「経営成績に関する分析」の項目について考えていきたいと思います。「当期の経営成績」は決算短信の文章による説名の最も代表的なところです。一般的に、決算短信の文章部分という、ここの説明を指していると思います。伝統的な書き方では“当期における我が国経済は…”で始まり、日経新聞や雑誌から一般論の総括的なコメントを拾ってきて並べて、好景気とか、不景気とか経済情勢の一般論をひとくさり述べて、自社の売上等の業績を前期比較であげて、あとは目立つ特記事項があれば、それを書いて当期純利益に至る、というものです。伝統的な経理が作成していて、IRに熱心でない会社の場合には1ページの半分にも満たない量で済んでしまっている例が見受けられます。これは極端な例で、お座なりなのがアリアリで、書かれていることも内容がないので、損益計算書を見ていれば足りることで読む必要もないものです。ただ、決算短信で書かなくてはいけないことになっているので、形式を整えているだけ、書いている側としては情報を出したくないという姿勢が見えます。20年以上前の決算短信は、どの会社でも、このようなものでした。だから、現在もこういう短信を作っている会社は20年前の意識とそれほど変わっていないと言えるかもしれません。
では、今現在では、この項目についてどう考えているかです。まず伝統的な出だしの“当期における我が国経済は…”で、新聞や雑誌の切り抜きのような一般的なコメントを必要としている人など、いないと思います。むしろ、邪魔、うるさい、そう思っている人が多いのではないでしょうか。株式投資をするような人で決算短信を読むような人なら、経済新聞、最低限新聞の経済欄に目を通すことくらいは日常に行っていることでしょうから、どこかで読んだようなことが短信にかれているのを読んでも何の収穫もないわけです。そういうものなら存在理由はない、ない方が親切で、むしろ、それを書かない企業の方に見識があるということになりはしないでしょうか。だから、この部分のあり方を考え直してみる方がいいのではないかと思います。
それは、経済環境というのは一人一人が感じたものを一般化したものといえます。とすれば、その一人一人に戻って、決算短信の主体である当の企業から見た経済情勢をここに書くという、言わば主観的な経済情勢の記述です。すなわち、一般に不景気な時でも業績をぐんぐん伸ばしている業界や企業もあるわけです。そういうところでは今の状況というのは厳しいのではなくて、むしろ歓迎すべき状況であることだってあるわけです。それをストレートに書いてしまうのです。これには異論が多いかもしれません。大手精密機器メーカーで長年IRの一線にいた方と話していたとき、それでは客観的でないし経済情勢の説明になっていない、と仰っていました。そういう異見もありますが、主観的な書き方をする理由を次にいくつか挙げてみます。件の異見のベテラン担当者の方には認めていただけませんでしたが。第一に、この項目の最終的な着地点である企業の業績まで一貫したストーリーを組み立てやすいこと、これは特に説明する必要はないと思います。第二に企業が当期に何をしたかという打ち手を説明する時にその打ち手の根拠となる企業の認識をこの時点で説明できてしまうこと(これについては後で詳しく説明します)、第三にその企業の市場環境が類推できること、つまり、企業が先ほど説明したように経済環境に対して主観的な認識をするという場合、自社と無関係にことについて認識することはないはずです(そういうことをするのは評論家とか学者という単なる観察者だけです)。企業は経済の真っ只中にいて、そこで日々苦闘しているわけですから、その企業が認識をするという場合、どうしてもその実感から離れることはできないし、自分の一番知悉しているところから認識していくはずです。つまり、その企業の事業が属している市場がどうかということです。そして、これは企業に投資をする人が知りたがっていることです。企業を取り巻く市場環境がどうなのか、それを当の企業がどうとらえているのか、ということに通じることのはずです。そして第四に、企業の姿勢の一端が表われることです。投資家か見て、企業が環境をポジティブに見ているのか、ネガティブに見ているのか、という企業の姿勢がわかります。そこからある程度企業のスタンスを類推する材料になります。そして、第五の点は理由にならないかもしれませんが、決算短信を読むような投資家は1社の短信だけを読むということはなく、数社の短信をまとめて読むと思います。その時、どこの企業の短信も最初のところは判で押したように同じようなことが書いてある、それを読まされる身になって考えてみて下さい「またか?!」と言いたくなりませんか。その時、個性的な見方をする企業か出てきてごらんなさい。「この会社は何か違うぞ!」というようなことになりませんか。些細なことかもしれませんが、そういうところから企業の印象がかたちづくられるものではないかと思います。企業によってはこの部分の記述は不要として、すでにこのようにことを書いていない企業もあります。前例を踏襲するというのではなくて、本当に必要な事項かを考えてみることは一度行ってみてもいいのではないかと思います。
