横山大観展
─良き師、良き友─
 

2013年10月22日(火) 横浜美術館

仕事の内容が変わり、外出の機会は減っていくだろうことから、これまでのように、外出のついでに余った時間で美術館に立ち寄るということも、機会は減っていくことになるだろうと思います。そんな思いもあって、少し遠いけれど横浜まで足を延ばした。横山大観は日本史の教科書でもお馴染みの、いわゆる歴史的な日本画の大家で、普段なら敬して遠ざけるタイプの美術展。日本画では現代で話題の松井冬子なんかを見たことはあったが、最近、速水御舟竹内栖鳳といった近代日本画や谷文晁の難解さにたじろいで、多少、挑戦してみようという意志が生まれたので、無理することにした。また、人との約束があり、その間を埋めるに適当な時間つぶしでもあった。ただし、そのことが気になって、頭から離れなかったせいもあって、展示されている作品に集中することはできず、どこか上の空な感じで終始してしまったのは、残念。とはいえ、裏を返せば、展示されている横山の作品が、私にとって、それほど魅力的に映らなかった、あるいは魅かれるところがあまりなかった、とも言えると思う。けっこう、ネットでの感想を拾い読みすると評判はいいらしい。私は、センスが悪いのが、捻くれているのか、そんなものだろうということを再認識した。美術展そのものは、美術館では大掛かりに演っていたようだが、私の行った時は、拝観者でごった返すということはなく、静かに鑑賞することができた。平日の夕方おそくという時間帯のせいかもしれない。

主催者のあいさつの中で次のように、この美術展の趣旨が述べられています“大観はこれまで明治期を共に歩んだ菱田春草、下村観山らとの関係が有名で、大正期以降の交友関係についてはあまり知られていません。薫陶を受けた岡倉天心が大正2年(1913年)にこの世を去った時、大観は40歳半ば。その芸術も実りの時期を迎えており、中国の古典を新しく解釈する東洋趣味や「片ぼかし」と呼ばれた新たな水墨表現、人物や背景のデフォルメ、大胆な色彩表現など、明治時代には見られなかったモダンでユーモラスな新感覚にあふれた作品を生み出していました。このような作風の背景には、大観が当時したしくつきあっていた画家たちの存在がありました。それは今村紫紅、小杉未醒、小川芋銭、富田溪仙ら同じく画壇の一線で活躍する仲間たちでした。互いに漢籍に通じ、東洋思想に共感した彼には日頃から親しく書簡を交わしたり酒を飲みながら芸術論をたたかわせ、《東海道五十三次絵巻》など旅をしながら作品を仕上げていく合作にも取り組みました。大観は溪仙が得意とする新南画や、未醒、芋銭らの文人趣味的な傾向に触発され、大正期の新たな作風を造り上げていきます。時代の波の中で、伝統のみに固執せず、それぞれの優れた資質を尊重して自在に芸術を切り拓き、高め合った彼らの作品をご覧下さい。”

ということで、ここで紹介されている画家たちの作品も対照させる意図で展示されていたし、その趣旨はそれなりに分かりますし、ただ私が我儘なのか分かりませんが、どうしてこのような趣旨で美術展をするのかということが、多分大観という作家の作品をどのように捉えるのか、ということに拠ると思うのですが、例えば、今回展示されていた要素が大観の作品にどの程度の重要さがあったのかということ、それを含めた、では横約大観の作品とはどのようなものであったか、という概要が私には見えてきませんでした。もとより、私は横山の作品に対しては何も知らない人間で、この美術展はある程度横山の作品に通じている中級者向けで、勉強してくるのが当然と言われれば、そうなのかもしれません。また、ここで紹介されている画家たちの作品は、私にはまったく魅力が分からず、影響を受けたとして展示されている横山の作品がそれほど彼にとって重要な作品とも思えないのです。とすれば、彼の伝記的情報の中の一挿話程度のものかもしれないと、私は個人的に思われてしまうのです。そうでないという説明は横山の作品の魅力をどう見るか、という説明が不可欠なのですが、それが為されていない、ということなのです。以前のプーシキン美術館展のときもそうでしたが、横浜美術館に対しては、私はとくに悪意を持っているわけではないのですが、辛辣な物言いをしているかもしれません。

