白髪一雄 KAZUOSHIRAGA a retrospective
 

  

2020年1月24日() 東京オペラシティ・アートギャラリー

今年から有給休暇が義務のようになって、その消化で、昼過ぎ初台の駅を降りた。ちょうど昼休みの時刻で、駅の周りは、そういう人で行き交っていた。あまり、ギャラリーに行くような雰囲気でではないような。初老のサラリーマン姿で、しかも現代アートのような展覧会で、少しギャップを意識した。展覧会は、会期が始まったばかりだし、平日の昼過ぎで、現代アートっぽいものだから、空いているだろうと思った通り。来ているのは若い人が多いような、ちょっとオシャレな感じの、そういう人がちらほら、地味な背広姿は少し浮いた感じだった。展示は、作品タイトルだけで説明が一切ないという潔いくらいすっきりしたもの。こういうハッキリした姿勢は好きだ。会場の雰囲気も、作品を見ることだけに集中できる(当たり前のことなんだけれど)、いい展覧会だった。

さて、白髪一雄という人について、いつものように私は詳しい知識がないので、展覧会チラシにあった挨拶文を引用します。“白髪一雄は、戦後日本の前衛芸術を牽引した具体美術協会の中心メンバーとして知られ、近年改めて国際的に熱い注目を集めています。兵庫県尼崎市に生まれた白髪は、具体美術協会に参加する前年の1954年より、床に広げた支持体に足で直接描く「フット・ペインティング」の制作を始め、その実践と探求により、未知の領域を切り拓いてゆきます。従来は制作の手段にすぎなかった身体運動(アクション/パフォーマンス)をまさに画面の主役に据えるそのラディカルな方法は、既存の芸術的、社会的な常識を一気に飛び越え、人間がものを作る行為の原初にたち返る画期的なアイデアでした。具体美術協会解散後も先鋭な制作原理を貫いた白髪の作品は、空間や時間、物質や運動のなかで人間存在のすべてを燃焼させる圧倒的な力をはらんでおり、同時に、絵具の滴り、滲み、粘性や流動性、堅牢さ、といった油彩画ならではの魅力を豊かに備えています。白髪の探求は、人間の資質と感覚をいかに高めるかという問題や、宗教的な精神性の問題など、独自の人間学的アプローチを含んでおり、様々な視点からの検証を待っています。白髪の没後10年以上を経て開催する本展は、東京で初の本格的な個展として、初期から晩年までの絵画約90点をはじめ、実験的な立体作品や伝説的パフォーマンスの映像、ドローイングや資料も加え、総数約130点で作家の活動の全容に迫ります。”私は現代美術をはじめとして、知識はあまりないので、あまり理屈みたいなことは分からなくて、この人がフット・ペインティングというのも知りませんでした。展示の最後のところで、その模様の動画が放映されていたのをみて、はじめて知りました。そういうことを別にして、例えば、展覧会チラシにある作品は、ぐちゃぐちゃのように見えて、何重もの線のテクスチャというか絵の具の色が多彩に変化していくのが、とてもキレイだと思ったからです。こういう作品は、あまり理屈を考えずに、そのキレイさを見ているだけで楽しい。そういう視点で、作品について感想を述べていきたいと思います。

第1章 知られざる初期作品

会場では、この第1章を示す掲示はありませんでした。これは展示品リストに書かれていただけです。受付で展示品リストを受け取らなければ、この区分にも気づかず(展示は、ほぼリスト順でしたが)、作品を見ることになるわけです。もっとも、区分が分からないからといって、どうということもないのです。私の場合は、ここに感想をまとめるときに、区切りとして便宜的に使っているだけですから。展示品リストをみると、展示されているのは1952年までの作品で、白髪がフット・ペインティングを始め、具体美術協会に参加する前ということになります。

