ジョルジョ・モランディ展 終わりなき変奏
 

 

2016年3月9日 東京ステーション・ギャラリー

3月始めに、仕事の関係で上海に出張した帰りの便が中途半端な時刻に羽田に着いた。空港でちょっとひと休みという手もあったが、折角都心にいるので、ついでに手近なところとして、この展覧会の会期が終わりに近づいているのと、東京ステーションギャラリーの場所が手近であるので、無理して寄ってみることにした。しかし、展覧会をゆっくりとまわるほどの時間の余裕はなかったので、館内で立ち止まることなく、ひとわたり歩いて、そこに並べて展示されているモランディの似たような作品の流れを眺めるような見方をした。そのため、ひとつひとつの作品をじっくり鑑賞するというよりは、同じ題材を扱った類似の作品の流れを追うような見方になった。これは、却って良かったのかもしれない、と思っている。個別の印象に残る作品を見つけることはできなかったが、作品の流れから、全体像を自分なりに考えることができたと思う。同じ題材を繰り返し扱う人のようなので、作品傾向はかなり限定されているにもかかわらず、捉えどころのない人のようにも思えるので、個別の作品にこだわっていると、どのような画家なのかを捕まえられないと思う。

まずは、私自身、モランディという画家についての何の知識も情報もなかったので、展覧会の趣旨とともに主催者のあいさつを見てみましょう。“20世紀イタリアを代表する画家ジョルジョ・モランディ(1890〜1964年)。彼は、生まれ故郷のボローニャを終生離れず、74年の生涯をそこで静かに過ごしました。静物と風景という限られた主題の繰り返しの中で、色彩と形とが繊細に響き合う作品は、時が止まったかのような静寂さを感じさせ、見る人を瞑想的な世界へと誘います。本展は、モランディの静物画を中心として、彼の生涯にわたる「芸術的探求」を紹介します。卓上の瓶や容器、花瓶などを組み合わせた静物画は、モランディの代表作と言えるものです。それらは、構図における配置やバランスを試みる恰好の主題でもありました。一見、短調に見えるモランディの差品は、瓶や容器といった日常のモチーフを、在る時は一列に、ある時は一ヶ所にまとめて、配置しては置き直し、また組み換えてといった試行錯誤を経て描かれたものであり、同じ題材を扱いつつも、各々が全く別の作品として完成しています。また、モランディは、ひとつの構図を油彩、素描、版画とさまざまな技法で表現する中で、具象から抽象、またはその逆と、絶え間なく揺らぎ続けていました。このことは、静物画と風景画のあいだでも、構図を巡っても繰り返されています。本展では、モランディについて頻繁に言及されてきた「シリーズ」と「ヴァリエーション」の本質について、具体的作例で示します。”言ってみれば、地味な静物ばかり意識して描く、ストイックな画家の作品は高邁で深遠な哲学をしているかのようだ、というようなことでしょうか。変わり映えのしないワンパターンの静物画に、難しげな小理屈をつけて、もったいぶって、さも鑑賞しましたとでもいうようなスノビズムやオタク的なエリート主義のようにも受けられてしまう危険もあります。それは、慥かに、今回の展覧会に対する新聞の評なんかに、そのような傾向があり、とくに、ひとつの作品を取り出して鑑賞していると、そのようなところに陥る危険があると思います。モランディの作品には、結果として、そういうものに媚びる要素もあると思います。しかし、この展覧会全体を見渡して、ひとつひとつの作品に拘泥することなく、並べられている作品群を、何となく眺め、ある作品から別の作品へのアトランダムによそ見するように、会場を散歩するという方が楽しいのではないか、と思いました。

例えば、並べられている作品のうち、どれでもいいですからひとつ取り出して見ると、その画面には独特の雰囲気があることに気づくと思います。それは雰囲気なので、その画面に余計なものを加えたり、逆にあるものを除いてしまったら、たちどころに壊れてしまうようなものです。それは何となく感じるもので、分析して論理的に説明できるようなものではありません。逆にじっくり鑑賞して、あれこれ分析など加えたら、余計なことを考え始めて、画面から離れていってしまう類のものです。いわば感覚の遊びに近い。そこで、モランディは同じものを同じように描いても、そういう遊びの楽しさがなくなってしまうので、雰囲気が壊れないように、その画面に、慎重にあれこれ入れたり除いたり、配置を変えてみたりしていくわけです。それを並べられた作品を続けてみていくと、その画家のあれこれの試みを追体験していくことができるわけです。「こんなもの入れちゃうの?」とか「あっちからも見ている」とか呟いていく、今までない絵を見る遊びをすることができたと思っています。

また、このように小さな画面のなかで、静物の花瓶や果物などをとっかえひっかえ組み合わせて、画面を作っていくという作業は、神経症の治療法などで使われている箱庭療法と同じようなことをしているわけで、それを作品の画面の変化として追いかけるように見ていくことは、癒し(?)という性格もあるのかもしれません。

それなので、いつものように作品の感想を綴っていきますが、ざっくりとしてものになると思います。 

 

