ヴィルヘルム・ハンマースホイ展
─静かなる詩情─
 

  

 

2008年11月28日  西洋美術館

都心で株式セミナーがあった寒い日。時間があったので、会場からは山手線一本で行けるので寄ってみた。平日の夕刻というもあって、しかも、それほど有名な画家でもないことから落ち着いて観ることができた。

ハンマースホイという画家のことは、その名前も知りませんでした。何となく、新聞か駅のポスターを見て何となく興味を持ったということと、このころはベルギー象徴派の画家、例えばクノプフ(左図)に通じるような色彩の感覚を感じたことくらいでしょうか。パンフに書かれ、展覧会のサブタイトルにもなっている「静かなる詩情」というのが、この画家の作品から受け取られるイメージということになるのでしょうか。(この展覧会のキュレーターがそういうイメージを定着させようとしているのか)パンフレットで書かれている紹介の文章を引用します。

「ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1964-1916)は、生前にヨーロッパで高い評価を得た、デンマークを代表する作家のひとりです。没後、急速に忘れられましたが、近年、再び脚光を浴びています。彼の作品は、オランダ17世紀のフェルメールを思わせる写実的な室内表現が特徴的で、自宅を舞台に妻のイーダが繰り返し描かれました。しかし、そのほとんどは後姿でした。後姿のイーダは、我々を画中に誘ってくれますが、同時に、その背中や壁、固く閉じられた扉などによって、我々は「招かざる客」のような不安を覚えることになります。とはいえ、ハンマースホイの作品が、居心地の悪いものというわけでは決してありません。モノトーンを基調とした綿密な画面構成のためか、ハンマースホイの作品を前にすると、まるで音のない世界に包まれているかのような静寂な感覚に浸ることができるのです。(後略)」

これで、この画家の概要と一般的な魅力が良く分かると思います。このパンフレットやポスターで使われた「背を向けた若い女性のいる室内」という1904年の作品に、この紹介文で書かれている特徴が見られるでしょう。私が一番感じた特徴は色彩です。モノトーンと紹介文で書かれていましたが、一見少ない色、しかも無彩色系の色調は、私の個人的な北ヨーロッパというイメージです。クノプフもこんな色調ではなかったかと思うし、カスパー・ダヴィッド・フリードリッヒの一部の作品にこういう色調のものがあったと思います。色調というとかなり感覚的なことのように思う人もいるでしょうが、人間の色の感じ方というのは、実は色の波長だけでなく、温度や湿度に影響を受けているのです。唐突なことにように取られる人もいるでしょうが、実際に印刷会社でグラビア印刷のインクの色を決める時に、温度や湿度によって色が変わって(人が感覚する色)しまうので、一定の環境でインクの調整するように厳しく管理しているのです。また、日本が明治維新によって西洋の文明を必死になって取り入れようとしていた時、絵画についてもローマやパリに留学して西洋絵画を輸入してようとした留学生たちが、帰国して最も困った、戸惑ったのが色彩やその感じ方が全く異質だったといいます。同じ青でも地中海の太陽に映える鮮やかな青と湿潤な日本の青を異なるもので、同じに使えないため、日本の風景では地中海の青の色では描くことができなかったといいます。ということは、ハンマースホイもデンマークという北ヨーロッパの温度や湿度といった環境で、イタリアなどの南欧とは全く異なる環境で感覚できた色を正直にそのまま描いたのかもしれません。

私には、ハンマースホイの作品に感じられる特徴というのが、この色彩ということから派生しているように思われるのです。私がこのハンマースホイの作品を見て感じる特徴というのは、輪郭線が曖昧で全体としてぼやけたような画面になっていること、各パーツが単純化されていること、それゆえに重量感というのか物体としての存在感の希薄なグラフィックな図案に近いものとなっていることです。例えば、輪郭線がハッキリしていないというのは、モノトーンの色調から輪郭をはっきりさせてしまうと輪郭線が目立ち過ぎてしまうと考えられるからで、平面的な画面がますます平面的になってしまうからと考えられます。そして、各パーツが単純化されているのはモノトーンのグラデーションで仮面が構成されていると複雑にすることは難しいと思われるからで。さらに。モノトーンの無彩色系の色調では画面全体がどうしても薄っぺらい印象になり易いということからです。その反面、そういう色調から淡い落ち着いた印象を受けるのではないか、それが静寂さという印象に通じるのではないかと思います。それだけでなく、人物の顔が見えないとか、さきの紹介文にある要素があるのでしょうが。

