ベルギー象徴派展
 

  

 2005年5月3日 Bunkamuraザ・ミュージアム

生まれて初めて、美術館のハシゴをしてしまいました。以前は、映画のハシゴは何回かやったことはありましたが、映画は公開期間が短く、しかも時間を拘束するものであるため、どうしても見たい作品が重なると無理してでも、ということになり、体力と気力のある若いころならば、そういう無理をしてしまうものです。しかし、美術館での展覧会は映画に比べて、比較的長い期間開催されていますし、可能な時に美術館に出かけで作品を見ることができるので、ふつうは、ハシゴなんて考えもしません。では、なぜそんなことをしたのかと言えば、この日、いわゆるゴールデンウィークにあたり人手が異常に多く、そんなことを考えずに上野の国立西洋美術館に出かけたところ、山手線ではホームに降りるのもやっとで、公園口の改札を通れず、広小路口で降りてぐるっとまわって上野公園に入り、押し合いへし合いの状態で、開催中だったラトゥール展を見たという体験をしました。それで、かなり欲求不満が高じてしまい、それならと渋谷に回って、当初行くつもりのなかった文化村まで来てしまったという具合なわけです。結果としては教科書に載るような泰西名画とは一味違う世紀末の幻想美術ということからか、渋谷という場所のせいか、上野の混雑から想像できないほど静かで、展示をゆっくり堪能できた、ということとなりました。そのかわり、帰宅した時は、かなり疲れ果ててしまいました。

「19世紀末のベルギー。そこではそれまでになかった新しい傾向の美術が人々の心を捉えていた。その画家たちの関心は、目を閉じたときの闇の奥に隠された真実にあった。彼らは印象派のように目に飛び込んできた情報をストレートに送り出すのではなく、象(かたち)が直接的に表わすものよりも、それによって暗示的に間接的に徴(しる)されたものに辿り着こうとした。彼らは象徴派と呼ばれた。

メジャーではない、排斥されたいすべてのもの─。キリストや聖書よりも悪魔や聖書外典、社交界の優雅さよりもオカルトの儀式、太陽神アポロや女神ヴィーナスよりも酒の神ディオニソスや眠りの神ヒュプノス、そして活気づく都会よりも誰もいない森、豊満な若い女性よりも青ざめた死に顔の美しさこそが、表現すべきものであった。そして青空の下での監察よりは、部屋にこもっての夢想が出発点だった。また当時の新興国ベルギーには、こうした新しい美術の傾向を積極的に受け入れる開かれた機運が溢れていた。

象徴派が描き出した逃避的で幻想的な世界。その背景には、人類がはじめて経験する産業化の中で進行した人間疎外があると言われている。それはまた、慌ただしい現代社会に生きる私たちがふと訪れてみたくなるような、そしてどっぷりと浸ってみたくなるような、不思議な魅力を持った世界だったのである」

と展覧会チラシの惹句に書かれているとおり、当時はいわゆる世紀末芸術がヨーロッパのいたるところに点々と生まれていて、ベルギー象徴派もそのひとつでしょう。このほかには、クリムト等のウィーン分離派やロセッティ等のラファエル前派が有名だし、先駆者的な評価をうけているギュスターヴ・モローとか、シュル・レアリスム運動とかが思い浮かびます。

私個人の話ですが、何年もの間、年間数回、都内の美術館を中心にコツコツと暇を見つけては、気に入った美術展を回っています。今までに見てきた美術展をここに少しずつアップしていますが、そのリストをみると一般的に日本で人気のあると看做されているルネサンス期と印象派が全く抜け落ちていました。リストにあったのは、この美術展のような幻想絵画とか抽象画、ドイツ・ロマン派そしてマニエリスムからバロック期にかけてのものに集中していました。我ながら偏っていることを再認識しました。それらは、上に引用したような「目に飛び込んできた情報をストレートに送り出さない」という点で共通していると思います。しかも、その情報に何らかの操作をする際に、どちらかというと歪んだというか一様でない作為を加えた作品を好んでいることも、特徴的なことではないかと思いました。このような傾向は、最近でいえば、サブ・カルチャーとかカウンター・カルチャーといわれるいうなればメインのハイ・カルチャーにたいして距離をあえて置くような位置取りの作品にも通じていると思います。こじつけかもしれませんが、今回の展覧会で展示された作品の中には少女まんがの1コマに挿入しても違和感がない作品もありました。直接的な影響関係であるわけではないと思いますが、通底する何かがあるのではないかと思います。とくに、今回の展示の中でもクノップフ等を取り上げて行きますが、そこに共通しているのは、そういうサブ的な位置取りを自覚していて、古典的な作品にあえて距離を置いている人たちで、そういう認識が薄いアンソールやスピリアールトといった人々は、画家としては単独で回顧展を開くほどのものを残している人とは思いますが、あえて取り上げるつもりはありません。それは私の主観的な好みの問題です。

その辺のことも、印象に残った画家について、取り上げて感想を書き込んでいきたいと思います。

 

