ラファエル前派周辺の画家
アーサー・ヒューズ
 

 

 

ラファエル前派の画家たち言えばミレイ、ロセッティ、ハントといった人たちで、彼らはラファエル前派兄弟団に参加したし、運動の中心メンバーとしてリードしていました。その一方で、彼らが精力的に作品を発表し、少しずつ世間の耳目を集めていくに従って、運動が広がっていきました。それ応じて、運動に参加したり、運動には参加しなくても彼らと相互交流をつづけたり、運動には距離を保ちながらも間接的に影響を受けたり、様々なかたちでラファエル前派の運動に係る人々がでてきました。ここでは、そのような画家たちをピックアップしてみたいと思います。

 

(1)伝記的事実

アーサー・ヒューズ(1832〜1915)は、ロンドンに生まれ、15歳でロイヤル・アカデミーに進学します。まるで、ミレイのようですが、ミレイのようなハッタリも交えて目立ったという人ではなかったようです。そのうちにティーンエイジャーであるうちに、ラファエル前派の機関紙「ジャーム」を読み、深い感銘を受けたということになっています。おそらく、ロイヤル・アカデミーの学生であったでしょうから、ラファエル前派のことは情報として知っていて、機関紙を目にするチャンスにも恵まれていたのでしょう。そして、ロセッティやミレイといった人々実際に出会い、親交を深めたといいます。ただし、ラファエル前派兄弟団には参加はしなかったものの、1957年にロセッティが中心となったオクスフォード大学の討論室の壁画制作のメンバーに加わったり、ラファエル前派の第二派のサークルである「ホガーズ・クラブ」の創設者の一人となった、というようにラファエル前派に対して関係を保ちつつも、微妙な距離を置き続けたということになっています。

ヒューズは、むしろ挿絵画家として活躍し、生涯で750枚もの挿絵を描いたとされています。おさらく、彼は挿絵画家として生計をたてていたのではないかと思います。本人は画家として立ちたいと思っていたのか、挿絵画家との両立を考えていたのかは、分かりませんが。そのあたりが、ラファエル前派との距離や彼の作風に表われているように思います。

 

(2)挿絵画家としてのアーサー・ヒューズ

アーサー・ヒューズは挿絵画家としての活動が本領で、それが彼の作風を特徴づけていると書きました。そこで、ヒューズの挿絵を簡単に見ていきたいと思います。ヒューズは大人向けと子供向けとを明確に区分して、挿絵を描きました。彼の挿絵のスタイルは現代的なモチーフと古典的な形式を融合させ、他の誰とも見分けられるオリジナリティを持った成熟したブレンドです。ヒューズの挿絵の魅力をかたちづくっているもののひとつは、美しい人の類型をひとつ創造したことです。人相学という疑似科学の影響を受け、秀でた額、くっきりとした眉そして形の良い顎といった要素を備えて理想化されたキャラクターを創造しました。ブルジョワの居間と子供部屋のためにデザインされた、そのキャラクターは、中産階級の読者の考える理想的なアングロサクソンの顔つきを形にしたものです。Tom Brown's Schooldays(トーマス・ヒューズ作「トム・ブラウンの学校生活」の挿絵)(左図)は絶対にこのタイプで、イノック・アーデン(右上図)もテニスンが働く水夫として叙述していても、そうです。しかし、ヒューズは顔つきについて、男でも女でも同じように通用する顔つき、つまり従来の男らしい女らしいという違いを際立たせるのではなく、男女未分化として扱うという、ヒューズ独特のひねりを加えています。ヒューズの描く女性はロセッティの描くタイプのヴァリエィションのようで、渦巻くようにウェイブした豊かな髪の透きとおるような美人です。そして男性は、しばしば女性化された結果中性的なものとなっていることが興味深いところです。

しかし、彼のスタイルをもっとも特徴づけているのは子供の世界にも複雑な内省があることを提示している点です。ヒューズの青少年向けの挿絵は、小規模で、稠密で、内密で内省的です。例えば、行動は小さな舞台に限られ、キャラクターはこどもをとりまく大人の生活の環境に波紋を作らない範囲内で動き回ります。これはクリスティーナ・ロセッティとの共作、2冊の童謡詩集Sing Song(1872年)(左図)、Speaking Likenesses(1873年)(右図)に表われています。

この分野の最高傑作といえるものはジョージ・マクドナルドの「At the Back of the the North Wind」につけた挿絵であり、「Good Words for the Young」に表われています。これらの大きく区切られたデザインは、贅沢に渦巻く髪の毛や洗練された特徴といった、ラファエル前派の様式を見慣れない未知のものに変えて、the Beautiful Lady(右下図)の子供の視点を伝えています。マクドナルドの物語の視覚化は叙情的で、非常に想像力豊かで、激しい、彼の最高の作品であり、ヴィクトリア朝の挿絵の傑作のひとつと言えましょう。

