エル・グレコ展
 

  

2013年2月22日(金) 東京都美術館

都心で夕方にミーティングがあって、その帰りに寄ることができた。新聞社の主催で、泰西名画で、しかも上野の美術館で大々的に開かれているというので、混雑が十分予想できたし、グレコっていう画家も取り立てて絶対見たいほど好きというのでもなく、単に、記憶の片隅に残っていたというだけだった。そのまま、展覧会の会期がいつの間にか過ぎてしまって、「ああ、そうだったか」と思い出す、そんな程度の認識だった。だから、万全を期して行ったというわけではない。たまたま、ミーティングが予定していた時間を超過してしまったため、終わった時に会社に戻るのには遅すぎる時間で、金曜日は美術館が夜間まで時間延長して8時まで開館していた、という偶然がかさなったからだ。

多分、この文章をネットで検索して辿り着いて目にするような人は、グレコがどういう画家かという予備知識を十分に持ち合わせていると思うので、余計な紹介のようなことはせずに、私のグレコ展の個人的な感想を綴っていきたいと思います。

私は、元々写実的な絵画よりも、画家が何らかの作為を加えた絵画作品が好きで、その画家の加えた作為を自分なりに想像して追体験するというような観方をしています。とはいっても、その追体験とやらが画家が事実そうしたかということには、あまり頓着せず、自分がそう思って作品から見てとれる世界の創り方とか、そんなことをあれこれ解釈していくのが好みです。だから、そこにあるそのままを描いた(実際に、そんなことは不可能なのですが)ような作品には、概して面白みを感じられません。例えば、そういう要素を敢えて意図的に排除するようなポーズをとっている印象派の画家たちの作品などが、その典型です。そのような作品に比べるとグレコの描いた作品というのは、人が一般的に感じる写実とは明らかに違う独特な作品を描いていると思います。しかし、どこか不可解さと不自然さ(意図を加えているので、不自然なのは当然なのですが)というのか、わざとらしさ(これも貶す言葉ではないのですが)に、何となく違和感というようにものを生理的に感じていて、積極的に見たいと思えない画家でした。だったら、なんでわざわざグレコ展に出掛けていったのか、と問われればそれだけの話です。また、弁解がましくなりますが、マニエリスムやバロックの画家を嫌いではないのです。最初に言いましたが、人為的な作為を加えて、その作為や意図を愛でるというところが、カラバッジォやポントルモなどといった画家を比較的好んでもいるわけです。でも、何というか私の個人的な印象ですが、決定的にこれらの画家とグレコが違うような気がするのです。それが、グレコと言う画家に対して、私が感じている違和感なのではないかと思います。それは、美術史家が指摘していることですが、グレコの宗教画の特徴は聖堂でこれを見る人が祈りを捧げることを意図しているため。つまり、祈りの気持ちを喚起するために描かれているということです。ということは、言ってみればプロパガンダです。今回のグレコ展の目玉として展覧会チラシでも大々的にフィーチャーされている「無原罪のお宿り」にしても機能面でいえば、例えば北朝鮮の報道でテレビ画面に映る体制のプロパガンダ用の、こっちから見ればアナクロにしか映らない指導者をヒーローに仕立てたような画像と同質的なものだということです。比較は適切ではないかもとれませんが、その辺りに違和感を感じているかもしれません。ポントルモの作品を観ていると、注文に従って描いているのでしょうけれど、そこにポントルモ自身がそのように描かざるを得ないような物語を想像させるところがあるのですが、「無原罪のお宿り」にはそういうグレコが私には発見できないのです。プロパガンダには作者の主体性は邪魔になりますから。

もう一点は、スペインとイタリアの風土の違いということです。これは、私の中途半端な歴史と地理の知識から想像していることで、事実がどうか証拠を見せろと言われれば答えられないことです。私の中では、取敢えず納得できることではあるので、話半分で聞いてほしいと思います。当時のイタリアとスペインの豊かさの違いと中世が残っている度合いの違いということです。当時のイタリアは地中海交易の中継点として商業が発展し、金融の中心地としてもフィレンツェやヴェネチア、ジェノヴァあるいはミラノ等の都市が栄えていました。その中で豊かになった都市で市民階級の萌芽がみられ農業に依存した封建貴族に代わって台頭しつつあったという情況です。そのなかで、従来の経済的には停滞を前提した自給自足を原則にしたような中世の文化に対してルネサンスの文化が花開いたというのが教科書的な理解です。あまりスペースがないので、このような書き方が本当に適当かどうかということは、とりあえず脇に置いて比較のために議論を単純化します。そこには中世の文化の祈りの感情、どちらかという現世というよりは来世を見通すような視線が強いものから、現世をポジティブに見ようという視線が生まれた。そこにルネサンスの中世とは違った明るさのようなものが、例えば中世のイコンとダヴィンチの聖母マリアを描いた絵画を見比べると明らかに違います。

これに対して、スペインはイタリアに比べれば広大な国家ですが、国土の大半は岩山で農業に適したのはごく一部で、イタリアのような交易で栄えるということもなく、もともと豊かな国とは言えなかった。まして、直前までイベリア半島の半分以上をイスラムに支配され(イスラムの支配は繁栄をもたらしましたといいますが、後のスペインがそれを継承できたかは疑問です)ていたのをレコンキスタの長期にわたる戦いで取り返した、とはいっても、その戦いで国土は荒れ果て、イタリアと違って庶民が豊かさを背景に自立台頭してくるというのとは逆に惨状にあったのではないか、という状況だったと思います。だからこそ、スペイン国王はイタリアの征服を考えたり、大西洋の向こう側の新大陸という大きなリスクに賭けざるを得なかったのではないかと思います。実際に、スペインが新大陸を植民地として繁栄していたと言われでいますが、実際は王家は借金まみれで折角新大陸から強奪した富を借金のかたにイタリアやドイツに取られてしまって、富の蓄積ができず首都であるマドリードは貧困から脱出できなかったといいます。だから、庶民にはイタリアのルネサンスのようなことは殆どなく、中世が続いていたと考えてもいいのではないかと思います。カトリック教会に目を転じてみても、イタリアのカトリック教会は世俗化が進んで教養豊かな俗物のような人物が教皇になったりしますし、教会が芸術の庇護者となったりしますが、スペインのカトリックと言うとドミニコ会とかイエズス会というような反宗教改革、あるいは異端審問というような苛烈なイメージが強いのは、私の印象だけでしょうか。それだけ中世のカトリック信仰の残滓が濃厚だったのでは。そこで、民衆に祈りを喚起させる絵画がどういうものかと言えば、はたしてイタリアのルネサンスの明るい現世肯定的なものが、市民が独自に注文するような絵画が好ましいのか、と考えた時に、グレコは最初はギリシャでイコンの修行をしているという事実です。今回の展示の中にも、彼が描いたイコンがありました。かといって、中世そのままではない。おそらく、注文主は貴族だったり教会の上位聖職者なわけですから、ルネサンスには取り敢えず触れているので、中世そのままというのでは、もはや受け入れられない。ということで、グレコの絵画というのは、イコンを当世風にアレンジしたものとして、貴族や僧侶のような当地の上流階級にも、教会で作品に祈りを捧げる庶民の両方にも受け入れることができた折衷的なものとして受け取られたのではないか。そう考えれば、「無原罪のお宿り」の現実の空間の感覚とはかけ離れた画面構成や人間としての個性とか実在感の希薄なキャラクターピースのような人物の描き方とか、パターン化されたようなまるでコスプレのような衣装への色遣いなども、イコンの様式性を当て嵌めたと考えれば、それなりに納得できます。イコンはもともと写実性など求めてもいないわけですから、想像の世界を描き、それを人々にそういうものだと受け入れさせるには格好の方法だったのかもしれません。それをうまく使いこなし、聖堂という建築物に飾るということに適した描き方をしたところにグレコという画家が当時受けた原因があるのではないかと思います。それと同じ理由で、ギリシャからイタリアに行って、そこに落ち着かずにスペインに流れてきたのも、そういう画風はイタリアでは受け入れにくかったのではないかと想像します。

 

