ウィンスロップ・コレクション
フォッグ美術館の19世紀イギリス・フランス絵画展
 

 2002年11月 国立西洋美術館

アメリカのハーバード大学に付属するフォッグ美術館が、ちょうと大改修に入るため、普通では館外に持ち出されることのない所蔵品の貸し出しが可能になったということで、その所蔵品の中でも、特に重要なウィンスロップ・コレクションを集めた展覧会を西洋美術館で開催することができたということです。アメリカの金融業による名家に一族であるグレンヴィル・L・ウィンスロップという実業家(1864〜1943)がコレクションした3700点の中から、このコレクションに特徴的なラファエル前派やギュスターヴ・モロー等の象徴主義の作品を中心に貸し出されたものということです。ウィンスロップという人物は、どうやら人前で自らを表わすということは苦手だったようで、大学卒業後に法律事務所を開きますが30代で引退してしまいます。名家に生まれ働かなくても生活できたのでしょう。そういう環境で、人づきあいが苦手で、繊細な感性をもった芸術に対する志向が強い。ちょうど、彼の青春時代の時期は19世紀の世紀末に当たり、当時のヨーロッパで流行した、例えばJKユイスマンスの「さかしま」とか、ベックフォードの「ヴァテック」といった現代でいえば、引きこもり小説の影響とか、ギュスターヴ・モローが自宅のアトリエに誰にも立ち入らせずに自分の作品に囲まれて制作をしていたり、といったことの影響があったかもしれません。自宅に数多くの美術品を飾り、それに囲まれて、外出することもほとんどなく暮らした、などと想像すると、しかも中世から近代までの美術前半をコレクションしていたといいますが、中には、世紀末の象徴主義の唯美的な絵画作品が多く含まれていたといいますから、何となく想像してしまいます。

コレクションとは、もともと中世の有力諸侯の「クンストカマー」に由来すると考えられています。中世はローマ教皇による権威と各地方の諸侯の実力という二つの支配が行われていました。実力の世界は諸侯による群雄割拠で古代ローマのような統一的な帝国はなく、神聖ローマ帝国はローマ教皇によって権威づけられた名目的なものに過ぎませんでした。とくに、神聖ローマ皇帝としての地位と婚姻による政略で命脈を保っていたのがハプスブルグ家で、かれらは領地や軍隊という実力に乏しかったため、神聖ローマ皇帝という特権がどうしても必要だったといいます。そのためには、名目上でも自家を権威づけることが必要不可欠で、そのためには家系をでっちあげることで権威の箔付も辞さない、そのとき古い由緒ある家系であることを証拠立てるために古代ローマの装飾品など品物を多数所持していることが有効でした。そこで、彼等にとってコレクションの収拾は自らの生存のための必要に駆られてのものだったといいます。それが今日のハプスブルク家のコレクションの基盤となっています。その後、中世から近世にうつり支配も武力による実力支配から権威による支配に性格が変質していきます。その時に、有効だったのが、中世のハプスブルグ家が用いた証拠品を集めて正統的な支配の家柄であることを強調することと、文化の庇護者という新たな価値づけを施すことでした。その実力をスペクタクルとして広く知らしめるために有力な王家はコレクションに積極的になります。ルーブルとか、プラドとかエルミタージュといった有名な美術館は、そういう王家の行為の結果でしょう。そして、近代になると経済力によって力をつけてきたブルジョワが王家や貴族を真似て、コレクションをするようになり、コレクションはブルジョワの趣味に変質していきます。そして、王家や貴族のスペクタクル性から個人として楽しむものへ、その過程で趣味性とか、美的でといったことが徐々に優先されるようになるわけです。今回の、ウィンスロップ・コレクションは、ブルジョワのコレクションの一つの典型といっていいかもしれません。それには、世紀末の、いささか不健康な作品も多く混ざっていた点で特徴的です。近代の東部アメリカといえば敬虔なプロテスタントがおおく、道徳面でたいへんうるさいところだったと思いますが、そこで秘かにこのようなコレクションを進めていたのは、現代で言えばオタクっぽいところもあるように思います。

この展覧会は、特定の画家の回顧展ではないし、ウィンスロットプというコレクターの膨大なコレクションの一部を借りてきて展示したものです。だから、回顧展のように、そこに展覧会の視点はあるでしょうが、この画家はこういう画家なのだという統一的なものを、ここで云々するようなものではありません。それでは、作品を収集したウィンスロップという人の趣味趣向がここから分かるかというと、それを分ったふりをしてしまうのもどうかと、と思います。というのも、ここで展示されているのはコレクションの一部です。また、美術品の買い方については、本人がひとつひとつの作品を手に取って、気に入ったものをコツコツ買い進めたというものでもないようです。現地の画商を代理人にして、方針を与えて一任して買付を行わせたということらしいので、ウィンスロップ個人の純然たる好みと言えるかどうか、かといって全く本人の意に反して購入されたわけでもないので、一概に決めつけて考えてしまうのはどうか、と思います。

