ラファエル前派周辺の画家 アントニー・オーガスタ・フレデリック・サンズ |
ラファエル前派の初期の画家たち、ミレイ、ロセッティ、ハントといった人たちとは世代的にひとまわり上ということになりますが、その象徴的な作風は彼らと通じるところもありました。そのせいか、当初の彼らに敵対しない数少ない画家だったそうです。かといって、彼らの運動に参加したり同調したりすることはせずに、適度に距離を置き続け、独自の位置にいたと思います。そのひとつの原因は、ラファエル前派のような平面的で細密な画風をとらず、ルネサンス絵画の影響を素直に受け入れる古典主義的な側面を持っていたからだと思います。 (1)伝記的事実 アントニー・オーガスタス・フレデリック・サンズ(1829〜1904)は、1829年イギリスのノリッジに生まれ、父は染物屋から素描の教師と画家に転職したということで、その父アンソニー・サンズから初期のレッスンを受けました。グラマー・スクールのあと、デザイン学校で美術を学び、そのころは、地元の聖職者で古代美術を愛好するジェイムズ・ブルワー師のために風景画や建築の習作を描いていたそうで、そのころから古典主義的な素養を身につけていったことが想像できます。 1851年頃にロンドンに出てきて、そこで初めてロイヤル・アカデミー展に作品を出品します。当初は主に挿絵画家として働いていました。週刊の「コーンヒル・マガジン」「グッド・ワーズ」その他の定期刊行物のためにドローイングの挿絵を描き始めます。その頃の作風はアルブレヒト・デューラー、アンブロジウス・ホルバイン、とアルフレッド・レーテルらの影響を受けたものでした。1859年から66年の間に26の作品を制作し、それらは細密な木版画となり頒布されました。サンズは想像力あふれる視点を生かす細かな技術も作品全体を見わたす構想力によって主題を正確に作品にする情熱と才能を持ち合わせていました。1862年の「The Death of King
Warwulf」(左図)は炎の形が渦巻き、カーブ、ボート、セイル、そして彼を囲む王の服が動きの感覚を作り出します。中心は、王の身体が弓のような形になって、その先にある頭が下がって王の死を示しています。最後の木版画「Danae in the Brazen
Chamber」(右図)は編集者の反対で出版されませんでした。サンズは、主に雑誌のために挿絵を描いたので、作品がまとまったかたちで残されるということがありませんでした。 1857年にミレイの「いにしえの夢─浅瀬を渡るイサンプラス卿」のパロディとしてミレイ、ハント、ロセッティを背中に乗せたロバのラスキンを描き、「悪夢」(左下図)と題して発表したところ大いに受けて、これをきっかけにしてロセッティと親しくなります。 サンズは1850年代の後半から60年代を通して、聖書や神話、文学を主題として油彩を制作しました。それらの多くはロセッティが開拓したタイプの女性の肖像画や人物の習作をもとにしていて、性的な強欲さという不吉な感情を表現したものとなっていました。サンズの制作した油絵は多くはありませんが、彼の作品は悲劇的な力が高尚な概念によって行使された影響力によって支配されるものでした。そこには、人々の理想をはるかに上回る厳粛な力と厳格な美しさがありました。しかし、この時期の最後の作品「メディア」が、1868年のロイヤル・アカデミーの選考委員会から拒絶され、サンズの友人や唯美主義サークルの支援者を落胆させることとなりました。 一方、サンズは肖像画家として少なからぬ手腕を築き上げ、とくに唯美主義運動を支持する貴族的で文学的かつ芸術的な嗜好の男女に愛好されました。サンズの素描が細部まで正確にモデルの顔つきを記録しながら、同時に個性をとてもよく伝えていたためです。 (2)様式的な特徴 @どんなところから影響を受けたのか サンズはロセッティをはじめとしたラファエル前派の人々との関係もあり、とくにロセッティとは宿を提供してもらう等の支援を受け、後に盗用で訴えられることもあったように、強い影響を受けていました。一方、フレデリック・レイトン、GFワッツといった唯美主義の画家たちとも交流がありました。しかし、サンディは、その両方から影響を受けながらも、それらの運動に属することはなく一定の距離を置いて、独自の道を歩んだと言えます。まずは、その影響を見ていきたいと思います。 ■ラファエル前派の影響 ラファエル前派の中でも、個人的な支援を受けたりといったこともあったのか、ロセッティからの影響は大きなものでした。それは、実際のサンズの作品の中にあからさまに表われていて、後に盗用で訴えられるほどのものでした。例えば、「Rosamund」(左図)におけるパイプオルガンの描き方は、ロセッティの「The Palace of