■グザヴィエ・メルリ

私には初めての画家でした。1845年にブリュッセルで生まれ1921年に亡くなっています。美術アカデミーで装飾デザイン、絵画と彫刻を学び、1879年にオランダ領マルケン島に滞在し、この島の風景や人々を描く。この時期以降、メルリの画風は簡素さ、静寂さ、豊かな詩情を特徴とする写実主義の方向性に向かう。日常的で身近な空間を神秘的に描くとともに、装飾的な寓意画を制作した。と、カタログの解説から引用しました。

まずは、上の象徴的な画風の作品ではなく、「ベギン会修道院」(左下図)という鉛筆画にこの画家の特徴が表われていると思います。修道院の廊下を正面からスケッチしたような作品で、左右シンメトリーな廊下の構成で、ほの暗い柔らかな光線が左手の開け放たれたドアから差し込み、その奥のドアから部屋に入ろうとしている尼僧の後姿があり、その向かいの廊下の壁には大きなキリスト像があるという、ごくシンプルな作品です。その仄暗く、淡く柔らかな光の中で、光と影は対立するものではなく融合するように扱われ、そこに映し出されるモノや人の輪郭は淡く、この作品では輪郭は残されていますが、他の作品では輪郭は限りなくぼやけて、薄暗いなかで色彩は無彩色に接近します。日常の風景を写したような親密さの中に、モノや人の輪郭が、光と影の対比が、色彩の区別が、ひとつの融合した単一性の中に溶け込むような志向性を強く感じさせられます。一方、他の画家にあるような幻想的な小道具のようなものは一切加えられることはなく、むしろシンプルで写実的な描写は、その融合にむかうような志向性と相まって、瞑想的な静けさと、観る人もそこに対立的な要素を刺激的に受けることもないことから安心感に満たされるようです。メルリという画家は、親密な日常の風景に、現実の殺伐した生活という要素から、神秘性を抽出し、ある意味で日常の皮を一枚剥いた幻想世界を創り出そうとしたと言えると思います。

マルケン島の風景や人々の生活を描いた作品(右図)は、メルリが彼の上に述べたような絵画の傾向を自覚するに至ったものではないかと思えます。民族衣装を着て、近代的な都市生活とは異なる伝統的な生活を営む、当時の島の人々のなかにブリュッセルという都会から来たメルリにとって幻想世界のように映ったとしても不思議ではありません。島での人々の噛みしめるようなゆったりとした生活を見ている中で、自らの日常を、これまでとは違った視点で、つまりは幻想的に見ようとする視点を得たのかもしれません。また、付け加えれば、ヨーロッパがキリスト教に浸食される以前のゲルマンとかガリアに土着のアニミズム的な生活の個々のものに神秘を見るような視点で日常の空間を見るといいうことを発見したのかもしれません。そういう視点でみれば、あえて余計な作為でもって絵画作品を幻想的に仕立て上げる必要はなくなるわけです。そういう視点でみる日常の世界をそのまま写せば、そこに神秘が存在している、というのがメリルという画家の世界ではなかったのか。だから、展示されていた作品のほとんどが個人像だったのは分かるような気がします。つまり、公開の場で大々的に見る物ではないということです。

その中でも、異質に感じられるのが、左上図である「時の円舞曲」です。象徴的な図案で金色の背景に翼を生やした老人の天使を若い女性が円陣となって取り囲んでいる。まさに円舞曲を踊ろうとするかのような構図です。しかし、全体としての基調は、落ち着いた感じで、そこに装飾的なものは見当たりません。女性たちも、簡素な服装のどこにでもいるような隣のおネエさんのような人々です。 

   

■フェルナン・クノップフ

この展覧会は、私にはクノップフとそれ以外の画家を見るというもので、お目当てはクノップフでした。今回の展覧会パンフやポスターでも彼の「妖精の女王」(左図)が使われています。ここで描かれている人物、女性とも両性具有ともとれるような両性的で、しかも世紀末に盛んに描かれたファム・ファタールの要素もあるような、彼の独特のキャラクターともいえるこの女性は作品に様々な衣装をまとって登場します。それは、ラファエル前派のダンテ・ガブリエル・ロセッティが自分の妻をモデルにしたキャラクターの作品(右図)を多く描いたのにも似ています。ロセッティの濃いめのキャラに比べて、クノップフの描くキャラは薄味の味わいというのでしょうか。瞑想的というのか眼にあまり力が感じられず、多少虚ろな感じが現実から遊離した印象を強め、淡い色彩で、クノップフに特徴的な下あごの大きな顔の輪郭も定かに描かれないことも多く、まるで顔が宙に浮いているような重量感のなさです。