T−1  肖像画家エル・グレコ

展示室に入って最初に飾ってあったのは、画家自身の自画像で、そこから数点の肖像画が飾ってありましたが、それは私にとっては驚きでした。グレコに対して私のもっていたイメージを覆すに十分だったのです。その最大の点は、「まともな絵を描いている」ということでした。今回の展覧会の目玉となっている「無原罪のお宿り」のような宗教画に顕著ですが、どこか彼の絵には、「どこに目をつけているのか分らない」とでもいうような奇矯さ、敢えて狙ってやっているとしか思えないひねくれたところが露骨に現われています。それが目につく人は、彼の作品にはついて行けないと感じることでしょう。そういう独特の彼の癖とか臭いのようなものが、ここで数点飾られている肖像画には、あまり感じられない。おそらく、グレコという画家名を伏せて、ベラスケスと言われても、それ程詳しくない人はそのまま納得してしまうのではないか、そういう風に見えます。それは、モデルが存在し、肖像画というものが描かれる目的を考慮すれば、どうしてもモデルとなっている人物に似ていること、大抵はそのモデルとなった人物の邸宅に飾られることから、あまり奇矯なことはできないといった制約の故ではないかと思います。そららの作品では、いつもの粗い筆遣いが人物の顔の表情に躍動感を与え、構図のずれが独特のリアリティを与えるという、宗教画では目障りに感じる人もいるだろう彼の癖が抑制されて、結果的に肖像の人物が生き生きとして見えてくるのです。これに比べると、イタリア・ルネッサンスのダヴィンチやラファエロの肖像画は整っているけれど、冷たく感じられるだろうと思えるほどです。展示の中で、他の画家の描いた肖像画をグレコを模写したものとの両作品が並べて展示されていました(右図、右側がグレコの描いたもの)が、グレコの模写は粗っぽいものの描かれた人物が生き生きとした感じは数段優っているように感じられました。とくに、粗いに筆遣いで描かれた筆触がそのまま顔の表情の筋肉の動きにも見えてきて構図の歪みが、顔に動きがあるかのように見せているのです。これは、身近な例で言えば、まんがの世界で、アクション場面で身体や顔の動きをデフォルメによって歪ませたり、また動きのディテールを敢えて描き込まずに動きの方向に線を並べて引くというような省略を敢えて行うことでアクションの躍動感を表わしているのに似ています。そういう動きが肖像画の人物に生き生きとした生命感を感じさせる一つの要因となっているようです。

とりわけ、女性を描いた「白貂の毛皮をまとう貴婦人」(左図)という肖像画では、女性の顔の描き方が、本当にグレコが描いたのかと疑わしくなるほど、肌の質感が滑らかで柔らかく、パルミジャニーノの描く女性を彷彿とさせるといったら言い過ぎでしょうか。あるいは、黒髪のエキゾチックさ、黒い瞳でこちらをしっかりと見つめているところ、あるいは指に光る宝石、全体のポーズなどから19世紀のコローの「真珠の女」と何となく似ていると感じるのは私だけでしょうか。何を言いたいかと言うと、極めて個性的で、他の画家の違うことが私のような絵画の素人にも一目でわかるのがグレコの作品なのですが、肖像画ではそういう際立った個性が抑えられているということなのです。いわば、彼の特徴が抑えられスパイスのように利いていて、描かれた人物の生命感とか表情の実在感を醸し出していると言えるのではないかと思います。

そして、肖像画の依頼者は、かなりの満足感を得られたのではないかと思います。というのも、彼が描いたのは貴族や王族というよりは、力を持ち始めたブルジョワや専門の技術をもった人びとだったからです。たぶん当時の肖像画では未開拓の市場で、上昇機運にあった人々を伝統的な手法に新しさを加えて、彼らの上昇カーブにある躍動感のようなものを画面に捉えて定着させているように見えるグレコの肖像画は、マーケティングでいえば成長分野への効果的な投資たったと言えるのではないかと思います。

でも、でもです。これだけだったらグレコではない。良くも悪くも…。たたし、この一連の肖像画を見ることができて、私がグレコに感じていた垣根は大幅に低くなりました。言うならば、グレコのわざとらしさのベースにはこのような、近代絵画を彷彿とさせるものがあったこと発見できたからです。こう考えると、グレコがマニエリスムの画家たちとは決定的に違うということが、私の中でははっきりしました。単純化した議論ですが、レオナルド・ダ=ヴィンチという画家はものの形態を追求したというのか、それだけを見たという解釈があります。カール・ヤスパースという哲学者はダ=ヴィンチを「眼の人」と言いましたが、視覚に映る形態を追求して、それ以外の要素を斬り落としていった画家というわけです。というのも、それ以前は、そうではなかったからです。いわゆる中世の世界では、神様の時代というわけで、何事にも神のご意志があったわけで、人間の形態は、神が自らの姿に似せて造られたという意味があったというわけです。だから、もののかたちは見た目だけでなく、その背後に何らかの目的とか意味とかいったものがあった。それを推し進めると、実際の見た目は仮の姿で、神の目的に適った本来の姿があるということになります。アウグスティヌスという古代から中世にかけての著名な神学者がいますが、そういう視点でプラトンのイデアと言う考えをキリスト教に受け入れ、後の中世のスコラ哲学の基を作ってしまったと言われていますが、そういう考えからすれば、実際に目で見るのではなくて、錯覚することだったあるのだから、ものの真の姿を捉えるには観想するとかいいます。

そういうことに対して、視覚の優位により、見た目を重視して絵画に写し取ろうとした革命家としてダ=ヴィンチをみるという見方があるのも事実です。そして、こういう神の意志などというものを切り捨てることができたからこそ、近代の自然科学が後に発展していくことになるのも事実です。彼の後の画家と言うのは、実際のところそういう偉大なダ=ヴィンチのパラダイムの基でものを見るということになって行きます、ラファエルなんかは典型だし、マニエリスムの画家たちもいったんそういう形態を明確に描くということからは逃れられなくなります。

それはそれでいいのです。しかし、人間と言うのは、それで満足できるでしょうか。あることに過剰に意味を求めてしまうところが人間には一方であるのです。例えば、今、私のいる部屋で立てかけてある写真スタンドが地震も風のないのにパタンと倒れたりすると、何か胸騒ぎを覚えるのも人間なのです。それを単に写真スタンドが倒れただけだと割り切るもできるでしょうが、写真の人物に何かあったのではないかと心配してしまうのも人間なのです。それは、絵画で言えば、人物の生命感とかオーラのようなもの、目に見えるかたちになって現われることのないものを描くということをするかしないか、ということにも通じると思います。極端な決めつけかもしれませんが、ダ=ヴィンチはそのようなものを積極的に追及することはしないと思います。それとは正反対に、そっちを追い求める人があってもいいのではないか。そういう画家としてグレコを見ることができのではないか、というのが一連の肖像画を見て得た印象なのです。そして、そういう目に見えないものを絵画で追い求めた近代以降の画家たちとの接点がそこにあるのではないか、とグレコを考え直すきっかけともなりました。それは、この後、それぞれの作品を見ながら具体的に考えてみたいと思います。

 

T−2  肖像画としての聖人像

同じような肖像画のパターンを取っているのにもかかわらず、様相はガラッと一変します。説明では“エル・グレコはカトリック教会の聖人を単独像で表わす際も肖像画の技術を適用し、独立した半身像または4分の3身像として表わした。したがって、彼らは物理的に観者の近くに描かれ、その結果、聖書の物語に出演しているというよりも、同時代人が肖像画を描かれるためにポーズをとっているがごとく表わされる。”としてもその描き方については、“肖像画の人物たちと同様、聖人たちは必要最低限の動きとジェスチュアだけを伴い、彼らが生きている存在であり、一つの個性を持った一人の人間であることを知らしめている。彼らは単に誰か一個人の肖像というよりも類型的な肖像として表わされており、それを示すために、同じ顔立ちの繰り返しや、マグダラのマリアの香油壷や聖パウロの大剣といったキリストの生と死に敬意を表す象徴的なしるしの存在が役立っている。”

例えば、聖パウロの肖像(?)(左図)を見てみましょう。これは12使徒のシリーズのようなものとして描かれたそうで、今回の展覧会でも、同じシリーズの聖ヨハネ(右図)や聖ペテロも一緒に展示されていました。これらは似たような構図・人物配置で、4分の3身像の聖人を最小限の象徴的な小物を持たせ、黒一色で塗り潰した背景に描かれています。それぞれの描かれた聖人は4分の3身像であるため、ポーズは制限され直立したポーズで手の動きに違いがあったり、手にしている小物との兼ね合いで違いが出たりと、あるいは来ている衣装の点で、私には、原始キリスト教のイメージからすると原色で派手すぎるし、布地というよりはゴワゴワした感じに見えて仕方がないのですが、それぞれの人が原色の違った色をあてがわれているように見えます。そういった印象をまとめてみると、一種のキャラクターピースのような感じです。卑近な例でいうと、ちょっと顰蹙をかうかもしれませんが、テレビの戦隊もの、「ゴレンジャー」とか(世代が古いですね)(左図)、で各メンバーが青レンジャーとか桃レンジャーというように色で違いが分かるようにして、それぞれ得意技をもっていることで区別していることと同じです。