この展覧会では、次のような構成で展示されています。有名な画家とは言えず作品の知名度も高くはないと思うので、この構成に従って、個々の作品を見て行きたいと思います。 

 

T.ある芸術家の誕生 

ハンマースホイは裕福な商家に生まれ、その才能に気づいた母親が早くから個人教授を受けさせ、古典的なアカデミーと、自由な学校の両方で学んだそうです。そのため、デッサンなど古典的な基礎はしっかりと叩き込まれたようです。この時代の画家としては、キュビスムとか抽象といった前衛的なものが表面的には見られないのは、デンマークというそのような運動からみれば辺境(といってもモンドリアンはオランダの人でした)であることと、教育のためかもしれません。そして19歳の時に妹を描いた「若い女性の肖像、画家の妹アナ・ハンマースホイ」を美術アカデミー春季展に応募すると落選したことが議論を呼び起こし、一気に画家としての名を高めたとのことです。今、この作品を見ると議論を呼び起こすような過激さは見られず、むしろ地味で目立たない作品のように思えます。万人に広くアピールするというよりは、どちらかというと見る人を選ぶ、たいていの人にとっては気が付かずに前を素通りしてしまうが、この作品と波長が合う人にとってはじっと見つめていたい、という性格の作品ではないかと思います。おそらく、その大きな理由は色調にあるのではないかと思います。そして、この色調は展覧会のバンプにも使われた後の作品にもあり、というよりは、ハンマースホイの作品の基調となっている色調です。それを、言うなれば処女作ともいっていい作品で既に確立されていたと言えると思います。

ここで、色調と繰り返すように言っていますが、色遣いや塗り方も含めて目に映った印象全体を指しています。例えば、女性の背景となっている白い扉を見て下さい。扉の凹凸が輪郭を伴う形として明確に線で描かれているのではなくて、陰影を薄いグレーの濃淡のグラデーションでそれと想像できるように描かれています。さらに左から差し込む光も濃淡で描き分けられています。それぞれのレベルで濃淡は重なりますが、面の使い分けでグラデーションが精緻に描き分けられてします。そして、面という広がりの方向とは逆に、まるで点描のように細かく濃淡が描き分けられているのです。しかも、薄くて、白に近いグレーと言う極めて限られた範囲内でのグラデーションの使い分けをしています。これをボヤけているというのは、意識的にそう見せているわけで。その微妙なグラデーションが先に述べたように扉の凸凹と差し込む光というように違うレベル描き分けられ、時には重なるという複雑なものを、さりげなく描き、しかもおそらく見る者の視線を意識して、視線のリズムを感じさせるのです。ハンマースホイの作品からは「静寂」という印象を受けると述べましたが、静寂と言うのは無音と言うことではないのです。人が静けさを感じるのは何も音がしないのではなく、静けさを感じさせる音を聞いていてるのです。例えば、静けさを印象付ける効果音として典型的なのは、日本庭園の鹿威しの音です。同じように、白を基調とした色でつくられる細かなグラデーションが作り出すリズムが落ち着きを与え、静けさという印象を作り出しているといえます。それは、白い扉に限らず、女性の来ている黒い服や黄色っぽい壁もそうです。

そのために、扉や女性の服といったパーツは単純化され図案化されています。それは、画面の調子のために必要な措置となっていると。さらに後年の室内画になると、室内の家具や置物がまるで画面のパーツとして扱われるようになります。そして、人物です。人物画ではふつう人物がメインとなり画面の中で存在感が際立たせられています。背景にたいして浮き上がってくるような描き方と言うのでしょうか。ここの女性はそうではなく、画面の中で、画面全体の調子の一部となっているかのようです。そこでの人物の表情も、悪く言えば生気がない。人物の視線はこちらを見つめているのではなく、不確かでどこか遠くに投げかけられているかのようです。それが強烈な存在感のない代わりに、どこか儚げな印象を見る者に与えることになるのでしょう。

