ラファエル前派周辺の画家
フレデリック・レイトン
 

 

フレデリック・レイトンは青年時代にヨーロッパ各地をまわり、伝統的な歴史画から自然主義、ロマン主義、そして最も重要なのは唯美主義まで、当時の現代美術のすべての範囲に関わりました。彼自身のスタイルは、そのなかから次第に一種新古典主義へと発展しきました。それはラファエロ前派の夢のような鮮やかさを予感させる一方で、象徴主義のエキゾチックでエロティックな神話の影響を受けたものでした。ヴェネツィア派の学んだ彩色が古代彫刻に由来する厳格な形態の感覚に裏付けられた作品は、現在では彼らの時代の傑出した作品として認められています。

 

(1)フレデリック・レイトンの伝記的事実

イングランド北東部の海沿いの保養地スカバラで医師の家に生まれとレイトンは、ロセッティやミレイとほぼ同年代です。しかし、彼らと決定的に異なっているのは、レイトンが徹底して大陸の美術教育を受けている点です。それは、レイトン一家は母の健康のため、フランス、イタリア、ドイツと、しだいに外国で過ごすことが多くなったからです。少年時代からヨーロッパの数多くの言葉を操り、行く先々でアカデミーや美術学校に入学しました。1842〜43年のベルリン美術アカデミー、45〜46年のフィレンツェの美術アカデミー、そして、1846年に、家族はフランクフルトに居を構え、同地でレイトンはシュテーデル美術研究所の学生になり、そこでの6年間は、以前のローマに住んだドイツの画家たちのグループ、ナザレ派の一員だったエトヴァルト・フォン・シュタインレの弟子として過ごしました。

レイトンは1852年、フランクフルトからローマに移ります。元オペラ歌手のアデレード・サートリスのサロンに入り、そこで上流階級の人々を紹介され、その都市に集まった異なる国籍の画家たちと友人になりました。レイトン最初の大作「フィレンツェの街を行列で運ばれるチマブーエの聖母像」(1855年)は同地で描かれています。1855〜58年には画家修業の総仕上げとしてパリに住み、新古典主義や「芸術のための芸術」といった最新の理念を吸収しました。1859年、ロンドンに定住。しかし、画壇からは相手にされず、先進的な画家たちのさまざまな派閥ともしっくりいかなかいという伸び悩みの時期をすごします。しかし、「追放されたダンテ」(1864年)と「黄金の時」(1864年)によって大きな成功をものにし、ロイヤル・アカデミーの準会員に選出されました。ケンジントンに豪壮な自宅を建設。1868年にアカデミー正会員になり、10年後には会長に就任しました。

レイトンはしだいに古典的で擬歴史的な主題に惹かれていき、それを地中海の国々で制作したスケッチに基づく風景と建築的設定とともに表現しました。彼の最も大きく最も手の込んだ作品のいくつかは「シラクサの花嫁」や「ダフネフォリア」のように行進の情景を扱ったものです。いずれも漠然と古典文学を典拠にしたものです。「ペルセフォネの帰還」や「水浴するプシュケ」のような神話を主題とする作品も描きましたが、彼の最も注目される作品は抽象的な雰囲気を喚起するもので、たとえば、「燃えたつ6月」や「涙」などです。彼はまた、時々、肖像画も描きました。最もできの良い作品は彼がよく知っている人たちを描いたものだったといいます。彼の風景画には絵をこの上なく個性的にする外光の性質とマッス(量塊)に対する感覚が見られるといいます。レイトンの完成した作品は完璧な技術で仕上げられている。それとは対照的に、彼の色彩を用いたスケッチは彼に絵の具を使いこなす可能性を与えた本能的な自由さと溢れる感興とが示されている。

 

(2)フレデリック・レイトンの作品の特徴

レイトンの作品はヴィクトリア朝時代の新古典主義を代表するものとか、唯美主義と呼ばれています。1850年代ラファエル前派の運動は、道徳的な意味合いをもって宗教や文学、歴史的な主題を描こうとしました。その表現はだれもが自然を模写するときの、技術的に可能な限りの正確さと丹念さをもってあたったのでした。これは、言ってみれば、イギリス的といいますか、ヨーロッパの大陸の古典的な絵画の傾向とは異なるものと言えました。ラファエル前派の画家たちがもっぱらイギリス国内で美術教育をうけ、その伝統の中で育ち、大陸を知らなかったからとも言えます。これに対して、レイトンは幼い頃からヨーロッパ大陸で暮らし、その文化の中で育ち、大陸の古典主義的な美術教育を叩き込まれました。

しかし、レイトンが活動し、その作品を購入するのはイギリスの人々です。しかも、当時のイギリスは産業革命による資本主義経済の興隆により、新興の市民階級が貴族にかわって時代の担い手となっていました。この人たちはイギリスという島国で、しかも貴族のような教養を身につけていない人々で、大陸の古典的な芸術的な伝統をそのまま受け容れるには困難が伴いました。そこで、レイトンは、そういう顧客に向けて、古典主義をアレンジしていきました。それが、彼の作品の特徴となって表われていると思います。

レイトンの古典主義は古代ギリシャの彫刻や絵画の表現様式の伝統に範をとったイタリアやフランスの絵画の華麗な色彩とギリシャ的な理想の均整を分かり易く提示するという物でした。例えば、彼のイギリスでの名を高めた「フィレンツェの街を行列で運ばれるチマブーエの聖母像」という初期作品を、ラファエル前派のミレイやハントの代表的な作品に比べると、彼らの作品が平面的で限られた画面にたくさんの物語的な要素を溢れんばかりにぶち込んでいるのに対して、レイトンの作品は立体的な空間のパースペクティブが計算されていて、画面の人物にも立体的な存在感があるのです。それが秩序を感じさせるようにバランスよく配置されている。そこには、ミレイやハントの作品にはないシンプルさがあり、それだけに見る者にはストレートに迫ってくる分かり易さがあります。

