ジョン・エヴァレット・ミレイ展
 


ジョン・エヴァレット・ミレー展 2008年9月10日 BUNKAMURA ザ・ミュージアム  

久しぶりに美術展に行った。当日の午後に、丸の内の三菱UFJ信託銀行の株券電子化説明会を受ける。午後4時に終わったので、迷った末、会社に帰らず、東京駅から山手線で渋谷に行く。駅前交差点の人混みでは、違和感ありあり。

夕方にさしかかった時間であったものの、美術館には、若い女性が多かった。ビジネス・スーツの中年男性は浮きまくっていた。印象派やルネサンスのような若い女性に受けるものなのか?世紀末のラファエル前派なんかはマニアックで暗めの世界というのは古いのか?

さて、その印象はというと。誠実、うまい、優等生、そんな言葉が出てくる。それが、ミレーの作品には出来不出来のムラが少なく、平均的な水準が高いが、突出したものがない、という性格を反映していると思う。19世紀大英帝国のブルジョワの枠、それがぎりぎりの境界に迫ったところまで行ったとしても…。受け取る側では、それが長所となるのだろうけれど。

例えば、ポスターにある有名な「オフィーリア」を見てほしい。ハムレットに裏切られたと誤解し、川の流れに身を投げて溺死した光景。美しい少女が未だ生きているかのように見えながら、目に光はなく、虚ろな表情になっている。力のない手には流れてきた花が絡まっている。周りには、可憐な花が咲き、まるで何かを象徴しているかのよう。画面からは、川のせせらぎか遥かに鳥の囀りが聞こえてきそうな静かさ、それは誰の目にも留まらないようなひっそりした寂しさがあらわれている。描写はリアルで、モデルがそこにいるようだ。イコノロジーでいう象徴的な小物がちりばめられている(具体的に何がどうかは判らない。不勉強のため。)。背景は細部に至るまで写実的で丁寧に描かれている。

実物は、以前に東京都美術館のテイトギャラリー展で見ていたので二回目だったが、そのときの記憶ではもっと小さいものだった。それは、全体の印象が譬えていえば箱庭のよう、スケールを感じなかったから。前にも言ったけれど、枠を跳び出すような突出したところがない。こじんまりしている。

試に、この絵を普通の家のリビングの壁に飾ったらどうだろうか。とくに絵が好きだとか、ラファエル前派のファンというのではなくて、単にリビングを飾りたいというというような、ごく普通の家で、とくに違和感なく、綺麗な絵としてリビングを引き立てるのではないだろうか。これが溺死した少女の死体を描いたものだとは、良く見なければがつかない。それが、ミレーという画家の特徴であり、魅力ではないかと思う。

ミレーが活躍したころのイギリスは、太陽の沈まないといわれた大英帝国の最盛期で、俗にビクトリア期と言われる。この繁栄を支えたのはブルジョワジーの産業資本家で、それ以前のジェントリーといわれる貴族階級にとって代わっていった。それによって、画家の生計の道も変化して行ったと思われる。つまり、画家への主な発注者であった貴族が衰弱していくのに代わって、顧客として重きを置くようになってきたのが、そのブルジョワジーと言える。どちらかという、豪放で自らの力を周囲に誇示することが必要だった貴族階級は、身だしなみや住まいなどのような自分とその周囲を飾り立てなければならず、豪華で派手なことが求められた。画家もそのために動員されたと言える。だから、19世紀までの時点で絵画のヒエラルキーとして歴史画がもっともランクが高いとされたのは、そのようなニーズによるものだったと思う。貴族の豪華な邸宅や城の大きな壁を飾るために、その貴族の事績を美化した大作の絵で飾る、というのが歴史画だから。例えば、ダヴィッドの『ナポレオンの戴冠』のような豪華な絵を描くことで、画家は大きな収入を得ていた。

