生誕200年「ミレー」展
親しきものたちへのまなざし
 

 

2014年9月17日(水) 府中市美術館

1年前に肺を患い入院加療して以来、久方ぶりの経過検査で、多少の不安もあって構えて望んだが、あっけなく終わり、拍子抜けすると同時に、ほっとしたものだった。それで、一気に緊張が解けてリラックスしたのと、中途半端な時刻に検査が終わって、時間が余ってしまったので、ちょうど始まってまもないミレー展に行ってみることにした。場所は府中市美術館という、職場からも、仕事上での外出先のついでに寄るのも中途半端な距離で、アクセスも便利とは言えず、わざわざ出かけるほどのことでもない、位置にあった。ちょうどいいということで、あえて行って見ることにした。

ミレーの回顧展といっても、ジョン・エヴァレット・ミレイではなくて、ジャン・フランソワ・ミレーの方である。ジョン・エヴァレット・ミレイの方は、ラファエル前派などのグループを含めて何度も見に行ったし、今年はじめに「ラファエル前派展」の投稿もしました。私にはジョン・エヴァレット・ミレイの方は比較的近しい画家であるのに対して、今回見に行ったジャン・フランソワ・ミレーの方は、名前だけは聞いたことはあるものの、疎遠にしている傾向の画家でありました。ちょうどよい機会であったので、ジャン・フランソワ・ミレーはどのような画家であるのか見てみることができたというわけです。

さて、ジャン・フランソワ・ミレーは、農民画家というかフランスの田舎バルビゾン村というところで農村の風景やそこで作業に勤しむ人々を描いたということで「落穂ひろい」とか「晩鐘」などいった代表作が日本ではことのほか人気が高い画家ということになっているようです。それまでの宗教画や歴史画、あるいは王侯貴族の肖像とはまったく違って、納所の人々という庶民の生活や労働するありのままの姿を忠実に描いた、ということで新しい絵画の可能性を開いたとか歴史で習った記憶が残っています。それよりも、荒唐無稽な神話や宗教の世界や乙に澄ました上流階級という雲の上の世界ではなくて、働く庶民を尊い姿として詩情をたたえて描いた作品に親近感をもっている日本人が多いということでしょうか。そのためか、平日の昼間、しかも郊外の、必ずしも交通の便がよいとはいえない美術館にもかかわらず、かなりの拝観者がいました。しかも、展覧会は始まったばかりの時期で、人気のほどがうかがえると思われます。学校の教科書にも作品が載っている画家なのでよく知られた画家であることは確かで、しかし、それだけで、それ以上のことまでは良く知らないというのが、私の現状でした。

展覧会の主催者のあいさつでは、ミレーについて次のように紹介し、この展示の趣旨を述べています。“ミレーは、19世紀まで絵画の主題とはなりえなかった現実の農民の労働や生活の様子を見つめ、自然のままに描くことで、荘厳な農民画の世界を生み出しました。その背景には、フランス初の風景画派の誕生の地となったバルビゾン村の自然豊かな制作環境があったことは言うまでもありません。しかし、ミレーの作品理解のためには、ノルマンディーの海辺の寒村で過ごした子供時代の記憶、9人もの子どもを慈しみ見守り続けた父親としての姿も思い出す必要があります。幼い頃から育まれた自然に対する畏敬、祖母から教育を受けた身近な者への慈愛が、ミレー作品の根幹を成しているからです。本展では、初期から晩年までのミレーの画業を通観するするとともに、これまでいわゆる「農民画」の周辺作品と捉えられがちであった、家族の肖像、生活の情景や馴染みの風景を描いた作品にも改めて焦点をあて、画家ミレーの全貌を捉え直します。”府中市美術館の館長は、ミレーについての著作も出している方のようで、自身がミレーに対する思い入れが強いようで、この展覧会に関してひとつの明確なコンセプトを打ち出していて、それがあいさつ文にも窺われます。ただ、あいさつ文では控えめに述べられているので、いまひとつ伝わっていないようです。カタログでの説明を補足的に引用しておきましょう。“本展では、全てのミレー展を見尽くしたベテランのミレー・ファンにも注目してもらえる新しいコンセプトを用意した。それがミレー絵画における「親密性」である。「親密性」とは、一般の美術用語では主にボナールやドニ、ヴュイヤールたちフランスのナビ派の画家の描く対象への心理的な親密的傾向を言う。たとえばボナールの永遠のモデルとなった妻マルトとの愛情生活と、繰り返されたそのヌードのポーズへの執着などがその典型であろう。そして主に絵画の現場となったのは室内と庭である。ミレーの場合、ボナールやナビ派、また印象主義の「親密派」であるルノワールに先んじた妻子、家族、近隣のコミュニティーとの親密な関係を描くテーマ頻出していることは周知の事実と言えよう。これには若い頃の肖像画家としての優れたキャリアが姿を変えて現出しているのである。もうひとつの「親密性」と考えられるのはその造形的な側面である。つまり、その語は画家と対象との共感による距離の近さ、及び構図の親密性をも表わす。たとえばミレーの追随者ジュル・ブルトンやレルミット、ジュリアン・デュプレらの農民画とミレーとのそれを比べてみれば、画面空間の中の対象のヴォリュームが最大限に主張されているのがミレーであって、いわば画面に無駄もなく隙もない。従ってこの場合の「親密性」は、野外を背景にした農民画に顕著に見られる。それはいかにもミレーが農作業に精通し、農民の実在性を大事にしていたかの証である。”“テーマと造形性においてミレー絵画の「親密性」は、同時代のでも古典主義に傾いたコローや社会性を強調するクールベ、また他のバルビゾン派の画家たちにおいても群を抜いている。またミレーの場合、それは親密性のもうひとつの側面である、画面から決して欲求めいたものを発しない慎ましさを基盤としている。”実際の展示については、展示作品の配置や展示方法などで、この「親密性」のコンセプトに従った配慮がなされているようでした。それは単に作品を借りてきて並べるということにとどまらず、展示のコンセプトを読むという楽しみが加わることになって、とてもいいことであると思います。