T 変奏のはじまり

比較的初期の作品を集めたコーナーから始まります。まず、私が不思議に思うのは、モランディという人がきわめて限られた範囲内の題材しか取り上げないとうは、最初からさうだったのか、ということです。それは、普通であれば、いろいろと興味がひろがって、いろいろと描きたくなるのではないか。もし、最初から、モランディという人の姿勢が一貫しているのであれば、相当の変人、ひきこもり、あるいは自閉症的な傾向の持ち主だったのではないかという疑問です。例えば、ここで解説されていたモランディに影響を与えた画家であるセザンヌの場合は、風景も人物も描いたうちのひとつが静物画です。モランディの場合も、最初は色々な傾向の作品を試みた結果、静物画に辿り着いたのではないのか。

しかし、実際に展示されていた作品は静物画ばかり、上記の疑問に対する答えは棚上げされ、私にとって謎として残りました。

1919年の「静物」(左図)という作品です。モランディの静物画は「静物」という同じタイトルの作品が多いので、制作年を入れて区別していこうと思います。この作品には、モランディが師と仰いだセザンヌの影響を見て取れると解説されていました。試しに、セザンヌの静物画(右下図)をひとつ見てみましょう。どうでしょうか、モランディとセザンヌの間に影響関係が感じられるでしょうか、似たところはあるでしょうか。私には、あると言えばあるし、そうでないと言えばそうでない、結局のところ分からない、というのが正直な感想です。たしかに、元来人見知りをする性格のセザンヌは、故郷に戻ると、アトリエで、テーブルの上に果物や食器をとっかえひっかえ配置して、様々な静物画を試みるように描いたそうです。そうであれば、モランディを同じようなことをしていたわけです。その点で、モランディは影響を受けたということなのでしょうか。

ここでちょっと寄り道して、セザンヌの静物画について考えてみましょう。セザンヌの静物画は、画像を見るとわかる通り、写真のように対象を性格に写したものではなくて、ひとつひとつの形が歪んで見えて、テーブルのある室内の奥行きの空間が感じられなかったり、と独特の特徴があります。それは、どうしてでしょうか。例えばセザンヌは“リンゴひとつでパリを征服する”ということを言ったとそうです。リンゴは言うまでなく、セザンヌが静物画で好んで描いた素材です。セザンヌはリンゴを描くとき、じっと見つめるのはもちろん、触れて肌触りや重みを確かめ、香りを嗅ぎ、食べて味わい、その音に耳を澄ませ……五官をフルに使ってリンゴを感じていた。その挙句に「匂いが見える」とさえ言ったそうです。リンゴは赤くて、丸くてということになるかもしれませんが、それは人が目で捉え脳で処理した情報です。たまたま、セザンヌがそう認識したもので、それを他の動物が見れば違って映るかもしれません。それは、リンゴの味や香もそうです。つまり、それは人、もっと言えばセザンヌ個人が生み出したイメージです。しかし、リンゴを表現しようとすれば、その色や形、肌触り、その他に味や香で表わすしかありません。でも、それではリンゴそのものを表現することにはならないのです。ところが、人は、セザンヌも私もリンゴの存在を知っているのです。だから、セザンヌが描いたのがリンゴと分かるのです。それを、人は当たり前のようにして生きています。くどいようですが、人が感じるリンゴとは、リンゴの色や形や肌触りや味や香のことではなく、それらの個別のどれがというのではなく、それにも一緒に渾然一体となって、人はリンゴを何となくイメージし、それとなく分かるのです。そこで、セザンヌは、言っています。“自然を円筒形、球形、円錐によって扱い、すべてを遠近法のなかに入れなさい。つまり対象や画の各側面がひとつの中心点に向かっていくようにしなさい。――地平線に平行な線は広がりを、つまり自然の一断面を与えます。あるいはお望みならば、全知全能にして永遠なる神が私たちの眼前に広げてみせる光景の一断面と言ってもかまいません”こう、して見ると、セザンヌにとってリンゴを描くというのは、本当のリンゴ、そしてそのリンゴを感じる本当の私にアクセスすることであり、それは感覚や認識では到達できない真実を直観する、さらに言えば神の領域にふれることだったと言えると思います。

だからこそ、セザンヌにとって存在を描くことは最も重大なことで、彼が抽象を描かなかったのは、具象というのは具体物を描くという背後の、ものが存在するということを描くということだったからです。それを具体的に、どのように描くかということについて、人が見えるとおりに描く、例えば遠近法とか、必要はないわけです。そこで、さっきのセザンヌ本人の言のように“自然を円筒形、球形、円錐によって扱い、すべてを遠近法のなかに入れなさい。つまり対象や画の各側面がひとつの中心点に向かっていくようにしなさい。”ということがありえます。そうやって試みたのが、ここにもある静物画でもあるわけです。

たしかに、そのような目でみるとモランディの作品のボールの上に載せられている果物で、向かって左側の3つは影の方向が別々です。これは、3個の果物を別々の視線から見ていることであり、セザンヌが静物画でよく用いていた手法です。ひとつ考えられるのは、セザンヌが様々な試行錯誤を経て、彼自身の描くということ行為の意味に辿り着いたわけですが、モランディは、そのセザンヌを見て、そこから始めようとしたのかもしれません。セザンヌの描くに倣おうとして、その具体的な実践として、セザンヌが静物画でやっていることを追いかけようとした。これは、私が勝手に考えた妄想ストーリーですが、セザンヌの描くに倣おうとして静物画に手を染めたのがきっかけで、そこから抜けられなくなってしまった。静物画を描いているうちに、次第にセザンヌに倣うという目的から離れていって、そこにモランディ自身の描くを探す方向性を見出していったのではないか、そんなように見るのは、私の勝手な見方ですが、そうすると、私なりにモランディを見る糸口が見つかるかもしれません。

