生誕100年小山田二郎展
 

 

2014年11月30日(日) 府中市美術館

休日にわざわざ美術館に出向くなんて久しぶりのこと。たいていは、仕事で出かけたついでに近くの美術館に立ち寄るというパターンがほとんどのこと。とりたてて理由があったわけではないが、はるか以前美術館まわりをはじめたころ、今はもうない小田急美術館というバブル経済の名残りのようなデパートの美術館での回顧展で、透明なブルーの印象が思い出として残っていたからかもしれない。休日の午後、東府中の駅から散歩するように公園をそぞろ歩いて美術館に着いたところ、ちょうど学芸員による作品紹介のイベントがあるというので、20分あまりのスライドによる説明を受けた。はじめての体験で興味深かったけれど、これが作品を観るうえでプラスになるのか、私はあってもなくてもいいような。このイベントの参加者は10名足らず、展示室内も人は少なく、ゆっくりと作品を観ることができたのはよかった。最近、いくつかの美術展に行ったけれど、一番落ち着いた美術展だった。

さて、この小山田二郎という人は、身体上のハンデを抱えていたり、家族を残して失踪したりと小説のネタになるような物語が多く纏わりついた画家で、そういう物語を前提に語られがちです。作品自体も、そういう物語から受けるイメージに沿っているようなところがあります。そのような説明は、この展覧会チラシにあるので引用します。“戦後の日本美術を代表する異才・小山田二郎(1914〜1991)は、幼いころ親戚の日本画家・小堀鞆音に水彩を学び、帝国美術学校在学中にはシュルレアリスムに傾倒しました。戦後1952年には滝口修造の推薦によりタケミヤ画廊で古典を開催して注目を浴び、社会風刺や攻撃的なまでの人間洞察を含むその絵画が画壇に鮮烈な印象を与えました。1960年から府中市のアトリエ兼自宅に暮らしましたが、1971年に妻子を残し失踪、以降社会から距離を置いた隠遁生活を送ります。その衝撃的な境遇と生き様、そして、後に遺された作品群は、今なお独自の光彩を放っています。闇の中からこちらを凝視する異形の生き物。あるいは瑞々しい色彩の中に浮かび上がる幻想の世界。小山田の描く世界は、おどろおどろしい迫力の中にも、時にユーモアや優しさをも垣間見せて観る者を惹き付けます。”

ただ、私の絵画の見方は、ここで何度も述べているように、そういう物語をいったん切り捨てたいと思っているので、ここでは、そういう視点で作品の印象を述べてみたいと思います。小山田二郎という画家の紹介を主催者あいさつを引用します。

“1950年代の日本美術界の寵児であり、きわめて特異な感覚と才能の持ち主であった小山田は、今見てもなお新鮮なおどろきを与える仕事を多く残しています。彼自身の分身でもあり、すべての人間の意識に棲まう悪魔でもある《鳥女》の肖像たち。復活の兆しを見せることの無い、無惨に傷つけられた《はりつけ》などのキリスト像。あるいは、高い技術に裏打ちされた、水彩の澄みわたる幻想と怪奇の世界。いずれも戦後美術史の中に類例の無い、まさに小山田二郎という特異な「眼」を通じて表わされた、人間と世界の姿そのものです。小山田二郎は生来の病による容貌、絶頂期の失踪と社会からの隠遁といった境遇が、その一見恐ろしい画風とも重ねられて、孤独と絶望のなか生きた伝説の画家というイメージが語られてきました。しかし家族を始め身近な人に聞く彼の姿は、生真面目な一面もあり、温かくユーモアを持った魅力的な人物であったようです。本展では彼と出会った人々の心に残る記憶や証言に耳を傾けつつ、小山田二郎の生涯の画業を改めて紹介します。自身が生み出した闇の世界に生きる異形の者達に、時に優しさやユーモアさえも与えて息吹を吹き込んでいく、創造主とも言える小山田の魅力を伝える機会ともなれば幸いです。”