さて、引用が長くなってしまいましたが、具体的な展示の内容に移っていく前に、私のミレーに対する概観的なの印象を簡単に述べておきたいと思います。参考に、「青い服を着たポーリーヌ・オノ」という作品を見てみましょう。これは、ミーが最初の妻を描いた肖像で、上述の「親密性」をあらわす典型的な作品として展示されていたものです。展示する側は感涙ものというような意図を持っていたようですが、私には、どこかちぐはぐな印象を受けるのです。全体のバランスが取れていないというのか。女性の髪形のせいなのかもしれませんが、頭部右側の描き方が極端な絶壁頭のように見えてしまうのです。右側の途中でスパッと切れ落ちてしまっているようで後ろ側の厚みが想像できないで、扁平のように見えてしまうのです。そして、頭部と首と身体がバラバラのように一体感が感じられず、それぞれの大きさがちぐはぐです。まるで、頭部、首、身体の別々のパーツがたまたま並べて置かれているような感じです。また、彼女の顔色は土気色というのか肌の輝かしさが感じられず、ちょっと病的な見えます(実際のポーリーヌは後に結核で亡くなってしまったので、顔色はもともと良くなかったのかもしれません)。着ている衣装もタイトルは青い服とされていますが、青ではあるのでしょうが紺にちかいような黒っぽい色に見えます。全体としての色調が沈んでいるというか、くすんでいるというか全体に暗いのです。若い、しかも愛する妻を描いているのですから、全体を落ち着いた色調にしたかったのであったとしても、どこかで華やいだ色をつかって、アクセントをつけてあげてもよかっただろうに、そんな配慮はされていません。何か悪口のようですが、親密性云々の前に、ミレーという画家はそういう配慮をしてあげられるだけの技量を持ち合わせていなかったのではないか、と私には展示されていた作品をみて強く感じました。端的に言ってセンスが悪いのです。色彩は、せっかくの絵の具のもともとの色を混ぜしまうことで鈍くさせてしまったり、各色の使い方でも、全体としてどんよりとしたものになって、作品によっては何が何だか不分明な混沌状態になってしまっている。また、個々のデッサンは苦労して修得したのでしょうが、それが全体としての構成で生かしきれていないのです。この展覧会でも、ギリシャ神話の「ダフニスとクロエ」を描いた作品がありましたが、ダサイの一言しか言えないような作品です。そんなミレーが、そういうセンスの悪さという短所を目立たすことなく、むしろそれを長所として生かすことは出来ないかと探したあげく、ようやく見つけたのが農民画というものだったのではないか、バルビゾンの風景には鈍く、沈んだミレー天性の色彩感覚がハマるのです。また、空間構成をがっちりと画面に築くのが苦手なところは対象に迫るように近づくことによって、対象との距離を縮めで主観的な印象を生むことになります。映画初期の伝説で、リリアン・ギッシュという女優の美しさに心を奪われたカメラマンが我知らず彼女に近寄ってしまったことによって、クローズアップという撮影技法が生まれたといいますが、ミレーの場合は対象との距離感を上手く取れないことが幸いしたのではないか、そう私には思われます。

つまり、ミレーという画家は有り余るほど才能に恵まれた天才というのではなく、むしろ常識的な画家としては下手と位置づけられ、画家として生きていけないところに追い詰められて、都会から撤退して田舎に逃げ帰るまでして、さまざまに試行錯誤を繰り返し、悪戦苦闘の結果、自身のセンスや技量で表現できる題材に出会い、それがたまたま時代状況の変化で人々の新しい嗜好との間に接点を見出し、結果として生き残ることができたという捏造的なストーリーのような印象を持ったのでした。 