そんなことを留保条件として頭の片隅に置きつつ、今回の印象を率直に言うと、自然よりも人口、田舎よりも都市、写実よりも虚構、健全よりも退廃、直接的表現よりも屈折したイロニー、伝統的教養より成金趣味、公開よりも引き籠り、とちょっと二項対立の形にしてみました。このことは、ここ展示を見ていく中で、できれば考えを披歴していきたいと思います。

今回の展示は西洋美術館で企画編集したということで、作家しかテーマ別の展示ではなくて、その作品の雰囲気というのかイメージによって次の4つに分類されています。

T.過去と東方

U.神秘と顕現

V.誘惑と堕落

W.象徴と偶像

展示されている画家は、イギリスのブレイク、ロセッティ、バーン=ジョーンズ、ワッツ、ビアズリー、フランスのアングル、ドラクロワ、ジェリコー、モローといった画家たちです。ここでは、展示順にこだわることなく、画家やあるいは印象に残った作品を個別に取り上げて印象を書いて行きたいと思います。

印象に残った画家について、取り上げて感想を書き込んでいきたいと思います。

今回の展示の中で、一番インパクトのあった作品です。ウィリアム・ホルマン・ハントの1899年に完成させた『聖なる火の奇蹟、イェルサレムの聖墳墓聖堂』です。92.×125pの大画面に、細かく緻密に描き込まれた、人、火、物。その圧倒的迫力。画面からはみ出て来そうなほどでした。
 

■エドワード・バーン=ジョーンズ
 最初に取り上げる画家は、エドワード・バーン=ジョーンズです。若い頃、ラファエロ前派に参加し、その後は独自の作品世界をつくって一家を成した画家です。ラファエロ前派は19世紀の世紀末にヨーロッパの各処で興った象徴主義的な芸術運動の一つとして位置付けられるイギリスで興った運動、あるいはグループです。このウィンスロップ・コレクションでも多数の作品が収集されていて、バーン=ジョーンズのほかにも、ロセッティやミレイ等の画家の作品が展示されていました。日本でも、ファンの多いグループです。

この世紀末の象徴主義の運動ですが、現在まで生き残って展覧会などに出品される画家や作品は、後世に売れっ子となった人たちだから、ということもあると思いますが、このラファエロ前派も含めて、売れっ子となった画家たちの青春というのか、疾風怒濤の時代、あるいは若気の過ち、一時的なはしかのようなもの、というようなものだったような気がします。もちろん、この画家たちの作風には、その時期の影響が強く残りました。しかし、それは、取り上げる題材とか、手段としての他の画家から自分を差別化させるものでしかなかったように思えます。とくに、その辺りのことを“上手くやった”人たちが、後年に、勝利者となり売れっ子とか大家の地位を勝ち取ったのでしょうから。それは、このバーン=ジョーンズに典型的ではないかと思います。

というも、時期的に世紀末の時代は、当時若かった彼らが見上げる権威としてアカデミズムの画家たちが存在していたわけです。若い彼らは、その権威に対して反抗することができた。権威への反抗が、イコール新しい芸術運動とすることができた。だから、ある意味でかれらは権威の庇護のもとにいることができた、とえます。よく、若い世代が思春期と言われる時期に両親や教師といった周囲の大人に対する反抗をするというのが、映画や小説や音楽等でヒーローにように扱われるようになることがあります。しかし、反抗と言ってもかれらは両親や周囲の大人に生活や生存を保障されている中で、かれらの傘の下で反抗しているわけで、ある日突然、その傘が無くなってしまった場合、かれらは自らの生存自体が脅かされてしまうのです。その無も蓋もない事実を全く考慮することないのは、所詮、反抗とはその程度のものに過ぎません。だから、その厳然とした事実に、否応もなく気づかされるとき、反抗などといった浮ついたものは雲散霧消せざるを得ない。同じようにことは、一部に例外はあるものの、ラファエル前派にも当てはまると思います。例えば、取り上げる題材こそ違え、結果として出来上がった作品を構成の私たちが見てみると、彼らが反抗して見せた当時の権威だった作品との違いを、一見で見分けることができるでしょうか。たいへん辛辣な言い方だとは思いますが、バーン=ジョーンズにしても、アカデミーへの入会をゆるされその世界で次第に権威に向かって出世していくなかで、彼はラファエロ前派と袂を分かちます。

