ムンク展─共鳴する魂の叫び |
2018年11月2日(金) 東京都美術館 東京都美術館のホームページの展覧会の案内ページには混雑が予想されますという表示があった。他の展覧会案内でも、混雑を予想していた。そんなに人気がある画家なのかと訝りながらも、ちょうど展覧会が始まって1週間と経たないうちに大手町に用事があり、夕方に片付いた。東京駅で午後4時過ぎの時間。昼間でもないし、いまなら空いているかも知れないと思って、出かけてみた。しかし、行ってみたら、入場の順番待ちこそなかったが、会場内は作品の前に黒山の人だかり、人気作を見るには列の順番待ち。とくに、展覧会ポスターにも使われている、有名な「叫び」を見るには策で囲われた通路に1列に並んで、警備員が立ちどまらないで下さいと説明する中で人垣から垣間見るというもの。展覧会というよりイベントに近い。そういうタイプの画家なのかと、あまりの人気に面食らって帰って来た。 おそらく代表作「叫び」は絵画好き以外の人にもひろく知られていて、ムンクという画家は知る人も多いので、こんな画家という紹介は無用だと思いますが、一応、展覧会の主催者のあいさつの一部を引用します。“ノルウェーの由緒ある家系に生まれたムンクは、病弱だった幼少期に家族の死を体験し、やがて画家になることを目指します。ヨーロッパ各地で活動しながら世紀末の思想や文学、芸術と出会うなかで、人間の内部に迫る象徴主義の影響を強く受けながら、個人的な体験に根差した独自の画風を確立し、ノルウェーの国民的画家としての地位を築きました。愛、絶望、嫉妬、孤独など人間の感情を強烈なまでに描き出した絵画は、国際的にも広く影響を及ぼし、20世紀における表現主義の潮流の先駆けにもなりました。本展覧会には、ムンクの代表作《叫び》(1910年?)が出品されます。世界一有名な絵画というべきこの《叫び》”には、技法や素材、制作年の異なるヴァージョンが4点、その他に版画作品も現存します。オスロ市立ムンク美術館所蔵のテンペラ・油彩画の《叫び》は、日本では本展覧会で初めて公開される作品です。さらに、ノルウェーへの思慕が漂う美しい風景画や、肖像画、明るい色彩が印象的な晩年の作品などをあわせて展示し、画家の幅広く豊かな創造活動を紹介します。時代を越えて私たちを魅了するムンクの芸術を、この機会にぜひお楽しみください。” 慥かにムンクは代表作の「叫び」で知られていますが、それゆえにムンクのイメージが固定化してしまっているところもあり、ムンクという画家は「叫び」だけではないということを控えめに述べているようです。かといって、有名な「叫び」を外すことはできない、そんなアンビバレントなところが主催者あいさつに表われていると思います。実際のところ、「叫び」がなければ、この展覧会の入場者数はかなり減ってしまったでしょうから。したがって、主催者あいさつでは控えめな言い方になってしまいますが、カタログの中では、「ムンクをめぐる神話」としてストレートな言い方がされていました。少し長くなりますが、その思いが伝わるものなので引用します。“ムンクといえば、まず有名な《叫び》と結びつける人が多いだろう。いまやこのモティーフは、現代人が抱える不安や疎外感を表わす普遍的なシンボルとなっている。印象的なこのイメージは、説明なくただちに理解できるだけでなく、人間の存在の根幹に関わる何かを私たちに訴える。こうした性質ゆえ、《叫び》は近代芸術における最も象徴的なイメージの一つとなり、度重なる盗難被害やオークションでの記録的価格による取引によってさらに知られるようになった。《モナ・リザ》のように、《叫び》はポップ・カルチャーにおいてもたいへん人気があり、《叫び》をコピーしたり、改変したさまざまな作品が制作されている。そのイメージはホラー映画から政治的な風刺画に至るまで、あちこちで目にすることができる。だが、作品の人気はムンクの「苦悩する芸術家」という側面だけを強調してしまう。本展への来場者は、そうした単純で省略された見方でこの画家を捉えるのではなく、より深い知識と、ニュアンスに富む理解をもって、ムンクの新たな側面に触れることになるだろう。” 例えば、ムンクの作品は《叫び》だけを見ていると突出して独自というのか、それを通り越して奇矯にすら見えますが、他の作品と並べて時系列でもいいから見ていくと、同時代の他の画家たちとの共通性がけっこう見えてきます。人の顔を平面にしてしまって、色の配列のようにしてみるのは、同じ北欧のシャルフベックと共通するし、これも代表作の「不安」と言う作品などは、アンソールの仮面を並べたようなカーニバルの絵画によく似ています。そういうところから、人間の内面とかいうよりも、造型の面で同時代の影響の中である傾向に流れていった画家で、主催者あいさつにある“。愛、絶望、嫉妬、孤独など人間の感情を強烈なまでに描き出した絵画”という評判は、見た人が勝手に感じたのを画家が、それを煽って作品に付加価値をつけたように思えたのでした。そういう私の個人的な印象ですが、個々の作品を追いかけながら、具体的に述べていきたいと思います。 1.ムンクとは誰か 展示室に入って最初の作品が「自画像」(左図)という1895年の版画(リトグラフ)です。これを見るとデッサンが上手い人であることが分かります。ちゃんと顔が描かれているというだけに、そこに施されている演技というのか、仕掛けが割合にあからさまに出ていると思います。白黒の版画の背景は黒一色の暗闇で、顔だけが身体から切り離されたように白く浮かび上がって見えます。これだけで、まるで葬儀の際に飾られる故人の遺影のようです。それが、一見写生のように描かれている顔が象徴の世界に入り込むようです。その顔は静かで、こちらの正面を向いていますが、その目は鈍くうつろで遠くに向けられているようです。また、右の瞼は少し下に垂れ下がり、内向的な印象を与えます。全体として無表情で、うつろな感じはデスマスクのような印象です。さらに、画面の下部には腕の骨が水平に描かれていて、上部には署名と制作年が記されているのが墓碑銘のようです。この作品では、自画像に死の影を濃厚に漂わせているのです。とは言え、自画像の顔の部分だけを取り出して見れば、極めて真っ当にしっかりと描写されたものです。その顔そのものには何の手も加えられていません。この作品では死の影を漂わせるような演出が施されていますが、その中で自画像の中心である顔には、その演出が施されていないのです。つまり、死の影が漂っていても、本人は何も変っていないのです。それだからと短絡的に結論を出してしまうのは性急すぎるかもしれませんが、死の影というのはムンク本人の外側で起こっていることであって、本人はそのポーズをしている。そういう姿に、この自画像は見えます。 「地獄の自画像」(左図)という、1903年に制作された作品です。自身の裸体という無防備な姿を晒しています。しかし、その裸体の肌は黄色いワックスを塗られたように彩色され、顔は仮面を被っているように表情が描きこまれておらず、ただ両目が白い穴のように空いています。これは仮面をつけた扮装のように見えます。1895年のリトグラフでは顔の周りの演出が見せていましたが、この作品でも、同じように自身の像よりも背景に手が施されています。