Art」の聖セシリア(右図)で描かれているものとそっくりです。サンズの「Rosamund」の女性のとっているポーズはロセッティの女性の形態からの流用といってもおかしくありません。肉感的な女性を表わすのに、長い旋回する髪、明確な顎、白鳥のような首と唇を伸ばしての重要なキーポイントにして再現するというロセッティ的な理想は、そのままサンズの作品に使われています。 ロセッティの影響は、こまかなアクセサリーの魅力的な扱いの点でも見られます。サンズの作品のなかにラファエル前派の秘事や装飾が詰め込まれているようです。「Rosamund」の前景には、小さなストラップを背後にして、一対のハサミ、何枚かのメモと彫刻刀、燃える火鉢、聖母子のレリーフ、ロザリオなどがあります。中景には、十字架、放射灯、装飾的な壁紙、そして背景には、ゴブレット、スツール、二つの花瓶、もうひとつの火の灯っているランプ、そしてもちろん王の姿があります。この物が高密度詰め込まれたような描き方は、ロセッティが50年代に描いていたものを思い起こさせるもので、サンズはロセッティのがらくたのいっぱい詰まった図像を複製することによって、ミステリアスでおとぎ話のような雰囲気を生み出そうと試みたことは疑うべくもありません。つまり、サンズの「Rosamund」の雰囲気は、ロセッティのファンタジーの一部である夢のような宇宙から得られたものといえます。 同時に、サンズはラファエル前派的な写実の影響も強かったと言えます。とくに「良心のめざめ」のような高精細な作品を制作したホルマン・ハントの影響は、サンズの作品の全てに見られる細かさに明白です。典型的な例は「Life’s Journey」と「The Old
Chartist」(左図)で、どちらも、前景と同じくらいに背景に細かなディテールを描き込んでいる点がそうです。例えば、「The Old
Chartist」で、草、ツタ、木の葉、またはるか後景の倒木や教会等のほんの小さな細部に至るまで、ハントのようにそれぞれが個別に細かく描き込まれています。 このような強迫的なほどに細かい風景の再現は、ラファエル前派に特徴的な手法で風景を描く際に大きな位置を占めています。サンズは自然を直接写生し、数多くの研究やスケッチを残し、決して既にあるお手本に倣ったり、コピーしたりすることはありませんでした。それはラファエル前派の画家たちと同じように、彼の作品にある描写は実際の具体的な自然を直接スケッチしたものによるのです。 しかし、ラファエル前派は自然を忠実に再現する以上のことを求めます。サンズも自然と理想を融合したシンボリック・リアリズムを指向しました。サンズは、事実は象徴でもあるとして、リアルな世界を表わすとともに他の意味を帯びるものでもありました。「sleep」において、窓はこの世からの魂の解放は、神への通路を気に象徴し、棚の上の花は復活と自然への復帰を象徴します。そして、かなり遠くでちらりと見える川は普遍的な海に通じる魂の旅の伝統的なビクトリア朝の象徴です。 ■唯美主義の影響 サンズが影響を受けたのはラファエル前派だけではありません。1860年代のフレデリック・レイトン、GFワッツ、とエドワード・ポインターたちの唯美主義からも影響を受けていました。サンズは、これらの人々のスタイルを特徴として自分流に読み替えて取り入れました。 サンズは建築物や衣装の古典主義のアンティークな装飾を、自身の作品の物語性の強調と心理的効果のために、作品に取り入れました。それは、レイトンのように装飾を施していますが、サンズは感情的な状況を定着させることに絶対的に集中しています。「カッサンドラ」と「ヘレネ」で2人の個性は、2人の対立を提示するような背景にアラベスクで破壊された田園生活のイメージのように、怒りに身もだえします。「The Advent of