それでは、前回の肖像画と通じているところがあるのか?という疑問が湧いてくると思います。もう少し我慢してお付き合いください。このような聖人の描かれ方の原因として、私が思うもっとも説得的な理由は、グレコという個人が全て描いたというのではなく、グレコを中心とした工房で制作されたと考えられるということです。おそらく、このような作品は需要があったのではないか、各地の教会や貴族の館等で、このように描かれた聖人画は従来の大掛かりなものに比べて手軽に飾ることができます。それだけにニーズもあったのではないか、そしてそのニーズに応えるために量産する、ということになれば工房で画家たちを使って効率的に製作する必要が出てくる。おそらく、グレコにとっても儲かったのでウホウホだったのではないか。だから、ドンドン作って売りまくった。その場合、いちいちグレコが全部に手をかけていたのでは、間に合いません。そこで、内容を単純化させる、描き込む要素を最低限にする。そうすることで、製作のスピードは上がるし、描かれることが少なければ、グレコ以外の人が描いたというポロは出にくくなるわけです。それは。現代のブランド品と同じです。ルイ・ヴィトンといったってヴィトン家の人が手をかけて製作しているわけではなくて、ヴィトンのものと皆が認識しているような特徴だけを十分に充たして、あとはブランドマークを入れて、正真正銘の本物とルイ・ヴィトンが出荷する。これ以外のルートからの出荷に対して厳しく管理する。というようなことを通して、あたかも、ルイ・ヴィトン本人が製作したかのような外観を呈している。そういう錯覚を起こさせる。ここで展示されているグレコの作品も同じです。そこで、ルイ・ヴィトンならば、それがヴィトンであると知らしめるトレード・マークがありますが、グレコの一連の作品でも、これぞグレコが描いたと誰もが納得させられるような明確な徴がそこで必要になってきます。それが、前回見た、粗い筆遣いであったり、構図の歪みです。歪んだ構図については、予めプロトタイプを作って、それをコピーすることで使い回しができます。筆遣いに関しては、工房の画家に修得させることである程度定着できるでしょう。そういう形で、グレコの特徴が形式化、パターン化したのではないかと、私は考えます。

その前提として、実在している人物の肖像画であれば、本人をデッサンしたり、ある程度グレコ本人が依頼人に対して直接かかわることが最低限必要で、出来上がった肖像画についても依頼者本人と似ていなければお話にならない。ということは量産品とちがってオリジナル注文品ということになります。それは、そうしなければ顧客は満足してくれないからで、また、グレコの肖像画のウリが生き生きとした肖像画になっていて、依頼者の性格や人となりが見る者がなんとなく想像できるような何かが加わっているということですから、当然グレコ本人が、その依頼者を知悉していることが必要となります。これに対して、聖人の場合は、実際の人物を知っている人はいないわけです。だから、実際に似ている、似ていないを考える必要はない。それまでは、聖書の記述を基にそれぞれの聖人の事績を物語りの場面として描くことによって明確にその人と分かるような絵画をつくっていた。これに対してグレコは、肖像画での経験を生かして、人となりが想像できる画面をつくり出す技法を活用して、聖人の性格を想定してそれらしい画面を作ろうとしたと考えます。端的に言えば、悲しいから涙が出るというパターンを利用して、涙が出ていればその人は悲しんでいると周りが思う、ということを絵画でやろうとしたと思うわけです。具体的にいうと、聖人の構図とか配置といった画面設計の部分と筆遣いといった仕上げの部分です。それ以外は中抜きです。工房の下働きの画家にやらせるわけです。

ただし、そうなると特徴的なところだけがピックアップされることになりますから、本来はそれを支えるベーシックなところが徐々に等閑にされて来る。全体の調和の中で、スパイスとして利いていた特徴的な要素が、他人の手でらしく描かれることで、そういう目立つところが強調されて来る。そうすると、顧客の方は、グレコの絵とはそういうものだ、だんだん認識するようになってくる。そうすると、グレコ本人も、そのニーズに応えなければならなくなる。こじつけと思われても仕方がないともいますが、ここで展示されている聖人たちの肖像を、前回の肖像画と見比べていると、そういうストーリーをどうしても想像してしまうのです。そして、そういう画家の手を離れて独り歩きしはじめたグレコというトレードマークを、画家が意識して使いまわすことができるようになったとき、宗教画の大作の、あの臭い作品が可能になったのではないか、と想像を飛躍させてしまうのです。これについては、また、後の回で見て行きたいと思います。

 

T−3  見えるものと見えないもの

“見えるものと見えないもの”などというと哲学書のタイトルを思い出してしまうのですが(この美術展を企画した人は多分、メルロポンティの後期の難解な文章に振り回され経験があると思う)、カタログでは次のように意図を説明しています。

エル・グレコ作品において、時に「見えるもの」と「見えないもの(天上世界や内的幻視など、目に見えず、心に浮かべるしかない架空の世界)」は、一見シンプルな画面に共存している。『聖母の前に現れるキリスト』ではキリストの身体は〔生身の人間である聖母マリアに対して〕死と復活を経た「天上の体」であるため、厳密に言えば肉体性を有していない。この二つの身体(世界)を、エル・グレコは具体的な視覚イメージにより表現することで、観者にとって信じやすく、身近な画面を作り上げている。エル・グレコと同時代の画家は絵筆による表現の可能性を「見えるもの」のみに求め、「見えないもの」であっても、それを地上世界の日常的な場面の一部として表わしていた。それに対して不可能に挑戦したエル・グレコは、現実と架空の二つの世界めぐって独創的な才能を発揮した。

で、『聖母の前に現われるキリスト』を見てみましょう。とりたてて、カタログの執筆者に異議を唱えるつもりはさらさらありませんが、ただ何の予備知識もなく、この画面を見ただけであれば、ここで見えるものと見えないものを画家が描いているとは見えないのではないかと思います。もしかしたら、「見えるもの」と「見えないもの」というのは現代の自然科学が浸透した我々の視点であって、当時の人々に果たして、そういう区別があったのか、何とも言えないのではないかと思います。もしかしたら、実際に人々には見えていたのかもしれません。こんなことを書くとオカルト的とか、非科学的とかいわれそうですが、でも、現代の生活の中でも見える者がリアルに在るものとは限らないということは、我々は無意識のうちにわかっているはずです。その証拠に見えたものを確かめるために触ったりして確かめるということを日常的にやっていると思います。目の錯覚という言葉を日常的に使っていることは、目で見えるということを信用していないことの現れではないでしょうか。だから、よく考えてみれば、「見えるもの」と「見えないもの」のふたつのものの境界線は極めて曖昧です。あえて言えば、そこに明確な線が引けることに関して明確な基準もないし、証明できる手段はないと思います。だから、ある立場から言えば、無邪気に二つの世界を区別していると言えてしまうのは自分の見方に何の懐疑も持たないイノセントとも傲慢とも言えもかもしれません。だからと言って、グレコの時代の人々にはその境界がなかったなどと強弁するつもりはありません。ただし、そういう絵を描き、それを受け容れる人々がいたということは、逆に、想像してもいいのではないか、と考えるわけです。

とくに、グレコの作品には、いぜんにも書きましたようにプロパガンダの要素があるように見えます。プロパガンダ絵画などといえば、最近ではもっともあからさまでそのあきれるほど素朴なメッセージ性にあきれてしまうのが北朝鮮のいわゆる社会主義リアリズムの様式で描かれたポスターです。あれをみると一目瞭然ですが、プロパガンダという機能するためには、見る人々に受け入れられなくてはなりません。そして、受け入れられた上で見る人にメッセージを伝えて先導していかなければなりません。社会主義リアリズムのポスター、昔のソ連や中国のポスターや今の北朝鮮のポスター等をみると、個々に描かれた人物やもの(機械、兵器等)はリアルさが感じられるように、そして形式的に描かれていて、それらが全体として構成されると極めて恣意的というのか、リアルに描かれた人物やものが現実の世界で存在しているようには描かれていなくて、荒唐無稽(冷めた私の目から見ればです)なユートピアのような非現実的に見えてしまう。まさに、グレコの解説で説かれていると同じことが起こっていると考えていいと思います。例えば、グレコの『聖母の前に現れるキリスト』が教会に飾られて訪れる人々に対して、キリスト教会のプロパガンダとして信仰に導く機能を担わされ、それをグレコ自身よく分っていた、というように私には見えて仕方がないのです。それが、画家としてのグレコが生きていく、のし上がっていく、ひとつの武器としてあった。他の画家がこうではなかったというのは、グレコが自らの特徴を差別化させて目立たせることもあったし、他の画家が出来ないような何かをグレコが講じていたと考えることはできないでしょうか。話は変わりますが、企業間の競争で、自社の特徴を他社に真似されないために企業はあらゆる手を使い、競争に有利を保とうとするのは常識です。競争ということを考えれば、そういう発想は必ず出てくる。グレコがそういうことを考えつかなかったとはだれも言えないはずです。

