ラファエル前派の画家達
ウィリアム・ホルマン・ハント
 

 

 

ラファエル前派という運動は、その名前は知られていても、初期のラファエル前派兄弟団は団体としてまとまって活動した期間はわずかで、ひとつの理念とか方法論に共鳴して芸術家が参加した運動という性格とは違うものだったようです。言うなれば、ロイヤル・アカデミーの学生の友人同士が権威への反抗を軸に同志的結束ではじまり、そこで集まったわいいがメンバーの共通していそうな考えを打ち出す、あるいはラファエル前派と名乗ったことによって外部からこういう集団だと言われることによって、それなりの外形を整えていったものであると思います。だからこそ、メンバーたちはラファエル前派当初の理念とか方法論を追求していくことはなく、ラファエル前派で画家として名を知られると、独自の道を歩み始めたり、ラファエル前派から離れていったのでした。ラファエル前派の代表的な画家として、真っ先にあげられるロセッティやミレイの事績を追えば、作風はラファエル前派の理念や方法論からスタートしても、どんどん変化(成長)していき、初期のラファエル前派の作品からは異なる地平に行ってしまっているようでした。ところが、ウィリアム・ホルマン・ハントは初志貫徹というのでしょうか。初期のラファエル前派の理念とか方法論を一生を通じて堅持し続けた、と言われています。

ハントの特徴を言葉で説明しようとすると、ミレイのラファエル前派時代の作風の説明と同じ言葉を重ねることになってしまうことなります。ミレイの初期の作品「イザベラ」や「両親の家のキリスト」などに共通する特徴が見られます。だいたいのところで、ハントを語ろうとすると、端的にはラファエル前派でミレイでもロセッティでもない人という言い方で、ハント自身の特徴がはっきりしているという言われ方ではなく、他の個性豊かなメンバーとの比較で語られるという存在になっていると思います。

 

(1)説教好きの中年オヤジ

こういう変なオヤジっているんですよね。鬱陶しい奴って相場が決まっているのですが。例えば、風俗に言って女の子に「こんなところにいてはダメだ」ってもっともらしく説教する奴です。アンタみたいなスケベ親父が客としているから風俗が商売になるわけで、それだから女の子もそこで働いているっていうことが自分が当事者だっていうことにまったく気付いてなくて、分別があるみたいに若い女の子を見下して説教垂れて自己陶酔している奴。

ハントの作品にはそういう臭いがあります。道徳的な教訓や宗教的な題材をこだわるように描いていた画家ですが、その背後には、隠微な性的暗示や不健全な男女関係の示唆が隠されているのです。例えば「良心のめざめ」という作品では、愛人として囲われていた女性が、タイトルの通り良心に目覚める劇的な瞬間を描いたものです。私の絵画の見方は作品に描かれているもの、画面そのものを見ていればいいという姿勢で、画家の伝記的なエピソードや伝えられる人となりといった情報は作品を見る上で邪魔でさえあるということを原則としています。しかし、彼の作品に背後に感じられるものを説明するためには、彼の伝記的エピソードに触れておく方が納得しやすくなると思います。「良心のめざめ」のモデルを務めた女性はアニー・ミラーという人で、当時の不潔な貧民街をうろついていたところを、当のハントの目に留まり、プロのモデルになった人だそうです。ハントは彼女をひと目見て気に入ってしまい、ひきとって淑女教育をしたそうで、まるでミュージカルの「マイ・フェア・レディ」そのものです。しかし、ハントは彼女を自らの監督下におき、彼女のモデルとしての仕事が軌道に乗ってくると、つまり売れっ子になってくると、他の画家と関わることが不安でならず、次第に彼女の仕事を制限するようになっていったといいます。それでは彼女はモデルとしてたちゆかなくなります。そこでハントは、何やかやと理由をつけて、彼女の生活の面倒をみていた、「良心のめざめ」と言う作品は、ハントとアニーの姿そのものと言えるわけです。ハントはアニーという女性に対して、ひそかな欲望を抱きながら、世間の目を意識して、表向き慈善から庇護するという偽善的な男だったということです。ただ、それは19世紀のヴィクトリア朝という中産階級の台頭にともない、かつての支配階級である貴族の自堕落な生活態度を否定するかのように、勤労と道徳というものがとりわけ奨励された時代の偽善的な風潮そのものと言えるところがあると思います。ハント自身は、そういう生活に対してキリスト教的な罪の意識を持っていたことが、宗教的な作品や「良心のめざめ」のような作品を生み出す動機になのにもつながっているのでしょう。よく言えば贖罪意識、身も蓋もない言い方をすれば、最初に述べたように、自分のことだけ考えて弁解ばかりしているイケスカナイ奴です。