 

第1章  プロローグ 形成期   

修行時代ということでしょうか。全体としてみると、勉強しているということで、この時点から突出していたという天才肌の人ではないということが分かります。多分、絵を描くのが好きで、また田舎の農家の暮らしから逃げたいというような若い気負いがあったと勝手な想像をしてしまいますが、田舎の農村では周囲の中では絵が巧みだったことを頼みの綱に、修行を始めたというのではないか。先生について学び始めたのはいいが、田舎の天才もパリに出てくれば凡庸な生徒でしかなかった、というところだったのではないか。そこで、田舎の農民によくある鈍重ともいえる粘り強さで修行に耐えていた(蔑視的な言い方です)という印象です。余計なことを述べているかもしれません。

「男性の裸体習作」(右図)として展示されていた作品。作品というより、それ以前の習作でしょう。ここに、有り余るほどの才能の煌きを見つけることは出来ません。凡庸というべきか、拙さをほほえましいとみるか。後年のミレーの作品からの視点で、どうこう言うのは穿ちすぎかもしれませんが、全体に大雑把で細かく描きこむことはしていないとか、頭がバランスを欠くほど大きいとか、そのようなことはこの時点のミレーに対して言うほどのことでもないでしょう。

 

第2章  自画像・肖像画

ミレーは職業的な肖像画家として120点ほどを残したそうですが、そのうち他人を描いて収入を得ることができたのは半数にも満たないそうです。展示の説明では、ミレーの肖像画は、親愛なる人々へのオマージュや友人への感謝の記念といった性格が強く、まず妻、そして家族、友人というように、その出来も親愛の度合いが左右している、とされていました。この美術展のコンセプトである「親密性」が肖像画に現れている、ということでしょうか。

それは、視点を変えれば肖像画家としてスタートしたものの注文があまりなかったということではないでしょうか。本来ならば、肖像画の注文に応ずるために家族や友人の肖像を丁寧に描いている時間の余裕など取れないほうが画家として成功だったはずです。後にミレーは農民画家として方向性の舵を切ってしまうことによって肖像画を描くことはなくなって、元肖像画家という言い方を展示ではされていますが、これとてもミレーは肖像画としては生きてゆけなかったということの裏返しではないかと思います。つまり、肖像画家としてはミレーは失敗してしまったということではないのでしょうか。今回の書き方はかなり画家に対して辛く当たっているようです。しかし、例えば、「シェルブール市長ポール=オノレ・ジャバン」(左図)と題された肖像画です。シェルブール市からの注文によって描かれたこの作品に対して、市議会は受け取りを拒絶したそうです。ミレー本人はモデルであるジャバン氏を知らなかったということでハンデはあったかもしれません。それをも加味しても、それ以前のこととして、この肖像をみていると威厳ある市長の肖像という感じがしないのです。この人物は“とっちゃん坊や”に見えて、むしろ滑稽に映るのです。その大きな理由は顔と全身のバランスです。顔が不釣合いに大きく、しかも重過ぎるのです。それに対して首が小さく襟の大きさがやたら目立つし、中央下の手はまるで子供の手の大きさです。そのためもあって着ている服がお仕着せのように浮いてしまって、“馬子にも衣装”のような似合わない状態になってしまっています。そして、全体として色調が暗く、もっと人物に照明が当てられてもよさそうなものと、思ってしまうのです。そして、ミレイ自身がモデル本人を知らないのであれば、補助的に象徴的な物品とか、業績を背景に書き加えてあげればいいのに、そのような配慮も為されていません。それで、なおかつ市議会が主張していたのはシャバン氏に似ていないということです。このような作品が出来上がってくるというのであれば、肖像画の注文が来なくなるのは当然のことではないかと思います。

いい意味でも、悪い意味でもこの作品にはミレーの特徴(限界)がはっきりと露呈しているように私には思えます。その大きな点は対象との距離感の取り方が上手くできていないということです。だから、全体としてモデルを画面の中にどのように位置づけ、どのようなコンセプトで描いていくかという構成が出来ていない。だから全体のバランスが考慮されていないように見えます。逆に対象との距離感がないということになれば、それはこの展覧会のコンセプトになっている「親密性」というように映ることになるのでしょう。それは、この作品でも顔の表情には結構力が入っていて、それがアクセントとか強調の閾を越えてバランスを欠いてしまっている印象を与えています。つまり、全体を考えずに気に入ったところに描写の力が入ってしまうところです。その一方で、その他のところは手抜きが明白に分かるような描き方なのです。そしてまた、とくに小物などの肖像にちょっとした装飾となるようなパーツとか衣服と肌の質感の違いのような細かなところを描きこんで効果を生む技術がない、もしくはそんなことをする配慮がないということです。ミレーという画家の作品全般に言えることですが、精緻な筆遣いということはまったく見られません。それはミレーができなかったのか(多分こっちだと思います)、そういうことをする気がなかったです。そして、鈍い、くすんだような色調です。