 

 

(3)オフィーリアに見られるヒューズの特徴

1852年のロイヤル・アカデミー展に出品して「オフィーリア」(左図)が、ヒューズがラファエル前派の影響を受けて描いた作品ということになっています。他方、「オフィーリア」といえば、ラファエル前派の主要メンバーであるミレイの代表的作品にもあります。奇しくも、同じ主題の作品が同じ展覧会で展示されたわけで、描いた画家は驚いたのではないでしょうか。ここでは、「オフィーリア」について、同じ主題の有名なミレイの作品と比べながら、ヒューズの特徴を考えてみたいと思います。

ヒューズとミレイの作品の大きな違いは、ヒューズはオフィーリアという悲劇のヒロインを描いたのに対して、ミレイはオフィーリアが溺死した場面を描いたということです。喩えていえば、ミレイはシェイクスピアのハムレットの時間的にはひとつの点を完結した場面として再現した。これに対して、ヒューズは溺れて死ぬ運命にあるオフィーリアをハムレットという物語から取り出して描いた。ミレイのオフィーリア(左下図)が絵画的であるのに対して、ヒューズの方は物語的と言えると思います。これは、ミレイとヒューズの基本的な姿勢の違いに因ると思います。ミレイのオフィーリアは川の流れの底で横たわって溺死しています。これに対して、ヒューズのオフィーリアは川辺に佇んでいる。これがその違いです。それゆえに、ミレイの作品は画面全体が完結した世界となっていて、植物と衣服の襞が織り成す緻密なパターンが画面全体にまで押し広げられて、画面の隅々にまで細密に描きこまれています。それは、オフィーリアの死体が絡みつくように様々な草花に埋め尽くされる幻想的な美しさと、少女の生命のはかなさをシンボライズするとともに、衣服の襞と植物の茎や葉のからまっている様が運命の糸のように絡めとられてオフィーリアが悲劇から逃れることのできない様を表現しているようにも見えます。そこで、ラファエル前派の自然に忠実に細密に描写していく手法が作品の主題そのものと密接に関連して作品が成立している言うことができます。

これに対して、ヒューズのオフィーリアは、ラファエル前派の影響を受けて鮮やかな色彩を用いた細密描写を試みてはいるのですが、それは人物描写、つまり、オフィーリアの描写に限定されています。そして、オフィーリア以外の二次的な部分は、概略化され、効果的な雰囲気作りを担わされているといった感じです。二次的な部分というのは背景です。ミレイの場合には、背景を構成する植物とオフィーリアを区分出来ないような状態で、細密な描写になっていたのは、その植物にも意味があったからでした。これに対して、ヒューズの場合にはオフィーリアという人物を描くことが中心で、彼女以外は背景として、それ自体に意味があるものとしては描かれていません。ヒューズのオフィーリアは、ミレイのように背景と一体になっているのではなく、背景から浮き出ているのです。それは、背景を薄暗く、薄ぼんやり描き、そこから明瞭に浮き上がるようにオフィーリアの姿が印象深くなるように構成され、オフィーリア自身にスポットライトが当たっているように光が当てられています。その光に照らし出されたオフィーリアには幻想的で柔らかな表情が浮かべられていて、ミレイの場合の空ろな表情とは対照的ですが、そこにヒロインの人物がくっきりと描かれているといえるでしょう。

このような、ヒューズの絵画の描き方は、完結した作品世界を完璧に構築することには向いていませんが、物語的な要素に適合的で人物像などについて見る者の想像を刺激するところがあるので、物語の挿絵などには適合的だったかもしれません。

そして、ヒューズのオフィーリアは川辺に佇んでいる姿を描いていますが、この後に溺死してしまうことを、この絵を見る限りではうかがい知ることはできません。彼女は木に腰かけ、川の流れを見下ろして、無駄に花を水面に落とす、病的な青白い少女として描いています。全体的な印象派は儚げで、大人の女性を感じさせない少女のようで、透明な白いガウンを着ているのは、子どもの天使のようでもあり、髪の毛に絡まっている藁は茨の冠のようにも見えます。そこに、無垢な少女らしさと殉教者のイメージがダブらされています。そこに彼女を襲う悲劇の予兆は示されていません。しかし、この作品を見る者はハムレットの中のオフィーリアの運命を知っています。それだからこそ、この作品に表われているオフィーリアの無垢な表情に、はかなさや純粋さを想像させるのです。これは、例えば、ヒューズと同じように、川辺に佇むオフィーリアを描いたジュール・バスティアン・ルパージュの作品(右図)が、強い感情を表情にあらわし、悲劇を作品の中で予想させるものとなっているのと違います。