私には、先日、近代美術館で見た竹内栖鳳と比べると竹内の作品は絵画だけれど、横山大観の作品は絵画になっていないと思いました。独断と偏見で、しかも辛辣な物言いを許していただければ、多くの作品が展示されていましたが、絵画として見ることができる否かは別にして、魅力あるものとして映った作品は少なく、こんなものもあるんだというような情報の確認のような作品が、このような美術展でもなければ素通りしてしまうような作品が大半だったと思いました。 

        

第一章 良き師との出会い:大観と天心

横山が1889年に東京美術学校に入学して岡倉天心に出会い、その後天心に付き合って日本美術院に入り、という明治期の岡倉天心とのかかわりの中での作品ということでしょうか、展示されています。ここで展示されている作品の印象を一言で言うと、下手、ということに尽きます。私は、本質的には横山という人は器用な人ではないかと思っています。それは、様々な画風の作品を遺しているからです。目先を変えた小手先が器用でなければ出来ないことです。横山の壮年期の写真が展示の最初にありましたが、その風貌から豪放磊落のような印象を与えますが、作品を見た印象では、器用で目端の利く才子タイプの人だったのではないか、と想像してしまいます。というのも、私が最初に述べた下手という印象は手をかけているように見えないためです。手を掛けるべきところにかけていないので、仕上がっていない。例えば、もっとデッサンをして描き込めば、しっかりした形ができるはずと思われるところで、構図とか形態が崩れてしまっているように見えることが多くありました。

例えば、大作「村童観猿翁」(左図)という作品。東京美術学校の卒業制作ということで、当然力を入れるべきはずで、在学中に学んだ伝統絵画の様式、古画模写の経験を生かしたらしいということで、学生時代の集大成のような作品だったと思います。それにしては童子たちの人物の描き方が顔になっていないし、人の形をしていない。これは現物を実際に見てみるとよく分ります。単なる学生の卒業制作で、いわば習作だからということなのでしょうか。しかし、背景の木の描き方を見ていると、ちゃんと木を描いているので、もともとの技量が足りていないということはないと思います。そして背景の木々と中心である牛と猿と童子たちのバランスが、何か変です。何か、中心の方が軽いので、背景の方に目が行ってしまう。何か、画面を一つの世界として構築して完成させようということを最初から考えていないような感じがします。何かの慰みに筆をさっさと奔らせて、一丁上がりという感じなのです。丁寧に色が塗られているようですし、背景はちゃんと描かれているのですか、なぜ、完結させようと努めなかったのか、本人に根気がなかったのか、もともと日本画というのはこういうものか、私には分かりません。でも、そういう意味では、質が違うと言われても、これは“お絵かき”であって、“絵画”とは考えられないのです。最初のところで、横山は絵画を描いていない、と私が述べたのはそういう意味です。これに対して竹内栖鳳の場合は、大胆な省略のようなことをしていますが、あくまで技法上のことで、省略された空白においても、竹内の意思が行き届いているように見えます。横山の作品には、隅々までそういう配慮が為されている感じはしません。

