ラファエル前派周辺の画家
フィリップ・ハーモニジーズ・コールデロン
 

 

ラファエル前派の画家たち言えばミレイ、ロセッティ、ハント、バーン=ジョーンズといった人たちで、彼らはラファエル前派兄弟団に参加したし、運動の中心メンバーとしてリードしていました。その一方で、彼らが精力的に作品を発表し、少しずつ世間の耳目を集めていくに従って、運動が広がっていきました。それ応じて、運動に参加したり、運動には参加しなくても彼らと相互交流をつづけたり、運動には距離を保ちながらも間接的に影響を受けたり、様々なかたちでラファエル前派の運動に係る人々がでてきました。ここでは、そのような画家たちをピックアップしてみたいと思います。

 

(1)コールデロン、画家と作風

フィリップ・ハーモジニーズ・コールデロン(1833〜1898)は1833年フランスのポワティエに生まれ、母はフランス人、父はスペイン人の司祭で、国教会に改宗し、ロンドンのキングズ・カレッジのスペイン文学の教授になったといいます。コールドロンは工学を学ぶつもりだったが、図形を描く方に関心が移り、美術に進むことにしたということで、ロンドンのジェイムズ・Mリー学校で美術を学んだ後、パリのフランソワ=エドゥアール・ピコのアトリエで学びました。1853年にロイヤル・アカデミーに「バビロンの流れのほとりで」を初出品、その後「破られた誓い」で名声を得ます。この「破られた誓い」は、ラファエル前派に感化され、ディテール、深い色合い、写実性を特徴とした作品でした。やがて、現代的テーマよりも歴史的テーマを光の効果の中で描こうとした美術家の集団「セント・ジョンズ・ウッド派(St John's Wood Clique)」のメンバーとなり、コールデロンの後期作品は一般に聖書・歴史・文学をテーマとするようになります。1870年以降は主に肖像画を描き、1887年にはロイヤル・アカデミーの所蔵品を管理するキーパーに任命されましたが、裸で跪くハンガリーの聖エリザベートを描いた作品はカトリック教会から非難を浴びました。コールデロンの作品の多くに、贅沢かつ優美な服を着た女性と穏やかな色調の風景が描かれています。それは、祭壇の上で裸で屈んでいるエリザベートを修道士たちが見ていたという作品だったからです。

※セント・ジョンズ・ウッド派(St John's Wood Clique

1860年代に結成されたグループは、カルデロン、ジョン・エヴァン・ホジソン(1831〜1895)、ジョージ・ダンロップ・レスリー(1835〜1921)、ヘンリー・ステイシー・マークス(1829〜1898)バレンタイン・キャメロン・プリンセップ(1838〜1904)、ジョージ・アドルフス・ストーリー(1834〜1919)、フレデリック・ウォーカー(1840〜1875)、ウィリアム・フレデリック・イームズ(1835〜1918)、デビッド・ウィルキー・ウィンフィールド(1837〜1887)らのメンバーで構成されていました。このグループは毎週土曜日に会合を開き、選択したテーマに基づいて非公式のスケッチ教室を開き、お互いの作品を批評し合いました。ある評論家によると、このグループは「明確に定義された方向性を持った衝動を欠いているように見える」という。彼らの共通の目標は、歴史絵画に対する新鮮な態度を示すことであり、イギリス内戦を扱う題材を好むことでした...彼らは、特定の歴史的出来事を描くという伝統から脱却し、代わりに昔の時代の雰囲気を捉えた想像上の状況を作り出すことに努めていた。子供時代のテーマは特に彼らにとって魅力的でした。この思想は、おそらくイームズの代表作である「And when did you last see your father?」で、この作品は架空の王家の家の少年の無邪気さと道徳的ジレンマを扱っています。子供たちを真実と誠実さの模範として見ていたヴィクトリア朝の聴衆に響いたであろう。

 

