ハンマスホイとデンマーク絵画
 

  

2020年1月24日() 東京都美術館

今年から有給休暇が義務のようになって、その消化で、午後3時ごろ上野駅に降り、公園口の改札を出た。修学旅行や外国人旅行者の姿が目立った。西洋美術館を横目で見ると、ハプスブルク展の入場者の列が長く伸びていた。驚いた。あんなに混んでいるのか。今日の目的の東京都美術館が混雑しているか心配になった。いつもは展覧会の会期の終わり近くになるのだが、ハンマスホイはそれほどメジャーでないだろうし、今回は21日に始まったばかりで空いているだろうと高を括っていたが、目の前を中国人の家族がはしゃいでいる。東京都美術館は西洋美術館のような混雑こそしていなかったが、人の姿は少なくない。最近、見た展覧会の静かな、作品をじっくり対峙できるような雰囲気に慣れてしまっていたのとは、少し、落ち着きがないような空気だった。会期が進んでくると、もっと落ち着けなくなるかもしれない。

例によって、主催者の言葉をチラシから引用します。“北欧の柔らかな光が射し込む静まり返った室内─17世紀オランダ風俗画の影響が認められることから「北欧のフェルメール」とも呼ばれるデンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864〜1916)が活動したのは、西洋美術が華々しく展開した1900年前後の十数年間でした。印象派に続いてポスト印象派が登場し、象徴主義、キュビスム、表現主義など新しい芸術が次々に生まれた時代です。そうしたメインストリームの「喧噪」から離れて、ハマスホイは独自の絵画を追求し、古いアパートや古い街並み、古い家具など、時間が降り積もった場所やモティーフを静かに描き続けました。その美しく調和した色彩と繊細な光の描写、ミニマルな構成は、画家の慎み深さと、洗練されたモダンな感性を示しています。没後、一時は時代遅れの画家と見なされ忘れられたハマスホイですが、欧米の主要な美術館が続々と作品をコレクションに加えるなど、近年、その評価は世界的に高まり続けています。日本でも2008年にはじめての展覧会が開催され、それまではほぼ無名の画家だったにもかかわらず、多くの美術ファンを魅了しました。静かなる衝撃から10年余り。日本ではじめての本格的な紹介となる19世紀デンマークの名画とともに、ハマスホイの珠玉の作品が再び来日します。”

上記の言葉にある日本での2008年の展覧会を、国立西洋美術館で見てきました。その時の印象は別にまとめてありますが、初めての出会いということもあって、“私が一番感じた特徴は色彩です。モノトーンと紹介文で書かれていましたが、一見少ない色、しかも無彩色系の色調は、私の個人的な北ヨーロッパというイメージです。クノプフもこんな色調ではなかったかと思うし、カスパー・ダヴィッド・フリードリッヒの一部の作品にこういう色調のものがあったと思います。色調というとかなり感覚的なことのように思う人もいるでしょうが、人間の色の感じ方というのは、実は色の波長だけでなく、温度や湿度に影響を受けているのです。唐突なことにように取られる人もいるでしょうが、実際に印刷会社でグラビア印刷のインクの色を決める時に、温度や湿度によって色が変わって(人が感覚する色)しまうので、一定の環境でインクの調整するように厳しく管理しているのです。また、日本が明治維新によって西洋の文明を必死になって取り入れようとしていた時、絵画についてもローマやパリに留学して西洋絵画を輸入してようとした留学生たちが、帰国して最も困った、戸惑ったのが色彩やその感じ方が全く異質だったといいます。同じ青でも地中海の太陽に映える鮮やかな青と湿潤な日本の青を異なるもので、同じに使えないため、日本の風景では地中海の青の色では描くことができなかったといいます。ということは、ハンマースホイもデンマークという北ヨーロッパの温度や湿度といった環境で、イタリアなどの南欧とは全く異なる環境で感覚できた色を正直にそのまま描いたのかもしれません。私には、ハンマースホイの作品に感じられる特徴というのが、この色彩ということから派生しているように思われるのです。私がこのハンマースホイの作品を見て感じる特徴というのは、輪郭線が曖昧で全体としてぼやけたような画面になっていること、各パーツが単純化されていること、それゆえに重量感というのか物体としての存在感の希薄なグラフィックな図案に近いものとなっていることです。例えば、輪郭線がハッキリしていないというのは、モノトーンの色調から輪郭をはっきりさせてしまうと輪郭線が目立ち過ぎてしまうと考えられるからで、平面的な画面がますます平面的になってしまうからと考えられます。そして、各パーツが単純化されているのはモノトーンのグラデーションで仮面が構成されていると複雑にすることは難しいと思われるからで。さらに。モノトーンの無彩色系の色調では画面全体がどうしても薄っぺらい印象になり易いということからです。その反面、そういう色調から淡い落ち着いた印象を受けるのではないか、それが静寂さという印象に通じるのではないかと思います。”という感想でした。ちなみに、2008年の展覧会ではハンマースホイと表記していましたが、今回はハンマスホイと表記が変わっていました。それだけ、この人は、まだまだ馴染みがないからかもしれません。