「村童観猿翁」でも、そうなのですが横山という人は、特に生命あるもの、動物や人物を独立の存在として描くことは苦手だったのか、とりわけ人物については生きていないし、存在感がまるで無いし、数人描かれればみんなおんなじで個性がなく、薄っぺらいものになっています。だから、ここで展示されている作品の中でも知られているものも、あるようですが。人物画は、私には、ここで取り上げる価値のないものと思うので、とりあえずは風景を題材にしたものを取り上げてみます。「柳下舟行」(右図)という掛軸の作品です。掛軸という縦長の狭い空間という制約を受けているため、「村童観猿翁」のような大きな空間を構成する必要がないためか、ここでの横山は「村童観猿翁」で見られた配慮の至らないということ当面見当たりません。そして、後年、私は横山の作品の一つの魅力となっていると思われる図案化が試みられています。縦長のという制約をうまく利用してタテの線で画面を作っています。木の幹と何本も垂れ下がる柳の葉です。柳は鑑賞者に近接するように大きく描かれ、奥の帆船は極端に小さく描かれて手前と奥に二極化されています。これは遠近法で奥行を表現すると言うよりは、二つの平面を対照的に作品の中で同居させるという感じです。手前の柳の葉も幹もアップ画像のようなので平面的に図案化されていても、それほど気になりません。また、“背景の余白を淡い色で埋める方法は「朦朧体」という呼称で非難されていたころに見られる特徴の一つ、この方法によって、空気の存在だけでなく、夕暮れのそらの色合いや月明かりの情緒が表わされることが多かった同時に対象物は整理されていき、画面はシンプルな構成をみせるようになる。本作品のように現実味が薄れ、幻想的な雰囲気を醸し出すケースも多かった。”と解説されています。横山大観というと朦朧態という技法がセットで言われることが多いようですが、朦朧にするという技法に何の意味があるのかと疑問に思うことが多かったですが、この解説のように画面の要素の省略の助けとして、その結果図案化が進めるものというなのでしょう。それなら何となく分かる気もしますが、それなら思い切って省略すれば、それで済むと思うので、朦朧にする必要があるのか。日本画は難しいです。

また「杜鵑」という作品。これも掛軸という制約にうまくハマった作品です。“ホトトギス一羽を、爽やかな初夏の新緑を舞う鳥としてではなく、深山を飛翔する孤高の鳥として描いている。ホトトギスを小さく描いたがゆえに、まるでその鳴き声が山に響き渡るかのように広く空間を獲得している。”と解説されているのを読むと、そんなものかと思います。慥かに、ほとんど点のように小さく描かれた鳥は風景の一点で、この小ささならば鳥という生命の存在を描き込む必要はなくなります。その意味で、横山の苦手なところを巧みに回避した戦略的な構成と思います。しかも、空に舞う鳥ということで余白を取ることができて平面的な画面構成が許されることになります。とは言っても、下方の木々の描き方がいかにも平面的で、図案化が中途半端です。この辺りが、横山の下手だ感じられるところです。

私は展示時期の関係で見ることはできませんでしたが「屈原」という有名な作品が展示されていたらしいのですが、画集等で見る限りは、迫力ありそうな感じですが、この展示の轍を踏んで、実物を見ると落胆しそうな感じがします。もしかとたら、横山の作品は複製した方が見栄えがするタイプなのかもしれません。

※ここでは画家のことを「横山」と苗字で呼んでいますが、日本画の画家は大観と号で呼ばれるのが一般的なようですが、私はこの人をファーストネームで呼べるほど詳しくも、親しくもありません。カンディンスキーとは呼んでも、ワシリーとは呼びません。それと同じです。このような呼び方をしていることからも、私の日本画に対する姿勢は想像がつくと思います。 


第二章 良き友─紫紅、未醒、芋銭、溪仙:大正期のさらなる挑戦 水墨と色彩 

ここからが、この美術展の核心部ということになると思います。解説では“大正期の大観の作風は、鮮やかな色彩が現われた一方で、朦朧体から出発した水墨表現に新たな展開を見せた。また革新的な構図やデフォルメに加えて、主題の新たな探求など、多様な試みで、表現そのものが持つおおらかさを湛えた、伸びやかな画風を切り拓いた。”とこの時期の大観の特徴を説明しています。これに良き友である画家たちが関わったということです。ただし、私は大観すら分らないので、横山と友人の画家との関わりまで追いかけることはできず、横山に絞って、それ以外の画家は切り捨てて観ることにしました。何しろ、彼らの作品は横山以上に難解だったのです。