1920年制作の「静物」(左上図)を見てみましょう。このようにストーリーを考えていくと、1919年のセザンヌに倣った静物画を描いたあとで、静物画に挑戦しはじめた。そのひとつの試みとして、この作品のようなこともやってみた、そんなストーリーを考えてみたくなります。暗色を背景に描かれたテーブルの上に、横一列に中央を高く、両脇を低くするという厳格な抽象性をもって並べるという構成です。スペイン・バロックの神秘的な静物画であるボデコン、スルバランの「4つの壺のあるボデコン」(右図)。静物画に本腰を入れて挑戦するとすれば、このような方向は一度はやってみようというものとみえてきます。しかし、スルバランに見られる、光と影の強烈な対照により、光が崇高なまでに輝かしく、その光が反射する壺の陶器の冷たい感触が厳しい雰囲気をつくりだしています。そこにある、宗教性につながる厳粛さ。このようなものはモランディにはありません。スルバランに比べると、どうしても微温さを感じざるを得ません。そこに、モランディの方向性、少なくとも、スルバランのような一途に髪に向かう厳しさは、別の視点からみればファナティックに陥る危険も秘めています。おそらく、モランディには、もって多様な方向への志向があったと思います。それを二つの作品をみると違いがはっきりと現われ出てくる、そう私には見えます。

このようなストーリーをでっち上げていくと、モランディが自閉症傾向の静物画オタクとして見なくても済みそうです。 

 

U 溝に差す影

ここから、モランディの静物画をヴァリーエーションごとに分類して展示していきます。

ここでは、同じ題材、表面に溝のある白い壺が繰り返し登場します。この壺の横には、様々な大きさの箱や、溝の入ったボールなどの異なる器が並べられています。モランディが表面に溝のある壺を中心モチーフとしたのかは、展示されている作品の影の向きが一定であることから、表面の溝に光と影のコントラストがあって、そのことによって具体性や実在性を与えることができる、と解説されていました。

次の2点の画像は、1936年制作の「静物」(左図)と1946年制作の「静物」(右下図)です。この2点を並べて見比べると、まるで間違い探しのクイズの答えを探すようなことをしてしまいます。白い溝のある壺をはじめとして3つ横に並んでいるのは、同じように見えますが、手前の小鉢のような小さな食器が異なっています。1936年制作の場合は、手前両脇に2個ありますが、1946年制作では手前中央の1個という点が違います。そこから、さらに違っているところが見えてくるでしょうか。2つの作品で個数や位置が違っている食器ですが、1936年制作のものは向かって手前左側の食器は黄色い蓋があって、右側は白です。しかし、この食器には溝がないため、同じ白い食器でも表面がツルツルに光っているように見えます。これに対して、1946年制作では、手前の食器は下部のボールのように丸みを帯びた器部分は白く溝がありますが、上部は帯が巻かれたようになっていて、その部分が赤く彩色されています。この少しの違いが、画面全体を見渡すと、色調、とくに全体の基調となっている白の目に映るニュアンスが違ってきます。

また、両作品の制作年の間の10年で画家のタッチの変化があったのか、技量が上達したのか、筆触が違ってきているようにも見えます。それは、画像ではなく、実際の作品にあたって見ないと分からないかもしれませんが。

これら、まだ他にもあるでしょうが、作品を見比べることによって、違いを探してみて、その違いから、モランディが制作するたびに、何を置くか、配置をどうするかなど、あれこれ弄っていたのを想像してみるというのが、これらを見るひとつの楽しみとしていいのではないでしょうか。

ひとつの見方として、ちょっとした差異を起こして、そこから新たなものを創りだして行く、そのプロセスを、ここでは作品を追いかけることによって、追体験することができる。そういう楽しさも慥かにあると思います。まるで、体験型のロールプレイングゲームをやっているようです。つまり、ひとつの完結した独自の作品を提示して、それを与えられたものとして鑑賞する、というのが一般的な芸術絵画の鑑賞です。しかし、この場合、ひとつの独立し完結した作品ではなく、同じ傾向のある諸作をいわば作品群として提示してきています(この展示方法がユニークなのかもしれませんが)。観る者は、その作品群の中で、様々な選択肢を与えられ(それは、各作品同士の差異として表われています)それは、まるで、ロールプレイングゲームで選択肢を提示され、そこで選択をしないと先へ進めないし、その選択によって、その後の展開が変わってくる。それと同じように、作品群にある差異の中から選択を繰り返していくうちに、作品群の中から作品を特定していく。しかも、ゲームと違うのは、ゲームは選択肢が予め決められているのに対して、展示作品では差異を自分の目で見つけ出す、したがって選択肢そのものを自分で見つけ出す(選択肢であることを決める)ということです。