このような貴族に対して、ブルジョワジーは資本家が主な人々といえる。資本家は経済的な利潤をあげてのし上がってきたということから、貴族にはないコスト計算が主要な関心事となってくる。あるいは、貴族のような権力の誇示の必要がない。そして、ブルジョワジーの倫理のベースにはプロテスタンティズムの質実で倹約を尊ぶ精神が流れていたため、豪華な邸宅を構え、壁面を大作の絵で飾るという発想はなかったといえる。彼らは、商売上の必要からロンドンのような狭い都会に住み、貴族の館に比べれば狭いアパートに居を構えた。ただし、新興階級としての文化的な劣等感を貴族に対して持っていたことなどもあり、貴族階級の装飾であった絵画や音楽などを芸術として自分たちなりに消化していった。それに応じて、画家の新たな顧客として貴族に取って代わるようになったと思われる。いわゆる小市民とよばれる彼らの日常生活を彩るような、こじんまりした小品のような作品にニーズが移ったのではないかと思う。それと、ミレーもたくさん描いているが、肖像画を描くことが、画家の大きな収入の道だったのではないかと思う。

また、もう一つ、画家にとって大きな転機となったのは、写真の発明だったと思う。後に、写真が普及し、ピンナップというような日常生活の一場面を簡単に写真で残すことができたり、肖像写真が肖像画に代わるものとして現われると、画家のテリトリーを侵食されるわけで、画家は生き残るために、写真ではできない絵画独自のものを追求することで写真に対して差別化を図ならなくてはならなくなる。その点で、人為的な幻想世界をつくるのは写真にはできないことだった。その意味で、ミレーのやっていたことは、当時の時代のニーズを的確に捉えたものだったと言える。

これは、展覧会カタログなどには書かれていないことで、画家の内発的な動機とか、芸術的な影響関係のようなことには触れられている。私には、画家は霞を食べて生きていたわけではなく、絵を描くことで生活の糧を稼いでいたわけで、絵画には商品としての側面があったわけで、そういう面で絵画を見てしまう。つまり、この作品を金を出して買いたいと思うかという視点で。そういう点で、ミレーという画家は、とてもバランスのとれた実績を残した画家だったと思う。ただし、後世から見れば、だからこその物足りなさのようなものも感じる。

それらは、具体的な作品を見ることで考えていきたいと思う。


両親の家のキリスト(大工の仕事場) 

ミレイ初の宗教画として、発表され、当時の権威から激しく批判されたという。

大工である父親の仕事場で幼いイエス(画面中央)が手に釘を刺してしまうところを父親と聖アンナ(画面中央奥)が目にする。これは、後の磔刑になって掌に釘を打ち付けられることを暗示しているのか。幼い洗礼者ヨハネが水を持ってくる(画面右)。多分、後のキリストに洗礼を施すことを暗示しているのか。そして、中央では聖母マリアと幼いキリストが向い合い、跪く聖母の苦悶に満ちた仕種は、彼が祝福の手を挙げたときに聖母が不吉なものの予兆を嗅ぎ取ったことを意味するという。そして、当時の人々が批判したのは、この聖母が聖母のイメージとは程遠い、予兆に苦悶する憔悴しきった表情を浮かべていることで、聖なるものを理想化しないのは堕落したものと受け取られたためという。

後世から、この批判は的外れなどというのは後出しじゃんけんのようでフェアではないだろう。しかし、比較として、ムリーリョの「聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ」(右図)を見ると、バロック期のスペインのこの作品が似たような題材を扱っているが、こっちは理想化されていると見えるだろうか。そもそも、理想化というけれど、永遠の理想というのは理念としてあるように仮想している。しかし、実際にこのような絵画で理想的な女性を形にするという場合、時代の風俗の影響による変遷にさらされているのではないかと思う。もっと下世話な美女ということになれば、時代や地域によって、実際のこういう顔というのが違ってくるのではないか。