ヒューズは、この作品の10年後の1863年に再び同じ題材を取り上げ、「オフィーリア(そして、彼は再び来ることはありません?)」(左図)を制作しました。10年前と同じように、川に溺れる数分前の花を手にしている時点の姿です。父がハムレットの手にかかり、そのハムレットから愛を拒まれ、狂気に陥って、人々の前で、次のように歌う姿は哀れをそそります。

あの人はもう来ないの。

あの人はもう来ないの。

ええ、ええ、あの人は死んだのよ。

それならあなたの死の床に行くわ。

あの人はもう決して帰って来ません。

お髭は雪のように白かった、

亜麻色の髪が美しかった。

あの人は行ってしまった、行ってしまった、

みんなが嘆いています。

神よ、あの人の魂に安らぎを。

そしてすべてのキリスト教徒の魂に、お願いするわ、お別れよ。

(ハムレット第4幕第5場)

ここで描かれているのは、歌って人々の前から退場した後の姿です。タイトルの副題はこの場面への言及と思えますが、ヒューズは人々の前で狂気を明らかにする場面でもなく、7場で語られる溺死した場面でもなく、そこで語られていない溺死する数分前の場面を描いています。ヒューズの代名詞ともいえる青が印象的な目と赤い髪に病的に映る透明な白い肌の憂鬱そうな若い女性が、柳の木の麓に立って、花を拾っています。その柳の木の無効は濃い色合いでほとんど黒く、その表面にわずかに明るい反射物があるので水、つまり川が流れていると想像できます。その川が暗さとなっているところが、画面に描かれている植物の象徴的な意味と相俟って、悲劇的な予感の仄めかしとなっています。例えば柳は悲しみと愛の放棄、デイジーは純潔、赤いポピーは死の象徴という具合です。それらは、見る者がハムレット、そしてオフィーリアの錯乱と死をすでに知っていて、劇の中には出てこない場面を想像することを喚起するように導いている。そして、作品全体が、直接的にオフィーリアの悲劇を描いているのではなくて、間接的に見る者の想像力を促すことによって描いている。ここにヒューズの作品の大きな特徴があると思います。それが、穏やかさであったり、繊細さといった印象を結果として生んでいると思います。

 

(4)ヒューズの主な作品

■『四月の恋』

おそらく、アーサー・ヒューズの最も有名な作品で、ラファエル前派の絵としても、最も人気のある作品のひとつです。

アルフレッド・テニスンの「粉屋の娘」という詩をもとに描かれたようです。1856年に、この作品がロイヤル・アカデミーで展示された時に、詩の一部が添えられていました。

愛すれば心は軋み苛立ち痛むもの

愛に漠とした後悔はつきものか

目は無為の涙に濡れながら

無為の習いによってのみわたしたちは結ばれる

愛とはいったい何でしょう、いずれ忘れてしまうものなのに

ああ、いいえ、いいえ

ヒューズは、この詩のこまごまとして部分を描写する代わりに、ヒルガオの繁る庭のあずまやで口論する若い恋人を描いていると言います。ヒューズは設定を栗の木と忘れな草が生えている水車小屋からツタに蔽われた四阿屋にかえて、さらに、その奥の開けた外にライラックが咲き、石畳の床にはバラの花びらが散っている、というように描いています。このツタは永遠の愛を象徴するものでもあり、バラは愛を表わします。そのバラの花びらが床に散っていることは、愛が終わってしまったことを示していると言えるかもしれません。この作品では、景色で恋人たちを表現していて、ヒューズは、この作品の後で、他の作品にもこの手法を用いていくことになります。ですから、本来は、この作品で描かれる中心は恋人たちです。しかし、画面でそれと分かるように描かれているのは女性で、男性は女性の右手に影が見える程度です。しかも、二人がいる四阿屋の中は暗く影になっています。これは、同じ時期のラファエル前派、例えばミレイやハントの作品に見られるような画面の隅々にまで明るい光があたって、画面全面がくっきりと隈なく描かれているのとは違います。光は前面と奥の窓のように開かれたところから差し込んできているようで、前面からの光、つまり見ている人の背後に光源があって、その光が女性を照らし出しているような設定です、したがって彼女の背後は影になってしまいます。正確に言えば、画面向かって左から茂っているツタを越えてさしてきています。だから右下が影になっています。そのあたりの彼女のスカートやツタは影でぼやけています。その反対に、彼女の顔の一部と青いスカート、スカーフがハイライトになって、印象が際立っています。彼女の顔の一部が照らされ、一部が影になっているところが、とくに顔の表情が描き込まれていないにもかかわらず、恋の陰りのような表情を見る者に想像させます。顔を景色のようにして表情を見せていると言えます。そうなのです。何よりも、女性のドレスの青と木の葉のグリーンの息を呑むほどの鮮やかさが印象的です。全体に影の部分おおい仄暗い画面の中で、青と緑が鮮やかに輝くと、なんとなくひんやりとした密やかで繊細な印象が強くなります。全体に青みがかった色調のなかで女性の腕と顔の肌色が透き通るようです。女性の顔の表情は細かく描き込まれておらず、観る者の想像に任せるということなのでしょうが、全体の色調と俯きかげんポーズから、物憂げというのか、哀しみを湛えているように見えます。そこをはっきりと描いていないことによって、具体的な感情としてよりも雰囲気として恋の苦しさとか儚さ、それによる哀しさが漂ってくる効果を上げているように見えます。不健康とまでは行かないけれど、繊細さを突き詰めて行けるところまで行ったという感じがします。