ハントのという人は決してヴィクトリア朝という時代や社会の枷から自由になることはなかった。というより彼の境遇を考えると、貧しい出から身を起こし、絵筆一本で身を立て、代表的なヴィクトリア朝時代の新興市民階級に属すに至った人で、苦労している人なのです。勤労と道徳は時代と社会のスローガンである以上に、彼の属する階級の矜持であったし、彼は成り上がった人であるがゆえに、人一倍その矜持にしがみついたのではないでしょうか。きっと、出身を気にしたりして、自信が持てなかったのかもしれません。だから、なおさら体面を気にした。しかし、本来の賤しさというのか、欲望をコントロールするという本質的な倫理は身についていなかった。したがって女性問題を抜きにしても、ハントが道徳的主題に拘泥したというのはある意味道理であり、これは裕福な家庭に生まれたミレイや、イタリア人の芸術一家のなかで育ったロセッティとの大きな相違点でもあります。換言すれば、典型的なヴィクトリア朝市民としての側面が、ハントの芸術に独特の魅力と同時に、一種の限界とうそ臭さをもたらしたということになるといえます。その表われが、奥行きを欠いた、薄っぺらの平面的な画面です。

 

(2)ラファエル前派時代のハントの特徴

ラファエル前派の描く作品、とくに初期のラファエル前派の作品には奥行きの浅い平面的なところであるところに特徴があるということは別のところでも述べてきましたが、ハントも例外ではなく、むしろ上で述べたような事情から、技法の面で伝統的な絵画と差別化を図ったというよりも、自身の心情的な面が作品のあり方に反映していると言えるのではないでしょうか。

ハントとミレイはラファエル前派の運動のなかで、次のような手法を確立していったそうです。まず、キャンバスの下絵の輪郭を注意深く描き、その上に白い顔料による薄膜を塗っていきます。この行程では乾いた筆を使いますが、その後に同じ筆で軽く叩いて平坦な表面に均していきます。最初に描いた下絵は、この白い薄膜が半透明になっていて見ることが出来るので、その上に細心の注意で細かな筆遣いとゆっくりとした速度で本塗りを行ないます。ハントは、これをさらに発展させ、下地の白い薄膜が乾ききらないうちに絵の具を薄く上塗りしました。そうすることで、色彩の輝きと艶やかさが増幅され、見る者の視覚に訴える印象が強くなりました。

このような手法によって生み出される透過性ある色彩は教会のステンドグラスの色彩に近いものとなったという指摘もあります。ハントらの初期ラファエル前派の平面的な画面はステンドグラスの透過性があって、それゆえに平面的にならざるを得ない面に通じるところがあります。教会のステンドグラスは神の光を教会の内部に差し込む機能があると同時に教会の建物の壁面でもあります。しかし、ステンドグラスはガラスでできて光を通すからと言って、建物の似たようなパーツである窓とは性格が異なります。ステンドグラスは窓のように外に向かって開いていないのです。窓からは外が見えますが、ステンドグラスからは外が見えません。建物の内側から窓を見れば、その背後には外の世界が広がり、外の世界はずっと遠くまでのびています、つまり奥行きがあります。ラファエル前派が批判した遠近法の絵画は、この窓の方向性を目指したものです。ルネサンスの画家であり理論家であるアルベルティによって考案されたキャンバスを窓枠として捉えた絵画空間では、キャンバスという2次元の物質の平面に奥行きのある3次元の空間が開かれていくということになります。この奥行きある絵画空間は、キャンバスに向かった画家の想像力の眼によって意識的に築かれたものです。そして絵画を見る者も、画家の視線を追経験するかのように、2次元の平面に奥行きを錯覚し、自身の視線そのものも、キャンバスという2次元の物質性にとどまらずに想像することで、奥行き空間を築いていくことができるのです。このような画家と見る者が申し合わせたように奥行きのある絵画の空間をつくるのに、窓として仕立てるということは、とても便利です。これに対して、ステンドグラスは窓のような背後の奥行きがないのです。絵画空間をステンドグラスに仕立てると、奥行きを想像する視線を遮断されるしまうことになるのです。それゆえに、ラファエル前派の絵画はステンドグラスのような背後の奥行きがなくて平面を目指したと言えるのです。しかも、ステンドグラスは神の家である教会の壁面を構成し、その建物の内部に光を、神の光をもたらすものです。それは、ハント自身がエルサレムに巡礼するなど宗教的なものに接近していきました。それは、もともとある外面の取り繕いなのか、アニーの件の贖罪を求めてなのか分かりませんが、ルネサンス以前の宗教に仕えた芸術を再生しようということはラファエル前派のそもそもの理念でありましたから、その原点に忠実であろうとしたことの画面への表われと言えるかもしれません。