仮に、ミレイのこの「両親の家のキリスト」を中世の修道院や寺院に飾るとしたら、そういう批判が出てきても納得できるでしょう。ここでは俗世間の欲望や葛藤から自由になって、清澄な雰囲気の中で一心に神に仕える場というわけですから。普通に生活する信者もキリスト教徒たる者、それを理想として実践していかなければならないのでしょうが、実生活では、そのようなことを言っていれば、現実の生活はままならなくなってしまう。そこで、実践的には建前と本音、オモテとウラの使い分けということが起こる。修道院とか寺院と言うのは、神に仕える場ですから、生活者が実践する建前の本音の建て前の部分だけで生活しているような、プライベートを切り捨てた全部おおやけのような世界です。そこでは、個人的な感情というのは、建前に対する本音の部分に基づくものなので抑えられる。その姿が中世の天使や聖人を描いた表情のない顔に表われているように思う。それが、人間的な表情を浮かべる、ミレイのマリアが理想化されていないと評価される理由の一つというのなら、納得性はあると思う。また、支配階級としての国王や貴族の城や邸宅の中の礼拝所に飾る場合でも、おおやけ中心に生活がつくられ、ほとんどがオープンにされている世界では、教会に準じたものとして、表情豊かなマリアを描いた絵画というのは、違和感があるのは納得できると思う。

しかし、当時の新興階級として勃興してきたブルジョワの家やアパートの室内に飾る場合を考えてみると。ちょうどこのころから私生活、いわゆるプライバシーというものが市民社会の家庭生活の成立とともに発生してきた。それ以前の君主や聖職者というのは全てがおおやけで、その生活はオープンにされていた。そうすることで支配の正当化を図ってきたと言える。例えば、フランスのベルサイユ宮殿では国王の服装は皆からみられ、食事も何を食べているか公衆の面前で摂られていた。これに対して、ブルジョワの食事は家族、あるいは親しい友人といった比較的内輪で非公開で行われた。そのため、住まいというものも、君主の城や宮殿、あるいは寺院のような原則として公開を前提にしたものではなくて、原則的に非公開な閉じたものと言えた。そのような室内で飾られる絵として、建前の世界向けに書かれたものがフィットするだろうか。プライベートな生活と言うのは、他人に見せたくない部分を多分に含んでいるもので、そこに人間的に懊悩なんかを超越した悟りきったような聖像があっても、浮いてしまうのではないかと思う。そこでニーズに応えようと言う試みとして、このミレイの「両親の家のキリスト」を見てよいのではないかと思う。

この作品を見て、第一印象として聖家族という神々しさ、というよりは家族としての親しみ易さの方を感じるのではないか。それは、まず大工の仕事場という生活感にあると思う。それは、ブルジョワというのが仕事をする、働く勤勉さというのが倫理のベースになっているからだ。大工の父親が仕事をしている周りを子供が遊びまわり母親が見守る、というのはブルジョワの家庭生活を肯定することになる。イエス・キリストというのはそういうところから出てきたというわけ。そして、その仕事場にいる家族は、普通の生活する人間と変わらないという描かれ方。このことが、君主や僧侶という普通とは違う生活をしている人から見れば、理想化されていないと映ったのだろう。だからこそ、描かれた人々に人間的な表情が必要だったと思う。

