横尾龍彦─瞑想の彼方
 

2023年8月19日 埼玉県立近代美術館

母親が怪我で入院してしまって、手持無沙汰になったのと、身軽にもなれたわけで、休日の朝、突然思いついて、ネットで面白そうな展覧会はないかと探したら、それっぽいのがあった。自宅から、美術館まで1時間半長かった。そして暑かった。11時半ごろに着いて、ちょうど、お昼の時間に美術館で作品を見てまわったが、見終わった後も、暑さのせいか、お腹が減らなかった。美術館は、フリーデーといって、常設展が無料になるということで、結構賑わっている。しかし、企画展は無料にならないので、こちらは数組がいる程度。夏休みということもあって、親子連れがけっこう目立つ。しかも、展示されている作品は、語りたくなるような作品であるのか、小声でお喋りするのが聞こえてくるような雰囲気。また、展示作品が撮影可というのもあって、しーんとしたという雰囲気とは違っていた。

横尾龍彦という画家については、知らない人なんだけれど、名前が横尾忠則と澁澤龍を合体させたようなので、ホントにそんな印象だった。どういう人かは、チラシにあった紹介を引用します。“横尾龍彦(1928〜2015)は、日本とドイツを往来しながら活動し、独自の画境を深めた画家です。1950年に東京美術学校日本画科を卒業した横尾は、北九州市で美術教師を務めながら制作活動を開始しました。1965年に初めて渡欧すると、スイスで初の個展を開催します。帰国後はキリスト教や神話を題材にした幻想画によって、澁澤龍や種村季弘ら当時の知識人に高く評価されました。1980年以降には、禅やルドルフ・シュタイナーの霊学に影響を受けて東西思想の融合を志向し、力強い筆勢と飛沫が特徴的な抽象画を描くようになります。やがて、制作前に瞑想し無心の状態になることで、無作為に描くスタイルを確立。自意識を超えた世界の美を追求し続けました。本展は、日本の美術館で初めての回顧展です。埼玉県秩父市のアトリエに遺された作品約90点を中心に、初期から晩年までの作品・資料をご紹介し、横尾の生涯を辿ります。”

具体的なことは、展示の章立てに乗って、個々の作品を取り上げていきたいと思います。

第1章 北九州からヨーロッパ、東京へ

展示はほぼ年代順で、年代ごとに拠点が移り、それに伴って画風が変わるようです。回顧展では、展示の章立てがやりやすいのではないでしょうか。藝大を卒業後、中学の美術教師の傍らで、制作をしていた時期、いわゆる習作期と言えるかもしれません。もともと、この人は画風に強いオリジナリティがあるという人ではなく、誰風と言いたくなるようなところがあり、とくにこの時期の作品には、そういう傾向があからさまで、引き出しを増やしていたかもしれません。

「男の顔」という1950年の作品。既視感ありありの、どこかで見たことのあるような、こういう顔を左右に二分して、左右で異なる顔を描いて何らかの意味があるように見せるスタイル。例えば、キュビズムの作品、ジャン・フォートリエの一連の「人質」、あるいはパウロ・クレーにもこういうように顔を描いたのがあったような。ただ、キュビズムはどのように対象を見るかという視点からこういう描き方が出てくるのであって、フォートリエもクレーも彼らなりにこのような描き方に意味があるのでしょうが、横尾の場合は、単に写実的な形を崩すパターンのひとつとして描いているように見えます。それは、この後で彼の作品を見た印象もあるのですが、この作品では、とても要領がいいというか、見る者にひっかかってくるところがない。習作だからしょうがないのかもしれませんが、たとえば、ふたつに分かれているのは顔だけで、画面の他の部分は、そんなことはない。全体の設計は、あまり考えられていない。だから、全体として違和感が最小に抑えられている。むしろ、色づかいのセンスがいいとか、そっちの方からのイメージが大きい。この人は澁澤龍彦に好まれたという説明がありましたが、澁澤はまさに思想についてマイナーな知られていない思想を見つけてきて俺だけが知っていると自慢するカタログのような人でした。その澁澤のいきかたと相通ずるところがあったと思う、というのは中傷することになるでしょうか。しかし、そういう表面性に徹したからこそ、後にでてくるよう作品を描くことができたのではないかと、思いました。