「イーダ・イルステズの肖像、のちの画家の妻」で、婚約者を写真を元に描いたといます。写真の撮影でしょうから後ろは壁のようなもののはずですが、モデルの影(ライトを2本当てているのか、影は2つに見えます)や陰影が人物に対して過剰なほど塗り分けられていて、これに対して、女性の着ている上着や帽子の描き方は、そっけないほどシンブルで布の質感を出そうとか、細かな襞やのようなものまでは描き込まれていません。帽子と分かる形の黒い塗り絵のようです。そして、背後の壁と境目が曖昧になっています。そうなると、背後の壁と人物との境目がなく、人物が壁の一部となって、一体となってある種の模様を作り出しているようなのです。元の写真では、女性はカメラを見つめるような視線をはっきりと表わしていたのを、画家は虚空を見るような放心した表情に変えられています。また、背後の壁や来ている服の色調と同調させるかのように女性の顔色は土気色といってもいいような生気を感じさせない色調で塗られていて、瞳の青い色が儚さを感じさせるように際立たせられています。私には、人物を描いているようには見えず、背後の壁の陰影の一部のように見えてしまいます。

後年、画家の作風は洗練されていくため、これらの作品ようなあからさまに見せることはなくなります。最初のところで、ハンマースホイの作品には、当時の前衛的な芸術運動のような過激さは見えないと申しましたが、このように見てくると、人物画という形式に則っているようで、色彩とタッチによる陰影の醸し出すリズミカルな平面に、対象を解体してしまっているように感じられます。そこにはも人物の存在とか人間としてのひととなりとか、人間やものの実体としての手触りのような存在感とか重量観のようなものが、色彩と陰影に解体されてしまうという、まるで抽象画を見ているような錯覚にとらわれてしまうのです。そのヒヤッとするような冷たい感じはクールさと言ってもいいのでしょうが、私には、もっとそれ以上の、画家の積極的な何かを感じます。秘められた破壊願望のようなもの、といったら言い過ぎでしょうか。しかも、幼少からの訓練によって古典的なデッサン力が身体に沁みついてしまっているので、絵画の形式としては古典的ともいえる画面を作れてしまう。描けてしまう画面と解体への画家の秘められた志向性、その葛藤が現れているのが一連の室内画の作品群のように思えるのです。ここでは、結論を急ぎ過ぎたようです。 

 

U.建築と風景     

この展覧会は、最初の画家の誕生を告げる初期作品を別にして、年代順に画家の成長に従って作品を並べるのではなく、テーマ別に展示しています。画家によっては年代によって重点的なテーマが変遷していく人もいますが、ハンマースホイという画家は、処女作からほぽ完成された作風で、年代を追って成長するとか技法が変遷することはなく、終始一貫して作品を生み続けたタイプに属するので、テーマごとに展示するという方法をとったものだろうと思います。

パンフレットや展覧会に寄せられた感想などを読んでいると、ハンマースホイの作品というと人物がいない、いても背中しか見せない室内画が中心となっているようです。しかし、私が展覧会を通して見て、一番心惹かれたのは建築や風景画で、ほかの画家とも比較しやすいことから彼の特徴がとてもよく分かるものでした。そのように見る、この画家の作品が、実は静謐などという言葉に収まりきれないものを感じさせるものだと思われたのです。展覧会カタログの解説でも「ハンマースホイはコペンハーゲンに残る歴史的建造物を多く描いている。中でも街の中心に位置するクレスチャンスボー宮殿は、さまざまな視点から、繰り返し描かれた。実際には、王宮界隈は人で賑わうところであるにもかかわらず、ハンマースホイの作品では静寂が建物の周辺を支配している。」「ハンマースホイの風景描写には、同時代の他の画家に見られるような手つかずの自然に対するロマンティックな憧れが全く感じられない。風景画のいくつかは、文明から遠く離れた殺風景な静寂の中にあるように見えるが、じつはどれも人の手になる開拓地であった。」「建築も風景も、実際のモチーフから取材されているにもかかわらず、作品には人物像や生命感が全く表わされていない。どれも、まるで廃墟か見捨てられた土地のように表現されている」