ただし、当時の権威に対して、そうではないと違う方向を指向したことは分かります。それは、時代の動きです。もともと、芸術というのは生産性のない職業です。農業ならば自分で食べ物を造り、それで生きて行けるでしょう。しかし、芸術はそれができないのです。言うなれば、農業のような実業の稔りの下に寄生して、食い扶持を分けてもらっているような職業なのです。身も蓋もない言い方ですが、だからこそ、そもそもは職業としては最下層に位置しているものです。それを、芸術して、ありがたいもののように崇められるのは、様々な理由で虚構的に、わざわざ、そういう風にしている、といっていいのです。そして、そのわざわざ、そうしているのは宗教的権威だったり、為政者だったり、いってみれば芸術のパトロンとして画家を庇護していた人たちです。この人たちには、そうすべき必然性があって、そうしていたわけです。しかし、時代の変化のスピードが速くなり、そういう支配層だった人たちの層が入れ替わりが激しくなりました。かつての中世や近世では、支配者が変わっても支配層が変わることはなかったものです。しかし、近代になると、世俗化の進行で宗教的権威である教会は実力を後退させ、為政者であった王家は倒され、貴族は没落するなど、代わりに勃興したのが市民階級でした。しかし、市民階級は弱肉強食の資本主義市場で日夜熾烈な生存競争を続けているので、貴族や王家のように何代にもわたって安泰に存続できるものではありません。そのような時代、ラファエロ前派が反抗した権威の画家たち支えた市民層は、十年もすれば新しい世代の市民層にとって代わられてしまうような社会になっていたのです。そこで、あらたに勃興しようとする、これから成り上がろうとする市民層に寄生するために、戦いに敗れ退場していく市民層に対するものとは異なるものを提供し、かれらの新しさという価値を称揚することが画家の生き残る道だったと言えます。現代のファッションの世界で毎年人為的につくられている流行のようなものです。しかし、そんな短期間に新しいものを創り上げることなんて不可能に近いことです。新しいものを創造するためには、途方もない時間と労力が必要なはずです。短期間の流行にそれでは間に合いません。そこで、手っ取り早いのは、まず今の権威を批判することです。批判や否定ならいくらでもできます。そこで批判や否定を並べて、その中で受けた要素を取り上げていく、その中で、後に意識化されたのはパターンの使い回しです。それが意識的にか無意識にかラファエロ前派はラファエロの前に還れというのは、以前の使い古したパターンを、今だったら知る人も少ないので意匠として新鮮に映るというわけです。しかし、それはその後陳腐してしまうものです。その結果が、ラファエロ前派に属していた画家たちが権威となった時に、彼らが当初批判した画家と同じになっていた、といっても、それはしょうがないということでしょう。

ウィンスロップという人の好みには、そういう微温的なところがあるように思います。

では、バーン=ジョーンズが、新たに勃興してきた新興市民層に取り入ることができた新しいと見える点とは、どういうところだったのでしようか。それでは、『パーンとプシュケ』(上図)という作品を見てみましょう。率直な感想を言いますと、エッチな感じがしませんか、私が男性で嫌らしい感性の持ち主だからかもしれませんが。女性の裸体が堂々と描かれています。しかし、ルネサンスやバロックの絵画でも女性のヌードは盛んに描かれていました。それもエッチな感じがしないとは言えませんが、現代の人の基準からすると豊満すぎるし、骨格ががっしりしすぎている感じがしますし、どこが現実の人間離れしているような感じなのです。美術史では理想像という言い方をしています。当時とは美女というものに対する評価の基準が変わってき来ているかもしれません。そいうものと比べると、『パーンとプシュケ』で描かれているプシュケは現実の目の前にいる美人の女性に近いイメージなのです。これが、ギリシャ神話という口実で、いかにもそれらしく、芸術として絵画になっているから堂々と部屋に飾り眺めることも出来るのです。これが、当時、裸一貫から才覚を武器に社会で成功し、のし上がってきた人にとって、勿体ぶったもっともらしい、難しい理屈やセンスなどという雲を掴むようなもので武装され、貴族の文化に対抗するとか言われても、ナンノコッチャではなかったかと思います。そんな時に、パッと官能的な美女の裸が堂々とあれば、視線はそっちに行くでしょう。だいたいが成功した人間というのはエネルギッシュで、乙に澄ました教養などより、性的な意欲の方も有り余るほど精力的な人が多いはずですから。そういう人の目を惹くのではないでしょうか。この『パーンとプシュケ』は。かといって、成功した人は狡賢いですから、いくら自分の好みといっても、それをストレートに表出するのが損か得かの計算は怠りないはずです。そこで、直情的に、そのものずばりのようなヌード写真のようなものは堂々と見ることはしないでしょう。そのいみでは、この『パーンとプシュケ』のように、それらしく芸術作品となっているものは、堂々と臆面もなく、眺めることができるでしょう。その意味で、この作品は成金趣味に巧みに取り入ることのできる可能性を持った作品といえるのではないでしょうか。