展覧会のチラシに使われているのは小山田の代表作とされている「はりつけ」という作品です。キリストの磔刑を題材に、一説には彼自身を描いたと言われてもいるということですが、痛めつけられた無惨な姿でかつ、何か背負っている姿を象徴的に表現したというように説明されています。ここで、突飛な比較かもしれませんが、磔刑のキリストの無惨な、それこそ目を覆いたくなるような姿を描いた、中世からルネサンスの頃のドイツの画家グリューネバルトのイーゼルハイムの祭壇画の部分を見ていただきたいと思います。そのなかで、とくにキリストの部分だけを取り出したものをさらに見ることができます。これを観ると、キリスト教の信仰というのが、当時いたに峻烈なものであったのかを想像することができますが、小山田二郎のキリストはグリューネバルトに比べてあからさまな無惨さにはなっていなくて、象徴的にそれらしいイメージを掻き立てるように巧みに雰囲気を造っているというこが分かります。具体的なことは、別のところで作品を実際に観て行くところで述べていきたいと思います。主催者あいさつで“特異”というように述べられていますが、グリューネバルトのような細工も何も無くただ直向に、本質を無意識のうちに直撃するような作品を創り出してしまったというよりは、常識との距離を冷静に測って、観る人への効果を計算した上で作品を制作していたというように思えてくるのです。だからこそ、小山だという人が、このような作品を描こうとしたのは何故かということが、私には問いかけたくなります。それは、小山田はこうする以外になかったという人ではなく、他の可能な選択肢がありながら、敢えてこのような選択肢を選んだというように、作品を観ていて思えてくるのです。私が、そのように問いかけることに明確な根拠があるわけではありません。すべては、私が作品を観て感じた主観的な思いです。その点は誤解なきように。その点では、展覧会の主催者とは、異なっているところもあり、重なっているところもありというところです。それでは、実際の作品を観ていくことにしたいと思います。なお、展示は次のような章立てでしたので、それに順じて観て行きたいと思います。

第1章    前衛からの出発

第2章    人間に棲む悪魔

第3章    多磨霊園で生まれた幻想

第4章    繭のなかの小宇宙
 

   

第1章    前衛からの出発

習作期を含めた初期の作品は戦災でほとんど消失してしまったということで、小品が数点あるだけで、とくに学生時代にどのような試行錯誤を繰り返したのか、今となっては作品で検証することができなくなっているのは残念です。そこに、小山田の方向性の萌芽があったのではないか、と思えるからです。というのも、1950年代からの作品展示は多いのですが、この時点ではすでに小山田の方向性は定まっていたと言えるからです。

美術学校時代から戦争中のいわば習作期の数少ない作品を見ている限りでは、眼で外形を見たまま写実的に描くという方向性は、学生時代か早い時点で放棄してしまって、見えないものを描くということを早くから志向していたように思えます。それは、小山田が美術学校時代に輸入されたシュルレアリスムという流行の影響かもしれません。しかし、シュルレアリスムといっても、ダリとかマグリットのようにひとつひとつの描写はリアリスティックで、それらを組み合わせた構成でだまし絵のような異化の効果を与える画家もいます。小山田の、この時期の作品を見ていると、そういうものとは異なる志向があったと思います。むしろ、シュルレアリスムは無意識への志向があり、通常の意識の下に潜む何ものかを追求しようとするというような理念に惹かれたのではないかと想像します。それゆえに、ことさらに眼で見えるものからは異質な、心理学のロールシャッハテストのような、まるでカオスのような形態を描こうとした水彩画を制作したり、まるでキュビスムに則ったような作品を制作していたようです。この時期、外形的な形を持たないモヤモヤしたものを描くことができるということをシュルレアリスムの方法論を通じて知り得たことと、ものの外形を成り立たせていることの土台への興味があって、その両方の間で揺れ動いていたという想像をしています。例えば、前者の外形を持たないモヤモヤしたものを描くというのは、シュルレアリスムのオートマティスムの手法を用いて思春期のモヤモヤした想いを画面にぶつけるように表現して見せた難波田史男の初期の不定形な水彩画(右上図)に似ている印象を覚えたのでした。ただし、色彩感覚でいえば、明るい色を並べる難波田に対して、小山田は暗く鈍い色を重ねる傾向があるので見た目の印象は異なります。他方で、定規やコンパスを用いた図形のような、まるでブラックの分析的キュビスムのような形体を描いても見せています。かといって、抽象絵画のような形そのものを放棄してしまうところまでは行きません。それらの狭間で、小山田は、目に見える感覚的なものではない何ものかを描きたいが、それは何かという試行錯誤を、この時期繰り返していたというように見えます。