例えば、「旧アジア商会」(左図)という作品は、画家が住んでいたアパートの窓から見える風景だったそうですが、アジア商会の建物だけでなく、手前の道の建物の一部を描くことで、風景の枠取りを切り取ったような印象をあたえ、せっかく真ん中が空に開けられているのに閉塞感のようなものを感じさせます。また、アジア商会という活発な事業を展開している事業所の正面のはずが、出入りする人も、前の通りを行きかう人も描かれていません。しかも、曇天の下のビルの素材である石材のグレーの諧調による威圧感とあいまって、静寂という以上に、閉塞感を感じさせます。参考として、フェルメールの「小路」(右図)という作品は建物を前景の道を挟んで描いたという似たようなアングルの作品ですが、受け取る印象は正反対に近いものです。レンガの赤が印象的で、建物の中で作業する人や横手の小路にいる人物が活き活きと描かれていることで、賑やかさはないものの、建物がシンメトリカルで多少老朽化して一部が崩れたりしていることが、却って活気を感じさせます。ハンマースホイの建物はシンメトリカルに描かれ、まるで建築図面のようなき

ちんと形態が明確に捉われています、それだけフェルメールの場合とは逆に冷たさを強調する結果になっていると思います。シンメトリカルに左右に配置された建物と真ん中を大きく開けて大胆に空をみせて、そこに帆船の帆柱の部分を入れることによって、アジア商会というタイトルからも、その開けられた空がここから広がる、そしてアジアという言葉からら遠い世界への憧れが、しかも船の一部が見えることで、これからそのアジアへ向かうという憧れのようなものが感じられてもいいのですが、空は曇天で、その陰影と建物のかたちづくる影が光の隠の面として描き込まれていて、そんなものは微塵も感じられません。これは、先ほどのフェルメールの光の絵画に対する陰の絵画とも言えるのではないか。私には、フェルメールの作品が意識されているように思えます。さらに、もうひとつ参考としてフリードリッヒの「窓辺の婦人」(右図)という作品で、窓から見える船の帆柱が窓の右側に片寄っていることで、船の進行を想像させるのですが、この構図が、そのままこの作品の帆柱の位置に使われているのではないかと思います。多分、これもハンマースホイは意識してやっているのだと思います。それほど、この全体のシンメトリカルな構図の中で、冷たい閉塞感のなかで、その帆柱の位置だけが突出しているのは、何か意図があるはずです。それが、ハンマースホイという画家は実際の風景を描いていますが、描かれたものは見かけはそれを写生したように見えますが、過去の作品からの引用を巧みに織り交ぜ、画面の色彩や陰影に配置し直されているのです。だから、実際の風景は材料以上のものではなくて、メインは色彩や陰影で、それを生かすための手段のように見える。つまりは、色彩や陰影のために風景を手段として画面を作っているのではないか、と思えるのです。そこで考えられるのは、風景とか建物というのは、素材、もっというと記号のようなものと、ハンマースホイという画家は考えていたのではないか。何を言いたいかというと、日本画の花鳥画の発想です。