Winter」(左図)は、新古典主義が現代風にアレンジされ、スタイルの静的なフォームが、画面から逃げるような人物、風に吹かれているローブ、渦巻きの植物によって占められている前景に置き換えられます。 ■その他からの影響 もう一つの影響は、30年代と40年代のドイツのイラストレーションでした。同時代の多くと同様に、サンズは、病的なイメージに大きく描いたアルフレッド・レーテル、特に「Another Dance of
Death」に影響を受けました。生命を吹き込まれたような死体や骸骨のその代表的表現で、レーテルが作り出した表現です。サンズは「Until her death」,「Yet once more」 や「Amor Mundi.」「Death the
friend」で顕著にそれが見られます。そのベースにはアルブレヒト・デューラーの「メランコリア」があります。 つまり、サンズは一連の現代的な動きに連動しているのです。しばしば最初の声と言われるけれども、彼の芸術はある程度少なくとも当時のスタイルの洗練された手法によるものです興味深いことに、彼はいつもラファエル前派位置付けられていますが、彼自身の時代ではゲルマンのアーティストとみなされました。古典主義との彼の関係は観察されず、今日はほとんど言及されていません。 彼の芸術は、独特の音質、強烈な描写、そして現代的な影響の合成という、問題を抱えています。変更と開発の瞬間にビクトリア朝中期に配置された彼は、それらの変化を吸収してテーマの小さなコーパスのサービスに当てます。主に下位執筆を視覚化することを委託された彼は、自分の懸念を探る手段としてイラストレーションの仕事を使用している。 サンズの本領は雑誌の挿絵画家にあったと言えます。週刊の雑誌のために定期的に挿絵を描くというのは、その時々の時事的な話題を織り込みながら、芸術の素養のない人にも分かり易く伝えるとともに、そこに皮肉やウィットといったリアリズムとは別の象徴的な手法も要求される。それを時事的な話題が色褪せないうちに短時間の内に構想して、仕上げなくてはなりません。 また、当時の雑誌にカラー印刷はなくて、その挿絵は木版で刷られていました。そのためにサンズは版木に直接、ブラシをつかって墨で描いていたといいます。ペンやチョーク、バステルではなくて、ブラシで白と黒の二色で描く。しかも、銅版ではない木版に削られることを前提にして線で画面を構成していく、そういう描き方がサンズの絵画をかたちづくっていったと考えられます。そのため、描かれる画面は線によって形作られことになるということ、したがって物事を面として捉えて、グラデーションをほどこしていくことには限界があったということがあるでしょう。したがって、空間とか奥行きを表現として用いるよりも、画面に多くの物事を入れ込んで行く傾向になります。それは、前で述べたラファエル前派の画面の作り方に近いものとなるわけです。また、木版では銅版のような微細な線を引けないので、微細な線を密集させる精緻さを追求することはできないので、線による形を追求することになります。そこで、ラファエル前派のハントやミレイとは、方向性にズレがあるということになります。そして、分かり易さとか象徴的な要素はラファエル前派にもありますが、その内容の色合いが異なるものとなっているわけです。 そういう描き方で、サンズはどのようなテーマや題材に関心を向けていったのか、ということがこの画家を特徴づけていると思います。つまり、歴史や文学、神話を題材としてとりあげても、どのようなエピソードを、そのエピソードの中でどのような場面をとりあげたのかということです。 サンズが挿絵で取り上げたテーマはそれほど多くありません。極言すれば、3つか4つのテーマでもって時々の話題を題材として取り上げていたということです。そのなかでも、彼の関心の主要なところは人間の心理的なドラマでした。それも、男性は一部で、大部分は女性が描かれました。それも多くは画面中央に女性の顔が大きくクローズアップされて描かれている。その顔の表情は極端な感情を帯びているものでした。その感情とは恐怖あるいは絶望、悲嘆、欲求を満たされない苛立ち、これらに性的な興奮を匂わせる要素が加わったものでした。 それを具体的に作品で見ていきましょう。例えば恐怖による興奮の様子は、「Manoli」(左上図)で右側の女性の怯えている様子は顎をあげて首を引き伸ばすようにして、その喉が目一杯にひろげられて、静脈が浮かび上がっているのが、今にも悲鳴があげられそうな緊迫感と女性の興奮が表われています。その姿勢は類型的で口を尖らせ、表情が歪んでメロドラマ風かもしれませんが、見る者にとってはひと目で伝わってきます。 「Jacob hears the voice of