解説で説明されていたことに沿って、展示は次のように小分けされていました。

一、水墨と色彩

二、構図の革新とデフォルメ

三、主題の新たな探求

そこで、この小分けに従って、最初の水墨と色彩から見ていこうと思います。

大正期の横山の作品を特徴づけるものとして、水墨表現をあげ、「朦朧体」に続いて「片ぼかし」という表現方法で呼ばれるようになったと言います。「片ぼかし」は、“はじめ弧を描くような筆線の内側をやや暈したような描き方を指していたが、水墨の筆力の弱さ特徴ある線自体を指すと言ってもよく、狩野派における濃墨で力強い肥瘦ある筆線と対比的に、穏やかな、柔らかい味わいを出す技法として用いられた。”と説明されています。当時の横山の「片ぼかし」は、“一種の墨の弧線とその濃淡の使用法を以って、飽くまで平面的に描写しようとする大胆な計画で、敢えて技術を稚拙に見せながら、そこに生じる個性の表出や味わいを前面に打ち出す新技法だった。”と言います。う〜ん、自分で引用していても、よく分らない。じゃあ、他の日本画家、例えば竹内栖鳳も線を暈した作品を制作していますが、両者の違いは何なのだろう。

「雲去来」(左図)という作品、2隻1曲の屏風ですが、左隻の山容は「片ぼかし」で描かれ、右隻の山容は、墨の面を片側へ暈して立体感を表わし、同時に雲の描写につなげる工夫をしている、といいます。ただ、私には、例えば右隻の手前の木や屋根の描き方があまりにデフォルメされていて、まるでテレビアニメの日本昔話の田舎の古寺で和尚さんが出てくる場面の背景の描き方を彷彿とされられるようなので、笑い出しそうになる程度のものでした。私には、この作品は技法を試している程度のものにしか見えませんでした。

「夜」(右図)という竹藪の奥にミミズクが目を光らせ、さらにその奥に覘く月の光に照らし出されているという作品。全体が夜の薄明かりというぼんやりとした世界と夏の湿気を含んだ空気の雰囲気を出しているという作品。まるでスプレーで吹きつけたような線や筆跡を感じさせず、暈しのグラデーションによって徹底して描かれているのが効果を放っていると思います。竹藪の竹葉やミミズクは思いっ切り図案化されて、平面的で、それが墨の暈しのグラデーションのなかで、フラットに並べられています。まるで、何かのポスターにでも使えそうな洗練された感じの図柄は、夜の暗さの中で一様に感じられて、結果として平面的に感覚に錯覚される感じが、実感させられるという点で、さっきの「雲去来」という屏風に比べると、遥かに親しみやすい作品だと思います。この墨の濃淡だけのモノクロの画面の中でミミズクの眼と月だけが淡い黄色に着色されていて、光を発するところが微かではあるがとても印象的に目立つ効果が上がっています。この作品では、暈しの技法があまり気にならず、むしろ図案化したデザイン性をうまく引き立てる効果をあげているように見えます。私には、横山という画家は、このような軽いテイストでしゃれた感じのデザインに近いような、いわゆるオシャレなイラストっぽい作品を描くと良い仕事をするように思います。どちらかというか絵画作品を完璧に構築して仕上げるという意志の強さとか根気に欠ける作風のように見えます。その作風にとって、「朦朧体」でも「片ぼかし」でもいいのですが、ハッキリと線を強く主張することから上手に逃げることができ、しかも画面を軽いテイストにするには格好の手法だったのではないかと想像してしまうのです。それがハマッた作品が、この「夜」ではないかと思います。