「夜の風物」という1950年の作品です。画像では実感できないかもしれませんが、画面の真ん中のあたりで、バックに塗られている明るいグリーンが鮮やかに映えて眩しいくらいの印象です。この時点で、私は、白髪という人は色彩、中でも、絵の具でぬられる色の人であると思いました。この作品で白髪の作品を見るためのとっかかりを得ることができたと思います。三角形と円という図形を組み合わせた画面は、図形という明確な形が描かれていて、展覧会ポスターのようなグチャグチャしたような画面とは異なります。この印象的なグリーンと明るいブルーを隣り合わせてみたり、画面の上部では、図形のような幾何学的な枠組みを並べて、ブルーのグラデーションを段階的に、図式的にみせていたり、と色遣いを重視していて、図形は、その色の使い分けをするための手段となっているように見えました。この作品では、明確な色の区分をしていて、そのために図形という枠組みが必要だった、そういう印象の作品です。でも、明るく鮮やかな色を使っているのに、どういうわけか、不気味な夜のイメージを抱いてしまいます。寒色系の色が基調になっているからでしょうか。

「妖草U」という1952年の作品です。この時期の作品ではサイズがひときわ大きな作品で(後年の具体に参加以降は、もっと大きなサイズの作品ばかりになりますが)、白髪は大きさという作品の表現要素を、ここで意識したのかもしないと想わせる作品です。大きなサイズというのは、それ自体で見る者に迫ってくる効果があると思います。マーク・ロスコの抽象画などは画面の大きさと切り離すことはできないだろうと思います。ネットで検索してみたら、この頃の白髪はシュルレアリスムに習って夢を盛んにスケッチしていたということで、それをもとに自身の意識下の世界を描こうとしたということです。闇を想わせる暗い色調の上で、まるで夜の月光をあびたように白が妖しく映えて、三角形の尖った形が重なり合って、蠢いているような印象を受けます。ここでの色遣いはバランスが取れていて、雰囲気を持った作品だと思います。

この時期の作品は、それなりにまとまっていて、このままの路線を追求するという道もあったのではないかという想像もできます。それもあり得たのではないかと思います。しかし、白髪は変わっていくことになります。

第2章 「具体」前夜:抽象からフット・ペインティングへ

ここで展示されているのは、白髪が1955年に具体美術協会に参加するまでの作品で、この2年間で、作品を遂げていきます。

「流脈1」という1953年の作品です。これ以前の作品では、色の塗り分けは明確な線引きで区分されていたのですが、この作品では、絵の具を置くのではなくて流すような色がにじむように流動的に変化していく、画面の上で絵の具が混ざって色が変化していく、混沌としたようなところが出てきます。それが画面に水平に筆が引かれて波のように見えるところです。それが層のように折り重なっていて、そこに縦に断層のような切れ目が入って、その層がずれています。先読みですが、後年の作品のようにその波がどこまでも流動していくことはなく、断層で、その勢いが止められているように見えます。この時点では、流れに身を委ねる決心がつかなかったのか、と勝手に解釈したくなります。ただ、この断層が画面にリズムをあえていて、混沌の部分で形のある部分とがあって、まるで鏡が混沌を反射しているようなところが感じられる印象的な作品になっていると思います。

1954年の「作品」というそのものずばりのタイトルで、画面全体が赤の絵の具で埋め尽くされた作品です。赤い画面をとして、赤い絵の具が渦巻き状に太い赤の線のように盛り上げられたようになっています。以前、ここで見た韓国の抽象の展覧会の展示作品を思い出しました。それらはキャンバスに淡色の絵の具を塗った上に規則的に表面に傷つけて凹凸をつけたりして、画面のリズミカルな動きをつくりだし、凹凸によって微妙な陰影がうまれ、それが見る者には色のグラデーションのように見えてくる。そういう作品です。この作品でも、赤い絵の具の盛り上がりが渦巻き状の波のように並んで、それが微妙な陰影を作り出していて、絵の具は赤なんですが、陰影と相まって絵の具の色ムラによる赤から黒へのグラデーションが生まれている。その変化が、見る者の立ち位置によって、視点によって変化していくのです。作品自体は、静かで動きがないのに、見ていると動きか感じられる。そういう作品です。