ジャバン氏の肖像は、私の見るに肖像画として失敗作だったのではないか、一方、上で述べたような特徴がジャバン氏とは逆に良い方に出たのがミレーの親しい人々、とくに最初の妻であるポーリーヌ・オノを描いた作品であったと思います。ミレーという画家は対象をリアルに写実するという志向はそれほど強い人ではなく、自身の描き方の特徴である角をとった、丸みを帯びた表現で描いてしまうところがあります。それが、モデルであるポーリーヌの容貌にうまく適合しているのが第一と言えます。比較的小さな顔(今でいう小顔)であるのが控えめに映り、貴婦人のような白粉をぬった白い柔らかな肌ではなく、化粧気のないすっぴん幾分か浅黒いが、若さと屋外で磨かれたような肌の生き生きとしたつやが日頃勤勉に働いていることを表わし、小顔に比例したような小作りの顔の造作と決して豊満ではないがふくよかな曲線で構成された、繊細な感じの目や鼻が素朴な愛らしさを演出して見せています。そのような、ポーリーヌの顔が他の部分とのバランスを欠くほど力が入って、いつもミレーではありえないほど精緻に描きこまれています。例えば、小さいながら凛とした細い鼻筋は、少しばかりの赤みがお全体に繊細な印象を与えていますが、ミレーの肖像で、これほど決然と鼻筋をくっきりと描いているものは、少なくても、この展示の中にはありませんでした。そして、れが、クローズ・アップのような効果を生んでいます。女性アイドルのグラビア等によく見られる顔に焦点を絞って、他の部分をボカしてしまうことで、見るものの主観的な視野になっているかのような錯覚を与えているのに、よく似た効果を生んでいるのです。この展覧会のコンセプトである「親密性」は、ここから生まれる効果もひとつの原因ではないでしょうか。どちらかというと、派手な顔立ちとはいえないポーリーヌの例えば鼻の線の繊細さなどは、このようにクローズアップしてあげないと目に入ってきません。その意味で、実際のポーリーヌがどのような女性であるかは分かりませんが、着飾った肖像画とは一線を画した、新たな方法によって彼女の美しさを観る者に印象付ける作品になっています。

それは、「親密性」というよりは、対象への感情移入と言った方が適切なのではないかと思います。理性的に画面を構成して客観的に完成度の高い、まとまりのよい作品を仕上げる、というよりは、多少のキズが生じてもこれだけは大切というところに集中して、それを強く打ち出すことによって作品を見るものに、強く訴えかけようとする、そういう傾向です。その強い訴えかけが、ミレーの場合には「親密性」という現われ方をしているのではないか、と私にはポーリーヌの肖像画を見ていて感じられました。

ポーリーヌの肖像以外でも、「犬を抱いた少女」(右図)という作品でも、丸い造形で単純化し、輪郭を明確に画することをさけて、靄がかかったようにぼんやりとさせることによって、写真のような写実的な画像とは違って、子どもに対する潤んだような視線で見つめるときの焦点のボケのような効果を生んでいます。つまり、親しいものが少女を見つめるときに、愛しいといった感情を交えずにはいられないような、いわゆる目を細めるときに映るであろう主観的な姿を結果として画面に現わさせている、と言えるのではないでしょうか。その時に、画面の少女が画面の外側である観る者に視線を向けているのが、親しく微笑みかけてくるような印象を与える結果となります。この作品を観る者は、そこで主観的な思い入れ、あるいは共感ともいえる感情を生み出すことになるでしょう。そのときに、画面構成がバランスを欠いているとか、描写が精緻でないとか、技量的な欠点は、あえて言えば、どうでもいいことになります。さらに言えば、そういう整ったものについて回る、完璧さゆえの一種の冷たさを免れている、“あばたもえくぼ”というような、不完全であるがゆえに却って愛おしい、という効果を生んでいる、というと言いすぎでしょうか。

決して天賦の才能に恵まれていたとは言えず、描画の技量に秀でていたというのでもなく、センスも鈍い凡庸な画学生の一人、つまりはその他大勢に埋もれてしまうような画家であったミレーです。彼は、ここで、凡庸で下手であるがゆえに、それを逆手にとって、中心地パリで活躍する画家たちとは差別化し、上手下手とは異なる尺度で人々に観させる作品のきっかけを、ここで掴んでいたというと、かなりストーリーを捏造しているでしょうか。ここでは、捏造ついでに、この時点では、ミレー自身は無意識で、そのことに自覚はないし、この作品だけの一発屋で終わってしまうおそれは多々ありました。

