1.IRの定義
(1)IRとは何か
 

 

IRとは何かと、今さらながらに問いかけ定義をするということは、普通に仕事をやっている人では考えないと思います。だいたい、今、自分が行っている仕事の定義を考えるなどということは、異動か何かで初めて担当して未だ自分が何をするのか分らない場合や、仕事上で大きな挫折に遭うなどして自分の仕事に疑問を持ってしまった場合のような、切羽詰まった時以外には、考えられないのではないか。どちらかというと、後ろ向きのケースが多いと思う。実際に、「IRとは何か」とか「IRの定義」というようなキーワードで検索して、このページに辿り着いた人には、そういう人がいるのではないか。そこで、最初に断わっておきます。残念ですが、そういう人の援けになるようなことは、ここには書いてありません。但し、切羽詰まった人が、それを機に自らの仕事を一から見直し、改めて再構築しようという方にとっては、一抹の参考となるかもしれません。これから、話を進めるのは、これをやっていればIRの業務は大丈夫ということではなくて、ここからスタートするという出発点です。スタート地点はもこれから、お話ししますが、スタートしてしまったら、自分で考えるしかないんです

@ NRI(全米IR協会)によるIRの定義

IRとは何かという定義をまずしておきたいと思います。これは理論的な厳密さを追求するためというものではなく、というのも、ここで進めようとしている論考は実際の企業現場での実践を基にしたもので、論考の展開も今後の実践に資することを目的としているものだからです。つまり、ここで先ずIRの定義をしておきたいと思うのは、これから実践を前提とした議論のために必要だからです。そういう意味で、最初のところで厳格な定義を確定させ、そこから理論的考察を厳密に展開させていこうというこは考えていません。だから、定義としては、ここで大雑把な水準で決めておいて、議論を進めていくプロセスの中で、常に振り返り、かつ検証し、ときには定義を見直すこともあると思います。おそらく、実際の実践の場ではむ、そのようなプロセスが常に行われなくてはならないと考えます。そのためには、とにかく定義が必要なのだ。それとともに、実践の場において言葉であらかじめ決めておくことは、どうしても必要と言える。それについては次節以降で、あらためて検討していきたいと思います。

では、ここでIRとは何かということに、とりあえずのところで定義を与えましょう。といっても、私自身ではIRを独力で定義する力はないので、とりあえずは権威の力を借りることにします。

米国IR協会(NIR)によるIRの定義は、米国に限らず、企業のIR担当者はもちろん、IR支援業者や投資家など市場関係者のよりどころになっているという人もいる。(米山徹幸「21世紀の企業情報開示」より)私も、いい定義であると思います。そこで、それを使って、ここでの定義として、まずは議論を進めます。NRIは、これまでに3度にわたってIRを定義しているようです。ここで、その3通りの定義を以下に提示します。

 

IRは、企業の財務機能とコミュニケーション機能とを結合して行われる戦略的かつ全社的なマーケティング活動であり、投資家に対して企業の業績やその将来性に関する正確な姿を提供するものである。そして、その活動は、究極的に企業の資本コストを下げる効果を持つ。」(1988年定義)

「IRは、企業の相対的価値を極大化することを最終目標とするもので、財務面を中心として支援者に対して発信される企業情報の内容やフローを管理し、企業の財務機能、コミュニケーション機能、およびマーケティング機能を活用する、戦略的な経営債務である。」(2001年定義)

「IRは、企業の証券が公正な企業評価を受けることを最終目標とするものであり、企業と金融コミュニティやその他のステークホルダーとの間に最も効果的な双方向コミュニケーションを実現するため、財務活動やコミュニケーション、マーケティング、そして証券関係法の下でのコンプライアンス活動を統合した、戦略的な経営責務である。」(2003年定義)

 

これらの定義が2回にわたって変更された点も含めてポイントとしては、次のことがあげられます。

・1988年定義では“企業の財務機能とコミュニケーション機能とを結合して行われる戦略的かつ全社的なマーケティング活動”から2001年定義では“企業の財務機能、コミュニケーション機能、およびマーケティング機能を活用する、戦略的な経営債務である”になり、2003年定義ではと変遷している。そのメインの内容は、IR活動というものが企業にとって主要な企業活動であるということ、その中の要素として、財務、コミュニケーション、マーケティング、コンプライアンス活動を統合したものということ。この点については、「IRとは、どのようなことをするのか」のところで詳しく考えていく。

