1.IRの定義 (2)なぜIRが必要なのか |
@ IRを必要とする会社 ここでは、なぜIRをするのかについて考えて行こうと思います。しかし、その前にIRはすべての会社とって必要なものではないということ、IRの必要性というのは限定されたものであるということ、まず説明します。例えば、株式を上場していない会社には原則としてIRを行いません。かといって、上場している会社でもIRを行わない会社もあります。逆に、ベンチャーキャピタルの出資をうけている新興企業は出資者に対してシビアな情報開示を求められるでしょうから、業績や事業の進捗などは常に説明させられているはずです。実際のところ、日本の企業がIRを実施し始めたのは今世紀に入った後という、ごく最近のことなのです。それは、日本企業の経営や資金調達のあり方、それを規定する経済環境によるものです。つまり、それ以前はIRの必要性などというものを、どこの企業も感じていなかったのです。どういうことかと言うと、少し時代を遡ってみましょう。日本経済は70年前に第2次世界大戦で敗戦し、空襲で設備が破壊され、主な働き手は軍隊に徴発されて帰ってこず、戦費により資金は底をつくという廃墟のような状態から経済復興がスタートしたわけです。そこで、まず採られたのは戦前の企画院が発案し満州国で試された国家社会主義的ともいえる、いわゆる傾斜生産といわれる経済産業政策だったという。つまり、産業の基盤としてエネルギーと素材である石炭産業と鉄鋼業に投資を集中させます。それらが成長することにより産業インフラの整備と裾野の成長を促進させ、徐々に成長を拡大させていくというものでした。例えば、石炭というエネルギーが行き渡ることで鉄道という交通・流通インフラが整備されていきます。鉄鋼業の重要な設備である高炉の稼働が確保され、そこで生産される鉄鋼を素材にして炭鉱での機械設備が生産され、そこで機械産業が発展することになります。これらが循環することで相互に成長を促していくというわけです。さらに鉄鋼生産のための設備、機械工業のための部品や設備といった周辺産業が活発化していく、という構図です。しかし、鉄鋼業や石炭産業は巨大な設備を必要とするので、そのためには莫大な資金が必要となってきます。その規模は、優に当時の国内生産額を超えるものでした。その資金を確保するためには、投資の流れを国がコントロール必要がありました。そこで、市場原理に左右される株式投資による直接的な資金調達の仕組みは抑えられ、その代りに貯蓄を奨励し、その集まった貯蓄に対して銀行を統制することによって石炭と鉄鋼に集中的に資金を融資させていったわけです。銀行には、そのかわり、リスクは政府が保障する形となりました。これが護送船団方式といわれる金曜保護策です。そして、政府はしばしば銀行や鉄鋼会社の経営に干渉し、経営の軌道修正を行ってきました。これにより形づくられた産業基盤の上で1960年代の高度経済成長の飛躍があったというわけです。それ以来、日本の企業は銀行からの融資という間接市場での資金調達を主に進めて行きました。そのため、株主とか投資家と正面から向き合うことをしなかった、いやする必要がなかったのです。そのため、IRということが必要とされなかったのは当然のことです。それが変わったのは1990年代のバブル崩壊以後です。その後、金融自由化によって銀行からの融資が期待できなくなり、企業は自力で資金調達をする必要に迫られることになり、そこで一般に投資という視点が企業経営で切実に取り入れざるを得なくなったというわけです。ここで、ひとつの見方でいえば、この時点になって日本の企業は日本という特殊なローカルな経営から、世界に通じる近代資本主義的な経営への転換を迫られたといってよく、その一環としてIRということが必要になってきたと言うことができます。 これまでのことから、IRを必要とする会社は、その経営について投資という視点で行っているところと言うことができます。これは、何も株式市場から直接資金を調達するというだけではなく、企業は投資を受けて成立しているということをベースに、投資者から経営者が委任を受けて企業を経営しているという、本来の株式会社の仕組みが文字通りに実行されているという企業のことです。