「舞踏」(左上図)というタイトルで小山田は水彩画を何点も制作していますが、ここではその一点を見てみましょう。この一連の作品の制作は1950年代で、画壇で注目された時期にあたり、もはや初期とは言えないかも知れませんが、この展示の章立てのタイトルである“前衛”の要素がかたちに残されている作品として展示さていたのではないかと思います。小山田が見たとは思いませんが、私がこの作品をみていて似ていると思ったのが、カンディンスキーのミュンヘン時代の初期の作品で「クリノリン・スカート」(右下図)という作品です。カンディンスキーはガーデンパーティーの風景を単純化し図式化して、自由に色遣いで絵の具を塗りたくるような作品を作り出しました。そのようなカンディンスキー作品と似ているのではないかという視点で、小山田の作品を観てみると、視覚を構成している要素を分解して、その様々な要素の中から、自身の絵画制作に必要な要素を取捨選択しているのが分かります。私には、小山田はカンディンスキーと同じように、しかし、その意味内容はことなるのでしょうが、その要素の仲で色彩を第一に選択しているように思えます。「舞踏」つまりダンスという絵画では、ドガのように躍動する肉体の美しさや力感、あるいは筋肉の動きにともなう陰影といった魅力的な要素はすべて捨て去られ、舞踏による動きを様式化して、図案のようなものにして、そこに自由に色彩を乗せることができるようになっていると思います。多分、小山田の視覚は、学生時代のからの修行を通して、色彩を第一に、次に色彩を乗せるために形態をというような形に形成していったのではないかと思います。この「舞踏」での形態は三角形によって構成されるという幾何学的に単純化され、構図は安定している上に自由に色が塗られています。その色彩の効果において、小山田は様々な実験を試みているように見えます。カンディンスキーはこのような実験から、やがて形態をものかたちに捉われない抽象的な絵画を展開していきましたが、小山田は形態を残しながら色彩が観る者に与える影響を効果的に活用する方向に進んだのではないか、と私には思われます。

ここで展示されている作品の流れは、小山田が自身の色彩を第一にみていく傾向を自覚し、絵画制作において技法化しているプロセスと見ることができるのではないか、と思います。   

   

第2章    人間に棲む悪魔

小山田二郎の作品の作品展示の核心部です。小山田の最も有名な作品で、彼が画壇で注目された時期の作品が集められています。ここで展示されている代表作が、小山田という画家の作品のイメージを形作っています。そのイメージは、最初に紹介した主催者のあいさつに集約されていると言ってよいでしょう。

「ピエタ」(左上図)という作品です。死んだキリストをマリアが抱き悲嘆にくれるという宗教画(右上図)の伝統的な画題です。1.3×1.6mという比較的大型の画面いっぱいに描かれた黒を基調とした色彩の作品からは強烈な印象を受ける人もいることと思います。例えば“『ピエタ』の死んだキリスト、これは、ドストエフスキーがハンス・ホルバインの描いたキリストを見て、てんかんを起こしたという、その画をはるかに凌ぐ迫力と絶望の力をもってぃる。キリストをかかえている、男とも女ともつかぬ黒衣の人物、その顔は、悲嘆、恐怖、憤怒、絶望、呪詛‥‥‥どの言葉をもってしてもいいつくすことのできない表情で描かれている。その眼は何を見ているのか。何かを見ているようで、何も見てはいない。天空に向けられたいわく言いがたい眼である。要するに『ピエタ』に明確に描かれた二人の人物(聖母とキリスト)は、それ(画)を見る者を決して見てはいない。だがこの画を見ていると背筋がぞっとするような、あやしげな薄気味の悪い迫力で見詰められるような触感を覚えるのだ。その秘密は、この画にぬりこめられた種々な面貌を持った人物の眼が、きッと、こちら側を見すえるからなのだ。しかし、この徹底してうすら寒い、不気味な画の中にも、愛はあったのだ。それは死んで硬直し白骨化したキリストに接吻する女性のふくよかな、正面図として見ると泣いているような女性によって表現されているのである。小山田二郎はこの『ピエタ』によって、人間の究極的な場面における運命そのものを描いている。そこには、愛、呪い、死、叫び、驚き、それらを全部包みこんで、そういった人間のどうすることもできない運命そのものを表出しているのである。”というような文章を読むとなるほどと思うところもあります。ただし、私はこの作品を観て、そのような感動を覚えることよりも、観る人にそうさせるのは、この作品のどのようなところなのかという点です。