まるでイギリスの田舎のような芝の原に、背後の巨石はロゼッタストーンのようです。イギリスの古代の伝統を想起させるような風景の中に神話の牧神が、野卑な姿で現れています。その牧神は、半人半獣の野生そのものといった姿で、文化的に洗練されたものではなく、ビジネスの戦場をのし上がってきた野暮な成り上がりを象徴しているような姿です。それが上から目線で、神に見初められた清純な乙女プシュケーを見下ろします。美女と野獣です。しかも野獣に美女ひれ伏しているポーズです。その少女は金髪をロールしてまとめたヘアスタイルのイギリス人の女性に見えてきます。全裸の、その少女は裸の尻をこちらに見せています。背後から、腰から尻にかけてのラインは肉感的で、エロチックです。このようなアングルで小振りな尻を描くということは、それまでには、なかったのではないか。この部分だけを取り出せば、扇情的なヌードグラビアで、よくお目にかかるアングルです。このように記述してみると、成り上がりの成金の新興資本家に媚びているように見えてきませんか。画家本人が、そこまで自覚していたかは分かりませんが、権威となっているアカデミーの大家では決してやらない、そういうことをしたのが、この画家の新しいところとして、新興階級に受け入れられていったのでないか。

『深海』(右図)という水彩画は、『パーンとプシュケ』の逆の構図です。縦長の画面は、水中で人魚が男性を海の底に引きずり込む構図です。男を深海という奈落に引きずり落とす美女です。世紀末に特有のファムファタール。ビジネスの戦場を勝ち抜き、成り上がって、功成り名を遂げた男を、妖しい美女が深みに引きずり落とす。かなりこじつけの解釈です。しかし、そう見れば、男の立場ある人に媚びていると思えませんか。ここでは、男性を抱きかかえ、身体を心持ひねるポーズは脇の下から胸を経て腰に至るサイドラインが露わになって、これもまたエロチックです。

『真鍮の塔が建設されるのを見るダナエ』(右下図)は、同じ構図、ポーズで女性はヌードになっている『ウェヌス・エピタラミア』(左図)を描いています。

これらを見ていると、バーン=ジョーンズという画家は、他のラファエロ前派の画家たちに比べて、そういう面がストレートに見えてくるのです。

 

■ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ


   



ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは、ラファエロ前派を代表する画家、というよりもシンボル、バーン=ジョーンズやミレイやモーリスが一度はラファエロ前派に参加しながらも、その後に離れて行ってしまう中で、終生係わりづけた、いわばラファエロ前派の殉じたと言っても画家です。もし、ラファエロ前派に理念というものがあったとしたら、この画家の存在自体がそうだったのかもしれません。

バーン=ジョーンズのところで、近世から近代に時代が進むにつれて、世俗化によって教会のパワーが下降し、新たな社会の担い手として市民階級が勃興してくると、画家の顧客が教会や王侯貴族から、市民階級、いわゆるブルジュワジーに移って来ることになったと思います。それにつれて、絵画の注文のあり方も、お抱え絵師として特定の注文主のために描いていればよかったものが、ブルジョワジーはそのような無駄なことはしなくなり、必要と思われる作品を購入するということになります。あるいは、特定の作品のみを注文するというあり方に変わります。そこで、画家は不特定多数の顧客に対して、画家自身や作品を売り込むことが新たに必要になってくるわけです。かつては、お抱え絵師になるために、自分を売り込みはしましたが、一旦その身分が保証されれば、そのなかで仕事場を与えられ、注文により作品の制作に没頭できました。しかし、新しい時代は、画家は自由業といえば聞こえはいいかもしれませんが、常に売り込みをしかなくてはならなくなった。そこで、新たに必要とされたのは、現代で言う、マーケティングやプロデューシングといった要素ではなかったかと思います。その面で巧妙だったのが、バーン=ジョーンズやミレイといった晩年に大家として成功していった画家たちだったと思います。これに対して、もしかしたらロセッティという人は、そういう能力に欠けていたのではないか、と思われるきらいがあるように思います。映画や小説で主人公になるような、才能に振り回され、実生活では不器用な天才肌の芸術家タイプを思わせるところがあります。