ここで、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。モランディが師と仰いで影響を受けたとされるセザンヌは、モランディと同じように(むしろモランディが倣ったのですが)テーブルの上の食器や果物の配列を変えることで多くの静物画を描きましたが、モランディのように、並べて展示して比較しようとすることはありません。セザンヌの静物画は、作品群として比較しながら差異を楽しむということは聞いたことがありません。すなわち、セザンヌの静物画は、ひとつの作品を単独で取り出して、独立し完結した作品として鑑賞するものになっていると思います。このセザンヌとモランディの違いは小さなことではありません。何か、深刻めかした議論のように述べてきていますが、これはモランディの作品を見ている私が、作品に親しむためのストーリーのようなものということを、お忘れないでいてほしいです。私なりのストーリーで缶変えたセザンヌとモランディの違いは、時代状況が違っていることが大きく要因しているという考え(仮説?)です。年齢ではモランディのひと回り下になるテオドール・アドルノは次のように書いています。“ブルジョア道徳は、持ち前の宗教的な規範が解体し、自律的な規範も形骸化したために様々の概念に収斂して今日に至っているが、その中でも「本物」という概念は上位に位している。今日では人間を内的に拘束するものは何もないかもしれない、しかし各人がどこまでも自分自身に徹するのは最大限の要求である、という風に考えられている。何ものにも惑わされぬ真理への要請と事実性の称揚ということが、啓蒙された認識から倫理の分野に転用されて各人の同一性に対する要請となった”。つまり、宗教的な尺度が崩れ、その他の基準が形式化されたところで、妥協の許されない真実や実証論的事実さえ認識の問題ではなくなり、倫理の問題となる。その倫理の根底にあるのは一人一人の人間の「本物」である、というとでしょうか。神さまのような絶対的な基準がもはやなくて、人々は、それぞれに正しい主張をしていると、そのどれかを取り上げて、それだけを正しいということはできない、ということです。

これは、展覧会場に並べられたモランディの作品群にも同じようなことがいえると思います。つまり、どれも正しいのです。セザンヌはひとつの作品を仕上げるために下絵やデッサンを繰り返し、そのプロセスでモランディが複数の作品にしたことを作品の下準備としてやっていると思います。その繰り返しの結果、最適と決められた結果が作品として結実することになるわけです。そこには、ひとつの作品にまとめあける絶対的な基準が存在します。その基準こそがセザンヌの個性であり、方法論ということになります。モランディの場合は、セザンヌの場合にあるような結実した作品を頂点とするヒエラルヒーはなく、様々な試みが平等に並んだフラットな状態になっていると思うのです。だからこと、作品同士が平等であるからこそ、それらの差異を楽しむことができるのです。

だから、モランディの作品群のゲーム感覚で差異で戯れるという楽しさの裏面には、絶対的なものが消失してしまって、あらゆるものがフラットになってしまっている不安定さがあるとは言えないでしょうか。もしかしたら、モランディの作品の色調が、殆どの場合、陽気な明るさを基調としていなくて、重苦しくはないものの暗く渋めの色遣いを基調としているのは、そのせいなのかもしれません。

 

V ひしめく器─都市のように

モランディは様々な物体を密集させる配置を試みることが多く、隙間なく連なり光に照らされた器の集合体は、塔やドームが成す都市の姿を想起させるということです。ネットを検索していたら面白い画像(右上図)があったので、ちょっとお借りしてきましたが、モランディの静物画と都市の風景を並べて比べたものです。たしかに、よく似ています。モランディは異なった大きさや形態の物体を密集させて、光と影の様々なパターンを創り出したといいます。このことによって、これらの物体が置かれている空間の奥行きや、それを照らす光をはかることができるからだそうです。同じテーブルの上の缶や瓶、水差しの配置を色々と試すことで、モランディは物体の大きさや形態だけでなく、それぞれの色彩や影の強弱、はてまたテーブルや背後の色との調和を実験するように、様々なパターンを試みています。それは、音楽家が少ない要素からでも永遠に異なる曲をつくるために音符をつかうように、モランディは、ここに展示されている作品では二つの金属製の水差しを、小さな瓶や箱と組み合わせて、音楽家の音符のように扱っている、と説明されていました。

1952年制作の「静物」(左図)を見てみましょう。並べられた水差しや壺などが同じ高さに揃えられているようで、モランディの地元であるボローニャの古い町並み(右下図)のようです。そこに左手前から光が当たり、影が一方向に延びています。この作品で面白いのは、真ん中奥の赤みを帯びた壺と、その右手の白い水差しです。この二つは重なっているようなのですが、赤い壺が前側にあるようなのに、その影が水差しに映っていません。また、この二つの間に空間がないように描かれていて、まるで水差しに壺が侵食しているようです。しかも、壺の下が描かれていなくて、まるで宙に浮いているように見えます。ということは、モランディは、アトリエでテーブルの上に水差しや壺や瓶を実際に置いて様々に配置を並び替えたりしても、それをそのまま写実的に描いたわけではないということではないでしょうか。そこに、ワン・クッションあるということです。また、この作品を見る限りでは、陶器や金属製の水差し、紙の箱といった物体の質感や感触の違いには、殆ど配慮がされていないように見えます。大きさや形態、光の当たり具合、色彩、互いの位置関係は描かれていますが、それ以外の要素は無視されるか、敢えて考えないということだったのか。それは、在る意味では、都市の町並みを描く時に必要不可欠な要素と言えるかもしれません。そのように見ていくと、モランディは静物画というジャンルの絵画を制作していながら、静物を描いていたのではなかったと考えることもできそうです。

続いて1949年制作の「静物」(右図)を見ていきましょう。この時点では、1952年の作品に比べて、左後方の3つの物体の高さを几帳面に揃えられていません。また、描いている筆の跡が多く残っていて、たった3年の違いですが、1952年の作品がかなり洗練されていたことが分かります。その代わり、こちらには、粗さはあるものの、それぞれの物体の重量感のようなものが感じられるような気がします。つまり、モランディは洗練させることで、静物画の個々の静物の存在感を薄めていったと考えられるのではないかと思います。

