エル・グレコ展 |
2013年2月22日(金) 東京都美術館
多分、この文章をネットで検索して辿り着いて目にするような人は、グレコがどういう画家かという予備知識を十分に持ち合わせていると思うので、余計な紹介のようなことはせずに、私のグレコ展の個人的な感想を綴っていきたいと思います。 私は、元々写実的な絵画よりも、画家が何らかの作為を加えた絵画作品が好きで、その画家の加えた作為を自分なりに想像して追体験するというような観方をしています。とはいっても、その追体験とやらが画家が事実そうしたかということには、あまり頓着せず、自分がそう思って作品から見てとれる世界の創り方とか、そんなことをあれこれ解釈していくのが好みです。だから、そこにあるそのままを描いた(実際に、そんなことは不可能なのですが)ような作品には、概して面白みを感じられません。例えば、そういう要素を敢えて意図的に排除するようなポーズをとっている印象派の画家たちの作品などが、その典型です。そのような作品に比べるとグレコの描いた作品というのは、人が一般的に感じる写実とは明らかに違う独特な作品を描いていると思います。しかし、どこか不可解さと不自然さ(意図を加えているので、不自然なのは当然なのですが)というのか、わざとらしさ(これも貶す言葉ではないのですが)に、何となく違和感というようにものを生理的に感じていて、積極的に見たいと思えない画家でした。だったら、なんでわざわざグレコ展に出掛けていったのか、と問われればそれだけの話です。また、弁解がましくなりますが、マニエリスムやバロックの画家を嫌いではないのです。最初に言いましたが、人為的な作為を加えて、その作為や意図を愛でるというところが、カラバッジォやポントルモなどといった画家を比較的好んでもいるわけです。でも、何というか私の個人的な印象ですが、決定的にこれらの画家とグレコが違うような気がするのです。それが、グレコと言う画家に対して、私が感じている違和感なのではないかと思います。それは、美術史家が指摘していることですが、グレコの宗教画の特徴は聖堂でこれを見る人が祈りを捧げることを意図しているため。つまり、祈りの気持ちを喚起するために描かれているということです。ということは、言ってみればプロパガンダです。今回のグレコ展の目玉として展覧会チラシでも大々的にフィーチャーされている「無原罪のお宿り」にしても機能面でいえば、例えば北朝鮮の報道でテレビ画面に映る体制のプロパガンダ用の、こっちから見ればアナクロにしか映らない指導者をヒーローに仕立てたような画像と同質的なものだということです。比較は適切ではないかもとれませんが、その辺りに違和感を感じているかもしれません。ポントルモの作品を観ていると、注文に従って描いているのでしょうけれど、そこにポントルモ自身がそのように描かざるを得ないような物語を想像させるところがあるのですが、「無原罪のお宿り」にはそういうグレコが私には発見できないのです。プロパガンダには作者の主体性は邪魔になりますから。 もう一点は、スペインとイタリアの風土の違いということです。これは、私の中途半端な歴史と地理の知識から想像していることで、事実がどうか証拠を見せろと言われれば答えられないことです。私の中では、取敢えず納得できることではあるので、話半分で聞いてほしいと思います。当時のイタリアとスペインの豊かさの違いと中世が残っている度合いの違いということです。当時のイタリアは地中海交易の中継点として商業が発展し、金融の中心地としてもフィレンツェやヴェネチア、ジェノヴァあるいはミラノ等の都市が栄えていました。その中で豊かになった都市で市民階級の萌芽がみられ農業に依存した封建貴族に代わって台頭しつつあったという情況です。そのなかで、従来の経済的には停滞を前提した自給自足を原則にしたような中世の文化に対してルネサンスの文化が花開いたというのが教科書的な理解です。あまりスペースがないので、このような書き方が本当に適当かどうかということは、とりあえず脇に置いて比較のために議論を単純化します。そこには中世の文化の祈りの感情、どちらかという現世というよりは来世を見通すような視線が強いものから、現世をポジティブに見ようという視線が生まれた。そこにルネサンスの中世とは違った明るさのようなものが、例えば中世のイコンとダヴィンチの聖母マリアを描いた絵画を見比べると明らかに違います。 これに対して、スペインはイタリアに比べれば広大な国家ですが、国土の大半は岩山で農業に適したのはごく一部で、イタリアのような交易で栄えるということもなく、もともと豊かな国とは言えなかった。