the Lord」(右上図)は、打って変わって篤い信仰を扱っていますが瞑想に集中して、神の啓示をうけているヤコブは極端に身を折ってかがんでいて、啓示の光にあてられ畏れ慄いている様子が強調されています。 極度の絶望や恐怖の様子は、「The Sailor’s
Bride」(右図)において恋人を待たせて帰還してみると、当の恋人はベッドに横たわって動かない。その悲しみに絶望する人物は恋人の前で抱き合う姿勢に表わされています。死の恐ろしさは、残されたもの悲しみや絶望へと結びつくことを捉えています。「Yet once more on the organ
play」(左図)ではオルガンの演奏で生気を吹き込まれたように死体がずり上がる様は音楽に恍惚となる象徴でもありますが、正気を喪うことでもあり、その痛みや恐怖をずり上がった身体が表わしています。これらの身体の動きや姿勢が表現的と言えます。 死の恐怖は性的な興奮と対比されます。「Yet once
more on the organ play」のずり上がった胴体は性的なエクスタシーを想像させるものでもあります。また、「Rosamund」(@参照)の恍惚とした表情の女性は、あきらかに性的な要素が見えますが、骸骨を手にして、死の影が強く表われています。そして、 このような絶望や恐怖の強調はロマンスの描き方においては、愛の充足よりも喪失を求めるにもかかわらず得られない苛立ちを描きます。 「If he would come
to-day」(右図)はクリスティー・ロセッティの詩に基づいて失望した少女が片方の手で髪をまとめ、それを噛み、もう片方の手で、草原の葉を握って引っ張り上げているという小さな仕草で、複雑な感情を表わしています。「From my
window」(左図)では女性の希望がしぼんでしまったことが、窓の外では恋人が到着したはずなのに、頭を虚ろに窓枠に寄りかかり、窓に手をかけた指に力がない様子が、女性の疲労感を感じることができ、また全体に薄暗い光が彼女の心情を象徴しています。「Danae in the Brazen
Chamber」(後述)では髪をとかす女性の仕草が率直に性的な興奮を伝える表現になっています。 サンズは激しさだけでなく、その反対の静かな感情にも焦点を当てます。「The
Little
Mourner」は両親の墓に積もった雪を一心にスコップでのけている少女の姿を感傷を交えることなく、淡々と描いています。ここでは雪の背景は少女の感情の静けさを暗示しています。また、「Life’s Journey」と「The Old
Chartist」では、前景と後景では異なった時間を描き分けて時間の経過を象徴的に取り入れて、牧歌的な英国の田園風景の極端に細かく描くことで、そこに佇む人間の環境の複雑さや変化を象徴的に表わし、人生の複雑さと人間の経験と自然のあいだの複雑でロマンチックな関係の両方を見る者に想像させます。 サンズは、挿絵という芸術のように対象範囲が限定された閉じた世界ではなくて、一般の人々に向けた、対象範囲が未だ明確にきまっておらず、それゆえに表現の余地の大きく残されている分野を主な活動場所とし、そこで自身の絵画世界を形作っていきました。そこでは愛と死という壮大なテーマに関心持ちながらも、空想的な現実逃避や政治評論の挿絵にするためのリアルな世界まで、描き方も古典主義的なものからロマンチックなものまで様々なスタイルのヴァリエィションがありました。それが、サンズの作品世界の意外な幅の広さを持つことを可能にしたと思います。しかし、全体としてサンズの作品は、厳粛さとか憂鬱さといった暗い面に傾き、しかも激しい感情を表現する方に、彼の志向も描き方も向いていたと思います。 モーガン・ル・フェイは、アーサー王物語に登場する女性で、アーサー王の異父姉にして魔女として知られています。