そして、もうひとつ、マリアにしろキリストにしろ、描かれた表情は単に釘による傷を痛がる子供、それを気遣う母親というだけにとどまっていないこと。ここにこの作品を批判する人々とは違う基準での理想化が行われている。しかも、それをブルジョワの家庭では理解していたのではないか、と思われることが挙げられる。マリアの深刻な表情は、単なる子供のけがを心配する母親といには、表情が重すぎる。これは、後に人類の罪を背負い十字架にかけられ、今と同じように掌に釘を打ちつけられるキリストの運命をそこに感じての表情として描き込まれているのではないか。一方キリストにしても、単にけがを母親に慰めてもらっている、にとどまらず、母親に対して慈悲深い表情を浮かべているようにも見える。つまり、当時のブルジョワの教養と信仰に対する態度がそこに反映し、画家の意図は理解されていたと思われるし、その程度まで描き込まれることに対する需要があったのではないか。つまり、単に普通の家族を描いたのではなくて、宗教的な信仰に結びつく需要も高かった。それは、ヴィクトリア調といわれるような風俗、後世からみれば取り澄ましたような道徳をやけに強調する風潮からは、ブルジョワの自負と貴族等の旧支配階級に対する対抗意識が当然あるわけです。そこでは、ある面でのエリート意識のようなものはあったはずであり、そういう人々にとって、ミレイのこの作品を見るには、ある程度の予備知識が必要不可欠という、ただし、それほど難しいことを求めているわけではないというのは、ブルジョワのエリート意識をくすぐるものであったのではないか。

そしてまた、大工と言うブルーカラーの庶民層の人々を描いているわれには、貧乏臭さとか、汚らしさのようなものはない。どちらかと言うと古代の無垢な時代というように居間に飾っても、そういう点で室内の雰囲気を壊すものでもない。

そして、描かれている人物に表情があるということは、観る側の人間にとっては、感情移入ということができ、それだけ画面の人物にリアリティや親近感を、より感じられるのではないか。例えば、マリアの表情というのは、背後にあるストーリーも分りやすいし、一種の紋切り型として、同情というような感情移入ができるのではないか。ちょうど、ハリウッド映画のヒロインに対するような形で。

それを、ミレイが意識しているかどうかは、分らない。しかし、この時代の画家は顧客としてブルジョワが有力になってきていたはずだし、何よりも絵を顧客に売らない限りは、画家の生活の糧は得られなかったはずだから。


マリアナ 

テニスンがシェイクスピアの『尺には尺を』から引用して詠んだ『マリアナ』という詩を基に製作されたものだと言う。マリアナは難破により持参金を失ったため婚約者アンジェロに捨てられ、堀で囲まれた館で孤独な生活を送る女性で、アンジェロへの想いを断ち切れずにいる。

『オフィーリア』にせよ、『大工の家のキリスト』にせよ、この『マリアナ』にせよ、物語の一部を切り取ったような作品で、ミレイには、実際の物語に依拠していなくても、物語を連想させるような作品が多い。それは、時代のニーズというものもあったのではないかと思う。ミレイという画家は、後に確固たる地位を築き、賞賛をうけた成功者となったから、というわけではないけれど、時代を見る目というものがあったのではないかと思う。それが、いい意味でも悪い意味でもミレイの作品に特徴となって現れているのではないか。ミレイの頃の時代を、画家の生活に関連する点から考えてみると、次のようなことが言えるのではないかと思う。一番大きな点は、時代を支配する階級がそれまでの貴族階級から新興のブルジョワに代わったということではないかと思う。両者の違いを少し見ていくと、画家のあり方にたいする影響が大きいことが、具体的に想像できるのではないか。まず、大きな違いとしてブルジョワは職業に就いていたり、事業を起こしたりして自らの生活を自分稼ぎで成り立たせているのに対して、貴族は自分で稼がないということだ。つまり、貴族はブルジョワの基準でみれば始終余暇だということ、だから美術や音楽に玄人はだしで高い見識を持っていたりする。しかも、今でいう芸術家は音楽家も画家も貴族のお抱えの使用人だったケースが多い。有名な作曲家のハイドンはハンガリーの貴族エステルハージ家のお抱え楽団の楽長として多数の交響曲を作曲している。その一方で、貴族は一般庶民を支配し、貢納により生活していくために、それを民衆に納得させる必要があった。豪華な宮殿や華麗な衣装、あるいは儀式といったものは単なる贅沢ではなくて、民衆に対して圧倒的な優位を示す実際的な機能があったと言われている。そのために、装飾も不可欠で、絵画もその一部して機能を果たしていと言える。だから、貴族にとっては生存のために、画家に注文をつけ描かせていた。これに対して、画家は貴族の注文に忠実に応える職人、つまり、卓抜した技能が強く要求されたと思う。これに対して、ブルジョワは自分の職業を持ち、自分で生活の糧を稼ぐ人々であった。彼らが絵画を見るのは、主に余暇としてであって、貴族のように私生活を豪華に見せる必要もなかった。しかし、日中の大半の時間を仕事に費やすため、貴族のように芸術を嗜む時間の余裕はなかったはずだ。だから、当然素人のレベルに留まる。だから、画家は貴族の使用人して身分を保証され、うけた注文にたいしては高い技能で応え、それを評価されるということで、ある程度技能に専念できた。しかし、ブルジョワを画家を使用人として雇うことなく、注文できる見識もない。高い技能を評価することもない。となると、画家としても、貴族に対するような職人では通用しなくなる。この場合には、ブルジョワに分りやすく、余暇のニーズに応えるような作品を作って示してあげることが肝要になってくる。だから、職人に徹しているだけではだめで、企画力の比重が高くなってくる。

