竹内栖鳳展 ─近代日本画の巨人─ |
都心でセミナーがあって、その空き時間に急いで行ってきました。このところ、速水御舟だの大野麥風だのと日本画の美術展に続けざまに行っています。本来は、日本画に疎いため積極的に出かけようは思わない美術展ばかりです。しかも、今回も、よく知らない画家で、しかも都心でも交通の便があまり良くない近代美術館にわざわざ行って見る、というのは自分でも不思議な気がします。このところ、仕事環境で変化があったり(未だに環境に適応できないでいますが)、体調を一時崩したり、私自身の変化を促すようなことがあったためかもしれないし、馬齢を重ねたことにより(齢をとってマルくなった)若い頃には見向きもしなかったものに親しめるようになったかもしれない(若いころは大嫌いだった漬物が今は大好物になった)し、などと理由はいくらでもデッチあげられます。まあ、直接的な理由としては、先日たまたまみた「谷文晁展」に並べられていたブツがあまりにも難解で、ちんぷんかんぷんだったので、感じること以前で唖然としたまますごした経験(例えば、私の目の前でブロンクス訛りの英語を早口で捲くし立てられ、果たして私に対して言葉が発せられているかも分らず、呆然としているような状態)による、ということにしておきましょう。その後に見た速水御舟にしても大野麥風にしても、これは絵画なのだと自分に言い聞かせながら、絵画である証拠を探しみつけながらようやく見ることができた、という有り様でした。会場に沢山の老若男女が詰め掛けるように来ていましたが、その中で、こんなに戸惑っているのは私だけなのだろうかと(それはそれで、快感であることも、あるのですが)、寂しく思ったりもしました。そういえば、歴史の教科書で見た日本画に魅力を感じたことはなかったかもしれないなどと思い始め、そういうものへの回路がないのか、私は日本人なのに、とか訳の分からない感慨に陥ったり、とまあ、複雑な事情があって行って見たというわけです。 行列ができるほどではありませんが、館内は比較的混んでいました。速水御舟展のときもそうでしたが、年配の鑑賞者(とくに男性)が多く、一方学生なのか若い人も意外といて、私のような中年が少ないという鑑賞者の年齢に偏りがあるようです。 で、竹内の作品の印象ですが、これが見られたのです。違和感なく。不思議なことに。なんか、不遜な言い方ですが、まあ良いでしょう。ちゃんと自腹で入場料を支払っているんだし…。竹内さんとは利害関係は何にもないんだし…。冗談はさておいて、速水御舟や大野麥風の作品に比べると、サマになっている、というのが正直な印象です。どうしてと、きちんと説明するのは難しいのです。絵として見ることができるのは。それは、JR東日本の駅のホームの発車のしらせのチンタラリンが音楽ではない理由の説明が難しいのと同じです。ひとつ、副次的な理由ですが、速水の時のような居間の床の間に飾ってお茶や酒の肴にして愛でるためのツールというような感じはなくて、それ自体が「見ろ!」とでもいうように存在を周囲に主張している、極端な言い方ですが、速水の作品が骨董品として画商ではなくて古物商に扱われるものなら、竹内は画商が扱うという違いでしょうか。説明になっているか分りませんが。もっと直接的にいうと、速水の作品には解説本で説明されているような写実とか近代性とかいったことはついぞ感じられなかったのに対して、竹内の作品は自然とそういう要素が感じられたということです。その辺りのこと考えながら、具体的に作品を見ていきたいと思います。展示は次のような章立てで行われていました。 第1章 画家としての出発 第2章 京都から世界へ 第3章 新たなる試みの時代 第4章 新天地をもとめて このほか、特集展示として 美術染色の仕事 旅 となっていました。このうち第1章は習作期のお手本の模写やスケッチで竹内のお勉強をしたい人にはいいのでしょうが、それに感想でもないので割愛し、第3章の後半あたりから竹内が老境に入ったあとの作品は私には急速につまらなくなるので(ただ、そこで、なぜつまなくなったと思うかの理由を考えていくと、竹内の作品の魅力を逆照射できることになると思うので、割愛はしないで、つまらなくなった竹内も少しだけ見ていきたいと思います)、そこは駆け足ということで、第2章のところを中心的に見ていくことになると思います。
今回のあいさつでは、竹内を次のように説明していました。「栖鳳は積極的に他派の筆法を画に取り入れる一方で、定型モティーフとその描法を形式的に継承することを否定し、画壇の古い習慣を打ち破ろうとしました。その背景には、明治33年(1900年)のパリ万博視察のために渡欧がありました。現地で数々の美術に触れ、実物をよく観察することの重要性を実感したのでした。しかし、やみくもに西洋美術の手法を取り入れたのではないところに栖鳳の視野の広さがありました。江戸中期の京都でおこった円山派の実物観察、それに続く四条派の軽妙洒脱な筆遣いによる情緒の表現は幕末には形式化が進み、定型化したモティーフとそれを描くための筆法だけが残りました。栖鳳は実物観察という西洋美術の手法をもとに、西洋と肩を並べられるような美術を生み出そうという気概で、これら伝統絵画の根本的理念を今一度見つめ返そうとしたのです。」
