鰭崎英朋
 

 

2025年7月17日(木)太田記念美術館

昨日までの梅雨末期の豪雨が通り過ぎ、東京の空は落ち着きを取り戻しそうだ。天気が回復したら猛暑になりそうなので、曇りがちの今日は絶好だとして、出かけることにした。しかし、午をすぎたところで陽射しがもどり、気温はうなぎのぼり。しかも、原宿の駅をおりると人の多さ。ほとんどが、若い人、外国人観光客、みるからに暑苦しい。平日の午だというのに、この人ごみ。表参道を少し歩いて、ソフトバンクの角を左に入り、小さな坂を上ると太田記念美術館。たった数歩で入っただけなのに表参道の喧騒がきこえなくなる。美術館というよりお屋敷のような佇まい。展覧会のポスターが掲げられていて、ここがそうだと分かる。向かいはラフォーレの裏側。

小さな玄関を入ると、小さなロビー。受付でチケットを購入し、右手が展示室。小さな展示室は真ん中が中庭のようになっていて、四方の壁に所狭しと作品が展示されている。真ん中の階段をあがると吹き抜けの2階も同じように展示されている。スペースが狭いので、来客数がそれほど多くなくても混雑しているように見えてしまう。だいたい、展示されている各作品に1人ずつ見ている人がいる程度なのだけれど、狭いので人が多いと感じられてしまう。来館者は中高年が比較的多かったように思う。二人連れのおばさんがぺちゃくちゃ喋りながら見ているのが数組いて、スペースが狭いゆえか、けっこううるさく感じられてしまう。ふつうなら一通りまわっておしますいなのだが、ここは狭いのですぐに回れてしまうので、一回りではなく、何度も繰り返し見て回ることができた。

私は鰭崎英朋という人のことを知らないので、その紹介がてら、主催者のあいさつを引用します。

“鰭崎英朋(1880〜1968)は明治後期から昭和にかけて活躍した絵師である。浮世絵師・月岡芳年の門人である右田年英に入門し、明治36年(1903年)頃から文芸雑誌や小説の単行本の口絵の制作を本格的に始める。明治末から大正にかけて、文学界を彩った英朋の妖艶な美人画は、広く大衆の心をつかんで大いに話題となった。他の絵師たちが展覧会に出品するために日本画の制作に傾注するなか、英朋は生涯、雑誌や小説という大衆向けのメディアを拠点とする絵師として活躍するのである。

英朋が手掛けた口絵や挿絵は、歴史の終わりを迎えようとする浮世絵版画(木版画)と、徐々に技術が進歩していく石版画やオフセット印刷によって制作されている。英朋は、浮世絵と石版画という、二つの異なる大衆向けメディアに専心した稀有な絵師であり、浮世絵版画の終焉を看取ったという意味で、真の「最後の浮世絵師」と言えるだろう。

本展覧会は、英朋が手掛けた木版画や石版画、オフセット印刷による口絵や挿絵、さらには肉筆画や下絵を含めた187点の作品を通じて、出版メディアが移り変わる時代の狭間に活躍した英朋の画業を紹介する。”

なお、上記のあいさつで187点の展示と述べられていますが、この展覧会は前後期の展示替えがあり、通期の展示はほとんどないので、私の訪問した後期の展示では、全体の約半分の作品を見たにとどまります。

展示については、ふつう回顧展というと、画家の生涯を追いかけるように初期から壮年期そして晩年という順番の展示が多いのですが、この展覧会は、制作されたメディアの技法ごとに区分され、木版画、石版画・オフセット印刷、そして肉筆画というくくりで展示されていました。

 

第1章 木版画

展示室に入って最初の作品。江見水蔭「大暗礁」後篇の口絵です。物語の一場面を描いているのでしょう。だからというわけではありませんが、描かれている人物に動きが感じられます。まるで身体を動かしているところを、そのまま写生しているような自然なかたちです。例えば、安田靫彦のような日本画で歴史の場面を描いていた画家の作品では、画面中の人物は動いているというより、その場でポーズをとっていて静止しているのです。それに比べると、正面の手をついて屈んで突っ伏している相手を覗きこもうとしている仕草は、これからにじり寄ろうとしている途中のように、動いている感じです。また、画面右奥の木陰で様子を窺っている男性も自然な姿勢です。あるいはまた、この場面の画面全体が遠近法的というか奥行、空間がしっかりと描かれている。これは、油絵の具で描かれていれば西洋絵画ではないでしょうか。この作品を見て「最後の浮世絵師」という主催者あいさつにあった呼称は吹っ飛びました。これまで、明治時代の日本画家たちの展覧会、例えば安田靫彦もそうですが、横山大観菱田春草竹内栖鳳、あるいは速水御舟鏑木清方その他の人たちよりも、ずっと近代的ではないですか。現代の私から見て、これらの人々たちの日本画に比べて、はるかに見やすい。それが、鰭崎の第一印象です。

