ウィンスロップ・コレクション フォッグ美術館の19世紀イギリス・フランス絵画展 |
2002年11月 国立西洋美術館
コレクションとは、もともと中世の有力諸侯の「クンストカマー」に由来すると考えられています。中世はローマ教皇による権威と各地方の諸侯の実力という二つの支配が行われていました。実力の世界は諸侯による群雄割拠で古代ローマのような統一的な帝国はなく、神聖ローマ帝国はローマ教皇によって権威づけられた名目的なものに過ぎませんでした。とくに、神聖ローマ皇帝としての地位と婚姻による政略で命脈を保っていたのがハプスブルグ家で、かれらは領地や軍隊という実力に乏しかったため、神聖ローマ皇帝という特権がどうしても必要だったといいます。そのためには、名目上でも自家を権威づけることが必要不可欠で、そのためには家系をでっちあげることで権威の箔付も辞さない、そのとき古い由緒ある家系であることを証拠立てるために古代ローマの装飾品など品物を多数所持していることが有効でした。そこで、彼等にとってコレクションの収拾は自らの生存のための必要に駆られてのものだったといいます。それが今日のハプスブルク家のコレクションの基盤となっています。その後、中世から近世にうつり支配も武力による実力支配から権威による支配に性格が変質していきます。その時に、有効だったのが、中世のハプスブルグ家が用いた証拠品を集めて正統的な支配の家柄であることを強調することと、文化の庇護者という新たな価値づけを施すことでした。その実力をスペクタクルとして広く知らしめるために有力な王家はコレクションに積極的になります。ルーブルとか、プラドとかエルミタージュといった有名な美術館は、そういう王家の行為の結果でしょう。そして、近代になると経済力によって力をつけてきたブルジョワが王家や貴族を真似て、コレクションをするようになり、コレクションはブルジョワの趣味に変質していきます。そして、王家や貴族のスペクタクル性から個人として楽しむものへ、その過程で趣味性とか、美的でといったことが徐々に優先されるようになるわけです。今回の、ウィンスロップ・コレクションは、ブルジョワのコレクションの一つの典型といっていいかもしれません。それには、世紀末の、いささか不健康な作品も多く混ざっていた点で特徴的です。近代の東部アメリカといえば敬虔なプロテスタントがおおく、道徳面でたいへんうるさいところだったと思いますが、そこで秘かにこのようなコレクションを進めていたのは、現代で言えばオタクっぽいところもあるように思います。
そんなことを留保条件として頭の片隅に置きつつ、今回の印象を率直に言うと、自然よりも人口、田舎よりも都市、写実よりも虚構、健全よりも退廃、直接的表現よりも屈折したイロニー、伝統的教養より成金趣味、公開よりも引き籠り、とちょっと二項対立の形にしてみました。このことは、ここ展示を見ていく中で、できれば考えを披歴していきたいと思います。 今回の展示は西洋美術館で企画編集したということで、作家しかテーマ別の展示ではなくて、その作品の雰囲気というのかイメージによって次の4つに分類されています。 Ⅰ.過去と東方 Ⅱ.神秘と顕現 Ⅲ.誘惑と堕落 Ⅳ.象徴と偶像 展示されている画家は、イギリスのブレイク、ロセッティ、バーン=ジョーンズ、ワッツ、ビアズリー、フランスのアングル、ドラクロワ、ジェリコー、モローといった画家たちです。ここでは、展示順にこだわることなく、画家やあるいは印象に残った作品を個別に取り上げて印象を書いて行きたいと思います。 印象に残った画家について、取り上げて感想を書き込んでいきたいと思います。 今回の展示の中で、一番インパクトのあった作品です。ウィリアム・ホルマン・ハントの1899年に完成させた『聖なる火の奇蹟、イェルサレムの聖墳墓聖堂』です。92.×125㎝の大画面に、細かく緻密に描き込まれた、人、火、物。その圧倒的迫力。画面からはみ出て来そうなほどでした。 ■エドワード・バーン=ジョーンズ