そして、第2の特徴として、ブルジョワが社会を担うことにより、消費社会が出現し、市場が生まれたということだ。市場でやり取りされるは、もちろん商品であり、絵画も商品としての性格を帯びることになる。市場でやり取りされる商品の特徴とは何かという、価値の抽象性とでもいうことだ。絵画というのは多大な手間と労苦によって製作される。これまでは、貴族はそういうことを理解し評価してくれたわけで、それはその絵画固有の価値ということになる。しかし、市場ではそういう苦労から切り離され、それに取引でいくらの値段が付けられるかによって価値が量られる。絵画の価値は市場で決められる、これを交換価値という、つまり、市場で需要と供給があって交換される際に価値が決められる。だから、いくら高い技能で製作された絵画であっても売れないものは価値が低いものと看做されてしまう。だから、製作する側では、いかに高い価値をつけてもらえるかは売れるという要素の比重が高くなる。そこで重要になるのは、どういう題材を扱うとかいうような企画力である。

3番目の特徴として、絵画だけに関わるだが、写真の発明ということが挙げられる。今まで、画家が苦労して時間をかけて描いていた風景や肖像を写真は一瞬にして写してしまう。しかも、本物そっくりに。時間と、写実という点で絵画は写真に敵わない。つまり、強力なライバルが出現してきた。実際、実力の差は明白なので、正面から競争したのでは絵画に勝ち目はない。そこで、写真にはできないことを、絵画の特徴を生かして生き残りを賭けて行かなくてはならない。そこでも、重要となるのは企画力ではないか。そういうことが、ミレイの当時の絵画をとりまく状況としてあったと考えられる。

