前項の「企業集団の状況」が形式的な企業紹介であれば、こちらは実質的な企業紹介といったところでしょうか。ここの小項目としては、「会社の経営の基本方針」、「目標とする経営指標」、「中期的な会社の経営戦略」そして「今後の対処すべき課題」ということが並んでいます。これは、大雑把な流れで言えば、会社には経営理念や基本方針があり、それに基づき、則って事業を行っている。しかも、会社が事業を営む限りは、目先の行き当たりばったりということはなく、たとえ漠然としたものであっても将来こうなりたいというビジョンを持って、それに向けて事業を行っていると言えるでしょう。従って、そのビジョンは経営の基本方針の中に入っているだろうと、一般的に想像できます。ただし、それは各会社の中で、会社の独自の表現で謳われているものなので、外部の投資家が一見で理解するのは難しい場合もあるでしょう。それに一定の物差しをあてて、会社どうしを比較しやすくし、投資家にも理解しやすくしようとしたのが「目標とする経営指標」という項目でしょう。そして、ただビジョンというだけでは絵に描いた餅でしかありませんから、実際の事業活動でこれを現実化させていかなければなりません。そのためにどうするか。会社として何をどのようにするかということを説明するのが、「中期的な会社の経営戦略」です。そして、大きい会社であれば、戦略を練る人と実際に事業を実行する人とは別の人が行うことになります。実際のところ、会社が戦略を立てても、それを実行して成果を上げて行かなければ何の意味もありません。そこで、経営戦略が実際に実行される際に、現実にぶつかって課題が生じてきます。これを説明するのが「今後の対処すべき課題」ということになります。このような流れで考えていくと、投資家が企業の将来キャッシュフローの現在価値に投資するという基本原則で考えると、投資家にとって最も欲しい情報ということになります。そして、この部分こそ、会社によって記述の内容に格差の大きい部分であると思います。
では、まず「会社の経営の基本方針」という項目について考えていきたいと思います。どこの会社でも経営理念とか基本方針とか、あるいは社是とか、名称はさまざまで、明文化されているところもあれば、暗黙のうちに社内に浸透していて企業文化になっているところまで、千差万別のかたちであると思います。ただ、そこで共通しているのは、そういうものが在るということです。「そんな堅苦しいものはウチの会社には無いよ」という御仁がいれば、それがないということが在るのです。だから、この項目が空白になるということは、そもそもあり得ないということです。
また、ここにまるで小学校の道徳の時間のような社是とか理念を載せているケースもあります。しかし、そもそも決算短信は何のためにあって、どのようなものであるべきかを考えてみると、投資家が企業を理解し投資判断をするということが第一目的のはずです。だから、決算短信にはそれに副った情報が載せられているはずです。道徳的な企業理念に共感して投資を決めることも考えられないことはありませんが、株式投資の王道は、将来キャッシュフローの現在価値と見ていいだろうと思います。つまり、決算短信にはそれを検討するために有益な情報が載せられてしかるべきなのです。だから、社是や会社設立の理念等を載せる会社を否定するつもりはありませんが、投資家が知りたいのはむしろ、会社を将来どのような方向に向かっていこうとしているのか。何をやりたいのか、ということだろうと思います。将来の具体的なことは、今から確定的なことがいうことはできませんが、すくなくとも、会社はこのように考えているという方針や方向性が分かれば、投資家もある程度推測することができるはずです。
現実に機関投資家が企業に投資をする時には、経営者に直接会って話をし、企業を訪れて現場の空気や雰囲気に触れるものです。経営者は理念を個人に体現させた存在であるし、基本方針は企業文化として有形無形に、企業で実際に動いている場に反映しているものであるからです。
そして、今回の最初のところで、この項目の大きな流れを概観しましたが、この「会社の経営の基本方針」からその後の「中期的な会社の経営戦略」に繋がっていく一連の流れがストーリーづけられているのが、私は、理想と考えています。つまり、この「会社の経営の基本方針」が源流となって経営戦略に具体化していくようなストーリーがあって、はじめて投資家は会社の将来、具体的にこうしていくのだということを理解していくわけです。
これらのことから考えてみると、この「会社の経営の基本方針」で記述すべき基本方針というのは、もともと会社にある理念や方針をそのまま、ここに書くというだけではだめで、その後の経営戦略を導き出すことができるものであるものであるということです。さらに追求していけば、ここでの経営戦略というのは机上の空論のようなものではなく、現実に実行されて、最終的に成果と結びつくものでなければなりません。その実際の現実という点について、この項目で記述されるのは、タテマエとして美しい言葉で飾り立てられた美辞麗句ではなくて、実際の会社の雰囲気やそこで働く人々の間で共有されている生きている企業文化を反映されることができるはずです。この決算短信を読む投資家の人々も、現実の会社の姿が投影されて、そこから経営戦略が紡ぎ出されて来るプロセスを読み取ることができれば、その経営戦略が現実味あるものとして説得的なものとなるはずです。
ここからは、私が考える、こうありたいという理想の姿です。ここで書いてきたことを、実際に基本方針としてIR担当者が書くということになれば、経営者が考えているこう会社を導いていくという有形のトップダウンの方針が一方にあって、それを現実化しじっこうしていく会社の現場の人々がこう動いていくという企業文化とか会社の空気とか言われている無形のボトムアップの行動指針の両方を汲み取って、会社の将来に向けて実際にこのように進んでいく、というものをまとめるということになるわけです。ここまで言うと、会社が実際に事業を実行していて、その会社の基本的なあり方を炙り出して表現を与えていくということになってきます。もっと突っ込んでいうと会社のアイデンテティを追求し、明らかにしていくということに他なりません。これは、大袈裟な言い方をすれば、社会というより大きな器において、このような役割を担ってきたのは思想家とか宗教者といった人達です。ここまでいうと行きすぎかもしれませんが、IRという業務の定義に立ち返ってみる時(日本IR協議会の日本語の定義にはありません)、このような要素はたしかに含意されているはずです。私は、IRという業務がそこまで踏み込むことができるとすれば、会社の経営に際して不可欠のものとなってくるものと思います。実際に日本企業の決算短信を見ている限りでは、そういうことが実現されているものは見つかっていませんが。