な例だったかもしれません。そこまで行かなくても、ラファエル前派の仲間でロセッテイの作品は、そこに描かれている女性の顔はロセッティ以外には描かないような独特のものです。それはロセッテイの作品に共通するもので、モデルが誰であろうと、そこは変わりません。それを見れば、ロセッテイの作品だと一目で分かるものです。しかし、それを言葉で説明することはできないのです。翻って、ミレイには言葉で語れないものがないのです。

この『安息の谷間』は唯美主義の作品であると解説されることが多いのですが、ここでの唯美の“美”とは視覚的な“美”ではないのです。それを言葉に翻訳した、その言葉に対して感じられる“美”なのです。言葉の“美”ということについては、物語や小説にたいしては美しいという形容は似合いません。それらは面白いとかいう方が似合っています。むしろ、言葉による美しさとしては詩に対して形容されるのが一般的です。ということは、しいて言えば、ラファエル前派時代の作品が物語を描いていたのに対して、この『安息の谷間』は詩を作品にしようとしたものだったのではないかと思われます。それは、実際に、ラファエル前派時代の作品では言葉で直喩的に表現されたものを、そのまま絵に置き換えたという要素が強かったのに対して、『安息の谷間』では純粋に言葉で象徴されたもの、視覚的でないものを絵に置き換えようとしているのです。それは、例えば、感情とか気分とか雰囲気を表わすような言葉です。ここでは作品タイトルに含まれる『安息』をそのまま形象化することはできません。 

 

では、作品を見ていくことにしましょう。この作品のタイトルと添えられた「疲れし者の安らぎの場」という一節は、メンデルスゾーン作曲の合唱曲「安息の谷」の歌詞からとられているといいます。

夕暮れが最後の光を放つとき

金色の雲の丘が駆け上がる

己がアルプスの山々であると誇示せんばかりに。

私は時に涙ながらに訊く

果たして雲の間に

私が切に望む安息の谷間はあるのか?

この歌の情景が参考になると思いますが、『安息の谷間』は、画面奥(上部)の遠景に夕暮れの紫色や金色に染まった空や、それを背にしたオークやポプラの樹影が一本一本描かれています。前景には二人の尼僧がいます。左側の尼僧は墓掘りの最中であり、右側の尼僧は墓石の上に座って両手を握りしめ、顔をこちらに向けています。その尼僧の横には先に十字架と髑髏のついたビーズのロザリオがぶら下がっています。左側の尼僧の上方には鐘楼が見え、左側の背景は蔦で覆われた高い壁です。画面の手前(下部)にはつるはしや鋤があり、右側の同じ高さのところらは二つの花環が置かれています。これには象徴的な意味合いがあるのでしょうか。ちょうと同じ高さにならんで水平の帯のようになっています。人物のあいだにある泥の山や石段、ふたりの尼僧の頭を繋ぐ線、奥の石垣、塀とその後ろにある教会の低い屋根、奇妙に水平な左手の雲は、それぞれ水平の線を形成します。そうすると、画面は水平な横線が何層にも重なった構成になっているのが分かります。それが安定し落ち着いた感じを与えていると言えます。そしてまた、夕暮れが進むのをあらわすように、その水平線により段階的にグラデーションがなされだんだん暗くなっていく要素が込められていると言えます。

二人の尼僧が示す象徴性は、二人が夕暮れ時の墓の準備をしているところからも明らかであり、同時に、尼僧が死とともにキリストと結ばれることが示唆されており、右手前の葬儀用の花環が結婚指輪になぞらえられている、といいます。左側の尼僧はガウンを脱ぎ捨て、腕に青筋を立てながら作業をしている緊迫感があります。これは画面全体を支配する夕暮れ、一日の終わり、太陽の死、すなわち死のイメージが緊迫してきていることをシンボライズであり、右側の尼僧が画面のこちら側、すなわち画面の外の鑑賞者に視線を向けて、画面の内と外を結び付けています。これにより、画面は鑑賞者にもひろがるものとなっています。

このような点で、この作品は以前の『オフィーリア』のテーマと構想を再度描き直したものと言うこともできると思います。『オフィーリア』では、自然の草木と顔の表情を緻密に描き込まれていましたが、この『安息の谷間』では、画面全体が夕暮れの暗さに溶け込むような、死に沈むような雰囲気を、細部の描き込みをせずに、全体として緩やかな描き方で、その代わりに光と影の精細な効果を生かそうとしています。そのため、『オフィーリア』のようなくっきりとした明解さはなく、細部の見分けがつかないような描かれ方ですが暗示的な雰囲気を感じさせるようになっていると思います。

しかし、最初に述べたように、『オフィーリア』が物語を視覚化したものであるのなら、この『安息の谷間』は詩を視覚化したものであるという違いがあります。詩と物語の最大の違いは、物語では言葉が物語の手段であるのに対して、詩では言葉そのものが語るということです。それは、この『安息の谷間』では、『オフィーリア』との違いとして上げられると思います。それは、この時期のミレイの唯美主義的な作品にも共通して言えることです。この作品の画面に即して具体的に見ていきましょう。この作品の画面は全体として、画面上部の夕焼けの未だ明るい空の遠景と画面下部の夕暮で暗くなった前景の二つの部分に分けられ、その二つの部分が対照的に対置されています。その結果、暗くなった前景が強調され、その薄暗い墓場にいる尼僧に光が当てられて、暗い中で浮かび上がるように見える。それで、見る者の視線は二人の尼僧に誘引されるように導かれるようになります。これは、オフィーリアが小川に沈み、花に埋もれるようでいて、虚ろな存在であるのとは大きく違います。この二人の尼僧は、オフィーリアとは違って、それ自身が語っているところがあるということです。埋葬という肉体的な仕事を任された若くて魅力的な修道女たちは、死すべき運命と直接向き合わなければならず、それゆえに老い、衰え、死という自分自身の最終的な運命と向き合わなければならないのです。一人の尼僧は、両手を組み、十字架と頭蓋骨の入ったロザリオを、彼女の習慣のひだの中で休ませて座っています。彼女の不穏な表情が見る者の注意を引きます。彼女が私たちを見て、私たちをその場に引き込み、私たちも死ぬのだということを思い起こさせているということが言えます。頭蓋骨は、修道女と鑑賞者に死の恒常的な切迫感を思い出させるものです。彼女は絵の外を直視しており、表情は穏やかですが、目を大きく見開いて激しい視線を送っています。彼女もまた、心の中に平安の欠如を放っている。彼女の表情は、対立的でありながらも切望的でもあり、見る者には、教会の庭の中でのプライベートな瞬間を邪魔したような気にさせます。この修道女は慰めを与えるというよりも、観客に慰めを求めているように見えるのです。そして、もう一人の掘っている尼僧は、見る者から背を向けており、顔の横顔だけがシーンとなっている。彼女は自分の命と生命力を身体的に利用して有用な機能を果たすことで、積極的に死と対峙しているように見えます。この二人の尼僧も、実は対照的に描かれています。それは死と生の対照とも言えます。墓場という場面であることから生と死というよりは、死と再生という宗教的なことになるのかもしれません。少なくとも、その核心には「死」ということが何重もの迂回を経ながらも、そこに見る者の思いが至るように画面が設計されていると思います。

 
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