「教会」という1965年の作品です。人物のデフォルメは、僧をからかうような意図のものでしょうが、漫画っぽくて、あまり西洋絵画では、こういう題材はブリューゲルやボッシュあたりが描きそうですが、こういう描き方はしないでしょう。日本では、池田龍雄とか浜田知明、あるいは鴨居玲は色合いが少し異なるかもしれませんが、通じるところがある。また、この作品あたりから表われてくるのですが、色調が暗めで、グリーンやブルーを基調にしながら、おそらく絵の具を塗って乾かないうちに別の色の絵の具を重ねていくと、色が混ざってグレーに近づいていく、そういう昏さです。その色具合が鴨居の作品に近いところがあます。西洋の絵画で、こういう色調は少ないのではないか。鴨居もそうですが、暗い色調なんですが、塗り自体は薄いし、画面は不思議と重くならない。それが、この後の幻想的な作品もそうですが、重苦しくはならない。それが、この人の大きな特徴ではないかと思います。こういう皮肉と滑稽っぽい題材でも、こういう画面になる。つまり、この人はテーマを重視して、その表現として画面を作っていくという人ではないと思われます。

「水と霊」という1966年の作品です。ここから幻想的な作品が出てきます。幻想画といっても、この人の作品は具体的なものが描かれていなくて、何だかわからないような物体が画面にあって、それが抽象画というわけではなく、幻想的な光景として捉えられる。この作品で、具体的なイメージが形となっているのは、右側中頃の女性の身体くらいで、あとは、不定形なものが異世界の光景のように見える。見る者が想像して下さいというものでしょう。同じ幻想絵画でも、シュルレアリスムベルギー象徴派といった、具象そのもので、現実とは離れた風景を描くのと違います。この後の作品からもそうなのですが、横尾という人は具象へのこだわりというのはないのかもしれません。人や物の形をしっかりと描くとか、その存在を画面にしっかりと表わすことへの意識は見られません。クノップフなどのようなベルギー幻想派の画家たちが幻想的な風景を画面の上にしっかり表わすために、画面の構成を設計して、その設計に基づいて画面の上に幻想的な空間を作り出す。横尾はそういうことはしていません。画面上で空間をつくるというパースは感じられませんし、空間をデザインすることは為されていないように見えます。この作品で描かれているのは、まるでロールシャッハテストの図形のように見る人によって様々に見えるものです。だから、この作品は幻想画として描かれたものというより、見る人が幻想的と見えるという作品であると思います。そう見える理由の一つとして、この作品の構成が左右の側で物体が縦に伸びているとなっているのが、ルーベンスやエル・グレコの聖母昇天の構図によく似ている(というかパクっている)ところにあると思います。

「引き出されたカオス」という1968年の作品は、無関係な様々な物体が集まってできた外形が総体で何かに見えるという、まるでアンチンボルド(例えば「四季」で農作物を集めて人の顔に見せてしまう)を思わせる。また「不死鳥」という作品は長谷川潔の版画の鳥を思わせます。「水と霊」もそうですが、既存の作品のデザインをベースあるいは骨格として、その上に、不定形な物体を挿入していく。そうすると、物語の場面とか風景のような構成で、しかし、このパーツがリアルな形をしていないので現実的でない、そういうことで幻想的と見ることのできるような画面が出来上がる。ここで、見ている私に言えるのは、これらの作品では、横尾という人は、こういうのを描こうという確固としたイメージとか理念があって、それを表わすというのではなく、自らゼロからスタートして創造するのではなくて、ある程度のところは既存のものを流用して、それを自分流に表わして、結果として作品ができる、という人ではないかということです。それは、まるで、ポピュラー音楽で新人バンドなどが、コピーとして他人のヒット曲を演奏して、そこにオリジナルの演奏とは同じ演奏にならないとこで、そのオリジナルとの差異がバンドの個性として表われてくるのと同じようなことです。しかし、ポピュラー音楽の新人バンドは、その後、自分たちのオリジナル曲をつくり始めるのが普通ですが、横尾の場合は、このやり方を自身の方法論として、以後の制作でも、ずっと続けていくことになる。

「香煙」という1960年代後半ころの作品です。香煙とは線香の煙のことです。そうすると、画面中央の靄のようなのは煙ということでしょうか。このように、横尾という人は作品タイトルを、いわば惹句のように見る者を幻想画の方向に想像させる仕掛けとして活用している。青を基調とした画面でその下部には、人の身体の部分が欠片のように集められている。その中には、尻や腰あるいは胸部といった部分の裸像がありますが、それらはデフォルメこそされていますが、きちんと描かれた正確な姿です。色彩は紫が入っていたりして非現実的ですが、ちゃんと陰影がつけられて立体的だし、肉体の柔らかい感じもする。しかし、生き生きとした感じはしない。そういう生身の現実には興味がないのかもしれません。