そういうレイトンの作品のストレートな分かり易さ、ヴェネツィア派の影響による華美に色彩と相俟って、新興の市民階級─旧来の伝統的な階級の人々から見れば成金趣味─の人々のニーズに応えるものだったと言えます。それ以降、レイトンは、その方向性を追求していくことになる。レイトンはギリシャ神話を題材にした作品を多く手がけていきますが、その物語の中の感動的で重要な瞬間を意図的に回避するようになっていきます。それは、ひとつには物語のドラマチックな場面を感動的に描こうとすると、どうしてもダイナミックな効果を盛り込んで均衡にとれた画面構成を歪めることになって、整った美しさ、つまり、一見して美しいという画面から離れてしまうからです。もうひとつは、その場面に感動するためには、ある程度の物語の予備知識が必要で、そういう予備知識のない人が見ることを前提としてレイトンが作品を考えていた、つまり装飾的な画面の美しさを優先していたと思えるからです。そのために、レイトンはこれまで以上に高い技術的洗練度、より洗練された質感、調和のとれた繊細な構成を追求した。それが、芸術のための芸術と言われたと思います。

レイトンの強みは視覚的でと装飾的で象徴的な方法で画面を構成する能力にあったと言えます。彼は、華やかに色と質感を整えることを知っていました。彼の作品絵は、素材としての絵の具が質感や光の質を伝えるための使い方を長い間熟考していたことを証明している。彼の作品を最も完全に楽しむことができるのはこのレベルではないかと思います。

 

(3)フレデリック・レイトンの主要な作品

タナップの作品は、あまり日本では紹介されていないようで、日本語のタイトルが不明なため、混同を避けるため英文でタイトルを記すことにします。また、以下の作品が代表作かどうかは何とも言えません。

フィレンツェの街を行列で運ばれるチマブーエの聖母像(1856年)

レイトンがローマ滞在時に制作した、彼の最初の歴史画の大作で、彼に最初の成功をもたらしました。この絵には、13世紀頃のフィレンツェの通りを、台の上に乗せられ月桂樹の葉で編まれた飾りをつけたチマブーエの「祝福された聖母」を、新設されたフィレンツェ大聖堂に運ぶ市民や関係者の姿が描かれています。16世紀の美術史家ヴァザーリの記述によれば、この行列に参加した人物の中には、チマブーエ本人、弟子のジョット、建築家アルノルフォ・ディ・カンビオ、モザイク画家ガッド・ガッディ、彫刻家アンドレア・タフィ、彫刻家ニコラ・ピサーノ、画家シモーネ・マルティーニ、画家ブッファルマッコ、そして「神曲」で有名なダンテ、などといった人々がいて、それらの人々の姿は、この作品の中に描き込まれているのを、見ることができます。例えば、チマブーエは月桂樹の花輪をかぶってマドンナのすぐ前に描かれています。画面右端の壁に寄りかかっているのは建築家のアルノルフォ・ディ・カンビオで、右端に馬に乗ってナポリ王、アンジュのチャールズです。画面の中の聖母像は、中央の非常に狭い角度から見たもので、実際にはチマブーエによるものではなく、ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャの「ルチェライの聖母」です。これは、ヴァザーリの記述がもともと誤っていたためで、1899年に誤りが指摘されました。

横長の画面は上下に二分され、下半分はフィレンツェの建築様式の典型的な縞模様の壁ほ背景にして人物等の輪郭がはっきりと描かれていますが、上半分はラファエル前派風に葉が細かく描きこまれていて、奥に丘のある遠い風景が描かれています。

画面全体の印象は、全体として明るく輝いているという感じが強いです。雲と布の白と壁の淡いグレーがシーンに自然のままの輝きを与え、淡い黄色から濃い赤までのグラデーションの色の優位性が暖かさと高級感を追加します。その効果は、数が少なく非常に小さい影を使用することによって増大し、その姿と彼らの服は、彼らの夢のような明快さにおいてほぼ立体的に見えます。レイトンははまた、上半分の壮大な風景と下半分の見た目の奥行きの浅さの感覚を組み合わせることで、壁を背景とした下半分が、聖母像の時代的様式である初期ルネサンスの平坦性をリアルな感じで再現しています。その平坦性の下半分の画面で、行列している人々は人物の様式化された姿勢と見かけの相互離間をとって描かれています。人々の視線は統一されておらず、その代わりに描かれている人々が一人か二人の他の人と親密な瞬間を共有しているかのように見えます。これは、左側のグループで特に顕著です。そのグループの密接に絡み合っている体は、シーンの他の部分にエネルギー感を与える線形の右から左への運動量の印象を欠いているようです。階級、職業、性別、黙示的な処女性や欲望など、幅広い範囲にわたりますが、それらは複数の異なる絵画の代表者のように見えますが、それらはすべて互いに無視しているように見えます。それが緊張感を生み出しています。

その人々の集団からポツンと2人の人物が離れて横長の画面の中心にいます。それが、チマブーエと少年のジョットで、この二人だけは壁を背景にしていて、単純な背景から人物が際立つようになっています。それだけに、作品を見る者の視線は、この二人に集まるようになっています。そして、この二人の人物が画面の中心となって、左右対称に画面が構成されています。例えば人々の集団です。その集団の両端は騎馬の男性と子供を肩に持ち上げる男性で、他の人々よりひと際背が高くなって、同じ高さになっています。また、中心の2人のすぐ後方には聖母像が台に乗せられて屹立していますが、これに対して、2人の前方には背景の壁の支柱が屹立し、聖母像と同じ高さには、ゴシックの装飾が施された祭壇があります。このようなバランスが、行列に動感がないなかで画面全体の緊張感を生み出していると思います。

レイトンは、この作品を構想する際に、モリッツ・フォン・シュウィンドのフライブルク大聖堂の奉献など、熱心な大規模な絵画の例を念頭に置いていたと言われています。

無言歌(1859年)

この作品は、1859年にレイトンがロンドンに定住した後に制作した最も初期の作品の1つです。「無言歌」という題名は、1850年代から60年代にかけてイギリスで人気があったロマン派の作曲家メンデルスゾーンのピアノ曲集にちなんだもので、絵の完成後、友人の提案でつけられたそうです。無言歌集というピアノ曲集は、文字通り言葉のない歌で、歌曲のような歌うメロディをピアノで弾くようにつくられた小曲集です。難しい技巧がなくても、親しみ易いメロディを生み出したこの曲集は、当時の家庭のピアノで弾かれて、親しまれたといいます。そのような音楽の印象と、この作品の画面には共通するところがあると思います。