背景は抽象的にしつらえられて、絵のタイトルの地獄の炎が燃え上がるような、荒々しいタッチの筆触があらわになって、配色も下の方が暗黒のような黒から赤を基調として、黄色/オレンジからオレンジ/茶色と上に行くに従って赤が暗くなっていく、それを筆触が縦の線で残されていて、炎が上方に向かって燃え上がるような印象です。その炎に照らし出されるように、自画像が赤くなっている。その赤は、顔から分岐して首の部分に横に線を延ばしていて、それは首を切断した傷のようにも映ります。さらに、人物の左後方にその炎に照らし出された影のような黒い大きな柱のようにせり上がっています。この背景は、ゴッホの有名な、耳切り落とし事件の発端にもなった自画像(右上図)の背景にも似ている。ムンクはそれを知って、意識的に描いたかは分かりませんが、そうすることで生まれる効果を計算して描いていたのではないか、と私には思えるのです。それが後々の「叫び」の背景にも連なっているようにも思えるのです。 「青空を背にした自画像」(右図)という1908年の作品で、こちらは赤でなく、青の背景です。青空というならば、透き通るように描くのが普通でしょうが、絵の具をぶちまけるように盛って、荒いタッチが凹凸となって残るように、しかも塗り残しのキャンバスの地が所々見えてしまうほど粗い。そのタッチで、人物の顔は厚塗りです。これらを見ていると、同じような素材を着せ替え人形にするようにして、着替えさせると見てくれの印象が変ってしまう効果を楽しんでいるように見えます。この後の展示をみていくと、ムンクの作品は塗り絵の色を変えるように同じ下絵のものをさまざまなヴァリエーションに変化させていくシリーズが目立ちますが、この自画像においても自分の姿もそういう題材として使っていたのではないかと思えてきます。このように様々に自身の姿を使いまわすことができるということは、自己に対して執着するところがないと、私には思えてきます。つまり、作品を見ていると、個人的に体験に根差して人間の内面を深く抉ったというような、この展覧会の主催者も言及しているようなムンクのイメージとは違う、外面の表層にこだわって、それ以外には関心がないという印象を受けました。 また、ムンクは生涯にわたって多数の自画像を描いたということですが、ここで見た作品が自画像である必要はあったのか、その作品自身に根拠が見つかりません。作品の画面の人物に施した細工を見れば、自己の姿への執着がない、それは関心がなくて、単に題材として扱っている。そうであれば、何も自画像ではなくて、この後のコーナーでは有名人のブロマイドのような写真をもとにした肖像画を多数描いているのだから、そのうちひとつを題材としてとりあげたっていいわけです。ここに展示されている作品を見ていると、ここに描かれているのが画家自身ではなくて、家族でも、マラルメでもイプセンでも違いはないだろうし、むしろ、誰でもない人を設定したほうが細工を施し易いはずです。解説の一節に“数々の自画像─それらは、20世紀への変わり目を生きた画家が、新たな表現に取り組む絵画実験の主題となり、名声を築き歴史に名を残す上で戦略的に自己演出する契機となる”という説明がありましたが、それが私には納得できるものでした。職業としての画家であったムンクは、当然その職業で生計をたてていかねばなりません。一般的な画家のイメージとしては、印象派に代表される近代の画家の小説や映画などで描かれているのは画商を通じて金持ちの愛好家に作品を買ってもらうか肖像画の注文を受けることでお金を稼ぐというものです。しかし、ムンクの場合は作品を売ること以上に、ヨーロッパ各地の都市で個展を開いて、その入場料収入の比重が高かったということです。いわば、ドサ回りの営業パフォーマンスです。おそらく、ムンクの描く作品傾向はお金持ちの一般的な好みに沿うようなものではなかったでしょうから、先端的な芸術運動や最新の流行に敏感な人々を対象とするものだったでしょう。しかし、そういう人々は、一部の愛好家を除けば、ムンクと同じような芸術家だったり、学生といった、だいたいにおいて若者で収入の多くない人々だったでしょう。そういう人々にまとまったお金で作品を購入してもらうということは、あまり期待できない。しかし、入場料くらいなら払ってでも作品を見てくれるでしょう。現代の美術展の入場料を払って名画を鑑賞する多数の人々も、その当の作品を購入するなど思いもよらないのと同じように。そういう商売をムンクという画家は行っていた。そこで、できるだけ収入を稼ぐためには、個展の入場者を増やさねばならない。そのためには、ムンクという画家に興味を持ってもらわなくてはならない。個展といってもそれほど長期間開催するわけではないでしょう。一定期間個展を開催したら、次は別の都市で開いて、新しい入場者を得るというためには、効果的な宣伝が必要です。そのために、ムンクという画家のイメージをアッピールするとために自画像を描いて、そこで、自身の画家のイメージを演出した。それがムンクのマーケティング戦略だったのではないか、ということです。そして、その戦略の影響は後の世の現代でも残っていて、一般的なムンクのイメージに強い影響を残している、とは言えないでしょうか。つまり、この展覧会に、ノコノコと出かけてきている私も、ムンクの戦略にハメられているというわけです。そう考えると、ムンクという画家に対して、親近感が湧いてくるではありませんか。 2.家族─死と喪失 ここからは、ムンクの生い立ちに沿っての展示になります。まずは、若い頃の習作のころから。 「カーレン・ビョルスタ」(左図)という作品です。ムンクの叔母に当たる人だということですが、自然主義的なちゃんと描けた絵画です。具体的な証拠といえるものを指摘できるわけでもなく、私の個人的な偏見なのかもしれませんが、この作品もそうなのですが、光が、例えば南仏の強い陽光とも、フランドルのどんよりした暗さとも違う、北欧の透明な光が、それを通して見えてくる独特の色彩が、この作品にはあるような気がします。淡いというのか、透明感というのか、とくに背景につよく、それを感じます。これは、私の北欧の画家を見た数少ない経験から言っているので、確かなこととは言えませんが。例えば、フィンランドの画家、ヘレン・シャルフベックの初期の作品(右図)の落ち着いた色調と似ているように感じられるのです。ムンクは。パリに出て画家達と交流したり、学んだりしたということですが、この色調は印象派の画家たちにはないものですし、それが個性として自覚されたのではないか。その個性をアッピールして、他の画家達と差別化をはかるということで見出された題材というのが、一般的なムンクの題材とされるものだったのではないか、と思われてきます。それは、さきにあげたシャルフベックもそうですが、その他にもハンマースホイとか、これらの人はムンクのように死とか不安といったものを前面に出すようなことはしていませんが、そういうものを感じさせる雰囲気をもった作品を制作していました。ムンクは、それを意識的に行ったのではないかと思えてきます。 「死と春」(左下図)という1893年の作品。ムンクらしくなってきました。棺に横たわるのは姉のソフィエでしょうか。窓の外には、春の新緑がまぶしい。