画面の真ん中に二等辺三角形のようなマリアと、その底辺に対して水平に横たわるかっこうになったキリストという構図は三角定規と定規の組み合わせのようで、マリアの顔も基本的には二等辺三角形の組み合わせで構成されています。口、鼻は正三角形を縦に並べられたもので、それは仰角で顔を上に向けている、つまり天を仰いでいるように見えます。これに対して、眼は頂点が下を向いた三角形を横に並べて視線を下に向けているように、つまり口と鼻が上を向いているのと反対に俯いて下に向いている様相になっています。そして、顔全体は頂点が下を向いた三角形に納まっていますが、これと反対に身体全体は頂点が上を向いた三角形です。このように、上下互い違いに三角形が入れ子のように階層化された構成で、中心の顔の中では、下向きの水平に並んだ二つの三角形と上向きの垂直に並んだ二つの三角形が対立するように配置されています。つまり、このマリアは二項対立を中心に持って、それを階層化するように対立が重層的に構成されているわけです。しかも、その対立をつくり出しているのは三角形という角張った図形です。それが二項対立をさらに尖鋭化させています。そしてまた、色彩においても、モノクロームで白と黒の二色利身を配して異なる系統の色を交えていないので、対立を煽るような効果をあげていると思います。三角形で構成された幾何学的な画面は全体としてスタティックでどっしりと安定したものですが、その中には対立を抱えた刺々しいまでの緊張感が張り詰めています。そこで改めて、マリアの顔にどのような表情が読み取れるかというと幾重にも対立を抱えた顔からは、強い緊張、具体的に言えば突出した強い感情とそれらの織り成す葛藤、あるいは混乱です。対立を抱えた強い緊張からは中間的な平静さとか慈しみといった感情の表現は生まれてきません。その強い緊張が観る者に迫ってくるのが、この作品ではないかと思います。そのように強い緊張を迫られて作品を観ると、細部の表現について、そのように意味づけられるように誘導されるといってよいのではないでしょうか。例えば、横たわるイエスの頭部が骸骨になっていることの象徴的意味について観る者の想像の方向を規制しているというわけです。

展覧会の受付を通り、会場に入った正面に、チラシやポスターにも使われている「はりつけ」(左中図)が展示されています。展覧会に来場した人は、この作品により強いファーストインプレッションを与えられるのではないでしょうか。タイトルやこの時期キリスト教の宗教にちなむようなタイトルの作品を何点も制作していることから、ここで描かれているのは、直接的には磔にされているキリストでしょう。黒を基調に暗い画面のなかで磔にされた人物の身体が青色がかっているのは、この前に見た「ピエタ」で抱きかかえられたキリストと同じ色遣いです。このことから、この作品は「ピエタ」に連なる作品であると思います。展示されていた作品を観た限りでは、これらの作品以外にも「愛」とか「母」といった宗教的な題材をと扱った作品は、同じような色遣いで描かれているようです。展覧会での説明や解説では当時の社会状況や戦争という極限状況を体験しての人間に対する視線といったことが説明されていますが、そのようなことを同時代のこととしてリアルに共感を持つことがない私にとっては、色遣いという共通性で見て行くほうが、身近にこれらの作品を見ることができると思います。つまり、黒を基調としてキャンバスの地の色とのモノクロームの色彩世界に、一部で青とかの色を入れてあげるという作品を制作する際に、その配色の効果を効果的な題材として、宗教的なもの、人間の深部を掘り下げるかのように見える題材を取り上げたと考えることもできるのではないかということです。例えば、前に引用したピエタの感想のようにキリストの死体をはりつけという虐待をうけて、その行為が人間の苦しみとか原罪とかを一身に背負った宗教的な苦しみをにじませた姿として、眼を覆いたくなるほど生々しく描いたホルバインの「墓の中の死せるキリスト」(右中図)のように迫真の写実で死体を描くことは、小山田はしていません。つまり、直接的な描写をしているわけではないのです。他方で、はりつけにされ虐待されたキリストを題材として、しかもキリストの身体を黒を基調としているにもかかわらず、死体が腐乱して黒ずんださまも考えられなくはないのに、この作品での色遣い、とくに死体の黒が透明なのです。それは青を絶妙に配合して青みがかった様相になっているのと、背後の十字架の黒と濃さのメリハリをつけているためだと思います。この絶妙な色調を活かすために、幾何学的に図案化されたような構図をとり、しかも、その構図をところどころで部分的に崩すことによって緊張感を保ちつつ機械的な冷たさが生じないようにしているように見えます。だからこそ、観る者が長時間でも、眼を背けることなく画面に見入り、イマジネーションを働かせて好き勝手な意味づけを施すことを可能にしているのではないかと思います。私は、この作品については、何よりも透明感のある青みがかった色ではないかと思います。

似たような構図の「昔の聖者」(左下図)という作品は、四角形によって構成されて、配色も赤が黒と青に加えて赤が印象的に加わっています。磔にされた跡が手のひらと足先に穴をあけられており、椅子に座っていますが、両手を左右に広げたポーズは十字架にかかっている姿を思い起こさせます。この作品は、「はりつけ」以上に直接的に迫ってくる迫力というより、じっくりと眺めてイマジネーションを触発させるようなものとなっていると思います。