レイトンは画面を通して音または音楽を伝えることを試みています。完全な歌で示されている絵の上のクロウタドリと2つの噴水によって音が想像するように促されます。ひとつは壁の高いところにあり、彫られたライオンの頭から着席している少女の後ろのタンクに水が流れています。もうひとつは同じタンクから背の高い黒い壺に注ぎます。背景のライオンの頭から出ている噴水は、少女の側にある小さな噴水とは非常に異なる音をします。

レイトンは調和と対比の音楽の原則に従って色を使います。大理石の落ち着いた金色と茶色、少女の髪の毛と左側の人物像は、絵画に色調の調和を与えています。ダークブルーまたはブラックの特徴 - 女の子のスカート、噴水の水を受ける壺、クロウタドリ、後退する人物の手の中の陶磁器の鍋、床とタンクの模様 - のすべてが、よりまろやかで支配的な色調への対比としての役割を果たしています。画面の中で、それ以上のコントラストは、女の子の唇の赤、彼女の下着、彼女のシャツの上のボタン、下の噴水の影、および写真の左側にある背の高い鍋のタッチによって作成されます。その少女はデザインの真ん中に着席していたので、物思いにふけっています。彼女は明らかに思春期前での少女です。彼女の頭の上でクロウタドリが囀っていますが、彼女が鳥の歌を聞くか、彼女の考えが邪魔されずに残っているかどうかは明らかではありません。左側には、両手に水槽を持ち、頭が壺のようになっている彫像のような人物が大理石の階段を上っています。この人物の後を追うように、観る者の視線を少女が占める密閉的かつ構成的に閉じた空間に導き、その中で抽象的な雰囲気を味わうように思われます。鳥のさえずりの音を聞き、水の流れの音を聞くために緊張します。

背後の左奥の背の高い鍋は、おそらくバチカン宮殿のラファエルによるボルゴの火災を参考にしていると言われています。

レイトンは、この作品では、人物と背景の物理的な外観を、特定の人物とか場所を示すのではなく、抽象的に一般化させる方向を推し進めました。少女の顔は、理想的な人相の美しさを求めて実際のモデルから離れました。同様に、背景は特定の場所を表すものではなく、むしろ地中海南部の大理石で覆われた宮殿を想像させます。その一方で、レイトンは画面の構築と調和のとれた配置について細心の注意を払っています。例えば、花瓶や噴水、タイル張りの床には、ダイヤモンドの形と濃い色の境界線を使用した精巧なデザインが、対照的な幾何学模様を際立たせています。レイトンは、絵を32個の長方形にレイアウトし、階段、床、柱、壁、さらには左側の瓶と図の輪郭もすべて厳密な一連の水平と垂直に関連するように構成しました。 建築的には、しかし、絵は矛盾と誤解を招くし、建物のレイアウトはほとんど意味をなすものでありません。それによって、画面全体が、精緻に構成された音楽のような印象をつくりだすようになっています。

衣をぬぐヴィーナス(1867年)

フランスやイタリアなどのヨーロッパ大陸の社会に対して、イギリスのヴィクトリア朝の社会では裸婦像はタブーに近い扱いでした。この作品は、そのタブーに正面から挑戦する作品として、スキャンダルな話題となった作品です。その批判された点として、開けっ広げに裸体を描いたところで、紺碧の海と空を背景に、真紅の夕日に照らされた空を背景にしたドリス式の柱に囲まれたヴィーナスの下向きのまなざしと、露出した涼しげな色調の肌は、金色のサンダルを脱ぐ姿に視線を誘い、さらに腕を上げてローブが絡め取られたところに、かえって全裸とは違って、脱衣しているという脆弱な瞬間で、裸体であることを見る者に強く意識させるものとなっています。下世話に言えば扇情的なのです。ヴィーナスの身体は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「レダと白鳥」(右図)にインスピレーションを受けたと言われますが、ルネサス以来の古典的なコントラポスト(体重の大部分を片脚にかけて立っている)のポーズによって、重量感ある筋肉組織をことさらに強調されています。ヴィーナスは、バラの茂み、はためく鳩、彼女の誕生した海など、神話的な視覚シンボルに囲まれていますが、キューピッドのような無邪気な仲間や、彼女の裸体を正当化するための物語的な文脈にあてはめられているわけではありません。この時期、いわゆる唯美主義の芸術家たちは、ラファエル前派などの初期の新古典派の芸術家たちが古代世界を再現しようとしたのと違って、古代世界や裸像を美的表現の可能性として利用しようとしました。伝統的な歴史画や風俗画の物語の場面のような絵画ではなく、純粋に絵画の美を追求しようとした唯美主義の代表的画家であるレイトンは、ギリシャ神話という古典的な題材を、このような裸婦像を描くための機会として利用したのです。それゆえ、ヴィーナスのヌードの美しく描くことに細心の注意を払っています。画面構成は幾何学的な構図で、色彩のブロック分けによって構成されて、ヴィーナスの形状を純粋に鑑賞できるように配慮されています。ヴィーナスの姿は無表情な彫刻のようで、「衣をぬぐ」という動きがなくて、もともと裸の姿でポーズをとって、その姿の形状の美しさを純粋に表現していると言えます。このヴィーナスのポーズはローマ時代の大理石彫刻の「サンダルの紐をゆるめるヴィーナス」(右図)や「メディチ家のヴィーナス」を参考にしていると言われていますが、これは古代彫刻のコピーでも、神話の物語表現でもなく。古典的なモデルを下敷きにしたレイトンの実験的な試みと考えられます。このヴィーナスは、目を下向きにして重い影に隠された白さが、彼女の裸体の暗示的な質を和らげています。このヴィーナスは、彼女の自身の内なる考えを推測させることも、見る者の存在を認めることもないです。大きな構図にもかかわらず、レイトンはヴィーナスをしっかりとフレーム化し、両脇には柱と大きな台座(これはおそらく、キャンバスの左上にある足を組んだ形から示唆される優美な人物像の彫刻を支えていると考えられます)があり、上下には石のステップと蔓に覆われたアーチがあり、献身的な、聖域のような空間を作り出しています。このようなヴィーナスは単に「ヴィーナス」という名前を、優美で、高貴で、愛らしく、官能的な女性のタイプを表すのに最適な呼称としたに過ぎず、豪華で裸の女性の女神の地位を主張していない。レイトンは、19世紀の絵画の常識だった神話的な場面のドラマやコスチューム・ドラマや風俗的な場面とはかけ離れて、古典的な伝統を用いて「現代的」な思考や感情を試みた、つまり、現代の美を描こうとしたのです。