例えば上側の4匹の犬のうち親犬が目を閉じてうつむいている姿は、微睡んでいるようにも見えます。そこには平和な静けさを表しているようにも見えると言います。これに対して下側の刈田に落ちた稲藁に集まって争うようにこぼれた粒を啄む雀の群れはいかにも騒がしげです。この4曲1隻を左右に並べて置くと、左右で向かい合うように騒がしさと静けさが対照的に対置され、親犬が眠ったふりをしているのか、これから眠りを覚ますのか、それとも雀の騒がしさにも動かされず眠っているのか、様々な物語を喚起しています。細かいところを見ると、様々なことが言えますが、それは他の作品のところでも適宜触れていきたいと思います。
それを、何種類も展示されていた獅子(ライオン)を描いた作品に見ることができると言います。当時は、それまでに様々な画家が獅子を描いていたわけですが、実際のライオンを見て描いたということはなく、渡欧して動物園で生きたライオンをスケッチして本物のライオンの姿を描いたというのは、当時の人々にとって新鮮だったのではないかと思います。参考として狩野永徳の『虎獅子図』(左上図)を見てもらうと、実際の虎やライオンとは別の生き物に見えます。このような獅子の画を見ていた人々にとって、竹内の獅子図は新鮮どころか驚きを以て迎えられたのかもしれません。今回の展示では、5種類の獅子図が展示されていましたが、もの珍しさもあってニーズが高かったのではないかと思います。
『大獅子図』(1902年)(左下図)は4曲1双で正方形に近い画面で遠近を強調して、胴体の後ろ腰の部分を大きく後退させたように小さくしながら足先の指は前後の足で同じ大きさにしてデフォルメすることによって、獅子の身体の大きさと、どうして右半分に偏ってしまう画面のバランス構成を考えているように見えます。大きな顔の部分と鬣に胴体が隠れてしまうポーズで、横たわり後ろ足を伸ばしている姿になっています。右側の画面の大きな部分を占める鬣の毛のふわふわした柔らかさをぼかした線であらわし、それ以外の部分、とくに顔の部分は線の抑揚を抑えてカッチリ描線をひいて、分厚く陰影を塗り分けている。これにより、鬣をはじめとした獅子の毛に覆われた柔らかな体表と体全体の存在感や重さが見て取れます。
そういう、竹内の特徴を考えると、そのような彼の方法論に最も適していたのは風景画ではなかったか、と考えます。実は、獅子図についても、風景画として、それがあたかも風景画であるかのように見ることができると思うのです。ライオンの構成要素をひとつひとつ分解して、そこから描くべきところを取捨選択し、画家の切り口で選択したパーツを構成してひとつのまとまりにして、その筋道を通した結果が作品となる。風景全部を描くことはできませんから、自然とそうなりますが、獅子に対してもそれだけで完結したものとは見ずに、切り取られるべき世界と見て描いている、というように見ることはできると思います。後で触れますが、竹内の人物が少なく、あったとしても面白くないのは、そういう方法論のゆえではないかと思います。
~風景
このように風景を描くには、風景という客観的な対象が目の前に在るということを認識する、という現在の私たちには当然のことですが、そのことを前提にしていなければならないはずです。それが在るということが前提されていなければ、在るがままに写そうという写生とか写実という発想は出てきません。それは、近代西欧でいえば、デカルトによって確立された主観と客観の二元論的な世界観です。自分と違うものが実在していると認めるから観察という発想が出てくるわけで、その観察した結果を正確に写そうとして写実ということが生まれてくるわけです。しかし、例え 今まで述べてきたのは、西欧の風景を題材にしたものなので反則に聞こえるかもしれません。それで、近代以降の日本画でも取り上げられることの多い富士山を題材とした作品を見ていきたいと思います。1893年の『富士』(右図)という作品を見てみましょう。竹内の初期の作品ですが、横山大観の切手にもなった作品『富嶽飛翔』(左図)と比べてみると、竹内の特徴がよく分ります。横山の成熟した著名な作品と比べると巧拙の差はあるかもしれませんが、一番の違いと感じられるのは、横山の富士は洗練された線でスッキリと秀麗に描かれているのに対して竹内の富士はゴツゴツした感じで、線は重なり、輪郭もスッキリしない正反対の印象だということです。横山の描く富士は、一般的な日本人がイメージするステレオタイプに合致する、というよりも、彼の一連の作品が富士のイメージを定着させる役割を果たしたのかもしれませんが、成層火山のスッキリとした秀麗な姿で、その姿の美しさを表わしています。ただし、私のような日本画の素養のないものが見ると、銭湯の壁に描かれた富士山とおんなじという感じで、横山が作った富士の象徴的なかたちが独り歩きしてしまって、富士山型という山の形象を描いているようで、実際の山の存在感はあまり感じられないというのが正直な印象です。
この後の時期以降、竹内の作品は急速に魅力を減じていきます。あまり、つまらないを連発するのも気分がいいものではないし、とくに感想を書く気も起らないので、これが竹内栖鳳展の感想です。なお、重要文化財に指定された有名な『斑猫』は展示替えの関係で見ることができませんでした。 |