私にとって2回目となる出会いで、この画家の印象が変わってきました。前回と違って、彼を取り巻くデンマークの画家たち合わせて紹介されていたのも大きかったと思います。正直言って、ハンマスホイ以外のデンマーク絵画の画家たちは、彼抜きで見れば、デンマーク絵画のマニアでもなければ、それだけを目指して見たいと思うようなものではないと思います。そして、前回の印象ではローカルな画家という印象だったハンマスホイが、近代のデンマークの画家たちと比べると突出した存在であると分かりました。ほかの画家たちとの違いは一目瞭然で、簡単に言うと、他の画家たちがローカルレベルであるのに対して、ハンマスホイが明らかにワールドクラスだということ。そして、画家たちのデンマーク絵画の特徴がグローバルな世界で異質さとなっていて、その特徴を集約するように突出させたのがハンマスホイだということに気が付いたのでした。主催者の言葉にある“17世紀オランダ風俗画の影響が認められることから「北欧のフェルメール」とも呼ばれるデンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイ”というオランド風俗画の風景画や静物画は、西洋絵画の伝統の中にあって、歴史画や神話画の場面の背景をピックアップしたものから始まったものです。それが分かるということは、その描かれている風景や静物は、その場面ということ、つまり聖書や神話の意味を含んでいる。しかし、ここで展示されていたデンマーク絵画は、その影響を受けたということですが、オランダ風俗画あった意味が失せている。風景画はたんに風景を描いたというだけ、静物画も室内の器物や活けた花を描いたというだけ、いわば無意味で部屋のインテリアとして品質の高さを求めたような絵画と思えます。ハマスホイの絵画は、そういうデンマーク絵画を土台として、例えば、彼のトレードマークともいえる室内を描いた同じようなパターンの作品は、無意味さゆえに、操作が可能となるわけで、室内の家具などを様々な組み合わせで作品の中に空間を構成させる試みをしているというわけです。何か分かりにくい言い方になりましたが、例えば、20世紀イタリアの画家ジョルジョ・モランディの静物画と共通しているところがあると思うのです。モランディは、卓上の器や壺を様々に配置して、画面構成が様々に変化していくことを試みました。それは抽象画の画家たちがコンポジションとして画面を様々に構成してつくる試みをしているのと同じような作為です。つまり、ハンマスホイは、デンマーク絵画の特徴を集約して、一気に抽象的な思考で画面を作ろうとした。ただし、表面的には近代絵画の具象的な様相で、難解な印象を与えないようにしている、そういう重層的な絵画となっていると思えるのです。ざっと述べましたが、詳しくは、個々の作品を見ながら追求していきたいと思います。では、見ていきましょう。

展示作品の半分以上はデンマーク絵画の展示でしたが、はっきり言ってハンマスホイ抜きでは、それ単独で見たいとは思えない作品だった(正直言って、私には、展示されている画家の区別がつかなかった。)ので、そこは端折ります。あくまで主役のハンマスホイに絞り、彼との関係でデンマーク絵画を参照するような形で見ていくことにします。

 

第1章 日常礼賛─デンマーク絵画の黄金期

第2章 スケーイン派と北欧の光

第3章 19世紀末のデンマーク絵画─国際化と室内画の隆盛

これらは省略

第4章 ヴィルヘルム・ハマスホイ─首都の静寂の中で

「裸婦」という1884年の作品です。彼が、未だ20歳で、学校で学んでいたころの作品です。いわば習作に近いところもあるでしょうが、この時点でも、彼は、対象を描写するということよりも描かれた画面の方に興味があることを表していると思います。おそらく、ヌード・デッサンをもとに作品に仕上げたのでしょうが、この人のデッサン力の高さは抜きんでているのは、これまで展示されている作品を見ていると、比較で分かります。真っ暗な背景から肌の白さが浮きあがるように映える。その肌の柔らかや温かみの感触できる。とくに、首をかしげるように、向こう側に顔を向けている少女のうなじの少し陰になった柔らかい陰影と産毛の表現によく表れています。ふつう裸婦像で注目されるようなポイントである女性の乳房は、視線を集める中心となっていないと思います。ということは、同じ19世紀にイギリスでは裸体画というのが、理想の美の表現とか物語の場面とかいうような、口実で制作されていました。例えば、美の女神を裸体の姿で描くとか。それに対して、このハンマスホイの裸婦は、そういう配慮があるように見えません。むしろ、白い肌のうなじの柔らかな感触を描くためには裸体にした。だから、乳房を女性の理想的な身体の美しさのシンボルとして扱うことなく、それは、乳房の形を描くことも、あえて隠すポーズをとらせて恥じらいの表現とすることはしていません。しかも、背景を真っ黒に塗りつぶして、物語の場面ではなく、人物をのみ描いているというわけです。それゆえ、裸婦像といっても、官能的であるとか、耽美といったことを、あまり感じることがない作品になっていると思います。