・1988年定義では“投資家に対して企業の業績やその将来性に関する正確な姿を提供するもの”から2001年定義では“財務面を中心として支援者に対して発信される企業情報の内容やフローを管理”になり、2003年定義では“企業と金融コミュニティやその他のステークホルダーとの間に最も効果的な双方向コミュニケーションを実現する”と変遷している。その主な内容は、企業とステークホルダーとの間で企業情報を媒介としたコミュニケーションであるということ。この点については、「IRをどのように進めるのか」のところで詳しく考えていく。

・1988年定義では“その活動は、究極的に企業の資本コストを下げる効果を持つ”から2001年定義では“企業の相対的価値を極大化する”になり、2003年定義では“企業の証券が公正な企業評価を受けることを最終目標とするもの”と変遷している。その主な内容は、企業の資本コストを下げることにより、効率的な経営を実現し企業価値を最大化させ、その結果相応の企業評価を受けることになるということ。この点については、「なぜIRが必要なのか」のところで詳しく考えていく。

 

※日本IR協議会による定義

日本IR協議会でも次のような定義をしています。

「IR(インベスター・リレーションズ)とは、企業が株主や投資家に対し、投資判断に必要な企業情報を、適時、公平、継続して提供する活動のことをいいます。企業はIR活動によって資本市場で適切な評価を受け、資金調達などの戦略につなげることができます。株主・投資家も、情報を効率よく集めることができるようになります。」

この定義は、NRIの定義とはニュアンスが異なっています。例えば、IR活動の対象はNRIでは企業と金融コミュニティやその他のステークホルダーと広く解しているのに対して、日本の定義では株主や投資家に限定しています。また、日本の定義には対象に対して一方的に情報を提示するだけで双方向のコミュニケーションの要素が抜け落ちている。これらの違いは定義の言葉の議論をしているところでは些末に映るが、実際の活動がでは大きな違いとなって現れてくる。そこで、ここではNRIの定義を主に取り上げ、日本の定義は参考として適宜参照することとして議論を進めて行きます。


A 定義の必要性
 とりあえず最初の作業としてIRについての大雑把ながら定義を施すことにしました。このあと、この定義の総体的な吟味に進んでいきますが、ここで、議論を少しだけ遡ります。それは、そもそもIRの実践にあたって、定義づけなどという言葉の戯れにも見えることが、必要なのかという議論です。そんなことよりも、実務で何をどうするかを考えるべきという反論が想像できるからです。だかに、あらかじめ、ここで定義の必要性を明らかにして、同時に私の立場も理解してもらおうというわけです。

定義の必要性については2つの面から考えることができます。ひとつは実践をするための前提の面からと、もうひとつは実践の現場での必要性です。

まず、ひとつ目の面から考えていきます。この論考の目次を参照してもらうと、まずIRの定義について、次に戦略について、そして戦術について、という項目が並んでいるのが分かります。これは実際に事業を進めるにあたっての組み立てなのです。戦略という言葉はもともと国家間の戦争の遂行に際して、作戦上の概念として出てきたものと言われています。クラウゼヴィッツによる有名な「戦略論」で打ち立てられた構成です。大雑把にいえば、国家が、その方針に従って対外的にあることが必要になった場合、その方針と目的に従って、軍隊、外交、補給(経済)その他の役割や体制が統合的に組織化される。その一環として、軍隊は手ごまとして有効に役割を果たすため戦略を立てる。そして、その戦略に沿って各方面の部隊が戦略を成功裏に遂行させるために個々の場面での戦術を選択していくという構造になっています。つまり、ここで言っている定義は、実際に軍隊が動く戦略や戦術を立案する際のベースになっているものと言うことができるのです。

これを実際に企業経営の戦略に当てはめて考えてみると、例えば、アメリカにサウスウェストという航空会社があります。LCC(格安航空会社)の先駆者と言われる会社のひとつで、競争がはげしい航空業界で常に高い収益を上げている会社です。