『ロムニーを退けるオーロラ・リー』 

代表作「四月の恋」に色調もヒロインの様子も似ている作品です。「四月の恋」は小品ですが、この作品はさらに小さな作品です。この作品も「四月の恋」と同じように詩を題材にして、そのある場面を描き出しています。その原典となった詩はエリザベス・バレット・ブラウニングの『オーロラ・リー』という9巻からなる連作詩です。作品タイトルは主人公の女性の名前でもあり、彼女によって語られ、女性の教育を受ける権利、働く権利など、当時の社会が直面する緊急課題の多くを取り上げ、それだけでなく芸術の創造行為と政治活動の長短を論じていたことから議論を湧き起こしました。この作品の主人公は詩人になりたいという志をもった女性です。彼女の従兄のロムニーは社会改革を目指して運動しています。ロムニーは彼女の志を冷笑し、自分の社会奉仕の大義に生涯を捧げてほしいといって求婚します。それは、彼女にとって詩人になる夢を捨てて、社会運動を進めるロムニーを妻として陰で助けるということです。彼女はロムニーの求婚を断ります。しかし、オーロラは後に彼女育ててくれた叔母からロムニーの申し出を断ったことを厳しく非難されます。当時のイギリス社会では、女性に相続権は認められなかったため、ただ一人男子の跡取りであるロムニーが財産のすべてを相続した後、オーロラは一文無しになってしまうことになるのです。ところがその後、オーロラはロムニーに愛を告白し、詩は意外にも幸せな結末を迎えることになります。オーロラは詩人として成功を収め、ロムニーはついに、オーロラも人生をかける使命を持つに値すると理解したからでした。

ラファエル前派の特徴のひとつに社会的な主題で作品を制作することがあります。ハントの「良心のめざめ」やロセッティの「見つかって」といった作品などが代表例でしょうか。それらの作品は風俗画として描かれていますが、倫理的な要素が添えられ、当時の生活をリアルに画面上に再現しているものです。どちらかというと、福音主義の立場から堕落した人間の生き方とその救済という方向で寓話にちかい形態となっています。一方、この「ロムニーを退けるオーロラ・リー」は、男女の平等といった社会問題に触れているところはありますが、あくまでも文学である詩をとりあげて、その場面を絵としたもので、たまたま、その典拠となった詩が女性の権利とか生き方をテーマとしているものです。ヒューズという画家の資質から、この作品を見ても、現実を批評的に描くというよりも、物語の世界を幻想的に描くという作品という方がふさわしいものだと思います。実際に、この作品を依頼したのは美術の収集家で慈善事業にも熱心なエレン・ヒートンという女性ですが、出来上がったヒューズの作品を見て、詩の中で描くべき場面の選択について、意見が合わなかったようです。また、ヒートンは、絵の中ではオーロラが詩とは異なり、白ではなく緑の服を着ていると不平を述べたそうです。これに対して。1860年にヒートンに宛てた手紙の中で、ヒューズは緑の方が背後の風景の彩りとよりしっくり調和すると述べて、色の選択の正しさを訴えています。ヒューズはまた、叔母がいては情景が混乱すると考えて、画面から省いたとも記しています。ヒューズはヒートン宛の後の手紙に、詩を貶されたばかりのオーロラがこれほど美しく描かれているのは具合が悪くないかという、ラスキンの冗談めかした寸評も引用しています。

そこで、作品を見ていきましょう。全体として、と緑の色彩が画面全体を覆い尽くす、その色調よって幻想的な風景を作り出しています。「四月の恋」に比べて、人間の存在感はより希薄になっていて、例えば左側の男性と、彼の手前の白百合を比べてみれば、どちらに存在感があるがは一目瞭然です。二人の人物は地に足がついていないように見えて、画面の中で浮遊しているかのようです。中央の女性も人間と言うよりは妖精のような実体としての存在感があまり感じられず、顔の表情にも生気があまり感じられません。こんなことを書くと不健康で死んだ絵のように受けられるかもしれませんが、これに対して自然描写は細かくて、生命感が感じられるものとなっていて、これに対して、人間を見る目が無常観のような人の儚さに目が行くような視点で描かれているように見えます。その場合、人間の存在の現実性が薄くなって、幻想の風味が反比例するように前面に出てくる。それが、ヒューズの作品の特徴ではないか、と思います。それをヒューズ独特の青と緑の鮮やかな色調が効果的に盛り立てている。それゆえでしょうか、ここで描かれている女性は、ギュスターブ・モローベルギー幻想派のクノップフの描く幻想的な女性を想わせるところがあると思います。