「ルーヴル美術館の古代ギリシャのレリーフ」という1891年の作品です。8年前の西洋美術館の展示会にも出品されていたようなのですが、そのことを覚えていませんでした。それほど印象に残らず、見過ごしていた作品でした。それを見直し、あらためて、この作品を認識させたくれたのは、この展覧会のおかげです。パリのルーヴル美術館に展示されていた紀元前5世紀の古代ギリシャの浮彫を描いた作品です。この浮彫には美と優雅を司る三人の女神の女神が表されていました。ハンマスホイは大理石の欠損箇所や、周りの暗い美術館の壁までも忠実に描いています。彼は、この浮彫で表現されているギリシャ神話の「パリスの林檎」の物語を描くことには、あまり興味がなかったのではないかと思います。彼が描いたのは浮彫という物体で、その表現という意味とか内容ではないということです。しかし、この作品はそれだけではない。ルーヴル美術館の古代ギリシャのレリーフの浮彫を忠実に写した、写実的な作品ではないと思います。それは、表層部分の描き方のところで、ハンマスホイは、短い幅広のタッチで、点描のような絵の具の使い方をしています。距離をとって離れて見ると、浮彫を描いた画面が、近寄って目を凝らして見ると、整然とタイルが並んでいるように、その並んだ茶とグレーの系統のタイルが微妙に変化するように並べられていて、時折茶系統の色のタイルの並びの中にグレーのタイルが闖入したりして、その並びが独特のリズムを作っている。この作品の主眼は、浮彫の物語でも歴史的な作品としての浮彫を描くことでもなく、茶とグレーの絵の具のドットを並べて作品を作ることだったように、私には見えます。これは、例えば20世紀初めの抽象画家オットー・ネーペルが、画面中に細かなハッチングを稠密に並べて、全体として人物や建築をモチーフとしたように見える作品を制作したことを連想してしまうのでした。こうしてみると、ハンマスホイの作品はヨーロッパ絵画の先進地域から離れた北欧のローカルな地で、独自の作品をマイペースで描いたものというイメージから、むしろ先端的なムーブメントに通じるような作品を独自に追求していたものと見ることができるのではないかと思えてきます。

ここからは、展示の順番通りではありませんが、ハンマスホイといえば室内を描いた作品が中心になるので、展示のメインのメインというべき作品を見ていきたいと思います。ただし、以前の西洋美術館での展覧会のときに比べて室内画の展示作品数は少なくなっていたと思います。ハンマスホイの作品数全体が少なくなっていたからかもしれないし、その代わりにデンマーク絵画の作品が展示されていたからかもしれません。

まず、「古いストーブのある風景」という1888年の作品です。ハンマスホイが初めて描いた室内画のひとつということで、この室内は自宅のではなくて、学生時代の下宿していた部屋ということです。当時のコペンハーゲンでは、多くの画家たちが室内の情景を描いていたということで、ハンマスホイも、そのような環境の中で室内画を描いてみたという作品ではないかと思います。彼が本格的に室内を描き出すのは1990年代後半からですから、この作品は後のスタイルが出来上がる前のものだと思います。とはいっても、この時点で、同時代の他の画家たちの作品とは一線を画す特徴を見ることができます。この作品を見ていると、何か寒々とした印象で、色調は暗く、しかも描かれた画面は平面的です。どこか突き放したようなところがあり、そこにはあまり画家の部屋に対する愛着とか思い入れのようなものは感じることはできません。同時代のコペンハーゲンの画家たちの描いた室内は、画家自身の家庭生活をモチーフとしたもので、そこでの親密でほほえましい家族や親しい友人たちのくつろいだ姿、日常生活の場面といった幸福な家庭生活を表現したものでした。これは当時のブルジョワジー、つまり、画家たちの絵画の消費者たちが求めたイメージだったのではないかと思います。例えば、ピーダ・イステルズの「アンズダケの下拵えをする若い女性」という作品は、フェルメールの作品そっくりですが、それを当時の風景に移し替えて描いたような作品です。そこには17世紀のオランダの繁栄になぞらえる気持ちもあったことは否定できないと思います。すくなくとも自信があった。そういうことが見て取れると思います。この作品で若い女性が来ている服の黄色は、ハンマスホイの作品では、ほとんど見ることのできない色です。同じイステルズの「縫物をする少女」という作品です。このような子どものいる室内というのはハンマスホイの作品では見ることができない。少し大きすぎる椅子の端にチョコンと腰かけて、陽だまりの中で縫物に夢中になっている少女の姿は微笑ましく、暖かみのある色遣いと相まって、作品画面は親密な空気で満たされています。このような温もりのある視線というのはハンマスホイの室内には見つけることはできないと思います。また、子供を描いた作品では、ヴィゴ・ピーダスンの「居間に射す陽光、画家の妻と子」という作品もありました。居間で幼い子供をあやす母親を描いた作品です。陽だまりの中で、彼女の白い肌と黄色のドレスは、それ自体が輝いているかのように陽光を浴びています。床に散らばったおもちゃや人形、絵本には目もくれず、笑顔の母親を指さす子供。ここで表現されているのは家庭の幸福な姿であり、この母子のように親し気に視線を交わすことや、床にものが散らばっている光景はハンマスホイの作品画面には見いだすことのできないものです。そして、あふれるような光が、画面に暖かさに満ちたものにしています。ハンマスホイの視点から言えば、このような要素は、彼の作品画面ではすべて排除されたもので、このようなものを切り捨てていったところに彼の室内画というのが、できあがっていったものだということができると思います。