そう考えた時に、ミレイの作品を見ていると、今から見ても、これまで説明してきたことに上手く対処しているなあと感心してしまう。

とまあ、ここまで書いたけれど、これだけでは空疎に聞こえる。実際の作品で、それがどのように現れているかが分らないといけない。

まず、この絵の典拠している物語の主人公であるマリアナと言う女性のポーズが、動作の途中を切り取ったものであること。このことが、当時の写真では、技術的に難しかったダイナミックな動きを画面に与えている。閉じ込められたような動きのない室内で、このような動きの途中を切り取ることで、マリアナという女性を生き生きとして描き、静的な室内環境と対照的に描き出すことによって、彼女の閉じ込められたような境遇と、そのなかで煩悶するような物語を想像させる。そこで、注目すべきはマリアナの動き、ポーズだ。腰に手を当てて、少しのけぞるような、背伸びをするようなところにある。腰に手を当てて、背中と尻をこちらに向けのけ反るようなポーズは、歌舞伎の『京鹿の子娘道成寺』の中でも見せ場に同じようなポーズがあるけれど、ひとつのクライマックスとして、意中の男性に想いを馳せ悶々とする様が現れている。例えば、亡くなった先代の中村歌右衛門の踊りは、ここで極限までのけ反ることでアクロバチックな見せ場と、少女の想いの深さを業として表現していた。これに対して、ミレイの画面では手が当てられた腰の豊かさが強調されるように大きめに描かれていて、成熟した女性であることを示している。それだけに、想う男性から遠ざけられ悶々とするにも、ほんの少し性的なニュアンスが匂う。それが豊かな腰を強調し、さらにのけ反りながら、こころもち腰が揺れるようなS字のカーブを描いていることに現われている。さらに、衣服が比較的身体にピッタリと貼り付くようで身体の線、女性の身体の曲線がなぞられる様に描かれている。それは、直接ヌード画像を描くのではなく、想像を掻き立てさせることにより、エロスを感じさせるとも言える。それは、物語が埋め込まれていることで、さらに想像を促す。一方で、直接ヌード画像が描かれているわけではないので、体面を大切にするビクトリア期のブルジョワにとって、周囲を憚ることなくこの画面に魅入ることが叶うことになる。というわけで、この作品は、ブルジョワの小市民性の中で隠された欲望のニーズに無意識のうちに応えることになっている。そのあたりの点が、ミレイの作品が当時は受け容れられ、画家が亡くなると忘れ去られたことと大きく関係しているのではないか。 


 エステル 

写真の発明によって、肖像画という画家の大きな生計の道が従来のままでは、成り立たなくなったときに、画家は生き残りを賭けて何をしたか。ということがこの作品よく現われていると思う。また、ミレイと言う画家がそのようなニーズを如何に的確にとらえ、巧みに応えていったかも分かる。『マリアナ』の所でも書きましたが、写真に出来ないことに特化することによって、差別化し絵画の有利性を強調するというのがそれです。現代のマーケティング戦略そのもので、私がそのような目で見てしまっているからのか、それほど、ミレイの戦略性、別の言葉で言えば政治性は際立っている。

エステルというのは聖書にでてくる古代の女性で、バビロン捕囚の後のころのユダヤの女性でペルシャ王の後宮に入り、王妃となってハマンによるユダヤ人虐殺から同胞を守るため、意を決してアハシュエロス王の部屋に入る場面を描いている。召されずに王に会見することは禁じられているため、エステルにとっては生死を賭けた行為であったことを活写している。

しかし、この女性の顔をよく見てほしい、およそユダヤ人には見えない。典型的なイギリス人の顔をしている。それもそのはずで、実際の実在する女性を描いている。いうなれば古代のエステルに扮した肖像画を描いているのである。写真にはできない、絵画の独自性として、具体的にここで行われているのはフィクションを描くことである。そのために空間構成や、舞台設定、小物の配置、本人の扮装などを人工的に作り上げる。これは、単にあるものを写すだけの写真にはできないことで、しかも、画面全体をそれらしくリアルに見せるために描き方で様々な工夫をしている。さらに肖像画の特性として、誰が描かれているかを明らかにするためにポーズも現実には難しい恰好をさせている。この場合も、王の部屋に入ろうとする動きと、肖像である顔が分らねばならない。それを無理のない形で画面に収める工夫と、エステルの物語性を画面に持ち込む工夫と、さらには、大理石の柱石を舞台とするというような写真では作ることが難しい画面を作っている。また、『オフィーリア』では様々な花や『マリアナ』では婚約指輪や床や卓上の落ち葉といった小物の配置に象徴性を持たせて、物語を想起させる効果を上げさせている。ここでは、髪飾りを外させ、敢えて結っていた髪を解いて、性的な隠喩と官能性を表わしたりと、様々に深読みできる記号を巧みに配置している。