  

第3章  家庭・生活

この展覧会では、農民の姿を英雄として描いた「農民画家」としてのミレーという見方ではなく、「人間」ミレーの姿に焦点をあてて見直してみた時に、ミレーの作品の根底にあるものとして改めて浮かび上がってくるものは、家族や身の回りの人々に対する慈愛や望郷の念など、人が誰しも思い描く普遍的な思いであるとして、それを「親密性」というコンセプトにシンボライズさせて、前面に打ち出して展示を構成させている、そこで章立てしてまとめられたのが、この展示ということになるのでしょうか。 

「鶏に餌をやる女」(左図)という作品です。農婦が右側の家から出てきて庭に飼われている鶏に餌を与えている姿です。参考として、アルベルト・アンガーというスイスの画家が同じ題名で同じ題材を扱った作品(右図)を残していますので、ミレーの特徴がよく分かると思います。両者は構図も良く似ているのですが、微妙な点が違います。まず背景から見て行きましょう。両作品とも右側に家の建物があって、農婦はそこから出てきたように描かれています。しかし、アンガーの場合は背景全部が建物の壁になっているのに対して、ミレーの場合は建物の壁は場面中央左で切れて、その奥の空間、農地がはるかに覗いています。ミレーの場合は、これによって奥行きを見て取ることができます。さらに右側の建物の壁の描き方が極端に近いほど強調された遠近法で、奥行きをさらに印象付けています。これによって、餌やりをしている農婦が立体的に浮き上がってくる効果を生んでいます。さらに、餌を啄ばむ鶏の中で、置くに離れた2羽を置いてことさらに小さく描くことによって遠近感の強調を補強しています。この離れた2羽の鶏を配置することによって観る者の視線の方向を奥の空間に誘導し、その奥の空間と農作業をしている男性に導いているのです。これに対して、アンガーの農婦は立体的に浮き上がるというよりは背景の一部となって、全体の餌やりの光景のパーツとして構成されているようです。その違いは農婦の立ち位置の違いにも表われています。アンガーの農婦は画面中央に描かれています。これに対して、ミレーの作品では農婦は中央からやや右側にずれて描かれています。そのため中央はある種の空間となっています。それは、ひとつには上述の効果で視線を導かれた奥の農地で作業している男性と、遠くと近くで離れた空間であるが画面で向かい合うようなかたちになり、それを観る者に分からせることになります。これは、ひとつには奥の男性と手前の農婦を対向させることによって奥の男性に対して農婦が力強く映るという効果を生んでいることをあげていいと思います。しかし、それ以上にミレーはどうしてこのような構図にしたのかということで、じつは農婦を中心から右にずらして位置させて開いた中央の単に地面しか描かれていない空間を介して奥の男性農夫と向き合うようになっている、この真ん中の空間こそが、この作品の中心ではないのか、そう私は思います。何も描かれていない、いわば空虚ですが、私にはミレーはここに向けて、人物の配置だの、奥行きを強調した空間構成だのをしているように思えます。ここで、ここで参考にしたのか、今回は展示されていませんが有名な「晩鐘」(右下図)という作品です。この作品では、中心をはさんで男女が頭を垂れて祈る仕草を描いています。実は、この「晩鐘」と同じように、この「鶏に餌をやる女」の男女は中心に向けて向かい合い頭を垂れているのではないか、と思われるのです。つまり、ミレーは農作業とか農家の生活を写すのではなくて、それに仮託して祈るという行為、つまりは宗教的なものを描いていたのではないかと、私には思えます。

それだからこそ、ここでの主役である農婦はアンガーの作品のように誰か分かるように写実的に細かく描写されるのではなくて、ミレイの特徴的な丸い造形で輪郭を靄がかかったようにぼんやりとさせて明確にしないことで、特定の個人をさすことなく人を一般的に表わすようになります。これは中世のイコンにも似た一種のパターン化と私は考えます。それが証拠に、この「鶏に餌をやる女」と同じような構図、構成で題材となっている行為とか舞台を変えた作品をミレーは何点も描いています。今回の展示でも、「子どもたちに食事を与える女」(左図)という展覧会ポスターでも使われた作品もそうですし、「バター作りの女」も変形されていますが当てはまります。「ミルク缶に水を注ぐ女」は対向する人物はいなくなっていますが、おなじような構成です。