『シャーロット姫』 

ラファエル前派はアーサー王伝説の様々なエピソードを題材として好んで取り上げました。この作品のモティーフとなったシャロット姫の物語も、ウィリアム・ホルマン・ハントをはじめ、ウォーターハウスなども取り上げる、人気のモティーフだったと思います。典拠はテニスンの詩で、そのあらすじはこのようなものです。川の中州に住むシャロット姫は、外の世界を直接見ると死んでしまうという呪いをかけられていました。彼女の部屋には鏡があり、その鏡を通してしか、外の世界を知ることができません。彼女は部屋で機織を続ける。ある時、彼女は川岸にあるキャメロット城のランスロット卿の歌声に心惹かれ、その姿が鏡に映るのを見てしまいます。彼女は禁を犯したことを悟り、死を覚悟し、織り続けた布を手に城を出て小舟に乗りこみます。彼女は小舟の中で小声で歌を歌いながら死んでいくのでした。やがて小舟はキャメロットの岸辺に辿り付き、ランスロット興が見つける。そういう話です。

ホルマン・ハントは、詩の中でも劇的な瞬間である、彼女が禁を犯す、つまりランスロット卿を鏡を通してではなく直接見てしまう場面を描いています。彼女が振り返り、自分の目で窓越しにさっそうとした騎士ランスロットを見ようとすると、「鏡は横にひび割れて」(右図)、破滅的な呪いが現実のものとなると詩で書かれている場面です。ハントの密度の濃い絵柄では、彼女の波打つ髪が画面の横一杯にひろがり、巨大な機から解けた糸が姫の豊満な肉体に絡みつくようです。楕円の中に磔刑にかけられたキリストの像があり、これはおそらく姫の自己犠牲を示唆しています。さらに玉座に就く神、あるいはキリストの姿も見えています。

一方、シャロット姫が中州から離れる場面を取り上げた画家は何人かいます。例えばウォーターハウスの1888年の有名な作品「シャロットの乙女」(左下図)はテニスンの死を忠実に再現しようとします。画面全体が夕暮れのような薄暗いなかで雪のように真っ白なドレスを着て、船首に彼女自身の名が書かれた小舟に乗って、一方は彼女の右手に、もう一方は島に繋げられているであろう鎖を緩めます。このことは、おそらく、彼女が呪いによって自らに課した拘束からの解放を象徴的に表わしていることでしょう。彼女は生気のない表情でトランス状態にあるように見えます。そして、原詩には書かれていないことですが、小舟の船首に十字架と3本の蝋燭を置き、彼女が小舟に乗ったことが葬儀のようなしめやかな雰囲気を強調しています。彼女は愛を放棄し、彼女が加わると決心した世界の場面を飾る以前の生活を表わしているタペストリーを手にとっています。彼女の膝に落ちた一枚の葉は、彼女の人生が終わったことを厳しくも伝えています。彼女は落ち葉であり、落とされる、つまり死ぬということです。ランスロット卿への愛のために、彼女は生命をなげうちました。彼女は愛の殉教者であり堕落した女性です。くすんだ大地のトーンの上にたつ壁のような密生した木々と静かな灰色の空は彼女の棺桶となった小舟のために厳粛で哀調を帯びた背景となって、彼女が鏡で見た色彩豊かな生活を表わしたタペストリーの色鮮やかさに対して強いコントラストを生み出しています。雲の切れ間から差し込んでくる光は、彼女の死を象徴している前景の折れた葦を照らし出し、タペストリーに反射します。

アーサー・ヒューズは1860年ごろに「シャロットの乙女」のために、ヴィクトリア朝の淑女が初めて逢い引きするということについて一般的に想像できる、おののきや期待を捉えた試作を行ないました。彼女の背後の枝垂れ柳は彼女がキャメロットを見下ろす自然な木陰をつくっています。川、柳の葉、彼女の服装に反映された光の印象主義的描写は、魅惑的でおとぎ話のような質感を絵に与えます。

同じような小舟に乗ったシャロットを描くのでも、すでに死んでしまった状態を選択する画家もいました。シャロットの横たわる死体が暗示する官能性や、死と美あるいは官能性と精神性の合わさった退廃的な魅力を画家たちは表現しようとしました。そこにあるものは世紀末の退廃的な文学で感じられるものと同質のものです。例えば、ジョン・アトキンソン・グリムショー(右図)は小舟を棺桶のようにしてシャロットの死体が横たわり、川を流れ下るところを描きました。一晩中、亡くなって死体となった女性が川に浮かんでいるときの、あたりの静寂を伝えています。エキゾティックな小舟に横たわる彼女は、樹木の生い茂った背景や月明かりに照らし出された夜空と対照的に配置されています。