これらの作品からは、三角形や四角形といったシンプルな要素を組み合わせて、これまた、数少ない色彩をつかって、イマジネイティブな世界の造形に喜々として没頭している画家の姿が彷彿されてくるのです。これらの作品が制作されたのは1950年代中ごろで、展覧会の説明では第二次世界大戦による焦土から日本が回復軌道に乗り、絵画の世界では戦火の記憶や敗戦後の混乱の記憶が残る中で、小山田の作品には、その影響で社会や人間に対する視線が根底にあったといいます。それはそうなのでしょうが、それだけにとどまるのであれば、同時代の同じ空気を吸って共感できる人たちの間だけで共有されるような観る者を限定する作品にとどまっていたはずです。しかし、そうでない私のような戦災や敗戦後の社会や人々を全く知らない者の目を惹いてしまうのは、小山田の作品が普遍性を持っていたからではないかと思います。それは、造形と色彩という点から小山田の作品を観ていくと、山田の作品のユニークなところが見えてくるように思えるのです。この展覧会で作品を通観するようにみていくと、変遷を伴いつつも、一本の筋が通っているように見えてくるのです。

小山田の作品のユニークさを支えているのは、油絵以上に多数の作品が制作された水彩画ではないかと思います。油絵作品の色彩の透明感は水彩画での経験を活かしているのではないか、水彩画の技法を油絵に用いているのではないかと、思われるのです。「晩餐」(右下図)という作品を観てみましょう。怪奇趣味の幻想絵画のような作品です。手前のテーブルに向かっているように奇妙な動物が食事をしているように見えます。手前の水平なテーブルを基準にして、水平の列をつくるように奇妙な動物が規則正しく並んでいる構成は図式化されているように見えます。それらもさることながら、背景に塗られている赤の彩色についてです。赤の色むらが滲んでいるように見えます。しかし、よく見ると、赤一色というわけではなく、白や青がところどころで混ざって、グラデーションをつくるような、混じるようで混じらない、しかも全体として色が鈍くならずに、透明感を湛えています。これは、画家の工夫した特別な技法ではないかと思います。そのような赤く塗られたバックであるにもかかわらず、赤というインパクトのある色が後ろに控えるようになって、奇妙な動物たちの存在の邪魔をすることなく、しかし、不思議な雰囲気を作り出しています。

「蛙の国」(左下下図)という作品では、薄い色を振り重ねて、重ねる色を使い分けることによって、原色の鮮やかさを残しつつも、透明感を湛えた色合いは、画面に軽妙さを与えています。そして、輪郭と少しずれたような色の置き方が構成にあそびをつくりだし、遠目には輪郭を明確に描かれているように見えながら、近くでよく見ると色がずれた遊びがあることで、画面に余裕を与えています。その際に、怪奇趣味ともいえる食卓に向かっている奇妙な動物が親近感をもてるユーモラスなキャラクターのように見えてきます。これらは、前に見た幾何学的で厳しい造形のモノクロームな油絵作品とは同じ画家とは思えない作品です。しかし、油絵作品のモノクロームな色調には、このような水彩画のカラフルな感覚が隠されていると思うと、モノクロームの色彩に対しても一筋縄ではいかないという気がしてくると思います。様々な絵の具を混ぜていくと最後には黒になってしまうといいますから、実は黒という色には多くの色が含まれているはずです。小山田の黒には、そういう色彩のバリエーションが隠されていると言えるかもしれません。そして、黒を基調していながらも画面全体が重苦しくなっていないのは、「晩餐」の赤色の背景が控えめに存在しているのと同じで、小山田の作品に通底している性質ではないかと思います。おそらく、小山田は水彩画で様々な試行錯誤を繰り返し、そこで確立した手法を油絵の制作に活用していたのではないかと思います。

水彩画でも黒を基調とした作品を制作しています。「夜(姉妹)」(右下下図)という作品です。描かれた題材が、前に見た油絵作品とは異なるものであるからかもしれませんが、全く雰囲気の異なる作品になっています。しかし、黒という色の透明感は油絵作品と変わりません。 

 

第3章    多磨霊園で生まれた幻想   

小山田は、1950年代半ばに注目され、度重なる展覧会への出展などにより作品が売れるようになり、この美術館と同じ市内である府中市の多磨霊園の近くに自宅兼アトリエを購入し、落ち着いた環境で制作するようになったそうです。このような環境変化に伴い、小山田の作風が変化していった、ということで、この時期の作品をまとめて展示したということです。