第2章 悪魔とエロスの幻想

このコーナーの展示作品はキャンバスに油彩の作品が極端に少なく、ほとんどの作品が紙にガッシュで描かれたものになっています。それは、おそらく、この時期、日本画で墨や絵の具の滲みを巧みに利用するたらしこみ等により偶然的につくられた下地を背景にして人や動物、ヌードなどを緻密に描き込むという描き方をしていたためだと思います。

「幽谷」という1971年の作品です。これは油彩の作品ですが、それだけに比較的きっちりと絵の具が置かれていて輪郭が明瞭な作品です。題名は幽谷ですが深い谷という空間は感じられません。奥まった感じがないのです。谷という空間の奥行がなくて平面的で、たしかに描かれている人などは立体的ではあるのですが、全体としてぺったんこなのです。もやもやに囲まれた真ん中に何人かの人がいる。そう見えます。前のコーナーで、この人は画面を設計するのをあまりしていないと感じましたが、空間の感覚というのが、あまりないのも、その原因のひとつかもしれません。それゆえ、絵画というよりイラストに近い感覚です。しかし、それゆえに表面的であり、それだからこそ容易に幻想と感じやすく、親しみやすくなっているところがあると思います。展覧会のサブタイトルが瞑想で思想とか精神とかいうコメントがでてきますが、そういうのを構えずに手軽に感じる(?)ことができるのも、そうところからかもしれません。そして、ここで絵がれている人のヌードについて、きちんと描かれて、それなりのポーズですが、そこにエロチシズムを感じる、卑俗な言葉言えば、そそられるところはまったくありません。横尾という人は、人間の肉体の生々しさといったものには興味がなく、現実の人というのは描く対象ではなかった。ただ、人間やそのパーツの形は絵画の部分のための素材として取り扱っていた。これは、おタクに近い感性のように思えてきます。「秘儀」という作品にもあてはまります。この展示コーナーのタイトルが悪魔とエロスの幻想ですが、歯かして、この人はエロスに興味があったのか。あまり、そうは思えないのですが。

「超人」という1970年の作品で、これは紙にガッシュで描かれた作品です。「幽谷」と似たような構成で、画面中央に老人(この人が超人なのでしょうか)と円が描かれていて、「幽谷」には中央に数人の人が描かれていましたが、明確に描かれていたのはそこだけで、その他は不定形あるいは抽象のような感じで、この作品では、たらしこみによって絵の具の滲みによって偶然できたものとなっています。横尾は、その偶然の結果を利用して、そこに即興的に描き足していって、結果として幻想的な画面となっているという印象です。横尾という人は学生時代に日本画を学んだといいますが、日本画の平面性に通じるところがあるのではないか。この作品の背景の部分は、日本画では何も描かれない空白、あるいは間というようなところで、西洋絵画であるため空白というのはないため、その代わりにたらしこみによる偶然的で不定形なものをあてがった。その効果によって、画面全体が幻想画の印象を与えるようになった。そんな感じがします。どうしても、横尾という画家は幻想のイメージを堅く持っていて。それを執拗に作品に定着させようとしているようには見えないのです。むしろ、そういうイメージは即興的に思いついた程度の軽い感じなのです。

「不思議の国」という1975年の作品、これも油彩です。たくさんの人が折り重なるようにして集まって、高く積み上げられていくという場面は、エル・グレコを彷彿とさせますが、横尾はこのような場面が好きなのか、前に取り上げた「水と霊」もそうだったし、この後のコーナーの「大地の歌」もそういうところがあります。あるいは前のコーナーの「引き出されたカオス」は少し異質ですが、無関係な様々な物体が集まってできた外形が総体で何かに見えるという場面を割合に好んでいたのかもしれません。これも、全体としての構成というよりは、部分(細部)をそれぞれ好きなように描いていて、それらが集まって結果として、こんなものになったという偶然性という即興的な感じがします。そういう作品では、リアリズムとは相性がよくない、幻想画とは何とでも言えるので、こういう描き方には都合がよかったのではないか、そう思えてきます。この人のイメージというのは、絵画的もしくは映像的というような視覚的なものというよりは、物語的なのではないかとおもえるのです。だから、作品の画面が視覚イメージでもって明確にデザインされているのではなくて、こういう物語、あるいはこういう経緯でこうなっているという視覚的には漠然として描き始め、あとは偶然によって結果が導かれる。もともと漠然とした視覚イメージだから、当初の物語から外れていなければ、それでいい。そして、作品の題名が物語イメージで付与される。それで見る者は、そういうものだとして作品をみると、聖書の場面とか幻想画として見る。だから、作品は親しみ易いし、作品を見た印象を語りやすい。この展覧会場では、家族連れの割合が高かったかもしれませんが、作品の印象を小声で語り合う光景があちこちで見られました。通常。このような場では、黙って見ている人が多いのですが、そこここで語り合う、しかも世間話といった関係のないおしゃべりではなく、作品の印象を語り合う人がけっこういて、静かなざわめきというような雰囲気は珍しかったです。それは、決して悪い雰囲気ではありません。