実際、マーケティングによって自分の作品を売り込もうとするとき、自分の作品がどのような人に、どのように受け入れられる可能性があるか、もっと受け入れられるためにはどうすればよいか、というようなことが必ず作品を提供する側である画家にフィードバックされてくるはずで、それに対してなんらかのアプローチをしていくことがプロデュースというわけです。ところが、ロセッティの作品を見ていると、誰のために描いているのか分りません。というのも、結局、彼が描いているのは同じような女性の肖像で、ワンパターンなのです。作品の区別は、女性の衣装や背景といった装飾的部分です。実際に、ここでも数点の作品が展示されていますが、女性の顔だけを取り出して比べてみると、ほとんど金太郎飴のように、変わりがありません。ロセッティ自身、それしか描けなかったか、描かなかったのか分かりませんが。ある面で不器用というべきか。ロセッテイにとって描くということは女性の肖像を描くこと以外にはなかったのかもしれません。『ベアタ・ベアトリクス』(上図)、『祝福されし乙女』(左図)、『パンドラ』(左上図)、『ラ・ドンナ・デッラ・フィネストラ(窓辺の淑女)』(右中図)、『イル・ラモスチェッロ(小枝)』(右下図)などを見てもらえば、分かると思います。たとえば、ショパンという作曲家は同時代のロマン派の作曲家が交響曲やピアノ曲やオペラまで様々な楽曲を作曲するに対して、3分前後の三部形式で有節形式の主旋律と伴奏というパターンのピアノ独奏曲しか作曲しなかった(若干の例外はあったものの)のは、ショパンにとって音楽をつくるとはピアノ曲を作曲し演奏することで、他のことではなかった。このことと、よく似ているように見えます。

また、別の意味では、ロセッテイの描く女性は、他のどのような画家でも描くことのできないほど個性的で、しかも官能的で、エキゾチックで、美女です。このユニークさが他の画家との差別化を果たし一種のブランドのように受け入れられる戦略と結果的になっていたようにも見えます。もっとも、そのためにはワンパターンの女性像をブランドのように認識させるための巧みな戦術がとられなくてはならなかったと思います。それは、画家自身ではなく、周囲の画商とか彼を取り巻く人々が行ったことではあるのでしょうけれど。技法とか画材のようなもので、とくにユニークなものを扱っているわけでもなく、画題という題材にしているのは女性の肖像で、それにさまざまな物語的な意匠を施しているといっても、その意匠が特殊なものでもなく、他の画家も取り上げているようなものです。そこで、ロセッテイの作品のユニークさ、他の画家の作品と一目で見分けられるのは女性の顔です。そこには、ロセッテイの描く顔とでもいうように特徴があって、他の画家の描く女性の顔と明らかに違いが分かります。これは、同じモデルを描いていることにも由来するのでしょうが、ロセッティ独特のデフォルメというのか、一歩間違えば記号化まで行ってしまいそうな一種のパターン化が、画家が意識しないうちに出来てしまっているように見えます。女性の顔を描くと、こうなってしまうというようなものです。しかし、これを、彼の作品では例えば有名な『ベアた・ベアトリクス』で為されたようなレプリカの制作が行われるということが結果として起こりました。つまり、これだけパターン化すれば量産可能なのです。それは、極端な比較かもしれませんが、日本の江戸時代の浮世絵というものが、喜多川歌麿の描く美人画は、実際の女性を写生したとはどうしても考えにくく、歌麿の描くパターンとして女性の顔が図案化され、花魁だの、ご新造だのという衣装を着せ替えることで様々な作品として量産され版画として大量に流通していったことに、似ていると言えないでしょうか。ちょうどロセッティが活躍し始めた時代に、大衆消費というあらたな消費パターンが生まれつつあったことに、なんと照合しているかのように思われてしょうがないのです。

そういう点が、新興国で金融業で成り上がった両親のもとで教育を受けたウィンスロップの環境にそぐうものだったと考えてもいいのではないでしょうか。

   
■ラファエロ前派の画家たち

今回のウィンスロップ・コレクション展で、エドワード・バーン=ジョーンズとダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの作品が多く展示されていましたが、それ以外にも少ながずラファエロ前派の作品が展示されていたので、目に付いたものの印象を、ここで書いて行きたいと思います。なお、それ以外にも、ウィリアム・ブレイクやオーブリー・ビアズリーの作品も多数展示されていましたが、あえて、何も書かないことにします。

 

■ジョージ・フレデリック・ワッツ

例えば、『オルフェウスしエウリディケ』(左図)は、ギリシャ神話で音楽の神オルフェウスが無くなった妻のエウリディケを冥界から連れ戻しに行くエピソードを題材にしたものです。オルフェウスはギリシャ神話の登場人物の中でもよく絵画や演劇などで取り上げられています。これ以外にも、ここで展示されている作品は、旧約聖書の創世記のエピソードや中世の伝説のエピソードを、まるで成り上がりで教養の具わっていない人に噛んで含めように教えてあげているかのようです。しかも、作品の描き方は、この『オルフェウスしエウリディケ』は、まるでミケランジェロやカラバッジョのように、それらしく描かれています。しかも、それを現代のブルジョワの居間に飾ることができるようにコンパクトにし、当世風に品よく、親切に分かり易く、アレンジして描かれています。つまり、ミケランジェロのようなルネサンスの芸術家の作品は教会や公会堂、あるいか領主の城のような公共的な空間を飾る規模の大きなものだったのに対して、同じような題材をブルジョワのインティメートな私的空間である室内でも飾れるインテリアとして絵画のあり方が変わって行ったのに、ワッツの作品は巧みに適応したものだったと思います。

