ラファエル前派の画家達
ウィリアム・ホルマン・ハント
『雇われ羊飼い』
 

 

ハントが初めて制作した大作で、1852年のロイヤル・アカデミー展に出展されました。のんびりした田舎の風景の中、明るい夏の陽光のもとで楽しげに戯れる男女二人の羊飼いの姿が描かれています。一見無邪気で牧歌的なその情景は、シェイクスピアの「リア王」の第三幕第六場のエドガーの以下の言葉を基にしていると言われています。

眠っているのか 羊飼?

 お前の羊が 畑荒らす

一声高く 笛鳴らしゃ

 羊も羂に 掛るまい      (福田恒存 訳)

しかし、この二人は自分たちに与えられた職務を忘れ羊たちの行動に全く関心のない男女二人の「雇われ羊飼い」です。画面の右奥には麦畑に迷い込んだ羊が見えます。その羊を追ってか、今まさに群れを離れ麦畑に足を踏み入れようとしている羊の姿も見えます。女性の羊飼いの膝からリンゴを食べている子羊は、まもなく体調を崩してしまうことになるでしょう。雇われ羊飼いたちは金で雇われただけで、羊たちを庇護することは全く無関心で、羊たちのうえに起きようとしている悲惨や悲劇を気にも留めていないのです。彼らは自分たちを雇い入れた主人に対しても無責任なのです。しかし、これは怠惰な羊飼いを描いているだけに終わらず、この作品でハントは、羊を守るという本来の義務を怠っている羊飼いを、世俗化されてしまった怠惰な聖職者の点景として描いているといえます。それは後にハント自身が主旨を語っています。それによればハントは当時、一部の聖職者たちあり様を念頭に「宗派的な虚栄や致命的な怠慢を糾弾する」ことを意図していて、男性の雇われ羊飼いは、「常に危機にさらされている信徒の群れに仕える代わりに、人間の魂にとって何の価値もない無益な問題を議論する間の抜けた牧師たちの典型」として描かれたというのです。

ハントは、この作品で日光があたる野外の光景を真っ直ぐで強烈な色合いで描いています。それによって細部まで明確に映し出されるようで、絵画の約束では背景として控えていたところが光に映し出される、つまりは光が当てられる。そうなると、光があたり、今まで見えていなかったこと、あるいは、あえて見なかったことが光のもとに見えてきてしまう。ハントの、当時としては新しい光の効果の手法は、そういう意味を持っていたと思われます。そして見えてきたのがこの作品の意図するものだったということになります。比喩的な言い方をすれば、(神の)光が当たり、真実が明らかになってきたという、教会を映し出すわけですから、そういう手続ということになってくるわけです。イギリスには、ウィリアム・ホガース以来の諷刺の伝統がありますが、この作品もそこに連なっていると思います。例えば、リンゴはアダムとイブの話以来、誘惑の象徴ですし、子羊にとっては有毒なのですから、誘惑に負けて職務放棄してしまうシンボルともいえます。二人は半袖の薄着で強い日光が当たっている下でのリンゴは秋から冬の果実ですから、これから冬になっていくことも示しているのでしょう。羊はキリスト教では罪の贖いとすれば、女の羊飼いはそれを無視しているということになります。つまり、教会や聖職者たちは人々の罪の贖いを無視していることをダイレクトに象徴していることになるわけです。男が伸ばした手で捕まえているのは蛾です。これは夜の生き物で昼間で夜を予見させる、つまり死の暗示です。悲惨、あるいは悲劇の暗示でしょうか。

一方で、ハント自身の説明にも関わらず、この作品の意図を世俗的聖職者批判と切り離して理解しようとする解釈もこれまでなされてきました。ハントは、雇われ羊飼いの男女のいやしい振舞いの描写を通して、一部の聖職者に限らず、広くヴィクトリア朝時代を生きた人々の「欲望、虚栄、そして傍若無人な厚かましさを描いた」のだというのです。

実際のハントの意図がどうであれ、この解釈はありだと思います。いずれにしても、世俗的関心と誘惑に心を奪われた人間が、本来であれば防ぎ得る社会的悲惨を未然に回避する機会を逃し、悲惨と悲劇に無関心を決め込むという19世紀のイギリス社会の一面を暗示的に描かれたことに違いはなかったと思います。ハントはこの作品の制作主旨を説明した際に、「私は道徳的な意味合いを見る人に無理強いしようとは思わなかった」と述べていますが、こうした彼の言葉自体が構想の過程で彼自身がこの作品に「道徳的な意味合い」をこめていたことが分かります。ここでは、怠惰で利己的な人間のあり様を象徴する存在としての羊飼いの姿を描くことに、ハントは意味を見出していたのではないかと思います。

※当時のイギリスの宗教界の状況

英国国教会について言えば、それは以前から家柄や人脈によって登用された主教たちを中心に世俗的な価値観や趣味によって支配されていたが、ヴィクトリア朝時代に入ると世俗社会の価値基準に基づいて議会が教会の神的権威を制度的に脅かすことになった。なかでも19世紀イギリスのキリスト教会の世俗化を最も強く印象付けた出来事は、1833年に議会に上程されたアイルランド国教会の二つの大主教区と八つの主教区が廃止されることになった。この決定はアイルランド住民の多数派であるローマ・カトリック教徒が少数派の国教会を維持するために税金を徴収されていたという当時の事情に照らせば、至極当然のことであった。しかしそれが世俗権力である議会においてなされた事は、世俗的な価値判断による教会の神的権威への介入にほかならなかった。こうした教会の独立と権威を侵害する動きを国家による背教行為として糾弾したのが、1833年7月オックスフォードにおいてジョン・キーブルが行なった説教「国家的背教」であり、この説教はイングランド国教会の高教会的改革運動オックスフォード運動が興隆する契機となった。

オックスフォード運動は別名トラクト運動とも呼ばれるように、『トラクト(時局小冊子)』の発行を自分たちの主張を発信する主要な媒体としていたが、なかでも1841年に発行された『トラクト』90号はとりわけ大きな衝撃を英国国教会主流派に与えることになった。その衝撃的な内容のゆえに最終号となってしまった号の中で、それまでオックスフォード運動を牽引してきたジョン・ヘンリー・ニューマンは、英国国教会の39箇条が本質的にはローマ・カトリック教会の教義と矛盾するものでないことを主張した。39箇条は英国国教会の教義的立脚点をローマ・カトリック教会から明確に区別することを念頭にイングランド宗教改革の時代に確立された宗教要綱であっただけに、ニューマンのこうした見解は英国国教会の存在理由の根本を否定するものとして受けとられ、結果として激しいオックスフォード運動批判が起こった。しかし、実際にはこうした主張をニューマンが展開した本当の理由は、英国国教会から離れていこうとする人々を英国国教会に踏みとどまらせる意図によるものであった。英国国教会の主流派によるオックス亜ぉー度運動に対する批判が継続する最中も、世俗権力による教会の問題への介入は続いた。アイルランドの国教会についていえば、1869年制定のアイルランド教会法によりその存在そのものの廃止が決められ、同法により1871年にアイルランドにおける国教会制度が消滅した。

『トラクト』90号の衝撃からおよそ10年を経て描かれた「雇われ羊飼い」を、こうした一連の出来事を思い起こしながら鑑賞してみると、群れから今まさに離れようとする羊はイングランド国教会から離れようとする人々を意味し、世俗の誘惑に心を奪われ周囲の事態にまったく目を配らない「雇われ羊飼い」の姿は、世俗化著しい英国国教会の無気力と無関心を的確に象徴しているといえよう。

 
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