「風景、ファーロム湖近くのリューエト」(右図)はコペンハーゲン近郊の森を描いた作品です。建築のように外形の輪郭がカッチリしていないので、画家はかなり自由に後景をボヤけさせたりしています。曇天の暗い空の陰影と樹の葉が靄のように一体となって描かれ、そこに陰影を与えることによって、画面全体の曇り空と葉の陰影が穏やかなリズムを生み出しています。そこに正面の樹の幹が一見太い線のようにくっきり描かれる。まるで水墨画を思わせるようです。しかも、色彩は曇りのグレーと、葉は曇天の下で緑は鈍く深い緑のため、全体の色調はグレーが基調になっているかのようです。曇天とはいえ、同時代の印象派の外光表現比べて見ると分かりますが、印象派の外光の強烈さに比べて、ハンマースホイは北欧の光線の弱さということもあるのでしょうが、かなり精密に陰影を描き分けています。印象派がセンチメートル単位の大雑把さなのに対して、ハンマースホイはミクロ単位で細かく段階的に色の強弱をしかも、印象派等に比べると狭い幅で描き分けています。ハンマースホイはパリにも出かけているという記録がありますが、当時のパリを席巻した印象派やその後の芸術運動に対しては、その大胆ではあるものの精密さを欠いた大雑把さが、耐えられなかったのかもしれません。当時の流行のジャポニスムの中で日本画には触れていたと思われますが、印象派はその平面性や空間構成、大胆な構図を取り入れたようですし、ハンマースホイの場合は広重の「蒲原」(左下図)のような精緻で繊細な陰影と色遣いだったのではないかと思います。しかし、日本画の場合は墨や岩絵の具がにじんだり流れたりと描くときの即興的な動きが結果として微妙な陰影を生み出すことになりますが、絵の具を画面に置いていくような油絵の場合はそれを設計図を書くように精密に人工的に作り出す必要があります。その細かい作業をハンマースホイは一筆一筆息を詰めながら途方もない根気をもって作品を仕上げていったのではないかと思います。建築物の場合は外形がしっかりしているのに対して、樹木などの自然物は不定形とも言えます。そこでは、ハンマースホイのそのような努力の形跡が露わとなりやすいのではないでしょうか。

  

V.肖像

ハンマースホイは肖像を描くのは好きではないようで、作品数も少ない。では、なぜこの展覧会では、あえて1章を設けて多くはない肖像画のコーナーを作ったのだろうか。それは、たぶん「イーダ・ハンマースホイの肖像」(左図)というひとつの作品のためだけではないだろうか、と思います。

展覧会カタログの解説では次のように紹介されています。「本作品は、ハンマースホイの妻イーダが38歳の時に描かれている。彼女は鑑賞者に相対してテーブルに着いている。スプーンで目の前のカップをかき混ぜながら、生真面目で奇妙な様子のイーダは、考え深げに傍らを見やっている。画家は妻の容貌に刻まれた生活の痕跡を容赦なく描写した。腫れたまぶたの下には隈が浮かび、額には血管が浮き出ている。武骨な両手はこわばり、生気がない。とりわけ緑がかった顔色からは病的な印象が生まれている。」

私も、これほど冷徹というのか、モデルが自分の妻であるのに、まるで物体のように、愛情というものが感じられない肖像画というにも見たことがない、と言ってしまってもいいと思います。しかし、良く見てみれば、画家が婚約時代のイーダを描いたとき(右図)の愛らしさゆえに露わでなかった、茫洋とした視線やまるで屍体のような手の描き方が、ここでは全面的に展開されたと考えればいいことでしょうか。むしろ、若い女性と違って、目の下の隈とか刻まれた皺とか、それらが醸し出す陰影というものが、まるで建築物の凸凹に光が当たって生み出す陰影のように、立体感を伴う素材として画家の眼を捉えたのではないかと思います。解説では、顔に刻まれた生活の痕跡という解釈が書かれていますが、むしろ中年という年齢で、老年というほど皺が目立つわけではないか、最早若い人とは違って隠すことのできない、という微妙な顔の陰影の表現が画家にとって表現の対象として食指をそそられたというのが真相ではないかと思われます。もしそうなら、このような肖像画は画家のそういう性癖を承知している身内の肖像し描けないはずです。例えば、「チェロ奏者」という作品(右下図)では、まるでチェロが主役であるかのように前面に描かれて、チェロを弾く人物は背景のように存在感がありません。画家の労力の比重もチェロと人物も、あきらかにチェロの方に労力がかけられています。

  