15世紀に書かれた『アーサー王の死』では黒魔術を使う邪悪な魔女として、異父弟アーサーの前に立ちはだかります。後に魔法使いマーリンは、彼女が魔力を磨くのを手伝い始めるのですが、彼女はアーサーの純粋な心を嫌悪し、アーサーとグィネヴィアの陥害と王位奪取を企むことを知り、アーサー王の最強の敵となります。円卓の騎士の一人、ランスロットの妻となるペレス王の娘エレイン姫の美しさを妬み、彼女を幽閉しランスロットを誘惑しました。また、聖剣エクスカリバーの魔法の鞘(傷を癒す力と持つ者を不死にする力を誇る)をアーサーから盗み、恋人であるアコーロンに与えたことからアーサーがアコーロンを敵にまわして戦う窮地に陥ることになりました。後にモーガンが魔法の鞘を湖の中に投げ込んだが、これによってエクスカリバーはアーサーを守る不死の力を失い、やがてアーサーはモルゴース(モーガンの姉)との間の不義の子であるモルドレッドとの戦いで命を落とす事になります。 イギリスでは、アーサー王の物語はシェイクスピアと並んで人々に知られている物語で、ラファエル前派をはじめとするヴィクトリア朝の画家たちも題材として取り上げることが多かったようです。このモーガン・ル・フェイについても、代表的なものを見てみましょう。バーンジョーンズの影響を受けた画家であるスタナップによる「モルガン・ル・フェイ」(右上図)。この作品は彼女の魅力的な特徴を描いています。彼女は緊密にフィットする赤いドレスを着ていて、長い髪をなだらかに撫でています。彼女の後ろにある城は彼女がキャメロットにいることを意味しています。 バーンジョーンズの作品(左下図)です。彼女は瓶の中にハーブを集めています。多くの人々は、彼女がこれらのハーブを使ってグィネヴィァとランスロットの事件を明らかにする呪文を投げかけていると言われています。 ウォーターハウス(右図)の作品です。この絵は、非常に不吉な、暗い、原始的な魔法使いを描いています。彼女の黒っぽい黒髪は非常に素直で野性的で、ある種の内的精神を表しています。彼女は自分の火の周りに円を描き、そこから濃い煙が浮かび上がる。彼女は荒野の真ん中にいるようです。カメ、カエル、頭蓋骨、および他の不器用な兆候は、彼女の周りの地面に散らばって見られます。 このように、モーガン・ル・フェイは物語の中でも、性格が変化してきた人物なので、画家によって描かれ方が大きく異なってきます。それでは、サンズは、どのように描いているのでしょうか。ここでは、モーガン・ル・フェイは、アーサー王の盾を作っています。背後には、彼女がそれを作るのに使った織機があります。彼女は彼女の呪文を唱えると、盾の前にランプを通す。彼女の服は、動物の皮と神秘的なシンボル、そして床の周りに横たわっている物体は、暗い魔法を知り、魔女とソーサレスの先入観を引き出すものです。ここには、ウォーターハウスのようなオドロオドロシい妖しさはありません。アーサー王の味方という明るさのなかで色鮮やかな衣装を身にまとっています。とりわけ画面を彩るアクセサリーの緊密さと繊細といったら。ラファエル前派の稠密な描き方を踏襲し、それを通り越して15世紀のファン・アイクのような写実を彷彿させます。しかし、そのなかで、モーガンの表情は、顎をつきだし口を歪めています。眉はしかめたように寄せられて、眉間に縦のシワができているかのようです。明らかに不機嫌な顔をしていて、全体として明るい色調のなかで、彼女の顔は不吉さを漂わせています。これは、ロセッティもそうですが、総じてラファエル前派の画家たちは女性を描くとき、あまり表情をつけないで、茫洋としていることも少なくないのですが、それに対してサンズは、比べると大袈裟に見えてしまうほど、表情を明確につけています。これは、サンズの卓越したデッサン力のなせる技ではないかと思います。 1865年のロイヤル・アカデミー展に出展された作品です。「やさしい春」というタイトルのとおり、牧歌的な風景が広がっています。縦長の画面で全身像でこちらに向かって歩いてくるように描かれているのはギリシャ神話の女神ペルセポネです。大地の女神デーメールの娘で冥界の神ハデスに略奪されるようにして妻となり、秋から冬にかけて彼女が冥界のハデスのもとで過ごすため草木は枯れてしまい、春になると地表に戻ってくるので花が咲き始めるという。