ダイダイロスとイカロス(1869年)

ギリシャ神話のダイダロスとイカロスの父子の話を取り上げたということですが、大理石の台の上に立っているイカロスと彼の父親のタイダロス二人の男性の裸体画です。場面としては、ダイダロスが鳥の羽根を蝋で固めた翼をイカロスに装着し、高く飛びすぎても、海面に接するほど低く飛びすぎてもいけないと注意を与えているところです。色黒のダイダロスがアドバイスや警告の言葉を提供しながら、白く滑らかな肌のイカロスは彼の背中に固定された翼をつかむために真剣に手を伸ばします。ダイダロスは丁寧にイカロスの身体に翼を皮ひもで結び付けているのに、イカロスはダイダロスの忠告を無視するようにそっぽを向き、右手を伸ばしても、翼のハンドストラップを掴んでいません。二人の左奥の背景に立っている柱の上の像が、左手を高く伸ばしている姿と重なります。教訓的な見方ができるのは、このくらいでしょう。

それよりも、皮ひもを縛られた青年イカロスのスマートな身体の強調といった美的な作品といったほうに関心が向かいます。イカロスはスリムでスマートな男の子で、その姿とポーズは理想化されたギリシャの彫像をモデルにしています。イカロスの身体は単純化されていて、重要な筋肉組織を欠いています、そして彼の肌は意図的に明るく、大理石を模倣し、アポロを思い出させます。イカロスの若々しい描写と彼の父のぎくしゃくした、日焼けした図の間の著しい対照はさらに少年の完成度を強調します。イカロスのしなやかな筋肉組織と強い顔の輪郭は、19世紀後半の審美的で象徴的な芸術における同性愛の男性の裸の平凡のプロトタイプを提供していると言えます。

二人の立っている大理石の台は露頭から非常に急激に落ちるという事実は、見る人にとってめまい感を誘発します。その先には、壮大な真っ青な海と空の紺碧がひろがっています。そして岩石の多い海岸が劇的に地平線を強めています。イカロスの紫色のカーテンと彼の白い羽の間にも同様の色分けがあります。すぐにこれはイカロスの明るい美が最初に覆い隠す危険があります。このように、イカロスと同じように、私たちは危険に対する私たちの危険意識を超えた発見の爽快感に焦点を合わせるように勧められています。

曲芸を演じる古代の少女(1873年)

1860年代の終わり、レイトンは唯美主義の画家たちと相前後して裸婦像を制作しました。ワッツの「テティス」(1866年)、レイトンの「衣をぬぐヴィーナス」(1867年)、ムーアの「ヴィーナス」(1869年)といった彼らが示した作品はもそれらが性的な興味への欲望を満足させるものではなく、古典やルネサンスに典拠を持つ、見る者の感覚の高揚を追求したハイ・アートの作品と理解されたため、社会的な非難を免れることができました。

この作品は、淫らさを想起させることのない形式的で抽象的な美しさをもつ裸婦の扱いに対するこうした傾向の極致を示したものです。この絵を制作しているに、レイトンは古典的な主題へ移ったことについて書き、彼が想像上の古代世界というフォルムと設定に転じたのは、物語画が要求するものから逃れるためだったことを明かにしています。「しだいに、フォルムへの情熱がつのり、私は衣装という制約と要件とに耐えられなくなり、それがいやましにふくらみ、そしてついにはある部類の主題へ、あるいはより正確にはある状態へと私を導いた、そこには純粋に芸術的な質への最高の機会が残されている。その質によって、あらゆるフォルムは芸術家の掌中にあるデザインの概念へ従わされるのである」

プサマテー(1880年)

プサマテーはギリシャ神話で、ネーレウスとドーリスの娘たち(ネーレーイデス)の1人で、アイアコス(冥府の王ハデスの黄泉の国に行くべきものを審判する3人の裁判官のうちの一人)との交わりを嫌い、アザラシに変じて海に身を投じたにもかかわらず、彼女を強姦し、ボーコスの母となりきとた。そのボーコスは父のお気に入りだったために兄弟の嫉妬を買い、異母兄弟のテラモーンによって円盤投げ競技の最中に円盤をわざと当てられて殺されてしまいます。この作品では、プサマテーは打ち寄せる波の化身のように見えますが、彼女がすわっている白い布の優美なひだが流れ、重なり、零れ落ちているように、レイトンは彼女の姿に儚さをこめています。

作品が神話の見せかけを持つことは無視できないが、この作品が持つ独創性や生き生きとした感覚は、女性の身体を題材としたものあるがゆえのものです。レイトンの筆致はなめらかで、溌剌としたタッチですいすいと描かれているように見えますが、そこに一定の調子で変化を見せる色調を用い、テクスチュアやモデルの身体のヴォリュームを伝えています。女性の背中、肩、胸そして腕の輪郭線は、生気に満ちた姿を生み出し、背景の海や着衣の襞が持つ色調と不断の対照の中で、彼女の肉体の丸みを暗示しています。女性が見る者に背を向けているのは、まるで彼女はわざと観客の注意を引かないようにして、自分の苦しめた性的虐待について静かに思いを馳せているかのようにも想像できます。心理的な描写が欠如していることにより、この作品は、見る者に奇妙な感覚を抱かせるのです。つまり、主人公の表情を読み取る機会か全く否定されることによって、この絵は神秘的で興味をそそるものになっているのです。

祈り (1880年)