 W.人のいる室内 

ここまで、初期のすでに完成された作品から建築・風景や肖像と見てきましたが、それらで見られてきたハンマースホイの特徴が集約され、画家も多くの作品を残したのが室内画です。カタログでは次のよう説明が為されています。「1989年、ハンマースホイ夫妻はコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地に居を移す。ハンマースホイは、この住居のいくつかの部屋を舞台に、数多くの室内画を制作した。彼の室内画の手本となったのは、オランダ17世紀の室内画である。フェルメールやエマニュエル・デ・ウィッテ、ピーテル・ヤンセンス・エリンガらの作品からハンマースホイは着想を得た。しかし、オランダの室内画と異なるのは、ハンマースホイの作品に表わされている情景が、現実の室内を描いたものではなく、家具などを最小限に抑え、生活感を見えなくしていることである。ハンマースホイが実際に住んでいた部屋は、ほとんど何もない部屋だったわけではない。1901年に制作された「室内、ストランゲーゼ30番地」(左図)は、不思議な描写に満ちている。この作品は、入念にアレンジされているので、鑑賞者は不思議な点に一目で気付くことはない。たとえば、椅子の上に右膝を置き、窓の敷居にもたれかかるイーゼは、彼女の左脚と椅子の脚が一体になっているかのように見える。また壁に付けられたピアノの後脚が描かれていないため、壁からピアノが突き出ているようにも見える。しかも、そのピアノにはテーブルが接近しているため椅子を置くこともできず、ピアノが弾けない状態に置かれている。そのテーブルの脚が作り出す影が、それぞれ異なる方向を向いているのも画面の不思議な雰囲気を高めている。ハンマースホイの室内画は、こうした不思議な描写で満ちているため、画家自身が親しんだ住居の再現であるにもかかわらず、どれも不気味でよそよそしい。さらに後姿で描かれたイーダが、鑑賞者である我々の存在を無視しているため、我々はまるでハンマースホイの住居を覗き見する侵入者であるかのような感覚にも陥るのである。」

これまでに見た風景や肖像と室内画が大きく異なるのは光の扱いです。風景は外の光景ですから、陽光は遍く降り注ぎます。また、肖像は人物が主体となるので光はいか様にも操作可能です。しかし、室内は外光を取り込む囲われた空間となるため、差し込んでくる光が限定されます。そこで、ハンマースホイの特徴である陰影の塗りが部屋に差し込む外光という制限を受ける形になります。しかし、一方で閉ざされた空間に一方向から光が差し込んでくる。そこで、画家の陰影表現はますます精緻に展開できることになるでしょう。室内の細部の凹凸が陰影表現のために強調的に利用されることになります。それだけに飽き足らず、室内に置かれた家具や生活用具が陰影のアクセントとして何通りもの表現が試みられます。それが、解説にいう現実の室内を描いたものでないということではないでしょうか。肖像画で人物の形状の生み出す陰影を描くことに腐心し、人物の内面とかいうものに関心を示さない画家が、室内の光の構成に興味をそそられても生活感などというものに価値を見出すことは考えられません。また、室内での光の構成に色々を試みるなかで、構成の要素となる家具や人物を言わばパーツとしてパズルのように組み替える作業を繰り返していくうちに、それぞれのパーツがパズルの構成要素として使いやすく人為的な手が加えられていったとしてもおかしくはないでしょう。いうなれば記号化の措置が加えられた、と考えてもいいでしょう。となれば、室内といっても現実に存在するままを描く必要はないわけです。それは、想像の世界とか幻想とか超現実とかといったものものしいものではなくて、記号の組み合わせに近いものではないかと思います。ハンマースホイ自身も想像を飛躍させていたような認識はなかったと思います。強いて言えば、日本画、とくに浮世絵の世界に通じるのではないか。実際の美人をそのまま写したというものではなくて、美人を想起させる記号を組み合わせて美人画を構成させる。そこにコスチュームプレイのように様々な扮装をさせたり、小道具や舞台を設えることによって、町娘だったり、武家だったり、花魁だったりと美人画をつくってしまう。


例えば、右の2つの作品を見比べてみてください。右は1909年の「ストーブのある室内」という作品で、左は1901年の「室内、ストランゲーゼ30番地」という作品です。同じアングルでドアの開閉、ドアによってストーブが隠されているかいないか。細かなところでは椅子を配してみたり、壁にかけてある絵の位置を変えています。また、ドアの奥の部屋の様子を変えているのと、同じようにこちらに背中を向けている人物の配置です。たったこれだけの変化だけで違う作品に仕上がってしまっているではありませんか。光線の差し込みが違うので全体の色調が異なっているので、作品としては全然別のものでしょうが。まるで、このようなパーツの配置を変えることによって画面全体がどのように変わってしまうかの実験をしているかのようです。