ムンクの有名な作品は総じて丁寧に画面を仕上げたとはいえないような粗っぽく見えてしまうものですが、この作品では、その兆候はありますが、まだ多少は丁寧に絵の具を塗っているようです。とくに、窓の外の淡い緑を基調とした部分は、その緑がまぶしく映るように色もしっかりしています。しかし、画面の中心である、遺体については顔の部分はそれなりに描かれていますが、それ以外のところはパターンのようで、横たわる身体はとってつけたように、それらしくなっている。しかも、彩色は白に青を混ぜたような絵の具の塗りにムラが目につく。キャンバスの下地が透けて見えているところもあるほどです。陰影も殆どなくて、ベタ塗りのように平面的です。まるで、立体的に描くということを気にしていないかのようです。これでは、立体感ある人の身体に見えない。そもそも、肉体としての存在感がないのです。それは、考えてみれば、遺体という物質としては存在しているかもしれませんが、人としては存在していないに等しい、そういう存在感のなさというのは、ちょうどよいかもしれません。むしろ、この後の作品を見ていると、ムンクという人は、こういう絵の具の塗り方をするような描き方をするようになっていったので、それに適した題材として、このような存在感のない方がいいもの、例えば人の場合であれば、死人(死体も含む)とか幽霊のようなものだったのではないか。それは、前のコーナーの自画像でも見てきましたが、演技への指向(嗜好)がムンクという人にはあるようで、この作品でも、窓からのぞく屋外の新緑の風景と室内の遺体が置かれている大きな部分を違った描き方をしていて、いってみれば、その大きな部分を占める室内を手抜きのような感じで描いて、一部でしかない窓の向こうを緑鮮やかに丁寧に描いて見せています。そうすると室内の薄っぺらさ、寒々としたところが目だってきます。そういう演出をするためには、画面の中心である遺体は存在感のない方が好都合です。逆に考えると、存在感のない死体を題材とすると画面の演出がやり易くなる。例えば、続いて展示されていた「死せる母とその子」(右図)というエッチングの版画作品です。遺体で横たわっている母親の姿は、「死と春」の遺体を左右反転して使われている。ほとんど、パソコンで図をコピー・アンド・ペーストして反転させたようなものです。若くして死んだ姉の遺体と子供を残して死んだ母親の遺体は、年齢も離れているし、死の状況も違っているはずなのに、同じ物体として使いまわされている。そういう使い方に都合がいいのは、個性があって、いま、ここで生き生きと存在しているものとは正反対のもの、そういう動きがないものが好都合です。ちなみに、この「死せる母とその子」の頭を抱えて悲嘆にくれている子供の姿は、後の「叫び」のポーズの先駆と言えるほど似通っています。このことは、後で「叫び」を見るので別にしても、ムンクという画家は、死とか不安をテーマとして描いたというのではなくて、彼の描き方にとっては、死とか不安を連想させる題材がちょうどよかったから便宜上とりあげた。ちょうど時代の雰囲気に適合していたこともあって、ムンクも積極的にとりあげた。そんな推測を、この作品をはじめとした展示を見ていて思いました。 「病める子」(左図)というエッチングの版画作品です。これは、10年ほど前に描いた同じタイトルの油絵作品(右下図))を左右反転させたコピーのような作品です。まるで。ポジとネガといった写真のような関係です(現代のデジタルカメラしか知らない人には、何のことか分からないかもしれませんが)。今回の展示にはありませんが、この油絵作品は死の瞬間を悟ったかのように物憂げな表情で窓の外を見やる少女と、その少女の隣に寄り添いつつ、頭を垂れる女性を描いた作品です。ムンク自身が「私の芸術における突破口」と語ったという、初期の自然主義的な表現からの脱却を示す作品ということで知られているそうです。横顔の少女は死のベッドに横たわって、明らかに困難な呼吸困難、高度な重度の結核の症状を示しています。彼女は、後ろの壁に掛け隠し大きい濃厚な白色枕によって腰から下支えされています。彼女の下半身は重い毛布で覆われています。その毛布は緑と黄色で病気の隠喩だそうです。彼女は赤い髪をしており、肺結核の隠喩で、虚弱で、病的に淡白で空いているように見えます。多くの美術史家は死の象徴として解釈され、彼女の左に暗いと薄暗いカーテンは不吉な悪い前兆、少女の死が差し迫っていることを表していると言います。黒い服を着た黒髪の年上の女性が、少女のベッドサイドに座って、彼女の手を支えます。両者の結びつきは、各作業の正確な中心に位置する両手を握り合っていることによって確立されます。それは二人の人物が深い感情的な絆を共有することを表わしています。批評家パトリシア・ドナフエの言葉では、その年上の女性は「それ以上は何もできないことを知っている子供が、忍耐の終わりに達した人を慰めている」と、この女性の頭は、少女を直接見ることができないようなほど苦痛を帯びていて、彼女の顔は見えなくなり、鑑賞者は彼女の頭の上だけを見ることができます。ボトルは、左側のドレッシングテーブルまたはロッカーに置かれます。ぼんやりと描かれたテーブルの右側にガラスが見えます。そして、作品の主題となる少女以外は色彩が抑えられて描かれていることにより、少女の描写が際立つようになっています。また、ムンクは細い縦縞模様に絵の具を滴らせ、絵の具を厚く塗ることにより、作品に濃い色彩の層を作り出している。さらに、線を掻き削り、溶剤でぼかし、その上に絵の具を重ねることを繰り返すという独特の様式で描かれたといいます。それによって、少女以外の描写はぼんやりとしたものとなり、現実なのか死の幻想なのか判別し難いものとなっています。そして、この作品を発端として以後40年にわたり、6点の絵画や版画の3つのヴァージョンが制作され、そのうちの版画のヴァージョンが今回、展示されています。これは、後に<生命のフリーズ>と呼ばれるプロジェクトとしてまとめられることになると説明されていました。建築のフリーズ装飾を念頭に構想されたということで、この作品をはじめとして1980年代に取り組んだ絵画作品のモティーフを取り出して、組み合わせることによって連作を制作する。とくに、版画の手法で様々なヴァージョンを生み出した。その多くが、今回展示されているというわけですが、ムンク自身によれば、<生命のフリーズ>は現代の魂の生活を描写し、それは生から死までの人生─愛の始まり、高まり、闘い、消滅、生への不安、死として解釈される。要するに、愛との出会い、不安、死という人間の根源的な体験を取り上げるという芸術的プログラムだったということです。そういう、画家自ら語っていることもあって、ムンクという画家のイメージが作られていったのでしょうか。それで。この版画作品ですが、ここではモノクロという版画の制約が、却って、自然主義の油絵の実際の色彩を塗るという制約から自由に、色のことを考えずに作品を制作できるということになってきます。それは、この次に展示されている「病める子T」「病める子U」で具体的に示されることになります。この版画になった作品で見ていると、画面の二人の人物の形も自然主義的ではなくて、人形のようなパターン化しています。