でも、今回の展示では、このような人物画はスケッチとか下絵のようなものが多く、目に付いたのは風景画でした。彼の地元である古都ブリュージュの風景を描いた作品は、風景の写生をしているように見えながら、見ているうちに幻想の蜃気楼のように見えてくるという不思議な作品です。クノップフという画家が描いているからという先入観で見てしまっているからでしょうか。それとも、世紀末の小説としてよく言及され、クノップフも取り上げている、ローデックバックの「死都ブリュージュ」のなかで、主人公が霧のような現実とも夢とも見分けのつかない中で亡き妻と瓜二つの運命の女性を追いかけて歩き回る風景を連想してしまうからでしょうか。まるで写真のような正確で厳格なデッサンで、あたかも客観的に書かれた古いゴシック様式の寺院や運河わきの建築は、北欧独特の光というのか、印象派のような強烈な光と影の対比が見られない代わりに、鉛筆で描かれる建築物の壁はまるで光が粒子であるかのように、ひとつひとつの粒で構成されているように見えてしまいます。そこで、薄暗く、淡く、霞んでいるかのように見える風景は、測ったような正確なデッサンでありながら、どこか非現実的に見えてくるもので、グザヴィエ・メルリの描く風景にも似ています。しかし、クノップフにはメルリには明白に感じられた画家の作為が巧妙に隠され、ほとんど見えてきません。それは、彼が盛んに描いたキャラクターにも通じる雰囲気かもしれません。

■ジャン・デルヴィル

ジャン・デルヴィルは1867年ルーヴェンに生まれ、1953年ブリュッセルで亡くなっています。1885年ごろから象徴主義的な作品を書き始め「20人会」に加入、1889年頃神秘思想家ジョセファン・ペラダンと出会って「薔薇十字会」の運動に参加、積極的に出品する。「芸術のために」展や「理想主義藝術」展を主宰し、審美的な象徴主義藝術を推進、ルーヴェンの市庁舎などの公共の場を飾る寓意的な作品も制作している。グラスゴーとブリュッセルの美術学校で教授を、モンスのアカデミーでは校長をつとめ教育にも貢献した。フラ・アンジェリコやワグナー、モローなどの様々な影響を受け入れたデルヴァルの作品では、異教的なテーマが甘美な色彩で表現されている。

カタログから画家紹介の一部を引用しました。ものの本によれば、クノップフと並んでベルギー象徴派を代表する画家ということです。しかし、私は知りませんでした。今回の展覧会で、とにかく名前だけでも聞いたことがあったのは、クノップフとアンソールだけで、あとは初めてのひとたちでした。しかし、このデルヴィルの作品を見るとどこかで見たような既視感に捉われます。知らないところで引用されたのを見ていたのか、それとも月並みだったのか。この月並みというのは、もともと個性がなかったのか、色々なところで真似されて本家より物真似の方が出回ってしまったという2通りの線が考えられます。しかし、クノップフだって亜流が沢山いたわけですし、それでも本家のクノップフは、こうして他に真似のできない存在としてあるわけです。ということは、それだけ、もともと陳腐化しやすい画家だったということでしょうか。

「死せるオルフェウス」という竪琴の上に首が乗せられ、漂うという衝撃的な構図は、どこかでまんがかイラストで見たような錯覚さえ覚えます。竪琴の上のオルフェウスの首というアイディアはギュスターヴ・モローの作品(右図)に先例があり、それを参考したと考えられますが、デルヴィルは一見海面にも見えますが、巻貝が周囲にあるので海底にも見えます。点々と星が瞬いているように見えるので夜空化もしれず、その判然としないところで、竪琴が海面に浮いているように境界が明確に描かれず、全体として故意にぼかされ幻想味の強調が為されています。無限の空間とでも考えればよいのか、それを印象的な青が使われ、海面でも海底でも夜空でもない独自の青がさらに印象的です。画面の上方からオルフェウス顔を照らし出すのは自然の光とは考えられず神秘的な光ということになるのでしょうか。それらが相乗効果となって、何かが隠されたような象徴性、漠然とぼかされた意味性が曰くありげな神秘性を盛り上げているといえます。何だかんだいっても、詩人という人にとってはコメントしやすい画面に仕上がっているといえのす。ということは、絵画として視覚的なことだけで独立完結しているのではなくて、手段となっていて、その手段を必要とする目的が詩とか神話とか言葉によってイメージがつくられている。そして、言葉が時代の変遷の中でステレオタイプ化と陳腐化していくのに合わせて、作品も陳腐化を免れなくなっていくというものでしょうか。もともと言葉に拘束されず、絵画としてそれ自体が完結自立していれば、言葉が鎮撫化しても、新たな言葉により新たな評価が為されるものですが、この作品はもともと言葉により拘束されているため、その言葉が陳腐化すれば、それに伴い陳腐化していく、そういう作品であるように思います。

ただ、見た目が派手で、彩もあざといくらいに鮮やかなので、飾ると見栄えがすることから陳腐化しても通俗的に重宝される、忌憚なく言えば成金趣味のニーズに対して応じられるものであるように思えます。他の作品も参考に並べますが、見る側からみるとステレオタイプのパターンとして見やすく、飾り映えのする作品ということでいいのではないかと思います。私個人の主観的な価値観でいえば、クノップフと同列にするほどのものではないと思います。



 
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