少し長くなりますが、解説を引用します。

“画面の出の大きな変化を端的に示す作品の一つは、1961年の「アダム(夜)」(右上図)である。月の浮かぶ夜の闇の中、赤い鬼が横を向いて歩いている。下唇が膨らみ、背中を丸めて歩く、小山田自身と言うべき生物である。構図はそれまでの厳密な幾何学的構成ではなく、ゆらめくような曲線と、薄塗りの油絵の具の重なりによって渦を巻くように作られており、現実の墓地の風景と幻想の世界の狭間のような不思議な空間となっている。画面全てが原色の赤、青、黄色などで布つぶされるのも、それまでになかった特徴である。小山田自身はこの画風の変化について、それまでの水彩の描き方を油彩に適用した結果であると語っている。空間構成については、シンメトリーと垂直・水平による構成から、蝸牛状の求心と遠心のよじれあう、なだらかな曲線による構成へ。モノクロームの単色から、水彩絵具の色取りへ。そして下塗りを積み重ねて行く理知的な描き方から、無意識や偶然によって生まれる形やしみを使った、現在進行形における不協和音の表現への転換である。たしかに「アダム」に見られる薄く絵具を塗り重ねていく描き方は、水彩のそれと共通している。ハイライトの白い上から点状に重ねるのも、「晩餐」を始め、それまでの水彩に頻繁に使われた手法である。そして、60年代以降の作品のもう一つの重要な特徴は、自分自身、家族など身近な人々、多磨霊園といった現実の場所に対して持つ、個人的な感傷や叙情性を隠さずに表すようになった点である。50年代の作品は自画像的と評されはしても、キリストや鳥女の姿を緻密な描き込みによって客観的に捉えようとしていた。しかし60年代以降は、「アダム(夜)」など自画像であることを隠さず、明確な形態を持たぬまま、のたうちゆらめくような筆致の重なりによって率直に心情の揺れを表現する作品が増えた。”

長い引用となりましたが、これで語り切っていると思います。

「鳥女」(左上図)という作品です。ただし、小山田は鳥女というタイトルで、シリーズもののように折に触れて何点もの作品を制作しています。鳥女という小山田自身が創り出したキャラクターに様々なものを寄託したようなものとして様々に作品を制作しているようです。ここで観るのは1965年の制作とされる油絵の作品です。そして、参考のために、前章の人間に棲む悪魔のところで展示されていた同じタイトルの1956年の油彩作品(左中図)と比べながら観て行きたいと思います。同じ題材を扱ってシリーズのようなものであるため、シンプルに鳥女が左向きの横顔を見せて一人立っているという構成も共通しているので、比較しやすいと思います。上で引用した解説が当てはまると思いますが、まずはみていきましょう。まず、ふたつの「鳥女」の大きな違いとして一目で分かるのが色彩です。鮮やかで透き通るような青を背景に、暗めの赤い衣装が印象的に映える中で、白がアクセントとなっています。これに対して56年の作品は、モノクロといっていいクロと白の対比で構成されています。そこに部分的にアクセントのように配置された青がとても透明に映って印象的です。しかし、黒というのは強い色のはずです。だから、普通は画面で黒という色は他の色より主張が強くなってしまいます。しかし、この56年の作品は画面全体の3分の2が黒く塗られているにもかかわらず、全体として黒の強い色調が迫ってこないのです。これほど黒く塗られているのにもかかわらず、真っ黒の印象がない。そこにあるのは、スタティックで静謐さとでもいう雰囲気が感じられます。これに対して、65年の作品は全体として明るい色調で鮮やかな色遣いの画面ですが、全体として暗い感じがし、色彩の多彩さというよりは赤の暗さと強さが前面に出てきているように見えます。ここに漂う雰囲気は、エネルギッシュといった感じです。それは、65年の作品が曲線主体で、上記の説明あるような線がくねくね曲がってのたうつような感じになって動きを感じさせるような効果をもたらしていることや、背景の青が一様ではなく、水彩絵具が流れているような濃淡や滲みのようにみえるのが全体として渦巻いているように見えて、それが独特のダイナミックな動感を生み出しているのです。この渦巻くような感じは、ヴァン=ゴッホの晩年近くの作品(右中図)をみるような画面での強い主張を持ったものに見えます。これに対して56年の作品は、直線によって構成されているため、65年の作品のようなダイナミックなものは、あまり感じられません。