ハンマスホイの作品を見ていきましょう。1898年の「室内」という作品です。これはロンドン滞在時の仮住まいを描いたものだそうですが、おそらく画家の妻のイーダなのでしょうが、背を向けた黒衣の女性。その漆黒と対照的に画面手前のテーブルにかけられた白いテーブルクロスに右手の窓から穏やかな陽が当たっています。そのテーブルの上には何も置かれていない。この簡素さといいますか、他の画家の作品ならば花とか果物とか器を置くのですが、置かないのがハンマスホイで、わずかに奥の壁際のライティングデスクに小さな白い植木がひっそりと置かれています。ここには、先ほど見たような日常の生活の匂いのようなものが全く感じられません。色彩は、ほとんど白と黒の、いわばモノトーンです。白い壁で、右手の窓には白いカーテンが揺れて、手前のテーブルには白いテーブルクロスがかけられている。このような白の室内で、黒い服を着た女性の姿はコントラストをつけるアクセントになっています。あるいは、四角い家具しか置かれていないで、画面が直線で占められているところに丸みを帯びたものがあることで画面の印象のバランスをとっている。画面に女性の姿があるのは、そのような機能上のことで、基本的に背景や家具と同じような存在といえます。画面の中心となって、親密さとか家庭の幸福をシンボリックに表すようなことはないと思います。そして、ハンマスホイは、おそらく妻である人物を単なる画面の構成要素として、画面上のバリエーションとして使いまわしてゆきます。例えば、「寝室」という1896年の作品では、珍しく白いドレスを着させて、画面を白のバリエーションで構成させることを試みています。なお、展示されていた同時代のデンマークの画家たちの作品に、室内で背を向けている女性の姿を描いたものが多く見られます。これは、デンマーク絵画の特徴で、おそらく後ろ姿の女性だけを描いた作品が、これほど集中しているということは他には、ないだろうと思います。その理由などは想像がつきませんが、総じて、ここで描かれている女性たちは、何らかの行為をしているところで、その行為自体をとらえるには後ろ姿といいかもしれません。これを前から捉えると、顔の表情が入ってしまい、そこに感情表現がはいって、行為そのものとは違ったところに見る者の注意が行ってしまいそうです。あるいは、黙々と仕事に集中している様子は後ろ姿の方が伝えやすいところがあるかもしれません。例えば、ヴィゴ・ヨハンスン「台所の片隅、花を生ける画家の妻」という作品は、田舎の質素な台所の棚に置いた花瓶に、摘んできた野の花を生ける、その家の主婦の姿が描かれています。都会のブルジョワの生活とは違って、貧しく、家族が働きづめで女性の見せる肩を落とし気味の背中には苦労とか疲れを負っているように見えます。その忙しい中で、時間をつくって花を摘んできて活けている、おそらく、家族は、このとき外で作業をしているのでしょう。そこで女性は、黙々とやっている。そういう物語が画面から想像できる作品です。また、カール・ホルスーウの「読書する少女のいる室内」という作品。同じ画家の作品でハンマスホイに雰囲気が似ている作品もあったのですが、左の大きな窓から陽が射している室内で壁際の机に向けて椅子にすわって、つまり、こちらに背を向けて少女が読書しているという様子は、フェルメールの作品世界に似ているように思います。壁には数枚の絵がかけられていて、机には花瓶や器が置かれていて、フェルメールだったら、そういうディテールに象徴的な意味を読みとることかできるわけですが、この作品では、そこに都会のブルジョワの生活の匂いが感じられます。ハンマスホイの殺風景なほど簡素な室内と比べると、はるかに生き生きとした印象を見る者に与えるとともに、さきほどの「台所の片隅、花を生ける画家の妻」とは違う、別の物語が、この画面から想像することができそうです。ギーオウ・エーケンの「飴色のライティング・ビューロー」という作品です。女の子がタンスの引き出しを開けて、その中に入っている何かを探している。一心不乱に引き出しの中を探している様子は、少女の後ろ姿に表われています。壁際のライティングデスクを正面から捉えた構図は、平面的な画面になっていますが、ハンマスホイのようなのっぺりとして、そこに家具や人物を配置する地のようになっているのとは違って、デスクの飴色や壁には数枚の絵画がかけられていて、そこには、それなりの多彩な色彩があり、雑然としているわけではないか、細々とした動きがかんじられ、まったく異なる様相になっています。これらを見ていると、室内の情景を活写して、日常生活の一場面を生き生きと描いている作品であることが分かります。このような作品は、当時の画家たちにとって主要な購買層のブルジョワの人々のニーズに応える形であることが想像できます。