さらに遡って1940年制作の「静物」(左図)です。このように遡るにつれる粗さが目立ってくるのが分かります。モランディは技術を成熟させると共に筆触を画面からなくしていき、画家の手が入っている痕跡を消し去っていき、また、他方で静物の存在感とかリアリティを希薄化させていった、とこの3作品を見比べていて感じたことです。しかし、この作品で面白いのは、個々の物体の形態を、この作品が一番図式的に描いているように見えるということです。それは、未来派とかキュビスムの影響ではないかと思うのですが、何ものかの理念により捉えているという感じが強く、そのあとの作品からは、そのような枠が外されていったという感じがします。

さて、この展示コーナーは、モランディの静物画の器の配置を都市の建築物が密集する様子に見立てて、比喩的に見ていこうという意図のものと思います。そこを、敢えて利用されてもらうと、モランディが器を並べて試す空間と、都市空間との大きな違いを考えてみましょう。サイズとかいうこともありますが、その在り方についてです。単純なことですが、都市の空間は、モランディのテーブルの上のように簡単に並び替えることはできないということです。都市は実際に“在る”のです。しかし、モランディがテーブルの上で物体を様々に並び替えるのは“在るかもしれない”ということになります。それは、“在る”ということは、ここにあるだけで、それが決定的で、唯一です。他にはないです。これに対して“在るかもしれない”は、実際にあってもなくてもいい、こうなるかもしれないという可能性のことです。可能性は、唯一つではなく、無限にあります。したがって、モランディが描いているのは、唯一無二の“在る”という存在物ではなくて、“在るかもしれない”という可能性ということになりそうです。そのためには、実は静物画という小さく限定された範囲は都合がいいのではないでしょうか。

ちょっと脱線しますが、エドモンド・ハミルトンというアメリカのSF作家がいます。キャプテン・フューチャー・シリーズといったスター・ウォーズの元祖みたいな宇宙活劇を多数書いた小説家です。そのハミルトンの作品に「フェッセンデンの宇宙」という一風変わった作品があります。マッド・サイエンティストものの一種で、フェッセンデンという科学者は実験室内に人工の小宇宙を創造してしまうという話です。その小宇宙の中で惑星が生まれ、その惑星に生命を誕生させます。フェッセンデンはそれを実験材料とみて、天災地変を起こし、生命体の大量虐殺を繰り返します。最終的には宇宙を滅ぼしてしまう。それを何度も繰り返すのです。それは、創造主となり、創造したものを意のままにすることにも通じます。小さな実験室で、毎日のように繰り返されるのです。それを見た友人の天文学者は…というストーリーです。

何で、このような脱線をしたのかというと、私はモランディのやっていることが、この話のマッド・サイエンティスト、フッセンデンに似ているように思えるのです。前のコーナーでモランディは作品ではなく作品群を制作したということを述べましたが、唯一無二の“在る”を作品に完結させるのではなくて、無限の“在るかもしれない”を作品としていこうとした、と言えるのではないかと思います。そこには、前回も申しましたように客観的な基準による唯一絶対の現実とか存在といったものが、もはや信じられなくなっている。そのかわりに、唯一絶対の“在る”が信じられないとすれば、その“在る”と、それ以外が同列の横並びになっている。それが“在るかもしれない”という可能性です。だからこそ、セザンヌを師と仰ぎながら、セザンヌが存在の唯一絶対性を信じることができたからこそ、存在感を画面に定着させることを追求して現代絵画への道を開いたことを、根本のところで、モランディは共感することができなかったのではないかと思うのです。その代わりに、モランディは、その可能性を様々に追求して、テーブルという小さな世界の上で水差しや瓶や物体を様々に並び替えて、“これもあり”“あれもあり”というように可能性のヴァリエーションの試みを重ねていきました。その結果が、この会場に並べられている作品群ということが言えるのではないでしょうか。

それも、モランディという人は大学で版画の先生(ボローニャ美術アカデミー銅版画科教授)を務めていたそうで、絵を描きそれを売って日々の糧にするつもりは毛頭なかったそうです。だから、作品を売るために、どうこうということを考えずに、あくまでも自分の描きたいものを、描きたいように描くことが可能だった。だから、作品は売るために手放すことを、そもそも考えなかったといえるかもしれません。それは、ギュスターヴ・モローが自分の幻想的な世界を作品で実現し、自分のアトリエに飾り、他人をアトリエに容易に踏み込ませず、そのアトリエの中で制作した作品に囲まれて、その世界に沈潜したことを想わせます。モランディは、幻想の世界に浸るような人ではなかったかもしれませんが、小説のフェッセンデンが自ら創造した宇宙に病み付きになったように、モランディのアトリエは可能性を試み、それを定着させた作品群によって創られた世界となっていたのではないか思えるのです。モランディという人は旅行などの外出を好まず、アトリエに籠もるようにしていたという、傍らから見れば引き籠りのような生活をしていたのは、自らの想像した世界にいたということがいえるのではないでしょうか。だから、個々の作品を鑑賞するのではなく、作品群で満たされた展覧会をひとつの世界として体験するというものではないかと思います。 

 