(2)コールデロンの代表作「破られた誓い」

この作品はコールデロンの代表作で、最も知られた作品ではないでしょうか。この作品でコールデロンは、ウィリアム・コリンズやウィリアム・マルレディらヴィクトリア朝初期の感傷的な風俗画の伝統と、ミレイが1850年代初めから試みた丹念な自然観察によるディテールの描写、同じくミレイの作品に見られる女性の複雑な感情への深い関心を一つにまとめあげてみせました。

ヴィクトリア朝時代の絵画では、真心の愛が平穏に進行するといった作品は滅多になく、コールデロンのこの作品でも、庭園の塀に囲まれて立つ女性は地面に投げ捨てられた首飾りになぞらえられています。この娘も想い人から袖にされたのです。クリノリンを使ってひろげたスカートの裾のそばには装飾品も落ちていますが、それは、どうやら恋人からの贈り物らしい。しかし、タイトルが暗示するように、彼は娘を裏切ったらしいのです。門に刻まれた「MH」の頭文字は過去の交際を示すもの。娘の身の上は、壊れかかって、一部破れてしまった塀の向こう側で戯れる若い恋人たちと著しい対照をみせています。青年紳士が高く掲げる薔薇の蕾は、いまにも花開こうとしています。この絵を描き始める4年前、母を無一文に等しい状態に置き去りにして父が亡くなったため、コールデロンはとりわけ寡婦の境遇に同情しやすかったという事情も反映していると言われています。この作品が広く支持されているのは、このような感傷的なテーマもあるでしょうが、それ以上に背景や散りばめられた象徴的な花など細かなシンボル、そしてモデルの女性の鮮明で緻密な描き方が原因しているものと考えられます。

花のような細部の象徴的な意味としては例えば、塀を這いのぼり、若い女の頭から肩にかけて弧を描く蔦が娘の意思の強さを象徴する一方で、薔薇の蕾は新たな恋と移り気を象徴しています。前景の色褪せたアイリスは、展覧会に慣れ親しんだヴィクトリア朝の人々にはなじみ深く、失恋と静かな悲嘆を連想させるものです。というのも、神話では、イリス(虹の女神)が若い娘を死後の世界に導く役割を担ったからです。枯れて地面に落ちた花びらは、作品が初めて展示された際に添えられたヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの詩に歌われているものです。「この世で失恋する者の数は/数えきれない…木立の葉の落ちる音を聞く人があるだろうか/あるいは枯れ落ちる花の一輪ごとに気づく人はいるだろうか」と。

最初に、この作品ではヴィクトリア朝初期の感傷的な風俗画の伝統と、ミレイなどによる丹念な自然観察によるディテールの描写や女性の複雑な感情への深い関心を融合させたものだと指摘しましたが、とくにミレイの影響について、例えば、ミレイの「マリアナ」と比べながら見ていくと、この作品は「マリアナ」ほどの閉塞感はありませんが、庭の一部という空間の限定と、木の壁や塀に茂った蔦の精緻で写実的な描写や、中心の女性の描き方等で「マリアナ」に通じるところが多いと思います。しかし、何よりもこの作品の特徴は、ミレイにはない、陽光の描き方です。陽の当たる部分の明るく暖かな感じは、印象派の描く光と影とは違った光の表現として、もっと触覚に近い感じを与えるものです。主人公の顔に陽光が当たり、その顔の肌が柔らかく映えるあり様と、黒を基調とした衣装とのコントラスト、そして黒い髪が日に映える様は、それだけで魅せられてしまうほどです。おそらく、このような光をコントラストにより印象的に扱っていることが、ラファエル前派の画面の隅々まで隈なく光に照らしだされて、すべてが明晰に見えてしまった結果のっぺりとした平面的な画面になってしまうことに、コールデロンが飽き足らなくなってラファエル前派を離れた要因になっているのではないかと思います。その意味で、この作品はラファエル前派の影響が大きい作品ではありますが、ラファエル前派とコールデロンの作風の違いがはっきりと出た作品と言えると思います。

 

(3)コールデロンの作品と変遷

コールデロンの作品は、あまり日本では紹介されていないようで、日本語のタイトルが不明なため、混同を避けるため英文でタイトルを記すことにします。また、以下の作品が代表作かどうかは何とも言えません。