ここで少し脱線します。そもそも、絵画の画面で中心となる人物が背を向けているということは、どういうことなのでしょうか。一般論として考えると、デンマーク絵画以外の作品で見ていくと、ちょうど左上のフェルメールの「絵画芸術」を参考にしましょう。画面中央で、椅子に座り、こちらに背を向けているのは、絵画を制作している画家です。画家は、画面の奥、つまり、彼にとっては正面のモデルを見て描いている。この時、「絵画芸術」という作品を見る鑑賞者は、作品を見ると同時に、背を向けている画家の視線に同一視するように、画家が描いているモデルの女性に視線を向ける。そこで、画家と視線を同じにすることになる。それは画面の画家と一体化することになる。そこで、鑑賞者は画面の画家の見ようとしている、画家の視野、あるいは画家の見ようとしている世界を見ようとすることになる。鑑賞者が、このように画面に引き入れられるのは、画家の背を追い掛けるようにしてであり、画家は画面の中の人物であると同時に、鑑賞者を画面に引き入れるガイドの機能も果たしている。つまり、この作品中の画家は、画面と鑑賞者の中間にいて、鑑賞者を画面に導くような存在になっているといえます。これは、他の画家、例えば18世紀ドイツの画家フリードリッヒの「窓辺の婦人」という作品でも、鑑賞者は暗い室内にいて、こちらに背を向けて、開いた窓に向けて立っている女性に誘われるように、窓の外、つまり画面で言えば、窓の奥(向こう側)に視線を移していく。これは、フリードリッヒの与していたロマン主義というものが、はるかな理想の世界への憧れというのを、この作品では現実の生活を匂わす暗い室内から、窓の外に広がっている明るい世界、それが理想の隠喩なのでしょうが、それへの憧憬と、そこへ鑑賞者の視線、認識を導いてゆこうとする作品であるといえます。これらに共通するのは、鑑賞者を画面の人物と一体化させて、画面の中に、というより、画面の中心となって示しているものに導こうというものとなっているということです。これは、展示されているデンマーク絵画でも、ヴィゴ・ヨハンスン「台所の片隅、花を生ける画家の妻」では、鑑賞者は、背中を向けて花を生けることに夢中になっている主婦に一体化するようにして田舎家の台所に導かれるようになっていると言えます。これらの作品では、人物は、鑑賞者に世界を向けていることと、その人物の正面、鑑賞者からみれば、この人物の奥に世界が広がっていたり、何か人物が働きかける事物が存在している。そして、鑑賞者はこれらの人物を通して、それらの世界や事物に関わるように参加していていくことになります。そこでハンマスホイの「室内」をあらためて見ましょう。女性はこちらに背を向けています。この女性の目の前には、何もない壁があるだけです。しかも、女性と壁の間の空間はほとんどない。女性は、壁にくっつくようにして立っている。立っているだけです。ここでは、女性の前に世界が広がっているわけでもなく、何かに働きかけているのでもない。彼女は何もしていないで、ただ立っているだけです。これでは、鑑賞者は女性と一体化して画面に参加するということは不可能です。したがって、そういう機能は、もともと意図されていない。せっかく、背中を向けた人物を画面に配しても、それが活かせるような使い方をしていない。この女性が、作品の画面の中で存在して、機能しているのは、箪笥テーブルなどと同じになっているということです。でも、「寝室」では女性は窓辺にいて、外を見ているではないかと反論があるかもしれません。しかし、「寝室」とフリードリッヒの「窓辺の婦人」を比べてみれば、「寝室」の婦人が鑑賞者を画面に導くような存在でないことが分かると思います。フリードリッヒの「窓辺の婦人」では、窓が開かれ、婦人は窓の外に身を乗り出すように外を見ているのに対して、ハンマスホイの「寝室」では、窓は閉じられて、女性は窓際に佇んでいるだけで、外に向けてのアクションの形跡がない。フリードリッヒの窓は外に向けて開かれたものであるのに対して、ハンマスホイの窓は閉ざされ、外と内を区切る壁のようになっています。ハンマスホイにとって、窓を閉ざすには、室内を閉鎖された空間とするという理由があったのだろうと思います。この二つの作品を比べると、「寝室」に特徴的なのは、異なるのは光の扱いです。白壁の室内は明るくて、しかも窓が大きくて外光が降り注ぐように射し込んできます。しかし、室内というのは、外から光を取り込む閉ざされた空間です。そのため、射し込む光は、方向や範囲が、どうしても限定されます。そこで、ハンマスホイの特徴である陰影の塗りが部屋に差し込む外光という制限を受ける形になります。しかし、一方で閉ざされた空間に一方向から光が差し込んでくる。そこで、画家の陰影表現はますます精緻に展開できることになるでしょう。室内の細部の凹凸が陰影表現のために強調的に利用されることになります。それだけに飽き足らず、室内に置かれた家具や生活用具が陰影のアクセントとして何通りもの表現が試みられます。このような室内での光の構成に色々を試みるなかで、構成の要素となる家具や人物を言わばパーツとしてパズルのように組み替える作業を繰り返していくうちに、それぞれのパーツがパズルの構成要素として使いやすく人為的な手が加えられていったとしてもおかしくはないでしょう。いうなれば記号化の措置が加えられた、と考えてもいいでしょう。となれば、室内といっても現実に存在するままを描く必要はないわけです。それは、想像の世界とか幻想とか超現実とかといったものものしいものではなくて、記号の組み合わせに近いものではないかと思います。ハンマスホイ自身も想像を飛躍させていたような認識はなかったと思います。それが、これから見ていく、自宅を題材にした室内画を見ていく際の視点になってきます。