市民社会が定着し、社会的の安定が定着すると、経済の発展により大量消費社会に移ってくる。そこでのブルジョワたちは、かつての貴族のように旧支配階級(アンシャン・レジーム)と政治や社会的な覇権を競うということは最早なくなり、指向は個人的な私生活に向けられるようになったといいます。いわゆる小市民、プチプル、ピーダーマイヤー等と様々に言われていますが、要は、社会的な市民社会の拡充とか発展という方向よりも、私生活を大切にしていこうという志向性です。そのようなとろで求められるのは、革新的で個性的な芸術などというものではなくて、他の皆さんとはあまり変わらないけれど、少しだけ高級感があるような雰囲気ではないかと思います。端的にいえば、凡庸さの方か歓迎されたと思われます。しかし、あからさまにではなくて、高級の装いをまとったような、いわゆるハリボテです。この時期の公共的な建築物等を見てみても、時代の新しい様式を創るというよりは疑似バロック様式といったような過去のイミテーションのような表面的には厳めしく豪華なものが多く作られたといいます。

そういう一般市民からみれば、アカデミーの権威ある大家たちの描く歴史画のような作品は、立派すぎたのではないかと思います。そのような時に、市民生活の身の丈に合った、しかし、少しだけ背伸びをした気持ちになれるような、芸術運動として新時代の潮流とかで評判になっていたラファエロ前派の作品を室内に飾るというのは、いかにも文化的な教養があるようにみせる見栄をはりたい願望を巧みにくすぐるものだったのではないかと。そのときに、教養に不可欠な神話や伝説、聖書のエピソードを題材として、泰西名画に倣って、しかも実際に見ても分かり易い、というのはそういったニーズに応えるものだったのではないかと思います。『サー・ガラハッド』(右図)という作品など、人物として現代の普通の青年のようにも見えます。そういう親しみやすさが、ワッツの作品にはあると思います。

 

■アルバート・ジョセフ・ムーア

まずは、『キンバイカ』(左図)という作品を見ていただきたいと思います。上半身の女性の裸体画です。この女性のとっているポーズは、まるで現代の青年向け雑誌のヌードグラビアのポーズそのものではないでしようか。下半身は布で覆っているものの、腋の下を露わにして、背筋を伸ばして美しい乳房を誇らしげに突き出しているかのようなポーズです。

しかし、ビクトリア期という道徳上の規制が厳しかった時代だったことから、単なるヌードを人目につくところに飾ったり、おおっぴらに眺めることはできません。そこで、この作品では表面的には性的と見なされる要素を注意深く削除して、芸術作品というタテマエで存在を認められるように配慮が施されています。この作品でも、あからさまに性的な妄想を掻き立てるような要素は周到に排されています。女性の表情は乏しく(これすらも、視点を変えれば、現代の雑誌のグラビアの女性の呆けたような表情に通じているという見方もあるでしょう)、また生身の肉体を感じさせる個性をできるかぎり排除しています。モニュメントの建築物に装飾として飾られている彫刻の女性像のように見せて美的なオブジェのように見せています。下半身を包み込んでいる絹布の衣装の描き方も、身体の量感を暗示する代わりに、ほとんどアール・ヌーヴォーで記とも言える装飾的な曲線のうねりを示しています。

もう一つの『花』(右下図)という作品の女性のポーズや装飾的な画面をみていると、まるでアール・ヌーヴォーのポスター、たとえばアルフォンス・ミンシャの作品を見ているようです。この画家の作品を見ていると、人物の存在感とか肉体性という要素は後退して、画面の模様の一部のような全体が装飾のようなものに出来上がっています。これは、前記のワッツのインテリアのような絵画のあり方から、さらに一歩進めて、装飾としての絵画、環境絵画のようなあり方になっているように見えます。つまり、ワッツの場合には、小市民生活に適合した芸術として、市民のインティメートな室内に飾り、鑑賞するものであったと思います。そして、ムーアの場合は、もう正面から作品を見つめて鑑賞するということではなく、壁紙のように市民の居間を構成する一部になってきているといっていいのではないか。作品がそれ自体として独立しているのではなく、室内で何らかの雰囲気を醸し出すパーツの一部として機能させるものに変わってきている。そういう要請に応えているのがムーアの作品ではないかと思えます。そういう存在を主張しない作品だからこそ、女性のヌード画像でも、お堅いビクトリア時代に可能となったのでしょうか。その点では、他の画家では描けない題材を描いていたわけで、大きな差別化ができたと言えます。