山岸荷葉「町女房」の口絵です。鰭崎の描く女性は少し俯き気味か、仰角で顎をみせているポーズが映えるように見えます。そういうポーズは、江戸時代の浮世絵の美人画では、あまり見られないのではないでしょうか。それは、顔の肉付きをきちんと把握して、その理解をベースにして描いているからでないでしょうか。この作品では、陰影こそつけられていませんが、頬のふくらみや顎の線は肉付きを反映した柔らかで滑らかな輪郭になっています。斜めの向きの顔は立体を意識した角度の描き方になって、立体としての顔がイメージできます。この人は、西洋絵画の解剖学的知識をもとにした人体デッサンを勉強したのではないかと思えるほどです。そこで描かれている女性は、生身の肉体を持ったものとして、映ります。だから、この人の描く妖艶な女性は、生々しいエロティシズムを帯びていると思います。

後藤宙外「月に立つ影」の口絵で、これについては下絵、校合摺、差し上げが並べて展示されていました。江戸時代の錦絵(多色摺りの木版画)は、絵師、彫師、摺師の協同作業によって制作されるということで、@絵師が版下絵を描き、A彫師が輪郭線だけの主版を彫り、墨一色の校合摺を作成し、Bその校合摺に、絵師が「色さし」という、どこにどの色を配置するかを指示し、Cそれを元に、彫師が色版を彫り、D摺師が主版と色版で摺って完成するというものだそうです。しかし、この作品では、絵師が彫師や摺師に色を直接指示するという点で、江戸時代の方法とは違うというのです。それが差し上げで、これは輪郭線だけを摺った校合摺の上に、絵師である鰭崎英朋自身が直接色を塗ったものだそうです。完成作と差し上げを比べて見ると、色の濃い淡いの違いはありますが、ぱっと見たところ、非常によく似ています。しかし、輪郭線が同じなのに、髪の毛の線は輪郭線に含まれておらず、形が少々異なります。このようなことが行われるようになったのは、口絵が肉筆画風の色彩になってきたこと、すなわち、色数が増えた上に、淡いグラデーションを多用するようになったことによるということです。色数が少なければ、江戸時代の錦絵のような「色さし」で十分間に合ったのですが、たくさんの色を細かく指示するのは厄介になってきた。また、絵師がさまざまな絵具を使用するになったので、同じ色でも、絵師と摺師とがイメージする実際の色にズレが生じるようになってしまうようになった。そのため、絵師がイメージする色を直接伝える必要が生まれたのです。つまり、技術の進化に対応して手法も変わった。江戸時代の木版画に比べてグラデーションの多様なニュアンスをつけることが可能になった。おそらく、鰭崎が西洋絵画的な肉体の描き方ができるのも、このような木版画の進化が原因としてあるのではないでしょうか。それとも、このように木版画が進化して表現の幅が広がったことに対応して、鰭崎が描き方を変化させていったのか。いずれにしても、鰭崎は技術の進化に応じて、自身の描法を進化させていたと言えると思います。その点で、肉筆ばかり描いていた、画壇の日本画家と違って、外発的に進化を迫られるという状況にあった。それは、ある意味で、画家にとって刺激的な環境であったと言えるかもしれません。なお、木版画の手法と差し上げについてはこちらに詳しい説明があります。