そして、これらの作品で祈りの対象となるのは神様ということになるのでしょうが、この神様というのは伝統的な宗教画にあるような崇高で超絶的な神というのではなくて、もっと身近な存在であるように思えます。そのひとつは、これらの作品のサイズは様々であるとはいえ、1mにも満たない小さなものであることがまずひとつです。教会に飾られるような宗教画は大画面で見る者を圧倒し、畏怖の念を起こさせるものですが、これらの作品は小さくて、そういうことは起こりえません。そして、これらの作品で描かれている人々は神を仰ぐように見上げているのではなく、下を向いて祈っています。これは勿論、神の前で頭を下げているのでしょう。それだけではなくて、作物の恵みをもたらす大地への感謝というのか土俗的な信仰の名残のような身近な存在としての神様に感謝と祈りを捧げているように、私には見えました。「鶏に餌をやる女」で鶏に餌を投げ与えているのは、同時に恵みの大地に感謝の捧げものをしてもいるのではないか、これは穿ちすぎではあるかもしれませんが、この農婦の間近に空虚な中心としての祈りの対象となる神の空間をおくことで、それも故なしとはいえないと思いますし、それだけに神というものに「親密性」を与えることによって、作品を成立させることができた、と私は思います。

さらに、画面を正面からの視点ではなく斜めからの視線で捉え、構成を左右対称にして均衡をはかるのではないものにしているということは、客観性を持たせるのではなく、主観的な性格を与えているように見えます。つまりは、農村の生活風景として、改めてひとつの完結した世界を画面に構築するというよりは、ピンナップ写真のように主観的に断面を切り取ったようなティストを与えるために、ある程度意図的につくられた視点と構図ではないか、と私には思われます。それは、従来の歴史画や宗教画のような余所行きのあらたまった画面とは違うし、かといってリアルな写実とも違う、農家の自然に生活らしさをミレーが、いかにもそれらしく、しかも農家に行ったことのないパリという都会の人にも見やすいようにつくった絵画世界だったのではないかと思います。それは、一種のノスタルジックなユートピアというのでしょうか。例えば、現代の日本において昭和30年代の東京オリンピックを日本が元気で希望に満ち溢れていた時代であるかのように、当時生まれていない若い人々までもが“昔は良かった”とでもいうように見ている。そういう異世界をミレーの農家を描いた作品は、結果として作り出そうとしたことになったのではないか、と私には思えるのです。その世界がリアルにフランスの田舎の農家の生活を写実したものでなかったからこそ、アメリカや日本でミレーの作品が受け容れられた。これは、もともと故郷というものを最初から持てなかったアメリカの人々や国を挙げての近代化政策で伝統的な農村を否定的に見ることを強いられた日本のエリート層にとっては、手頃な代替物としてうまくフィットすることができたのではないか、と想像できます。そこでは、ぼんやりとした描法や画面構成の不均衡さは、むしろノスタルジックなユートピアの幻想性として、人々の想像を邪魔することのない好ましいものに映ったのではないでしょうか。そして、身近なものとして神に祈るというのは、近代化され科学的な志向がいきわたろうとする風潮に敵対することなく、その渦中の人々の心の隙間に入り込むことを可能とした、とくにノスタルジックなユートピアに惹かれるような人々に対してはなおさらです。ただし、このようなことをミレー自身が意識して、それを意図的にやったということではないでしょう。それは、即品が制作された後に、尾鰭がついていってのことだろうことです。

さらについでです。この「鶏に餌をやる女」の餌をやっている農婦のポーズは、「種撒く人」のポーズとそっくりです。だから、ミレーは明らかに、構図とか、ポーズとか、題材とかを使い回しして作品を制作しているのが分かります。

ミレー自身は、パリではやっていけず故郷にもどったはいいが、肖像画家として生きる道は閉ざされてしまう。たしかに、妻をはじめとして家族や親しい人の肖像を描くことによって、自らの特徴を自覚して、それを生かす方向というのがありえることに気付いたのではないでしょうか。ここで、どのような経緯でミレーが農村や農家を描くようになったのかは分かりません。しかし、結果として、そういう題材がミレーの特徴的な描き方が欠点とならない可能性のあるものだったことは確かです。そこで、ミレーの作風も件の肖像画から変化していきます。そのひとつが、肖像画では1人の人物を描くことであったのを2人以上の人物を、しかもその人物たちの織り成す関係を描くことになった点です。この兆候は、ミレーの妻を描いた肖像画にも生じていたと考えられます。それは、モデルである妻と制作者であるミレーの関係が作品に表れてきていたと考えられる。肖像画というのは言ってみればモノローグのようなもので、モデルの人物が大ホールの聴衆を前に講師となって講演をするようなものです。しかし、ミレーの描いた妻の肖像画は、ミレーと妻の対話のようなものになっています。それが絵を観る者にとっては、ミレーに代わって絵に対峙するわけで、そこで話しかけられているだけでなく対話をしているような親密性を感じることになります。その対話を画面の中に持ち込んで、画面の中の人物たちにそういう動きや表情をさせる形になっています。それが画中で人々が向き合う構図だったり、客観性を感じさせないバランスをはずした構成だったりであるわけです。そこに、これまで欠点て思われていた自身の特徴を個性の表れとして生かすことを方法論としてつくりえた、と言えるのではないでしょうか。