まして、直前までイベリア半島の半分以上をイスラムに支配され(イスラムの支配は繁栄をもたらしましたといいますが、後のスペインがそれを継承できたかは疑問です)ていたのをレコンキスタの長期にわたる戦いで取り返した、とはいっても、その戦いで国土は荒れ果て、イタリアと違って庶民が豊かさを背景に自立台頭してくるというのとは逆に惨状にあったのではないか、という状況だったと思います。だからこそ、スペイン国王はイタリアの征服を考えたり、大西洋の向こう側の新大陸という大きなリスクに賭けざるを得なかったのではないかと思います。実際に、スペインが新大陸を植民地として繁栄していたと言われでいますが、実際は王家は借金まみれで折角新大陸から強奪した富を借金のかたにイタリアやドイツに取られてしまって、富の蓄積ができず首都であるマドリードは貧困から脱出できなかったといいます。だから、庶民にはイタリアのルネサンスのようなことは殆どなく、中世が続いていたと考えてもいいのではないかと思います。カトリック教会に目を転じてみても、イタリアのカトリック教会は世俗化が進んで教養豊かな俗物のような人物が教皇になったりしますし、教会が芸術の庇護者となったりしますが、スペインのカトリックと言うとドミニコ会とかイエズス会というような反宗教改革、あるいは異端審問というような苛烈なイメージが強いのは、私の印象だけでしょうか。それだけ中世のカトリック信仰の残滓が濃厚だったのでは。そこで、民衆に祈りを喚起させる絵画がどういうものかと言えば、はたしてイタリアのルネサンスの明るい現世肯定的なものが、市民が独自に注文するような絵画が好ましいのか、と考えた時に、グレコは最初はギリシャでイコンの修行をしているという事実です。今回の展示の中にも、彼が描いたイコンがありました。かといって、中世そのままではない。おそらく、注文主は貴族だったり教会の上位聖職者なわけですから、ルネサンスには取り敢えず触れているので、中世そのままというのでは、もはや受け入れられない。ということで、グレコの絵画というのは、イコンを当世風にアレンジしたものとして、貴族や僧侶のような当地の上流階級にも、教会で作品に祈りを捧げる庶民の両方にも受け入れることができた折衷的なものとして受け取られたのではないか。そう考えれば、「無原罪のお宿り」の現実の空間の感覚とはかけ離れた画面構成や人間としての個性とか実在感の希薄なキャラクターピースのような人物の描き方とか、パターン化されたようなまるでコスプレのような衣装への色遣いなども、イコンの様式性を当て嵌めたと考えれば、それなりに納得できます。イコンはもともと写実性など求めてもいないわけですから、想像の世界を描き、それを人々にそういうものだと受け入れさせるには格好の方法だったのかもしれません。それをうまく使いこなし、聖堂という建築物に飾るということに適した描き方をしたところにグレコという画家が当時受けた原因があるのではないかと思います。それと同じ理由で、ギリシャからイタリアに行って、そこに落ち着かずにスペインに流れてきたのも、そういう画風はイタリアでは受け入れにくかったのではないかと想像します。
Ⅰ-1
肖像画家エル・グレコ
そして、肖像画の依頼者は、かなりの満足感を得られたのではないかと思います。というのも、彼が描いたのは貴族や王族というよりは、力を持ち始めたブルジョワや専門の技術をもった人びとだったからです。たぶん当時の肖像画では未開拓の市場で、上昇機運にあった人々を伝統的な手法に新しさを加えて、彼らの上昇カーブにある躍動感のようなものを画面に捉えて定着させているように見えるグレコの肖像画は、マーケティングでいえば成長分野への効果的な投資たったと言えるのではないかと思います。
そういうことに対して、視覚の優位により、見た目を重視して絵画に写し取ろうとした革命家としてダ=ヴィンチをみるという見方があるのも事実です。そして、こういう神の意志などというものを切り捨てることができたからこそ、近代の自然科学が後に発展していくことになるのも事実です。彼の後の画家と言うのは、実際のところそういう偉大なダ=ヴィンチのパラダイムの基でものを見るということになって行きます、ラファエルなんかは典型だし、マニエリスムの画家たちもいったんそういう形態を明確に描くということからは逃れられなくなります。 それはそれでいいのです。しかし、人間と言うのは、それで満足できるでしょうか。あることに過剰に意味を求めてしまうところが人間には一方であるのです。例えば、今、私のいる部屋で立てかけてある写真スタンドが地震も風のないのにパタンと倒れたりすると、何か胸騒ぎを覚えるのも人間なのです。