この形だけをみると、高山辰雄という日本画家の作品の人物に似ているように見えてきてしまいます。それだけ抽象化させていると言うことになるかもしれませんが、このようなパターン化はパーツとして使いまわすのに好都合です。ところで、先日、となりの西洋美術館でルーベンスの展覧会を見てきたのですが、ルーベンスという人は、工房を開いて多数の画家や職人を下働きさせて、彼らとの協同作業で作品を量産したわけです。その際、彼らに描かせてルーベンスの名前で最終的に作品を仕上げるために、品質を言って以上にしなくてはならず、そのために、人物などは一定の型のようなものを設定し、その型を彼らに描かせて、それを画面の中で巧みに構成配置をしていくことで、パーツの質が多少劣るところがあっても、画面全体としては見栄えのするものとなっていました。ルーベンスは人海戦術でパーツを使いまわして、それを巧みに構成することでオリジナリティや品質の高さを創造していた、構成設計の人といえます。ムンクも、同じパーツを使いまわすという点で、ルーベンスと似たところがあると思います。バロックの画家と近代の画家を同じ土俵に並べて、似ているというのは荒唐無稽と言われるかもしれません。ムンクの場合は、ルーベンスのような複雑な構成の大作を制作するわけではないので、複製とかコピーといった現代の消費文化に通じるところがあって、パーツを違った作品で同じように使いまわして、反転させるとか、色を変えるといった、ちょっとした差異を施すことによって、ヴァリエイションを作り出していった、と言えると思います。それは、さきほど触れたように近現代の生活文化が複製というものが浸透して、消費生活は複製の差異で成り立っている、例えばブランドが典型的ですが、そういう文化がベースとなって、ムンクの作品が受け入れられる土壌を作っていると思えるのです。それをムンクが自覚的に計算してやっているかは分かりませんが 。「病める子T」(左図)というリトグラフの作品では、病気の少女に絞った構図にトリミングされています。その結果、少女の顔と胸部に焦点が当てられることになりました。黄色と灰色の色調にすることによって画面全体を病的な霧が漂い、赤い線を使って結核の兆候を喚起すようにしました。少女の顔の内側と右側に空き領域を残し、死の超越を示唆する輝く光の感覚を作り出しました。ここでは、病気の少女のみが取り出され、油絵作品にあった、少女を悲しむ年上の女性は取り除かれています。それによって、子供の顔の痛みや疲労に見る者の注意を集中することになります。というように、深読みするように、さまざまに解釈することができます。そういう解釈を喚起するような、表層の変化を、むしろ、画家は狙っていたのではないか。しかも、その変化を人々が深読みして解釈してくるので、画家としては、してやったりと北叟笑んでいるような気がします。これらの作品の展示を写真のように一つの空間の中に連作を並べていたということです。その中で、死というテーマの連作の中で、この作品も並べられていたことでしょう。そうすると、このリトグラフのように同じ題材で、画面に加えられた着色が異なる作品(右図)も並んで展示されることになる。そこでは、同じような作品でも観客の反応が違う。つまり、同じ題材の作品でも、手を加え方が異なると、見る者に与える効果が変化してくる。版画という、言ってみれば量産ができる手法で同じ形の作品をつくって、そこに加える着色などの細工によって、見る者への視覚効果が変ってくる連作を制作し、それを並べて展示する。そうであるとすると、作品のテーマは別にして、画家の興味はむしろ、その視覚的効果がヴァリエィションにあったのではないかと思えてきます。テーマで見る者にアッピールするのであれば、作品ごとに構成などの画面の形を変えて、画面に何が描かれているかに注意を集めるはずです。しかし、このリトグラフを見ていると、いかに描くか、表面上の細工を工夫するかに注意が向けられて、何を描くかの興味は後退しているように見えます。むしろ、見る者の効果の変化を計るために、「死」とか「不安」といったような抽象的でシンボリックな題材にすると変化を見易かったのではないか。そう考えると、ムンクという画家は取り上げる題材よりも、見る者に与える効果の変化を見たくて、それに都合の良い題材を選んだ結果、死とか不安といった作品を手がけることが多くなっていったのではないかと想像することが出来ると思います。 3.夏の夜─孤独と憂鬱 ヨーロッパの都会での活動を続けながら、夏の間はノルウェーの漁村に小屋を手に入れて、過ごした。そこでの作品ということです。 「夏の夜、渚のインゲル」という1889年の作品です。前のコーナーの「病める子」でも触れた<生命のフリーズ>のモティーフの一つでもある浜辺にいるメランコリックな人物像の萌芽となった作品だそうです。画家の妹であるインゲルは明るい夏の夜の浜辺に白い服を着て、大きな岩の上に座り、静かに物思いに耽っています。海岸の岩は抽象的に表現され、神秘的な形をとっています。背景の海岸には漁網の竿が右から斜めに内側にスライドする明確な線として伸びていて規則的に区切られてリズムを作っています。また、インゲルの背後には波の線が水平に横切っています。これに対して、主人公であるインゲルが垂直に交錯していると言えます。また、浜辺の岩は丸まった曲線で、直線による海岸の上半部と対照ですし、赤茶色で、海の青とで対照されています。色の塗りは全体としてノッペリしていますが、インゲルの白い服のところはテクスチャが見えてくるように細かく短い筆遣いで、浮き立たせられています。しかも、その白が際立つように、それ以外の部分は色を混ぜて鈍くしてあります。それだけに、見る者の目には穏やかに調和的に映ります。海岸の竿の区切りの反復のリズム、石の整然とした配置。全体として、画面は静止した印象で、画中のインゲルは風景を見ているというより、夢うつつで坐っている。つまり、意識として現実にいない。一見、自然主義的なようでいて、当時の批評家から手厳しい反応を受けたと言います。 「メランコリー」(右図)という1894年頃作品です。5年前の「夏の夜、渚のインゲル」では白い服を着た女性が浜辺に座っていましたが、この作品では男性になりました。わずか5年の間に画面は奥行きや立体感がなくなって平面的になり、色の塗り方には陰影がなくなってベタッとした塗り絵のようです。しかも、人物や風景は簡素化されて、浜辺の岩は「夏の夜、渚のインゲル」では丸く曲線で構成されていたのが、より平面化されて、彎曲した海岸線や波あるいは空の雲の曲線など同じ平面で連なって渦巻きのように見えてきます。それらは、背景でリズミカルな鼓動を作り出しているという見方もできますが、ある心理的な不安定さ、感情的な雰囲気を作り出しているようにも感じられます。それは、画面前方の憂鬱そうに手で頭を支え、海岸に座る黒い服を着た男性の背景というか、男が顔を向けている方向の空間に拡がっているのです。しかも、色遣いが、まるで男性の心に心の混乱を風景の渦巻きとて投影しているようなに感じさせるようです。これは、「夏の夜、渚のインゲル」では、石の配置や海に立つ竿など部分的だったリズミカルな図案化を画面に大きく拡大して、全体の動きのリズムを作り出すようになっています。