企業によっては、この後“当社の取引先である…”と市場環境の説明をもう一段加えるケースもあります。とくにB to
Bの企業にみられます。経済環境から自社の業績につなげるワンクッションのような機能を果たしているといえます。伝統的な短信では一般的な経済情勢の説明が客観的で形式的な枕詞のようなものだったのに対して、ここで市場環境を述べて、業績の説明につなげるというものだったと思います。この場合、自社を中心にして自社を先ず取り巻くのが市場でその市場を取り巻くのが経済環境というように同心円のような構造で考えて説明を記述するというのが一番筋が通ると思います。同心円ですから、先ほど述べたように中心が自社ということになれば、自社を中心に環境が回っているということで、書き方は主観的にならざるを得ません。ここで、留意点として考えられることを何点か上げたいと思います。第1点として、ここを詳しく書くのはいいことなのですが、専業メーカーのように単一の市場を相手にしている企業ならいいのですが、事業のセグメントを分けていて、そのセグメントが別々の市場を対象にしている場合、セグメントごとの説明のところで詳しく書くならば、ここでの説明は必要なくなります。その時の書き方です。それは、セグメントが並立している場合しメインのセグメントとその副次的なセグメントという場合としては書き方が違うし、この後のパラグラフの業績の書き方との関連も考慮して書くことになると思います。セグメントのところで詳しく書く場合には、一般的にはここでは自社が全体として市場環境をどう評価して認識しているかという総論的な書き方で後のパラグラフの前提としての機能を果たすのが無難ということになるでしょうか。第2点目として、この部分をあまり詳しく書きすぎるのもどうかと思います。書き過ぎというほど書く企業は珍しいのですが、後で説明しますが、短信のこの項目のメインの部分というのは、この後に続く企業の業績の説明なのです。この業績となったのには、企業がどのような施策を打ち、どのような企業努力をしたのか、というこがメインです。その前段であるこの部分は、その前提となる状況の説明という役割なのです。こういう環境だからこういう打ち手をとったというと企業の施策の理由が説明できてしまうわけです。例えば、こういう厳しい市場環境だったけれどそこで有効な施策を講じて企業努力で業績を向上させたということであれば、その努力の評価は普通の場合よりも高い評価を投資家から得られる可能性が高くなります。だから、このパラグラフはそういう前提のもとに書かれるものだということです。先ほど書きましたように市場環境は投資家も知りたいし、詳しく書くにこしたことはないのですが、市場環境を強調してしまうと往々にして、重要であるべき、この後のパラグラフの企業が何をしたのかが霞んでしまうことになりかねないのです。もっというと、業績が悪い時等はこの部分を強調して環境が悪かったからという書き方になってしまいがちなのです。それは一種の弁解に他なりません。一企業がいくら努力をしても限界があり、不況の波が押し寄せてきた時には、どんな施策を講じても、企業を存続させるのが精一杯で、いちいち何をやって何を失敗したなどと書くまでもない、という意見もあるでしょう。実際、不景気でも成長している企業もあるわけですから(と企業内部にいる人間が企業に対して厳しいことを言っているのは、変に見えます)、それには、企業内でこのような外からの視点に立ってものを言うことが可能なのがIR担当者なのであり、企業の外部の市場からみればそこで逃げない姿勢の企業は、IRがどうとか言う以前に経営の姿勢として評価されるし、施策が上手く行っていないことを説明できるということは、そのことを反省して将来に生かすことを考えている徴であると言えると思います。