第3章 「具体」への参加

白髪が具体美術協会に参加して、本格的にフット・ペインティングを実行していくころの作品ということです。この後のコーナーが「水滸伝豪傑シリーズ」ということで、それまでの作品ということでしょうか。実は、私は、この展示を見ているときにはフット・ペインティングなるものを知らなかったので、独特の絵筆の使い方と思っていました。そういう結果を求めて、こういう作品を意思して制作していたと思って見ていました。天井から吊したロープにぶら下がり、床に広げたキャンバスに足で滑走して描くというか絵の具を塗りたくるという手法は、偶然に任せたようなもので、筆を執って描くという技能による場合とは全然違うので、そこに作家の意思がどれだけあるのか、ということになるのかもしれません。おそらく、この手法は作家の意思とかよりも偶然に任せるといったことを求めてのことでしょう。しかし、絵画を離れて、マンガを考えてみると、マンガの作品を制作しているのはアシスタントを含めたプロダクションであって、作画はマンガ家本人は一部しかかかわっていなくて、背景などはアシスタントに任せてしまうこともあるようです。しかし、それで出来上がった作品について、絵が上手とか下手かはすべてマンガ家の評価となります。本人が描いていないにもかかわらずです。そこには、アシスタントに書かせるということをマンガ家が選択したということと、最終的にアシスタントの描いたものをマンガ家の作品として認め、発表したということが、マンガ家の意思が働いているからです。これは、西洋のルネサンスやバロック美術の画家の工房の制作にも共通します。ルーベンスが筆を執っていなくても、その工房で制作され、親方のルーベンスが認めものはルーベンスの作として注文主に納品されるわけです。白髪の作品に戻れば、彼の足は手先のように彼の思うように動かず、偶然に支配されるというのは、プロダクションで他人に描かせることとあまり変わらないのではないか。それを最終的に白髪は作品して発表しているのですから、気に入らなければボツにするかやり直せばいい、そこに画家の意思があると言えると思います。いろいろと難しい理屈はあるのかもしれませんが、私の場合は、作品という結果を見て楽しんでいるので、それをどのようにして描いたのかということは、結果より前面に出ることはありません。そんなことを知らなくても結果さえよければいいので、強いて言えばスパイス程度のことにすぎないと思います。それは画家の苦闘とか、そういうことは別の話です。この展示も、余計な説明を一切行わずに作品とタイトルだけを出しているのは、作品だけをみてほしいということではないかと思います。それゆえ、足で絵の具を塗りたくろうが、筆で熟練した技術で描こうが、同じように結果としての作品を見た感想を述べていきたいと思います。

「無題」という1957年の作品です。フット・ペインティングを始めたころの作品でしょうか、後年の白髪の作品は尤もらしい題名がつけられていますが、この作品の「無題」というのは、とにかくやってみて、出来上がったというので、それをどうこう考えるところまでいかなかったので、「無題」ということになったのでしょうか。それだけに、余計な物語的なものが入り込んでいないで、却って抽象度の高い作品となっています。この作品が、これまで見てきた作品と大きく違うのは、フット・ペインティングを始めたということ以外にも、この大きなサイズということが言えると思います。実際のところ、ロープにぶら下がって足で絵の具を塗りたくるわけですから小さなキャンバスにちまちま描くことなんかできないでしょう。動き回らなくてはならないのだから、どうしても大きな画面が必要担った結果が、このサイズなのでしょう。それが結果として、大きな画面だからこそ現れる効果というのが、この作品にはあると思います。それは一種のイベント性というべきなのか、例えばバロック美術の宗教画では、教会に飾られたものは、大聖堂という空間で、天上から光がさしてくるのに作品が照らされて、見る者は作品を見上げるように飾られているというシチュエィションの中で見られる。そうすると、それらがあいまって特殊な効果を見る者に及ぼす。そういうイベント性に近いものを、この作品は纏い始めているとおもえるのです。まずは大きなサイズで、黒い塊のような描かれたものが見る者にのしかかっているような迫力。さして、これが私には大きな要素なのですが、この大きさではじめて色のグラデーションを見ることができる。おそらく、このページの作品の画像では、いくら見ても分からないと思いますあの大きな、実物を、実際に、目の前で見ないと分からない。そういう微妙な作品で、白髪の作品には、そういう特徴があることで共通しています。それはこれ以降に見る作品に共通しているものです。この作品では、画像では黒い塊にしか見えません。現物を見ていると、黒い絵の具で塗られている下には青とか茶とかの色が塗られている。その上から黒の絵の具が塗られて、その塗りにムラがあるので、塗りの薄いところや絵の具が掠れたりするところは、下の色が透けて見えている。それは、下の色そのものではなくて、黒を通してなので、下の色は微妙なのです。しかも、黒い絵の具で塗られているようで、実は一部に茶も混じっている。したがって塗りの具合では茶と黒の両方が出ているところがある。それを透かして下の色が見えていたりもする。そういう変化が画面全体でなされている。そういう細部をみていいくと、後から後から変化が見えてくる。しかし、画面のサイズが大きいので、全体を見渡すことはできず、離れて全体を見ると細部が見えなくなる。そうして見ていると、切りがない。そういう作品です。同じ「無題」という題名の1959年の作品は黒で塗りつぶす部分が少なくなって、下の色がより多く出ている。それだけに明確な印象が強くなっています。