この作品は、ちょうどペセポネが地表に戻ってくるところなのでしょう。彼女が戻ると地表は一斉に春の装いに変わっていきます。彼女の後方には灰色の雲がかかり暗くなっています。これは、彼女が背にしてきた冬の影です。この一部の暗さがあるゆえに、全体としての春の穏やかさが対比されて、印象を強くしています。彼女の姿は、まるで古代ギリシャの神殿に捧げられた彫像です。背景となっている春の風景や女性の周囲の草花は、平面的で細かく描かれているのはラファエル前派のようであるのにたいして、女性は彫像のようで、ルネサンス以来の古代の彫像を人体の理想とした伝統に従っています。普通のイギリス人を写実的に描いたラファエル前派とは、ここで岐かれます。この作品ではスタイルの異なる二つの方法を同居させて、まるで、イギリスの田園風景の中にギリシャの彫像があるようです。しかし、違和感はありません。 女性の白い衣服は青色の縁どりがあり、その折り目には花があしらわれていて、彼女自身が春を運んできた象徴的な姿であることを表わしています。衣服自体はゆったりとしたものですが、その折り目があることで、女性の身体の曲線、例えば胸の乳房や腹のへこみが垣間見えて、そこに官能性が感じられるようになっています。そこでは、春という季節の官能的な性格も、ここで表わしているようです。女性の呆けたような表情が恍惚感とも受け取れる。 彼女の冠の周りにはブロンドの髪の銅の蝶が浮かび、羽ばたき、彼女の春の羊毛の横には、豪華な色彩と絶妙なペイントが施されています。全体の組成物は、平和で穏やかです。 このペルセポネを題材として同時代の画家たちの作品と比べると、サンズの作品の官能性を潜めた穏やかさがユニークであることが、よく分かるともいます。 例えば、ロセッティには「プロセルピナ」という有名な作品がありますが、これは暗く落ち着いた色調で瞑想的な雰囲気の濃い作品です。フレデリック・レイトンの「プロセルピナの帰還」(右上図)は物語の一場面となっています。どちらの作品にも、サンズの作品にあるような平和な穏やかさはありません。ウォーターハウスの風に吹かれる女性を描いた作品(右図)は、女性の扮装や花咲く野原にいることなど共通点が多いですが、女性は古代の彫像とは違うウォーターハウス的な女性で、正面ではなく横の姿で風に吹かれる動きがあります。そのため、サンズのような穏やかさに溢れているわけではなく雰囲気がだいぶ違います。 しくはら。 ■メディア メディアのギリシャ神話に登場するコルキス王女メディアのことで、エウリピデスの悲劇「王女メディア」で有名です。コルキスの王女メディアは夫イアソンと共に互いの故郷を捨てコリントスで暮らしていました。しかし、コリントス王クレオンが自分の娘婿にイアソンを望んだことにより、権力と財産に惹かれたイアソンは妻と子どもたちを捨て、この縁組みを承諾してしまいます。怒りと悲しみに暮れるメディアの元に、クレオンから国外追放の命令が出ます。一日の猶予をもらったメディアはイアソンとクレオン父娘への復讐を決意するのでした。メディアは、アテナイ王アイゲウスを口説き落として追放後の擁護を約束させ、猛毒を仕込んだ贈り物をクレオンの娘の元に届けさせ、王と王女を殺害します。さらには苦悩と逡巡の果てに、自身の幼い息子二人をも手にかけてしまいます。すべてを失って嘆き悲しむイアソンを尻目に、メディアは息子たちの死体を抱き、竜車に乗って去っていくというものです。この悲劇では、メディアの感情に重心が置かれ、夫への愛情、激情、復讐心が主題的にクローズアップされています。 サンズは陰惨な悲劇として描いているようです。画面全体としてはメディアの半身像で、背景を極力排した彼女のひとり舞台、とりわけ悲しみに取り乱し、不吉な影が差す顔の表情がクローズアップされています。彼女の手前、つまり、メディアは見る者の間には大理石のテーブルがあって、その上に魔法による呪詛のための様々な道具が置かれています。例えば、輝く殻の中には凝固した人間の血があり、不思議な形のガラスの容器から火鉢に炎を注ぎ込み、その輝きによってメディアの白い服と青ざめた顔と恐ろしげな眼が映えて照らされているように見えます。彼女は珊瑚とトルコ石のネックレスを片手で握っていますが、彼女の苦しい唇から恐ろしい力の取れない言葉が出ています。