没後20年麻田浩展…静謐なる楽園の廃墟 |
2017年10月15日(日)練馬区立美術館
麻田浩という画家は、いつものとおり知識に乏しい私には初めて名を聞くので、紹介をかねて、展覧会パンフレットの主催者あいさつを引用します。“麻田浩(1931~97)は、日本画家、麻田辨自を父に、同じく日本画家、鷹司(1928~87、2000年に当館で回顧展を開催)を兄に持つ、美術家の一家に生まれました。同志社大学経済学部に入学するものの、画家への道は捨てきれず、新制作協会に出品、在学中に初入選を果たします。初期にはアンフォルメルに傾倒しましたが、1963年、初めてのヨーロッパ旅行にて古典絵画を再確認したことで、徐々に変化が表れます。1971年、39歳のとき再度渡欧。パリを拠点に、より幻想的な風景画を生み出し、新制作展や安井賞展などに出品し続けました。また、ヨーロッパ滞在期には版画制作にも力を入れ、カンヌ国際版画ビエンナーレではグランプリを獲得。フランス・ドイツ・ベルギーなどでも個展を開催しています。1982年、50歳で帰国。京都に戻り、京都市立芸術大学西洋画科の教授を務めながら、水滴や羽根などの自然物を配した「原風景」とともに、「原都市」と名づけられた美しき廃墟空間を描き続けました。1995年には京都市文化功労者となり、同年に第13回宮本三郎記念賞を受賞するなど活躍を続けていましたが、1997年、65歳で自ら命を絶つこととなります。本年は麻田が没して20年という記念の年にあたります。初期から晩年まで、約140点の油彩画、版画等を通し、麻田の画業を振り返る展覧会です。”
引用した主催者あいさつとは、ニュアンスがずれてしまうようですが、このような私なりの視点で、以下で作品を展示順に見ていきたいと思います。 第1章 画家としての出発
第2章 変化する意識と画風
しかし、それよりも、「浮上風景」では真ん中の水色の長方形を取り囲むような幻想的な背景の何ともいえない透明感あるブルーとグリーンの色調の組合せだったり、「落下土風景」では茶色の色調の地面の下半分と上半分の灰色に近いグリーンの色調の対比の真ん中にブルーの風景が挿入されている。そういう色彩のセンス。それが「水の風景」という作品での深いグリーンで統一された画面をみていると、上で述べたような何が描かれているかということよりも、この色調で画面が占められているという、その雰囲気の味わいとかイメージに惹かれるところがあります。 ここまでが、1階の展示室。いったんロビーに出て2階の展示室に階段を上がります。言ってみれば、ここまでが序章のようなもので、これから本番というところです。 第3章 パリへ
2階の展示室で最初に目に飛び込んできたのは、「原風景(赤)」という1.5m四方の大きな作品で、前面に塗られた赤は鮮烈でした。それは、センスの良さがまずあって、赤の鮮烈さあるのにどぎつさがなく、落ち着きがあって、しかも透明感がある。地面を描いているので、けっして原色とか抽象的な赤ではなくて、少しくすんだような、汚れたようなところがあるのですが、それが現実的な存在感を生んでいる。この人の色の使い方の感覚は、絵の方向性はまったく違うのですが、加納光於の抽象画(右図)の色の感覚に通じるところが これまで、展示されている麻田の作品を見ていると、私には、麻田は、何かを描く、それは具象的な対象でも、内心の思いを形にするとか抽象的なことを描くとか、そういうことよりも、描くことを画面に存在感を与えることのように捉えて、そのために、石膏や絵の具のようなマチエールを盛ってみたりしていた。しかも、存在感は絵を見る者に納得してもらわなければ、絵としての価値(存在意義)がない、それで見る者にも分かるように既存の手法試みた、アンフォルメルだったり、シュルレアリスムだったりと、そうこうしているところで、自身の色彩センスに気がついて、画面を色で塗りつぶすようになった。それを、それを見る者に納得させるため、塗りつぶしている色との適合性を考えているうちに、壁とか地面とか水といった一面に広がるものを題材として発見した。その題材だけでは、見る者は、対象を見たがるので、視線が定まらず、画面を醜くなるので、その視線の助けとなるものを壁や地面の手前に加えていった。このように、私には、麻田の作品の性格を、そのように見えました。
「ひとつの溝」「緑の風景」といった作品。地面を描いていた麻田は、その地面に画面で言えば水平方向に一直線の溝を入れます。そこで俯瞰で地面を見下ろすよう平面だった画面に溝という立体のきっかけがうまれました。その溝を描くことによって、「原風景(重い旅)」で隠されていた視線が一つではないことが顕在化します。そのせいもあって、「原風景(重い旅)」では小さくしか描かれていなかった地表から飛び出すものが大きく描くことができるようになりました。溝という凹み深さという立体があることが明白になれば、地表から飛び上がる高さも同時に明らかにすることができるわけです。「緑の風景」では中央で水が高く吹き上がる様が描かれています。そういう高さが描かれるということは、地表の上の空間が画面のなかで存在することになります。その結果として「」ひとつの溝では、その空間を吹き上がった水が空中でうねるように広がっている様が描かれます。この両方の作品では、その空中を丸い水滴が漂っている様も描かれ始めます。また、この後の麻田の作品で空間を漂うもののシンボルのような鳥の羽がここでは描かれています。しかし、その空間と地面の境界が描かれていません。俯瞰で見下しているという体裁なのでしょうが、それでは高く噴き出している水の描き方が、角度がおかしい。その角度では地面からはなれた空間が画面でちゃんと存在していなければならないはずです。それでは空間が歪んでいるのかということになります。そこで考えられるのは、地面に空間が属してしまっているということです。麻田は、自身で「地表風景と、以前からやっているものとの、総合を目指している。森羅万象。すべての存在感を、ごみ箱をぶちあけるようにして地表に表出してみたい」その地表を描いた作品である「原風景」を「自分の心理的、時間的、空間的な物をすべて含めた幻想風景であり。空想の世界」と語っています。その言葉の中から、地表とう塗りこめた画面に空間も時間もすべてぶち込んで行こうとした、そういうところがあると思います。そして、特筆すべきは、「ひとつの溝」が赤、「緑の風景」が文字通り緑という色で統一された、その色がすばらしいのと、そのように色で統一された世界を描ききる色彩センスで、それがこれらの作品の大きな魅力であると思います。