コールデロンは同時代では人気があり高い地位にあった人でしたが、現在では「破られた誓い」が知られている程度の画家です。そこで、かれの「破られた誓い」以外の作品から、幾つかを紹介し、「破られた誓い」一作だけにとどまらないコールデロンという画家の魅力に触れていきたいと思います。

コールデロンがロイヤル・アカデミーに初めて出品した「バビロンの流れのほとりで」By the Waters of Babylonは、旧約聖書「詩篇」137篇の“バビロンの川のほとりに座り、私たちはエルサレムのことを思って泣きました。…”というバビロニアに征服されて亡命したユダヤ人たちのエルサレムへの憧れを描いています。老人の視線ははるか遠くのエルサレムに向けられているのでしょうか、その足元では若者が悲しんでいるのを女性が慰めています。3人の人物の作るピラミッドを中心にして、画面の前面にして空間を狭く切り取るようにして、その切り取った部分を細かく描きこんで、人物の表情を明確に輪郭づけるという明らかにミレイやハントなどのラファエル前派の画面の作り方です。色彩についても老人の衣服や奥の女性のヴェールの赤の鮮やかさは、この後のコールデロンの作品には見られないものです。

1855年のLord, Thy Will Be Doneはハントの「良心のめざめ」のような倫理的な要素を含めて社会問題を提起する物語のような画面をつくり思索や議論を起こしていこうとする傾向の作品です。若い母親が赤ちゃんを膝の上に置き、左を見上げています。彼女は困難な状況で生きているように見えますが、貧乏人ではありません。カーペットはひどく磨耗し、石炭は空になりますが、テーブルにはパンがあります。彼女は彼女の「毎日のパン」を、クリスチャンの主の祈り(タイトルのように)とは別の言葉で表しています。若い男性の肖像画がマンントルピースの上にかけられていて、彼は夫(女性は結婚指輪をしている)であり赤ん坊の父親ですが、兵役によって不在であることを示しています。数枚のタイム紙が右側の床に散らばって、彼女が海外の軍事作戦のニュースを追いかけているかのように見えます。テーブルの下の手紙は、ほとんどの場合、夫からのものでしょう。つまり、出征し海外で従軍している夫の残された妻子の生活の現実を描いているものです。この作品は「バビロンの流れのほとりで」とは、明らかに色調が変わってきています。

1867年のHome After Victoryは中世の場面を精巧に描いた作品で、理念はラファエル前派でしょうが、手法はその範囲を越えてコールデロンの独自性が強く表われて、画面を見る限りでは直接的なラファエル前派の影響は見られなくなってきていると思います。たとえば、遠近法による奥行きのある空間構成はラファエル前派が否定したものです。これは兵士(または騎士)が父、妻、家族の家に帰ってきたことを示しています。彼の妻はすでに左腕の抱擁の中に押し込まれています。彼女は彼を見上げ、彼の顔は彼の帰りに喜びでいっぱいです。彼の母親は彼の右手をつかんで、彼の前に彼の父親は彼を迎えるために両腕を持っています。周りにバルコニーに立つ乳母、兵士の二人の幼い子どもを含む、家族、友人、および家庭の召使の他の人々です。これらの人物は、ラファエル前派のポーズをとって静止しているような人物に比べて動きがあります。それはコールデロンが、これらの人物について、ほとんどが暗示されたり、表現されるかもしれない時点で、ちょうど適切なタイミングでアクション、および動きを捉えているからです。また、ややパノラマ的の構図では、連続性がどの時点でも崩れないように、人物をつなぎ合わせなければならないのですが、この困難を、コールデロンは冷静な計算で克服している。色遣いは自然の中での偶然や即興の行動のように見えて、青、黄、赤の色彩は、人物を一堂に会させる機会のように、喜びに満ちたものとなっています。