また、画面での空間構成がブルジョワの居間に飾られるのに見合うようなコンパクトに構成されている。大広間ではなく、実際に生活される家屋の適度の広さの室内にちょうど収まるように、この作品では空間の一部を切り取ったような形にしていて、壁に人物が相対しているような構図のため奥行が省略できるように工夫している。さらに、白、黄色、青という原色を対立的に使い、装飾的効果をあげて、人工的な空間を作り出している。これは、当時のウォルター・ペイターやオスカー・ワイルド等による唯美主義的な芸術運動の影響とも言われている。官能的で豪奢な、ときに時代的性格が曖昧になるという特徴は、この作品にも当てはまるのではないか。同じような時代の影響をうけ、平面的な場面づくりで共通する、ロセッティの『見よ、われは主のはした女なり』(左図)やホイッスラーの『白のシンフォニー』(右図)と見比べると、ミレーの特徴が際立ってくる。例えば、ロセッティの作品が白い壁やシーツ等で全体を白を基調にして清楚な雰囲気の中で金髪や赤い小道具を部分的に目立たせているのに対して、ミレイは大理石の柱と壁で白を基調にしつつもカーテンの青とエステルが纏う黄色が平等に拮抗するように描かれていることで緊張感を与え、場面の緊迫感を高めている。さらにややもすれば、ロセッティが細部を強調するあまり全体のバランスを欠いてしまう印象があるのに対して、ミレイは全体とのバランスを考えている。一方、ホイッスラーの作品は白を基調にして清楚で静的な作品になっているのに対して、ミレイは平面的な空間でも人物に動きを与え、それを感じさせない。これを見てみると、ロセッティやホイッスラーは部分にこだわる傾向があるのに対して、ミレイは常にバランスを考えている。その点が、ミレイの作品のどれもが収まりはいいけれど、突出した強烈な個性の噴出がないという印象に通じると思う。

 

肖像画

ミレーと言う画家は、本質的に肖像画家であったように思う。そして、実際に肖像画家として売れっ子となり成功したわけだが、ここで展示されている作品を見ていると、その理由も分る気もする。まず作品として立派であること。多分、モデルの特徴を上手くとらえて似ているものであること。巧みにモデルの美点を生かして依頼主であるモデルにも満足感を与えたであろうこと。そして、単なる肖像であることを越えて、ラファエル前派の特徴である物語を想起させるような場面や動きが描かれた人物に生き生きした生命感を与え、今にも動き出しそうな絵にリアリティを感じさせるようになっている。例えば、ここにある子供の画などは、敢えて寝顔を描いているが本人が目の前に居るような気にさせる。また、3人の婦人がテーブルでカード遊びをする作品などは、それぞれの特徴を服装やポーズ、座る位置などで巧みに表現している。おそらく、これらの肖像画は、依頼者の住居に一室に飾られ、依頼者本人が亡くなった後も、その人の思い出として代々飾られているのであろう。だから、市場に出回ったり、展覧会に出品されるものは少ないのではないか。しかし、ミレイという画家の本領は有名な『オフィーリア』のような作品ではなく、数多描かれた肖像画にあったように思う。しかも、王侯貴族ではなく、当時勃興していたブルジョワを主な対象とした、その趣味や文化に沿いながらも、唯美主義やラファエル前派の影響を受け世紀末の作り物めいた作品を丁寧に作り続けた。そして、顧客層がブルジョワということで、商品として絵画を扱った。それは、顧客のニーズというものを考慮してマーケティング的な志向を持ち、商品の品質を揃えるため大胆な試みをして時代に取り残されることは避けながらも過激になって人々から浮いてしまわないような節度は保つというバランス感覚を持っていた。つまり、マルクスが『資本論』の最初で商品の抽象性として説明していたような、商品価値は、作り手の苦労や商品の品質などといった商品に内在する価値によるのではなく、市場で交換されるときに交換されるものとして与えられるものの価値によって量られるものだ、ということが絵画にも当てはまるようになっていた。それをミレイという画家は意識的にか無意識のうちにか消化していたと思う。それが、この画家が成功した原点もあるし、反面では限界でもあったと印象に通じると思う。

 
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