そういう考え方に一番合致するというのか、適合的なのが『フェリペ2世の栄光』(上図)と言う作品です。もうプロパガンダ以外の何ものでもないという感じです。ここでもう一つ見えるのは、何か取り留めもないような書き方になってきていますが、映画的な手法というのか、『聖ラウレンティウスの前に現われる聖母』ではもっとシンプルに映画的なモンタージュの手法が見えるような気がします。簡単にいえば、映画で人が何を見つめているとような横顔の画面を映し出し、その後場面転換でラーメンの美味しそうな映像を連続して映し出してあげると、観客は、この人物は空腹だったのだと強く想像するという手法です。人物とラーメンという全く関係のない映像をうまくつなげることで別の意味をつくり出す組み合わせの手法です。実際の映画では、もっと複雑でそれと分らないように使われています。例えば、グレコの『聖ラウレンティウスの前に現われる聖母』では聖ラウレンティウスと聖母はそれぞれ左下と右上と領域を分けて描かれていて、それぞれ違う場面として別々のようでもあります。しかし、聖ラウレンティウスが振り返るように右上の領域を見上げて、その先に聖母が描かれている。しかし、聖母の方からは視線を返すということはない。そこから二つの場面の関係を想像できるというのが、上述の映画のモンタージュの手法に通じてはいないか。また、映画もまた、特殊効果を駆使して「見えるもの」と「見えないもの」を繋がっているかのような描き方をして広く人々に受け入れられて、多額の現金を稼いでいます。そう考えれば、グレコの姿勢と言うのは、ホップアートとかサブカルチャーとか、そういうものに通ずるところもあるのではないか、というきも起こります。こじつけと言われるかもしれませんが。

ここまで、いうなれば序章で次回から、いかにもエル・グレコといった作品がいよいよ出てきます。

 

U クレタからイタリア、そしてスペインへ

■羊飼いの礼拝
 まず、『羊飼いの礼拝』という同じタイトルの作品が2つあるので、見比べて見て下さい。同じ画家が描いたと思えないほど、構成やタッチが異なっているように見えます。ひとつは、出身地のギリシャでイコンの親方としての修業を終えてイタリアに移ってヴェネチアでいわゆるヴェネチア絵画やルネサンスの作品に触れた当時の作品(上左図)、もう一つはスペインに移ってからの作品(上右ず)です。この2つを比べるとスペインにわたってからのグレコの作品の特徴が際立つように見えてきます。パッと見て、明らかな、一目瞭然なのは、スペインでの作品の色調の暗さ、そして縦長の画面構成、そして中身をみると、リアルな写実の描写が後退し幻想的な(前回の言い方でいえば見えないもの)場面が大半を占めていること。細かいところに突っ込んで行けばきりがないのですが、取敢えずは、このくらいに止めておきましょう。

スペイン時代の作品の色調の暗さは、陰影の深さということに置き換えてもいいでしょう。これは、聖堂のような(画面上方に聖堂の天上のようなアーチが描かれている)建物の中のようで、当然その中は薄暗い。というよりも、誕生した赤子のキリストから発せられる光輝が周囲の薄暗い闇を照らし出すという、一種のドラマを描くために、つまりは光を際立たせるために薄暗い色調にしているように見えます。もう少し穿ってみれば、キリストという存在が現われるまでも世界は闇であって、未だ赤子とはいえキリストが出現したことにより光が差してきたというドラマが読み取れるのでは、と妄想をしてしまいたくなります。それを強調させるためには、下からの光に照らし出されるように見えます。聖母マリアや聖ヨセフといったお決まりの登場人物たちは、イタリア時代の作品にそれらしく描き分けられているのに対して、こちらのスペイン時代の場合は、陰影の方を描きたいとしか思えないように人物というよりも光にてらされる物体のような感じです。それぞれの人物の顔の描き方は大雑把で表情も描き込まれていない。たんにそこに配置されているかのようで、人物のプロポーションも陰影を出しやすくするために恣意的に歪められているし、それぞれのポーズもお決まりのパターンなのでしょうが、そういう必然性よりも、陰影に映えるポーズ取りがされているように見えます。

しかし、こういう陰影をドラマチックに描くのならバロック絵画のお得意というのかカラバッジォをはじめ、それに秀でた画家が沢山いるはずです。スペインにとくに陰影を描き込むのに巧みな画家がいるはずです。例えば、ムリーリョ(右図)なども同じ題材を取り上げて、やはり、赤子のキリストから発せられる光にキリストを取り巻く人物たちが照らし出されるところを描いています。しかし、グレコのように暗くないのです。むしろ、赤子から発する光が画面全体を包み込むように暖かな光に充ちた誕生の喜びというのか、喜びの光に包まれた祝福という画面になっています。人々の描かれ方も自然というのか、現実の生活の中にいるようです。これが前回でカタログの解説で説明していた“絵筆による表現の可能性を「見えるもの」のみに求め、「見えないもの」であっても、それを地上世界の日常的な場面の一部として表わしていた。”ということでしょう。この見るとグレコの作品の特徴というのは、色調だけを取って見ても、他の作品とはかけ離れています。そこに強迫観念でもあるかのような超絶的というのか、現実離れしているというのか。でも、ちょっと考え見てほしいと思います。救世主の誕生(出現)というのは、そんなに日常的なことにしていいのでしょうか。キリスト教にしてみれば、そこから始まったということで、歴史に一度しかない奇蹟的なことです。それを日常の一場面としてだけ捉えていいのか、日常生活ではない超絶的で奇蹟的な瞬間ということであれば、日常正確では想像できないことであるはずで、それをそういうものとして普通ではない超常的と考えれば、風変わりとはいうもののグレコの作品のような現実世界がひっくり返ってしまうような世界もあながち不合理とは言えないのではないか、と考えてもいいのではないかと思います。とくに、教会としては奇蹟が起こったこと、普段とは違うものだということをプロパガンダするためには、グレコのような作品は有効な手段と考えたのではないか、と思ったりします。

そこに「見えないもの」として天使が舞う姿を現実の世界と同じところに描いているというように、前回のところでカタログの解説にありましたが、それは、こういう超絶的な瞬間には現実世界も幻想世界も境界が無くなってしまって、現実が幻想に、逆に幻想が現実にという、それこそが奇蹟というものではないか、と考えてもいいのではないか。そういう世界を描くのに、明るい、輪郭が明確に照らし出されるような画面には、どうしてもしにくい。幻想の見えない世界は、輪郭のくっきりしたリアルな現実世界と同じには描けないはずです。そうしたら、薄暗い世界の方が、しっかり描き込む必要はなくて、描きたくない、描けないものは暗がりに隠してしまえばいいわけです。そのような手法上の要請もあって画面全体の色調が決まっていったのかもしれない。そこで色調が決まれば、脅迫的な暗い色調の中で描かれる人物たちは、光り輝くキリストを除いて、それなりに存在していて、キリストの光に照らし出されることが第一となります。だから優先すべきは、そこに存在しているという存在感をはっきり描くことでしょう。それは物体としての存在と言ってもいいと思います。それこそが、この作品を教会で見る民衆がこの世でもあの世でもない描かれた世界と自分とをつなぐところであるはずですから。しかし、現実でもない、幻想でもないごっちゃな世界にいるとしたら普通の人間は、普通の状態でいることができるでしょうか。普通に考えて、パニック状態になってしまうのが自然です。だから、ここに普通の人間をリアルに描くことはしなかった。このような場合、この世界でキリストに帰依する存在ということだけがあればいいわけです。そこに人間らしい表情をいれてしまったら、この世界の中から浮き上がってしまう。そう考えれば、単に人に見えればいいわけです。人に見えるという最低条件を充たしていれば、この現実と幻想がごっちゃになった世界で、求められる機能を効果的に果たしていくためには、最低条件をクリアさせたうえで使いやすうように使ってしまえばいいわけです。その意味で、グレコの有名な宗教画に特徴的な人物の描かれ方は、それを手段として扱うことから必然的に導かれたのではないか、と思ってしまうのです。