それを単に写真スタンドが倒れただけだと割り切るもできるでしょうが、写真の人物に何かあったのではないかと心配してしまうのも人間なのです。それは、絵画で言えば、人物の生命感とかオーラのようなもの、目に見えるかたちになって現われることのないものを描くということをするかしないか、ということにも通じると思います。極端な決めつけかもしれませんが、ダ=ヴィンチはそのようなものを積極的に追及することはしないと思います。それとは正反対に、そっちを追い求める人があってもいいのではないか。そういう画家としてグレコを見ることができのではないか、というのが一連の肖像画を見て得た印象なのです。そして、そういう目に見えないものを絵画で追い求めた近代以降の画家たちとの接点がそこにあるのではないか、とグレコを考え直すきっかけともなりました。それは、この後、それぞれの作品を見ながら具体的に考えてみたいと思います。
Ⅰ-2 肖像画としての聖人像
同じような肖像画のパターンを取っているのにもかかわらず、様相はガラッと一変します。説明では“エル・グレコはカトリック教会の聖人を単独像で表わす際も肖像画の技術を適用し、独立した半身像または4分の3身像として表わした。したがって、彼らは物理的に観者の近くに描かれ、その結果、聖書の物語に出演しているというよりも、同時代人が肖像画を描かれるためにポーズをとっているがごとく表わされる。”としてもその描き方については、“肖像画の人物たちと同様、聖人たちは必要最低限の動きとジェスチュアだけを伴い、彼らが生きている存在であり、一つの個性を持った一人の人間であることを知らしめている。彼らは単に誰か一個人の肖像というよりも類型的な肖像として表わされており、それを示すために、同じ顔立ちの繰り返しや、マグダラのマリアの香油壷や聖パウロの大剣といったキリストの生と死に敬意を表す象徴的なしるしの存在が役立っている。”
ただし、そうなると特徴的なところだけがピックアップされることになりますから、本来はそれを支えるベーシックなところが徐々に等閑にされて来る。全体の調和の中で、スパイスとして利いていた特徴的な要素が、他人の手でらしく描かれることで、そういう目立つところが強調されて来る。そうすると、顧客の方は、グレコの絵とはそういうものだ、だんだん認識するようになってくる。そうすると、グレコ本人も、そのニーズに応えなければならなくなる。こじつけと思われても仕方がないともいますが、ここで展示されている聖人たちの肖像を、前回の肖像画と見比べていると、そういうストーリーをどうしても想像してしまうのです。そして、そういう画家の手を離れて独り歩きしはじめたグレコというトレードマークを、画家が意識して使いまわすことができるようになったとき、宗教画の大作の、あの臭い作品が可能になったのではないか、と想像を飛躍させてしまうのです。これについては、また、後の回で見て行きたいと思います。
Ⅰ-3
見えるものと見えないもの
“見えるものと見えないもの”などというと哲学書のタイトルを思い出してしまうのですが(この美術展を企画した人は多分、メルロポンティの後期の難解な文章に振り回され経験があると思う)、カタログでは次のように意図を説明しています。 エル・グレコ作品において、時に「見えるもの」と「見えないもの(天上世界や内的幻視など、目に見えず、心に浮かべるしかない架空の世界)」は、一見シンプルな画面に共存している。『聖母の前に現れるキリスト』ではキリストの身体は〔生身の人間である聖母マリアに対して〕死と復活を経た「天上の体」であるため、厳密に言えば肉体性を有していない。この二つの身体(世界)を、エル・グレコは具体的な視覚イメージにより表現することで、観者にとって信じやすく、身近な画面を作り上げている。エル・グレコと同時代の画家は絵筆による表現の可能性を「見えるもの」のみに求め、「見えないもの」であっても、それを地上世界の日常的な場面の一部として表わしていた。それに対して不可能に挑戦したエル・グレコは、現実と架空の二つの世界めぐって独創的な才能を発揮した。
ここまで、いうなれば序章で次回から、いかにもエル・グレコといった作品がいよいよ出てきます。
Ⅱ クレタからイタリア、そしてスペインへ