W 逆さのじょうご

ここで展示されている作品には、“ずんぐりして頑丈そうな外見をしたやや変わった器(解説より)”が繰り返し登場します。これは、金属製の円筒の上にじょうごを逆さまにしたものを溶接して作った容器だそうです。モランディが自身で作ったらしい。他にも奇妙な形で目を引くと説明されているのが銅製のソースパンです。1948年の「静物」(左図)で、ミラノ市立美術館所蔵の作品では、逆さじょうごの背後で壁に立てかけるようにして円形のなべ底と柄が描かれているので、それと分かります。これに対して1955年制作の「静物」(右下図)では、ほとんどそのソースパンの機能を隠そうとするかのように裏返しに置いて、パンの底の白い部分が“ある種の光るクレーター”のように際立たせられている、と説明されています。このように、このコーナーでは同じ素材を用いた変奏の典型例で、変化しているのは、器の配置、そこに落ちる光の質、離れたり近づいたりするそれらの距離、そしてテーブル上に器が投じる影や色彩の戯れであると解説されています。

とはいっても、ここまでモランディの静物画は個々の作品がひとつの独立した完結世界として鑑賞するのではなくて、この展覧会のように作品群として作品に囲まれた世界を全体として体験することに意味がある、というようなことを書いてきて、ひとつひとつの作品の差異を、展覧会での説明からの引用とはいえ、ここで述べていることに矛盾を覚える向きもあると思います。モランディの静物画は、例えば現実の物が“在る”というのを作品に表わすというものではなくて、“在るかもしれない”という現実も含めた可能性を様々に追求して、その全体を世界として作品群という形にして作り出そうとした、という私の捉え方を前回までに述べました。そうであるとすれば、“在るかもしれない”可能性は、モランディが描いたものの他にもあるはずです。つまりモランディが描いた作品の背後には、描かれていない可能性が無数にあり得るわけです。これは、モランディの作品の楽しみ方として逸脱なのかもしれませんが、彼の作品を眺めていて、様々な作品の差異と戯れているだけでなく、それを便として彼が描かなかった作品を想像してみるということもできるのではないか、ということを考えたわけです。そう考えると、実はモランディの静物画の世界というのは、そういう描かれていない、いわば闇の部分を包含した豊穣ともいえる世界もっていると言うことができるわけです。それだけでなく、このようなモランディが描かなかった可能性を想像することは、その背後にある全体としての世界そのものを見出していく、更にいえば、それをつくり上げていくことに加担していくこともできるのです。結果的に、モランディの世界は、そうであるなら、モランディ自身がすでに亡くなって、新たな作品を制作することがなくても、成長し続け、豊かになっている可能性を秘めていると考えられるのではないかと思うのです。つまり、唯一絶対の現実とか“在る”ということに疑いを抱いてしまい、信じることができなくなってしまったという背後には、神に象徴されるような絶対的なものを失ってしまったというニヒリズムがあると思います。そこで、モランディは背後の神のような絶対に目を向けることなく、目前の手に触れることのできる静物をひたすら描いた。そのような目先の静物を描いていくうちに、静物画の小さな画面は自分で創ることが出来ることに気づいていく。そこでは、自分が神になり得るわけです。次第に、画家はその行為に没頭し始めることになる。現実の世界とは違って、自分が思うようにつくり上げることができるわけです。所詮それは小さな画面という限定された範囲でのことだけれど、気がつくと、いや、本人もそんなことは考えていないかもしれません(そっちの可能性の方が大きい)そこに、未開の豊かな世界が広がっていた。そんなストーリーを、私は妄想します。しかし、そのような世界が広がっていくためには、細部が、つまりは、個々の作品が、世界を広げていくようなリアリティ(この場合現実性と言うことではありません、リアルを実感できるという程度の意味です)や可能性を持つようなものでなくてはなりません。それは、別の分野であれば、日本の芸能の世界で歌舞伎や浄瑠璃において『曾我兄弟』とか『小栗判官』などいった誰もが知っている物語を「世界」と呼んで、その「世界」の中で一つ一つ戯曲が生まれ、これを「趣向」というのですが、通常は「世界」の約束事に従って「趣向」が生み出されるのですが、時に「趣向」が暴走して「世界」の枠を飛び出してしまう、例えば、源平の合戦で平家の大将が死ななかったなどと「世界」とは逆の戯曲ができしまうと、逆に「世界」を変えてしまって、そのあとでは「世界」は平家の大将が死ななかったということになり、その枠の中で新たな「趣向」が作られていく。それが歌舞伎や浄瑠璃の豊かな広がりを作り出していったのです。

同じように、モランディの個々の作品は作品群を作り出す可能性、つまり、作品群という世界の意味を書き換えてしまう可能性があるということになります。そういう意味で、個々の作品を見ていこうとしているわけです。

1948年制作のボローニャのモランディ美術館所蔵の「静物」(左図)は逆さじょうご以外の物の配置が(特に画面の左半分)、前のコーナーでみた1952年の「静物」とよく似ています。しかし、こちらのように右側に逆さじょうごを置いたことによって、画面右側の余白の空間が大きくなり、風通しがよくなったような、ちょっとした解放感が生まれます。

