マルクス『資本論』を読む
第1部 資本の生産過程
第1篇 商品と貨幣
第2章 交換過程
 

 

 カール・マルクスの『資本論』を読んでいこうと思います。『資本論』については、たくさんの解説や論説があって、これがどういう著作であるかとか、時代背景とか、後世への影響とか、色々なところで論じられていると思います。ここでは、そういうことは脇に置いて、現物に当たってみて、自分なりにこう読んだというのを追いかけることにします。なお、実際に読むのは、スタンダードな訳として定評のある岡崎次郎の翻訳による大月書店のマルクス・エンゲルス全集版です。参考として、中山元の翻訳で日経BPクラシックスのシリーズで出版されているものをピンク色で適宜へいきすることにします。また、中山訳は本文を小見出しをつけて区切りをつけているので読みやすくなっているので、その小出しの区切りを使います。中山訳は、岡崎訳に比べて分かりやすく、こっちをつかいたかったのですが、フランス版を底本にしていることと、例えば、「剰余価値」と一般に定着している用語を「増殖価値」と訳したりして個性的なところがあって、慣れないところがあるから、参考にとどめています。続けて、黒い明朝体で、それについて私はこう読んだという読みの記録を綴っていきます。そこで、説明の追加をしたり、多少の脱線をします。なお、それでは、細かくなりすぎて全体像がつかめなくなってしまうおそれがあるので、目次の構成の「節」ごとに、そのはじめのところで概要を記すことにします。

 

第1部 資本の生産過程

第1篇 商品と貨幣

第2章 交換過程

〔この章の概要〕

第1章では、商品とは何か、商品はいかにして現実的な価値形態である価格形態を獲得するのか、そもそもなぜ商品が存在するのかを見てきました。つまり、私的労働をするかぎり、私的生産者たちの意志や欲望とは関わりなく、必然的に商品形態や価値形態が成立し、人間が物象を制御するのではなく、物象が人間を制御するという物象化が発生することが明らかにされました。

第2章では、これを前提にして、意志と欲望をもつ人格が導入され、商品交換や貨幣の成立についての考察が進められます。貨幣はスミスの考えているような単に交換の便宜的手段として発明されたものではないし、またリカードのいうように単なる交換の媒介手段でもありません。それは、じつに商品形態そのものから必然的に発生せざるをえないものなのです。このようにして貨幣のあり方の根拠を明らかにしたマルクスは、これによって、貨幣に附着するさまざまな神秘の扉を開いていくことになります。同時にまた、商品生産に特有な「商品の物神性」をも明らかにしました。商品生産の社会では、社会的労働の配分という社会的生産の一般的原則が直接に人間の手で処理されないで、商品と商品との交換関係、すなわち物と物との関係という回り道をとおして実現されます。それゆえに、人間は逆に商品交換の法則性に支配されざるをえなくなり、それと同時に商品のもつ特定の社会的性格は商品という物のもつ自然的性質のごとく受け取られ、商品交換の法則性はあたかも自然法則であるかのように受け取られてしまい、実際そういうように社会で機能してしまうことになります。そこで商品経済は、元来人間のつくり出した物が、逆に人間自身を支配するという物神的性格を固有のものとして生み出すのです。

なお、ここでの人格は、一方では、商品の人格的な担い手でしかありません。彼は、自分の人格の力によってではなく、自分が所持する商品の力によって、取引相手と認められ、所有者として認められたにすぎません。しかし、他方では、彼は商品がもっていない意志や欲望をもっており、このような人格の存在がなければ、現実に商品交換が行われたり、所有が認められたり、貨幣が成立したりすることはありません。

 

〔本文とその読み(解説)〕

契約関係

商品は、自分で市場に行くことはできないし、自分で自分たちを交換し合うこともできない。だから、われわれは、商品の番人、商品所持者を捜さなければならない。商品は物であり、したがって、人間にたいしては無抵抗である。もし商品が従順でなければ、人間は暴力を用いることができる。言いかえれば、それをつかまえることができる。これらの物を商品として互いに関係させるためには、商品の番人たちは、自分たちの意志をこれらの物にやどす人として、互いに相対しなければならない。したがって、一方はただ他方の同意のもとにのみ、すなわちどちらもただ両者に共通な一つの意志行為を媒介としてのみ、自分の商品を手放すことによって、他人の商品を自分のものにするのである。それゆえ、彼らは互いに相手を私的所有者として認めあわなければならない。契約をその形態とするこの法的関係は、法律的に発展してもいなくても、経済的関係がそこに反映している一つの意志関係である。この法的関係、または意志関係の内容は、経済的関係そのものによって与えられている。ここでは、人々はただ互いに商品の代表としてのみ、存在する。一般に、われわれは、展開が進むにつれて、人々の経済的扮装はただ経済的諸関係の人化でしかないのであり、人々はこの経済的諸関係の担い手として互いに相対するのだということを見いだすであろう。

諸商品は、物であり、自分で市場に行くわけでもなく、自分で自分たちを交換することも出来るわけではありません。だからわれわれは、商品を市場に持って行く人、つまり商品の所有者を問題にする必要があるわけです。第1章では諸商品の交換は前提されていました。つまり現実に交換されている諸商品の、商品そのものに注目し、それらの交換関係だけを純粋に取り出し、分析したのです。だから第1章では、あたかも諸商品は主体に互いに関係し合うものとして取り扱われ、だから商品所有者は捨象されて登場しませんでした。しかし第2章からは、第1章では捨象されていた、商品の所有者が登場します。第2章では、使用価値と交換価値の統一物としての商品が主体となります。そうしたものとして、他の諸商品との現実の関係、すなわち交換過程が問題になるわけです。そして現実の交換過程では、現実の商品の運動が問題になるわけですが、その運動を商品の意を体して担うのが、商品の保護者である商品所有者というわけです。つまり商品を市場に持って行き、その交換を行う商品の保護者であり監督者である、商品所有者が登場しなければならないというわけです。商品は単なる物ですから、人間に対して無抵抗です。もちろん、商品が言うことを聞かないとなれば、人間は暴力を用いてでも、それを市場に持っていくことが出来るわけです。

これらの物を商品としてたがいに関係させるためには、商品の保護者たちは、自分の意志をこれらの商品に宿す諸人格として互いに関係し合わなければなりません。それゆえに、一方は他方の同意のもとにのみ、つまり両者に共通な一つの意志行為にもとづいて、彼らは自分の商品を譲渡する代わりに、他人の商品を自分のものにします。だから、彼らは互いに相手を私的所有者として認め合わなければなりません。

契約をその形式とするこの法的関係は、法律的に発展していても、いなくても経済的関係がそこに反映している意志関係です。これは、商品所有者は互いに「契約」という形式で法的関係として結び合うということです。これは民法のような法律として明文化されていようが、いまいが、商品所有者の間では、互いに結び合わなければならない関係だということです。あるいはそれが契約書という文書になっていようが、口頭によるものであっても、やはり「契約」なわけです。この法的関係、あるいは意志関係の内容は、経済的関係そのものによって与えられています。諸人格は、ここでは、ただ互いに商品の代表者としてのみ、だから商品所有者としてのみ存在しています。ここでは、展開が進むにしたがって、諸人格の経済的扮装はただ経済的諸関係の人格化にほかならず、諸人格はこの経済的関係の担い手として互いに相対することが、総じて明らかになっていくでしょう。

ここでは、商品所持者がもつ意志の役割が主題的に扱われています。生産物を商品として交換するためには、たんに生産物を価値物として扱うだけでは不十分です。それは、私的労働の生産物を交換するための前提条件にすぎません。実際に商品を交換するには、まず、商品所持者たちが「自分たちの意志をこれらの物にやどす人格として」、すなわち、価値という交換力を持つ商品によって自分が欲するものを入手したいという意志をもつ人格として相対する必要があります。そして、そのうえで、互いの意志が一致したときに、はじめて商品交換が行われるのです。たとえば、小麦生産者と鉄生産者がたがいに「小麦10キログラムと鉄1キログラムを交換する」という意志をもって相対し、この意志を互いに認め合うことによって、はじめて商品交換が行われることになります。

このとき重要なのは、このような「意志行為」においては、互いに相手が「私的所有者」であることを承認しているということです。たとえば、小麦生産者と鉄生産者が互いの自由意志にもとづいて交換を行うには、相手を正当な「鉄所有者」として、あるいは「小麦所有者」として認め合わなければなりません。このように、私的所有者としての権利を持つ、対等な人格として互いに承認するからこそ、自由意志にもとづく交換が成立し、今度は、小麦生産者が正当な鉄所有者として、鉄生産者が正当な小麦所有者として認められるのです。逆に、なんらかの理由で、たとえば前近代的な身分的な偏見などによって、相手を正当な私的所有者として認めなければ、このような自由意志にもとづく商品交換は成立しません。

このことは、一見、当たり前のことのように見えますが、じつは重要な意味をもっています。というのは、このことは全面的な商品生産が行われている社会、すなわち資本主義社会における所有の基本的な原理を明らかにしています。

マルクスは、フィヒテやヘーゲルなどのドイツ観念論の哲学者たちと同様に所有を承認された占有だと考えました。つまり、たんに物をもっているだけでは所有にはならず、物をもっているということを社会的に認められてはじめてそれは所有になることができると考えました。実際、私たちが知り合いからペンを無理やり去り上げたとしても、このペンを所有していることにはなりません。

この所有を成り立たせる承認のあり方は、社会のあり方によっていろいろに違ってきます。たとえば、前近代的共同体においては、所有は基本的に身分などの人格的関係によって決まっていましたし、ギルドの親方の生産用具の所有権は彼の親方としての地位に基づいていました。あるいは、もっと古い共同体社会では、人々は共同体の一員であることによって所有を認められていました。古代ローマの市民は、彼がローマの共同体に属しているがゆえに、ローマの土地の私的所有を認められていたのです。

ところが、商品生産社会においては、所有はまったく異なる原理で成り立つようになります。そこでは、商品や貨幣という物象の力が所有を成り立たせるのです。先ほどの例でいえば、小麦生産者と鉄生産者が互いに相手を私的所有者として認めたのは、身分などの人格的関係の力ではありません。まさに相手が小麦や鉄という商品を所持していたからこそ、相手を私的所有者として認めたのです。つまり、共同体的な人格的紐帯が失われている商品生産関係においては、人々は、地位によってではなく、物象の力に依存して互いを所有者として承認するようになります。「ここでは、人々はただ互いに商品の代表者としのみ、したがって商品所持者としてのみ、存在する」からです。