このような細部の描写は絶妙で、とくにネックレスを弄ぶような手のかたちは、溺れた人が藁をもつかむなどというような苦しんですがるように掴む苦悶の表情を連想させます。このネックレスと似たような形状のメディアの黒い髪の毛が乱れてバラついているところも、手の表情とあわせて感情の高ぶりを感じさせます。乱れた髪と真っ赤なネックレスの間に白い髪飾りが細長く垂れていて、間を繋いでいます。これらは、連動しているように、画面上で関係づけられています。そして、頭を反らせるようにして顎をみせ、作品を見る者は、メディアの顔を仰角で見上げるような姿勢にさせています。そのために半分あいた口の表情がよく見えるわけで、呪詛の言葉をはっしている苦しさが分かります。眼が視線を遠くに送っているようなのは、心はここになくて、呪詛の対象となるイアソンのことが心を占めているためでしょう。 サンズと同時代の、ラファエル前派や唯美主義の画家たちは、古典主義の形態をベースとしていたせいか、顔を形態としてまず描いていたようで、その上で表情があるというような描き方をしていました。だから、怒りとか悲しみを感じさせるよりも、美しい顔をまず描いていたと思います。これに対して、サンズは表情を迫真をもって描くことの方を優先させた、古典主義というよりロマン主義的な姿勢で描いていたと思います。それゆえに、サンズは同時代の画家たちの中で異彩を放っていたと思えるのです。 ギリシャ神話ではアルゴスの王アクシリオスは美しい娘ダナエを得たが世継を望んで神託を求めたところ、「息子は生まれないだろうが汝に男の孫が生まれる。汝は孫に殺されるだろう」という啓示を受けます。そこで、彼はその運命を阻止しようとして、ダナエを青銅の塔の中に閉じ込め、男が近づかないようにします。しかし、ゼウスが彼女に目をつけ黄金の雨に姿を変えて、彼女を我がものとしてしまいます。その結果生まれるのが英雄ペルセウスです。 詩人スウィンバーンは幽閉されたダナエの憂鬱と倦怠が生んだエロティックな憧れをバラードにまとめました。彼女は幽閉された塔内で、タペスリーに描かれた人物を架空の恋人として夢を見ます。ゼウスが彼女のもとに現れたとき、タペスリーの恋人の姿は消えて、彼女の欲望に応えるように黄金の雨が彼女に降り注ぎ、ペルセウスを身ごもるのです。 サンズは、この瞬間を作品にしています。しかも、スウィンバーンの詩を可能な限り忠実に再現しようとしています。具体的には、詩の中で書かれている事柄を画面の中に描きこんでいます。例えば次のようなことです。 “白い腕を空中に固定し、頭を背中に投げ、髪を流して” “雨がもっと速く明るく流れる” サンズは、ダナエを官能的で、性的に成熟した女性として描きました。頭部を仰け反らすようにして、半眼のような薄目で、両腕をひらいた恍惚としたポーズを取らせています。これは、ラファエル前派のロセッティの代表作「ベアタ・ベアトリクス」の女性のポーズとそっくりです。しかし、ロセッティは官能的な方向ではなく瞑想的な雰囲気を作り出していました。その違いは、例えばサンズの場合、ダナエの古代風の衣装のベルトが、彼女の身体の線、とくに胸や腰のふくらみを強調し、女らしさを際立たせています。それが、ダナエの官能に打ち震える身体の動きを想像させるのです。 サンズは、この幽閉された、物憂げな女性を閉塞され余地のない空間や溢れんばかりに渦を巻く髪の毛やその他で表わしていますが、それはラファエル前派の平面的で緻密な描き方に通じるものです。しかし、ラファエル前派には、これほど直接的に官能的に女性を描いてはいません。豊かな髪をブラッシングするポーズの官能性は、ロセッティがファムファタールを描く際に用いていましたが、ここではダナエの髪の毛が、彼女の官能性をさらに強調しているのです。 ■愛の影 「愛の影」という作品は、まるでロセッティの描く女性像を横顔にして描いているような錯覚さえ覚えるものです。赤毛の豊かな髪とか、尖って突き出したような顎とか、大きな瞳とか、全体的な顔の感じはロセッティの描く典型的なパターン、例えば、この展覧会では「ダンテの夢」のドローイングの女性像と、この作品を並べて見ると、作品の趣きは異なりますが、その女性の形象は似通っているように見えます。