画面には1人の女性が描かれていますが、そこには物語の一部でも、だれかの肖像でもない、特定できない女性で、見る者は、その題材ではなく、美しく描かれている様子にとらわれることになる作品です。したがって、この作品を見る者は女性の描写に惹き付けられます。彼女は古代風の白い服を身にまとい、透き通ったヴェールをもちあげ、ひだを付けられた柱の上で小さな金色の像(偶然にも絵の中でその角だけが見える)を、まっすぐにみつめています。彼女の力強い腕は彼女の着ている白い衣服に対し暗いシルエットで示されています。彼女がいる空間は神殿の建物の軒の斜めの線と溝の入った円柱の垂直の線によって区画されていて、身体は構図の下の縁で唐突に切断され、それによって見る者と彼女との物理的な近さを強調していることになります。この構図はレイトンの神話を主題とした作品「アガメムノンの墓にいるエレクトラ」から引用したものですが、この作品では、もっぱらトランス状態の雰囲気をだすための構図として使われていて、神話の物語的要素は切り捨てられています。柱の根元には葉と果物の塊があります。薄暗いブドウは台地に流れ落ち、その濃い色は緑、金、そして青々とした葉のざわめきによって補完されます。この魅力的な静物は供物として、そして柱は祭壇として解釈することができます。小さな金色の彫像は、実際にはいくつかの古典的な女神の像であり、それは白衣の女が敬意を払っているのはこの目的のためです。作品タイトルの「祈り」かにして、彼女は、この女神に祈りを捧げている。両手を高く持ち上げているのは、そのポーズということが分かります。おそらく、彼女は踊り子あるいは歌手で、そうすることでインスピレーションを受けられるように彼女のミューズに祈りを捧げている、と解釈されています。

とくに、この作品は少女の着ている白い衣装と被っているヴェールの作り出す襞の表現が大きな魅力となっています。白い色は画面全体を明るくして、古代風の景色をギリシャの明るい陽光で引き立てています。そしてその強い陽光と白い色故の透きとおる様が、例えば、少女の掲げた腕の一部を透明なシルエットに見せる効果を出しています。そこに、少女の肉体を暗示させる効果を作り出しています。さらに、衣装の襞そのものが、まるで波打つように画面全体に対してさざ波のような動きを作り出しています。この襞の表現が多様で、襞の作り出す波が一様でなく、それが一見単純な構図であるにもかかわらず、見る者を飽きさせない工夫になっています。そしてまた、白い衣装と背景の建物の大理石の白、また少女の白い肌と、白い色の描き分けで、白の表面の感触の違いが、見事といっていいものであると思います。

しかし、この少女には、生気があまり感じられず、まるで彫像のようです。一方、ヴェールと衣装を着ているのですが、その布は少女の身体に貼り付くようで、身体の曲線を想像させるようです。そしてまた、白い衣装の透けた表現が、実際のところ腕の一部を透けて見えるように描いているところから、少女の身体に対しても、そのような可能性の暗示が為されていて、そこに案に少女の身体の曲線が暗示されています。だから、これは衣装を着せているとはいえ、裸体を暗示していなくもない、微妙なエロチシズムを、見る者によっては想像させるようなところがあります。その時に、少女が生き生きと描かれていると、あまりにも生々しくなるのと、身体全体が逞しくて華奢とは言えないところなので、そのものズバリの少女の裸体の暗示となっていないところで、配慮がなされている。レイトンの作品には、そういう上品さを装ったエロチシズムの暗示のようなところがあるように、私には思えます。

囚われのアンドロマケ (1888年)

古代ギリシャの詩人ホメロスの『イリアッド』はトロイ戦争を描いた叙事詩です。トロイの王子であったヘクトールは戦闘防衛の総大将として軍勢を指揮し、また個人の勇猛さをもってギリシャ軍を食い止めていましたが、アキレウスとの一騎打ちに敗れて戦死してしまいます。その後、いわゆるトロイの木馬の策略で、トロイはギリシャに敗れてしまいます。アンドロマケは、ヘクトールの妻で、勝利したギリシャ軍のアキレウスの息子ネオプトレモスの戦利品として略奪されます。この作品は、ネオプトレモスのおさめるエピラスに連れて来られたアンドロマケが捕虜の状態で、女性たちの中で井戸から水を汲む順番を待っている場面を描いたものです。

まずは、画面を見ていきましょう。画面の右端の階段の上に長方形の井戸があって、その水を汲むために大きな壺をもった女性たちが並んでいます。女性たちは色とりどりの薄いドレープを着て並んでいて、まるでカーテンがかかっているような様相です。画面右側の女性たちは桃、ピンク、栗色の服で、左側の女性たちは主に青、緑、紫の服を着ており、若い女の子と2人の小さな裸の子供を連れています。その並びの中央に、他の女性たちとは間隔をあけて一人ポツンとアンドロマケが立っています。彼女は全身を黒いドレープで覆うようにして、わずかに顔、首、足の先が見えるだけです。また、彼女は、右下の赤ん坊が母親の膝の上に座って父親の顔に手を触れている三人家族のほうを向いています。左手前には、木の杖を持った深い栗色のローブを着た2人の男性がいます。うち1人は赤い帽子をかぶり、アンドロマケに向かって親指でジェスチャーをしています。その右には背中をこちらに向けた男が、彼女の方を見ています。左下隅には、老婆があぐらをかいて座って、アンドロマケを見つめています。木々に囲まれた山岳風景がアンドロマケの背後に見えます。彼女の頭のすぐ後ろの白い乱流雲が空をいっぱいにしている。白い石造りの建物は女性の右手後ろにあり、暗い石造りの建物は女性の後ろ左手にあり、そこには日光が当たる入り口があります。

画面全体の構成に、横長の画面に、ほぼ左右対称に人物が配置されていますが、その間隔は均等ではなく、一見無秩序にうつるほど多様で、そのため遠近法の配置が複雑に見生ます。この人物たちは画面内の所定の位置に配置されないで、むしろ自然に観測される三次元空間での位置にいるように見えます。右側の人々は井戸の前の階段の上に立っているので、構図の中で浮かび上がっていように見えます。こちらは明るい空間になっていて、人影は茶色、赤、金の衣でおおわれている反対に、;左側の人々は視界から遠く、それに比例して小さくなっています。この人々は胸壁の影になり、主として寒色の服を着ています。手前の前景には、半身像の人々が配置されています。アンドロマケは、広々とした空に囲まれ、空間の中でに孤立した状態にあり、彼女を中心に画面構成上の対象が作られています。つまり、この構成では、人びとに動きがあり、多様な色で示されているのにですが、中心にいるアンドロマケだけは、一人人々から離れて、動きがなく、色彩も黒い影のように描かれています。