この二つの作品を見比べていると、同じ題材を扱っているだけに、その違いが鮮明に表われてきていると思います。とくに56年の作品に比べると、65年の作品には画面から溢れ出てくるような“何か”があるように見えてきます。それにたいして、私の個人的な想像、というか妄想をちょっと述べてみたいと思います。展覧会の作品を見ていて、小山田という人は、生まれながらの画家というひとではないように、私には思えるのです。天才というような才能に衝き動かされ振り回されるというのではなく、表現衝動が強いというような迫力は画面からは感じられません。むしろ、まじめに海外を努力して勉強して画家になったという人ではないか、と私は想像してしまいます。それは、自身の病気のせいで一般的な職業に就くことができないことから、狭い選択範囲のなかで職業を選ばざるを得なかったことも、生家が比較的余裕のある家だったということも、もしかしたらあるのかもしれません。この展覧会の感想の最初のところで、小山田が展示されているような写生でもない、これらのような形態の作品をそもそも描くようになったのは、どうしてなのか、という疑問を述べました。それは、端的にいってしまうと、学校で習ったからというのではなのか、と思われるのです。こんなことを言うと、画家にはたいへん失礼なことということになるでしょうか。ただ、私には、小山田の画家としての視野とでもいうべきものは、先天的に備わっていたというよりも、画家の修行を積み重ねて行く過程で後天的に作り上げられた割合がかなり多いのではないか、と思えるのです。美術学校で先進的な教授や周囲の意欲的な友人たちに囲まれ、彼らの影響を強く受けながら、小山田自身、そういうものかしら、くらいのあまり強い意識を持つこともなく、追随するようにシュルレアリスムの影響を受けた作品を制作していた。そのような方法論からまず入ったと思われます。たぶん、まじめな性格なのでしょう。小山田は習った絵画を愚直なまでに追求していった。最初は、ヨーロッパの最先端の流行を取り入れたのですから、真似です。そこにシュルレアリスムの運動を始めた人々のような自発性のようなものはなかったのではないかと思います。だから真似と言われても仕方がない借り物のようなものだった。初期の作品「顔」などを見るとたどたどしさがあり、まるでお手本を写そうとして慣れないことをしているように見えます。習作ということもあるのでしょうが、そこには煌きとか片鱗とかが全く見られない。当時は、借り物で魂ができていなかった、つまり小山田という「私」がない作品と私には見えました。だから、小山田の精進はその方法論を習得して形をつくることに費やされたのではないか。そして、方法とか技法とかを求めて様々な試みを繰り返していくことと併行して、魂の面、というのか方法がある程度できあがって、それでものの見方がその方法によって固まってきた、そういう視野が出来てきて、ようやくものを見ることができて、それを基に描くという魂が後追いで出来上がってきたのではないかと、私には思えるのです。

私の個人的な感想ですが、方法に視野が追いついてきたのが50年代の作品なのではないかと思えます。そこで初めて、方法に個性的なものが出てきた。それが、モノトーンな色彩であり、幾何学的な画面構成です。しかし、言ってみれば、対立的性格がつよく刺々しいほど画面になっていいはずなのに、50年代の作品には個性は感じられますが、そこにはむしろ静けさとか、抑えられた感じがするのです。これは、抑えられたというのではなくて、なかったということではないのか。この50年代の作品では「はりつけ」とか「ピエタ」というような宗教的な題材を取り上げています。これは、小山田自身が魂が追いついていないことをある程度自覚していて、題材の中に、そういう魂が入ってくるようなものを意識的に選択したのではないか、と私には思えるのです。

だから、小山田という画家のユニークな点は、手先が器用で技術的には達者でありながら個性のない人であれば、その達者な技術を駆使して、派手で受けのいい迎合的な作品を量産できるのに、そのようなことをしないで、じっくりと先行した技術に魂が追いついてくるのを待っていたというところにあるのではないか思います。

「鳥女」に話題を戻しますが、65年の作品の画面から“何か”が溢れてくるよう私に見えたのは、そういう魂が技術に追いつき、そして追い越してきた、その表れではないか、と私には思えるのです。50年代の幾何学的構成から曲線主体になったのは、表現衝動が形式という殻を突破したからではないのか、そこにあらかじめ作られた形式に収まりきれない即興性が、初めて加わってきた表われのような私には思えます。そのような視点で、上で引用した説明を読み直してみると、同じ説明が違った画家像として意味が変わってくることになるのです。