アーサー・ヒューズはまた、1873年に同じ主題で、今度は小舟に横たわった死体のシャロットを描いています(左図)。グリムシーの場合には夜空に浮かぶシルエットのように描いているのに対して、ヒューズは岸に流れ着いた小舟を土手に立っている人々に発見され、人々が驚き悲しんでいる様子です。死体となったシャロットの姿を、幽霊のような不気味な蒼白の顔色に唇の赤がどぎつく見えてしまうほど、荒っぽく感じられように鮮烈に描かれています。人々が立っている土手は陽光が当たり明るいのに対して、船に横たわるシャロットは背後の木々の影となって薄暗いところにいます。また船の脇には白鳥がいて、彼女の死を暗示しています。

ヒューズのふたつのシャロットに共通しているのは、彼女の悲しげな顔の表情をくっきりと描いているということと、彼女の顔色は血の気のなくなったような蒼白で、着ている衣装も白という、白で統一し、それを中心の画面の色を構成していることです。しかも、その白は透明感があります。血の気のない顔は透き通るよう印象ですし、衣装は薄絹のような質感です。そして、シャロットが少女のように描かれている点も特徴的です。従って、ハントやウォーターハウスで感じられる肉体の官能性は稀薄です。そのかわりに純粋さ、あるいは夢見るように恋に憧れる印象が強まります。城に幽閉され、外界から遮断されたシャロットは現実に外界の他人と接することができなかったため、男性は現実の肉体をもった存在ではなく夢の中で想像するしかなかった。ランスロット卿に恋をしてしまったとはいっても、鏡に映った姿を認め、そして、直接目にしたとしても、城の窓から遠めに眺めた程度です。そこに現実感を求めるのは無理ともいえます。むしろ、男性というものを知らない少女が初めて見た男性に憧れてしまう、一種の夢のようなもので、ヒューズは、他の画家がいわゆる恋愛として描いているのに対して、夢見るような憧れのような恋として、全体を夢のように描いている。そういう恋をしているシャロットは、呪いによって生命を喪失していることもあり、現実世界での存在を透明なものとして描いていると言えます。シャロットを白で統一的に描いているのは、そのためではなかったのか。

『聖アグネス祭前夜』 

聖アグネスは、4世紀初頭のディオクレティアヌス帝によるキリスト教迫害のもとで異教徒の夫を押し付けられたのを拒絶し、火あぶりになって殉教した13歳の少女だそうです。1月21日は、その聖アグネスの信仰心と純潔を称える日とされたということですが、中世以来、その前夜である1月20日に少女が夜食をとらず裸でベッドに入り、天を見上げれば未来の夫が夢に現われるという伝説が生まれたということです。イギリスの詩人ジョン・キーツは、この伝説をもとに、マデラインとポーフィロという男女の恋愛を「聖アグネス祭前夜」という詩にしました。マデライン家とポーフィロ家は互いに仇敵の関係にあり、ポーフィロは見つかれば殺されかねないなかで、マデライン家の城に彼女を求めて忍んできます。城は宴の真っ最中ですが、マデラインは宴をはなれ聖アグネス祭前夜の祈り、その伝説に心を奪われ眠りにつきます。ポーフィロは首尾よく彼女の部屋にたどり着きます。その時マデラインは眠っていて夢の中にいます。ベッドの脇にポーフィロが立っているのに気づいても夢の世界にいる、つまり、聖アグネス祭前夜の伝説の未来の夫を見ていると勘違いします。夢と現実が交錯する中、二人は結ばれます。そして、二人は宴の喧騒を利用して、城を出て逃れるのでした。

1848年ハントが、この作品に魅了され、最後の二人が城から脱出しようとしている場面を描き、「酒宴の酩酊をついて逃避するマデラインとポーフィロ(聖アグネス祭前夜)」(左図)という作品として発表しました。ヒューズはこれに触発されたと考えられています。

ヒューズは、ハントが詩の一場面を描いたのに対して、全体の物語の中から劇的な3つの情景を選んで、中世の祭壇に飾られた三連画のように3枚のパネルを繋げて、続けて見るようにまとめました。左のパネルには、城に近づこうとするポーフィロの姿が描かれています。また、中央の大きなパネルには、マデラインが目覚めて、かたわらにポーフィロを見出すところです。この場面では寝間着と敷布の白さがマデラインの純潔を象徴し、ステンドグラスの濃厚な色合いがポーフィロの真剣な努力に注意を引き付けています。そして、右のパネルが最後の場面で、城から逃げ出そうとする二人が、ハントが先に描いた絵にもあったように、酩酊して床に横たわる給仕がおそるおそる踏み越えようとしています。中央のパネルの金色のフレームの下の方に物語の内容を確認する意味で詩の一節を引用してあります。

They told her how, upon St Agnes’ Eve,

Young virgins might have visions of delight,

And soft adorings from their loves receive

Upon the honey’d middle of the night.