第4章 「水滸伝豪傑シリーズ」の誕生

「具体」の国際的評価が高まるなか、作品を海外に送る際、個々の作品を識別するために、少年時代から愛読した『水滸伝』に登場する豪傑たちのあだ名をタイトルにつけ始めたということです。題名に物語の要素が入り込み、見る者のイメージを少し限定するというか、ダイナミックとか暴力とか血なまぐさいとかいうイメージと結びつきやすくなってしまったところがあると思います。たしかに、ここで展示されている作品は赤が多用されていて、血の色ですから、そういうイメージに結び付きやすかった。まあ、ここに展示されているシリーズが並んでいるのを、比べながら見ていると、単にロープにぶら下がってのたうち回っていただけで、どれも似たように見えるかというと、そんなことはないのが見ていてハッキリと分かります。それぞれの作品がちゃんと個性があって、それぞれが一つの世界として完結しているのです。そこには、行き当たりばったりの結果オーライではない、おそらくアクションのパフォーマンスをするさいに、ある程度の意図をもって描き分けている。そういう意思を感じることができると思います。例えば、足で足掻くように絵の具を塗りたくっている部分と、そうでない部分をちゃんと分けていて、その違いが見ていて分かる。それらの部分が交錯している仕方が作品で違う。あるいは、足掻くようにして絵の具が塗られているところも、その足の動きそのものは単純な太い線(喩えて言えば、書道の大きなモップのような筆で一気に引いたような単純な墨の線のような)のところもありますが、それだけではなく、単一色でなく、何色もの絵の具が混ざったり、混ざらなかったりして線の中に同居していて、それらが変化しながら線が引かれている。だからのたうち回る線そのものが変化していて、その線の変化が予想がつかないほどだし、ときには、なんとも句妙で微妙な色合いをつくり出している。そういう多彩な変化で、一つ一つの作品が構成されているのです。足で絵の具を塗るというと奇矯なパフォーマンスに映りますが、それ以前の絵画でも普通に、絵の具を手の平でのばしたり、指でなでたりしていたのですから、それを足でやってもおかしくはないはすです。大きなストロークで描きたいなら手より足の方が大きいということになります。こんなことを言っても後出しじゃんけんのようにもので、白髪の作品での効果が、それだけ自然な印象だということなのです。

「天異星赤髪鬼」という1959年の作品、シリーズのなかでも、最も早い時期の作品だろうと思います。塗りたくられる絵の具の迫力は当然なのですが、ここでは画面の端っこのキャンバスの下地の白が却って印象的で、その白の部分が残されているところで、白と絵の具の塊の対照が強調されている。白と対照されるからこそ、赤の塊が強く際立たせられている。とくに、画面の端のところで白地に赤い絵の具の飛沫が小さく点々とはねた跡が水玉のようにあるのが、なんとも繊細な感じがしています。その全体とのギャップがあり、この作品は、そういう対照が至る所で見つけることができます。

「天空星急先鋒」は1962年の作品ですが、「天異星赤髪鬼」の塗りが赤から黒へという強い色ばかりだったのに対して、白く塗られたところが部分的に入っています。それが塊の凝集力を弱める印象を作りだしたのか、塊のところを貫くよう、あるいは塊から外に突出するように黒色が多いのですが、太い線が伸びています。とくに左上から右下に対角線のようにまっすぐに画面を貫くような直線は、黒色に白が混じりだしていって走っている。

「天罪星短命二郎」は1960年の作品で、構図が明快で線の方向性が崩れてはいますが横の8の字をなぞるように描いています。その結果、塊の外形がひょうたん型になっています。それが一見真っ黒に塗られているので、猪かサイかのような獣に見えてきます。しかし、近寄ってよく見ると、真っ黒に見えていた塊が、実は赤が隠れていて、その隠れた赤と黒のグラデーションがとても微妙なため、繊細な印象を持たされるのです。