このあと、同じ主題で展示がありますが、グレコ晩年に描かれた、同じ題材のものです(左図)。ここでは聖堂であることを示すものとか、そういうものが省略されて、暗い色調で、キリストを取りなく人物たちと天使がピックアップされて描かれています。ということは、さらに必要な要素だけを抽出して、抽象度の高い画面になっているということです。グレコに、そういう方向性が自覚的なあったのではないか、と思えるほどです。

このように、作品の目的を自覚して、必要なものだけを取り出して、そうでないものは削ぎ落としていくというのは、近代絵画のひとつの方法論にも近いものです。例えば、物体の存在感を画面に定着させるために、形態を捨てることを辞さなかったセザンヌのように。そこでは、従来の絵画を構成していたバランスも捨てられ、これを追求するのだということが追い求められた結果が、あのような作品を生み出したのではないかと思います。グレコの場合も、バランス感覚などという中途半端で折衷的な枠を取り払って、追求したが故に、同時代の画家たちに比べて突出した個性的な作品を生み出してしまったのではないか、と思ったりしました。

■受胎告知
  
 さっそく、展示されている2つの『受胎告知』を見ていきましょう。ひとつは、イタリア時代(左図左)に描かれ、もうひとつはスペインにわたってからの作品(左図右)だそうです。この二つの『受胎告知』も、前回に見た『羊飼いの礼拝』と同様かなり違っていて、グレコと言う画家の変遷を見ることができます。それで、思うのは、どうしてこれほど変えることができたのか。もしくは、変えなくてはならなかったのか。ということです。全く画風が変化しない画家はいません。経験を積めば技法は上達していくし、画家として成熟していけば、少しずつ変化があるのは当然です。同じような題材を取り上げる場合でも、多少趣向を変えたりして変化をつけていくものだとは、思います。例えば、彼の前の時代に活躍したラファエロは故郷のウルビーノ地方で修業に勤しんでいたころと、ローマに出てきて活躍を始めたときとでは、画風が大きく変わりました。しかし、これは修行中の画家が一人前に独立し成熟する過程と、地方の辺境から最先端の地域に出てきて全く異なる環境に適応させていかなければならないという事情から、ある程度必然性をもって受け入れられることができるものです。また、そこには、ラファエロという画家がグレコのような強く自己の個性を前面に出さないタイプの画家であることも、納得性を高めています。

そこで、グレコです。グレコと言う画家の描く絵画の風変わりさというのは、イタリア時代の『受胎告知』を見ても、同時代のイタリアの画家の作品(右図)とは大きく異なっているのが分かります。まして、スペインにわたってからの、今なら典型的なグレコの作品として見ているも『受胎告知』はきわだって奇妙な作品ではなかったか、と思います。これだけ、他の画家の作品と違った、いうなれば独立独歩のような制作をしているのに、イタリアとスペインは環境が違うから、それに合わせて作品も違ってくると言われても、もともと変わった作品を自らの個性として際立たせるグレコと言う画家には、何となくそぐわない気がしてしまうのです。それでは、画家自身の事情によるものなのでしょうか。技法の上で大きな変化があったとか、作品を見る目が、認識が大きく変わったとか、それは、私は研究者でもなく、グレコの熱狂的なファンでもないので、知る由もないことです。

実際のところ、旅というのが危険を伴うような時代に、生まれ故郷のギリシャから一つの先端的な中心地であるイタリアに移り、そこからさらに遠方のスペインにまで移動していったといのは、生半可なことでは出来ないことのはずです。そこには、強い動機があったと推測できるのは、当然とも言えます。動機として考えられるのは、プラスとマイナスの二つの方向があると思います。マイナスは、何らかの事情でそこにいられなくなる事情が生じたということ。典型的な例はトラブルに巻き込まれたとか、あるいはその地では商売にならなかったとか、そういうことです。グレコの作品と言うのは突出したと言っていいほど個性的です。だから見る人の反応は好きか嫌いかの極端に分れるはずで、嫌いな人が多ければ、当然絵の注文はなかなか取れない。そこで新天地を求めて、と言う動機です。また、プラスの動機としては、当時のイタリアはフランスとスペインという二大強国の進出を受けていたはずで、経済的な繁栄にも陰りが出てきた時期のばずで、これからの時代はスペインということを見越して、行動するということもあり得たのかもしれません。

言うまでもなく、当時の画家というのは、現代の芸術家というスタンスではなく、職人に近い地位だったはずです。顧客の注文があってはじめて絵を制作する。注文がないと商売にならない。芸術家などといってふんぞり返っているわけにはいかないわけです。したがって、注文を得るためには、顧客のニーズを知り、人々の好みに合って、しかも他の画家でない自分のところに注文してもらうためには、他の画家にないメリットがないと、なかなか同業者を出し抜いて売れっ子にはなれないわけです。

グレコの場合も例外ではなく、芸術家が自らのインスピレーションのままに描きたいように描くということはなく、人々からの注文を一つでも多く獲得するために、市場のニーズに合わせて行かなくとはならなかった。イタリアでは売れっ子だったヴェネチア派の画家たちを無視したもののニーズは薄かったのかもしれません。だいたい、裕福な市民というのは、君主と違って周りに追従するようなメンタリティを持っています。そこで、ここにあるような、ヴェネチア派の画家たちの描くものととかなの隔たりのあるようなものに注文する人は多いとは思えません。

しかし、そこで逆に思うのは、グレコと言う画家が、なぜに市場のニーズ適合するような作品を描かなかったのかという疑問も残ります。出来なかったということないと思います。あえて、しなかったのか。それとも、ニーズに似合った絵を描いていてもたかが知れていると思ったのか。一つ言えることは、展示されているイタリア時代の『受胎告知』を見ていると、ちぐはぐさ、座りの悪さのようなものを感じることは明らかです。明らかに画家は無理をしていることが感じられるので、グレコ自身がこの方向に進んでいくことには、あまり乗り気ではなかったのではないかと想像をめぐらすことは可能です。

例えば、鮮やかな原色に近い色をふんだんに使いながら、画面全体には抜けが悪い鈍い感じが漂っています。それは、要所でグレー系の濃い色を配して、受胎告知という祝福される場面であるはずなのに、陰りのようなものを忍び込ませているのです。告知を受けるマリアの顔を見ていると、祝福を受けているようには見えにくいところもあります。ルネサンス時代のダヴィンチやフラ・アンジェリコ(右図)の描いた神々しく透明で表情が窺えないマリアでもなく、後のスペイン・バロックのスルバランやムリーリョのような喜びに溢れたようなマリアでもない、グレコの、この作品からは戸惑っているとか、不安を感じているような暗い表情が見て取れてしまうのです。マリアの全身のポーズも決まりごとに従ってはいるのでしょうが、後ずさりしているというのか、逃げ腰のように、私には見えてしまいます。そこで原色にちかい鮮やかな色の衣装を着せられていることが逆に生々しさを感じさせて、ルネサンス時代の作品の清澄な神々しさの要素を意図的に排しているような印象すら抱いてしまうのです。だから、全体の印象は、どこか重く暗いものになってしまっていると私は思います。

そして、イタリア時代の作品について、私が違和感を感じた、これらの要素がスペインに渡った後の、グレコの典型的パターンでつくられた『受胎告知』ではしっくりはまるのも確かです。そう考えると、グレコという人は基本的には不器用な人で、色々試行錯誤を繰り返しても、このようにしか描けなかった。それでも、通用するところを求めて、流れ流れてはるかスペインにまで辿り着いたというストーリーが私にとっては、一番納得できるように思えます。

そう考えると、グレコの特異な作風というのは、奇を衒ったとか、芸術的方針で選択したとか、そういう浮ついたものではなくて、彼自身入れ以外にできなかったというギリギリのところで、そうせざるを得なかったものと考えられると思います。現代の評論家風にいえば、画家自身の実存をかけたものだった、と。このような考え方は、画家の生き方等と絡めて考えて天才という概念を生み出した近代ロマン主義的な芸術家という考え方に、きわめて適合性が高いと思います。魂の画家とかいう言い方に合ってしまったりして。そのようなイメージが、私がグレコと言う画家、あるいは作品に対して、どこか距離を置いている理由のような気がします。そういうイメージに対しては、私は眉に唾をつけたくなる心性の持ち主だからです。

