1.IRの定義
(6)IR現場の実際
 

 

IR現場の実際ということで、IRの定義について一般論の議論を行ってきました。この議論は、教科書的なものに近いもので、学校の授業でもそうですが教科書は授業の一つのツールに過ぎません。このツールを使って教師が独自の授業を行い、その内容を活かすのは授業を受けた各生徒たちです。教科書は単なる出発点に過ぎず、教科書に止まっていては通り一遍の表面的な理解に過ぎません。そこから、各人の肚に落とし込み、身体化し実践するのが、本来の理解と言えるでしょう。それは、表面的な言葉の説明でできることではなくて、各人が実践の中で、気づくというプロセスが最低限必要になってくると思います。ここで、それをすることはできないので、一つの実践の例として、私の勤め先をケースとして紹介し、考えていきたいと思います。

@ N社の紹介

私の勤め先、仮にN社としましょう、のことを簡単に紹介しておきましょう。N社は、第2次世界大戦の焦土が未だ癒えない1950年に設立されました。ちょうど、サンフランシスコ講和条約により、日本の占領が終わり、朝鮮動乱による特需景気なよって、日本経済がスタートを切った節目の年でした。

実は、N社は1930年代には、海外メーカーの日本支店として日本国内で機械を販売していました。しかも、当初は輸入販売のみだったのを国産化に成功していたのです。産業機械には様々な分野がありますが、N社の関係する分野では国内のフロンティアだったと言えます。しかし、この機械は一部が間接的に軍需産業に関係するということで、敗戦によって占領が始まると解散させられてしまいました。それが1950年の戦後復興のスタートの時に、かつてのN社のユーザーが、N社の機械が必要だということで資本を出し合って、かつてのN社を復活させたのでした。その時に、もともとN社の本社だった海外メーカーからも出資をうけることとなりました。

その後の日本経済の高度経済成長に乗って、N社の事業を成長させていきました。しかし、産業機械というリードタイムが比較的長い製品で回収に時間がかかることから、運転資金を常にある程度、確保しておかなければならないという点。当時のN社は、株主が当初から分散していたことと外国資本がその一部を占めていたことから、ガバナンスの面で当時の経営者は他社に比べると比較的資本政策等で規制を受けていたという点(とくに外国資本からは取締役が1名常に送り込まれていました)。これらの点から、資金繰りに苦労し、長期的な開発投資や設備投資がなかなかできない状態が続いていました。それを解決できたのは1990年に当時の日本証券業協会に株式を店頭登録(今でいえば、ジャスダック市場に株式を上場)したことによってです。株式の公開によって得た資金で事業資金をプールできることにより、開発など事業計画を長期的視野で進めることが可能になり、また、設立当初に資金を出資してくれていた外国資本や一部の企業は、これを機会に株式を市場で売却しそれなりのリターンを得て、N社の株式を売却しました。これによって、N社は独立できた、と当時の経営者は思ったはずです。時は、バブル経済のときで日本のメーカーは強気の設備投資を続けていました。N社は株式の公開もでき、この流れに乗り、強気の投資により一気に事業を拡大し、東証の一部上場を目指しました。その矢先にバブル崩壊で、一気にN社の業績は落ち込みました。しかし、株式の公開で得た資金を投資に回す前にバブル崩壊があったため、結果的に資金はプールされた状態になり貸借対照表上では安定性を保つことができました。それ以降は、安定した財務体質をベースに、新たなし事業展開を模索し、国内経済の回復を待ち、ということで業績はバブル時の最盛期には届かないものの、そこそこの結果を続けました。悪く言えば停滞していたわけで、総資産に対しての利益や売上は低下していました。

産業機械の分野では、デジタル化の進展により、メカよりもソフトの比重がますなど、生産工程についても全体としてモジュール化の傾向が進み、大規模な設備投資の必要性が薄まり、とくに投資需要がへったこともあり、IRということは全く行われませんでした。

株価は低迷し、株式の評価で、よく指標とされるPBRは1.0を下回る状態が常態化していました。そんな時です、N社の株式を海外のアクティビストと言ってもいいファンドが買い付けを始めたのです。ファンドの持ち株は段々と増えて行きました。それにつれて、ファンドの代表は経営者とのミーティングを頻繁に行うようになり、企業価値向上の施策を次々と提案し出したのです。その中にIRもありました。