このようにして、叙事詩の物語の場面ではあるのですが、たとえ、その物語を知らなくても、画面からはアンドロマケという女性の孤立と疎外がイメージとして見る者に伝わってきます。

プシュケーの水浴 (1890年)

ギリシャ神話のプシュケーとエロースの伝説は、ローマの詩人アプレイウスの「黄金のろば」の挿話として19世紀の後半の芸術で盛んに取り上げられました。ある国の3人の王女はいずれも美しく、中でも末のプシューケーの美しさは美の女神、ウェヌスへ捧げられるべき人々の敬意をも集めてしまうほどであった。それゆえに、ウェヌスの怒りをかってしまいます。両親は「山の頂上に娘を置き、『全世界を飛び回り神々や冥府でさえも恐れる蝮のような悪人』(ラテン文学ではおなじみの恋の寓喩である)と結婚させよ」という神託に従います。彼女は愛の神であるキューピッドの黄金の宮殿に運ばれました。そして毎晩キューピッドは彼女を愛したのですが、彼の身元が明らかにされませんでした。ある夜、彼女はランプの光によって彼の眠っている姿を見つめ、そして誤って彼の体に熱いランプ油をかけてしまいます。キューピッドは正体を知られてしまったため、彼女のもとから去ってしまいました。

この作品は、キューピッドが到着する前にプシュケーが入浴するところを描いたものです。入浴のために裸体となるモチーフは、フランス古典派のドミニク・アングルの「泉」の影響が見て取れると思います。片方の手を高く上げて、かかげるように白いドレープを垂らしている様子はカスケードのような水のように泡立つように描かれていて、「泉」の少女が持ち上げた甕から水を流しているのになぞらえています。あるいは、こころもち身体をひねって、片方の腕を上げたポーズは、ナポリのカポディモンテ美術館の古代彫刻の「ウェヌス・カッリピュゴス(尻の美しいウェヌス)」に基づくものと言われています。彼女はプールの端に立っていて、その水面に彼女の足が反射して映っています。背景には四つの大理石の星が飛び交い、そこから二つの縦溝のある柱、黄金の大文字、そして絵の上端に見える屋根がそびえています。2本の直立した柱の間は紫のカーテンで仕切られており、その上には鮮やかな色の夜空がかいま見られます。このような建築的な直線による幾何学的とも言える背景は、プシュケーの柔らかく丸みを帯びた肉体と彼女が掲げている白いドレープの軽さを強調します。背景のはっきりした垂直性は、彼女の細長さを印象づけ、四角く区切られた背景は彼女の女性らしさと優雅さを際立たせます。

当時は、ヌードというモチーフに対して道徳的な反発が強く残っていた社会で、このように古典的な姿として提示することで、反対を抑えたということです。レイトンの古典的な傾向は、プシュケーのポーズだけでなく、表面的な官能性を抑えるように、肌の色合いなどは、例えばルーベンスのような豊満さを感じさせる生き生きとした色彩ではなく、大理石の冷たい表面のような透明な白で、表面はツルツルと滑らかな印象を与えます。しかも、ドレープの乳白色と陶器のような肌の白さ、そして、浴場の大理石の白っぽいオフホワイトと、白の色合いを様々に並べて、プシュケーの肌をドレープと大理石の中間に置いて、冷たすぎず、かといって生々しくないというバランスを図っています。

そして、プシュケーの身体については、棟は小さく、女性らしさを強調するような優美な曲線は抑えられています。まるで、その曲線を阻害するかのように全体像を横から見て、正面を向かせるように上体をひねらせています。その結果、上半身や腕の逞しさが不自然なほど強調されています。この描き方は、彼の以前の作品「ダイダロスとイカロス」を思い出させます。

その結果、伝統的な女性の裸体に関連するエロティシズムが抑えられ、この作品を見る者は最高の芸術レベルで体の美しさを純粋な形としてとらえることができるようになっている、と言うことができます。

サイモンとイフィゲニア(1884年)

サイモンとイフィゲニアは14世紀イタリアのボッカッチョの『デカメロン』の第5日の最初の物語です。この物語は、「愚か者」を意味するサイモンという「単なるばかまたはばか」でもあった貴族の強くてハンサムな息子についての物語です。森を歩きながらある日、彼は若い女性が木の下の牧草地で早く眠っているのを発見し、彼女の美しさは彼の魂を目覚めさせました。イフィゲニアはギリシャ語の「強い」、「強い」、および「生まれた」の語源です。彼女の名前は「強い生まれ」、「強い生まれ」を意味します。ギリシャ神話では、イピゲネイアはスパルタ王アガメムノンが女神アルテミスを怒らせた後、女神をなだめる唯一の方法として犠牲にされる悲劇の女性です。

元の物語では、イフィゲニアはほとんど裸でした。しかし、レイトンは、観賞者の視線が彼女の体に固定されることを確実にするように彼女の体を美しく輪郭を描いたドレープを着せることを選びました。イフィゲニアの精巧で渦巻くカーテンの表現力は、当時の英国の多くの芸術家たちに影響を及ぼしていたThe Parthenon Marblesの彫像を参考にして、彼女の美しさと優雅さを高めています。

 

構図に関しては、メインの2つの人物のグループがあります。そして木の戦略的な配置とイフィゲニアを持つ葉が左に向かって放棄して後方に投げかけられることによって前景にもたらされました。主な焦点として、イフィゲニアはキャンバスの大部分を占めていますが、それでも彼女の侍女とつながっており、眠っているグループとサイモンと彼のコリーの間の明瞭な色調のコントラストと組み合わされた構成上の区分を形成します。見る者の視線は最初にイフィゲニアによって画面に引き込まれ、それから視線はは十分なカーテンで動かされ続け、他の細部の露出を遅らせます。サイモンは、おそらくもっと瞑想的で、ある程度の安らぎを持って、彼のコリー犬もまた固執しています。それから二人の間にのぞく海の地平線の大規模な広がりが来ます。結局は結局海で彼らと会うことである試練として作られています。