ですから、商品所有者が商品交換においてもつ正当な権利は、まさに彼が所持する物象の力にもとづくものだということになります。

商品は自分で歩いて市場に出かけて、みずから交換しあうことはできない。だからわたしたちは、商品の保護者である商品所持者を探しだす必要がある。商品は物であるから、人間に逆らうことはできない。商品が言うことを聞かなければ、人間は暴力をふるうことができる。言い換えると、商品を[市場に]持っていくことができるのだ。

こうした物品を商品としてたがいに関係させるためには、商品の保護者たちがたがいに人格としてふるまう必要があり、彼らはこうした物品のうちにその意志を宿しているのである。彼らは相手の同意のもとで、すなわちどちらも双方に共通に意志的な行為に媒介されて、自分の商品を相手に譲渡することで、相手のもつ商品を手にいれるのである。だから彼らはたがいに相手を私的な所有者として認めあわせなければならない。

この法的な関係は、それが法律という形にまで発展した形をとるかどうかにかかわらず、契約という形式をとり、これは経済的な関係が映しだされている意志の関係である。この法的な関係または意志の関係の内容は、経済的な関係そのものによって与えられる。ここでは人格はたがいに商品の代理人として、すなわち商品の所持者として存在しているだけである。考察が進むにつれて、人格のこうした経済的な性格という仮面は、経済的な関係が人格化されたものにすぎず、人格はこうした経済的な関係の担い手として、たがいに向き合っているにすぎないことが明らかになるだろう。

 

商品の価値の実現

商品所持者を特に商品から区別するものは、商品にとっては他のどの商品体もただ自分の価値の現象形態として認められるだけだという事情である。だから、生まれながらの平等派であり、犬儒派である商品は、他のどの商品とでも、たちえそれがマリトルネスよりもっと見苦しいものであろうと、心だけではなくからだまで取り交そうといつでも用意しているのである。このような、商品には欠けている、商品体の具体的なものにたいする感覚を、商品所持者は自分自身の五つ以上もの感覚で補うのである。彼の商品は、彼にとっては直接的使用価値をもっていない。もしそれをもっているなら、彼はその商品を市場にもってゆかないであろう。彼の商品は、他人にとって使用価値をもっている。彼にとっては、それは、直接的にはただ、交換価値の担い手でありしたがって交換手段であるという使用価値をもっているだけである。それだからこそ、彼はその商品を自分を満足させる使用価値をもつ商品とひきかえに、手放そうとするのである。すべての商品は、その所持者にとっては非使用価値であり、その非所持者にとっては使用価値である。だから、商品は全面的に持ち手を取り替えなければならない。そして、この持ち手取り替えが、商品の交換なのであり、また、商品の交換が商品を価値として互いに関係させ、商品を価値として実現するのである。それゆえ、商品は、使用価値として実現されうるまえに、価値として実現されなければならないのである。

商品の所有者を商品そのものと区別するものは、商品にとっては他のどの商品体(使用価値)もただ自分の価値の現象形態としての意味しかもたないということです。この章の最初(前のところ)で、第1章では商品そのものが分析の対象であったのに対して、第2章では、さらに商品の所有者が分析の対象として加わることが指摘されましたが、では、商品そのものを分析の対象にするのと、より具体的に商品所有者をも分析の対象として加えることで何が問題になるのかが次に問われているわけです。そして、まず、第1章の場合は、商品にとって、他の商品の使用価値は、ただ自分の価値の現象形態、つまり自分の価値を相対的に表す材料という意味しか持たなかったと指摘されています。だから、生まれながらの(ピューリタン革命の中でも平等主義的な主張の強かった)水平派であり(古代ギリシャでシニズムの語源となった禁欲的な自然主義である)キュクニ学派である商品は、他のどの商品とも、例えそれがマリトルネスよりまずい容姿をしていても、魂だけでなく体までも取り替えようとたえず待ち構えています。

商品所有者は、こうした商品には欠けている、商品の使用価値に対する具体的な感覚を、彼の五感、さらに第六感を活用することになります。これは、強い欲望のために五感だけでは足りないということでしょうか。彼にとって自分の商品は直接的な使用価値ではありません。つまりそれは彼の欲望の対象ではないのです。なぜなら、もしそれが彼の欲望の対象であれば、彼はそれを市場に持って行く代わりに、自分の欲望を満たすために消費してしまうでしょう。だから、それは商品にはなりえません。だからそれが彼の商品であるということは、それは彼にとっては直接的な使用価値ではないとういことです。彼の欲望の対象は、彼が交換しようとする他人の持っている商品であり、だから彼の商品の使用価値も、それが商品である限りは、他人にとっての使用価値で無ければならないわけです。ここでは商品所有者の欲望と商品の使用価値との関係が問題になっています。商品所有者にとって彼の商品は何らの直接的な使用価値を持ちません。それは彼の生産物のうち、彼の欲望を満たしたあとに残った余剰物のようなものでなければならないわけです。だからそれは他人にとっての使用価値、つまり社会的使用価値を持たねばならないのです。社会的使用価値を持つということは、その商品に支出された労働が、社会的な分業の環をなしているということです。彼にとって、それは直接的には、ただ交換価値の担い手であり、したがって交換手段であるという使用価値を持っているだけです。だからこそ、この商品を自分の欲望を満足させる使用価値をもつ商品と引き換えに譲渡しようとするわけです。

すべての商品は、その所有者にとっては非使用価値であり、その非所有者にとって使用価値です。だからこそ、これらの商品は、その持ちを手を全面的に交換しなければならないのです。そしてこの持ち手の交換が、すなわち諸商品の交換なのであって、またこれらの交換が諸商品を価値として互いに関係させ、諸商品を価値として実現するのです。したがって、諸商品は、みずからを使用価値として実現しうる前に、価値として実現しなければなりません。ここで、混同しやすいので「使用価値を実現」と「価値として実現」の区別を明確にしておきましょう。「価値とし実現」とは、貨幣の存在を前提した上で、商品を貨幣に転換すること、つまり商品の販売のことです。つまりそれが抽象的人間労働の対象化されたものとして妥当するということではないかと思います。また、「使用価値の実現」とは商品が交換過程から出て、消費過程に入り、その使用価値が消費されることです。これは、交換過程内の問題であり、だから商品に支出された具体的な有用労働が、社会的な分業の環をなしていることが示されることにほかなりません。つまりそれが社会的使用価値であることが実証されることです。

まとめると、ここでは、商品所持者のもつ欲望の役割が主題的に扱われます。すでに見たように、価値形態だけを問題にするかぎりでは、「商品にとってはほかのどの商品も、自分の価値の現象形態としての意味しかもたない」です。すなわち、商品の価値表現という観点からみれば、値札に書き込まれる、すなわち等価物となる商品はどんなものでも構いませんでした。たとえば、亜麻布は自らの価値を表現する際に、小麦であれ、鉄であれ、どんな商品を自分の値札に書き込むかについてはまったく無関心でした。どんな商品であれ、それを値札に書き込めば、それを価値体にすることができ、自らの価値表現の材料にすることができたからです。

ところが、現実の商品交換は、具体的な欲望を持つ商品所持者によって行われています。自分の価値を表現することができさえすればよい亜麻布とは異なり、彼は自分の欲しくないものを値札に書き込むことはしないでしょう。まさに、「商品には他の商品体の具体性を感じとる感覚がないので、商品所持者がこれを補うために、自分の五感とさらには第六感を活用する。」のです。

商品と商品所持者の違いは、商品にとってはほかのどの商品も、自分の価値の現象形態としての意味しかもたないということにある。生まれながらの[平等主義的な]水平派であり、[懐疑的な]キュニコス派である商品は、[『ドン・キホーテ』に登場する女中の]マリトルネスよりも汚い身なりをしていたとしても、他のどんな商品とも、魂だけではなく、肉体をも交換しようと、たえず身構えているのである。

商品には他の商品体の具体性を感じとる感覚がないので、商品所持者がこれを補うために、自分の五感とさらには第六感を活用する。商品所持者が現に所有している商品は、彼には直接の使用価値がない。それでなければ商品を市場にもってこないだろう。この商品は他人にとっては使用価値があるのだ。商品所持者にとってその商品に使用価値があるとすれば、それは直接的には、交換価値の担い手となって、交換手段となることにある。そのたるに商品所持者は、自分を満足させてくれる使用価値がある商品と交換に、自分の商品を譲渡しようとするのである。

すべての商品は、その所持者にとっては使用価値のないものであり、それを所持していない者にとっては使用価値のあるものである。だから商品たちは、あまねくその所持者を替える必要がある。そしてこの所持者の交替こそが、商品の交換である。商品は交換されることでみずからを価値としてたがいに関係させるのであり、商品の価値が現実のものとなる。すなわち商品は、みずからの使用価値を実現できる前に、みずからを価値として実現しなければならない。

 

 

貨幣の登場

他方では、商品は、自分を価値として実現しうるまえに、自分を使用価値として実証しなければならない。なぜならば、商品に支出された人間労働は、ただ他人にとって有用な形態で支出されているかぎりでしか、数にはいらないからである。ところが、その労働が他人にとって有用であるかどうか、したがってまたその生産物が他人の欲望を満足させるかどうかは、ただ商品の交換だけが証明することができるのである。

どの商品所持者も、自分の欲望を満足させる使用価値をもつ別の商品とひきかえにでなければ自分の商品を手放そうとしない。そのかぎりでは、交換は彼にとってただ個人的な過程でしかない。他方では、彼は自分の商品を価値として実現しようとする。すなわち、自分の気にいった同じ価値の他の商品でさえあれば、その商品の所持者にとって彼自身の使用価値をもっているかどうかにかかわりなく、どれでも実現しようとする。そのかぎりでは、交換は彼にとって一般的な社会的過程である。だが、同じ過程が、すべての商品所持者にとって同時にただ個人的でありながらまた同時にただ一般的社会的であるということはありえない。