また、同じ物がほとんど同じように配置されている1948年制作のトリノ市立近現代美術館所蔵の「静物」(右図)を見てみましょう。左側の脚のある円筒の器と背後の赤い壺と水差しの配置がちょっと違うので、さらに風通しがよくなった印象があります。また、その三つの物の画面上の高さが揃っていないことによって、壺と水差しが、もっと奥のほうに位置しているような印象から、奥行きを感じさせます。それがまた、物相互の位置の空隙が広く取られている印象を受けます。そして、全体として近景に描かれて画面上の余白が相対的に狭くなっていることは、ボローニャ所蔵の作品が、ちょっと離れ気味で背景の物がない部分が相対的に広く取られているのが圧迫感を生んで、物が真ん中に押し詰められた印象がちょっとあります。しかし、それは、その分落ち着かなさとともに動きの感じを生んでいるともいえます。逆にトリノ所蔵の方はねスタティックで落ち着いた印象です。これは、あくまでも両者を比べて相対的に、ということで、他の作品と比べると印象は違ってくると思います。その辺りが、作品群として見るということの影響と言えます。 

 

Z ペルシャの扁壺

Y 多様なハッチングのコーナーはエッチング(版画)が数点の小さなコーナーなので、すっ飛ばします。アンティークなペルシャの扁壺、つまり、方形の壺は、モランディの静物画によく登場するといいます。実物はペルシャ語の黒い銘文が書き込まれていたということですが、モランディは規則的で簡潔な四角形の幾何学的形態に単純化して描いていると説明されていました。

1941年制作の「静物」(左図)です。その扁壺は画面前方左端の黄色く着色された下が長方形で上に首のついた壺です。ちょうど右側に並んでいる四角形の箱などと扁壺の下部の方形の部分が揃っていて、それらで矩形を構成しています。扁壺の首と隣の瓶の首の部分は、建築に喩えるとビルと、そこから屹立している煙突のようです。横に広がる矩形と縦に延びる首が水平と垂直の対照になっていて、画面構成では均衡した秩序を作り出しています。そこに、全体がくすんだ鈍い色調のなかで、扁壺の黄色がアクセントを与えています。

1956年制作の「静物」(右図)です。こちらは、8個の物体が矩形に並べられていて、それを真正面からみて、四角形で構成されたような画面になっています。まるでデザインのようです。

このように見てきて、私の個人的、主観的な感想として、モランディの制作する画面は一貫した方向性で、年齢を重ねるに従って、余計な要素を削ぎ落とすようにして洗練していき、その方向性を純化させていったように見えます。そして、私には、その方向性というのが、マイナスの志向があるように見えるのです。減点を重ねていって行き着いたという感じで、そこに加点の要素が見えてこないのです。この感想を述べる最初のところで、この展覧会について“それを並べられた作品を続けてみていくと、その画家のあれこれの試みを追体験していくことができるわけです。「こんなもの入れちゃうの?」とか「あっちからも見ている」とか呟いていく、今までない絵を見る遊びをすることができた”と書きましたが、モランディ本人は、それを果たして楽しんだのか、それが分からないのです。私が、ここで、展示されている作品を見ている限り、その痕跡を見つけることはできませんでした。展覧会の展示作品の鑑賞を進めていくうちに、最初はそうでもなかったのですが、だんだん進んでいくにつれて、モランディの作品の余裕のなさというのか、あそびの要素が見えないのが気になりだして、ちょっとした息が詰まるような感覚に囚われるような気がしました。逆に、そうであるからこそ、瞑想的とか哲学的とか、真面目に捉えられて、一部の芸術家とか文化人といった意識が高いと自認している人々に高い評価を受けたのではないか、と思ったりしました。モランディ本人は真面目で真摯なのでしょうけれど、そういうゲームとかあそびの要素があってもよさそうなはずなのに、そこに感じられるのは、真面目とか瞑想的とか、目で見えるもの以上のものを描いたとか、そういうことなのです。

だから、というわけではないのですが、モランディが“ある”ものではなく“あるかもしれない”という可能性を描く対象としたというのについて、その理由とか目的を考えてみると、前向きに見えてこずに、むしろ、“ある”ものを描くことを放棄したがゆえに、そうでないものとして“あるかもしれない”に行き着いた、という気がしてくるのです。最初のところで、スルバランの作品と比べて、スルバランのボデコンの強さにはファナティックになってしまう危険があるが、モランディにはそれがないという印象も述べましたが、スルバランはポジティブだからこそ、暴走する危険も兼ね備えてしまっているといえるわけで、モランディには、そういうところがないのです。それが、独特の静謐さとか落ち着きの印象を見る者に与えるのでしょう。そこには、諦念のようなものがあったからこそ、なのではないか。私の主観的な思いから、あえていうと、諦念よりもっと進んで、絶望が秘められているのでないか。それが、モランディの作品全体の色調として暗いのは、底流に絶望があるのではないかと、思ったりしました。それは、彼の生きた時代とか、彼の個人の人生とか、伝記的なエピソードには興味がないので、詮索するつもりは全くなくて、そのような外的な事実が在ったとしても、なかったとしても、彼が切望していたとか、そのこと自体と何の関係もありません。それは、展示されている作品の表層から、そのようなことを私が感じたということ、それだけです。

私にも、そういうところがあるので自戒しているのですが、モランディの作品については、作品に描かれているもの、そのものを見るということではなくて、それ以外のものを持ち込んで、画面そのものを蔑ろにしてしまうようなスノビズムにとって扱いやすいところがあるように見えます。モランディの作品に対する評価が必ずしも、それが大きいとは言えませんが、そこに見る楽しみとは違うところで持て囃されているような感じがしました。それは、絵画を見て、このように感想を綴って、その綴ったものを他人の目に触れさせている私自身にとっても、自戒を強く促される気がしました。