ロセッティにはない激しい感情をぶつけるような表情で、手に持った花束を噛み千切る、歯を立てた口のさまや、強い瞳の怒りを露わにする表情などは、ロセッティには見られないものではありますが。それが、ロセッティの描く女性は現実味のない神秘性に彩られ、あくまでもキャンバスの中の存在ですが、サンズの描く女性は、より現実的に違づいて生身の女性を感じられるようになっているように見えます。多分、それが彼が肖像画家として成功した素質の性向によるものかもしれないと思います。 サンズは、これまで、「モルガン・ル・フェイ」(1863年)、「メディア」(1868年)と劇的な状況に陥った時に現れる、力強い女性の官能的な美しさを、その部分を突出させるような象徴的な仕方で描いてきました。具体的に言うと、これらの作品では、誘惑者から魔術師へと変貌する瞬間に、怒りに打ちひしがれ、取り憑かれた女性が描かれています。同じように「カサンドラ」(1898年)では、意識が引き裂かれた瞬間に、髪や顎、目を力強く前に突き出し、それを受け止めるかのようにして、狂気への転落から逃れようとする姿が描かれています。これらの作品の女性たちの生身の神々しい力に飲み込まれ恍惚とした姿のイメージは紛れもなく魅力的です。この時代、女性は精神病にかかりやすいと考えられていたため、ヒステリーや狂人の烙印を押されると常に脅されていました。その結果、冷静さと節制を維持しなければならないという非常に大きなプレッシャーがあり、最終的には彼女たちは、自己表現を犠牲にしていたのです。このような暗い背景の中で、「愛の影」を含めたサンズの描く特徴的な女性たちの妖しさが浮かび上がってくるのです。 「愛の影」では、サンズは対象の女性に忍び寄るようにして、見る者があたかも覗き見の体験をさせるような画面を作っています。その地位を明確に示すために宝石で贅沢に飾られたこの美しい女性は、罪の瞬間に捕らえられているように見えます。彼女の暗示された美しさと、彼女の意図的な視線の対象は、その影を明らかにするために剥ぎ取られています。彼女の表情は場違いなものとなり、不機嫌な顔に変わり、無意識のうちに花の茎を歯ではぎ取ってしまうのです。彼女が噛んでいる花は愛と警戒心の象徴である青いスミレであり、おそらくは献身の象徴であるヘリオトロープをかむようになっているのです。それはまた、自己の内省と循環性の象徴であるウロボロス(尻尾を噛む蛇)を暗示しているようにも見えます。
■オリアナ アルフレッド・テニスンの詩「オリアナのバラッド」を題材として取り上げ、制作された作品です。「オリアナのバラッド」はテニスンの初期の詩で、1857年に刊行されたエドワード・モクソン版の「アルフレッド・テニスン詩集」に収められました。内容はオリアナという女性の悲劇的な物語です。オリアナは城壁に立ち、眼下で戦う恋人の姿を見つめるうち、はからずも恋人の放った矢に当たってしまいます。詩の語り手を務める彼女の婚約者が、敵に邪魔されて目標を誤り、オリアナの心臓を射抜いた経緯を説明します。最後は、次のような花嫁のいない人生を嘆く婚約者の言葉で詩は締めくくられます。 北国の風が海を渡って吹く時 オリアナよ 我は歩む、そなたを思う勇気はなし オリアナよ そなたは金雀枝の木の下に横たわり 我は死してそなたのもとにゆく勇気はなし オリアナよ 海鳴りが聞こえる オリアナよ サンズはテニスンの詩に忠実に従うのではなく、“彼女は、城の壁の上に立っていました”という1行をもとにして想像をひろげて制作しました。当時のサンズは15世紀のフランドル絵画に深く傾倒していて、オリアナの色白の肌、きらびやかな衣服、そして背後の風景の緻密な観察ぶりに、ハンス・メムリンクやヤン・ファン・エイクといった画家の影響が明らかに見られます。それとともに、ボッティチェリやピエロ・デッラ・フランチェスカなど15世紀イタリアの画家の描く横顔の肖像画、さらには1850年代後半にミレイとロセッティが先鞭をつけ、萌芽期の唯美主義運動に大きな影響を及ぼした、間近から見て画面を埋め尽くすような夫人の頭部という構図が、この作品ではとられています。この頃までは、サンズはラファエル前派の影響のもとで描いていたようで、この作品が、そのような傾向の終わりにあたります。この後となると、ロセッティの影響が強くなって、作風がロセッティ風に変わってゆくことになります。 |