私が、イタリア時代のグレコの『受胎告知』を見て感じた違和感として、前回書かなかったことがあります。それは、グレコと言う人は、空間ということをあまり考えない人ではないかということです。画面が平面的で奥行を感じることが無いのです。実際に作品を見てみると、床が幾何学タイルになっていて、透視図法になっていることは分かるのですが、じゃあ画面全体がされに則って遠近法的の空間を構成しているかというと、そういう描かれ方がされているようには、見えません。床の幾何学タイルは、たんにそういう模様であるとしか見えません。そして、奥行のない真っ平らな平面の上に、マリアと天使が野っている。いわば同格となっています。以前、カタログの解説で見えるものと見えないものを同じ画面で同居させているとグレコの特徴を指摘していましたが、この作品を見ると、ひとつの平面の上に、あらゆる要素が並べられていると言った感じです。それは、例えば、幼稚園児の昨日遠足で行った動物園のお絵かきをしましょうといったら、画用紙にクレヨンで、自分とママとお友達とライオンや象が手をつないで並んで立っているお絵かきをする子がいるのと同じようなものではないかと思います。グレコというひとは、そういう見方をするように、私には思います。イタリアの絵画では当然といえる、三次元を平面である二次元に移し替えるという視点、それを前提にして書き割りとか、あるいは人を物体として捉えるとか、そういう視点がグレコの絵には希薄です。

そういう視点が画面構成を構築していくからこそ、スペイン時代のような、解説のいう“神秘主義的”な『受胎告知』の構成が可能になったのではないか、と思います。この作品の平面には、マリアも天使も雲もひかりも、たんに並列されています。これは、先ほどの幼児のお絵かきと本質的に変わらない。もうひとつ身近な例をいえば、まんがと言う表現をみると、例えば、ストーリーの中で登場人物が実際に話すセリフと、声として外に出てこない人物の思いのような内面の声、あるいは状況を客観的に説明するようなト書きのような言葉が、それぞれの文法はあるのでしょうが、一つの平面に同じように並べられています。そこには、実際に耳で聞き取れるものともそうでないものを峻別するという、視点は限りなく希薄です。

だから、スペイン時代の『受胎告知』を見ていると、神秘主義的というような思想上のことではなくて、画面に思いついたものをあれもこれもと入れて(だって、見えるものと見えないものとを区別するという視点ではないのだから)、それらを限られたスペースの中でパズルのように最適な納まりの良いように並べて見た結果だったように見えてしまいます。思いついた要素をあとからあとからぶち込んで、あとは何とかできる限り整理して見せた。しかし、ゴチャゴチャした感じは抜け切れない。しかし、それが逆に、それぞれの部分が画面からはみ出してしまうような、それぞれが仮面上の存在を競い合うような、迫力を生み出しているのです。それが過剰感というのか、仮面からエナジーを放射するような力強さを生み出しています。これは、幾何学的に整理されたイタリア人画家の作品からはついぞ感じられないものです。

それが全体に暗いグレーを基調として各々の要素のつなぎは陰影深く彩られていると、異様な感じがするほど暗さが突出して来るのです。このような異様さ、日常的な世界とは全く異質な世界が展開されるという点においては、グレコの右に出る画家はいないのではないか。そこに、当時の人々は超俗的なものを強く感じ取れたのではないかと思います。時代を見れば、カトリック教会に対して、ルターをはじめとしたプロテスタントが異議申し立てで対抗させて、教会の存立が危機にさらされている時代、信仰に人々をつなぎ留めなくてはならないという危機感がカトリック教会に強かった。当時のスペインからのドミニコ会という異端審問官を多数輩出させる峻烈な修道会が生まれ、イエズス会という軍隊のような修道会もでてくるという反宗教改革の根城でもあったわけで、そのお膝元として、強い地盤固めが行われたわけです。そのときに、異様な迫力をもったグレコの『受胎告知』のような作品、ここに描かれている登場人物は、マリアとお告げの天使(ミカエル)を別にして絶叫しているようにも見えてきます。そういう強烈さというのは、グレコは意図していたとは言えないでしょうが、そういう時代のハイテンションな空気にマッチしたと想像してしまいます。

この時代には、ドイツで30年戦争が始まり、宗教の名のもとに、庶民をも巻き込んだ根こそぎの殺戮が起こります。そこでは、グリューネバルトの描く凄惨なキリスト像(右図)やハインリッヒ・シュッツの甘美なメロディを封印したマタイ受難曲のような峻烈で異様な表現が生まれましたが、グレコの作品も、そのつらなりで考えると、当時の人々に受け入れられる要素がたぶん強かったと思います。しかし、先に例として挙げた諸作が後世にはそのまま伝わらず、長く忘れ去られたのと同じように、グレコの作品も画家の死後に急速に忘れられてしまいます。それは、そういう異様な時代の記憶とともに、人々に無意識のうちに封印されていったのではないか。

それは、後の時代、第一次世界大戦という戦闘員も非戦闘員の区別なく皆殺しの殺戮が広大な地域で展開され、人々が不安と恐怖に陥れられ、世紀末を引きずった異様な芸術が出現したような時代に改めて再発見されたということですから。グレコを再発見した人の中には、近代絵画の中でも、ことさらに不安や不安定な感情を論ったような作品が多数発表された影響がないとは言えないと思います。

例えば、グレコ独特の粗い筆遣いやひょろ長い人物表現は、表面的には、近代の安定な人間の描き方とよく似ているではありませんか。エゴン・シーレの描く骨と皮だけの自画像やムンクの描く幽霊のような人々。こじつけかもしれないかもしれませんが、似ていると思います。そういう空気の中で再び見出されたということは、後付けのこじつけかもしれませんが、あるいは、のちのゴヤの晩年の版画作品が生まれるようなスペインという土地と時代の要請と、グレコの奇妙な個性がうまくはまった一時期があったのではないか。それを偶然にか、何か運命のようなものに引っ張られて(何か小説みたいな書き方です)スペインという地に導かれていったと想像を逞しくして、後世の鑑賞者としては楽しむことができるのではないでしょうか。

肝腎の『受胎告知』という作品そのものについて、あまり語らずに、周辺の物語ばかり語ってしまっています。もともと、私の志向性がそういうところにあり、絵画のことを語る際にはできるだけ禁欲しているつもりですが、グレコと言う画家は物語を語りやすいタイプの画家のようです。展示は、この『受胎告知』のあたりから、核心部、いわば最盛期のグレコといえばこう、というイメージの作品が量産される時期の展示に入ります。そこで、実際の作品を禁欲的に語って行きたいと思います。 

 

V  トレドでの宗教画:説話と祈り

おそらく、今回の展覧会コンセプトとしては、このコーナーがまとめとなるのではないかと思います。その割には、展示されている作品が少ないと言うか、貧弱のような気がしますが。カタログや展示解説では、こう述べられています。

エル・グレコは肖像に描いた周囲の人々のみならず、数多くの聖人を祈念像として身近な場面の中に表わした。その表現は、彼の確固たる考えに基づくのであろう。エル・グレコは、崇高ながらも時に観者を見つめ返し、その視線に応えるほどに親しみ易い半身の聖人像を生み出した。彼らは我々と同じ身体を持つ人間として、それぞれに身ぶりや個性を与えられている。つまり、エル・グレコは、それまでの冷ややかで格式ばった、よそよそしい聖人像に生命を吹き込んだのである。一方、宗教主題の中には説話を伝えるものもあり、そのため複雑になることもあった。エル・グレコは、聖書の物語を実際に起こり得たように、その光景を思い浮かべて描いている。従って奇跡のシーンは場合により、その舞台である地上世界と混在することになった。というのも「神聖なるもの」は顕現の際、摂理により肉体や空間の概念、つまり地上的な現実を覆したに違いないからである、それゆえに「みえないもの」は「見えるもの」の一部となったのである。