そして、画面上方に遠景のように桟橋に二人の人物が立っているのは、現実なのか、座っている男性の想像、おそらくは憂鬱の原因を投影させたものなのか分かりません。どちらにも見えます。というのも、この作品にまつわるエピソードとして、ムンクの友人のニルセンは画家クロスチャン・クローグの妻オーダとの間に不倫関係にあったことを題材としたと言われています。それを援用すると、画面中心の人物はニルセンであり、遠景の桟橋に立つ白い服を着た女性と男性はクローグ夫妻で、二人は桟橋からボートに乗り込んで、愛を作ってくれる島へと向かう風情です。それに対して、ニルセンは嫉妬と失恋の憂いにとらわれている。「夏の夜、渚のインゲル」では、女性がメランコリックな姿ですわっている画面でしたが、この「メランコリー」では画面の男性の憂鬱が具体的になっています。それと反比例するように、画面の描き方はリアリズムから後退し、平面的な図案のようになって、男はエピソードのニルセンであるか分からず、男性のかたちに抽象化を進めています。それが、版画の「夕暮れ、メランコリーT」(左図む)で画面は左右反転されて、まるで写真のネガフィルムのような陰画のようになってしまいます。それは、男性の心理という内側から映る景色のようです。 「赤と白」(左下図)という1899年ごろの油絵です。夏の夜の浜辺の薄明かり下で、二人の女性が描かれています。白い服を着た金髪の女性は海の方を向いて直立の姿勢でいます。一方、赤い服を着て、濃い髪色の女性は正面を向いています。この二人の女性の姿は、女性の生涯の異なる段階、あるいは性格の異なる側面を象徴していて、白衣服を着た女性は無垢と純真さを、赤い服を着た女性は成熟と情熱を表わしているという解釈があるそうです。例えば、正面を向いた女性を横長の画面で描いたという点で共通点がある(かなりこじつけですが)エドゥアール・マネの「フォリー・ベルジェールのバー」(右図)と比べて見ると、この作品の特異性が見えてくると思います。約17年前に制作されたマネの作品は正面を向いた女性像です。背後は大きな鏡で酒場の光景が映っていますが、それゆえにか平面的で奥行きがない画面になっています。しかし、その描法は点描のように煌びやかな照明に照らし出される華やかで虚ろに光る人々の衣装や装飾品が点々と描かれています。これに対して、「赤と白」の方は平面的な画面であるけれど、月明かりか星明りの薄明るい下でうすぼんやりとしているからというわけでしょうか、マネの点描のような光の粒子のような描き方に対して、ムンクはベタッ絵の具を刷毛で塗りつけるような描き方をしています。しかも塗り方にムラがあって、まるで波打っているようです。しかし、その塗りムラは背景の浜辺の波が水平であって浜の石が渦巻きであるのに対して縦の波模様のようです。それらが何らかの動きをつくって、そこに見る者が潜在的にかもしれませんが印象をうけるようなものとなっている。つまり、ベタ塗りのように見える、女性の衣装や髪は平面的な面になっていますが、それらは衣装とか髪といった姿とはべつにその不定形な面として、それ自体にある種の意味が生まれているのです。マネの場合は、女性や酒場の風景から、その形や色彩といったものが抽象化されて、それが点描的な描き方で突出するように強調されています。その形とか色彩といったものは絵画の本質的な要素です。この後の時代の抽象化された絵画、例えばキュビスムや抽象画はそういう本質的な要素を極端に突出させたものと言えます。これに対して、ムンクの作品の色の塗りムラというのは本質的な要素ではなくて、末端の要素です。絵画の視覚的な理念とは正反対の、どちらかというと触覚に近い感触のものです。抽象化というのが具体的で個別的なものから普遍的で理念的な方向を目指すとすれば、その逆の目先の個別的な手で触れるような方向です。それだから、ムンクの場合は触覚的な方向に進んでいけば、視覚的な本質要素である形とか色といったものから離れていくことになる。つまり、理想的な形を追求(自然主義絵画もそうだし、セザンヌやキュビスム)したり、色の関係によって画面を構成させる(カンディンスキーやモンドリアンのような抽象画の方向)ことからも離れることになり、形や色はぼんやりとして、人によって見えてくるものが違うのだから、その共通している最低限の部分だけ用いて上げればよくて、その共通をベースに、あとは個別的な触覚の要素で画面をつくっていく。そうなると、結果的には近代絵画の自然主義とは異なる画面が出来上がることになりますが、それは、近代絵画の理念を突き詰めた抽象化された絵画とは方向性が反対のものとなっている。それが、このムンクの「赤と白」という作品に生まれてきていると思います。私には、ムンクの特異性は、こういうところにあるのではないかと思います。 「星空の下で」(右図)という1905年頃の油絵です。二人の女性は「赤と白」の場合のように別々であったのと違って抱き合っています。この二人の姿には様々な解釈、深読みが可能で、例えば二人の間の愛と欲望という不変の現象を表わしているというとも、二人の内のこちらに顔を向けている方は吸血鬼のように相手の活力を吸い取っているという人の喪失を象徴しているとも、解釈が分かれているようです。それよりも、背景の星空の粗雑と言えるほど塗りムラが大きくキャンバスの地が透けて見えてしまっているような夜の空が、結果的にゴッホ晩年の星月夜の波がうねるような夜の空と似たように見えてしまっているのです。 「浜辺にいる二人の女」(左図)という1898年の木版画です。「赤と白」のところで述べたように着色したりして区切った面に意味があるという方向性では、木版画は面にインクをつけて紙に刷るわけですから、油絵よりも特化させた手法ということになります。ムンクは、当時のパリでゴーギャンが試みていた木版画の手法を最高にして、版木で刷る面を大きくとって、木の肌、つまりは木目がグラデーションの模様のようにうつるような手法を試みた。この作品での海岸、女性、海など別々のブロックの版木で、パズルのように重ね刷りすると、それぞれのブロックごとに配色を自由に変えられる。そこで、きっと様々なヴァリエーションを試みたのではないかと思います。結果として、ここでは2種類が展示されています。この作品でも二人の女性について象徴的な解釈が行われているようですが、それはそれでいいのですが、そういう形態の解釈では、色を変えたり、版木の肌触りがムラとなって刷られ出てくる効果といったことが考慮されていない。むしろ、ムンクの作品では、こちらの方が象徴的な解釈なんぞより、見る者に対する効果を画家は考えていたのではないか。それによって見る者に生まれる雰囲気というのか、視覚的に明確ではないのだけれど、明確にできないけれど何か感じるところがあるような肌触りとか匂いとかいったようなもの、です。 4.魂の叫び─不安と絶望 フロアがかわって、長いエスカレーターを上ると、そこだけ特に人々が集まっている展示室となります。通路は柵で囲まれて、警備員が沢山いて、立ち止まらないで下さいと絶えず注意している。おそらく、ムンクの一番有名な作品が展示されているところで、この作品目当ての人が大半なのだろうと思います。 