「背を向けた若い女性のいる室内」という1903年ごろの作品。展覧会ポスターで使われた作品です。ストランゲーゼ30番地の自宅の居間で背を向けて立つ女性(ハンマスホイの妻のイーダ)は、盆を手にしていますが、何をしようとしているのか、行動や心理状態を窺い知ることはできません。よく見ると、女性の左の方に置かれた器(パンチボウル)は蓋がずれており、女性に比べて異常に大きい。それは、背を向けた女性が人物画のクローズアップするような描かれ方をしているからかもしれません。例えば、全体にぼんやりとした雰囲気の画面であるにかかわらず、この女性の首筋の後れ毛のほつれが丹念に描かれていたりします。そのあたりの人物への距離感というのが、うなじに吸い寄せられるように視線を近寄っても、この人物が何をしようとし、何を思っているかもわからず、その視線が拒まれるように宙ぶらりんになってしまう。そこで距離感が決まらず曖昧になる。その曖昧な距離感を、異常に大きな器とのバランスが助長している。それは、この室内が現実のハンマスホイの自宅の居間を題材にしているにもかかわらず、現実の具体的な室内から、抽象的な空間になっていることを示していると思います。そうして画面を見ていくと、画面左上の壁にかかった絵画の右下4分の1の直角の角が絵画と額縁の二重の直線があり、この二重の角の延長上で、画面の右端近くに、同じような直線の角が、部屋の壁の枠線として白い桟のように盛り上がっている。その下には壁の上下をわける水平のラインがある。そのラインに沿うように手前に器が置かれた家具が長方形の形である。これらすべてが直線による水平と垂直で構成された幾何学図形のようなもので、そこに器と女性という曲線が入り込んでくる。そうなると、この作品は、室内画から直線と曲線との幾何学的な構成のコンポジションのように見えてくる。昨年末に、坂田一男の回顧展を見てきましたが、彼は、壺やバルブの形状を曲線と曲線の組み合わせに抽象化して、それらのコンポジションによって画面という空間を構成させていくことで様々な作品を制作していました。坂田は、さらにそういう空間をひとつの画面の中に複数入れ込んで複雑な構成を作り出していました。ハンマスホイは、坂田が平面化してコンポジションしたことを、立体でやっていたと言えると思います。それが、彼の一連の室内画です。しかし、坂田のように平面化して形状に抽象化してしまうのとちがって、室内の家具とか人物などは、立体でしかも形状に抽象化できていません。そこには、例えば光と影という形状と異なる要素や、形状にしても曖昧さが残ります。それをハンマスホイは逆手にとって、コンポジョンのバリエィションの一つの要素とし、さらに、坂田の場合は厳密に設計した画面ということになりますが、ハンマスホイの場合には、そこに偶然的な要素が入り込むことになって、坂田の抽象画にはない、あそびの要素、それゆえ堅苦しくない画面になっている。それが一連のハンマスホイの室内画の大きな特徴ではないかと思います。このような試みを、画家は意図的に行っていたかは分かりません。しかし、見れば、結果として、そうなっていると見ることができる。ここにハンマスホイという人の独創があると思います。仮に、彼に近いことをやっている人として、強いて思い浮かぶとすれば、テーブル上の器を並び替えて、同じように静物画でコンポジションを試みたとイタリアのモランディが思い当たるくらいです。

「画家の妻のいる室内、ストランゲーゼ30番地」という1902年の作品です。ハンマスホイは自宅の中庭に面した部屋を舞台にして、同じようなアングルで、女性の姿勢や、壁に掛けられた絵画のサイズや数、テーブルの有無、構図のわずかな違いなどで様々なコンポジションの試みをした作品を制作しています。今回の展示は、この一作のみですが、8年前の展覧会では、同じようなアングルの作品が数点展示されていて比べて見ることができました。その時の作品を参考としてあげておきます。両者を比べて見ると、女性の位置関係が違います。参考作の方は、絵を見る者の方を向いて縫物をしているのに対して、展示されている作品を見る者に背を向けて座っています。後ろ姿なので何をしているのか分かりません。このような女性の違いだけでも画面の構成は大きく変化してきます。例えば、窓から差し込んでくる光が同じ(窓を通した光が床に映る角度や大きさが、両作品はほとんど同じなので、時刻等は同じ頃合いであるのが分かります)なのに、室内の明るさが同じに見えないのです。あるいは、「室内─陽光習作、ストランゲーゼ30番地」という1906年の作品では、女性の姿もテーブルもありません。そうすれと画面全体の印象がどう変わるか、のっぺりとした平面的な世界になっているように思います。それは、前に違うパターンの二つの作品を見ているから、なおさらそう見えるのかもしれません。このように、ハンマスホイの室内画は、何点もの同じような作品を並べて見ることによって、個々の作品の個性が浮きあがってくる。そうすると、ハンマスホイが一つの作品に施したものが、それぞれの作品でちがうということ、そういうところに彼の画家の苦労が見えてくるように思います。