■羊飼いの礼拝 スペイン時代の作品の色調の暗さは、陰影の深さということに置き換えてもいいでしょう。これは、聖堂のような(画面上方に聖堂の天上のようなアーチが描かれている)建物の中のようで、当然その中は薄暗い。というよりも、誕生した赤子のキリストから発せられる光輝が周囲の薄暗い闇を照らし出すという、一種のドラマを描くために、つまりは光を際立たせるために薄暗い色調にしているように見えます。もう少し穿ってみれば、キリストという存在が現われるまでも世界は闇であって、未だ赤子とはいえキリストが出現したことにより光が差してきたというドラマが読み取れるのでは、と妄想をしてしまいたくなります。それを強調させるためには、下からの光に照らし出されるように見えます。聖母マリアや聖ヨセフといったお決まりの登場人物たちは、イタリア時代の作品にそれらしく描き分けられているのに対して、こちらのスペイン時代の場合は、陰影の方を描きたいとしか思えないように人物というよりも光にてらされる物体のような感じです。それぞれの人物の顔の描き方は大雑把で表情も描き込まれていない。たんにそこに配置されているかのようで、人物のプロポーションも陰影を出しやすくするために恣意的に歪められているし、それぞれのポーズもお決まりのパターンなのでしょうが、そういう必然性よりも、陰影に映えるポーズ取りがされているように見えます。
このあと、同じ主題で展示がありますが、グレコ晩年に描かれた、同じ題材のものです(左図)。ここでは聖堂であることを示すものとか、そういうものが省略されて、暗い色調で、キリストを取りなく人物たちと天使がピックアップされて描かれています。ということは、さらに必要な要素だけを抽出して、抽象度の高い画面になっているということです。グレコに、そういう方向性が自覚的なあったのではないか、と思えるほどです。 このように、作品の目的を自覚して、必要なものだけを取り出して、そうでないものは削ぎ落としていくというのは、近代絵画のひとつの方法論にも近いものです。例えば、物体の存在感を画面に定着させるために、形態を捨てることを辞さなかったセザンヌのように。そこでは、従来の絵画を構成していたバランスも捨てられ、これを追求するのだということが追い求められた結果が、あのような作品を生み出したのではないかと思います。グレコの場合も、バランス感覚などという中途半端で折衷的な枠を取り払って、追求したが故に、同時代の画家たちに比べて突出した個性的な作品を生み出してしまったのではないか、と思ったりしました。 ■受胎告知
実際のところ、旅というのが危険を伴うような時代に、生まれ故郷のギリシャから一つの先端的な中心地であるイタリアに移り、そこからさらに遠方のスペインにまで移動していったといのは、生半可なことでは出来ないことのはずです。そこには、強い動機があったと推測できるのは、当然とも言えます。動機として考えられるのは、プラスとマイナスの二つの方向があると思います。マイナスは、何らかの事情でそこにいられなくなる事情が生じたということ。典型的な例はトラブルに巻き込まれたとか、あるいはその地では商売にならなかったとか、そういうことです。グレコの作品と言うのは突出したと言っていいほど個性的です。だから見る人の反応は好きか嫌いかの極端に分れるはずで、嫌いな人が多ければ、当然絵の注文はなかなか取れない。そこで新天地を求めて、と言う動機です。また、プラスの動機としては、当時のイタリアはフランスとスペインという二大強国の進出を受けていたはずで、経済的な繁栄にも陰りが出てきた時期のばずで、これからの時代はスペインということを見越して、行動するということもあり得たのかもしれません。 言うまでもなく、当時の画家というのは、現代の芸術家というスタンスではなく、職人に近い地位だったはずです。顧客の注文があってはじめて絵を制作する。注文がないと商売にならない。芸術家などといってふんぞり返っているわけにはいかないわけです。したがって、注文を得るためには、顧客のニーズを知り、人々の好みに合って、しかも他の画家でない自分のところに注文してもらうためには、他の画家にないメリットがないと、なかなか同業者を出し抜いて売れっ子にはなれないわけです。 グレコの場合も例外ではなく、芸術家が自らのインスピレーションのままに描きたいように描くということはなく、人々からの注文を一つでも多く獲得するために、市場のニーズに合わせて行かなくとはならなかった。イタリアでは売れっ子だったヴェネチア派の画家たちを無視したもののニーズは薄かったのかもしれません。だいたい、裕福な市民というのは、君主と違って周りに追従するようなメンタリティを持っています。そこで、ここにあるような、ヴェネチア派の画家たちの描くものととかなの隔たりのあるようなものに注文する人は多いとは思えません。 しかし、そこで逆に思うのは、グレコと言う画家が、なぜに市場のニーズ適合するような作品を描かなかったのかという疑問も残ります。出来なかったということないと思います。あえて、しなかったのか。それとも、ニーズに似合った絵を描いていてもたかが知れていると思ったのか。一つ言えることは、展示されているイタリア時代の『受胎告知』を見ていると、ちぐはぐさ、座りの悪さのようなものを感じることは明らかです。明らかに画家は無理をしていることが感じられるので、グレコ自身がこの方向に進んでいくことには、あまり乗り気ではなかったのではないかと想像をめぐらすことは可能です。