「叫び」(右図)です。“ムンクの最も有名なモチーフである「叫び」は、人間が抱える実存的な不安と孤独と絶望の象徴となっている。オスロ・フィヨルド上空の日没時の空が見せる鮮烈な感覚を、ムンクは心の内の混乱を表わす革新的なイメージへと転換させたのだった。この絵画を観る者は、叫びとは、人間の口から放たれ、風景の中へと拡散し、それを揺り動かし、さざ波を立てていくものだと見なすかもしれない。だが、自然が叫び、両耳をふさぐ人物に激しく襲いかかっていると考えることもできるだろう。ムンクの芸術家としての感受性は、都市の匿名性や資本主義における疎外という、近代社会のもたらす副作用に反応した。彼が描いた鋭く叫びたてる人物は、自然からも、社会からも、そして内なる彼自身からも孤立しているのである”と説明されていました、この作品は程度の差があっても、このような方向性で鑑賞されてきたものではないかと思います。というより、こういう作品であるという意味づけが出来上がり、それが情報として広く膾炙して、そういうものだとして、この作品の前に立つ。そして、その情報を確認する、あるいは確認したつもりになる。そういう対し方をするのに、たいへん都合よくできている作品ではないかと思いました。このような説明を読まずに、タイトルの知らないイノセントな状態で見た場合に、そういう見方をするのかどうか。例えば、渦巻き模様で構成された奇抜なデザインと見ることもできます。ムンクの絵画は、ベタッと色を平面的に塗って、しかも、その塗りにムラがあって、それが面を塗ると筆の幅の波のような模様が画面に残る。それを逆に利用して、縞模様だったり渦巻き模様が何か意味ありげに見えてしまうような画面を結果として作りだす。この作品では、その渦巻きを人物にも意図的に応用している。そういう見方もできます。伝記的エピソードでムンクは精神のバランスを崩して療養生活を送ったとされているので、引用した説明のような解釈をされているようですが。そういうように筆を動かしていくのを身体的に楽しんで描いたかもしれません。私には、画面の粗さなどから、そんな感じがしなくもないのです。引用した説明にあるようなことについて、実際の作品には、そういう不安とか孤独といっことを描いているにしては、画面から執拗さとか、そういうのを描こうとする迫力が感じられないのです。画面の仕上げがぞんざいに見えるのです。意図的に、このような粗い画面にしているとは思えず、そうなってしまった、という印象なのです。 しかも、この作品が評判という先入観で接するパターンで扱われるということについて、画家はある程度意識的ではなかのかと、私には思えるのです。というのも、このような奇抜な、どちらかという気を衒ったような構成の作品は、初めて見る場合のインパクトは大きいのですが、それが強ければ強いほど、長く作品をみていれば慣れてしまってインパクトが薄れてくると、飽きてしまうものです。流行というのは、それによって起こる現象です。この作品は初見のインパクトを明らかに狙っていると思います。それは、ムンクという人の画家としての商売の方法にも適していると思えるからです。ムンクは個展をヨーロッパ各地に巡回しておこない、その入場料を主な収入としていたということです。各地を巡回するわけですから、同じ場所にずっと展示していて、人々に長く見てもらうことを狙っているものではないのです。それは、寺院の半永久的に飾られる宗教画や家が存続する限り邸宅に飾られる肖像画などとは違うのです。一定期間人々の前にあって、しかも、その期間内にできるだけ多くの人を集めることを目的とする。そのためには、刺激が強く、人々の話題になる方が適しています。人々が飽きる頃には、他の場所に移ってしまうわけですから。そういう目的には、この「叫び」という作品の画面のデザインは都合がいいと思います。そして、各地で飽きないうちに巡回して、見た人々の前から見ることができなくなってしまうと、言葉による感想だけが残り、それが評判としてのこり、しかも、口コミとして流通する。しかし、作品は巡回してみることができないので、情報が独り歩きします。まるで、ブランド品のマーケティング戦略と同じです。 「絶望」(左図)という作品は、「叫び」の隣に並んでいました。背景が同じではないか、って、ムンクってこういう人なのだ、やっぱり。この作品と「叫び」とは同じような背景にした前面に異なる人物を配しただけの違い、そこで画面全体の印象が変ってくる。画面の背景や人物といった各部分がモジュールのようで、それを組み替えて別の作品を仕立て上げる。まるで、共通のシャーシをプラットフォームにして異なるボディーを乗せて、別々の車種の自動車を製造する工場のようです。この作品男性は、前のコーナーで見た「メランコリー」の横顔の男性の角度を変えてみたものではないか。だから、モジュールとは言いましたが、この作品での前面の男性は、完成したものではない。「メランコリー」の男性と同じモジュールであるとしても、この「絶望」で使われている男性は、言ってみればモジュールとしてのイメージがより独立したものとなっている。それはマンガのキャラクターが物語が進むにしたがってキャラクターとしての個性が明確になって、作品の中での役割が固まってくる、つまりキャラとして成長するのと似ています。また、そのようにキャラが固まった後で、以前の「メランコリー」のような作品を見直してみると、男性のイメージがより明確になっているというような視点が変化しているので、見え方が変わってくる。そういった作品について、見方のヴァリエィションが生まれてくる。ということは、ムンクの作品は、ひとつの作品として完結していない、と言えるかもしれません。喩えて言えば連続ドラマの第1話のようなものとして個々の作品がある。では連続ドラマ全体というのは何かというと、そのシリーズを一括したまとまりとして展示する巡回個展です。それによってムンクというブラントイメージを確立していく。 木版画に着色を加えたヴァージョンの「不安」(右図)という作品が、「叫び」と「絶望」と並んで、3点が特別に展示されていました。この正面を向いた人物が、互いを認識する素振がなくて、それぞれが前を向いているというのは、ジェームズ・アンソールの作品(右上図)に通じるところがあると思います。ただ、アンソールの作品は躁状態とでも言った方がいい祝祭的なハイテンションであるのに対して、ムンクの場合は各人の孤独を想像させる欝状態といえるところが違います。この不安をモティーフにした一連のシリーズでは、前のコーナーで見た一連の作品が森や海岸といった自然と結び付いていたのに対して、町の通りや橋、道路といった都市や近代的な生活と結び付いたものとなっています。それが極端な遠近法を用いた構図で、前景と後景の間に大きな断絶を生み出し、とくに「赤い蔦」では建物の壁面を真っ赤に塗りつぶして色彩で強烈な印象(家を圧迫するよう塗られた鮮やかな赤は、それが燃えているように思わせるほどの効果を持っています)を作り出し、不快で緊張感溢れる雰囲気を醸し出しています。 その「不安」と似たような感じは「赤い蔦」(左上図)という作品の人物にも言えると思います。 