他方では、諸商品は、自らを価値として実現しうる前に、自らが使用価値であることを示さなければなりません。というのも、諸商品の生産に支出された人間労働が、そういうものとして認められるのは、それらの労働が他人にとって有用な形態で支出された場合に限られるからです。ところが、この労働が他人にとって有用であるか、だからその生産物が他人の欲求を満足させうるかどうかは、ただ諸商品の交換だけが証明できることなのです。つまり使用価値も交換価値もその実現のためには相手の実現を前提し合う関係にあるということです。これは現実の生産物の物々交換(つまり貨幣がまだ現われていない交換)を想定してみれば分かります。私が魚をとって市場で野菜と交換したいと考えても、たまたま野菜を市場に持って来ている人が、魚をほしがっているならば交換可能ですが、そうでなければ交換できません。両者の欲求が一致するのはまったく偶然であって、実際にはなかなか一致せず、だから交換も出来ないのです。マルクスが明らかにしている矛盾はまさにこうした現実を示しているのではないでしょうか。

どの商品所有者も、自分の欲しい使用価値(商品)とでなければ、交換しようとしません。その限りでは、交換は、彼にとっては個人的なプロセスでしかないでしょう。他方で、彼は自分の商品の価値を実現しようとします。つまり、彼は自分の商品が他の商品所有者にとって使用価値を持つかどうかに関わりなく、自分の気に入った同じ価値を持つ商品とであればどれとでも交換しようと思うわけです。だからこの限りでは、交換は彼にとっては、一般的社会的なプロセスであるわけです。しかし、同じことはすべての商品所有者にとって言えることです。だから同じプロセスが、すべての商品所有者にとって同時にもっぱら個人的であると共にもっぱら一般的社会的であるということはありえません。これは、つまり次のようなことではないでしょうか。ある部族の一人の有能な猟師が毛皮を求めて狩猟をしながら森を移動したとします。そしてその行き先々で彼はたまたま接触した幾つかの部族と彼の獲物の毛皮を、それぞれの部族の産物と交換したとします。この場合、その一つ一つの交換は偶然的なもので、互いに欲望が互いの物を欲する限りで行われるに過ぎません。その限りでは交換は個人的な過程なのです。しかし、その有能な猟師は、それまで一定の定着農耕の農閑期に限っていた狩猟を、生活の中心に置くようになります。つまり彼は獲物を求めて、一年を通し、この季節にはこの森に、この季節にはこの谷に、どういう動物がいるのかを知るようになり、季節によって、年々、同じルートを巡回して、獵を行い、毛皮を生産しつつ、それをそのルートで接するある程度決まった部族と交換するようになります。つまり猟師にとって、獲物の毛皮を交換して歩くことが彼自身の生活になってきます。だから彼の毛皮は最初から交換を目的に生産されることになるわけです。そうすると、猟師が遭遇する部族との交換は、ある獣の毛皮一枚はジャガイモ二袋としか交換しないというように、その交換は一定の規則性を帯びてきます。つまり猟師は、彼の毛皮を価値として交換しようとするようになります。やがて猟師だけではなく、猟師がそれまで接触してきた部族のなかにも、交換が発展してきます。しかしすべての部族の生産物が同じように彼らの生産物を価値として実現しようとしても決してできないのです。こうした交換の発展が、それらに内包する矛盾を発展させる過程が、ここでは分析されているのではないでしょうか。

ここまでのところをまとめると、商品所持者の欲望を導入すると、商品交換には、ひとつの困難が存在することが明らかになるということです。つまり、商品所持者が自分の商品を交換に出すのは、彼の個人的な欲望を満たす特定の商品を入手するためにほかなりません。この意味では、商品交換は「個人的なプロセス」です。ところが、他方では、商品所持者は、自分の商品がもっている価値という交換力を用いて、この交換を実現しようとします。商品のもつ価値はどの商品とも交換可能な一般的な力なのですから、相手がどんな商品をもっていようとそれを入手できるはずだ、というわけです。この意味では、商品交換は「一般的な社会的プロセス」にほかなりません。

しかし、「同じプロセスが、同じ時点ですべての商品所持者にとってもっぱら個人的なプロセスであると同時に、もっぱら社会的なプロセスである」ということはありません。たとえば、亜麻布所持者が、亜麻布がもっている価値を用いて小麦を手に入れようとしても、小麦所持者が認めなければ、すなわち小麦所持者が亜麻布を欲しなければこの交換は成就されません。すなわち、どの商品所持者も、自分の個人的な欲望をみたすために自分が持っている商品の価値という社会的一般的な交換力を用いようとしますが、交換相手にとってもまた、この交換は個人的欲望を満たすための個人的過程であり、交換相手が自分の商品の使用価値を欲さないかぎり、この価値という力を行使することはできません。すなわち、商品交換においては自分の商品がもつ価値という社会的一般的な力は、その商品の使用価値によって制約されているのです。

このように、商品の交換力である価値がその使用価値によって制約されるかぎり、商品交換は稀にしか成立せず、ありとあらゆる商品を互いに交換し合うような全面的な商品交換は不可能になってしまいます。

もっと詳しく見れば、どの商品所持者にとっても、他人の商品はどれでも自分の商品の特殊的等価物とみなされ、したがって自分の商品はすべての他の商品の一般的等価物とみなされる。だが、すべての商品所持者が同じことをするのだから、どの商品も一般的等価物ではなく、したがってまた諸商品は互いに価値として等置され価値量として比較されるための一般的な相対的価値形態をもっていない。したがってまた、諸商品は、けっして商品として相対するのではなく、ただ生産物または使用価値として相対するだけである。

われわれの商品所持者たちは、当惑のあまり、ファウストのように考えこむ。太初に業ありき。だから、彼らは、考えるまえにすでに行なっていたのである。商品の本性の諸法則は、商品所持者の自然本能において自分を実証したのである。彼らが自分たちの商品を互いに価値として関係させ、したがってまた商品として関係させることができるのは、ただ、自分たちの商品を、一般的等価物として別の或る一つの商品に対立的に関係させることによってのみである。このことは商品の分析が明らかにした。しかし、ただ社会的行為だけが、ある一定の商品を一般的等価物にすることができる。それだから、他のすべての商品の社会的行動が、ある一定の商品を除外して、この除外された商品で他の全商品が自分たちの価値を全面的に表わすのである。このことによって、この商品の現物形態は、社会的に認められた等価形態になる。一般的等価物であることは、社会的過程によって、この除外された商品の独自な社会的機能になる。こうして、この商品は貨幣になるのである。

「彼らはこころをひとつにしている。そして、自分たちの力と権力とを獣に与える。この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字である」(『ヨハネの黙示録』)

貨幣結晶は、種類の違う労働生産物が実際に互いに等置され、したがって実際に商品に転化される交換過程の必然的な産物である。交換の歴史的な広がりと深まりとは、商品の本性のうちに眠っている使用価値と価値との対立を展開する。この対立を交易のために外的に表わそうという欲求は、商品価値の独立形態に向かって進み、商品と貨幣への商品の二重化によって最終的にこの形態に到達するまでは、少しも休もうとしない。それゆえ、労働生産物の商品への転化が実現されるのと同じ程度で、商品の貨幣への転化が実現されるのである。

では、この商品交換の困難はいかにして解決されるのでしょうか。じつは、私たちはこの解決の方法をすでに知っています。価値形態論で明らかにされたように、商品所持者たちは「ただ、自分たちの商品を、一般的等価物としてのある一つの別の商品に対立的に関係させることによってのみ」、すなわち、商品に一般的価値形態を与えることによってのみ、「自分たちの商品を互いに価値として関係させ、したがってまた商品として関係させる」ことができます。人間たちはまったく無自覚のうちに、いわば「本能」的に、このような「商品本性の諸法則」にしたがって行為するのであり、これによってある特定の商品を一般的等価物にする「他のすべての商品の社会的行動」を引き起こし、商品交換を可能にしているのです。

ここで重要なのは、たとえ無自覚であろうと、「ある特定の商品を一般的な等価物にすることができるのは、(意志と欲望をもつ商品所持者の)社会的な行為だけである」ということです。すでに価値形態論において、ある特定の商品を一般的等価物にしなければ商品を価値として互いに関連させることができないという、一般的価値形態の必然性は明らかにされていました。しかし、そこではまだ、この必然性が「なにかによって」実現されるかは示されていませんでした。まさに、これが実現されるのが交換過程なのです。この過程において困難に直面した商品所持者たちの「社会的行為」こそが、「ある一定の商品を一般的等価物にする」のであり、そのことによって現実に貨幣が生成するということになります。

このような概説を踏まえて、これから、個々の文章を追い掛けていきましょう。

少し詳しく考えてみると、どの商品所有者にとっても、他の人の商品はどれも自分の商品の特別な等価として意義を持ちます。だから自分の商品は他のすべての商品に対しては一般的等価として意義を持つわけです。しかし、すべての商品所有者が同じことを行うわけですから、どの商品も一般的等価ではなく、したがってまた、諸商品は、それらが自分が価値として等置し、価値の大きさとして比較し合うための一般的相対的価値形態をもっていないことになります。だから、諸商品はおよそ商品として相対しているとは言えず、ただ生産物あるいは単なる使用価値として相対しているに過ぎなくなります。つまり交換は不可能になるわけです。これはどういうことかというと、すべての商品所有者が同じことを行い、自分の商品を一般的等価物にしようとしても、それは不可能なことです。なぜなら、ある商品の所有者が、自分の欲する諸商品と次々と交換し、だから他の諸商品を自分の商品の特殊な等価物にし、それによって自分の商品を他のすべての商品に対する一般的等価物の地位に置くということは、自分以外のすべての商品を一般的等価物から排除するということでもあるからです。しかし、すべての商品所有者が同じことをしようとするなら、すべての商品が一般的等価とはなれず、だから諸商品は、互いに自分たちを価値として等置し、価値の大きさとして比較し合うための一般的相対的価値形態をもっていないことになります。ということは、商品は価値形態を持たないことになり、価値形態を持たないということは、それらは商品形態を持たないということ、すなわち単なる現物形態を持っているだけになり、そうした形で相対しているだけになるわけです。つまり交換は不可能になります。

商品所有者は、困り果ててファウストのように考え込みます。はじめに行動ありき。つまり彼らは、考え込む以前に行動していたのです。つまり商品の性質の諸法則は、商品所有者の自然のおもむくままにその行動によって確認されたのです。彼らは、彼らの商品を価値として、互いに関係させようとするなら、他の何らかの商品に対して、共同して、それを一般的等価として対立的に関係させることしかないのです。こうしたことは第1章における商品の分析があきらかにしたことです。

しかし、どの商品が一般的等価物になるかということは、ただ社会的行為だけが決めることです。理論的考察によって決まることではないのです。だから、他のすべての商品の社会的行動が、ある特定の商品を排除し、この排除された商品によって、他のすべての商品が、自分たちの価値を表現することになります。こうして、この排除された商品の現物形態が社会的に通用する等価形態になるわけです。一般的等価であるということは、社会的過程によって、この排除された商品の特有な社会的機能となり、こうしてこの商品は貨幣になるわけです。