一転して「秋色」(上図)という作品は、それまでの水墨画のモノクロの世界から、派手で豪華絢爛ともいえる色彩を駆使した作品です。常緑の杉にからまる蔦の紅葉した葉が画面いっぱいに広がり、杉の緑に対照された蔦の葉の紅葉した赤が強い印象を与える作品です。この画面では配された鹿も色の存在観では蔦の葉に負けてしまい、主役は蔦の葉の成ってしまっているような作品で、その蔦の葉が正面からみられた葉の形で一様に図案化されています。さらに葉の紅葉が暈しの手法で赤や黄が模様のように配されていて印象的です。まるで着物の柄のデザインのような画面の印象です。ただ、こういう日本画の平面的な作品は画像や複製で見る際には問題ないのですが、実物を見てしまうと、ノッペリトして単調に感じられることが多いのです。例えば速水御舟の装飾的な屏風絵を見た時に画集では大胆なデザインと思えたものが、単調で退屈だったのです。しかし、この横山の作品は画面上の多数の蔦の葉が暈しの技法で様々な赤と黄のグラデーションを構成していて単調さに陥るのを防いでいます。多分、横山という人は、派手な色彩を効果に配するセンスが良かったのではないかと思います。だから、水墨画のようなものよりも、派手でカラフルなものの方が合っていたように思えるのです。時代とか、風潮が許さなかったのか、権威になっていたので、重厚なもの追求せざるを得なかったのか、とても残念に思います。 


第二章  二、構図の革新とデフォルメ

まずは、「竹雨」(左図)という作品を見てみましょう。縦長の画面の中で、傘をさし、着物を端折った人物はずんぐりとした「片ぼかし」により描かれて、画面と対照されています。画面全体を見れば、手前と奥の竹林を濃淡によって遠近づけ、湿潤な空気を淡い墨の暈しで表現している。構図面では、左手前から大きくS字を描くように上がる道、それに見え隠れする右手前から上方へ緩く広がる竹林、そして竹林によって抱え込まれるように画面左側に空間が広がる。細かく見れば、竹林の竹は、パターンがあるかのように、みな同様のかたちを呈し、その大きさも円形と近景に差をほとんどつけていない。ただし、濃墨と薄墨を使い分けることで、遠近感が表現されている。また、同じような線で表わされるがより細い雨は、白色の絵の具で画面全体に短い斜線を散らしている。つまり、竹というパターンと雨というパターンの繰り返しが画面を覆っていて、それを濃淡で繰り返しにバリエーションをつけている。これは、展覧会の趣旨に沿って見てみたものです。でも、竹林をパターンの繰り返しで描くことなら船田玉樹がもっと大規模で執拗に、もっと言えば暴力的にやっているし、今、見て、とくにどうこう言うほどのものではないと、と私は思います。それよりも、そこまで構図や濃淡に気を使うなら、線の一様なのは、どうしてか竹林と奥の建物、そして手前の人物が同じ太さの線で描かれていて、使い分けができなかったのか、ということ。そしてまた、竹や雨はパターン化できていたのに、人物や建物は中途半端で、リアルにも図案にもなっていないで宙ぶらりんなのです。どうしても、ここの一連の展示を見る限りでは、横山の場合は人物表現の弱さというのが致命的のような気がしています。

構図の革新とは、あくまで、これらの作品が描かれた大正期においてのことでしょう。今の時点でみれば、それゆえに、却って古びて見えてしまうものが大半です。それらは、様々な試みが為されていると思いますが、試みの域に留まったというのが正直な印象です。そのうち、どれだけ横山という画家の性格に合って、かれの世界を広げることになったのかという、私には何とも言えません。