「岸辺の沈黙」という1985年の作品です。中央の人物を見ていると、横尾という画家のデッサン力というか、ちゃんと描けば描ける人なのだということが分かります。まるで古代ギリシャの女神の彫刻のような姿で、とくに顔はそのものです。しかし、この顔には表情がない。他の作品もそうですが、全身にしても、部分だけを描いたにしても、横尾の描く人間には、表情がなく、感情が見えてきません。おそらく、そういうものには興味がなかったのかもしれないと思います。横尾の関心は、物語のストーリーで、人はそこで動くコマのようなもので、描くとしても画面の中の人としての外形だけでよかった。だから、この作品の人物も、きれいに描かれていますが、存在感は感じられない。透明という、浮遊しているというか、そんな感じです。しかし、幻想画ということになれば、そっちの方が好都合ではないでしょうか。その物語にしても、聖書などを題材にしていますが、横尾は自由に取り扱っている。だから、借り物ていどの意識だったのではないでしょうか。展覧会のキャプションなどでは、横尾は聖書とか宗教性、精神性にのめり込んでいたように説明されていますが、描かれた作品の印象では、そのように思えないのです。横尾の内心のことですから、断定的なことは言えず、私個人の印象にすぎませんが。ところで、そういう借り物だから、このように自由に作品を制作することができたわけで、キリスト教の真っ只中にいて、どっぷりと浸かっている西洋の人には、それなりの嗜みというか規制があるだろうから、ここまで描くには、かなりの葛藤を克服しなければならないでしょう。そうすると、作品は重くなる。これに対して、横尾の作品には、そういうものがなく、どちらかというと軽い。だからこそ、グロテスクといってもいい異形のものを描いても、グロテスクな気持ち悪い感じがしないのです。

第3章 内なる青を見つめて

このコーナーでは、前と一変して、キャンバスに油彩、しかも大きなキャンバスの大作ばかりになります。抽象性の強い、青を基調(これまではグリーンとしても印象的でした)とした作品を、下地の絵具を手で直接かき回して画面を作り、聖書の「黙示録」や広大な風景をテーマに制作したといいます。こんなにガラッと変われるものでしょうか。この次のコーナーでも、ガラッと変わります。移行期のようなものがない(そういう移行的な橋渡しとなるような作品は全くありませんでした)このように変われてしまうのが、横尾という人の特徴なのかもしれません。もっとも、前のコーナーで最後に取り上げた「岸辺の沈黙」1985年の作品で、このコーナーの展示作品は1970年代後半なので、二つの傾向の作品を並行して描いていたと言えます。そうだとすると、この人は器用だったのかも。だから、展覧会の説明で精神的傾向とかいわれても、何かピンとこないわけです。

「滴る天の雫」という1980年の作品です。前のコーナーでは、紙に絵の具を滲ませて、滲みやぼかしでもやもやしたような幻想的な雰囲気の背景をつくっていましたが、ここでは油絵でもそういう雰囲気を作り出しています。この人は、よくよく、明確な形より曖昧な方が好きなんだと思います。それで、たしかに青がとても目に鮮やかなのだけれど、その青が強いというのと、形の曖昧さ、そしてそれが青の濃淡とあいまって、波のような感じがして、青空とも海中ともいえる不思議な画面になっています。これも、どこという空間の明確さをさけているように見えます。これって、日本画の書きたいものだけ書いて、あとは余白にしてしまって、その他の情報を曖昧にしてしまうのと同じようなものかもしれないと思います。何か、日本画の見せ方で西洋画を描いている。そのギャップが幻想的な画面を生んでいる、そんな感じがしました。上方の空というかもやもやした部分は、水墨画の朦朧としたのに西洋画の色をつけたような感じで、それに対して左下の部分は西洋画のきっちり描くようになっている。その二つの描き方が一つの画面に並立している。その両者の関係が曖昧で、対立的な緊張関係ではなく、どちらかが主で他方が従というのでもない。画面に放置してあるといったほうがいい。そういう曖昧さがあって、それが画面にリラックスした印象を与えていると思います。だから、そういうこともあって、この人の作品は対峙するように向き合って鑑賞するといったものではなく、部屋に飾ってインテリアとして部屋の雰囲気づくりのひとつとなるようなもののように思えてきました。何か、作者である、横尾も描くという動作を楽しんでいて、それが第一のように、私には見えます。何を描いているか、といったことよりもです。