貨幣というのは、種類の違う労働生産物が実際にたがいに等置されて、商品に転化される交換過程の必然的な産物なのです。交換の歴史的な広がりと深まりは、商品のなかに眠っている使用価値と価値との対立を発展させます。そして交易の必要のために、この対立を外的に表示しようとする欲求は、商品価値の自立した形態へと向かわせ、商品と貨幣とへの商品の二重化によって、この自立した形態が最終的に達成されるまでとどまることを知らないのです。だから、労働生産物の商品への転化が行われるのと同じ程度で、商品の貨幣への転化も生じてくるのです。

他方で商品は、みずからを価値として実現できる前に、みずからの使用価値が現実のものであることを示す必要がある。商品の生産のために投じられた人間労働は、他人にとっても有用な形で投じられていなければ、意味のないものだからである。しかしその労働が他人にとっても有用なものであるかどうか、そしてその生産物が他人の欲望を満たすかどうかは、商品が交換されなければ証明できない。

すべての商品所持者は、自分の欲望を満たしてくれる使用価値と引き換えでなければ、他の商品と交換に自分の商品を譲渡することはない。その意味では彼にとって商品の交換は、個人的なプロセスにすぎない。他方では彼は自分の商品の価値として実現しようとするのであり、自分の気に入った同じ価値の別の商品のうちで、その価値を現実のものとしようとする。その際に彼のもつ商品が、他の商品所持者にとって使用価値があるものであるかどうかは問題ではないのである。そのかぎりで商品の交換は、彼にとって使用価値があるものであるかどうかは問題ではないのである。そのかぎりで商品の交換は、彼にとって一般的な社会的なプロセスである。しかし同じプロセスが、同じ時点ですべての商品所持者にとってもっぱら個人的なプロセスであると同時に、もっぱら社会的なプロセスであることはありえない。

もっと詳しく観察してみよう。すべての商品所持者にとって、他人の商品はどれも自分の商品の特殊な等価物であり、自分の商品は他のすべての商品の一般的な等価物となっている。しかしすべての商品所持者が同じことをするのだから、いかなる商品も一般的な等価物となることはない。商品たちはたがいに価値として等置しあい、価値の大きさを比較しあうような一般的な相対的価値形態をそなえていないのである。このように商品たちは一般に、たがいに商品として向き合うのではなく、たんに生産物として、あるいは使用価値として、他の商品と向き合うだけである。

困惑したわが商品所持者たちはファウストのように考える。はじめに行為ありきというわけだ。だから彼らは考える前から、すでに行為していたのである。商品の本性の法則は、商品所持者たちの自然の本能のうちで現実に働いていたのである。彼らが自分の商品を価値として、すなわち商品としてたがいに関係させることができるためには、自分の商品を、一般的な等価物である別の商品に関係づけねばならないのである。これは商品の分析によってすでに明らかにされたことである。

しかしある特定の商品を一般的な等価物にすることができるのは、社会的な行為だけである。だから他のすべての商品の社会的な行動は、ある特定の商品を排除し、そのことによって他のすべての商品はこの特定の商品のうちにあまねく自分の価値を表現する。これによってこの特定の商品の自然の形態が、社会的に通用する等価形態になる。一般的な等価物であることは、社会的なプロセスを通じて排除されたこの特定の商品の社会的な機能となるのである。こうしてこの商品は貨幣になる。「この者ども、心を一つにしており、自分たちの力と権威を獣にゆだねる」。「そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である」(『黙示録』)

貨幣という結晶は、交換プロセスから生まれた必然的な産物であり、さまざまに異なる種類の労働の生産物は、貨幣においてたがいに実際に同等なものとされ、実際に商品へと変わるのである。交換が歴史的に拡大し、深化すると、商品の本性のうちにまどろんでいた使用価値と価値の対立が発展する。そして人々のあいだに、この対立を取引においてはっきりと見えるものにしたいという欲求が生まれ、商品価値がある自立した形態をとるまで進む。そしてある商品が商品であると同時に貨幣であるという二重の形態をとって、この自立した形態が最終的な実現されるまで、この欲求は休まることがない。このように労働の生産物が商品となるのと同じように、ある商品が貨幣になるのである。

 

外部の共同体との交換

直接的生産物交換は、一面では単純な価値表現の形態をもっているが、他面ではまだそれをもっていない。この形態は、X量の商品A=Y量の商品Bであった。直接的生産物交換の形態は、X量の使用対象A=Y量の使用対象Bである。AとBという物はこの場合には交換以前には商品ではなく、交換によってはじめて商品になる。ある使用対象が可能性から見て交換価値であるという最初のあり方は、非使用価値としての、その所持者の直接的欲望を越える量の使用価値としての、それの定在である。諸物は、それ自体としては人間にとっては外的なものであり、したがって手放されうるものである。この手放すことが相互的であるためには、人々はただ暗黙のうちにその手放されうる諸物の私的所有者として相対するだけでよく、また、まさにそうすることによって互いに独立な人と相対するだけでよい。とはいえ、このように互いに他人であるという関係は、自然発生的な共同体の成員にとっては存在しない。その共同体のとる形態が家父長制家族であろうと古代のインドの共同体であろうとインカ国その他であろうと、同じことである。商品の交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる。しかし、物がひとたび対外的共同生活で商品となれば、それは反作用的に内部的共同生活でも商品になる。

諸物の量的な交換割合は、最初はまったく偶然的である。それらの物が交換されうるのは、それらの物を互いに手放しあうというそれらの物の所持者たちの意志行為によってである。しかし、そのうちに、他人の使用にたいする欲望は、だんだん固定してくる。交換の不断の繰り返しは、交換を一つの規則的な社会的過程にする。したがって、時がたつにつれて、労働生産物の少なくとも一部分は、はじめから交換を目的として生産されなければならなくなる。この瞬間から、一方では、直接的必要性のための諸物の有用性と、交換のための諸物の有用性との分離が固定してくる。諸物の使用価値は諸物の交換価値から分離する。他方では、それらの物が交換される量的な割合が、それらの物の生産そのものによって定まるようになる。慣習は、それらの物を価値量的として固定する。

ここでは、価値形態の段階を踏んで、商品の交換という面から貨幣が生まれてきた経緯を見ていこうとしています。

直接的な生産物の交換、つまり物々交換では、一面では単純な価値表現の形態を持っていますが、他面ではまだそれを持っていません。この形態は「X量の商品A=Y量の商品B」というものでした。しかし直接的な生産物の交換の形態は、「X量の使用対象A=Y量の使用対象B」なのです。つまり交換される生産物は、必ずしも商品になっているとはいえない場合もあるということです。AとBという生産物は、ここでは、交換の前には商品ではなく、交換を通してはじめて商品になります。一つの使用対象が交換価値になるための最初の可能性は、その使用対象が〈使用価値のないもの〉として、それを所有する人の直接的な欲望を上回る量で存在する使用価値として、現実に存在することで生まれるのです。つまり、最初の単純な価値形態(形態T)は、「X量の商品A=Y量の商品B」でしたが、実際の直接的な生産物の交換は、いまだ商品の交換とはいえず、「X量の使用対象A=Y量の使用対象B」、つまり労働生産物(使用対象物)の交換に過ぎないのです。だからこそ、それらはいまだ単純な価値表現の形態をまだ持っていないのです。そこで、単なる生産物が交換の対象になり、よって商品になりうるのは、それが生産者自身の欲求を満たす以上に生産された余剰物としてあるということです。

諸物はそれ自体としては人間にとっては外的なものですから、だから譲渡されうるものです。だからこの譲渡が相互的であるためには、人々は、ただ、諸物の私的所有者として、そしてそうしたものとして互いに独立した人格として、相対すればよいわけです。しかし、このような互いに他人である関係は、自然発生的な共同体の成員にとっては、存在しません。その共同体が家父長制的な家族の形態をとっていようと、あるいは古代インド的共同体の形態をとっていようと、インカ国家などの形態をとっていようと、私的な個人はいまだ存在していないからです。ここから、商品交換が前提する商品所有者相互の関係が問題となってきます。このような人間相互の関係(互いに私的所有者として認め合い相対する関係)というのは、決して歴史の端緒に存在するものではなく、一定の歴史的な発展段階において初めて生まれてくるものだとマルクスは言っています。

諸物の量的交換比率は、さしあたりはまだ偶然的です。またそれらの物が交換することができるのは、それらを互いに譲渡し合おうとする所有者たちの意志があるからです。その意味では、交換はまだ個人的なプロセスなのです。そのうちに、他人の使用対象に対する欲求がしだいに固まってきます。交換がたえず繰り返されると、交換は一つの規則的な社会的なプロセスとなります。そして時の経過と共に、労働生産物の少なくとも一部分は、意図的に交換目当てに生産されるようになるのです。この瞬間から二つの事態が発生します。第一に、直接的必要のための諸物の有用性と交換のための諸物の有用性との間の分離が確定します。諸物の使用価値は、諸物の交換価値から分離します。第二に、それらの物が交換されあう量的比率は、それらの物の生産そのものに依存するようになります。つまり習慣はそれらの物を価値の大きさとして固定するのです。

最後のところでは、商品交換の発展段階、つまり、価値形態TからVへの段階を跡づけて、いかにしてそれが貨幣を産み出すかを論じています。そして、交換されるのは、いまだ商品ではなく、単なる使用対象(労働生産物)であり、その直接的な交換の形態(物々交換)というわけです。労働生産物が商品になるのは、こうした物々交換が一定の発展をとげ、一部の労働生産物が、少なくとも交換を目当てに生産されるようになってからだというわけです。そして、貨幣形態の登場となるわけです。

直接的な生産物の交換は、単純な価値表現の形態をもつ一方で、他方ではまだこの形態をそなえていない。この単純な価値表現の形態とは、商品AのX量=商品BのY量という等式だった。直接的な生産物の交換の形態は、[まだ商品ではなく]使用対象AのX量=使用対象BのY量である。ここでは物品Aと物品Bは、交換される前にはまだ商品ではなく、交換されることで初めて商品になる。一つの使用対象が交換価値になるための最初の可能性は、その使用対象が〈使用価値のないもの〉として、それを所有する人の直接的な欲望を上回る量で存在する使用価値として、現実に存在することで生まれる。