私が、一番印象に残ったのは「老子」(左下図)という作品です。全体のデフォルメに構成が合っていて、横山苦手の人物を題材にした作品では出色ではないかと思うほど印象的です。中央に腰かけた老人が振り向く姿は、その傍らで眠る童子も、デフォルメされて丸みを帯びた姿で描かれています。さらに背景の岩窟は「片ぼかし」で描かれていると言います。その岩の描き方は折れ線によるパターンのようで、その鋭い線の屈折のパターンは、フェルナン・レジェ(右上図)の描く機械のバターンの線やキュビズムの鋭い屈折を彷彿とさせます。それは、岩窟という感じではなくて硬い凸凹というパターンに還元されているようです。そして、人物はリアルさから遠く離れ、背景の岩窟以上に図案化されて、ここまでやれば人物の存在とか、そういったことではなくて、画面平面のデザインのパーツとして扱うことができます。例えば、アンリ・ルソーの「眠れるジプシー女」(右下図)のような、人物の個性とか存在とかを切り離して、ライオンや夜の場面との構成で様々な解釈を誘発するような作品になっています。このとき、ジプシー女には人間としての、女性としての肉体とか存在感は必要ありません。肉体を備えたものとして描くと、リアルさがどうしても伴ってしまって、隣にいるライオンが食べたくなってしまうからです。そうなったら、ライオンと無防備に眠る女が共にいるという画面構成が不可能になってしまいます。同じように、横山のこの作品では、生身の老子を彷彿とさせないことで、作品全体が虚構の世界をつくることに成功したのではないか、と思います。もともと、横山の描く絵画は、竹内栖鳳の場合とは違ってリアルに現実を映して表現するという志向性は希薄だったのではないかと思います。むしろ、虚構的な世界、例えば物語だったり、伝統的なお約束だったり、というようなものです。だからこそ、竹内などに比べて、より様式的な作風に寄っているように思います。その意味で、このように、横山としては突き詰められるところまで様式性を追求した作品は、私には横山という画家の個性がいかんなく発揮された作品として、興味深く見ることができました。 

         

第二章 三、主題の新たな探求

“主題の新たな解釈や探求は、大観が明治期においても常に取り組んできたことではあったが、大正期において、若き画家との交流が活発となって、南画的なおおらかさや、やまと絵研究の上に立ち、さらに探究を深めたと思われる。”と説明されています。と言われていても、新たな主題と新たでない主題の違いがよく分らないので、何とも言えません。私が見る横山の作品の特徴は、現実世界をリアルに写していくことよりも、見たものをデフォルメして図案化し虚構的な世界を作り上げていくのに長けている、というものです。その際に、作品を観る者に虚構的世界に入ってもらわないと、作品を面白いと思ってくれない。そのため、取り上げる題材とかは観る人にとって既知のものするのが手っ取り早いわけです。ただし、それが陳腐に堕すれば、振り向いてもらえない。そこで、興味を引くために陳腐を避けて、ほんの少し観る人の視点をズラすような工夫、つまりは観る人にほんの少しの違和感を覚えさせれる、ちょっとしたサプライズを与える、というようなことが有効です。横山の作品では主題の工夫といっても、そういうことなのではないか。実際、展示されている作品を見渡してもびっくりするようなものを題材としているとは考えられませんでした。むしろ、何を題材とするかではなくて、どのように見せるか、という方が横山という画家の志向するところだったのではないか、という感じがします。この大正期においては、挑戦的であったのかもしれませんが、私は、当時の人間ではないし、当時に遡って作品に触れるという見方をしているわけではありません。

「千ノ與四郎」という作品は、このコーナーで典型例として説明されているもので、與四郎とは千利休の幼名で、武野紹鷗に茶を学ぶために入門する際に、紹鷗は與四郎を試すために、あらかじめ掃き清めておいた庭を掃除するように命じます。與四郎は木をゆすって落ち葉を散らし、庭に風雅を与えることでこれに応え、紹鷗は與四郎の才能を認めた、という逸話に基づくものだそうです。ここでの與四郎は侘び茶の大成者である千利休ではなく、輝かしい未来を信じる青年として描かれているというのが、横山の主題の独自性だということです。