おそらく、この展示コーナーがクライマックスで、ムンクこだわりのテーマを連打で見せています。 「接吻」という1897年の油絵(右図)です。わずかに開いたカーテンから窓の外の日の当たる明るさと対照的に、画面の大部分は暗い室内ですそこでは恋人たちが抱擁する親密な空間で、しかも、接吻を交わす男女の頭部は溶解したように融合してしまっています。その一体感と性的な欲動が明るい公開の場である戸外から隔絶された閉ざされた空間で抑制が外され、動き出している。それは1895年のエッチング(左図)では、もっとあからさまで、こちらの作品の男女は裸で抱き合っています。しかも、この肉体の描き方は妙に生々しいもので、とくに男性の腰の入れ方はセックスを強く暗示する腰つきです。それが木版画になると、例えば「接吻W」という1902年の作品(右下図)では、抱き合う男女は抽象的な形態に単純化され、しかも色彩は濃淡もない黒一色で、背景である室内の描写は切り捨てられます。版木の木目が背景となって、しかも、その木目が抱き合う男女の形態にも残されていて、ノイズとなって、男女の形態が純粋に図案となる邪魔をしています。 これを見ていると、ムンクの作品では背景とか主題といった画面上の優先順位というものが考えられていないのではないかと思えることがあります。この1902年の作品では木目がそのままでていて主題であるはずの抱き合う男女の像の邪魔をしているわけですから、地と図の関係が逆転とは言わないまでも、曖昧になっています。そう考えると、色を塗り残してキャンバス地が見えてしまっている場合なども、キャンバスを地としてその上に図を描くものだとはかんがえられていないように思えます。一方で、1897年の油絵作品では画面左の窓にかかったカーテンがわずかに開いて、窓外の明るさが見えています。また、1895年のエッチングでは窓のカーテンが開かれています。そこでは、程度の差はあっても外から見られているかもしれないのです。この作品で抱き合っている男女は、見られている存在で、おそらく当人たちもそれを意識していると思えます。それは、この画家の自画像でつねに演技するように自己演出していると同じです。下世話な言葉でいえば、この男女は見せ付けているのです。だから視点は背景にある。ということは、男女は客体で主体は背景にあるも知れないのです。1902年の作品では背景の描写はなくなってしまっていますが、男女にその意識は残っています。そういう関係を画家は描いている。そう考えると、背景が変ってくると、視点の主体が変ってしまうのですから客体の意味合いも変ってくる。それをシリーズとして並べて展示すると、異なる場面でそれぞれ男女が抱き合っていると、違う物語を見る者が作っていくことになるのです。 「吸血鬼」(左図)という作品です。解説では、ムンクは女性を誘惑する女、ファム・ファタールとして捉えて吸血鬼の形で表現し、男の犠牲者から血を吸う行為の最中を描いたと説明されています。しかし、タイトルを知らないで画面だけを見ていれば、「接吻」のヴァリエイションと見えるでしょう。しかも、この油絵の背景は「叫び」の背景の空の渦巻きとよく似ています。したがって、「接吻」の見られることを意識した姿の想像を掻き立てられるのではなくて、心理的な状態が背景に映し出されるような、とりわけ不安とか絶望とかいっていいような心理的に不安定な状態を背景にして、男女が抱き合っているということから、例えば、愛の曖昧さと二面性、つまり、この女性は打ちのめされた男を包み込むように抱擁している。それが同じタイトルの版画(右下図)になると、画面は弧を描く形態と、緑や青、黄土色や橙色の色面の構成といったような抽象画のようになってしまいます。ここまでくると、作品解説にあったファム・ファタールとはちょっと違うな、というのがわかります。というのも、そういう男を誘惑して、最終的には破滅させてしまう、喰い物にするような生々しさが、最初の油絵もそうですが、感じられない。男を誘惑するには、それなりの魅力、絵画で題材にされる場合にはエロティックになる場合が一般的ですが、これらの作品からはエロティシズムは感じられません。もしかしたら、現代の日本の平面の二次元的な表現の少女への“萌え”のような記号的なお約束のようなエロティシズムの形を漠然と考えていたのかと妄想してみました。とくに版画の平面的な画像は、マンガのキャラのパターン的な表現と似ているところもなくなはない。つまり、マンガのキャラはキャラクターとは違うのです。このコーナーで展示されているムンクの代表的なモチーフは吸血鬼もマドンナも伝説や聖書のものがたりの登場人物で人格や同一性を備えた人物を描写したものではないのです。単純な画像が吸血鬼とかマドンナという名前を付けられることでイメージを生み、物語とは関係なく、それ自体で流通する記号、現代で言えばキティちゃんのようなものです。それをムンクは「吸血鬼」では木版画で制作しています。版画というのはすべてそうですが、とくに木版画は版木という物質をもちいて制作するので多くの制約があります。表現者の思うようなことができないのです。例えば、筆で描くのであれば、即興的に絵の具を重ねたり、混ぜたりすることができます。あるいは線を書き足したり、線自体を滲ませたり、かすれさせたりも自由です。これに対して、木版画では線は版木を刻んで、紙に刷ります。また、「吸血鬼」の版木が展示されていましたが、何色も色を使う場合は、それぞれの色の版木を刻んで、その色ごとに刷るものです。だから予め結果がどうなるかを計算して版木をつくるのです。この「吸血鬼」という版画作品は周到に計算して制作されたものと言えます。ムンクはジグソーパズルのように多色刷りの木版を制作したと説明されてしました。色彩が混ざるのを避けるために、木版の版木をいくつかの部分に分割し、それぞれの部分に別々の色をのせるというわけです。それを紙に刷るまえに各部分が組み合わされて、色面が完璧に分離された版画が出来上がるというわけです。だから、出来上がった版画は見かけは一枚の画面だけですが、実際は複数の異なる版木の重なりで、数枚の絵画の合体なのです。その結果として出来上がった画面は、次元も時間も異なる別々の絵画に分割することができる。つまり、この「吸血鬼」は見かけ上は一枚の絵ですが、実は数枚の絵に分裂しているのです。みかけの統一は表面的で、実際は分裂している。その分裂のしかたも、色面ごとで、それぞれの色面が抽象的で、私が常識的に何かの形を表わしていると捉える形象をしていない。一見、抱擁しているように見える画像が、実は分裂していて、その分裂した各部は無意味な形なのです。そこから、ムンクの作品に人々が不安や孤独を感じ取るというのは、「叫び」のデザイン性もありますが、実はもっと構造的なのではないかと思うのです。したがって、ムンクという画家について、たしかに神経を病んで施設に収容されたり、その治療に多くの時間を費やしたという伝記的事実が知られていますが、それはゴッホが発作的に自身の耳を切り取ったりしたようなエピソードと同じように見て、直情的に自身の不安や孤独を作品にぶつけるようにして描いたというのではないということです。ここに展示されている作品を見ていると、感情的になって即興的に描いたというとは正反対に、冷静に計算して制作していることが分かるのです。 