物品は、そのものとしては人間にとっては外的なものであり、譲渡しうるものである。この譲渡が相互的なものとなるためには、人間たちは暗黙のうちに、その譲渡可能な物品の私的な所有者として向き合い、そのことによってたがいに独立した人格として向き合うだけでよい。しかし自然発生的な共同体の成員のあいだでは、このような見ず知らずの他人として向き合うという関係が生まれることはない。こうした共同体が家父長的な家族であろうが、古代のインドの共同体であろうが、インカ帝国などであろうが、このような関係はうまれないのである。

商品の交換は、共同体が終わるところで、すなわちある共同体が別の外部の共同体またはその成員と接触するときから始まる。しかしひとたび物品が共同体の生活の外部で商品となると、物品は反作用のように共同体の内部の生活でも商品となる。

物品の量的な交換比率は、最初はまったく偶然によって決められる。物品をたがいに譲渡しあおうとする物品の所有者の意思の行為によって、物品は交換可能になる。やがて他人の使用対象を欲する欲望がしだいに固定されたものになっていく。交換がたえず繰り返されると、交換は規則正しい社会的なプロセスになる。やがて労働生産物の少なくとも一部は、始めから交換を目的として生産せざるをえなくなる。この瞬間から二つの事態が起こる。第一に、直接的な生活の必要性のために利用される物品の有用性と、交換を目的とする物品の有用性が分離され、この分離が固定されるようになる。さまざまな物品の使用価値が、その交換価値から分離するのである。第二に、物品が相互に交換される量的な比率が、物品の生産そのものによって決まるようになる。習慣がこの量的な比率を、そのものの価値を大きさとして固定する。

 

貨幣形態の登場

直接的生産物交換では、どの商品も、その商品の所持者にとっては直接に交換手段であり、その非所持者にとっては等価物である。といっても、それが非所持者にとって使用価値であるかぎりでのことであるが。つまり、交換される物品は、それ自身の使用価値や交換価値の個人的欲望にはかかわりのない価値形態をまだ受け取っていないのである。この形態の必然性は、交換過程にはいってくる商品の数と多様性が増大するにつれて発展する。課題は、その解決の手段と同時に生まれる。

直接的な生産物の交換においては、どの商品の所有者にとっても、自分の商品は自分にとって必要な生産物を入手するための交換手段です。そして自分の持っていない(つまり相手が持っている)商品は、それが彼にとって自分の欲望を満たすもの(彼にとって使用価値であるもの)であなるならば、自分の商品の等価物となります。だから交換される物は、いまだそれ自身の使用価値や交換する当事者の個人的欲望から独立した価値形態をまだ受け取っていません。この形態(=「それ自身の使用価値や交換者の個人的欲求から独立した価値形態」=「一般的等価形態」)の必然性は、交換過程に入り込む商品の数と種類の増大とともに発展します。一般に課題はその解決の手段と同時に生まれます。ここでは、前のところで、商品交換の歴史的発展を辿って如何にしてそれが貨幣を産み出すに至るかを見た続きです。ここでの段階では、未だ貨幣は登場してこない段階です、前のところでは、交換されるのは、いまだ商品ではなく、単なる使用対象(労働生産物)でしかなかったのですが、ここではすでに交換されるものは「商品」であることが前提されています。つまり交換されるものが商品であることが前提されながら、なおかつ、その交換が直接的な生産物交換であるような発展段階が問題になっているのです。労働生産物の交換がある一定の広がりと深まりを獲得して、交換当事者が交換を目当てに、労働生産物を生産し始める段階です。これは、価値形態では形態U(全面的な展開された価値形態)の段階です。この段階では自身の価値をさまざまな商品で次々と表す商品は、すでに最初から交換を目当てに生産され、よってその価値性格が徐々に現れてくるものと言えるわけです。しかし、その商品と交換されるさまざまな物は、いまだ個別的・偶然的である可能性もあり、いまだ価値形態としては形態Tの段階を抜けていないかも知れないのです。

商品所持者たちが彼ら自身の物品をいろいろな他の物品と交換し比較する交易は、いろいろな商品がいろいろな商品所持者たちによってそれらの交易のなかで一つの同じ第三の商品種類と交換され価値として比較されるということなしには、けっして行われないのである。このような第三の商品は、他のいろいろな商品は、他のいろいろな商品の等価物となることによって、狭い限界のなかではあるが、直接に、一般的な、または社会的な等価形態を受け取る。

商品所有者が彼らの物品を他の様々な物品と交換したり比較したりする交易は、様々な商品所有者の様々な商品がその交易の内部で、同じ第三の種類の商品と交換され、それによって価値として比較されることなしには、決して生じないのです。このような、その交易において、さまざまな商品がその価値を比較し合うための基準になるような商品は、他のさまざまな商品にとっての共通の等価物になることによって、最初はまだその交易の狭い範囲や限界のなかにおいてに過ぎませんが、一般的または社会的な等価形態を受け取ることになります。

ここでは、ある特定の商品が次々と様々な商品によって自らの価値を表すような展開された段階(形態U)とは異なります。この段階では、次々と自ららの価値を表す商品は、その価値性格を表してきますが、しかしその商品と交換されるさまざまな商品は、いまだまだ単純な段階、偶然的・一時的段階(形態T)と考えられるからです。 しかし、ここで想定している交換過程の発展段階は、こうしたものではなく、ある特定の商品が次々と様々な商品と交換され、その価値を表すだけではなく、その交換される様々な商品そのものが互いに交換し合うような交換過程の発展段階を想定しているわけです。このような様々な商品の交換が行われるためには、しかし、第三の商品、例えば、展開された段階で次々に様々な商品と交換して、自分の価値を表した商品を尺度にして、そうした全面的に交換し合おうとする諸商品が、互いに価値を比較し合わないとそうした全面的な商品交換は不可能なのです。だからこれはすでに価値形態では形態Uが逆転された段階(形態V)、すなわち一般的価値形態の段階にあるものです。

この一般的等価形態は、それを生みだした一時的な社会的接触といっしょに発生し消滅する。かわるがわる、そして一時的に、一般的等価形態はあれこれの商品に付着する。しかし、商品交換が発展につれて、それは排他的に特別な商品種類だけに固着する。言いかえれば、貨幣形態に結晶する。

この一般的等価形態になる商品は、最初はそれを生み出す交易と同様に、一時的または社会的な接触と共に発生し、それと共に消滅します。だからこの形態は、最初は、あれこれの商品に、かわるがわる、且つ一時的に帰属することになります。 しかし商品交換がさらに発展すると、徐々に、ある特殊な商品が恒常的にそうした役割を担うようになります。そしてそうなってくると、もはや他の商品がそうした役割を担うことが出来なくなるのです。そうなると、その交易は貨幣形態を獲得したことになるでしょう。

ここでは、さまざまな商品が交換し合うような交易は、最初から恒常的にあったわけではなく、それ自体が一時的であったと考えられます。例えばある祭祀が行われる時期だけに開かれる市であるとか、ある時期に限って開かれる市というようにです。だから最初の一般的等価形態も、そうした交易が行われる時にだけ、その時点、時点である特定の商品に帰属し、別のある交易では、また別の商品がそうした形態を受け取るというようなものだったと考えられるわけです。そして、商品交換の発展は、さまざまな商品が互いに交換される交易そのものが、一時的ではなくなり、恒常的になるとともに、交換されあう商品そのものもその数も増え、種類も多様になってきます。そうなるとそれらの価値を互いに比較し合う商品がその度に異なるのでは都合が悪くなってきます。だからますますある特定の商品が排他的にそうした役割を担うようになるわけです。つまり貨幣形態に結晶するわけです。

それがどんな商品種類にひきつづき付着しているかは、はじめは偶然である。しかし、だいたいにおいて二つの事情が事柄を決定する。貨幣形態は、域内生産物の交換価値の実際上の自然発生的な現象形態である外来の最も重要な交換物品に付着するか、または域内の譲渡可能な財産の主要要素をなす使用対象、たとえば家畜のようなものに付着する。

貨幣形態を受け取るのがどういう種類の商品に落ち着くかは、さしあたりはまだ偶然によって決まります。しかし、一般的には次の二つの事情がそれを決めます。一つは外部から入ってくる最も重要な交易品です。これは事実上、内部の諸生産物がその価値を表す自然なものだったと考えられます。もう一つの事情は、内部で譲渡されうる所有物のなかでもっとも主要な要素をなすよう使用対象です。例えば家畜のようなものです。

ここでは、貨幣形態そのものも、最初から、貴金属に結晶するとは限らないこと、最初はまだどの商品が貨幣になるかは、偶然的だとマルクスは指摘しています。しかし、二つの事情が決定的だと。一つは、外部からもたらされる物品の中でも重要なものです。これはある意味では自然です。というのも、商品交換が発生するのは、共同体の内部からではなく、共同体が他の共同体と、あるいは他の共同体の成員と接触するところから生まれるからです。共同体の外部からその共同体にはない物品が交換によってもたらされるわけです。そのようにして始まった交換は、やがては共同体の内部に反射して、共同体の内部でも交換が盛んになり、共同体の成員同士でも互いに交換し合うことが想定されているわけです(しかしそのためにはすでに共同体の内部に私的所有が生まれ、共同体そのものが半ば崩壊しつつあることも前提されています)。だからこの場合、彼らにとって共通な尺度は、共同体の外部からもたらされた商品、そのうちの誰もが必要とする重要な商品がなるのは自然の成り行きなのです。もう一つについては、共同体の内部でも商品交換が頻繁になると、やがて貨幣形態は、彼らにとって主要な使用対象をなすような商品に移っていきます。例えば、家畜のようなものです。私的所有の発生は、最初は、共同体において共有されているような土地などではなく、それぞれの家族が個人が占有している動産から生まれるとマルクスは指摘しています(そして家屋やその回りの菜園などから土地の私有も発生する)。しかし動産と言っても道具のようなものは、一般的ではないために、家畜などがそうした役割を担うことになったと考えられわけです。

遊牧民族は最初に貨幣形態を発展させるのであるが、それは、彼らの全財産が可動的な、したがって直接に譲渡可能な形態にあるからであり、また、彼らの生活様式が彼らを絶えず他の共同体と接触させ、したがって彼らに生産物交換を促すからである。人間はしばしば人間そのものを奴隷の形で原始的な貨幣材料にしたが、しかし土地をそれにしたことはなかった。このような思いつきは、すでにできあがったブルジョワ社会でしか現われることができなかった。それが現われたのは、17世紀の最後の3分の1期のことであり、その実行が国家的規模で試みられたのは、やっと1世紀後にフランスのブルジョア革命のさいちゅうのことだった。