当初、経営者はIRは面倒だけれど、実際の経営に影響ないからと、企業広報のような認識で幹事証券会社に相談しながらIRを始めました。最初は嫌々だったのでした。しかし、N社にとって、幸運だったことに、IRを始めた当初から2名のセルサイド・アナリストがN社をウォッチしてくれたことでした。このアナリストたちとのミーティングの席で質問されたことや、指摘されたことは、ファンドの代表とのミーティングでは必ずといっていいほど指摘されるのです。そこで、N社は、はじめて証券市場から会社はどのように見られているかという視点に気づいたと言えます。

以上がN社の紹介とIRを始めるに至った経緯です。  

A N社が株式を上場している理由

このようなN社では、IRをどのように定義し、どのようなことをしているか、しようとしているか。まず、その前にN社が株式を上場しているメリット、つまりは、なぜ株式を上場していなければならないかを考えてみたいと思います。というのも、IRを行うのは、専ら上場企業においてであるからです。N社が上場している大きな理由は、N社が自立して、経営を維持し、さらなる成長を目指していくためには、上場によって得た資金による現在の財務状態が不可欠だからです。その具体的事情をいくつか例として上げてみると、N社の事業は産業機械の製造販売ですが、主要なユーザーは素材や最終製品の製造メーカーです。これらの工場の生産ラインでN社の機械が使用されるのです。N社はこのような顧客から注文を受けるとそれぞれの生産ラインに適した機械をアレンジ、あるいはカスタマイズして製作して、納入、据付をして機械が正常に稼働することを確認して注文主に引き渡します。ここで、代金の請求をして、その後で支払があって、N社ははじめて回収できることになります。このようなB to BのビジネスでN社の製品は規模の比較的おおきな機械を扱っているため、回収までに時間がかかります。顧客から注文を受けて、機械の開発や設計をし、原材料を購入し製作して顧客の工場に納入し据付、試運転をするという一連の工程には数カ月から1年かかり、それから顧客に請求して、金額も小さなものではないので、顧客の方でもすぐには支払えない。その間、N社は、原材料の仕入れ額、その期間の人件費などの諸費用を自分で負担しなければならないわけです。そのためには、ある程度の運転資金をプールしておかなければならないわけです。かつて、上場前のN社はこの資金プールが脆弱であったために、常に運転資金を借入れに頼っていました。その時の金利負担が最終的な利益を圧迫していました。製品を納入して資金を回収しても、金利を付加して借入れの返済に回されることになり、自己資本はいつまでも拡充できない状態が続いていました。借入れを繰り返すため、金利の負担は重く、またも経済状態が好調な時はまだいいのですが、不況となった場合には、銀行をはじめ金融機関は中小企業への融資を見直し、金利をさらに上げるとか、さらには貸し剥がしの危険もありました。これでは、キャッシュがとどまらず、何時までも後ろ向きの回転に振り回されます。そのようなサイクルにいると、資金を思い切って新技術の開発や新たな最新の設備導入といった積極的に投資に向かいにくくなります。資金調達において、デッドとエクィテイを比べたときに、少なくともエクィティの場合には短期的に資金が出ることを抑えることができるため、後の資本コストを考えるにしても、このキャッシュの流出を一時的に抑えている間に資金の回転を後ろ向きから前向きに転換することができます。定期的に重い金利を負担することは少なくとも無くなり、利益を圧迫するとは無くなり、現資本を蓄積する方向に回すことができます。実際、N社は株式の上場で得た資金により、これを行いました。このことによって得られた財政状況のおかげで、バブル崩壊後の落ち込みや失われた20年の長期不況、あるいはITバブルの崩壊、リーマンショック以降の景気落ち込みにも、一時的には赤字にはなりましたが大体において期間利益を出し続け、企業経営を継続することができたのです。とくにも東日本大震災の被害を、直接、間接に各企業が受けましたが、自己資金が充実していた企業は、いちはやく立ち直るための施策を講じて、業況を回復させていったのは、多くの人が見ていたと思います。このような時に銀行からの融資を待っていると、緊急に間に合わなくなってしまうのです。