「マドンナ」もムンクの有名なパターンです。今回は3種類のリトグラフが展示されていました。このリトグラフにはプロトタイプのような油絵が前年に制作されていて(今回の展示にはありませんでしたが)、その油絵でのマリアの表現は、当時としては非常に変わったものだったといいます。というのも、20世紀に至るまでマリアの肖像は品のよい熟年の女性を描いた高踏的な芸術であることが常だったためです。この油絵に描かれた人物は十代にも見えるほど若く官能的で、好色的とまではいえぬにせよ、身をよじらせて表情豊かなポーズをとっています。彼女は後ろに手を伸ばして背をそらし、自分の肉体に鑑賞者の意識を惹き付けるものです。ただし、この変わったポーズにおいても、聖母マリアの表現法の規範となる重要な要素のいくらかは体現はしてます。まず、彼女は静謐さと穏やかな自信を湛えている。またその目を閉ざして慎ましさを表しながら、同時に上方からの光によって照らされています。より多く光を身に受けられるよう体をよじらせることで、目を向けることのないまま自分の体を見つめているのです。その油絵から派生したような、このリトグラフでは、聖人の光輪という慣例的な象徴を描くことなく、人物を取り囲む有機的な線とフォルムによってマドンナの聖性を表わし、宇宙的、神秘的な雰囲気を生み出します。同時に官能的に表わされた裸婦は、男性の視線を魅了する性的な存在です。マドンナの閉じた目と身振りは、聖なる恍惚の瞬間を示しています。また、彼女の白い肌と落ち窪んだ目とこけた頬は、病と死を想起させます。全体として見れば、マドンナの裸身を精子と胎児によって縁取られています。 6.男と女─愛、嫉妬、別れ ムンクは結婚をしなかったそうですが、このコーナーはそんなムンクの女性との関係にかかわる題材の作品を集めていました。 「目の中の目」(左図)という1899年ごろの油絵です。草原を背景に中央に二又の一本の樹木があって、その樹木を挟んで男女が向き合っている。このような構成は知恵の樹を伴うアダムとイブの伝統的なイメージを想わせると解説されていて、たしかに似ているところはあめと思いますが、この作品で目につくのは、全体の基調となっている緑色です。普通であれば、緑の草原を描いた作品であれば、それに落ち着きとか癒やしのようなリラックスした印象になるのですが、この作品の緑色は、不思議なというか異様な印象を残します。さらに異様なのは、手前の人物で、男性は顔面蒼白で死体のようにも見えます。目は瞳が点になっていて、虚ろというか、むしろ単なる穴です。他方の女性は、透き通っていて物質的な存在感がなくて、まるで幽霊のようです。しかも、二人とも胸から下はフェイドアウトするように背景に溶けこんでしまっているかのようです。 「クピドとプシュケ」(左図)という1907年の油絵作品です。ギリシャ神話の有名なキューピッドとプシュケーのエピソードで、数多くの絵画作品がありますが、そんなことよりも、全体を平面的に色に分解してしまって、縦の色の帯のモザイクのような画面になっているのは、1910年頃のクプカの「垂直線の中のクプカ夫人」を想わせます。あるいは、当時のキュビスムの影響のようにも見えます。しかし、一説では、ムンクは、縞模様の描写で、自身の不安定な精神状態やそういう感情の波が周囲の空気をつくっているを表現していて、この頃、ムンクは妄想、不安、対人恐怖症、アルコール依存症などによって精神状態は限界に達していたとも言われています。この後で見る「マラーの死」では、描かれているマラーの死体はムンク自身を象徴しているとも言われています。その真偽は分かりませんが、ムンクの伝記的なエピソードからものがたりを作り出して、それをもとに解釈するのに、好都合な描き方が、このような色の帯で構成された作品ではないかと思います。何度も繰り返すようですが、ムンク本人が実際に神経症か何かで治療を受けていたのかもしれませんが、作品を見る限りでは、直接的にそういうことを見る者が読み取り易いように綿密に演出されている、計算された画面になっているように私には思えます。 「マラーの死」(左下図)という1907年の油絵作品です。マラーはフランス革命のジャコバン派の指導者で、浴室で暗殺された場面を描いたダヴィッドの作品(右図)を想わせるところがあります。「クピドとプシュケ」と同じように、幅広い筆遣いで、色の帯で画面を構成しています。この作品では縦方向だけでなく横方向の縞模様で占められていて、画面全体にわたって縦横に交差して配置されたキャンバス地の白い隙間が見えています。この作品では、縦横の交差は横たわるマラーの死体と暗殺者の裸体の女性が直立する交差が十字を形作っています。それが画面に強い緊張感を作り出していると言います。でも、この画面を見ていると、そういう画面構成とかムンク自身を擬せているマラーの死体よりも。中央で直立している裸の女性が表情がなくて姿勢も不自然で、病的である感じを強く印象づけているところ。今回の展覧会では展示されていませんでしたが、ムンクの代表作である「思春期」の裸婦の少女を分解して、人間らしさを取り除いたようなものにしている。そういう作品ではないかと思います。 「すすり泣く裸婦」(右下図)という1913年頃の油絵作品。珍しく、生々しい人間の存在感のある作品です。こういう作品も描けるのに、平面的でパズルのような作品ばかりを描いている。この作品を見ていると、ムンクと言う画家は、「叫び」のような作品を、人々の受けを計算して意図的に制作しているということが、逆説的に分かると思います。 「生命のダンス」(左下図)という1925年の作品です。場面は夏の夜の海岸で、満月に照らされて踊る人々の光景は、人生を誕生と繁殖そして死と繰り返すドラマを表わしている。それが3人の女性が象徴的に描かれていて、左の白いドレスを着た若い女性は青春の純粋さで、右手前の花の蕾に触れるために手を差しのべている。中央の赤いドレスの女性は無表情の男性を誘惑するようにダンスをしている。そして右の喪服のような黒い服を着た年配の女性は人生が終わりつつあることをあらわし、彼女はダンスを拒むかのように両手を強く握り締めている。その背後には、群衆が踊りまわっている。というように説明されていました。この頃になると、ムンクは自身のパターンを自家薬籠中の物として、自身のイメージを拡大再生産するように作品を制作していた。下手をすると粗製乱造になりかねないが。この作品も、そういう作品の一つだと思います。とにかく、彼のセルフイメージを喚起するような仕掛けが至る所にあって、しかもあからさまなほど分かり易い。言ってみればサービス満点で、むしろファンに対する媚が見えるようです。このあたりから、ムンクの作品は陳腐化のスピードに追いつけなくなっていったと思います。それは、奇を衒ったデザインでインパクトを見る者に与えるという手法が陳腐化するのは当たり前のことで、それを目先を変えて、マーケット調査をしたかのように、人々の嗜好との微妙なズレを作り出していて延命していたのが、時代の流れに追いつかなくなったのか、自身が息切れしたのか。この後の作品は、陳腐化して、面白さを喚起するネタがすべっていくようになっていきます。 |