遊牧民族が最初に貨幣形態を発展させるのですが、それは彼らの全財産が動かしうるから、よって直接に譲渡可能なものからなっているからです。また彼らの生活様式が、つまり放牧によって一定の地域を移動する生活が、絶えず別の共同体と接触させ、だからそれぞれの接触する共同体と生産物の交換を促すことになるからです。人間はしばしば人間自身を奴隷として原初的な貨幣材料としてきましたが、不動産である土地をそうしたものにしたことはかつてありませんでした。土地を貨幣材料にするような観念が生まれるためには、土地を売買が発展するブルジョア社会においてのみ出現し得たからです。その始まりは17世紀の最後の3分の1期のことで、それが国家的規模で最初に実施されたのは、それからやっと一世紀後のフランスのブルジョア革命の時でした。

生産物の直接的な交換においては、それぞれの商品はその所有者にとっては直接の交換手段である。それを所有しない人にとってそれが使用価値であるかぎり、その商品は[交換すべき]等価物として現れる。だからこの状況では交換されるこの物品は、それ自身の使用価値から独立した価値形態も、交換する相手の個人的な欲望から独立した価値形態もそなえていない。交換プロセスに参入する商品の数が増大し、多様なものとなるとともに、このような価値形態の必要性が痛感されるようになる。解決すべき課題が生まれると、それを解決する手段も同時にうまれるものである。

取引において商品所持者たちは、たがいに自分と相手の物品を比較し、交換するのであるが、さまざまな商品所持者の所有するさまざまな商品が、取引において同じ第三の種類の商品と交換され、価値として比較されるようにならなければ、こうした取引が行われることはない。この第三の商品は、他のさまざまな商品にとっての等価物となると、たとえ狭い範囲であっても、直接に一般的な等価物または社会的な等価物の形態をうけとる。

この一般的な等価形態は、これを成立させた一時的な社会的な接触のたびごとに、発生したり、消滅したりする。これはかわるがわる一時的にあの商品に固着したり、この商品に固着したりする。しかし商品交換が発展してくると、特別の種類の商品だけに固定されるようになれ、貨幣形態へと結晶するようになる。

この貨幣形態がどのような種類の商品に固着するかは、さしあたりは偶然によって決まる。しかし大まかに言って、二つの状況が重要である。貨幣形態は、外部の共同体とのもっとも重要な交換品目で、実際に共同体の内部の生産物の交換価値にとって、自然発生的な現象形態となる共同体の外部からの品目に固着するか、あるいは家畜のように、共同体の内部の使用対象で、譲渡可能な財産の主要なものである品目に固着するかのどちらかのどちらかである。

遊牧民が最初に貨幣形態を発展させる。遊牧民のすべての財産は移動可能な形態をとっており、直接に譲渡可能な形態にあるからである。そして遊牧民はその生活様式のために、たえず外部の共同体と接触し、生産物を交換するように促されるからである。人間は奴隷の形で、人間そのものを原初的な貨幣の素材にしてきたが、土地を貨幣の素材にしたことはなかった。土地を貨幣の素材とする考え方は、すでに成熟したブルジョワ社会でなければ、思いつくことのできないものだった。このアイディアは17世紀の最後の3分の1期に登場し、その1世紀後のフランス革命の頃に、国家的な規模で試されるようになったのである。

 

貴金属貨幣の誕生

商品交換がその局地的な限界を打ち破り、したがって商品価値が人間労働一般の物質化に発展してゆくにつれて、貨幣形態は、生来一般的等価物の社会的機能に適している諸商品に、貴金属に、移ってゆく。

ところで、「金銀は生来貨幣なのではないが、貨幣は生来金銀である」ということは、金銀の自然属性の諸機能に適しているということを示している。しかし、これまでのところでは、われわれはただ貨幣の一つの機能を知っているだけである。すなわち、商品価値の現象形態として、または諸商品の価値量が社会的に表現されるための材料として、役だつという機能である。価値の適当な現象形態、または抽象的な、したがって同等な人間労働の物質化でありうるのは、ただ、どの一片をとってもみな同じ均一な質をもっている物質だけである。他方、価値量の相違は純粋に量的なものだから、貨幣商品は、純粋に量的な区別が可能なもの、つまり任意に分割することができ、その諸部分から再び合成することができるものでなければならない。ところが、金銀は生来これらの属性をもっているのである。

商品交換がますます盛んになり、局地的な束縛を打ち破って拡大していくにつれて、商品の価値はますます人間労働一般が物質化したものとしての性格を強めていきます。そしてそれと同じ割合で、貨幣形態も、ますます一般的等価という社会的機能に適した商品に、すなわち貴金属に移っていきます。

「金と銀は生まれつき貨幣であるわけではないが、貨幣は生まれつき金や銀である」ということは、金銀の自然諸属性が貨幣の諸機能に適していることを示しています。しかし私たちは、これまでのところでは、貨幣の一つの機能しか知りません。つまり、商品の価値の現象形態として、あるいは商品の価値の大きさを社会的に表す材料として、役立つという機能だけです。価値の適切な現象形態、すなわち抽象的な、したがって同等な、人間労働の物質化となりうるためには、どの一片をとってみてもみな同じ均等な質をもっている物質でなければなりません。

また価値の大きさの区別は純粋に量的なものでしかありませんから、貨幣商品は、純粋に量的に区別ができるもの、だから任意に分割できて、その分割された諸部分から再び合成できるものでなければなりません。ところが、金銀は生まれながらにして、こうした諸属性をそなえています。

ここで、貨幣形態の商品から金貨や銀貨といった貴金属の貨幣への移行プロセスが論じられています。これは、前章の価値形態の段階のところでも商品形態から貨幣形態に段階が移っていくという簡単な分析が行われていましたが、これに重なるところが多いと思います。また、マルクスは前著「経済学批判」で、なぜほかの諸商品ではなく金銀が貨幣の材料として役だつかという問題について詳しく論じています。「資本論」本文でも注を付して、「経済学批判」を参照することを求めています。そこで、それも踏まえて、貴金属貨幣に移行することのメリットを考えてみたいと思います。

一般的価値形態において、商品の交換が広範囲に、そして何度も繰り返されるようになると、そこには特定の商品が一般的等価物でして交換を介在する機能を果たすことになります。その場合、便宜上、一般的等価物は保存に適したものであること(時間が経ってもその使用価値が失われないこと、壊れにくいこと、腐ったりさびたりしないこと、場所をあまりとらないこと)、直接的交換に必要なだけ分割可能なものである(分割するのが技術的に容易であること、分割してもその使用価値が無に帰さないこと)といった特殊な物理的・化学的性質が必要になってくると思います。つまり、他の諸商品との交換機会が最も多いという当初の性質とは異なった、貨幣としての役割を果たすのにふさわしい独自の諸性質を持ったものこそが、貨幣に適した商品だということになるわけです。たとえば、穀物が一時的に現実的交換手段になったとしても、その穀物はいずれ消費されるか、あるいは古くなって使い物にならなくなり、したがって現実的交換手段としての役割も果たさなくなる。さらに、一般的等価物としての商品に求められるものが追加されます。それは、価値として不滅であり、任意に分割可能であり、完全に均質であるということです。まさに、それらの要求に応えるものこそ、金や銀などの貴金属と言えるのです。

他方、貴金属は以上のような要求に応えるだけではないのです。それ以外に貴金属として独特の性質が貨幣という形態に適している点があるのです。

それは、まず第1に、貴金属は、一時的に貨幣の役割を果たすような諸商品と違って、日常生活において必要なものでも何でもないということです。一般的等価物になるような商品は、最も交換機会が多いものでしょうから、生活において、あるいは生産において必要不可欠なものとなるでしょぅ。しかし貴金属はそうではありません。だから、貴金属としての貨幣は外部から持ち込まれなければならない。逆にまた、そうであるからこそ、それは貨幣にふさわしいとも言えると思います。というのも、貨幣というのは社会的な空費であって、生活や生産に必要不可欠なものが貨幣として定着してしまえば、この必要不可欠なものを大量に生産や生活から引き上げて、純粋に流通や蓄蔵のために使用しなければならないことになりがちです。これは生活や生産に大きなダメージを与えることになるからです。

第2に、貴金属が貨幣にふさわしい理由は、さびない、腐らない、任意に分割でき、任意に再統合できる、といった物理的・化学的性質以外に、容積が小さくてもそこに含まれている価値量がきわめて大きいという社会的性質が必要とする(マルクスの言い方によれば価値比重が高い)ということです。すなわち、貨幣にふさわしいためには、その商品自体が貴重なものであり、その算出に膨大な労働を費やすものでなければならないというわけです。しかし、貨幣それ自体は特定の具体的な必要を満たすものではないから、物質的な生活の再生産に振り向けるべき限られた生産力を、それ自体消費対象ではないものに大量に割くことは、生産力が低い段階ではきわめて困難であることがわかる。貴金属が貨幣になるためには、単に商品流通が一定発達するだけでは不十分なのであり、そうした貴金属を大量に産出しうるだけの豊富な貴金属資源が実際に存在し、かつその産出に多くの労働と手段を割くことができるほど生産力が高くなければならないし、またそれを採掘して金や銀の塊として抽出・製錬する高度な技術が存在しなければならないからです。

さらに第3に、このような貴金属資源も、あるいはこのような生産力的・技術的水準も、地域的に均等に存在するわけではないし、また時間が経てば自然に獲得できるわけでもないということです。貴金属は穀物などと違って人為的に生産することはできず、もっぱら自然(鉱山)に含まれている天然資源の絶対量に依拠しており、しかもこの貴金属資源は地理的にきわめて偏って存在しています。貴金属を採掘し製錬する技術も、地理的に偏ってしか成立しえない。ここで、商品交換の発展と拡大という自然発生的な論理とは異質な論理が介在してくることになります。すなわち、人々に労働を強いて生産力水準を引き上げ、地理的に不均等に存在する貴金属資源を独占し、大量の労働と手段を、物質的生活の再生産にほとんど役立たない貴金属を採掘し製錬し運搬し加工することに割くことができ、また実際にそこから貨幣を作ることができる技術を取得しうるような、強力な支配者集団とその権力とが存在しなければならないのです。その権力とは支配者です。 