泉斜汀「深川染」の口絵です。まるで芝居の舞台の場面のようですが、江戸時代の役者絵とは違い、二人の人物がいる室内の空間がしっかりと把握され、描かれています。二人の人物は同じ平面に並んでいません。そして、芝居の演技のように大げさではありますが、二人の人物が喜怒哀楽の表情を有しています。表情をつくろうとすると目、鼻、口の配置を歪めてしまいがちで、日本画ではなかなか喜怒哀楽の表情を顕わにしているのは見られませんが、鰭崎は顔の骨格をしっかり押さえているので、表情をつくっても配置が歪まず、美しさを維持しています。それでいて、悲しそうだったり、恐れおののいていたりするから、物語の場面ということもあり、感情移入、共感を呼ぶ作品となっています。ここは、いわば修羅場で、身売り先の男・直太郎の元から逃げ出して隠れて宿泊していた旅籠の寝室に、直太郎が乗り込んできた緊迫感したシーンが描かれています。女性をにらみつける男の表情、寝ていたところを起こされて困惑する女性の表情が見事に表現されて、それがこの人の大きな特徴といえると思います。

後藤宙外「裾野」の口絵です。この作品を見ていると、日本画ではなく西洋画、有名な黒田清輝の「湖畔」に雰囲気が似ていると、思い出してしまいました。でも、違いますよね。

柳川春葉「かたおもひ」三巻口絵です。「かたおもひ」は離ればなれに暮す母子にさまざまな苦難がふりかかるというメロドラマで、この絵は、その母親を描いたものでしょう。上唇を突き出し、面を上げ、心中苦悶の表情を見せるのは、離ればなれの子供を思い、深い憂いに満ちています。しかも、このような仰角で女性の顔を、しかも女の色気も見せつつ雄弁に内面性までも語ってくれる絵を描ける画家は他にいるでしょうか。多少雑なところはありますが、髪の透け感などもよく表現されていて、その髪の乱れた後れ毛の表現などは、この女性のはかなさと色気を強く感じさせます。

「横櫛お富」『娯楽世界』口絵です。このような悪女っぽい妖艶な女性というのは、あまり日本の絵画ではお目にかからないと思います。まるで何かをたくらんでいるような秋波は、世紀末の西洋絵画なら、さしずめファムファタールといったでしょう。この構図で、このポーズは浮世絵の美人画の典型的なパターンですが、このお富には明確な個性があります。有名な歌麿の美人画などは、私には同じ顔に見えてしまうのですが、このお富はたしかに他の女性とは違います。鰭崎英朋は、その描き分けをしています。

柳川春葉「誓」中編口絵です。展覧会チラシで使われている作品です。後の展示コーナーで肉筆画を見ることになるのですが、鰭崎の肉筆画は筆の勢いというか、出と入り、つまり、筆先を紙に接触しそこから線を引いていって、最後に神から放すという動作の身体性をかなり意識しているのが、見ていてはっきり分かります。それは、版画という画家が直接線を引いたりしないで作品が人々に見られるということを、鰭崎自身が自覚しているからではないでしょうか。つまり、下絵を絵師が描いても、それを彫師が版木に彫ったものを摺ったものが作品となるわけです。だから、絵師自身の身体により、息を凝らして、気合を込めて引いた線は、そのまま見る者には届かない。よく見ると、この作品でも、線には出と入りは感じられません。そういう絵師の身体性は抜け落ちて、無機的で抽象的な線になっています。私には、鰭崎をあえて、そういう線を選んだのではないかと思えるのです。そういう身体性を残すことより、描かれた作品は作者の手を離れて、作品自体として独立したものになっている。そういう作品のあり方に自覚的だったのではないか、と思うのです。もしそうなら、鰭崎の認識はポップアートのような20世紀美術と肩を並べていることになります。

 

第2章 石版画、オフセット印刷

吹き抜けの階段を2階にあがると第2章の展示となります。

江戸時代からの伝統である木版画でメリハリの利いた錦絵は鮮やかな色彩の錦絵は、多くの職人を要し、コストがかかることから、安くて手間のかからない石版画やオフセットに移行し、木版画は消えてしまおうとしていたということです。石版は木版に比べるとメリハリに欠け、色彩がやや沈むが、技術が進むにつれてそれも改善されていきました。鰭崎英朋は『新世界』や『娯楽雑誌』などの雑誌の口絵を通して、石版画の魅力を大衆に広く伝えたということです。この章では、1903年から1912〜26年にかけて刊行された文芸雑誌の口絵や表紙を中心に、コロタイプ印刷や三色版、オフセット印刷などによる作品が並んでいて、鰭崎が技術の進歩に貢献し、それに適合するように自身の作品を変化させ、新しい展開させていったことが示されています。