論文みたいに難しげに書かれていますが、要は、この美術展で生き生きとした人物像の肖像画を描いたグレコは、その技法で宗教画でも聖人たちだって人間なのだからと、今、目の前にいる人のように描いてみせた。しかし、聖人は普通の人ではないから聖人なのであり、それを表わすには、聖書に記された奇跡とか説話といったストーリーがどうしても必要になって来るので、それを巧みに描き込むことで特別な人であることが、分かるように、その際に、グレコが導入したのが、物語に書かれていた、実際に現実にあり得ないことを現実の日常の場面の中に入れ込んでしまうことだった。画家は目で見たことを描くという特性から、「見えないこと」と「見えること」ことを一緒に描くという新たな表現方法に結実したということでしょうか。そういうように確立した手法を駆使することをギリシャからイタリアを経た遍歴の上に、スペインに落ち着いたことで成熟を迎え、宗教的な作品を工房を構えて次々と世に送り出していくことになった。

その時に、この解説に書かれている手法というのは、これを見る人々がリアルに自分のこととして実感し、カトリック信仰に危機感があった時代状況ということからも人々を信仰につなぎとめるといういともあったことだろうから、単に聖人や聖書の説話が分かるというだけにとどまらず、人々を祈りに引っ張ってこないといけないわけで、そのためのものとしてグレコの働きか期待されていたと思います。そして、グレコはされに応える作品を送り出した。ということではないかと思います。

手始めに、『瞑想する聖フランチェスコと修道士レオ』(左図)を見てみましょう。言うまでもなく、アッシジの聖フランチェスコは「小さき花」や清貧をモットーとするフランチェスコ会という修道会を始めたということ等あってカトリック聖者のなかで、もっとも親しまれ人気のある聖人です。それを題材とした聖人画です。“画面全体を覆っている茶褐色のモノクロームの色彩は、聖人が隠棲したアルヴェルナ山の小さな洞窟の内部を想起させつつ、観者の精神を内省へと導き、ひいては画中の聖人たちを手本とする深い瞑想の世界へと誘う。粗末な僧衣に痩せ細った小さな身体を包み込んで聖人は細い指で注意深く手のひらに支え持った頭蓋骨を凝視しながら死への瞑想に耽っている。頭蓋骨は本作の精神的な焦点として画面のほぼ中心で光に照らし出されており、この作品は聖人たちに倣ってこの頭蓋骨を見よ、そして死を想えと、瞑想と悔悛の実践を観者に促している”というように解説に説明されています。左下で跪く修道士は顔が描き込まれておらず、聖フランチェスコの顔は瞑想しているような静けさを湛え、身体は覆っている僧衣が毛羽立つように描かれているため輪郭がぼやけ、明確な輪郭線が見分けられず、灰色の僧衣と茶褐色の背景とが溶け合うように見えて、神秘的で瞑想的な雰囲気があります。そこでは、グレコ独特の粗っぽい筆遣いが画面の雰囲気にマッチしているように見えます。この作品は銅版画にされ広く人々に出回ったということです。たしかに、親しみ易いといえば、そうかもしれません。後世のカラバッジォ(右図)の描く聖フランチェスコの峻烈さはここにはなく、瞑想的な静けさが漂っています。そこには、ひとつの意図が透けて見えるようにも思えます。

次に『聖衣剥奪』というのは、兵士たちに衣服を剥ぎ取られるキリストの受難の場面を描いているもので、展示されているのは、トレド大聖堂に飾られているものを晩年にレプリカとして制作されたものだそうです。そのため仕上げは雑になっています。しかし、その方が却ってグレコの特徴を良く出しているのかもしれません。ここでのキリストは特別な存在として際立たせて描かれていない。というのも、人々の中では、ワンオブゼムになっています。宙に浮いているわけでもない、光輝に包まれているわけでもなく、他の人より大きく描かれているわけでもない。かろうじてキリストと分かるのは、それらしい顔かたちと一人だけ赤い衣を身に着けている(兵士の軍服を着ていないこと。この軍服は古代のではなく、描かれた当時の甲冑や軍服のようです)。そして、顔の表情が、他の兵士たちが興奮して感情を露わにしているのに対して、キリスト一人だけが穏やかな表情を湛えて上(天)を向いていることです。キリストは兵士たちから難を受けながら、かれらの方を見るでもなく、下方に俯くでもなく、天を見ている。そして画中で上方に顔を向けているのはキリストだけです。これらのことは、ここで言葉にすれば、そうだということかもしれませんが、実際に絵を見てみれば、それほど目立つことではありません、しかし、見る人は一目でキリストと分かる。そういうように描かられています。しかし、特徴的なことは、キリストもそうですが、それ以上に周囲の兵士たちです。彼らはキリストと同じような存在感を持っているのです。背景として一歩退いているわけではないのです。だから画面には、様々な人々が満ち溢れエネルギーに満ち満ちているかのようです。展示されているものはレプリカで小さなサイズですが、ほんものの聖堂内の壁面を飾る大画面で見た場合には、満ち溢れるエネルギーに圧倒されるのではないかと思います。それらが粗いタッチでグレコの肖像画に見られるような生き生きとした人物たちが群像としてキリストに迫ってきているというわけです。これは、適切に喩えではありませんが、1970年代の日本映画に『仁義なき戦い』というやくざ映画がありました。深作欣二が監督した映画ですが、それまでの映画の常識を破って主役級の俳優が演技をしているところに端役の無名俳優が遠慮なく絡んでいきます。伝統的な映画では主役が目立たないといけないのですが、やくざのチンピラを演じている端役たちが本来なら主役の位置すべきスクリーンの真ん中の目立つ位置を取り合う競争を始めます。そうすると、主役級の看板俳優たちも、自分が霞んでしまう。映画の物語は太平洋戦争後の焼け跡の中で旧来の秩序が崩壊し、新興のやくざがのし上がっていくストリーリーですが、その画面での目立ちたがりの競争が新旧のやくざの存在をかけた抗争に擬せられて、凄まじい迫力に漲っていた作品となっていました。いわば、それまでの映画の転倒的な予定調和をぶち壊した作品になっていました。話を戻しますが、『聖衣剥奪』に描かれた兵士という群衆には、そういう迫力があります。それは、歴史画で背景として描かれた群衆にはない生々しさで、もしかしたらグレコは絵画の世界で群衆を発見したと言えるのかもしれません。群衆の背後に林立する槍は、単なるデザインを超えた生々しい迫力を放っています。また、映画の話に脱線しますが、光学カメラというのは焦点を一点に絞ってピントを合わせます。だから、画面の中心に主役宅の俳優とか、とにかく映したいものを持ってきて、その周囲は焦点が段々とボケて行きますから背景としていくわけです。これは光学カメラの機能上の条件でもあるわけですが、そういう枠組み、視野の作り方は西洋絵画の遠近法の作り方そのものです。しかし、パンフォーカスというピントを解放するという特殊な技法で、画面全部にピントが合ってしまう技法があります。ただし、これは一瞬の偶然の結果のようなもので、何時も出来るとは限らない技法です。例えば、黒沢明の「椿三十郎」の最初のところで、主人公の三船敏郎が潜んでいるお堂の観音開きの扉をパッと開けて敵方の前に登場するシーンがありますが、そのとき三船敏郎の背後のお堂の内部が暗がりであるにもかかわらず、隅から隅までピントが合っていてくっきりと隠れている加山雄三たちの姿が見えるのは、そのパンフォーカスの効果です。多分、こんな神業のような撮影がさりげなくできるカメラマンはいないでしょう。淋しいことです。さて、そのような中でも、キリストが霞まないで静謐さが際立っているわけです。これこそ、日常の現実の中に神秘的な見えないものが一緒に描き込まれている例として考えてもいいと思います。それは、グレコの写実を追求しない、見えるものだけを忠実に描くと言うことをしないことから、背景を緻密に描き込まないことから可能になっていると思います。というのも、キリストが他の群集と違うことを描き込んでいく一方で、直接、キリストに画面上で重なるし人は1名にとどめておいて、それ以外の人々との間には巧みに黒く塗った空間を配して、微妙に区分していることです。そして、私には、展示の順番から思ったことなのかもしれないのですが、前にあげた聖フランチェスコとキリストの表情が重なってみえます。聖フランチェスコは俯いていますし、キリストは天上を見ているという大きな違いはあるのですが、グレコは聖人やキリスト、マリアといったモチーフを一般の人々とは違ったように描く方法を、それ以前の画家たちとは違った方法を持っていたのかもしれません。