商品交換が局地的な制約を打ち破るようになり、商品の価値が人間労働一般を物質化するようになるとともに、貨幣形態は一般的な等価物という社会的な機能に適している商品すなわち貴金属へと移行する。

「金と銀は生まれつき貨幣であるわけではないが、貨幣は生まれつき金や銀である」ということは、金や銀の自然の特性が貨幣の機能にふさわしいものであることを示している。ただしこれまでに確認してきたのは貨幣の一つの機能だけである。この機能は、商品価値の現象形態として役立つこと、すなわち商品の価値の大きさを社会的に表現する材料として役立つということである。価値の適切な現象形態としては、そして抽象的で同等な人間労働が物質化しうるものとしては、[貴金属のように]どのサンプルをとってもすべて均一な質をそなえた物質がふさわしいのである。

他方で、価値の大きさは純粋に量的なものだから、貨幣商品もまた、純粋に量的な違いを表現できるものである必要がある。だから任意に分割することができ、さらに分割された部分を集めてふたたび合成できる必要がある。金と銀はこれらの特性を生まれながらにそなえている。

 

貨幣の二重の使用価値誕生

貨幣商品の使用価値は二重になる。それは、商品としてのその特殊な使用価値、たとえば金が虫歯の充填や奢侈品の原料などに役だつというような使用価値のほかに、その独自な社会的諸機能から生ずる一つの形態的使用価値を受け取るのである。

他のすべての商品はただ貨幣の特殊的等価物でしかなく、貨幣は他の諸商品の一般的等価物なのだから、他の諸商品は、一般的商品としての貨幣にたいして、特殊的諸商品として相対するのである。

こうして貨幣になる商品である貴金属の使用価値は二重化します。というのは、貴金属は、例えば金が虫歯の充填に役立ったり、奢侈品の原材料に役立つというような、商品としてのその本来の特殊な使用価値の他に、貨幣としての独特な社会的機能からくる一つの形態的な使用価値を受け取るからです。

貨幣は他の諸商品の価値を表す一般的等価物です。それに対して、貨幣自身の価値は、それによって表される諸商品の列によって表されます。そしてこれらの諸商品は、だから貨幣に対して特殊な等価物となるわけです。こうしたことから、一般的商品である貨幣に対して、他の諸商品は特殊な商品として位置づけられることになります。

ここで論じられているのは次のようなことです。諸物のさまざまな諸属性が人間にとって有用である場合、その諸物は使用価値なわけです。貴金属は、古代から装飾に使われてきましたが、必ずしも生産手段としての役立ちはありませんでした。せいぜいその耐久性を利用して虫歯の充填に利用されたり、食器類等に使われたに過ぎません。しかし、貴金属は同時にその諸属性が貨幣としての社会的機能を果たす上で、最も適したものでもあったわけです。それは上記で説明されました。こうした諸属性が社会的機能を果たすのに適し、貨幣としての社会的に必要な有用な効果をもたらすわけですから、これも貴金属の別の意味での使用価値であると言えます。マルクスはこうしたものを、社会的機能から生じる使用価値であるということから、これを形態的使用価値と規定しているわけです。このような意味で貨幣商品(貴金属)の使用価値は通常の貴金属の属性が有用効果をもたらす使用価値(虫歯の充填等)とその属性が社会的機能(貨幣としての機能)を果たす上でもっとも適切であるという使用価値に、二重化するというわけです。 

貨幣商品の使用価値は二重のものとなる。第一に、金が歯の詰め物に利用されたり、贅沢品の材料に利用されたりするように、貨幣商品は商品として特別な[実質的な]使用価値をそなえている。第二に貨幣商品には形式的な使用価値があり、これは[貨幣としての]独自の社会的な機能からうまれたものである。

他のすべての商品は、貨幣の特殊な等価物であるだけで、貨幣は商品の一般的な等価物である。すなわち他の商品は、一般的な商品である貨幣にたいして、特殊な商品としてふるまうのである。

 

貨幣の価値と価値形態

すでに見たように、貨幣形態は、他のすべての商品の関係の反射が一つの商品に固着したものでしかない。だから、貨幣が商品であるということは、ただ、貨幣の完成姿態から出発してあとからこれを分析しようとするものにとって一つの発見であるだけである。交換過程は、自分が貨幣に転化させる商品に、その価値を与えられるのではなく、独自な価値形態を与えるのである。この二つの規定を混同は、金銀の価値を想像的なものと考える誤りに導いた。貨幣は、一定の諸機能においてはそれ自身の単なる章標によって代理されることができるので、もう一つの誤り、貨幣は単なる章標であるという誤りが生じた。他方、この誤りのうちには、物の貨幣形態はその物自身にとっては外的なものであって、背後に隠された人間関係の単なる現象形態である、という予感があった。この意味ではどの商品も一つの章標であろう。というのは、価値としては商品に支出された人間労働を物的な外皮でしかないからである。しかし、一定の生産様式の基礎の上で物が受け取る社会的性格、または労働の社会的規定が受け取る物的性格を、単なる章標だとするならば、それは、同時に、このような性格を人間のえてかってな反省の産物だとすることである。これこそは18世紀に愛好された啓蒙主義の手法だったのであって、この手法によってその発生過程をまだ解明することができなかった人間関係の不可解な姿から少なくともさしあたり奇異の外観だけでもはぎ取ろうとしたのである。

すでに見たように、貨幣形態は、他のあらゆる商品の諸関係が反射して、一つの商品に固着したものにほかなりません。だから、貨幣のすでに完成した姿から出発して後から分析する者にとっては、貨幣が商品であるということは、まさに一つの発見です。しかしそれだけでは終わらず、金や銀が貨幣になるのは、社会的な交換過程においてそうした機能を果たすことから生じるのに、それが金や銀自身の価値を、それが貨幣だから、貨幣としての機能を果たすことから生まれている、貨幣としての機能によって与えられている、そしてそこから、金銀は価値のないものであるが、しかし流通過程の内部では諸商品の代理者として一つの擬制的な価値の大きさを得る、という解釈が生まれ、金や銀の価値は、たんに想像だけのものと考える誤解を生みました。

貨幣が、特定の機能をはたす際には、たんなる記号で代用することができるために、貨幣は記号にすぎないという別の誤解が生じました。他方、この誤解のうちには、ある商品の貨幣形態は、その物自身にとって外的なもの、つまり、自身がもともと貨幣形態であるのではなくて、付与されたものであり、その背後に隠されている人間関係が形となって現象したものだという予感があったのです。いわゆる「金廃貨論」という考え方ですね。つまり、金はすでに貨幣ではない、という主張です。ということは、現在、貨幣、あるいは通貨として通用しているものは、単に流通から与えられた機能を果たしているだけのものだ、ということになるわけです。つまり現在の通貨は、価値のないものであるが、しかし流通過程の内部では諸商品の代理者として一つの擬制的な価値の大きさを得るので、そのことによって貨幣としての機能を果たしているのだ、という考え方です。これは、流通という人々の関係が通貨という記号で表されているということになります。 ところで、ここではマルクスは貨幣の価値を想像的なものと考える誤解と、貨幣を単なる記号であるとする誤解を区別して、それらが貨幣の違った社会的機能から生じてくることを論じています。最初の誤解は交換過程が金銀の価値ではなく、価値形態(=貨幣形態)を与えるのだということを理解せず、貨幣の価値は流通そのものから生じる想像的なものとする誤解であり、もう一つの誤解は貨幣の一つの機能である流通手段としての機能から生じるもので、貨幣は単なる記号だという理解です。

さて、続けて読んでいきましょう。このような意味では、商品というのも一つの記号と見ることができます。というのも、商品というのは、価値としては、商品を生産するために投入された人間労働を物の形で覆った外皮のようなものにほかならないからです。しかし、特定の生産様式の基礎の上で、諸物の社会的諸性格、あるいは労働の社会的諸規定が受け取る物の性格を、単なる記号とみなすのでしたら、それは結局、それらの性格を人間の恣意的な反省の産物とみなすのと同じです。そしてこれこそは18世紀の啓蒙思想家が好んだ説明方法でした。彼らは人間的な関係のうちにひそむ謎めいた姿から(彼らはその起源を解明することができていなかった)、できれば見知らぬものという見掛けだけでも取り除きたかったのです。特定の生産様式の基礎上でとは、当然、資本主義的生産様式の基礎上でという意味だろうと思いますが、ここでは物象的な属性は、確かに労働の社会的諸性格が物の社会的属性として現れているものですが、しかし、それを単なる記号(シンボル)として説明するとするなら、結局は、そうした物の属性をただ人間が恣意的に造り上げたものと説明することに通じてしまうということだと思います。

まとめましょう。ここでは、すでにみた物神崇拝とは異なるタイプの誤りが指摘されています。これは社会的なリアリティをたんなる人間の恣意や想像から生まれたものだと見なす考え方です。ここでは、価値と価値形態の混同から発生する。金銀の価値を想像的なものとみなす考え方や貨幣をたんなる記号(シンボル)としてみなす考え方が批判されています。マルクスはこのような手法を「啓蒙主義」を特徴付けています。

もちろん、金銀の価値や貨幣のもつ直接的交換可能性は、たんなる人間の恣意や想像から発生したものではなく、一定の社会関係、あるいはそれを形成する人々の日常的な実践から発生したものであり、この事実を直視しない「啓蒙主義」は理論的に誤っているだけでなく、実践的にも問題含みです。というのも、貨幣の存在がもたらす様々な問題を人間の意識の持ちようによって解決可能であるかのような錯覚をもたらすからです。実際には、貨幣の存在がもたらす諸問題を解決するには、この貨幣を発生させる生産関係そのものを変革するほかはありません。とはいえ、このような「啓蒙主義」は非常に分かりやすい単純な議論ですので、人々にも受け入れられやすく、いまでも同様の手法で貨幣を説明している人がかなりいます。その意味では、このマルクスの啓蒙主義批判は依然として重要であると言わざるを得ません。

前にも述べたように、一商品の等価形態は、その商品の価値の大きさの量的な規定を含んではいない。金が貨幣であり、したがってすべての他の商品と直接に交換されうるものだということを知っていても、それだからといって、たとえば10ポンドの金にどれだけの価値があるかがわかるわけではない。どの商品でもそうであるように、貨幣もそれ自身の価値量をただ相対的に他の諸商品で表わすことができるだけである。貨幣自身の価値は、貨幣の生産な労働時間によって規定されていて、それと同じだけの労働時間が凝固している他の各商品の量で表現される。このような、貨幣の相対的価値量の確定は、その生産源での直接物々交換で行われる。それが貨幣として流通にはいるとき、その価値はすでに与えられている。すでに17世紀の最後の数十年間に貨幣分析の端緒はかなり進んでいて、貨幣は商品だということが知られていたとしても、それはやはり端緒でしかなかった。困難は、貨幣が商品だということを理解することにあるのではなく、どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのかを理解することにあるのである。