前項の歴史的経緯から、IRを必要とする会社を見てみれば、なぜそういう会社がIRを必要としなければならないかは、明らかになったと思います。最も直接的なことは、株式証券市場で資金調達をしようと思えば、株式なり債権なりに投資家が出資してくれるように、会社のことを知ってもらうことが必要不可欠になってきます。ただし、これは表面的なことにすぎません。株式を上場している会社には不特定多数の株主がいます。ということは、多くの人が、その会社に投資をしているということに他なりません。投資額に多寡はあるでしょうが、それは自分の財産の一部をその会社に投資しているということです。こういう人たちが投資をすることには、様々な動機があるでしょぅが、基本的には投資をすることによってリターンを得るということが主な目的であることを否定する人はいないでしょう。ということは、投資されている会社は、投資をした株主からリターンを常に期待されていることになるわけです。リターンという言葉を用いましたが文字通り、投資をした見返りということです。これは投資をされた側、つまり企業にとっては投資をうけてリターンを返さねばならない、一種の負債を負ったような形になるわけです。これが、いわゆる資本コストの考え方です。投資家にとってリターンは金銭かそれに準ずるものでなければならないはずだから、リターンとして考えられる代表的なものは、株価が上昇することで株を売却することで投資した以上の金銭を回収できるということ、会社が得た事業収益を配当として株主に分配することで実際に金銭を受け取るということなどが代表的なものと言えます。 実際のところ、株式を上場して広く投資を集めている会社の場合、原則として、これは経営者の責務なのです。会社法で規定されている取締役の説明責任の一つの根拠がそこにあります。純粋な法律論でいえば、取締役は委任契約だから、委任された者は、委任した者に対する説明責任があるということですが、その内容はこういうことらなるでしょう。つまり、投資した側に立ってみれば状況を常に追いかけたいのは当然のことと言えるわけで、そこで、投資した人から問い合わせがあれば、インサイダー情報の漏洩にならない範囲内で経営者は答えなければならないわけです。しかし、それにいちいち応える手間と労力は大変な負担とコストを伴うし、それにかかる時間や労力やコストを本業である事業の伸長に掛けた方が会社も成長するし、ひいては株主の利益にもつながる。そういう時に、決算発表等の節目で他の会社との比較もできるように形式を揃えて一斉に決算発表するという、ディクローズで、コストや労力を有効に生かすということになる。IRについての1998年の定義で資本コストの削減と言っているのは、例えば、今説明したようなことです。 また、投資した側に立ては、リターンを得るには投資先の会社が成長することが何よりも大事になってきます。つまりは、投資家も会社には成長してもらいたいと思っていることで経営者と目標は同じと言えるのです。そのためには、投資家も経営者に協力することも辞さない。このような動きが目立つのがアクティブ・ファンドといわれる機関投資家です。そうでなくても、時には投資家から情報が提供されることもあるし、経営者とは違った立場からアドバイスをすることもあるはずです。このような時に、経営者と投資家の間に立つのがIRの部署であり担当者なのです。場合によっては、経営にとって有効な情報やアドバイスが齎されることもあるし、時には経営に対するチェック機能を果たすこともあります。実際に、機関投資家のファンドマネージャーは何十何百という会社を追いかけ、経営者とミーティングを行っていて、生きた情報をたくさん持っています。その中から齎される情報やアドバイスは他では得ることのできない貴重なものであることが多いのです。そういう点では会社にとっては多大な副産物を齎すものでもあると言えます。 他方、会社の株価が適正ではない場合などは投機に近い目的で買収の対象となることがある。このとき、IRに積極的な会社というのは敬遠されることが多いのです。このような買収を仕掛けるファンドは、できるなら隠密裏に事を進めたいものだが、IRに積極的な会社は通常、それに見合って市場関係者からウォッチされているケースが多い。そういう会社では隠密裏に進めることが極めて難しくなります。だから、似たような状態の会社が2社あれば、IRに積極的な会社は買収を避けられることになり易いわけです。このようなファンドは買収した会社を清算させて残余財産を持って行ってしまって利益を得ることが多く、そのような場合、会社が存続して事業を続けて行くことで将来にわたって得られるリターンが侵されることを防ぐ機能をIRが果たすことにもなるのです。 このように、経営を投資という視点から見た場合、IRを積極的に行うことによって得ることのできる果実は極めて大きいと言えます。そこで、目端の利く経営者はIRの必要性をいち早く悟り、経営の一環として推進しています。 (1)IRの定義 へもどる
|