そういう描き方で集中して描いたのが『十字架のキリスト』であると思います。“黒雲に覆われた不穏な空を背景に、十字架に磔にされたキリストが画面の最前線に配されている。キリストの体は細く引き伸ばされ、腰の部分を大きくひねった典型的な蛇状人体を示し、目を見開き、向って左上方に顔を向けている。ここでエル・グレコは、頭を垂れた死せるキリストに背を向けている。エル・グレコのキリストは肉体的苦痛を超越した法悦の表情を見せ、受難の痛ましい表現は避けられ、血、感情、苦悩の表出は最小限に止められている。エル・グレコは写実的描写を超えて、身体に内在する、その形態の比例に根差す美、それを優美さと画家は呼ぶ、を外在化させる。下から見上げられたキリストを最前線に孤立させて配した構図は、見る者に人類の贖罪と救済についての瞑想に誘う宗教的機能を十分に果たしたに違いない。”

実際のところ、前の『聖衣剥奪』からキリストだけを取り出したら、こうなるのかと言う作品です。この解説を読んでいただいても分かるように、これは単に見られると言うだけにとどまらず、特定の宗教的感情を呼び起こす働きを期待されて注文されたものと考えてもいいのではないかと思います。『聖衣剥奪』と同じように暗い背景、引き伸ばされたからだとぼんやりした輪郭、そして粗い筆遣いによって、キリストの肉体が物として実在感とか重量をほとんど感じさせません。それは、キリストの受難をキリストに絞り、周囲の人間を画面から切り捨てることで、キリストにおこったドラマとして見ることを可能とします。それは、日常の現実の物質的な生活ではなく、キリストの内面に近いドラマ、受難を受けたキリストが人間の原罪を背負って上方の神と対話をしているかのようなドラマです。だから、他の人物はいらないし、背後の風景も無い方がいい。ただし、この絵を人々が見るわけですから、その見ている人々とは無縁の周長的な内面世界だったら人々に作用しないし、見ようともしないでしょう。だから、グレコは見えないものを見えるものとして描こうと、現実を少しずらして彼に特徴的な描き方で実在の事件のように十字架のキリストだけに焦点を合わせて絵画としたのではないかと、想像しました。しかも、個人に与えるインパクトがあるという点では肖像画の描き方は、個人的な次元で影響力があるでしょう。その意味で、肖像画のような描き方で、約1m×60pという大きくないサイズの作品にしたのではないかと思います。今回の目玉は『無原罪のお宿り』という大作ですが、エル・グレコという画家の真骨頂は、そういう大作である一方で、このような小品でこそ際立っているのではないか、といのうが、今回の展示を見ていて感じました。そのいみで、このコーナーがまとめではないかと思ったわけです。

 

W  近代芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として

『無原罪のお宿り』を見ていきたいと思います。今回のグレコ展では展示されていた『受胎告知』『聖衣剥奪』といったグレコの有名な作品の中でも、有名な同主題の作品の習作か、後年に再制作されたもので、サイズが小さかったり、イマイチ気合が入っていなかったり(中にはアリアリ!)というものもありましたが、これは正真正銘のものです。絵を鑑定するとか、そういう人ではないので、私はあまり気にする方でもなく、レプリカだからどうだということを気にするタイプの人ではないのですが、一部で、塗りがいかにもぞんざいなのが明らかなのを見ると興ざめというのも、慥かになかったわけではありません。もっとも、私なぞは、「グレコの絵」だと示されれば、それが偽物であったとしても、それをそんなものだと信じて、あれこれと想像をめぐらして遊んでしまうので、このように感想なぞを書き連ねているのも、実はグレコの絵画作品がどうこうというよりも、それらしきものを見ている自分を書きたいのかもしれません。といった、メタ・レベルの戯れには、あまり深入りしないで、作品について思ったことを書きつづっていきます。

グレコっていうと、黒っぽくて、全体がぐにゃぐにゃで、とくに人物が蛇みたいに引き伸ばされて…という印象を持たれていると思いますが、まさにその典型、特徴テンコ盛りの作品です。トレドのオパーリュ礼拝堂の壁の壁龕に飾られるために制作されたものだということです。つまり、礼拝堂の高い天井と壁面を見上げ視線を意識して意図的に構図や構成が考えられているということです。

“オバーリュ礼拝堂は、その建築構造が絵画における人物配置や構図と一体と化している。祭壇を最上部にまで拡大する代わりに設けられた窓は、『無原罪のお宿り』中の光の表現の一部となり、聖霊を表す鳩はこの自然の光源から飛んできたかのように見える。画面左下に見える、トレドの町のランドマークは、マリアの隠喩としての神の都市を象徴する。最前線に描かれた、聖母の純潔を象徴するバラとユリは、この作品のすぐ下に本来置かれたはずの祭壇を飾る花であるかのようだ。マリアの蛇のように曲がりくねった人体は、まるで観者が彼女の目の前に移動して見ているかのように、多様にして複雑な視点が設定されている。そして極端な短縮法で描かれた天使の翼がその効果を増大させている。観者が動いたとしても、V字型に開いた翼は常にその頂点を見せ、天使がその軸を中心に常に回転しているかのような効果をもたらしている。エル・グレコは、大胆な構図を用いて生き生きと「動く」絵画の彫刻的な可能性を示し、ダイナミックであるべき芸術殺品の静的な理解を否定した。あたかも実在するかのような、運動するヴィジョンを絵画に求めたのである。そして、現実の環境と絵画芸術が相互に浸透し合う可能性を新たなアイディア、仮説として提示した。つまり、絵画が自然の一部になるのと同様、自然が芸術表現の一部になる、というわけである。”

長い引用になりましたが、最後の考察はちょっと蛇足に感じられたのを除いて、この作品が描かれた意図が説明されていると思います。縦長の構図は作品が飾られた上にある窓の光源に向けて人々の視線を上へ上へとリードしていくように、そして、作品を人々が見上げることを前提に、下から見上げるような視線を意識して描かれている。そのため、下からの視線でそれらしく見えるために縦長に描くと、人間はひょろ長くなってしまうわけです。それを後世になって、真横から鑑賞することになれば、下からみられて寸詰まりにならないように描かれていたのが、ひょろ長く見えてしまうというわけです。くねくねしたように全体になっているのは、人々の視線を上を導くための動きを誘発することと、画面全体にダイナミックな動きを与える効果を生み出している、ということでしょう。人物(ここではマリア)が最大の優美さ生命感を持ち得るのは動いていると見えることであるとして、この動きをキャンバスの上で表わすために、ろうそくの炎のゆらめきのような、ゆらゆらと揺れて上に昇って行くさまを参考に、上昇気流のように螺旋を描いて上昇していく構図となったということでしょうか。

そこに、現ある物を写す、というのではなく、描くからこそできるもの、描かれたものが現にあることになるという、見えるものと見えないものの境界を限りなく曖昧にしていく、グレコの認識がよくうかがえるものとなっていると思います。

しかし、そこで少し立ち止まって考えてみたいと思います。そもそも無原罪のお宿りというのは、イエスとその聖母であるマリアはアダムとイブ以来の原罪であるセックスを経ずに神の恵みの特別な計らいで生まれた、つまり原罪を免れていたという教義です。人間は生まれながらにして原罪を背負っているもので、それを溶くのは神の愛でしかない。しかし、聖母マリアはその原罪すら背負わない純粋で清らかな姿で生まれた、という、いうなればキリスト、マリアの清浄さを強調するような教義です。それをグレコの、この作品はこれほどダイナミックでドラマチックに仕上げる必要があったのでしょうか。というのが根本的な疑問です。今回の展示でも、グレコの別の『無原罪のお宿り』(左図)が展示されていましたが、むしろ、これとは違って、淡く明るい色彩で、落ち着いた感じの作品で、清浄さというなら、むしろこちらの方に感じられると思いました。

同じ題材を扱った他の画家の作品でも、例えばスペインではムリーリョ(右上図)やスルバランの著名な作品がありますが、それらを見ていただくと、グレコのこの作品のようなものとは正反対の、静的で淡い色彩の落ち着いた作品になっています。

では、どうしてグレコだけ、このようなユニークな『無原罪のお宿り』を制作したのか、それには、グレコだから、と答えるしかないのかもしれません。これは答えになっていませんね。でも、このようにえがいてしまうのが、ぐれこという画家で、それを好ましいと思うか、変だと思うかで、グレコ画家を好むかどうかの分岐点になるのではないか、と思います。それが、絵画鑑賞の愛好者としての私の正直な感想です。私自身、これまで、グレコの作品の特徴等に関して、現代の私を取り巻く環境に引き寄せて、それなりに(強引に)考えてきましたが、どうしても。この一点だけは、自分なりに納得することができませんでした。それが、私とグレコの作品との間にある一つの隙間のようなもので、それは結局、今回の展示を見た限りでは埋めることはできなかったというのが、今回の最終的な感想です。



 

 
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