   

第4章  大地・自然

ミレーという画家は、バルビゾン派などというレッテルで学校で習い「晩鐘」や「落穂拾い」などの浩瀚な代表作のイメージが先にたって、農民画家というように見られがちということで、私もそういう先入見を持っていました。実際のところ、ミレーは農村出身ではあるものの、農業を放棄し都会で画家の修行をした「都会人」であり、全作品が400点と言われる中で農作業を描いた作品は100点に満たないと説明されています。今回の展覧会では、ミレーを、「人間と大地・自然との営み」の1年のサイクルをつぶさに描いた画家というように捉えているといいます。四季折々の移り行く自然の姿と緊密に関係づけながら、大地を耕し、種をまき、牛や羊を放牧して育て、森を守りながら後にその恵みに与る人間を描いた、と言います。

とにかく作品を見て行きましょう。「種まく人」(左図)という作品です。ミレーはこの題材を何点も制作していて、山梨美術館にあるものとボストン美術館にあるものが有名なようです。この作品は、それらの前に制作されたもので、サイズもひと回り小さく、後の作品に比べると大胆さもほどほどという印象です。有名な作品ということですが、まず、私は、この作品をみていて何が書かれているのかよく分からない作品でした。というのも、このように画像で観ると、そうでもないのですが、実際に作品を観ていると、鈍い色彩で描かれていて、もともと輪郭をはっきりと描く人ではないこともあって、しかも全体が日陰に入っているかのように、どんよりした空の下でほの暗い状況で、さらにくすんでしまっているというようなことが相俟って、全体にぼんやりとして描かれているものの形がはっきりしないのです。抽象的な絵画のように、最初からもののかたちを歪めたり、かたち自体を描くことをやめてしまった絵画ならば、その画面をみて感覚的にかんじたり、あれこれ勝手に想像したりできます。この場合、そういう作品にはかたちのないということを明確にうちだしたり、色彩を前面にあらわしたり、そういうものとして提示してくれます。これに対して、このミレーの作品では、何かしらの題材(こういうときは主題というのでしょう)が呈示されているらしいのは分かるのですが、その呈示されているのが何なのか、こちらには分からないというようなのです。かろうじて、どんよりと暗い空の下で、斜面のようなところで一人の男が立って、なにかのポーズをしている、よく観るとそのようにみえる。それが私には精一杯です。題名が「種まく人」というので、これが種をまくということなのか。当時のフランス農業では種をまくというのはどのようにやられていたのか、そもそも分からないし、そして、何よりも描かれている画面からは男がどのようなポーズを取っているのかは、よくよく凝視しても判然としません。

このことから、私には上で説明されているような「農民画家」とか「人間と大地・自然の営み」というような画家としてミレーを捉えるということは難しいと思っています。そうであれば、もっと見易く描いてもいいのではないか、と私には思われるのです。このような「種まく人」の描き方をしているのは、ミレーという画家に特徴的な描き方によることもあるのですが、それ以上に意図的なものを感じるのです。ものの本に依れば、種をまくというのは聖書にも記述がある「種まく人」のたとえ話(例えばマタイ伝第13章)で、ある人が種をまいたうち、ある種は道端に落ちて鳥に食べられ、ある種は石地に落ちて枯れてしまい、よい地に落ちたものだけが成長してたくさんの実を結ぶ。その種まく人というのは神の比喩で夕方に良き土地に教えという種をまいている。そのような象徴的な比喩があった。そうであれば、種まく人が個人と特定できるように農夫とはっきりと分かりすぎてしまうと、神の象徴性が感じられなくなる。また、種をまくという、いまだ神の教えが受け容れられていない暗い無明にちかいという状況をあらわすには、相応の暗い画面にする必要がある。ということは、農作業を描くということは、手段であるわけです。そのことから、ミレーが農村や農作業そのものに魅力を感じたとか、農民として共感をもって描いたといえるのか、どうもそのようには私には思えません。