「VisionU」という祭壇画のように3枚で一組になっている作品ですが、おそらく黙示録をテーマとしているのでしょう。しかし、この鮮やかな青は、黙示録の空というより、クリスチャン・ラッセンの海の絵の青を彷彿とさせるのです。私の印象は、黙示録よりもカリフォルニアのサーファーです。

第4章 東と西のはざまで

ここでまた、横尾は作風を一変させます。抽象というか前衛書道みたいになります。書を思わせる筆の動きや絵の具の飛沫を前面に押し出して描いた結果が抽象的な画面になる。もともと、リアリズムの明確な形は描いていなし、何を描くかということより、描いているという身体を動かすことを楽しむといった作品だったので、描いた結果が抽象だろうと、あまり気にすることはないと思いますが、それにしても、黙示録から禅にワープしたんですか、と聞きたくなります。節操というものがあるんですかね。

「臥龍」という1988年の作品です。晩年のターナーみたいなモヤモヤばっかりで、臥龍という題名をつけると、いかにも東洋的な、宗教的なものに見えてきます。洗面器に水をいれて、そこに水彩絵の具を流して、水面に紙を置いて、流動する絵の具を定着させたような画面です。よく言えば即興的で、それまでの即興的で偶然にまかせる要素があったのを、全面的なものにした。端的に言えば、いきあたりばったりでしょうか。わたしとしては、このあたりの作品から、書くことが少なくなります。正直に言えば、面白くなくなってくる。あっ、誤解の内容に付言すると、偶然に任せたアクションペインティングのような作品は、ジャクソン・ポロックとか白髪一雄とか好きです。でも、この人のは違っていて、例えば、色の重ね方とか、表現が単純で細部がないというか、飽きてしまうんです。これては物語的な想像力を喚起させるところもなくなってしまったし。

「一路涅槃門」という1995年の作品です。まるで白髪一雄の後期のアクションペインティング作品をシンプルにしたような作品です。この作品をみて、白髪だと思ってしまいました。白髪一雄のように縄にぶら下がって足で描くというわけではないので、手で筆を持って描くのでしょうから、すべてを偶然にまかせるというのではないでしょう。だいたいのところを想定して、あとは筆の赴くのに従った結果、こういう作品になった。出来上がったら、禅画っぽくなったというのではないかと思います。しかも、キャンバスの地に白と黒の二色という色使いが落ち着いた雰囲気をもたらし、静謐な印象を与える。そして、二色が混ざったり、混ざらなかったりするところに動きが感じられて、その微妙な感じがいわく言い難い、というか、描かれた形が禅画に似ているところがある。そういうところから瞑想的とか、受け取られていくようになるのでしょうか。

第5章 水が描く、風が描く、土が描く

ヨーロッパの美術館でのパフォーマンスのビデオをノンストップで流していました。アクションペインティングですね。そのようにして描かれた(大量生産された)作品が、いくつも展示されていました。私には、どれも同じに見えてしまいました。割合にサイズの大きい作品が広い展示室の四方の壁に掛けられていて、中央のベンチに座っていると囲まれたようになるのですが、不思議と圧迫感はなくて、例えば、ロスコの作品に囲まれていると、吸い込まれそうな感じになるのですが、この人のは訴えかけるところはないというか、控えめというか、そういう点では洗練されているとか、センスがいいと言えると思います。疲れないんですね。それは、反面、退屈でもあるわけで。この部屋は人が少ない。第2章あたりの展示コーナーでは、立ち止まって作品について、あれこれ話す人の姿が目に付いたのですが、ここではあまり立ち止まることなく、通り過ぎてしまう人が多かったように思います。

 

 

 
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