「天富星撲天離」は1963年の作品で、これまでの作品に比べて色彩がとても豊かです。これは想像ですが、筆で描く場合にはパレットの絵の具をつけてキャンバスに塗り、色を変えたければ、油で筆に着いた絵の具を落として、新しい絵の具をつければよい。しかし、ロープにぶら下がって足に絵の具をつけて塗っているのであれば、絵の具を変えるのは大変な手間が伴うことは想像に難くありません。これまで見てきた作品が黒を基調としているのは、赤などの色を塗って、黒なら重ねてつけて塗っても黒という色を使うことができるからでしょう。しかし、この作品のように、主として見えているだけでも、白、黄、青、赤、黒と系統の異なる色を使っているのは、しかも、全体が黒を基調にしていないので、色を塗る際に緻密に計画していないとできないと思います。この作品では、色が混ざって滲むようにグラデーションを作りだすところと、色が混ざらずに単色で鮮やかに映えているところもあるのです。他の作品に比べて多彩で鮮やかな印象です。また、この作品では、線が細切れになっているのと、構図として曲線で囲むように円を描く線が伸びて、その内部でチェック型のような線の断片がある。このように足で引く線のタッチが多彩になっています。「天空星急先鋒」のように勢いのある線が伸びて画面を飛び出しそうになることはなくて、画面全体の方向性が外に出るから、内に向くという方向に変わっています。それだけ充実した印象が強くなっていると思います。

第5章 スキージ・ペインティングと制作の変容

白髪が描き方を転換させます。足で描くフット・ペインティングからスキージという長いヘラを引きずるようにして描くスキージ・ペインティングにです。それによって、足では無理な幅の広い筆致や色の重なりや掠れが画面に現われます。

「色絵」という1966年の作品。前のコーナーの「水滸伝豪傑シリーズ」の作品では水滸伝の108名の豪傑の名前を作品タイトルにしていたのですが、そこから離れると、シリーズ以前の無題とか作品といった不愛想なタイトルに逆戻りしてしまいました。白髪という人は、そもそもタイトルに対するこだわりのない人なのかもしれません。往々にして、タイトルにこだわる人の場合は、そこに意味づけをしようとする傾向があると思います。それは、言葉が先に立つ傾向と言い換えてもいいかもしれません。具体的には、作品にメッセージを託したり、物語を作品にしたりというといったことすることが、それに当たります。しかし、白髪の作品のタイトルは、それほど意味づけはされていなくて、他の作品と区別するための便宜くらいにしか考えられていないように思います。この作品は、色を多く使っているから「色絵」だし、他の展示作品でも「白い作品」とか「丹赤」とか作品の色をタイトルにして、そのものズバリで、何の芸もない。それは、白髪という作家は、とにかく言葉より先に視覚のイメージがある人なのだろうと思います。何か(言葉で)考えるより先に、身体が動いて描いてしまう。それが例えば、美しいということになると作品になる。それで、あとからタイトルを考えてつける。そういうタイプの作家ではないかと思います。それゆえ、この後のコーナーで出家して僧の修行をして、仏教的なタイトルの作品が展示されていますが、作品は、そういうこととあまり関係なく描かれていたように思います。ただし、白髪当人は、まじめに修行していたのかもしれませんが。少し、先走りしてしまいました。話題を「色絵」に戻しましょう。これは半円を描いた作品です。自動車のフロントガラスのワイパーが汚れていて、その軌跡がガラスに残ったというような作品。このようなコンパスで描いたような円形は、これまでの作品ではなかったので、驚きました。しかも、色の混ざり方が複雑で、それが引きずられるように半円の軌跡を、線でなくて面を作っていました。複雑な色が層をなして混ざったのが引きずられるように作られた円形はなかなか神秘的な魅力があります。加納光於のカラーインクを滲ませて円形をつくる作品を思い出しました。加納の作品は、透明感があって、色彩の純度が高いのですが、白髪の作品の方は絵の具のマチエールとともに重量感があります。