ただし、このような絵画の対象を選択肢として見い出したのはミレーのオリジナリティであろうことは否定するつもりはありません。絵画の修行をするのは都会でなければならないはずで、そこで修行したのは都会出身者のみとは限らないはずで、ミレーと同じような地方出身者、農村出身者がいなかったはずはないと思います。そこでなぜ、ミレーだけが、このようなものを描けたのか。単にミレーが農家の出身ということだけではないのではないか。そこに、ミレーという人の持っていた、色彩感覚の鈍さというのか、よく言えば渋好み、作品がどんよりとして見栄えがしないという作風が関わっているのではないかと思います。また、描写もそれほど巧みとは思えない。ましてや社交的な卒のなさとも縁がなさそう。そうであれば、肖像画家やパトロンから注文を受けることの競争に勝てる可能性は極めて少ない。だからこそ、ミレーは競争の激しい都会を離れて田舎に逃げ出したのではないかと思います。田舎であれば、現金収入は少なくても、何とか食べて行ける。そしてまた、そこで絵を買って入れるのは地方都市のブルジョワであったと思われますから、その人々に分かりやすい、あるいはその人の現状、例えば地方に住んでいることを称揚してあげる内容のようなものを題材にするというマーケットニーズ。そして、一方、渋好みの作風で都会の華やかな世界に適合したものは描けない、しかし、田舎の農村のくたびれたような風景は、逆にキリスト教の「貧しきものは幸いなり」的な視点で称揚するように描くには、ミレーの作風はむしろ適合しているように考えられます。たまたまそうなったとか、結果としてそうなったとかいうことによるのでしょうが、ミレーという人が作品の対象の選択肢として農村とか農作業が視野の中に入っていて、そういう要素と結び付いたのが、結果としてミレーのよく知られた作品を生み出していくことになったのではないか。そこには、16世紀のオランダ絵画の間接的影響とか、写真の出現とか様々な要素が絡み合っているのかもしれませんが。少なくとも、ミレーの絵画を受け容れるような人々が存在し、それをミレーをどのような経緯か分かりませんが、認識したということなのではないかと思います。これは「種まく人」を見ていて、勝手に私が想像したことで、資料の裏づけとかそういうものはありません。

「落穂拾い夏」(左上図)という作品です。“収穫された麦が、大きな積み藁の形に集められている。この土地の豊かさを象徴するかのような積み藁を背景にして、3人の女たちが大地に落ちた穂を拾っている。収穫物の一部は、土地を持たない貧しい人々に分け与える目的で、「落ち穂」として大地に残された。この習慣は土地の所有者が大地の恵みを占有するのではなく、貧しい階層の人々と共有するという一面において、農村共同体における慈愛に満ちた習慣として捉えることができる。”と説明されています。旧約聖書申命記には“あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。”という一節があるそうです。またルツ記には、まさにそのようにして貧民に施しをする物語が記されていると言います。だからというわけではありませんが、ミレーは、ある種の宗教画あるいは道徳的なストーリーを盛り込んだものとして、その題材を今までにない現代の農村らしき風景にとったと言えないでしょうか。古典主義の大家ニコラ・プッサンがルツ記の物語を描いた「刈り入れ人たちの休憩(ルツとボアズ)」(右上図、参考にミレーの同じ主題の作品が右下図)と比べてみると、ミレーの作品のくすんだ色調が一種のもの悲しさを漂わせているのが分かります。また、プッサンの作品は牧歌的な性格が強く、貧しさとか哀れさという要素は感じられず、近代的な目で見れば古代の絵空事のようにも見えてしまうのに対して、ミレーの作品では現代風であるがゆえに、感情移入しやすいものとなっていると思います。プッサンとは違って、ミレーの作品では落穂拾いをする3人の女性に近づいて、クローズアップするように画面に占める面積を大きくとって、それ以外の背景は明瞭に描くことをしないがゆえに、3人の女性に視線が集まり、3人の女性を中心に作品を見つめることとなり、観る者が思い入れをしやすい画面になっています。ミレー独特の鈍い、くすんだ色調が3人の女性の服のくたびれた貧乏くさい感じにちょうどぴったりと合っていて、顔の表情を細かく描きこまないことで、観る者に想像させることを促し、そのために観る者が画面に主観的に関わることになってくるわけです。

「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」(左図)という作品は山梨美術館に所有されているということもあって、比較的よく知られた作品ではないでしょうか。ミレーの作品は有名な「晩鐘」もそうですが、夕暮れの薄暗く、徐々に暗くなっていくにつれてものの輪郭がぼんやりと闇に溶けていく状態を描いたものが目立つように思います。この作品などは、その典型的なものです。同じ、薄暗い状態でも夜明け前の、これから明るくなる状況を描いたものは、この展示ではありませんでした。そこにミレーという画家の好みというか、夕暮れのくすんだ感じ、あるいは夜という闇に向かっていくところの方にある種の傾向があるのかもしれません。ここまで見てきた3点の農村を描いた作品は、それぞれサイズは大きいものではなく、小品か、それより少し大きいという程度です。ブルジョワの家庭のプライベートな空間で、多少の教訓も感じられるという意味合いで、あまり邪魔にならず飾られるというのにはちょうどいいのではないか、と思えます。

 
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