前のところで、私には小山田という画家は色彩の画家ではないかということを述べました。例えば、第2章の「はりつけ」や「ピエタ」という作品は、色彩が最初にあったのではないか、その色彩に次に幾何学的な構図が出てきて、その後で、宗教的な題材という順序で作品が出来上がって行ったのではないか、という作品がつくられるプライオリティを想像してみたのです。そう考えると、第2章の展示のモノクロームのような作品に対して、ここで展示されている60年代の作品のような色彩が氾濫しているかのような変化は、小山田の抑えられていた色彩感覚が溢れ出したといえるかもしれません。例えば「人形の家」(左下図)という作品を見てみましょう。中央に画面いっぱいに黒い三角形があり、その左右の背景は赤く塗られているという単純な画面構成になっています。単純な画面構成は50年代の作品と共通していますが、50年代にあったシンメトリーとか定規で引いたような直線で図形という緊密さはなく、ゆるい、どこか崩れたものになっています。そこに、小山田の筆の流れの迸りというのか、制作のプロセスで思わず表われてしまったものを即興的に取り込んでいく、そこに画家の自発性がストレートに表われているように見えます。その代わり、いや、それに加えて、例えば左右の背景の赤く塗られた部分が水彩画の滲んだようなグラデーションが画面全体にダイナミックな動きを与えて、画面全体を生き生きとした活気あるものにしています。よく見れば、中央の三角形の黒く塗られた部分も赤い部分と同じようなグラデーションがほどこされています。そのグラデーションの中から人物と思われる形状のものが浮かび上がってくる。それ以外に円状のものが、まるで人だまのように見えなくもない。しかも、背景左側の風船のような円状のものにつながっているように見えなくもない。それらが関連しているかいないのか、それらが、黒い中から、まるで生まれてくるように見えなくもない。ある種アニミズム的といういいすぎでしょうが、多分題材としては、家と家族を描いたという物なのでしょうけれど、そこに無意識のうちに小山田の生命に対する捉え方が表われ出てしまったように見えなくもないのです。

「野火」(右下図)という作品は、第1章で見たキュビスム的な感じの幾何学的な構図の作品です。私には、「野火」という題名と画面が結び付かないのですが、ヘンテコリンな物体を無造作に並べて、小山田には珍しい黄色を基調として、真ん中の赤い円状のものとの色の対比とグラデーションを楽しむような作品と言った方が合っているような気がします。ここに、緊密な構成感はなくて、むしろ動きがあるような感じです。   

   

第4章    繭のなかの小宇宙

前章の展示で、小山田は絵画は絵画を学習していくというプロセスにおいて、まず器である形を習得し、その器にいれる魂が後追いで器に見合うようになってきた。形が充足してくるようになると、画家の自発性が、描く喜びが画面に表われるようになってきた、というように私は見た、と述べました。そうであれば、こんどは魂が形に逆に影響を与えることになるのではないか。つまり、頭で考えた他の画家との差別化ではなく、個性が表われてくるのではないか、と期待して臨みました。

しかし、ここの展示は、そのような煌きを見つけることは出来ませんでした。よく言えば、形と魂との均衡をそのまま進め充実させたということになるのでしょうか。造形の面で、あらたに創り出すということは、小山田という画家には、あまりなかったのかもしれません。ここで展示されている作品には、洗練が見られますが、逆に言うとスムーズになりすぎてしまって、この以前にあった作品を見ていて、どこかひっかかるような、観る者を作品の前に立ち止まらせるようなものが無くなってしまったように感じられます。

「鳥女」(左上図)という作品で、1979年の制作だそうです。以前にも別の作品を観ましたが、小山田は「鳥女」という題材をシリーズのように折に触れて何点も描いています。その中で、この作品は、50年代のシンメトリーで図式的な構図とモノクロームな色遣いに戻ったような作品です。しかし、50年代の作品(右図)の息詰まるような緊張感がここでは感じられます。リラックスしているといえば、よく聞こえるかも知れません。画面全体は50年代の作品のモヤモヤしたものがなくなり、隅から隅まで整理されて明確になっているようです。モノクロームに色調といっても、白と黒のグラデーションは精緻で青や黄色、赤を目立たせずに、ほんの一部分に匂わせるように織り込んで隠し味のような効果をあげているのは、小山田の技法の洗練をうかがわせます。それだけに、安心して眺めていることが出来るものになっていると思います。

「墓の道」(左下図)という水彩画です。イメージが整理された、たいへん見易い作品になっていると思います。相変わらず色調は暗いのですが、小山田の水彩画によく見られた、水彩絵具の滲みを活用してものの輪郭が曖昧になって形状がはっきりしなくて、形があるようで、ないようで、不定形といえそうな宙ぶらりんの不安を醸し出すような緊張感はなくなっています。ここでも「鳥女」のように描かれているものは明確で、それぞれの要素が何が描かれているのか(それを見る人がどう思うのか)までよく整理されています。それだけに、作品をみてあれこれ観る人が想像をふくらませるということがなくなっている作品になっていると思います。

これらは、まるで小山田が自身の作品のイメージを反芻しているように見えます。好意的に受け取れば、小山田はこの時点で自身の絵画世界を原点に還るように、自己確認していたのかもしれません。その後で、さらなる展開を考えて準備しているうちに力尽きてしまったと言えるかもしれません。私自身、個人的には、そうであってほしいと思います。

 
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