そして、イタリア時代の作品について、私が違和感を感じた、これらの要素がスペインに渡った後の、グレコの典型的パターンでつくられた『受胎告知』ではしっくりはまるのも確かです。そう考えると、グレコという人は基本的には不器用な人で、色々試行錯誤を繰り返しても、このようにしか描けなかった。それでも、通用するところを求めて、流れ流れてはるかスペインにまで辿り着いたというストーリーが私にとっては、一番納得できるように思えます。 そう考えると、グレコの特異な作風というのは、奇を衒ったとか、芸術的方針で選択したとか、そういう浮ついたものではなくて、彼自身入れ以外にできなかったというギリギリのところで、そうせざるを得なかったものと考えられると思います。現代の評論家風にいえば、画家自身の実存をかけたものだった、と。このような考え方は、画家の生き方等と絡めて考えて天才という概念を生み出した近代ロマン主義的な芸術家という考え方に、きわめて適合性が高いと思います。魂の画家とかいう言い方に合ってしまったりして。そのようなイメージが、私がグレコと言う画家、あるいは作品に対して、どこか距離を置いている理由のような気がします。そういうイメージに対しては、私は眉に唾をつけたくなる心性の持ち主だからです。 私が、イタリア時代のグレコの『受胎告知』を見て感じた違和感として、前回書かなかったことがあります。それは、グレコと言う人は、空間ということをあまり考えない人ではないかということです。画面が平面的で奥行を感じることが無いのです。実際に作品を見てみると、床が幾何学タイルになっていて、透視図法になっていることは分かるのですが、じゃあ画面全体がされに則って遠近法的の空間を構成しているかというと、そういう描かれ方がされているようには、見えません。床の幾何学タイルは、たんにそういう模様であるとしか見えません。そして、奥行のない真っ平らな平面の上に、マリアと天使が野っている。いわば同格となっています。以前、カタログの解説で見えるものと見えないものを同じ画面で同居させているとグレコの特徴を指摘していましたが、この作品を見ると、ひとつの平面の上に、あらゆる要素が並べられていると言った感じです。それは、例えば、幼稚園児の昨日遠足で行った動物園のお絵かきをしましょうといったら、画用紙にクレヨンで、自分とママとお友達とライオンや象が手をつないで並んで立っているお絵かきをする子がいるのと同じようなものではないかと思います。グレコというひとは、そういう見方をするように、私には思います。イタリアの絵画では当然といえる、三次元を平面である二次元に移し替えるという視点、それを前提にして書き割りとか、あるいは人を物体として捉えるとか、そういう視点がグレコの絵には希薄です。 そういう視点が画面構成を構築していくからこそ、スペイン時代のような、解説のいう“神秘主義的”な『受胎告知』の構成が可能になったのではないか、と思います。この作品の平面には、マリアも天使も雲もひかりも、たんに並列されています。これは、先ほどの幼児のお絵かきと本質的に変わらない。もうひとつ身近な例をいえば、まんがと言う表現をみると、例えば、ストーリーの中で登場人物が実際に話すセリフと、声として外に出てこない人物の思いのような内面の声、あるいは状況を客観的に説明するようなト書きのような言葉が、それぞれの文法はあるのでしょうが、一つの平面に同じように並べられています。そこには、実際に耳で聞き取れるものともそうでないものを峻別するという、視点は限りなく希薄です。 だから、スペイン時代の『受胎告知』を見ていると、神秘主義的というような思想上のことではなくて、画面に思いついたものをあれもこれもと入れて(だって、見えるものと見えないものとを区別するという視点ではないのだから)、それらを限られたスペースの中でパズルのように最適な納まりの良いように並べて見た結果だったように見えてしまいます。思いついた要素をあとからあとからぶち込んで、あとは何とかできる限り整理して見せた。しかし、ゴチャゴチャした感じは抜け切れない。