というのも、これらの作品を形作っている視点はどこにあるのか、ということなのです。そこで気が付くのは視線の高さは常に一定なのです。おそらく、人間が普通に立って見ている目の高さなのでしょう。それが鳥瞰的に全体を見渡すような客観的な視点に立つことはなく、終始、その部屋の中にいる人の視点で画面がつくられているのです。画面は一種のフレームのようで、フレームで切り取られた平面が常に基本です。かつての19世紀以前の絵画であれば、神の視点に立って客観性の高いものを作り上げるというではなくて、一種の断片を切り取って、その断片の限定された画面に操作を加える。これは、後の世の写真の作り方に、もっと言うと劇映画の作り方に通じていると思います。支店の固定は、三脚でしっかりカメラを固定することと同じです。また、映画の場合AさんとBさんが向かい合って話しているというのは映像にしにくいので、通常は、Aさんが話しているのをAさんのななめ左から撮影し、次にBさんをななめ右から撮影します。そして、その後の編集でそれぞれの場面をつなげると、あたかも2人が向かい合って話しているように見えるのです。これをAさんの場面、Bさんの場面、またAさんの場面と交互に繰り返すとお互いに話をやり取りしているように見えてしまうのです。これを切り返しショットといいます。しかし、実際の映画の撮影現場では、このように見える順番で撮影をしません。まず、ななめ左からのAさんの場面を全て撮影してしまいます。そのあとで、ななめ右からのBさんの場面をすべてまとめて撮影してしまうのです。そのあと、撮影したフィルムを切り離して順番をAさんBさん交互につなぎかえる。これが映画の編集です。これが手馴れてくるとひとつのやり取りだけでなく、映画全体で似たような場面をまとめて撮影して、後でフィルムの順番を変えるのです。こうすると、セットやカメラや照明を一度セッティングするといくつもの場面をまとめて撮れてしまうので、効率がいいのです。また、売れっ子の俳優は出演する場面をまとめて撮影してしまうので拘束時間が短くて済むというわけです。そして、このような撮影方法は、映画の表現に影響を与えました。反復と差異の意識的な活用です。例えば、先ほどのAさんとBさんの話し合いの部分の撮影で、途中から照明を落として暗くしてあげると、話し合いの時間の経過を暗示できる、話し合いに夢中になってつい日が暮れるの気が付かなかった、ということを仄めかすことができるのです。また、Aさんの場面とBさんの場面の切り替えしの間隔を徐々に短くしていくと、場面転換が早くなっていき、見る人には緊迫感を与えることになります。話し合いの内容が対立的になって来るときにそういう手法を用いて、対立が徐々に切羽詰まっていくような一触即発の緊張感の高めることになります。

このような映画の方法論と同じようなことが、ハンマースホイの室内画にも言えるのではないか。もっとも、絵画は映画と違って連続してみるものではなくて、一枚一枚が独立しています。絵画を見る側は一つの作品をそれぞれ別に一個の独立したものとして見るでしょう。しかし、描くハンマースホイとしては、ここで述べたような、同時併行の制作方法をとれば、それぞれを比べながら、微妙なニュアンスの違いを意識しながら作品を作っていくことができるのです。画家が実際にどのように制作したかは分かりませんが、私に、このように思わせたのは、それぞれの作品が完結していないように見えたからです。それぞれの作品は断片を切り取ってきた、で制作している画家は反復と差異を繰り返している。

これは、ハンマースホイという画家がオリジナルなものを新たに作り出すということよりも、同じ素材を反復させることを志向していたからと考えざるをえません。それは映画のような複製技術による大量生産が可能となり、大衆というこれまでになかった新しい階級に娯楽を提供していったことに通じているように思えてなりません。ハンマースホイが生存中は高い評価を得ていたのは、そのような時代を先取りしていたということからなのではないか。彼の死後、大衆社会が急速に普及し、彼の作品は時代を先取りするものではなくなっていったのに従い忘れ去られていったのは、そういう点にも原因があるのではないかと思うのです。 