 

■シメオン・ソロモン

『癒してくれる夜と傷ついた愛』はデッサンです。まるで両性具有な人物と天使を両側に配置した寓意画なのでしょうか、ものものしいタイトルが何か言いたげですが、画家本人が散文詩を発表していて、それら基づいたものらしいです。まるで、永井豪のまんが『デビルマン』に出てくる天使サタンにそっくりです。

 

この他にも、ジョン・エヴァレット・ミレイ等の作品はめぼしい展示がなかったので省略しました。

 

■ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル

フランス古典主義の巨匠、アカデミーの権威で近代の歴史画の大家アングルです。幼少時から当時の権威の画家たちに系統的に教育薫陶をうけ、若くしてローマ賞を受賞し、ローマに留学してラファエロを学ぶという経歴はエリートコースの王道でしょうか。ここに展示されている画家たちとは、まったく違う世界のような印象を受けます。歴史画で言えば、『黄金時代』(右図)といった大作も展示されています。しかし、このウィンスロップ・コレクション展で展示されているアングルの作品を見る限りでは、ウィンスロップはそういう出自とか歴史的な評価とは別に、女性のエロチックな面を臆面もなく描いたという点で、ラファエロ前派の画家たちやギュスターヴ・モローと並べたのかもしれません。

以前、「タモリ・クラブ」というテレビのバラエティ番組の中に、「今週の5つぼ尻」というコーナーがあって、毎週女性の尻だけをピックアップして、タモリと山田吾郎が論評していました。このなかで、山田吾郎は、このアングルを尻フェチと評価しグランド・オダリスクという彼の代表作は女性の尻を執拗に描く執念を感じるといっていました。この『黄金時代』を見ても、画面全体にわたり、見渡す限り女性の裸体です。これだけの数の人間を画面に登場させて、それぞれにポーズをとらせて様々なことをさせて、しかも、それらをまとめて一つの作品としい収斂させていくというのは大変な構成力と思います。しかし、この展覧会では、そういうことは、どうでもいい、というのか、あまり考えなくてもいい。ギリシャ神話で、後の青銅の時代や鉄の時代は人間が武器を発明したことにより戦争の時代になったのに比べて、古代の平和で安逸だった理想世界を描いたという作品です。しかし、見方によっては、平和で安逸の時代人々は好きなことをやっていたとすれば愛の行為に行くわけで、表面的に世紀末の耽美主義と結びつく機縁が生まれるといったら穿ちすぎでしょうか。アングル自身には、そういう意識はなかったと思いますが、後の時代の人々がそういう想像をする余地がアングルの作品には多数残されていたと思います。

そのような観方に最も応えてくれるのが『奴隷のいるオダリスク』(左図)です。正面に艶めかしい裸婦を堂々と横たわらせて、アラブ風の幾何学模様や草花模様の様々な色や形で室内を埋め尽くし、仄暗い室内で、女奴隷の透けるような白い肌がひときわ輝きをはなつという画面は、退廃的といってもおかしくありません。しかし、その女性のポーズは伝統的なヴィーナスやニンフのポーズに倣ったもので、また全体に散りばめられたオリエンタリズムと言う異国趣味が、別世界であることを強調し、いわば隠れ蓑の機能を果たしているといえます。しかし、当のアングルはどうだったのかは、言正に知る由もありません。正面の裸婦のポーズで身体の線の流れを際立たせるために不自然に腰をひねられて、腰から下の下半身の豊かさを強調したり、そのためにかデッサンというのか構図を意識的に歪ませてみたりして、かなり意図的に、こだわって裸婦を描いていたのではないか、と思わせるふしがあります。

裏を返せば、オリエンタリズムとか歴史家の教養と言うような土台をもたず、たんに描かれた画面を観た場合に、この作品に対してエロチックな印象を抱いてもおかしくはないと思います。ウィンスロップ自身は大学で美学や美術史を学んだ人らしいので、そういうことはないのでしょう。ただし、ヨーロッパの貴族のような身に染みついたものではないだけに、エロチックに観た可能性は否定しきれません。実際、世紀末の耽美主義といっても制作する側に限ったものとは言えないと思います。ユイスマンスという小説家の『さかしま』という作品では、主人公デ・ザッサンスは世間の俗っぽさに辟易し、自宅に世間と隔絶した別世界を構築し好きなものに取り囲まれて生活します。その時に集められたものは、彼によって意味づけられていくわけです。また、ラファエロ前派がその名のとおりラファエロの前の時代の絵画を手本にしたといっても、そこに彼ら独特の解釈が施されていたわけです。実際にラファエル前派の画家たちが耽美主義に転じてからの作品を見てみると、このアングルを参考にしたようなケースも見られるわけです。ある意味で、この時代は解釈の時代とも言えなくもないと思います。ちょうど、この時代旧来の文化が新しい近代の文化に置き換わるように、古い文化が行き詰るように、これらを総合するような巨人たちが出現していたと思います。たとえば、音楽で言えばリヒャルト・ヴァーグナーであり、哲学でいえば、ゲオリグ・ヘーゲルのようなそれまでの文化を総括してしまって、彼らの後はそれ以前の文化では制作ができないようにしてしまったことがおこったわけです。そのとき、伝統は克服されて一度死んだとみなされ、そこから近代の新たな意味づけをし直されることになります。例えば、ヘーゲルの弟子にあたるフォイエルバッハによってキリスト教は人間倫理の教説として近代的人間にとっても現実的なものとして位置付け直されたり、マックス・ウェーバーによって禁欲を説いたはずのプロテスタンティズムが資本主義事業家の倫理的な土台になったと位置付けられたりしたわけです。そういう意味で、アカデミズムのアングルが解釈し直されたとしてもおかしくはない。この『奴隷のいるオダリスク』はそういう可能性を多分に秘めていると考えられます。