しかし、それが逆に、それぞれの部分が画面からはみ出してしまうような、それぞれが仮面上の存在を競い合うような、迫力を生み出しているのです。それが過剰感というのか、仮面からエナジーを放射するような力強さを生み出しています。これは、幾何学的に整理されたイタリア人画家の作品からはついぞ感じられないものです。 それが全体に暗いグレーを基調として各々の要素のつなぎは陰影深く彩られていると、異様な感じがするほど暗さが突出して来るのです。このような異様さ、日常的な世界とは全く異質な世界が展開されるという点においては、グレコの右に出る画家はいないのではないか。そこに、当時の人々は超俗的なものを強く感じ取れたのではないかと思います。時代を見れば、カトリック教会に対して、ルターをはじめとしたプロテスタントが異議申し立てで対抗させて、教会の存立が危機にさらされている時代、信仰に人々をつなぎ留めなくてはならないという危機感がカトリック教会に強かった。当時のスペインからのドミニコ会という異端審問官を多数輩出させる峻烈な修道会が生まれ、イエズス会という軍隊のような修道会もでてくるという反宗教改革の根城でもあったわけで、そのお膝元として、強い地盤固めが行われたわけです。そのときに、異様な迫力をもったグレコの『受胎告知』のような作品、ここに描かれている登場人物は、マリアとお告げの天使(ミカエル)を別にして絶叫しているようにも見えてきます。そういう強烈さというのは、グレコは意図していたとは言えないでしょうが、そういう時代のハイテンションな空気にマッチしたと想像してしまいます。
それは、後の時代、第一次世界大戦という戦闘員も非戦闘員の区別なく皆殺しの殺戮が広大な地域で展開され、人々が不安と恐怖に陥れられ、世紀末を引きずった異様な芸術が出現したような時代に改めて再発見されたということですから。グレコを再発見した人の中には、近代絵画の中でも、ことさらに不安や不安定な感情を論ったような作品が多数発表された影響がないとは言えないと思います。 例えば、グレコ独特の粗い筆遣いやひょろ長い人物表現は、表面的には、近代の安定な人間の描き方とよく似ているではありませんか。エゴン・シーレの描く骨と皮だけの自画像やムンクの描く幽霊のような人々。こじつけかもしれないかもしれませんが、似ていると思います。そういう空気の中で再び見出されたということは、後付けのこじつけかもしれませんが、あるいは、のちのゴヤの晩年の版画作品が生まれるようなスペインという土地と時代の要請と、グレコの奇妙な個性がうまくはまった一時期があったのではないか。それを偶然にか、何か運命のようなものに引っ張られて(何か小説みたいな書き方です)スペインという地に導かれていったと想像を逞しくして、後世の鑑賞者としては楽しむことができるのではないでしょうか。 肝腎の『受胎告知』という作品そのものについて、あまり語らずに、周辺の物語ばかり語ってしまっています。もともと、私の志向性がそういうところにあり、絵画のことを語る際にはできるだけ禁欲しているつもりですが、グレコと言う画家は物語を語りやすいタイプの画家のようです。展示は、この『受胎告知』のあたりから、核心部、いわば最盛期のグレコといえばこう、というイメージの作品が量産される時期の展示に入ります。そこで、実際の作品を禁欲的に語って行きたいと思います。
Ⅲ トレドでの宗教画:説話と祈り
エル・グレコは肖像に描いた周囲の人々のみならず、数多くの聖人を祈念像として身近な場面の中に表わした。その表現は、彼の確固たる考えに基づくのであろう。エル・グレコは、崇高ながらも時に観者を見つめ返し、その視線に応えるほどに親しみ易い半身の聖人像を生み出した。彼らは我々と同じ身体を持つ人間として、それぞれに身ぶりや個性を与えられている。つまり、エル・グレコは、それまでの冷ややかで格式ばった、よそよそしい聖人像に生命を吹き込んだのである。一方、宗教主題の中には説話を伝えるものもあり、そのため複雑になることもあった。エル・グレコは、聖書の物語を実際に起こり得たように、その光景を思い浮かべて描いている。従って奇跡のシーンは場合により、その舞台である地上世界と混在することになった。というのも「神聖なるもの」は顕現の際、摂理により肉体や空間の概念、つまり地上的な現実を覆したに違いないからである、それゆえに「みえないもの」は「見えるもの」の一部となったのである。 論文みたいに難しげに書かれていますが、要は、この美術展で生き生きとした人物像の肖像画を描いたグレコは、その技法で宗教画でも聖人たちだって人間なのだからと、今、目の前にいる人のように描いてみせた。