先に指摘しましたように、ある商品の等価形態は、その商品の価値の大きさの量的規定を含んでいません。金が貨幣であり、したがって他のすべての商品と直接に交換されうるものであることが分かったとしても、それだからといって、例えば10ポンドの金の価値がどれだけかは分からないのです。10ポンドという金の量は、金でその価値を表す(だから価格として表示される)商品、例えば亜麻布の価値の大きさを10ポンドという金の量で表しているわけです。だからそれは金そのものの価値の量的表現ではないわけです。どの商品もそうですが、貨幣(金)はそれ自身の価値の大きさを、ただ相対的に、よって他の諸商品の助けを借りて、表現しうるのみです。貨幣(金)自身の価値は、他の諸商品と同じように、その生産のために必要とされる社会的に必要な労働時間によって規定されます。だからそれと同じ大きさの労働時間が凝固した、他の諸商品の使用価値の量によって、金の価値も量的には表されなければならないのです。

貨幣(金)の相対的価値の大きさかがこのような形で確定されるのは、金が生産される場所における直接的な交換取引(物々交換)の中でです。そしてそれが貨幣として流通に入る時には、すでにその価値は与えられたものとして存在しているのです。だから、それは決して流通のなかで与えられるのではありません。すでに17世紀の最後の数十年間には、貨幣分析のずっと踏み込んだ端緒がなされていて、貨幣が商品であることは知られていました。しかし、それはやはり端緒に過ぎなかったのです。困難は、貨幣が商品であるということを理解する点にあるのではなく、どのようにして、なぜ、何によって、商品が貨幣であるのかを理解する点にあるのです。

すでに確認したように、貨幣形態は他のすべての商品の関係が、一つの商品のうちに反射し、その商品に固着したものにすぎない。貨幣が商品である事実を、こと新たに〈発見〉するのは、貨幣の完成した姿から出発して、事後的に貨幣を分析しようとする者だけである。交換プロセスにおいて、ある商品は貨幣になるが、その商品はこのプロセスによって価値を与えられるのではなく、独自の価値形態を与えられるのである。この「価値と価値形態の」二つの規定を混同したために、一部の人々は金や銀の価値は、たんに想像だけのものと考える過ちを犯した。

また貨幣は、特定の機能をはたす際には、たんなる記号で代用することができるために、貨幣は記号にすぎないという別の誤謬が生まれた。他方ではこの誤謬は、ある商品の貨幣形態は、その物品にとっては外面的なたんなる現象形態にすぎず、その背後には人間的な関係がひそんでいることを暗黙のうちに予感するものであった。この意味では、すべての商品もまた一つの記号であろう。商品は価値としては、商品を生産するために投入された人間労働を物の形で覆った外皮のようなものにほかならないからである。

しかし特定の生産様式を基礎とした物品の社会的な性格を、たんなる記号とみなすことは、また労働の社会的な規定がうけとる物としての性格を、たんなる記号とみなすことは、それは同時に、こうした性格を人間の恣意的な省察の産物とみなすことである。これは18世紀の啓蒙思想家が好んだ説明方法だった。彼らは人間的な関係のうちにひそむ謎めいた姿から(彼らはその起源を解明することができていなかった)、できれば見知らぬものという見掛けだけでもとりのぞきたかったのである。

すでに指摘しておいたように、ある商品の等価形態は、その価値の大きさの量的な規定を含まない。金は貨幣であり、すべての商品と直接に交換できることが分かったとしても、たとえば10ポンド重さの金がどのような価値をもつかは分からないのである。どの商品についても言えることだが、貨幣もみずからの価値の大きさを、他の商品との関係で相対的にしか表現できない。貨幣自身の価値は、その生産に必要であった労働時間によって決まり、それと同じ量の労働時間が凝固している他の任意の商品の量で表現される。

貨幣の相対的な価値の大きさは、それを生産している場所で、直接物々交換することで確定される。それが貨幣として流通するようになった瞬間に、その価値はすでに定められている。貨幣についての分析は、17世紀の最後の数十年間にかなり進展しており、貨幣が商品であることが認識されていたのであるが、それはまだ端緒にすぎなかった。難しいのは貨幣が商品であることを把握することではなく、商品はどのようにして、どのような理由から、何によって貨幣であるかを把握することなのである。

 

貨幣の魔術的な力

われわれが見たように、すでに、X量の商品A=Y量の商品Bという最も単純な価値表現にあっても、他の一つの物の価値量がそれで表わされるところの物は、その等価形態をこの関係にはかかわりなく社会的な自然属性としてもっているかのように見える。われわれはこのまちがった外観の固定化を追跡した。この外観は、一般的等価形態が一つの特別な商品種類の現物形態と合生すれば、または貨幣形態に結晶すれば、すでに完成している。一商品は、他の商品が全面的に自分の価値をこの一商品で表わすのではじめて貨幣になるとは見えないで、逆に、この一商品が貨幣であるから、他の諸商品が一般的に自分たちの価値をこの一商品で表わすように見える。媒介する運動は、運動そのものの結果では消えてしまって、なんの痕跡も残してはいない。諸商品は、なにもすることなしに、自分自身の完成した価値姿態を、自分のそとに自分と並んで存在する一つの商品体として、眼前に見いだすのである。これらの物、金銀は、地の底から出てきたのまで、同時にいっさいの人間労働の直接的化身である。ここに貨幣の魔術がある。人間の社会的生産過程における彼らの原始的な行為は、したがってまた彼ら自身の生産関係の、彼らの制御や彼らの意識的個人的行為にはかかわりのない物的な姿は、まず第一に、彼らの労働生産物が一般的に商品形態をとるということに表われるのである。それゆえ、貨幣呪物の謎は、ただ、商品呪物の謎が人目に見えるようになり人目をくらのすようになったものでしかないのである。

私たちがすでに見たように、最も単純な価値表現、商品AのX量=商品BのY量という等式においても、他の商品の価値の大きさがそれによって表される商品の使用価値は、この関係から独立して社会的な自然の属性として等価価値を自ら持っているかのようにみえます。私たちはこの誤った見掛けがどのようにして固定されていくか追求してきました。一般的等価形態が、ある特殊な種類の商品の現物形態に癒着した時、あるいは貨幣形態に結晶した時、この誤った見掛けが出来上がったのでした。

ある商品が、他の諸商品がその価値をこの商品によって全面的に表示するから、初めて貨幣になるのだ、というようには見えないで、むしろ逆に、この商品が貨幣であるからこそ、他の諸商品はこの商品によって一般的にそれらの価値を表示できるかのように見えるのです。この時の媒介する運動は、その運動によってもたらされた結果そのもののうちに消えてしまい、いかなる痕跡も残していません。諸商品は、自らは関与せずに、自分たちの自身の価値の姿が、自分たちの外に自分たちと並んで存在する一商品体(金銀)として完成されているのを見いだすだけです。金や銀というこれらの物は、地中から出てきたままで、同時に、いっさいの人間労働の直接的化身なのです。

社会的な生産プロセスにおいて、人間たちはたんなるアトムとしてふるまうのであり、人間自身の生産関係は物としての姿をとります。これは人間による制御とも、自覚的な個人的な行動とも独立したものです。これはまず、人間たちの労働生産物が、一般的な商品形態をとることのうちに表現されるからです。こうして貨幣のフェティシズムの謎は、人々の目をくらます商品のフェティシズムの謎が目に見えるようにしめされたものにすぎないのである。

まとめです。交換過程論の締めくくりの部分で、マルクスは事実上すでに価値形態論で考察されていた貨幣のフェティシズムについて論じています。もはや等価物は上衣や亜麻布ではなく、金ないし銀であり、それらが一般的等価物の役割を独占しています。それゆえ、「これらの物、金銀は、地の底から出てきたままで、同時にいっさいの人間的労働の直接的化身」であり、「ここに貨幣の魔術がある」ということになります。

とはいえ、このような貨幣のフェティシズムは、もとはと言えば、商品生産にともなって私的労働の生産物が価値という「まぼろしのような対象性」を帯びるという商品の物神的性格から生まれてきたものにほかなりません。「それゆえ、貨幣物神の謎は、目に見えるようになり人目をくらますようになった商品物神謎にほかならない」のです。ここでもやはり、マルクスは貨幣物神がほかならぬ商品生産から必然的に発生することを強調し、その解消のためには生産関係の変革が必要であることを示唆します。

もっとも単純な価値表現が、商品AのX量=商品BのY量という等式で表現できることは、すでに確認したとおりである。この等式で他の商品の価値の大きさをみずからのうちで表現している物品は、この等式の関係とはかかわりなしに、社会的な自然の特性としてその等価形態をそなえているようにみえる。わたしたちはこの誤った見掛けがどのようにして固定されていくかを追跡してきた。この見掛けは、特別な種類の商品の自然の形態に、一般的な等価形態が固着して、それが貨幣形態に結晶したときに、完全なものとなるのである。

ある商品が貨幣となるのは、他の商品があまねくその商品によってそれぞれの価値を表現するからなのだが、その反対に、その商品が貨幣であるからこそ、他の商品がそれぞれの価値をその商品によって一般的に表現するかのようにみえるのである。ここでは、媒介する働きは、その働きの結果そのもののうちに消えてしまい、いかなる痕跡も残さない。商品たちは、みずからは何もすることなしに、みずからの価値の姿を、その外部に、みずからと並んで存在するあの商品体のうちに、完成されたものとしてみいだすのである。この物が金や銀であり、大地の懐から掘りだされたままの姿で、すべての人間労働を直接に受肉するものとなっている。ここに貨幣の魔術的な力がある。

社会的な生産プロセスのうちで、人間たちはたんなるアトムとしてふるまうのであり、人間自身の生産関係は物としての姿をとる。これは人間による制御とも、自覚的な個人的な行動とも独立したものである。これはまず、人間たちの労働生産物が、一般的な商品形態をとることのうちに表現されるのである。こうして貨幣のフェティシズムの謎は、人々の目をくらます商品のフェティシズムの謎が目に見えるようにしめされたものにすぎないのである。

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