そして、この項目のメインである、企業が何かをして結果として売上高や利益がこうだったというパラグラフです。極端なことをいえば、この部分が充実していれば、この前の部分は書かなくてもいいのです。実際にそのように書いている企業もあります。逆に、IRに消極的な企業では、この部分を一番明らかにしたくない部分です。だから、この部分をどのように書くかによって企業の姿勢によって差が出やすいとも言えるのです。だから、IR担当者の立場からいえば、ここで他社に差をつけたいと考えるのは当たり前のことです。投資家に、他の会社ではなくて、この会社に注目してもらうためには、この部分にこそ力を入れるべきなのです。とは言っても、この部分の書き方は難しい。私もいつも悩んでいます。悩んでいて、その答えを見つけ出せたかというと、未だに答えが見つからず試行錯誤、暗中模索です。その困難な理由として、企業が日常的に努力していることというのは日々の地道な努力の継続が中心です。実際には業績の要因に大きな部分を占めているのは経営者以下企業の末端に至るまで社員が日々の変わり映えしない地味な作業をコツコツとめげることなく続けてきたことなのです。それを投資家のような会社の外側にいる人に分ってもらうことは大変難しい。それを分ってもらうためには企業のことをよく理解してもらわなくてはならない。しかし、その説明に費やすスペースはないし、そんなことを長々と説明しても読んではもらえない。そして、こう言う地道な努力は長期にわたって営々と続けられるものです。それを毎回の短信に同じように書いていたら、事情をよく知らない人が読んでどのように思うでしょうか。同じことを繰り返していて進歩がない、などと思われてしまうのです。だから、このようなことの説明にスペースを割いている企業はほとんどありません。たいていの場合は、投資家受けする派手な?(こういう言い方をすると語弊があるでしょうが)短期的な経営施策が列記されています。例えば、どこどこの市場をターゲットに何とかという限定した製品を開発して短期集中で投下したとか、これに比べて現場と開発が一体となってコストダウンを追求したとかよりも、アピールしやすいと思われているようです。実際のところ、投資家でも後者よりも前者の方がイメージしやすいのは確かです。だから、書く方としては、後者の書き方を工夫するしかありません。これは、企業によって事情が異なるので一般的なこうすればいいとないので、各担当者が自分が考えなければならないことです。でも、それなら面白いでしょう。決算短信の後半の財務諸表は規格化が進んで、どんな企業でも何をやっていても一律に同じように強制的にパターンに従わされる、形を押し付けられるのに対して、ここは自分で考えて創意工夫で書けるわけです。ということは企業を問われていると同時に、それを書いている担当者の姿勢や力量も問われているわけです。つまり、担当者の腕の見せ所です。逆に本気でない人や実力がない人が書くと違いがハッキリ判ってしまうところです。ひとつの書き方は、前年度の短信を取り出して見てみると必ず「次期の見通し」を書いているはずです。作業として一番手間がかからないのは、その前年度の短信の「次期の見通し」を要約するか、そこで書かれていた施策の主なものや重要なものをピックアップして、その達成度や結果がどうだったかを、その原因の説明も交えて説明することです。そうすることで、継続してウォッチしている投資家がいれば、前年度に企業が単身で書いたことに対して、企業自らが結果を説明するという誠意、つまり自分の言ったことに対して責任を持っているということをアピールできることになります。それが毎期継続されるようならば、「次期の見通し」で書かれることに対して投資家の受け取り方がより真剣になると思います。また、それを書く側の企業も翌年に結果を報告しなければならないとすれば真剣に書くように自然となっていくでしょうから。一方、事業セグメントに分けて、セグメント別の説明を別に行っている場合には、ここでは企業全体としての経営戦略に関して書くことで、事業の具体的な施策に関してはセグメント別の説明のところで詳しく行うというやり方もあると思います。その際には、ここのところで総論的に全体として各セグメントの軽重の比重、つまり、どの事業が貢献して、どの事業が期待はずれだったとか、この事業は今期はもともと業績を求めないで将来への布石に専念したとか、セグメント別の説明ではできない鳥瞰的説明を抜かせません。そして、このパラグラフの最後に、異論がある人もいると思いますが、前に触れた大企業で長年IR実務をやっていた人などはすべきでなく、客観的な報告をすべきだといいます。私は、ここでの企業の業績の結果に対して、企業が自らの評価を説明すべきと考えています。つまり、今期の利益はいくらになったという結果に対して、企業は物足りなく思うのか、満足しているのかということです。簡単な事かもしれませんが、結果として出てきた数字に対して企業がどう考えるかということは、それまでのプロセスを考慮しているし、今後の方針を考える上で、その評価により方向性が変わってくるはずのものなので、ここでの説明の中で、直接的な表現でなくても、少なくともニュアンスで分かる程度のことは入れるべきだと思っています。例えば、単にこういう結果になりました、という書き方ではなくて、こういう努力を重ねたにも関わらずこのような結果でした、という書き方であれば、企業は結果に満足していないことが伝わるのではないか。残念ながらの一言を挿入できれば、いいのですが。