というも、時期的に世紀末の時代は、当時若かった彼らが見上げる権威としてアカデミズムの画家たちが存在していたわけです。若い彼らは、その権威に対して反抗することができた。権威への反抗が、イコール新しい芸術運動とすることができた。だから、ある意味でかれらは権威の庇護のもとにいることができた、とえます。よく、若い世代が思春期と言われる時期に両親や教師といった周囲の大人に対する反抗をするというのが、映画や小説や音楽等でヒーローにように扱われるようになることがあります。しかし、反抗と言ってもかれらは両親や周囲の大人に生活や生存を保障されている中で、かれらの傘の下で反抗しているわけで、ある日突然、その傘が無くなってしまった場合、かれらは自らの生存自体が脅かされてしまうのです。その無も蓋もない事実を全く考慮することないのは、所詮、反抗とはその程度のものに過ぎません。だから、その厳然とした事実に、否応もなく気づかされるとき、反抗などといった浮ついたものは雲散霧消せざるを得ない。同じようにことは、一部に例外はあるものの、ラファエル前派にも当てはまると思います。例えば、取り上げる題材こそ違え、結果として出来上がった作品を構成の私たちが見てみると、彼らが反抗して見せた当時の権威だった作品との違いを、一見で見分けることができるでしょうか。たいへん辛辣な言い方だとは思いますが、バーン=ジョーンズにしても、アカデミーへの入会をゆるされその世界で次第に権威に向かって出世していくなかで、彼はラファエロ前派と袂を分かちます。
ウィンスロップという人の好みには、そういう微温的なところがあるように思います。
『深海』(右図)という水彩画は、『パーンとプシュケ』の逆の構図です。縦長の画面は、水中で人魚が男性を海の底に引きずり込む構図です。男を深海という奈落に引きずり落とす美女です。世紀末に特有のファムファタール。ビジネスの戦場を勝ち抜き、成り上がって、功成り名を遂げた男を、妖しい美女が深みに引きずり落とす。かなりこじつけの解釈です。しかし、そう見れば、男の立場ある人に媚びていると思えませんか。ここでは、男性を抱きかかえ、身体を心持ひねるポーズは脇の下から胸を経て腰に至るサイドラインが露わになって、これもまたエロチックです。 『真鍮の塔が建設されるのを見るダナエ』(右下図)は、同じ構図、ポーズで女性はヌードになっている『ウェヌス・エピタラミア』(左図)を描いています。 これらを見ていると、バーン=ジョーンズという画家は、他のラファエロ前派の画家たちに比べて、そういう面がストレートに見えてくるのです。
■ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
バーン=ジョーンズのところで、近世から近代に時代が進むにつれて、世俗化によって教会のパワーが下降し、新たな社会の担い手として市民階級が勃興してくると、画家の顧客が教会や王侯貴族から、市民階級、いわゆるブルジュワジーに移って来ることになったと思います。それにつれて、絵画の注文のあり方も、お抱え絵師として特定の注文主のために描いていればよかったものが、ブルジョワジーはそのような無駄なことはしなくなり、必要と思われる作品を購入するということになります。あるいは、特定の作品のみを注文するというあり方に変わります。そこで、画家は不特定多数の顧客に対して、画家自身や作品を売り込むことが新たに必要になってくるわけです。かつては、お抱え絵師になるために、自分を売り込みはしましたが、一旦その身分が保証されれば、そのなかで仕事場を与えられ、注文により作品の制作に没頭できました。しかし、新しい時代は、画家は自由業といえば聞こえはいいかもしれませんが、常に売り込みをしかなくてはならなくなった。そこで、新たに必要とされたのは、現代で言う、マーケティングやプロデューシングといった要素ではなかったかと思います。その面で巧妙だったのが、バーン=ジョーンズやミレイといった晩年に大家として成功していった画家たちだったと思います。これに対して、もしかしたらロセッティという人は、そういう能力に欠けていたのではないか、と思われるきらいがあるように思います。映画や小説で主人公になるような、才能に振り回され、実生活では不器用な天才肌の芸術家タイプを思わせるところがあります。
また、別の意味では、ロセッテイの描く女性は、他のどのような画家でも描くことのできないほど個性的で、しかも官能的で、エキゾチックで、美女です。このユニークさが他の画家との差別化を果たし一種のブランドのように受け入れられ そういう点が、新興国で金融業で成り上がった両親のもとで教育を受けたウィンスロップの環境にそぐうものだったと考えてもいいのではないでしょうか。