サイモンとイフィゲニアの対比的構成は、10年前のHercules Wrestling with Death for the Body of Alcestisフォーマットを用いていると思われます。しかし、かつて死んでいた女性は今眠っています、そして、以前レスリングしていた男性ヒーローは今立っていて、イフィゲニアを見つめています。イフィゲニアの体を見ているサイモンは、地平線の上の光線に映っています。イフィゲニアの横臥は、サイモンの直立姿勢と対照的です。このようにして、このように、意識があるのと関連して直立した、活発な男らしさと深い無意識と関連して横になった、受動的な女性らしさが対照されます。その一方で、物語ではサイモンはイフィゲニアとの出会いで魂が目覚めることになっています。画面では、、眠っているイフィゲニアの光景は美的で感情的に休眠中のサイモンを目覚めさせます、しかし同時に、絵の快楽沈没の象徴は、美しい女性像を擁護することにおいて、彼自身が「眠りにつく」つまり、彼女に魅入られることを示唆します。サイモンの悟りを知らせる光線は、夕日の最後の光線であり、闇が降りる前の夕暮れの照明を表しています。レイトンは、午後の昼間の物語を夕、美しい月が海の地平線の後ろから上がっていて、すでに太陽からの午後の輝きのフラッシュでまだ気が止まっていない暮に時刻を移しました。この照明と配色は、零トンが場面を照らし、光と影の対比によって、そしてもちろん最後の残りの日差しの中でびしょぬれになったイフィゲニアを使って私たちの視線をコントロールするための十分な余地を提供します。彼女のガウン上の多くの領域は、月と新月自体の非常に最も明るい領域とほぼ同じくらい明るく、おそらくサイモンの魂の照明と彼の悟りを表しています。

一方、イフィゲニアは、キャンバスの内側と外側の両方で男性の視聴者を動揺させるのに最も有利になるように女性の曲線を強調するようになっています。カヴァネルの「ヴィーナスの誕生」のように、イフィゲニアの体は彼女の太ももと腰の幅を強調し、同時に彼女の胸、細長い首と腕の裏側を見せるかのようにねじれています。彼女の顔ははにかんでいるかのように背けられていますが、これは決して見る者の視線を彼女の体へアクセスすることを制限するものではありません。彼女は、同時に、首を伸ばし、腕、手首、手を伸ばしてねじると、身体をくねらせて挑発しているようにも見えます。イフィゲニアの腕の位置は解剖学的には不可能で、不自然に見えます。彼女の身をくねられた外観は、彼女が木の根元に横たわっているのと一緒に、イブによるアダムの誘惑とエデンの園の蛇を暗示しています。したがって、彼女は眠っている美しさと危険な誘惑の両方をしています。さらに、眠っている人の穏やかな表情を重なります。レイトンはイフィゲニアの身体をほとんど隠していないようなゆったりとした衣服で覆っています。彼女の衣服のクリーム色のカーテンが彼女の体とその上にあるプラットフォームの上に集まり、束になってしみ、古典的な形を乱しています。画像の底辺で、彼女のカーテンは水の中に浸り、その動きを液体の動きと関連付けます。ひだとしわがたくさんあることで、それらがドレープする体とは無関係に動く形を作り出し、睡眠条件下でのイフィゲニアの潜在意識の蛇行を示唆しています。彼女の眠りの深さをカーテンの形で示しています。 

ペルセウスとアンドロメダ(1891年)

ペルセウスと彼の使命であるメデューサ殺害に関するすべての古代伝説は、ヴィクトリア朝の人々の心に最も強く訴えかけた物語だったそうです。この物語はオィディウスの『変身物語』を含む多くの神話を元とする話に登場し、また19世紀にはウィリアム・モリスの詩集『地上の楽園』に収められた「アクシリオス王の死」でも形を変えて語られています。ペルセウスはダナエとゼウスの息子で(ゼウスはダナエが彼の父アクリシオス王によって真鍮の塔に監禁されていた時に、黄金の雨に姿を変えて彼女と交わり妊娠させた)、母親の愛人ポリュデクテースに、それを見たものはすべて石になるという魔力を持ったゴルゴーンのメデューサの首をとってくるように命じられました。それは、明らかに達成不可能な任務で、ペルセウスを亡き者にしようという策略でしたが、女神のアテナと海のニンフの奇跡的な助力を得て、成し遂げることができたのでした。

この作品には、ペルセウスが魔法の袋に入れたメデューサの首を手に持ち、翼がついた馬ペガサスに乗って帰ってくるところが描かれています。彼は帰りの旅の途中、ポセイドンの生贄として岩につながれたアンドロメダを救出に来た、まさにその場面です。アンドロメダが生贄となったのは、彼女の母親カシオペア女王がネレイスたちよりもアンドロメダが美しいと主張したため、そのネレイスの一人であるアムピトリテと結婚した海神ポセイドンを怒らせてしまったからです。彼女を貪ろうとしているドラゴンの悪夢のような形は、束縛された彼女のほぼ裸の身体を抱きかかえているように見えます。彼女の裸身の柔らかさピンクを帯びた肌、そして腰にかけられた布の白と輝かしい金色の髪の毛は、それに被さるようなドラゴンの邪悪な緑と黒によって対照され、際立たせられています。彼女は異様な岩の壁が海から聳え立つような不吉な海岸線の岬に鎖でつながれていて、上を覆うようにドラゴンの巨大な黒い羽はアンドロメダが逃げ出すことができないように暗い空間に閉じ込めています。その上、怪物の猛々しい尻尾、うねり立つ脊柱、プテロダクティルスのような首や頭、光を放つ目と悪臭に満ちた火を吐く息、これらのものがこの絵を恐怖に満ちた恐るべきものにしています。

レイトンは、この作品のリアルで三次元的な描写をするために、アンドロメダのポーズをスタジオでモデルを設定することで、構図がどのような位置からでも、どのような角度からでも観察してえがくとともに、;神話の竜はモデルと先史時代の動物から作られた研究に基づいてデザインし、粘土による模型をつくり描き、;岩だらけの海岸線とフィヨルドは、アイルランドの西海岸のスケッチに基に描きました。レイトンが難儀したのはペルセウスの騎馬の姿でした、ここで彼はオランダの彫刻家ヘンドリック・ゴルチウスの版画をもとにして描かれました。