If ceremonies due they did aright,

And supperless to bed they must retire,

And couch supine their beauties lily white,

Nor look behind, nor sideways, but require

Of heaven with upward eyes for all that they desire.

比較的小規模な作品が多いヒューズについては珍しい大作です。金色のフレームで飾られているわりには、作品の基調は、夜の場面を描いているせいもあって、比較的地味で、薄明かりの中に人物に淡い光が当たって浮かび上がってくるように映る、輪郭がくっきりしない夜の空間は、夢のようでもあり、また、中世の祭壇画のようなスタイルも現実の世俗的な空間から離れた雰囲気を作り出して、ヒューズの幻想的な画風がうまく生かされた作品になっていると思います。

また、ヒューズは1858年頃にキャンバスではなく紙に縮小版とでもいえるような同じ題材を扱った三連画形式の作品(右上図)を制作しました。その作品では、左の部分ではポーフィロはマデラインのところにアンジェラに案内される場面となって、少し変化しています。

心のいたみ─涙流すな、嘆くな乙女─

この作品はシェイクスピアの「から騒ぎ」のバルサザーの歌にヒントを得て描いたとされています。その歌は以下のようなものです。

涙流すな 嘆くな乙女

男心は移り気なもの

今日は海辺に あしたは山に

求めさまよう 浮気もの

泣くな乙女よ 未練は捨てて

明るい笑顔を 作っておくれ

どうせ悲しい 人の世ならば

せめて楽しい ふりをしよう

少女が不幸な恋がもたらす悲しい想いから逃れることができないことに気づいたときの憂鬱な混乱状態を表わしていると言います。彼女がタペストリーに写していた散った薔薇の花びらは、喪失、とりわれ処女性の喪失を象徴しているとみなされるそうです。また左上の窓の外にいるツグミがその鳴き声を暗示していて、少女の雰囲気が鳥の声により惹起されていることが仄めかされていると言います。この作品の何よりの特徴は少女の衣装の紫色と髪の赤が暗色系の全体の色調のなかで、妖しく映える色彩効果です。これが象徴的な雰囲気作りに大きく寄与して印象を強くしていると思います。

聖杯を探すガラハッド卿

聖杯は、イエス・キリストが最後の晩餐において弟子たちにワインを与えた器で、アリマタヤのヨセフが十字架の上で死んだキリストの血をこれに集めたことから、キリスト教徒にとっては世紀を超えて最も神聖な遺物と考えられてきたものです

15世紀の半ばにトーマス・マロリーが著した「アーサー王の死」には、この聖杯を王の円卓の騎士団が探し求めるストーリーがひとつの柱になっています。ガラハッドの父ランスロットはそれを見つけたのですが、彼が過去におかした罪のために近づくことができず、他の騎士たち、中でもパーシヴァル、ボールス、ガラハッドの3人だけが、聖杯があると信じられていたカーボネック城に辿り着くことができました。そして穢れ無き心の純潔さと潔白さを併せ持つガラハッドだけがこの冒険をやり遂げ、ついに奇跡の幻影として現われた救世主キリスト自身の手から聖杯を授かることに成功します。

アーサー王伝説に魅了されたヒューズは、アルフレッド・テニスンが聖杯伝説を改作した詩「ガラハッド卿」(1842年)の次の詩句を基に、この作品を制作しました。

空では雲が裂け、山々の果てまで、

轟きわたるオルガンの音が、

漲り上がり、震え響いてまた落ちる。

その時大樹も小樹も揺らぎ、ひれ伏して、

翼がはためき、その声が明らかに聞こえる。

「ああ、忠実な神の騎士よ!

馬に乗れ!聖杯はすぐそこにある」と。

こうして私は宿屋や邸宅、農家を、橋や浅瀬、庭園や囲い地の傍らを過ぎ去った。

武装を解くまい、何が起ころうとも、

聖杯を見つけるまでは。

夜空と、そこに暗く移る雲と山影をあらわす青とその陰影は、ヒューズ特色がよく出ていると思います。そして、その暗い(深い)青と対照的に天使の光り輝く黄色との対照と、その天使の光に照らし出され、黄色味を帯びる左手の馬上の騎士、そして手前の、暗闇から浮かび上がる岩稜の不気味な影が印象的です。天使の顔がロセッティ風で、顔の描き方が、そのパターンから抜け出ることがなくて、個性とか微妙な表情が見られないところがあります。しかし、この画家は人物のポーズや色彩の陰影などによって、人物の表情に代わり、雄弁に語るところが、この作品でもよく出ていると思います。。