「有明」(左側)『新婦人』第2年5月之巻口絵です。石版画(リトグラフ)は、版画技法の一種で、石や金属板の上に油性の画材で描画し、水と油の反発作用を利用して印刷する方法です。版を彫る必要がなく、描画したものがそのまま版になるため、画家の自由な表現を活かせるのが特徴だということです。例えば、強い線、きめ細かい線、筆の効果、インクを飛ばした効果など、描写したものをそのまま紙に刷ることができるそうです。この作品では、そういった石版画の特性を生かして、色彩の鮮やかさを抑え気味にして、その代わりに陰影表現を前面に押し出しています。遊女であろう襟をはだけた若い女性が、顔を見上げて彼方に視線を向けている先には、大空を自由に飛んでいる鳥の姿。彼女の目には憧れの表情が・・・。瞳が少し虚ろな感じで、無意識のうちに空いてしまった口が、それを物語っています。そして、抑制された色彩がやや沈んだ色調に感じられ、現実の境遇の侘しさを感じさせます。このような哀感を漂わせた作品には、見る者に感情移入を誘います。

「子守り」(右側)校正刷です。赤ん坊の柔らかな毛の質感は木版画ではだせないものでしょう。母子の顔には陰影がつけられて、肌の質感や立体感が表現されています。あるいは、抑えた色調が二人の着ている服がふだん着で、何度も選択しているため色が落ちている生活感も表われています。その着物の模様のやわらかな表現。赤ん坊の弱い肌には、新しい布よりも、使い古して角の取れた肌触りの柔らかな布がいいわけで、その柔らかな質感が表われていると思います。これは、石版画の特性を生かしたものではないかと思います。

「芙蓉」(右側)という作品です。これは、浮世絵とか日本画とかいわずに、とにかく絵として美しい。しかも、この女性の顔は浮世絵とか日本画のパターンを脱け出て、肉体としてリアルに描かれています。例えば鼻の小鼻の広がりや陰になった顔半分の目の描き方、閉じた目の目蓋の少し盛り上がったところ。その微妙な描き方が瞳を閉じているにもかかわらず、表情がうかがわれる。

「避暑地にて」(左側)『婦人画報』第137号口絵です。これはオフセット印刷によるものです。オフセット印刷は、平らな版(刷版)を使用して印刷を行う平版印刷の一種です。版にインクをつけ、それをブランケットと呼ばれるゴム製のローラーに転写し、さらにそのローラーで用紙にインクを転写することで印刷を行います。この「版から一度離して(オフ)、転写する(セット)」という工程がオフセット印刷の名前の由来です。カラー印刷は、シアン・マゼンタ・イエロー・ブラック各色の版を出力し、それぞれ印刷を行う。印刷機の中に紙を通し、一枚の紙に4つの色を刷り重ねていくことで最終的な仕上がり色を再現します。オフセット印刷の基本的な画面の作りかたは印象派絵画の点描に近い、今でいえば、ドット式のプリンターのような作りかたです。そうなると、線描を基本とする浮世絵も日本画も、線を活かせないので相性がよくありません。これには西洋画の色を塗った面で構成される絵画が相性がいい。そこで、鰭崎は浮世絵というよりは水彩画のような作品にしています。それででしょうか、今までにない軽い画風になっています。朦朧体とは言いません…。



第3章 肉筆画

肉筆画は掛け軸なんかがあったのですが、鰭崎も版画だけでなく、肉筆画も描いていたというだけで、取り立てて、これが、という記憶に残る作品はありませんでした。ひとつ、印刷の原画ですが、「秋の声」『婦人界』第22巻第3号表紙です。これは、目がパッチリしていて、切れ長の浮世絵風の美人ではない、ハイカラな大正風の美人画を描くようになっている。そういう美人を描くのにふさわしい描き方にもなっている。いわゆる浮世絵からは、かなり遠いところにいることを、はっきりと示している作品だと思います。ある意味では、日本画の画壇の美人画よ、はるかにハイカラになっている。私には、例えば、表情がなくて、お人形さんみたいな上村松園なんかの美人画より、鰭崎の絵の方が、ずっと親しみ易い、と思いました。

 

 

 

 
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