このあと、風景画や花を描いた静物画の展示がありましたが、概してオマケのようなものだったので、とくに感想を述べることもないと思います。 

 

[ 縞模様の効果

モランディの作品はまだまだありますが、見ていくにつれて、個々の作品を鑑賞するとか、見入るという性質のものではないので、作品を見ることから少しはなれて、色々なことを考えたくなりました。他の画家の場合であれば、それは退屈ということで、画家に対して失礼なことになるのでしょうが、このモランディの場合は、ちょっと違うこともありうると思います。ここでは、作品に触れたことは述べず、おしゃべりのようなことになることを最初にお断りしておきます。

モランディの作品を見ているうちに、他の画家のことを少し考えていることがありました。たとえば、デ・キリコです。形而上絵画などと言われているようですが、シュルレアリスムの運動のなかで、奇妙なオブジェのようなものを脈絡なく組み合わせて画面つくりをした画家です。その組み合わせの突飛とが不条理とか評されて、深遠な意味があるのではないか、と見る人が想像をめぐらせたり、考え込んだりするように仕向けた絵画といえると思います。キリコの場合は、モランディの壺、瓶、器等を組み合わせて、いろいろな配置を試みて作品にしていったのに対して、太陽とか建物とか彫像とかいった数個のパーツを組み合わせたパズルのように作品を制作しました。モランディとキリコの違いは、モランディはアトリエのテーブルで実際に壺や瓶の実物を並べ、光を当てて、実物で検証したものを描いています。キリコは超現実の幻想の世界を画家の想像の中で四角の枠のなかにどのパーツを入れるか、そしていれたパーツをどのように配置するかの組み合わせを思考実験してキャンバスに描いていくという点が違います。キリコの場合は、そのパターンの組み合わせが次第に行き詰って、一時は作風を大きく転換させたり、最終的には自作のパロディのような事態に陥っていきました。モランディは、キリコと違い生涯で一貫していたのは、現実の実物で実験していたからであると思います。キリコのように頭の中の想像の世界では方程式のような必然が行き渡っていますが、現実の世界の実験では偶然が混入してきます。ハプニングです。おそらく、モランディの制作が行き詰ることがなかったのは、時に画家の想像の範囲外の事態が凝ったりする偶然の要素があったからではないかと思います。

同じパターンを凝りもせずに繰り返し、偶然の事態を柔軟に採り入れて、作品の制作を続ける。そういうことだけに注目してみると、モランディの姿勢は工芸の世界、例えば日本の陶芸家たちに似ているところが在るかもしれません。○○焼の茶碗をつくる陶芸家は、決まったパターンで土をこねて、茶碗の大きさや形状はだいたい標準化されているわけですから、その手順に従って作っていく。その際に気温や湿度その他諸々の条件や、陶芸家の微妙な感覚や動きで、あるいは焼くとの条件、釉薬などのちょっとした違いから違った茶碗ができてくるわけです。陶芸の愛好家はその違いを愛でるわけで、作る側の陶芸家もきりがないということになるでしょう。しかし、モランディの場合には、いくら偶然の要素が混入してるといっても、作品の制作はすべて画家自身の手の中で行なわれ、陶芸のように陶芸家の手が及ばない工程(例えば火が入った後は、窯の火力調整はできるでしょうが、どのように火が回るか、釉薬がどのように化学変化するかを陶芸家がコントロールできるわけではありません)が入ることはありません。作品の隅々まで画家の意図が貫徹されています。モランディの場合は、作品を実際に制作する際には偶然の要素は入ってこないで、偶然の要素が入るのは制作に着手する前の構想の段階ということになります。それは、モランディの構想が、そのまま作品に反映されているということになるわけです。当然、作品にはモランディの意図が投影されていることになります。

また、このようにしてみていくと、モランディの作品は、意外とポップアートに親近性があるかもしれないと思いました。アンディ・ウォーホルの名が真っ先に思い浮かびますが、キャンベルのスープ缶をシルクスクリーンに転写し、様々なパターンで大量に作品を量産しました。ここには、パターンの繰り返しや作家が自身の意図を忠実に再現するなどの点で、モランディと似ているところがあると思います。ウォーホルの展覧会でも、個々の作品を鑑賞するというよりは会場を埋め尽くすように同じような作品が大量に並べられていたと思います。ポップアートは、その趣旨から言っても大量生産の文化を土台に生まれてきた芸術運動です。だから、モランディのように芸術家の孤独な感覚の中で試行錯誤を繰り返すのではなく、大衆社会の大量消費の傾向に沿った消耗品のような方向性を目指すといっていいのかもしれません。ちょうど、このころ従来の伝統的な芸術を含めた教養や文化一般をハイカルチャーとして、いわば神棚に祀るように棚上げしてしまって、これに対抗するカウンターカルチャー、あるいはサブカルチャーが生まれ、ポップアートは、カウンターカルチャーを取り入れた芸術運動という理解も可能です。しかし、モランディは、この場合ハイカルチャー、立場としては大衆社会とは正反対のエリート主義的の性格が濃厚です。

このように、寄り道をしていくと、モランディの作品には、意外なところと親近性をもっていると見なすことができると思います。単なる思い付き、あるいは妄想かもしれません。個人的な偏見であることは確かでしょうが。

 
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