「丹赤」という1965年の作品で、足にスキー板をつけて描いたそうです。大きな画面いっぱいに赤い色が置かれた滑らかで広い幅のストロークはスキー板だからできたものでしょうか。それよりも、「丹赤」というタイトルの通り黄色い地に赤が映える、その色彩が鮮やかで印象的です。これまで見てきた白髪の作品では、黒が基調になったりして、どうしても暗いとか重い色調になってしまっていたのに対して、ここで展示されている作品は、光線が変わったとか、閉じていた窓が一気に全開となったかのように明るく、色の純度が高くなりました。「白い作品」は白い絵の具だけで描かれた真っ白な作品で、他の作品が黒や赤がたっぷりと塗られた作品ばかりの中で、異彩を放って目立っていました。

第6章 「具体」の解散と密教への傾倒

円形の入った作品の規模が大きくなっていきます。それと並行して白髪本人が出家修行に励むようになったということです。それで作品タイトルが仏教用語の入ったものとなっていきます。私が作品を見る限りでは、タイトルがそうだからといって、仏教とか精神性といったイメージを喚起させられるようなことはありませんでした。この時が白髪が言葉に近づいた時期だったのでしょうか。これは想像ですが、白髪という画家は視覚イメージが先行して描く人ではないかと思われるのですが、具象画の画家であれば、描く対象があって、それを筆で写すように描いていくので、描く技術の錬磨をすることに終点はなく、それを追求していけばいいわけです。だから、同じイメージを何度も繰り返してもいい。しかし、白髪の制作している抽象的な作品は、具象画のような技術の錬磨ということが考えられなくて、というのも、作品はパフォーマンスでできてしまうので、技術というより、そのアイディアで勝負するということ、つまりは描く以前の視覚のイメージをつくるというのが重要なのだろうと思います。その時に、同じイメージを繰り返すことは具象画の場合と違って、イメージづくりに反することになる。成熟するということが許されないのが白髪のやっていることだと思います。白髪の作業は絶えずイメージを構築することで、それをずっと続けていれば、ネタが枯渇してくることはあると思います。そういうときに、イメージを求めて言葉に寄っていくことはあると思います。白髪が仏教に接近したというのは、そういう要素もあるのではないか。しかし、展示されている作品を見れば、パワーの衰えは感じられません。

「文覚滝の行」という1972年の作品。白と黒の二色でメリハリが強くて、スキージを動かしていく軌跡がくっきりと何重もの線となって表れることになりました。まるでマンガのアクションシーンの動線のように、この線そのものが動きとか流れをイメージさせます。そのため、展示されている作品の中でも、最も動きを感じさせる、ダイナミックな作品の一つです。まあ、黒と白という色遣いは、他の作品の毒々しいほどに原色の絵の具を大量に投入する作品に比べると禁欲的な印象を受けると思います。隣に展示されていた「大威徳尊」と並べて見ると、その動感を見やすいのではないかと思います。

このコーナーでは二つの作品を対にして展示しているのが目立ちました。「文覚滝の行」と「大威徳尊」を並べた展示もそうですが、それ以上に「あびらうんけん(胎蔵界大日如来念誦)」の赤い円と「密呪」の黒い円を展示室で向かい合わせに展示して、その二つの作品が正対していたのがすごかった。見る者は、ちょうど両者の間に入って、前後から作品に迫られるのです。「密呪」の黒い円は、まるでブラックホールの暗黒の深淵が口を開いて曳きずり込もうとしているのに対して、「あびらうんけん(胎蔵界大日如来念誦)」の赤い円は灼熱の太陽が迫ってくるような、両極端の対照です。

第7章 フット・ペインティングへの回帰と晩年の活動

“白髪は1974年に延暦寺で激しい仏道修行を修めて以後、スキージで円相を多く描きます。しかし動きに乏しい円の反復で制作は停滞し、それに気づいた白髪は、改めてフット・ペインティングに回帰します。それは単なる回帰ではなく、精神の凝縮を感じさせる充実した作品群を生み出すことになりました。”と展覧会ホームページで説明されていました。晩年といっても、パワーの衰えは見えません。むしろ、ここまで作品を見てきた、私の方が疲れを覚えました。ここまでくると感想の言葉が出てこなくなってしまうほどです。一応、作品をひとつ置いておきます。「群青」という作品です。この青の黒っぽいようで、透き通るような純粋な青の味わいは、これまでの作品にはなかったものです。

この後、スケッチとか小品の水彩とかがたくさん展示されていました。

 
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