 

X.誰もいない室内    

パンフレットやカタログ等で説明されているハンマースホイ作品の極北の姿です。といっても、前回の人のいる室内についての感想から言えば、ハンマースホイの作品で人物が特権的な地位を与えられているということは考えられません。画家にとっては画面を構成するパーツの一つくらいにしか考えていなかったのではないか。むしろ、これらの作品を見る私たちの方が、描かれた室内な人物の姿が見られないという事柄だけを取り上げて、そこに何らかの象徴的意味とか、画家の隠された意図を探るようなことが、コメントされていますが、それは作品の画面そのものを見ていないように、私には思います。

例えばこの「陽光習作」(左図)という1906年の作品と「イーダのいる室内、ストランゲーゼ30番地」(右図)という1901年の作品を比べてみると同じアングルで、同じ対象を描いているのが分かります。じつは、同じような作品をハンマースホイは何点も制作していて、時刻が違ったり(光が変わってくる)、人物の配置や読書をしていたり、立っていたりと仕草が違ったりというバリーエーションのひとつとして、人物がいないという作品とみれば良いのではないか。人物がない以外にも、カーテンが外されている、扉の取っ手が描かれていないなどの変化があります。それと、人物がいないことは同等のことではないかと思えるのです。これは画面を見ていて、人物に特権的な地位を与えられていないことからです。むしろ、ここで特権的な地位を与えられているのは、部屋に差し込む光で、その光が室内の人物や物体に当たって変化する様子ではないかと思います。前回、推測したような同じような作品を並べると、それぞれの差異が分かりますが、ハンマースホイはその差異を見比べながら、描いて行ったのではないかと思います。この2作品を比べてみただけでも、「イーダのいる室内」の方が光の差し込む角度が傾いているので、時間は遅いのでしょうか。さらに窓にカーテンが掛けられていることで、光は柔らかくなるとともに弱くなり、部屋の隅の影は濃くなっています。さらに窓近くにテーブルが置かれ人物画いることでテーブル面に光が反射しています。これに比べれば「陽光習作」の光はもっとシンプルで、室内の空気感とあわせて光の陰影が繊細に描かれているのがシンプルに分かります。

「白い扉、あるいは開いた扉」(左図)という1905年の作品も、1901年の「室内、ストランゲーゼ30番地」など数点のおなじようなアングルでの作品(右図)が制作されています。ここでは、作品タイトルにもあるように白い扉が印象的に描かれていて、比べるとそれが良く分かります。

ハンマースホイのころの画家はパトロンから注文を受けて、作品を描くという請負のような形で生活の糧を得るというものから、作品を描いたものを(商品として)消費者に販売するというものに変化していったはずです。そこで画家と消費者の中間に立って売買を仲介して利潤を得る画商というものが機能し始め、商品知識のない消費者に向けて商品の宣伝や評価をして消費者をリードしていくような方向にすすみ、市場の中で徐々に力をつけて行ったものと思います。そのようなシステムの中で、画商の事業拠点である画廊というテンポで、特定の画家の作品を集めて集中的に展示し、その作風を好む消費者を集めれば、効率的に販売契約を結ぶことができるはずで、いうなれば、そのような個展というシステムにおいて、似たような作品を並べると、それぞれの作品の差異を楽しむことができる結果となります。また、こういうタイプの作品を好む消費者にとっては、バリエーションの中で自分の買いたい作品を選べるので、購入しやすかったと思われるし、他の画家はここまでやっている人は少ないので、扱いやすかったのではないかと思います。そういう意味で、このような作品の作り方は、当時の市場にマッチしていたのでないかと思わせられます。

ここまで、画家の作品を見てきた印象のまとめとしては、当時進行していた資本主義経済の進展によって大量消費の大衆社会が到来し、従来のいうなればエリート向けに芸術をやっていればよかった時代が終わろうとしていたときに、芸術を続けるのではなくて、片方の脚を大衆社会の方に踏み入れて、脚探りで進もうとした画家たちの一人として考えられるという結論です。

 
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