「廊下に面した室内、ストランゲーゼ30番地」という1903年の作品です。ここには、女性の姿はありません。ということはうがった見方をすれば、室内での女性は家具と同じで、あるかないか、どこにあるか、というのと同じだということになります。だから、この作品では、画面に女性が必要でなかった。これは、テーブルがないということと同じだということです。とくに人物にこだわっているわけではありませんが、人物の姿もコンポジションのひとつの要素にすぎないことが分かります。ハンマスホイは、空間を構成して画面をつくることに熱中していた、嬉々としていた、そんな風に感じられます。この作品では、白い扉開いていて、奥の部屋が見えていて、さらにその奥の扉も半開きで奥の部屋も垣間見えます。これまでは、閉じた単一の空間でしたが、この作品では、扉が開いていることで、奥の部屋と、一部が垣間見えるその奥の部屋、そして右手の部屋と、空間が複数あって多重空間となっています。そこを見る者の視線が行き来いたり通ったりする。部屋は、その通り道のようになる。したがって、家具や人物を置けば、通り道の邪魔になります。このように空間を多重的に重ねるというのは、例えばモランディが卓上の器と器の隙間を同じような存在として扱い、隙間という存在と器という存在を重ね合わせようとしたことと似ていると思います。

「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」という1910年の作品は、ストランゲーゼ30番地から数度の転居で落ち着いたストランゲーゼ25番地の住居の室内を描いた作品で、「廊下に面した室内、ストランゲーゼ30番地」で試みた多重空間が、以前の単一の閉鎖した室内空間のアングルで試みられています。前景と後景に表された二つの部屋が二つの空間を作り出して、それを白い大きな扉がひらいてつないでいます。手前の前景の部屋は、「室内─陽光習作、ストランゲーゼ30番地」や「廊下に面した室内、ストランゲーゼ30番地」のような人の姿のない室内空間で、奥の部屋は、妻のイーダがピアノを弾いているように見えます。しかし、この奥の部屋は、奥行きが感じられないでぺったんこに見え、さらに手前の部屋についても、手前のテーブルがなければ、白い壁だけの平面に見えるところでした。このような正面からのアングルでは、難しいことなのか、それとも、平面であるキャンバスの画面を構成するということから、そもそも、平面的にすることを意図的に行ったのかは分かりませんが、いろいろに構成を試してみて、この作品に至ったのでしょうから、この作品をみていると、ハンマスホイの恣意が表われてきているように思います。端的に言えば、ハンマスホイの室内画は表面的には室内の光景を描写した具象画ですが、実質的には空間を意識的に構成した抽象画でないか、と今回の展示を見ていて、強く思いました。

そこから、現実の室内の光景であるはずの画面が意図的に構成されて、現実を離れて人工的な幻想の空間になってしまう。それは、静物画で言えば、スペイン・バロックの画家スルバランが卓上の果物を宗教画のような敬虔な空間にしてしまったように、意図的な空間をつくることもできるかもしれない。「室内、蝋燭の明かり」という1909年の作品は室内の光景を楕円の空間に収めるということをして、暗い空間に蝋燭の日が灯るというだけで神秘的な空間を作り出しているように見えます。これは、同時に展示されている他のデンマークの画家たちとは、次元が違っているのが、作品を見比べていて、強く感じたことです。その意味、今回は仕方のなかったことかもしれませんが、室内画の作品が少なかったのは、とても残念なことでした。

室内画で本質的な言いたいことを述べてしまったのですが、今回の展示は、室内画の代わりに、より人物画や風景画に注意を向けることができたので、こちらについて、少し触れていきたいと思います。8年前の展覧会では、風景画には、あまり注意を払っていませんでした。

 

室内画で本質的な言いたいことを述べてしまったのですが、今回の展示は、室内画の代わりに、より人物画や風景画に注意を向けることができたので、こちらについて、少し触れていきたいと思います。8年前の展覧会では、風景画には、あまり注意を払っていませんでした。

「農場の家屋、レスネス」という1900年の作品です。夏の眩しい光の中で、黒い茅葺の屋根が、白い漆喰の壁と強いコントラストを作り出しています。白地の画面で、横に長い建物が、とくに屋根の黒い太い水平線が画面を横切っています。画面右手の建物が、画面上では斜線状に水平線に交差している。それらが壁となって風景を遮っています。それらは、白地に設定されています。作品タイトルは農場の家屋となっているが、普通、農場の風景であれば、樹木とか草原といった自然風景の描写は建物の影になって遮断され見えなくなっています。あるいは農家の小動物(犬、家畜、小動物等)そして、何よりも農家の人々の姿は、描かれていません。農場といいながら、人々がそこで生活する痕跡が排除されています。ここで描かれた風景は、現実にはあり得ないような、人がそこに入り込めないような風景です。その結果、画面に残されたものは、直線の交差する高度に抽象化された構成です。つまり、室内画と同じようなものと言えるのです。例えば、「室内─陽光習作、ストランゲーゼ30番地」の人のいない室内画と並べてみると、同じような印象を持たれるのではないでしょうか。風景画という点では、同じ会場で展示されているヨハン・トマス・ロンビューの「シェラン島、ロズスコウの小作地」という1847年の作品と比べて見ると、ハマスホイの特異な点がよく分かると思います。同じように、農家の建物が横向きに配置され、その周囲を草木の緑が囲み、道端では牛が草を食んでいる。建物からは煙がたなびいている。そこには農家の生活が感じられる。これは、農村の風景画としては一般的で、ハンマスホイの作品とは全く異なる画面になっています。