そういうことよりも、俯瞰の構図で配された茶室や庭木の生い茂る様子を描き、バランスを失するほど庭木の生い茂る様子を描き込んでいること。それによって主人公である與四郎が庭木に隠れてしまうほどであること。実際のところ、存在感は與四郎よりも、庭木の方が強いところが、この作品の印象です。画面全体を覆い尽くすように庭木の様々な葉が描かれて、葉っぱがこの作品の主題ではないか、とこれに対して、與四郎が平面的で、生命感がなく、存在感が希薄です。作品を先入観なく見ていれば、ここに人物を置く必要が感じられないほどで、端役に過ぎないと言っても過言ではありません。ここでも、横山という画家の描く人物はつまらない、という特徴が露出していますが、執拗に、また絢爛と描かれた庭木の葉が、この作品の主題ではないかというところが、もしかしたら新たに探求された主題ということなのかもしれません。私には、日本画の伝統とか技法とかいうものにはとんと疎いので分かりませんが、日本画の様々な表現方法とか技法を駆使して、様々な葉っぱが様々に描かれているように見えます。そして、描かれている葉っぱは様式化、パターン化されて、多くの枚数が描かれることで反復され、その繰り返しとズラしがリズムを生み出して、反復の構図が不思議な活き活きとした印象を生み出しています。そのなかに幽霊のような存在感のない與四郎が配されることで、いっそう葉っぱが際立つ効果をあげている、と言えるかもしれません。

この作品では、前回も参考として紹介したアンリ・ルソーの作品(下図)と通じているような感じがします。 

 

第三章 円熟期に至る

核心部の展示が済んだところで、オマケです。その後の横山の作品ということでしょう。それと、関連作品と資料ということで、彼のコレクションした陶器や手紙の類、それと現代画家の山口晃の描いた横山大観その他が展示されていました。関連資料は明らかに蛇足、もって言えば邪魔でした。うるさいだけでした。

さて、“大正の時代の空気とともに、絵画の思想性を訴えようとする明治期に見られた頑なな使命感から放たれたかのように、大観の制作は、個性的な画家たちとの交流を背景に、充実した展開を見せたが、それは昭和期にかけていよいよ円熟味をましていった。”と説明されています。まあ、後拾遺集という感じでした。全体として、印象に残る作品が少ない美術展でありましたか、このコーナーでは強いて取り上げたいと思う作品がありませんでした。竹内栖鳳のときもそうでしたが、老境に入り円熟したという作品では、私の見る限り日本画の画家は作品に力がなくなり、緊張感が失われ弛緩した作品になってしまう印象を受けます。例えば「野の花」という作品と「千ノ與四郎」を比べてみれば、植物を描く執拗さが薄れている感は否めません。老境に達しても描かれる人物に生気がないことは相変わらずで、しかも植物の繁茂しようとする生き生きとしたところも失われてしまっては、画面に迫力がなくなって、大画面でも退屈を感じました。あまり、悪口を長々と綴ってもしょうがないので、このへんでやめにします。

この展覧会でまとまって作品を観たかぎりでの横山大観の作品のイメージは、近代日本画の大家とか岡倉天心などと共に近代日本画を成立させたとかいう大層なイメージではなくて、手先が器用で目端しがきくという長所から、商業的成功に結びつくような通俗性(大衆性)を上手にオブラートに包みながら、適当に手抜きして作品を量産できる手際も持っていたという、今で言えば人気イラストレーターというようなイメージです。だからこそ、様式性とかパターン化というのは横山の作品の重要な要素であって、題材として多く取り上げた富士山というのは様式化しやすいものであったからこそ、横山も数多く描くことができたのではないか、と思えるのです。これは、べつに横山を悪く言っているのではなく、それは彼の作品がこれほどまでに親しまれている魅力のひとつではないか、ということです。しかし、私が、今後、横山大観の展覧会があったときに進んで観に行くか、と問われれば、今回で十分ということになるのではないか、と思います。

ただ、前回にも触れましたが、横山とアンリ・ルソーのような人との近似性は考えてもよいのではないかと思います。

 
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