しかし、聖人は普通の人ではないから聖人なのであり、それを表わすには、聖書に記された奇跡とか説話といったストーリーがどうしても必要になって来るので、それを巧みに描き込むことで特別な人であることが、分かるように、その際に、グレコが導入したのが、物語に書かれていた、実際に現実にあり得ないことを現実の日常の場面の中に入れ込んでしまうことだった。画家は目で見たことを描くという特性から、「見えないこと」と「見えること」ことを一緒に描くという新たな表現方法に結実したということでしょうか。そういうように確立した手法を駆使することをギリシャからイタリアを経た遍歴の上に、スペインに落ち着いたことで成熟を迎え、宗教的な作品を工房を構えて次々と世に送り出していくことになった。
手始めに、『瞑想する聖フランチェスコと修道士レオ』(左図)を見てみましょう。言うまでもなく、アッシジの聖フランチェスコは「小さき花」や清貧をモットーとするフランチェスコ会という修道会を始めたということ等あってカトリック聖者のなかで、もっとも親しまれ人気のある聖人です。それを題材とした聖人画です。“画面全体を覆っている茶褐色のモノクロームの色彩は、聖人が隠棲したアルヴェルナ山の小さな洞窟の内部を想起させつつ、観者の精神を内省へと導き、ひいては画中の聖人たちを手本とする深い瞑想の世界へと誘う。粗末な僧衣に痩せ細った小さな身体を包み込んで聖人は細い指で注意深く手のひらに支え持った頭蓋骨を凝視しながら死への瞑想に耽っている。頭蓋骨は本作の精神的な焦点として画面のほぼ中心で光に照らし出されており、この作品は聖人たちに倣ってこの頭蓋骨を見よ、そして死を想えと、瞑想と悔悛の実践を観者に促している”というように解説に説明されています。左下で跪く修道士は顔が描き込まれておらず、聖フランチェスコの顔は瞑想しているような静けさを湛え、身体は覆っている僧衣が毛羽立つように描かれているため輪郭がぼやけ、明確な輪郭線が見分けられず、灰色の僧衣と茶褐色の背景とが溶け合うように見えて、神秘的で瞑想的な雰囲気があります。そこでは、グレコ独特の粗っぽい筆遣いが画面の雰囲気にマッチしているように見えます。この作品は銅版画にされ広く人々に出回ったということです。たしかに、親しみ易いといえば、そうかもしれません。後世のカラバッジォ(右図)の描く聖フランチェスコの峻烈さはここにはなく、瞑想的な静けさが漂っています。そこには、ひとつの意図が透けて見えるようにも思えます。
実際のところ、前の『聖衣剥奪』からキリストだけを取り出したら、こうなるのかと言う作品です。この解説を読んでいただいても分かるように、これは単に見られると言うだけにとどまらず、特定の宗教的感情を呼び起こす働きを期待されて注文されたものと考えてもいいのではないかと思います。『聖衣剥奪』と同じように暗い背景、引き伸ばされたからだとぼんやりした輪郭、そして粗い筆遣いによって、キリストの肉体が物として実在感とか重量をほとんど感じさせません。それは、キリストの受難をキリストに絞り、周囲の人間を画面から切り捨てることで、キリストにおこったドラマとして見ることを可能とします。それは、日常の現実の物質的な生活ではなく、キリストの内面に近いドラマ、受難を受けたキリストが人間の原罪を背負って上方の神と対話をしているかのようなドラマです。だから、他の人物はいらないし、背後の風景も無い方がいい。ただし、この絵を人々が見るわけですから、その見ている人々とは無縁の周長的な内面世界だったら人々に作用しないし、見ようともしないでしょう。だから、グレコは見えないものを見えるものとして描こうと、現実を少しずらして彼に特徴的な描き方で実在の事件のように十字架のキリストだけに焦点を合わせて絵画としたのではないかと、想像しました。しかも、個人に与えるインパクトがあるという点では肖像画の描き方は、個人的な次元で影響力があるでしょう。その意味で、肖像画のような描き方で、約1m×60㎝という大きくないサイズの作品にしたのではないかと思います。今回の目玉は『無原罪のお宿り』という大作ですが、エル・グレコという画家の真骨頂は、そういう大作である一方で、このような小品でこそ際立っているのではないか、といのうが、今回の展示を見ていて感じました。そのいみで、このコーナーがまとめではないかと思ったわけです。
Ⅳ 近代芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として