今回のウィンスロップ・コレクション展で、エドワード・バーン=ジョーンズとダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの作品が多く展示されていましたが、それ以外にも少ながずラファエロ前派の作品が展示されていたので、目に付いたものの印象を、ここで書いて行きたいと思います。なお、それ以外にも、ウィリアム・ブレイクやオーブリー・ビアズリーの作品も多数展示されていましたが、あえて、何も書かないことにします。
市民社会が定着し、社会的の安定が定着すると、経済の発展により大量消費社会に移ってくる。そこでのブルジョワたちは、かつての貴族のように旧支配階級(アンシャン・レジーム)と政治や社会的な覇権を競うということは最早なくなり、指向は個人的な私生活に向けられるようになったといいます。いわゆる小市民、プチプル、ピーダーマイヤー等と様々に言われていますが、要は、社会的な市民社会の拡充とか発展という方向よりも、私生活を大切にしていこうという志向性です。そのようなとろで求められるのは、革新的で個性的な芸術などというものではなくて、他の皆さんとはあまり変わらないけれど、少しだけ高級感があるような雰囲気ではないかと思います。端的にいえば、凡庸さの方か歓迎されたと思われます。しかし、あからさまにではなくて、高級の装いをまとったような、いわゆるハリボテです。この時期の公共的な建築物等を見てみても、時代の新しい様式を創るというよりは疑似バロック様式といったような過去のイミテーションのような表面的には厳めしく豪華なものが多く作られたといいます。 そういう一般市民からみれば、アカデミーの権威ある大家たちの描く歴史画のような作品は、立派すぎたのではないかと思います。そのような時に、市民生活の身の丈に合った、しかし、少しだけ背伸びをした気持ちになれるような、芸術運動として新時代の潮流とかで評判になっていたラファエロ前派の作品を室内に飾るというのは、いかにも文化的な教養があるようにみせる見栄をはりたい願望を巧みにくすぐるものだったのではないかと。そのときに、教養に不可欠な神話や伝説、聖書のエピソードを題材として、泰西名画に倣って、しかも実際に見ても分かり易い、というのはそういったニーズに応えるものだったのではないかと思います。『サー・ガラハッド』(右図)という作品など、人物として現代の普通の青年のようにも見えます。そういう親しみやすさが、ワッツの作品にはあると思います。
しかし、ビクトリア期という道徳上の規制が厳しかった時代だったことから、単なるヌードを人目につくところに飾ったり、おおっぴらに眺めることはできません。そこで、この作品では表面的には性的と見なされる要素を注意深く削除して、芸術作品というタテマエで存在を認められるように配慮が施されています。この作品でも、あからさまに性的な妄想を掻き立てるような要素は周到に排されています。女性の表情は乏しく(これすらも、視点を変えれば、現代の雑誌のグラビアの女性の呆けたような表情に通じているという見方もあるでしょう)、また生身の肉体を感じさせる個性をできるかぎり排除しています。モニュメントの建築物に装飾として飾られている彫刻の女性像のように見せて美的なオブジェのように見せています。下半身を包み込んでいる絹布の衣装の描き方も、身体の量感を暗示する代わりに、ほとんどアール・ヌーヴォーで記とも言える装飾的な曲線のうねりを示しています。 もう一つの『花』(右図)という作品の女性のポーズや装飾的な画面をみていると、まるでアール・ヌーヴォーのポスター、たとえばアルフォンス・ミンシャの作品を見ているようです。この画家の作品を見ていると、人物の存在感とか肉体性という要素は後退して、画面の模様の一部のような全体が装飾のようなものに出来上がっています。これは、前記のワッツのインテリアのような絵画のあり方から、さらに一歩進めて、装飾としての絵画、環境絵画のようなあり方になっているように見えます。つまり、ワッツの場合には、小市民生活に適合した芸術として、市民のインティメートな室内に飾り、鑑賞するものであったと思います。