余談ですが、後期ラファエル前派のバーン=ジョーンズは実際にステンドグラスのデザインを仕事としていたわけで、この理念を実践していたといえます。そして、彼こそが中世の絵画の再生を自身の技法の中に自覚的に持ち込んだ人だったといえるからです。

 

(3)ハントの主な作品

以下で、ハントの作品を少し見て行くことにします。ハントには失礼ですが、ミレイやロセッティの作品に比べて語りたいことがあまりないので、「良心のめざめ」や「ドルイド僧の迫害からキリスト教伝道師をかくまう改宗したブリトン人の家族」については、別にページを設けてありますが、それ以外の作品はここでまとめて紹介したいと思います。

■「世の光」

額縁にヨハネの黙示録第3章20節─「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまたわたしと共に食事をするであろう。」─の聖句が刻まれたこの作品は、キリストの再臨をテーマとした宗教的な作品です。薄暗い中に暖かな光を放つランプ左手に持って立つキリストの姿は、中世キリスト教美術の聖像に通じる静的な構図がとられています。ここでのキリストの姿は、かつてラファエル前派が結成された際に批判の対象となったラファエロの「キリストの変容」とはまさしく対極に位置するものです。「キリストの変容」が人間の身体を解剖学的に正確に描写し、劇的な身体のうねりや<動き>を過度に強調した表現を取り入れることで、見る者の感情に直接激しく訴えかけるものになっているのに対して、ハントの描くキリストは抑制された静止的な聖像で、中世のモザイク画のようなキリスト教美術の素朴で純粋な<>の聖性を追求したものです。

キリストが静止している代わりに、その周囲に象徴的な物が散りばめられるように描き込まれています。中心であるキリストは静止したまま動かず、周囲に象徴的なものを置くことによって、周囲から聖性が湧き上がるような効果を上げていると思います。そのなかで注目すべきは、イエス・キリストの頭部にいばらの冠が描かれていることです。キリスト教の贖罪の死の現場となったゴルゴダの丘へ歩まれるイエス・キリストの頭に群集らが載せたいばらの冠は、贖罪の死に際してキリストが経験された屈辱と苦しみの象徴ですが、ハントは再臨のキリストをそのいばらの冠を戴いた姿であえて描くことによって、この図像に、キリストの再臨が、贖いの死を前提とした神の大いなる憐れみの到来であるという福音的真理を描いたと言えます。その他にも、キリストの叩いているドアには取っ手がありません。このドアは内側からしか開けられないのです。黙示録の文言の「だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば」に則ってキリストからはドアは開けないことが、ここで描かれているわけです。そして、キリストの足元は雑草が繁茂していますが、これは道が開かれていないこと、ドアが開かれていないのでキリストの示している道が雑草で隠れてしまっているというわけです。一方、キリストが手に持っている7面のランプは黙示録に書かれている7つの教会の暗示だそうです。

しかし、ハントの特徴である偏執狂的な細密描写、例えば凝りに凝ったランプや草花の写実的描写が神秘的な雰囲気を壊してしまっているという意見もあります。

■「甘美なる無為」

この作品は宗教的なものや教訓的な象徴とは区別されるものと言えます。ある人は、“ロセッティ的美人画のハント版”と評したということです。背景にある円形の鏡は、ファン・アイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」からの引用のようです。その鏡に映っているのは暖炉の炎であり、この女性の視線は絵のこちら側である観客に向けられているのではなくて、暖炉の火を見つめているのが分かります。しかし、そのことが、こちらを見ているようで、実はそうでない微妙なずれを鑑賞者に感じさせ、それが女性の視線が夢見がち、もっといえば思索的に映るのです。それはまた、鑑賞者を画面に誘い入れるような錯覚を生みます。そこにある種の倦怠感を伴う雰囲気を醸し出し、ハントには珍しい唯美主義的な作品になっています。しかし、描き方は緻密に描き込んであり、ハントの真骨頂がよく出ていると思います。

『ドルイド僧の迫害からキリスト教伝道師をかくまう改宗したブリトン人の家族』 

『贖罪の山羊』 

『良心のめざめ』 (『良心のめざめ』に見られるラファエル前派の様式的特徴) 

『雇われ羊飼い』  

『死の影』 

 

 
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