“オバーリュ礼拝堂は、その建築構造が絵画における人物配置や構図と一体と化している。祭壇を最上部にまで拡大する代わりに設けられた窓は、『無原罪のお宿り』中の光の表現の一部となり、聖霊を表す鳩はこの自然の光源から飛んできたかのように見える。画面左下に見える、トレドの町のランドマークは、マリアの隠喩としての神の都市を象徴する。最前線に描かれた、聖母の純潔を象徴するバラとユリは、この作品のすぐ下に本来置かれたはずの祭壇を飾る花であるかのようだ。マリアの蛇のように曲がりくねった人体は、まるで観者が彼女の目の前に移動して見ているかのように、多様にして複雑な視点が設定されている。そして極端な短縮法で描かれた天使の翼がその効果を増大させている。観者が動いたとしても、V字型に開いた翼は常にその頂点を見せ、天使がその軸を中心に常に回転しているかのような効果をもたらしている。エル・グレコは、大胆な構図を用いて生き生きと「動く」絵画の彫刻的な可能性を示し、ダイナミックであるべき芸術殺品の静的な理解を否定した。あたかも実在するかのような、運動するヴィジョンを絵画に求めたのである。そして、現実の環境と絵画芸術が相互に浸透し合う可能性を新たなアイディア、仮説として提示した。つまり、絵画が自然の一部になるのと同様、自然が芸術表現の一部になる、というわけである。” 長い引用になりましたが、最後の考察はちょっと蛇足に感じられたのを除いて、この作品が描かれた意図が説明されていると思います。縦長の構図は作品が飾られた上にある窓の光源に向けて人々の視線を上へ上へとリードしていくように、そして、作品を人々が見上げることを前提に、下から見上げるような視線を意識して描かれている。そのため、下からの視線でそれらしく見えるために縦長に描くと、人間はひょろ長くなってしまうわけです。それを後世になって、真横から鑑賞することになれば、下からみられて寸詰まりにならないように描かれていたのが、ひょろ長く見えてしまうというわけです。くねくねしたように全体になっているのは、人々の視線を上を導くための動きを誘発することと、画面全体にダイナミックな動きを与える効果を生み出している、ということでしょう。人物(ここではマリア)が最大の優美さ生命感を持ち得るのは動いていると見えることであるとして、この動きをキャンバスの上で表わすために、ろうそくの炎のゆらめきのような、ゆらゆらと揺れて上に昇って行くさまを参考に、上昇気流のように螺旋を描いて上昇していく構図となったということでしょうか。
しかし、そこで少し立ち止まって考えてみたいと思います。そもそも無原罪のお宿りというのは、イエスとその聖母であるマリアはアダムとイブ以来の原罪であるセックスを経ずに神の恵みの特別な計らいで生まれた、つまり原罪を免れていたという教義です。人間は生まれながらにして原罪を背負っているもので、それを溶くのは神の愛でしかない。しかし、聖母マリアはその原罪すら背負わない純粋で清らかな姿で生まれた、という、いうなればキリスト、マリアの清浄さを強調するような教義です。それをグレコの、この作品はこれほどダイナミックでドラマチックに仕上げる必要があったのでしょうか。というのが根本的な疑問です。今回の展示でも、グレコの別の『無原罪のお宿り』(左図)が展示されていましたが、むしろ、これとは違って、淡く明るい色彩で、落ち着いた感じの作品で、清浄さというなら、むしろこちらの方に感じられると思いました。 同じ題材を扱った他の画家の作品でも、例えばスペインではムリーリョ(右上図)やスルバランの著名な作品がありますが、それらを見ていただくと、グレコのこの作品のようなものとは正反対の、静的で淡い色彩の落ち着いた作品になっています。 では、どうしてグレコだけ、このようなユニークな『無原罪のお宿り』を制作したのか、それには、グレコだから、と答えるしかないのかもしれません。これは答えになっていませんね。でも、このようにえがいてしまうのが、ぐれこという画家で、それを好ましいと思うか、変だと思うかで、グレコ画家を好むかどうかの分岐点になるのではないか、と思います。それが、絵画鑑賞の愛好者としての私の正直な感想です。私自身、これまで、グレコの作品の特徴等に関して、現代の私を取り巻く環境に引き寄せて、それなりに(強引に)考えてきましたが、どうしても。この一点だけは、自分なりに納得することができませんでした。それが、私とグレコの作品との間にある一つの隙間のようなもので、それは結局、今回の展示を見た限りでは埋めることはできなかったというのが、今回の最終的な感想です。
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