「悲の地」は三部作ですが、この後のコーナーで、画面いっぱいに地面を描く、地面を見下ろす視点から、空間を横から描く視点に転換していくのですが、その過渡期ともいえる作品ではないかと思います。この作品には地面と空間の境界が描かれています。私のような素人の半可通が知ったかぶりをするようですが、画面いちめんを塗りつぶすということを繰り返しているとネタか尽きてしまう。それとは別に、地面上の個々の事物を詳細に稠密に描いているうちに、それらの存在が地面の存在を越えて主張し始めた。例えば、たくさんの羽が舞っている。そのためには空間を広くとることが求められてきた。そのために、「原風景」のような作品に比べて、空間が開けたような、隙間が開いたような感じがします。しかし、塗り込められた画面に隙間はなく、その空間があるにかかわらず、開けたと思ったら、さらに閉塞されている。麻田の閉ざされた画面は、さらに一段深化されてしまった。逆説的な言い方で、言葉遊びに聞こえるかもしれませんが、空間を開くことによって、閉塞を一段と深くした、と思えるのです。一方、これらの個物がぶち込んだような、その個物の存在の重さが増してきて、画面には活気のような動きが現れてきています。それらが画面に、納まりきれなくなってきたと言えるかもしれません。 第4章 帰国
続いて「旅・影」(右図)も見ましょう。この作品は、「土・洪水のあと」と並べるとトンボの羽が画面に大きく描かれているところで共通しています。また、「土・洪水のあと」の中央が地表を見下ろす画面であるのに対して、この作品は階段やテーブルを横から見ている視点で描かれているのか中心となっています。それが対照といえばいえるので、この二作品を対としてみることができる。それが黙示録の風景ということなのでしょう。しかし、この「旅・影」では画面左には星と宇宙が大きく描かれていて、これは「土・洪水のあと」の中央右に小さく星座が描かれていたのが、ここでははっきりと分かるほど大きくなってきています。世界風景には宇宙も取り込まれてきたというわけでしょうか。まるで、すべてを飲み込むブラックホールのようです。麻田には、表現者として、そういう欲望があるのかもしれません。しかも、「旅・影」では四角く枠付けられた画像が貼り付けられるように配置されていて、仕切りが明確になってきています。そこになんらかの秩序を意識して作ろうとしている、とも思えます。
第5章 晩年 1990年以降の作品が展示されていましたが、ここで作風が変わったとか描く対象が変わったようには思えません。なぜ、ここで分けたのか私には理由が分かりませんでした。
「エスパス・ヴェール(Ⅱ)」という作品です。エスパス・ヴェールというのは緑の空間という意味ということで、この作品は2点で一対の一方なのですが、まず、グリーンの色の基調のしかたと、その色遣いが、この画家の独自性で、この色調だけで他はいらないと思わせるものですが、この作品では、「御滝図(兄に)」の方向性であるひとつの風景についても、羽根やテーブルといった物と同じように画面に一部として、その意味とか位置から切り離して取り込んでしまった作品です。 「庵(ラ・タンタション)」(右図)という作品です。ラ・タンタションは誘惑という意味だそうですが、画面に引き込もうとする意図があるのかもしれません。それは画面を書き割りの舞台のようにしつらえているように見えるからかもしれません。画面上部の蔦の絡まった彎曲した木の太い枝は左右の柱で支えられた鳥居のようで、それが画面への誘いのように見えます。その真ん中には麻田には珍しく大きな人影のようなものが描かれています。これは人影なのか、そうでないのかは、私には分かりません。これらが黒の枠取のなかでブラウンの色調が暗さと、印象としてノスタルジックな雰囲気を作っていると思います。そこで敢えて言えば、時間のスパンとでも言うのか、昔の風景と現在がつながっているという時間を取り込んだという感じがします。 「旅・卓上」(左下図)という作品です。横長の画面で、前にテーブルがあるという構図は、「原都市」でも「蕩児の帰宅」でも「旅・影」でも、麻田の作品によく使われるものですが、この作品もそうです。人によっては、これら似たような構図で作品の区別がつかなくて、どれも同じような暗い作品というように受け取られてしまうかもし 「居るところ・鳥」(左上図)という作品です。麻田の作品では空中に羽根が浮かんでいることが多かったのですが、だんだんと鳥が飛んでいたりすることが出てきました。「旅・卓上」でも羽ばたいている鳥の姿がありました。この作品は、その鳥をたくさん画面に登場させた作品です。鳥のいる風景の断片が、画面の中で重複するように幾つも存在しています。 「窓・四方」(右図)という作品です。暗い色調の作品ばかり並べてしまったようでしたので、白を基調とした作品です。だからといって、一概に明るいとは言い切れませんが。麻田の作品は、明るいとか暗いといったこととは、直接関係するところが少ないと思います。 |