「ライラの風景」という1905年の作品です。この作品は8年前の西洋美術館の展覧会で見ていたはずですが、初めて見るような作品です。ハンマスホイには珍しく、抜けるような空の青さが印象的です。鮮やかな緑のなだらかな平原は、前景から中景、後景へと滑らかに後退する空間の広がりはなく、稜線の重なりとその上のこんもりした樹木、横一列に配された雲の連なりといったモチーフ相互の積み重ねによって表現されています。曖昧な前景の処理とモチーフの単純化された形態は、それぞれのモチーフが綴る線によって画面が構築される。いわば、上部の雲の並ぶ水平な線の並びと、下部の草原のなだらかな起伏の連なりが水平な波の並びとなって、画面全体が水平な線の幾何学的な並びに構成されています。そこに樹林の濃い緑の塊がアクセントとして配置されている。1892年の「ゲントフテの風景」は、より単純なので、幾何学的な構成がより分かりやすいと思います。これは、同じ会場で展示されているクレステン・クプゲの「フレズレクスポー城の棟─湖と町、森を望む風景」という1834年ごろの作品と比べると、この作品は画面3分の2以上を青空にした印象的な作品なのですが、一見のインパクトはハンマスホイ以上化もしれませんが、青空の構成に慣れれば、それ以外は一般的な風景画です。本質的な特異性はハンマスホイの作品には及びません。

「スネガスティーンの並木道」という1906年の作品です。伝統的な風景画、例えば同じ会場で展示されていたティーオ・フィリプソン「晩秋のデュアヘーヴェン森林公園」では、道は絵を見る者の視線を絵画空間へと導くモチーフとなっています。道は画面の奥に向かって伸びていて、それに視線を導かれるように、前景から中景へ、画面手前から奥に移されていく、その奥に何かがあるかもしれない。そういう絵画です。これに対して、「スネガスティーンの並木道」は奥に伸びるのではなく、画面手前を斜めに横切っています。これは、画面奥に導くのとは逆に、手前で、見る者の視線を。画面の奥のなだらかな草原の風景から遮断しています。ハンマスホイの風景画は、水平な線による幾何学的な構成という点では、例えば、坂田一男の1950年代の「コンポジション」の瀬戸内海の船が行き来する風景を水平線の幾何学的構成の画面にしてしまった作品に近いのではないかと思えてきます。

 

8年前の展覧会に比べてハマスホイの絵画の展示総数は少なかったので、限られた点数のなかで肖像画の数は少なかったのですが、前回のときは室内画の印象が強かったので、今回は、むしろ肖像画を見直しました。それは、展示のはじめの方で、ハマスホイではなくて、コンスタンティーン・ハンスンの「果物籠を持つ少女」を見て、ハマスホイの8年前の展示で見た「イーダ・イルステズの肖像、のちの画家の妻」を想わせたからです。この作品は、今回展示されていませんでしたが。ハマスホイ初期の肖像画は、後の肖像画にないように、画中の人物はこちらに視線を向けて、なにか訴えかけるようなところがあります。それは、当時の一般的なデンマークの肖像画だったのだろうことが、「果物籠を持つ少女」を見ていると分かります。

「イーダ・ハマスホイの肖像」は8年前の展覧会でも見たのを覚えています。顔色が緑がかって、病的な感じがして(というよりもゾンビみたいな皮膚にみえます。とくに両手の指なんてこわばっていて、そのものです)、腫れたまぶたの下には隈が浮かび、額には血管が浮き出ている。イーダさんは、こんな姿で描かれたくなかったのではないか、と思います。視線はあらぬ方を向いて、というより、とこか遠くに、ここではないどこかを見ているような、虚ろな目です。そして、その隔たれて離れた感じを増すかのように彼女の手前にはテーブルが配されて、画面が水平に遮断されています。画面を見る者は、彼女に近づくことができないかのように、灰色がかったぼやけたような幕が張られている。

「三人の若い女性」という作品です。これも8年前に見たはずなのですが、記憶に残らず、今回、初めて見たようなものです。奥行きの感じられない平面的な画面空間で、中央の正面を向いた人物(ただし、視線は正面、つまり、画面のこちらの方を向いていない)を挟んで、両側に椅子に腰かける人物が対称的に配置されています。画面右手の壁に掛けられた額縁は二人の人物の間の空間にあり、対して左側の扉は、パネルの中央に黄色っぽい服を着て椅子に座っている女性の頭部が収まるように配置されるようになっています。このような構図は計算されたものなのでしょう。室内画に通じるところがあります。そして、そういう配置の計算は、三人の人物が視線を交わすことがなく、それぞれが別の方向を向いて、互いの関係性がまったく表されていないことと相まって、単に人物があるだけという抽象性の高い画面となっていると思います。しかも、ハンマスホイの人物画は、初期の「イーダ・イルステズの肖像、のちの画家の妻」を除いて、表情などの感情のような内面を表すようなことがなくて、能面のような人の形をしてものというものになっています。そういう女性像ならば、例えばポール・デルヴォーとかルネ・マグリットなどの女性画を想わせるところがあると思います。

 

 
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