コールデロンは「セント・ジョンズ・ウッド派(St John's Wood Clique)」に参加し、活動においてもラファエル前派からは離れてゆきます。そしてシェイクスピアや歴史の題材を好んで取り上げていくようになります。Marianaという作品には制作日付が記録されていませんが、シェイクスピアの「尺には尺を」第4幕の一場面を描いています。ラファエル前派の画家たちもマリアナという題材は人気があって、ミレイ、ロセッティ、ウォーターハウスらがこぞって取り上げていますが、それはテニスンの詩の中で引用されているマリアナですが、コールデロンは彼らとは違って、シェイクスピアを典拠にしています。マリアナは座って、彼女の給仕の歌をきいています。マリアナはアンジェロと婚約していました。アンジェロは、公爵の不在時にウィーン公爵の代理として都市を統治していました。しかし、彼女の持参金は海で失われてしまい、アンジェロは結婚の遂行を拒否してしまいます。ここから、テニスンは絶望的な話をつくり、それをラファエル前派の画家たちは絵にしました。しかし、策略によって、アンジェロはマリアナを他の女性信じてしまって、二人は結ばれことになります。結局、一連のドタバタ騒動の後、二人は結婚することを余儀なくされます。カルデロンはユリを介して、この段階でマリアナは処女のままであり、彼女を向こうに見せてもらって見ることから、彼女を絵画の中に孤立させることを示しています。

1883年のA Woodland Nymphという作品です。ラファエル前派の画家たちはヌードを直接描くことは少なく、次の世代の古典主義的な画家たちが描いていましたが、コールデロンは1880年代に女性入浴のテーマに夢中になり、森林の茂みの中で水辺で衣服を奪い取ったり嫌がらせをする裸の若い乙女たちの情景をいくつか描きました。

たとえば、女性が小川で水を集めている1870年のThe Virgin's Bowerや、1882年にロイヤル・アカデミーで展示されたJoyous Summer, Pleasant it was When the Woods were Greenではギリシャの少女たちが入浴後にくつろいでいる様子を描いています。この作品は、ジョン・キーツの詩「ハイペリオン」からとられています。オリンポスの神々との戦いに敗れたティターンの神ハイペリオンの没落を歌った詩ですが、その絶望を描いたのではなく、この詩に登場する水の精ナイアードを伝統的なアフロディテを模して描いています。

悲しげな谷間の影深く

みなぎる朝日を浴びることなく沈み込み

昼の光も宵の明星の明るい光も届くことなく

白髪のサターンが岩のように沈黙している

周囲には静けさが立ちこめ

頭上には森が雲のように重なり合う

大気は微動だにせず

夏の日の生気の風が

タンポポの羽毛を飛ばすこともない

枯葉が落ちても動くことなく

小川が音もなく流れ 死んだように静かなのは

サターンの尊厳が失われたからだ

水の精ナイアードが葦の合間から現れ

その冷たい指を唇に当てた

991年の「ハンガリーの聖エリーザベトの禁欲の行」はチャントリー・ビクエスト(Chantrey Bequest)を受賞したコールデロン最後の話題作です。ハンガリーの聖エリーザベト(1207〜1231)が祭壇の前で完全に裸でいて、彼女の後ろに修道士がいます。現在、この絵は非常に暗いので細部を見るのは難しいです。エリーザベトはわずか14歳の時、ルイ4世、テューリンゲンのランドグラードと結婚しました。彼女は慈善行為により有名になりましたが、まだ20歳の1227年に彼女の夫は6回目の十字軍に参加する途中にイタリアで感染症で亡くなってしまいます。エリーザベトは修道院に入り、独身と服従の厳粛な誓いたて、コンラッドという傲慢な司祭に提出しました。カルデロンは、1848年のチャールズ・キングズレーの「聖人の悲劇」という戯曲の中の、エリーザベトが「裸の主」に従うと「裸かで、素足で」誓うという自己犠牲の瞬間を描いたものです。しかし、ローマカトリック教会から反カトリックであるとされ、論争を引き起こしました。それは聖エリーザベトが祭壇の上で裸で屈んでいるのを修道士たちが見ているという構図が問題になったそうです。

 
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