また、N社の製品の中で、今、最も業績を伸ばし将来の成長が最も期待されているものは、実は、その前の15年間は鳴かず飛ばずのお荷物のような状態が続いていました。それを辛抱強く我慢してブレイクするのを待ち続けてきました。そのようなことができたのは、財務状態が安定し、ある程度の余裕が経営にあったからです。今後のためには、どうしてもそのような長期的視野で製品の開発を続けて行く必要がありますが、それが可能になっているのは上場しているが故にという側面があるのです。

このようなことから、N社にとって株式を上場していることは、メリットという以上に、上場していることなしに経営を維持し、将来の成長を図ることは考えられないのです。

B N社の現場によるIRの定義

ここに来て、本題です。このようなN社にとってIRはどうあるべきか、どうあってほしいかということです。

N社にとって株式を上場させているということは、経営にとって必要不可欠なことであることは前項で説明した通りです。株式の上場を維持していくことは経営にとっての必須であることから、IRは、その要請に沿ったものでなければなりません。N社が株式を上場させていて、当面はその維持を重視してということは、その反面でとくに差し迫った大規模な資金調達やM&Aといった積極的な動きを志向していないことになります。そのため、IRは積極的に投資家を増やし、獲得していくといった積極策の方向ではなく、防御的な方向を志向することになると思います。ただし、投資家を獲得しないということではなく、短期的に投資家を増やすようなことではなく、中長期てきにファンとなってくれるような投資家を地道に増やしていくという方向になると思われます。それはまた、投資家とのコミュニケーションを深くしていくことによってN社に対する理解を深めてもらい、結果的には本コストの低減ということに寄与することになります。これは上場負担を少しでも軽減し、上場の継続に資することになります。

また、これに関連・付加して、株式を上場しているということは、投資家の側から見れば、N社に投資したことによってメリットがなければならないわけです。そうでなければ、だれもN社に投資しようとはしなくなります。そうなれば、N社は上場を維持することはできなくなるわけです。それは資本コストという概念で経営学上規定されています。しかし、現実の日本企業の経営の場においては、財務諸表上に数字として現われてこないし、目の前のキャッシュの動きに連動していないため、どうしても経営者に認識されていない点があります。しかし、投資家の側にとっては死活問題であるわけで、ここにおおきなギャップがあります。日本企業の経営が投資家や株主の方を向いていないと海外の投資家に言われるのは、この点にあるわけで、このギャップを埋めていくことは、経営が意識していないことであるにせよ、IRの大きな役割であり、N社にとっても例外ではありません。

また、株式を上場することには大きなメリットがある反面、これと裏腹の関係として、おおきなリスクがあります。例えば、公開買い付けといった企業買収、とりわけ敵対的買収の危険に常にさらされているわけです。そのとき、いち早く市場の動きを察知したり、情報を入手できるのがIRでもあります。それ以上に、常に市場と活発にコミュニケーションをして、そのことが投資家に広く認知されていることは買収からの間接的な防衛に繋がります。例えば、N社が活発に情報を市場に開示している場合には、敵対的なファンドが買収を仕掛けようとして、当初、隠密な動きをしようとしても市場に知れ渡ってしまう可能性が高くなります。その場合、市場の投資家はN社が公開買い付けを受ければ株価の上昇が見込めることからN社の株に対する買付が増えて、株価が上がってしまい、公開買い付けがやりにくくなるのです。

これらのことから言えることは、N社のIRにとって重要なことは、投資家との間に密接なコミュニケーションをとって、市場と良好な関係を続けて行くことということになります。投資家に対する姿勢は広く浅くではなくて、広くはなく深くという方向性です。それが、防御的ということに適合的と言えます。この場合には、大規模なマスの動きというよりも、マメなきめ細かい動きが有効となりますから、経営者以上にIR担当者レベルの活発な動きやIR施策もそういう方向性に合わせた方法が重視されてくることになってきます。

N社の置かれている状況と、N社という企業の特質から必要とされていると考えられるIRとは、以上で説明したことになると思います。このように、状況や会社が違えば、このような定義とは全く違う定義がなされることは多々あるでしょう。要は、IR活動を進めるにあたって、方針を各社で必ず検討するはずで、その時にその会社の事情に即したIRのあり方が検討されてしかるべき、というのがこの章での最終的な結論です。


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