そして、ムーアの場合は、もう正面から作品を見つめて鑑賞するということではなく、壁紙のように市民の居間を構成する一部になってきているといっていいのではないか。作品がそれ自体として独立しているのではなく、室内で何らかの雰囲気を醸し出すパーツの一部として機能させるものに変わってきている。そういう要請に応えているのがムーアの作品ではないかと思えます。そういう存在を主張しない作品だからこそ、女性のヌード画像でも、お堅いビクトリア時代に可能となったのでしょうか。その点では、他の画家では描けない題材を描いていたわけで、大きな差別化ができたと言えます。 ■シメオン・ソロモン 『癒してくれる夜と傷ついた愛』はデッサンです。まるで両性具有な人物と天使を両側に配置した寓意画なのでしょうか、ものものしいタイトルが何か言いたげですが、画家本人が散文詩を発表していて、それら基づいたものらしいです。まるで、永井豪のまんが『デビルマン』に出てくる天使サタンにそっくりです。 この他にも、ジョン・エヴァレット・ミレイ等の作品はめぼしい展示がなかったので省略しました。 ■ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル
そのような観方に最も応えてくれるのが『奴隷のいるオダリスク』(左図)です。正面に艶めかしい裸婦を堂々と横たわらせて、アラブ風の幾何学模様や草花模様の様々な色や形で室内を埋め尽くし、仄暗い室内で、女奴隷の透けるような白い肌がひときわ輝きをはなつという画面は、退廃的といってもおかしくありません。しかし、その女性のポーズは伝統的なヴィーナスやニンフのポーズに倣ったもので、また全体に散りばめられたオリエンタリズムと言う異国趣味が、別世界であることを強調し、いわば隠れ蓑の機能を果たしているといえます。しかし、当のアングルはどうだったのかは、言正に知る由もありません。正面の裸婦のポーズで身体の線の流れを際立たせるために不自然に腰をひねられて、腰から下の下半身の豊かさを強調したり、そのためにかデッサンというのか構図を意識的に歪ませてみたりして、かなり意図的に、こだわって裸婦を描いていたのではないか、と思わせるふしがあります。
また、『ラファエッロとラ・フォルナリーナ』(左上図)はヌード画像ではありませんが、端正に描かれている女性が、ラファエロ前派の女性像に通じるのではないかと言う解釈だって可能性がないとも言えません。
モローという画家の魅力というのか、その最大の特徴は題材自体は歴史画の伝統的なものでしょうけれど、その題材に伝統とは違った視点が切り込んで、新しい画面構成や形式を模索し、作ろうとしたことにあったと思います。そこに、周囲や後世の人々が、エロティシズムや幻想などといった要素を取り出し、解釈を加えていったのではないか。そして、それをさらにフォローする人々が続いて、そういう要素が広がって、というその起点にいるということではないかと思います。例えば、有名な『出現』というサロメを扱った作品ですが、中東風(オリエント風)の舞台装置でエキゾティスムの味付けをした背景にサロメを裸体にしたのはモローが最初のことで、この後ビアズリーの挿絵作品等の追随者が続出し、サロメといえば裸体というイメージが定番化していきます。オスカー・ワイルドの貢献もあるでしょうが、預言者ヨハネに愛を拒まれ蔑まれたことに対して、復讐と支配欲から死体の首を所望し、エロティックなストリップティーズを披露するというファム・ファタールであり純真な少女でもあるというイメージを造り上げたのは、この作品がスタートだったのではないかと思います。しかし、この作品に描かれたサロメの顔には、そういうエピソードから連想されるような狂おしさのようなものは描かれていません。そもそも、顔が細かく描き込まれず、表情がないと言ってもいいのです。それよりも、全体の構図で踊るサロメと出現するヨハネの首と、そして右側の衛兵の織り成す三角形のシンメトリーの構図が中心だったのではないかと思わせられるのです。
両親から莫大な資産を引き継ぎ、趣味の世界である絵画コレクションの引き籠ったウィンスロップという人物にとって、共感を誘うものだったのかもしれないと安易な想像をしたくなります。実際は、そんな簡単なものではないはずですが。
|