Forget me not 

  窓辺でひざまづいて祈っている1人の少女。窓辺からの光は少女を明るく包み、美しい横顔を照らしています。彼女のまとっている青色のマントのすそには美しい花の刺繍がほどこされ、よく見ると柔らかそうな金髪にも赤い花がついています。野原でお花を摘んできたのでしょう、床の上に置かれた包みからも花々があふれ出ています。マーガレットや形状からポピーらしい赤い花、髪についているのもこのポピーだと思われます。それ以外にも重厚な扉の浮き彫りに花のモチーフが使われており、少女の純粋な表情とこうした花のモチーフ、全体の優しく明るい色遣いが見る者の心を穏やかにする作品だと思います。そんな少女が手にしているのは、野草のような小さな青い花です。その形状、そしてこの絵の題名から、この花は、英名がforget-me-not である「忘れな草」であると思われます。忘れな草の花言葉は、「真実の愛」「私を忘れないで」というものです。恋人にドナウ川の岸辺の美しい花を贈ろうとして足をとられ、川に飲まれた若者が「私を忘れないで」という最期の言葉とともにこの花を恋人に向かって投げたという中世ドイツの悲恋の伝説がもとになっているそうです。そしてデイジーの花言葉が、純潔、美しさ、無邪気。赤いポピーの花言葉は、慰め、喜び。慰めや喜びという意味のポピーが髪についたままという存在感ある使われ方をしていることを考えても、この少女の祈りは、悲観的な雰囲気ではなく、希望や明るさを感じさせます。年齢的なことからも恋愛に関することかも知れません。そして、部屋には大きな留め金のついている衣装箱、奥にはベッドが見えています。少女の寝室だとわかります。室内はすべてが暗闇に包まれています。彼女の狭いベッドは、ゴシック様式の装飾が施されたフレームを壁に背負って立っています。パッド入りのヘッドボードには、一対の天使とDeus Magnificatの文字が刺繍されており、彼女が属する家庭の敬虔な性質を示しています。弓とリュートは、伝統的に愛の喜びと幸福を象徴しています。ベッドの上に静かに横たわり、彼女の孤独な状態と、まだ満たされていない感情的な人生を反映しています。絵はとてもはっきりと彼女の真剣な顔と懇願する目で明らかにされた少女の感情に焦点を当てており、ヒューズは彼女のために完璧な雰囲気を作成しました。トランクとベッドカバーの暗い深紅、淡い茶色のパネルと床、天使の赤と金の数字、すべては彼女のダイアファンのガウンと青いサテンのマントの女の子の明るい姿を強化するために役立つ。堅実な絵、細部への細心の注意、そして照明効果は、これをヒューズの最も成功した一人の人物の構成の一つにしています。

The Overthrowing of the Rusty Knight  

美しい若き乙女は、彼女の純潔を脅かした悪党を打ち負かした甲冑に身を包んだ騎士の前に、憧れの感謝の表情を浮かべて立ち向かいます。馬上槍試合が行われたばかりの古橋の下の小川には、相手は命を失って横たわっており、勇敢な騎士の馬の息づかいは、まだ戦いで熱を帯びていて、秋の冷えた空気の中に漂っています。これは、世話を受けた乙女を抱きしめる騎士が戦いを繰り広げる瞬間の予想の瞬間です。

この作品は、テニソンの中世のロマンスと騎士道の物語『ガレスとリネット』から取られており、描かれている瞬間は、主人公ガレス卿かがリネットを捕らえて木に縛り付けていた暴君イブニングに勝利した直後です。ガレスとリネットの詩は、1872年に「国王牧歌」のために書かれたもので、19世紀のアーサー王伝説の最も影響力のある現代的な再解釈であり、テニソンの最も広く描かれたテキストの一つです。物語は、母親により、騎士になることを反対されていたガレスは、身分を隠し、1年間の台所下働きを勤めることと引き換えに騎士になることを許される。やがて、数々の障害を乗り越え、ガレスは美しい乙女リネットを助けるための冒険をやり遂げるというものです。

ヒューズは、1850年代から中世のロマンスの物語に興味を持っていて、それをもとに作品を制作しました。騎士と乙女のテニソンの詩からのエピソードに基づいた絵画の注目すべき例は、1861年のLa Belle Dame Sans Merci(右上図)、1859年のEnid and Geraint(右下図)と1872年の「シャーロット姫」などです。ヒューズは通常、恋人たちが別れの瞬間に抱き合ったり、離れたりするような心が欲望に駆り立てられる感情の瞬間を選で取り上げました。この作品では、中世のロマンスの原型、騎士と純粋な心の持ち主と高潔な乙女の間で緊張感を持っている。このような昔の騎士道精神は、同時代に注目を集めていた社会的なテーマの作品とは正反対の傾向でした。騎士道の絵画、文章、演劇は、ヴィクトリア朝時代の観客に、想像上のロマンスの時代への逃避を提供したのでした。

 
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