格安航空会社と言えば、格安チケットで客を集め搭乗率を高め、いうなれば薄利多売で稼ぐというイメージですが、このサウスウェストはそれが、そうとも言えないのです。そもそも、サウスウェストという航空会社のコンセプトは「空飛ぶバス」というものです。これが、いうなれば、この会社の定義、こういうことをするということを一言で表しているのです。これはどういうことかと言うと、後発で参入したサウスウェストはハブ空港と言われる地域のターミナル空港を利用することができませんでした。既存の大手航空会社は、ニューヨーク、シカゴといった主要都市にある大きな空港を結ぶ幹線を押さえ、さらにそれらの空港からローカル路線に乗り換えるということで乗客の便宜を図っていました。例えば、ニューヨーク郊外のローカル空港からニューヨークのケネディ空港という大きな空港でシカゴ行の幹線に乗り換え、シカゴに着くとイリノイ州のローカル路線に乗り換えるというパターンです。一見、乗り換えが多く面倒のようですが、時刻表では幹線に上手く接続されていて、待ち時間が少なく、同じ航空会社であれば荷物なども航空会社が移してくれて、何よりも一枚のチケットで済んでしまうので、手間は最小限で済んでしまいます。サウスウェストは、しかし、このニューヨークやシカゴといったハブ空港に事実上乗り入れることができませんでした。そこで、彼等が目指したのは、ハブ空港を押さえた大手航空会社と正面から競争することを避け、ローカルバスのような地方空港間の路線に特化するということでした。それが「空飛ぶバス」というコンセプトに表われているわけです。この「空飛ぶバス」というように、彼等にとってライバルは航空会社ではなくバスだったので。だから、バスと競争するためには従来の航空券の価格では勝負にならないため、運賃を下げざるを得なかった。そして、彼等がバスと価格と同一レベルに立ったときに航空機での利点を生かして競争戦略を立てて行きました。それが最終的には、大手航空会社から顧客を奪うことになっていったので。つまり、格安航空券というのは、サウスウェストにとって戦術にすぎなかったのです。航空券が安いだけの航空会社ではなく、様々な戦術のなかのひとつだったということになります。格安航空券とか、待たなくてもすぐに発着するとか、予約の必要がないといった戦術が出てくるベースには「空飛ぶバス」というコンセプト、つまり定義があったからなのです。つまり、定義というのは企業が事業活動の方向性を決めていたのです。IRについても、この定義によって全体の方向性が決まり、その方向性に従って個別の戦略が立てられることというを、私は考えています。例えば、@であげた定義ではなくて、投資家向けの宣伝という定義を建てた場合には、コミュニケーションは一方的になるでしょう。(ただし、後々で触れるが実際の企業現場におけるIRの実践において、そこまで突き詰めて戦略を立案している事例は少ない。残念ながら。)

定義の必要性について二つ目の面です。これは実践的側面における必要性です。企業において実際に事業を進めると、目の前にある個別の案件の処理に忙殺されることになってしまいます。そのため、現場で実務に従事していると、目先の事案を効率的に処理していくことを優先するようになりがちです。それが場合によっては、個別の処理を優先させるあまり、優先順位を誤ってしまい全体としての効率性を悪化させてしまうことがあります。いわゆる部分最適と全体最適の食い違いという事態です。このような事態が起こらないためには、全体としての方向性が常に確認されていなくてはなりません。そのために全体の方向性を明確に定義されていることが必要になります。例えば、事務処理の効率性ということを考えれば、いちいち投資家からの問い合わせに応えるよりは、説明を詳しく書いた説明書を渡す方が事務の負担は軽いわけです。しかし、それではコミュニケーションが成立しなくなるおそれがあります。ということは、@で検討したIRの定義をIRに携わる者は常に心に留め、何かあれば参照し、自分の行っていることを照らし合わせていかなければならないのです。

B 一番大切なこと

この章全体について、何人かの方と議論をしていて、重要なことに思い至りました。この章でIRの定義について縷々議論を展開してきたつもりですが。一番最初にNRIのIRについての定義を持ってきたのは、あくまで便宜的なことというのが、これを読む人にとっては理解ではないのではないかということです。これを読んで、この通りにやっていればいいのだということではないということです。

昨今のマニュアル社員というのか、マニュアルというのは仕事の手順を記述しただけのものにすぎず、これをベースに仕事を自分なりに展開させていかなければならないのが本来です。しかし、そうではなくて、マニュアルを完結したものと捉えてしまって、マニュアルに書かれていることだけをやっていればいいというケースが増えているということです。

NRIのIRの定義は最大公約数的なもので、この章の(1)から(5)で議論していることは、どんな会社であってもIRをする以上は最低限として、このくらいは考えていなければならないというものです、おそらく自覚的にIRをやっている会社ならば、この定義に含まれないことにも着手しているはずです。だから、中には、この文章を参考として読む企業のIR担当者が、いた場合には、この文章を最低限押さえて置かなくてはならないこととして、あとは自分の会社の事情に沿って自社のIRの定義を自分たちで考えることが大切であるということです。

ここでは、その参考のために、私の勤め先で、現在の私自身が携わっているIRについての定義づけの議論を(6)で行っていくことにしました。もし、この文章を読んでいる人で、IRのベテランの人は教科書のような議論は飽き飽きしていると思いますので、(2)〜(5)を一気に飛ばして、(6)から読んでいただいてもいいと思います。また、(6)をまず読んで、そこから遡るように(1)〜(5)に立ち返る読み方もあると思います。


(2)なぜIRが必要か へ
(6)IR現場の実際  へ

 
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