また、『ラファエッロとラ・フォルナリーナ』(左上図)はヌード画像ではありませんが、端正に描かれている女性が、ラファエロ前派の女性像に通じるのではないかと言う解釈だって可能性がないとも言えません。 


■ギュターヴ・モロー

ギュスターヴ・モローは以前にBUNKAMURAでの回顧展の感想をまとめて書きました。基本的な考え方は、その時と変わっていません。一言で言えば、後の時代からみればこれだけ退廃的な装飾の可能な題材を先駆的にとりあげながらも、古典的な拡張を崩すことなく、秩序正しい作品に仕上げられている、ということです。それだけに、作品において後から考えてのことですが、題材の喚起するイメージと表現との間に何となく距離を感じてしまうことが結構あります。出来上がった作品の印象が冷たい。冷めているという感覚でしょうか。端的な例としては、作品の中で描かれている人物や怪物たちに表情がなく、目が死んでいることです。それぞれがまるで人形のような貌になっていて、目はガラス玉のように単に瞳の形に見開かれている。そして、彫刻的というのか、ポーズに動きがない。一方、作品をひとつの美的に完結したものとして完成させるという審美的な方向というのでもなく、それならば仕上げが雑すぎます。

モローという画家の魅力というのか、その最大の特徴は題材自体は歴史画の伝統的なものでしょうけれど、その題材に伝統とは違った視点が切り込んで、新しい画面構成や形式を模索し、作ろうとしたことにあったと思います。そこに、周囲や後世の人々が、エロティシズムや幻想などといった要素を取り出し、解釈を加えていったのではないか。そして、それをさらにフォローする人々が続いて、そういう要素が広がって、というその起点にいるということではないかと思います。例えば、有名な『出現』というサロメを扱った作品ですが、中東風(オリエント風)の舞台装置でエキゾティスムの味付けをした背景にサロメを裸体にしたのはモローが最初のことで、この後ビアズリーの挿絵作品等の追随者が続出し、サロメといえば裸体というイメージが定番化していきます。オスカー・ワイルドの貢献もあるでしょうが、預言者ヨハネに愛を拒まれ蔑まれたことに対して、復讐と支配欲から死体の首を所望し、エロティックなストリップティーズを披露するというファム・ファタールであり純真な少女でもあるというイメージを造り上げたのは、この作品がスタートだったのではないかと思います。しかし、この作品に描かれたサロメの顔には、そういうエピソードから連想されるような狂おしさのようなものは描かれていません。そもそも、顔が細かく描き込まれず、表情がないと言ってもいいのです。それよりも、全体の構図で踊るサロメと出現するヨハネの首と、そして右側の衛兵の織り成す三角形のシンメトリーの構図が中心だったのではないかと思わせられるのです。

そういう点で見ていくと、モローという人は題材の文学的な趣向とか、エピソードとか、そういうものに興味があるというのではなくて、キャンバスに描くという行為そのものを目的とするような人だったのではないか、と私は想像してしまいます。アカデミーの指導者として若い画家を育てることを本業として、描くことは生活の手段というよりは趣味によっていて自分が描きたいから自分ために描くという人だった、その点でモローという画家の新しさ、革新的なところがあったのではないかと思います。例えば、この展示会でも展示されているバーンジョーンズにあるような見る人に媚びるような作為が、モローには一切感じられないのは、そのためではないか。私などは、そこに一種の品格を感じてしまうことも確かです。

両親から莫大な資産を引き継ぎ、趣味の世界である絵画コレクションの引き籠ったウィンスロップという人物にとって、共感を誘うものだったのかもしれないと安易な想像をしたくなります。実際は、そんな簡単なものではないはずですが。



 

 
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