ヘスペリデスの園(1892年)

ヘスペリデスは、ギリシャ神話に登場する世界の西の果てのヘスペリデスの園で黄金のリンゴを世話する3姉妹のニンフたちを指します。ヘーシオドスの『神統記』では夜の女神ニュクスの娘たちとされるが、一般的には父がアトラスとして知られています。黄金のリンゴの木は、ゼウスとヘラの結婚の祝いとしてガイアが贈ったもので、ラドンという百の頭を持つ竜に守られています。

円形のキャンバスはオーギュスト・ドミニク・アングルの「トルコ風呂」を思わせるものですが、広い空間を閉じ込めて、人や者をそこに詰め込んで、覗き見するような風情があります。その印象は、世界をヴェールを通して覗き見すると異世界のように映るといった感じです。さらに丸い形は、絵画の全体的な雰囲気を引き立て、画面全体の構成が蛇、白鳥の首、そして少女の腕の長い曲がりくねった曲線などの曲線の絡み合いであることを円形の画面が強調しています。対立する力学のバランスに基づいた構成は、レイトン自身の「アクメとセプティミウス」を参考にしているようですが、放射線によって画面がブロック分けされ、そこにカーテン状の衣裳に包まれた姉妹が三角形で重なり合っています。その放射線状の円はヘスペリデスが住む世界の不変の性質と、その義務の永遠のサイクルを象徴していて、そこに蛇による線が交錯しているのが、目に見えない危険と、時間の経過に逆らうものはないという教訓を伝えていると言われています。

レイトンは、元の神話の竜を木と中心人物の体の周りに絡んだ蛇と置き換えました。多くの下絵図面から、レイトンが最初に3人の女性を丸い枠の中に配置したことが知られています。蛇、絵画の牧歌的なムード、そして美しい庭園の中の3人の女性像のゆるさは、官能的といっていいほど豊かで暖かい色彩にいろどられています。例えば、中央のニンフは、片方の手を蛇に身振りで示す一方で、もう片方の手を使って足首と胴体の周り、そして首の後ろに巻き付けながら体を愛撫します。ニンフとヘビはお互いの目を見つめますが、それは恋人たちの間で共有されている一種の親密でエロティックな見方であり、同じレイトン「オダリスク」での女性と白鳥のそれを思い出させます。女性たちの手足や蛇のしなやかさと柔らかく曲線を描いて絡んでいる様子は、レイトンの「漁師とセイレーン」の漁師のまさに死に臨んで弛緩した身体に腕、手首、首が纏われついている様子を彷彿とさせます。この作品の蛇は漁師に絡むセイレーンのように誘惑するように女性に絡みつきます。セイレーンは漁師の目を強く覗きながら、蛇のような尾を両足に巻き付け、水中深くに引きずり込んでいきました。まさに、蛇と女性の見つめ合いで、これと同じような、官能的な耽溺、眠気、沈没の経験と死の間の視覚的なつながりがこの絵の中に作り上げられています。彼女たちのしなやかな姿態は、蛇の巻き付いた胴体、彼女たちの服の襞としわ、そして前景の鳥の曲線状の首に映っています。

燃える6月 (1895年)

この作品は、レイトン最晩年の最も有名な作品のひとつと言われています。夏の午後の陽の光を体中に浴びながらまどろむこの女性のイメージは、既に前年の「夏のまどろみ」のディテールの意匠として登場していました。

女性が大理石のベンチで眠りについている様子を示しています。半透明のオレンジ色のドレスを着て、彼女は赤と黄色の布の層に佇んでいます。彼女の背後には海の細いストリップが太陽に照らされています。地平線上には、かすかな土地の輪郭が見えています。

それは色と構成の豪華な交響曲を驚かせて見るように見る者を強いる素晴らしい美しさのイメージです。彼女を包んでいるオレンジ色の輝きは、彼女のドレスから、彼女の腕と頬の赤みを帯びた色合いに広がります。赤、黄、金色の色合いが優勢であることは、彼女が球のような形にぎっしり詰まっているときに、その姿がほぼ不平を示すように思われる。したがって彼女は、太陽の存在を知らせています。太陽の存在は、頭の上に照らされた海のほぼ白い帯によって暗示されています。彼女が横たわっている間でさえも片足のつま先でバランスをとること、彼女はレイトンの人物が有名であるために身体的緊張と弛緩の結合された資質を醸し出しています。

丸みを帯びたバラのような形に構成された眠っている女性の上品に丸まったポーズ。レイトン自身の説明によれば「このデザインは頭をひねって考え出したものではなく、しなやかな体つきのあるモデルがふと見せた疲れきった仕草から偶然思いついたものだ」ということですが、ある美術史家の指摘では、彼女のポーズは、フィレンツェのメディチ家の墓でミケランジェロの有名な夜の彫像を大まかにモデル化したものであるということです。ということは、彼女のまどろみ、眠りは死の隠喩と解釈することもできます。というのも、画面右上隅の花はオレアンダーという毒草です。しかし、それ以上に女性の肉体の官能性が印象的です。それも眠ることによって無防備に、その姿態をあらわにしているエロチシズムという要素。エロチシズムを生と死の緊張として強調する効果もあるのだと思います。なお、眠る女性というモチーフは、バーン=ジョーンズの「眠り姫」やアルマ=タデマの「テピダリウム」等の作品に共通する眠る女性というモチーフで、眠る女性は従順な女性性を象徴する姿です。受動的で無垢な女性が男性に自分の人生を委ねるという当時のイギリス社会の女性をシンボライズしたものだったといえます。それが裸でいるとなれば、男性の愛撫を待っている姿という想像に結びつくことになるわけです。その描き方についても、オレンジ色のシースルーのドラペリーをまとわせて、その下の豊かな肉体を、直接的なヌードではなく透けて見せるようにしています。薄い衣を通して乳首をのぞき見させる、といった思わせぶりもあって、作品を見る者に、ちょっとした覗き見の背徳的な気分を味わあわてくれるサービスがあります。

 

 
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