人間・髙山辰雄展~森羅万象の道
 

2018年5月6日(世田谷美術館

5月の連休の最終日。この連休に出かけることは珍しい。考えてみれば、前に出かけたのは、同じ世田谷美術館の展覧会を見に行ったときだった。それだけ、世田谷美術館は、私にとっては行きにくいところだ。交通の便の関係でしかたがないのだけれど、用賀の駅から環状線の大通りを歩いて行くのも、あまり好きではないこともある。美術館じたいは、係員は親切だし、雰囲気も静かで落ち着いているので、一度中に入ってしまえばいいのだけれど。

さて、高山辰雄という画家の作品は5年以上前に山種美術館の「生誕100年 髙山辰雄・奥田元栄」で一度見たことがある。そのときの感想は別に書いたけれど、作品が見る者にどのような効果を及ぼすかということに意識的な画家という印象だった。しかし、この展覧会では、そういう私の印象とは異なる画家のイメージを基に構成されていたようだった。引用する主催者のあいさつに、それがよく表われている。

“日本画家・高山辰雄(1912~2007)は大分県大分市に生まれ、1951(昭和26)年より終生、世田谷の地を捜索の拠点としました。自然と人間のつながりや生命の尊厳について思考し、その深い精神性を湛えた絵画表現は、没後10年を経た今日もなお、高く評価されています。1931(昭和6)年、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学した高山辰雄は、在学中の1934(昭和9)年、第15回帝展に初入選し、若き才能を開花させます。松岡映丘に師事し、同門の先輩・山本丘人らとともに研鑽を積みました。戦後間もない頃にゴーギャンの伝記に感銘を受け、1950年代に鮮やかな色面で構成した人物表現に挑みます。その後は、次第に点描による静謐で幻想的な画風へと展開し、宇宙までをも視野に入れた壮大なスケールで、生と死や、人間の存在の神秘を問い、現代社会に生きる人間を描く独自の画境を切り拓きました。1982(昭和57)年に文化勲章、戦後の日本画壇の最高峰として、杉山寧、東山魁夷とともに「日展三山」と称されました。高山辰雄の作品には、自然風景であっても、身近な草花や生き物であっても、自身の内面で構成し続けた繊細であたたかみのある心情がいきわたっているように感じられます、高山辰雄は人間を見つめ、描き続けることを通して、森羅万象の不思議へと思いをめぐらせ、生命の厳かな輝きを求めて制作を重ねたのです。皆様には、この機に人間の本質を摑もうとした人間・高山辰雄の芸術世界に深く触れていただきたいと願っております。”

受付から長い廊下をとおって広間に最初の作品が展示されています。広間であるために、大作や展覧会の目玉となるような作品が展示されていることが多い場所です。「行人」(左図)という作品です。2.3m×1.5mという比較的大きな作品で楽想されているので、果たして日本画なのかと疑わしくなるようなとろがありますが、縦長の構図で、人物を右側に縦の一直線のように配置して、画面左側ははるか遠方の背景をのぞませる。かなり、意図的に計算された画面構成であることが、素人の私にもわかります。この右側の人物は同じ顔をしていますが、髪型や下方の座っている人物は赤い服をきていることから女性で、立っている人物は男性と見えます。その一対の人物が縦の一本の直線に重なる。その縦の線は、例えばゴーギャンの「われわれはどこから来たのかわれわれは何者か われわれはどこへ行くのか」(右上図)で画面中央で立って天を向いている人物を思わせます。一方、画面左側の景色は右側の人物とは別の空間であるのか、象徴的な幻想風景なのか、少なくとも空間の連続性はありません。しかし、上の湖のようなところから屈曲して下に川となって水が流れ下ってくるという縦の構図になっています。こういう構図の風景は人生をシンボライズするような受け取り方をし易い構図です。例えば、有名な「モナ=リザ」の背景の幻想的な風景に、それとよく似たものがあります。そういうものを、美術に関しては素人の私にも容易に読解できたような気になってしまう、そういう分かり易さ。それが、この作品にはあると思います。そこから、見ている者はものがたりの想像に誘われる。それは、人生の生々流転であったり、ゴーギャンの作品タイトルの「われわれはどこから来たのかわれわれは何者か われわれはどこへ行くのか」といったことであったり、そのようなものです。それが、主催者あいさつの中でも語られている“静謐で幻想的な画風へと展開し、宇宙までをも視野に入れた壮大なスケールで、生と死や、人間の存在の神秘を問い、現代社会に生きる人間を描く”といった言説と親和的なものがたりを見る者に納得させるものになっていると思います。それが、この画家の作品の魅力となっているのではないか思います。以前、私が高山という画家の特徴は、そういう効果を生み出すところと述べたことがあります。むしろ、私には、この人の作品は、そういう効果を見る者に与えるように結果的にはなってしまう絵画の形をつくろうとしているところにあるのではないかと思うのです。何かややこしい言い方をしていますが、“静謐で幻想的な画風へと展開し、宇宙までをも視野に入れた壮大 なスケールで、生と死や、人間の存在の神秘を問い、現代社会に生きる人間を描く”と評されているのは、作品の意図とか目的でなく、結果としてそう見える、いわばオマケで、これらの作品は、その形だけを追い求めていたのではないか、と思える。そのために、この人は、かなり他の人の作品の引用なんぞを臆面もなく繰り返している、そんな感じがします。例えば、「行人」の屈曲する川の同じパターンは、同じ広間に展示されていた「朝」(左図)という大作に全く同じS字カーブで描かれていますが、こちらの作品では、まるで尾形光琳の「紅白梅図屏風」の真ん中を流れる川のように見えます。そんな見方で、これから展示されていた作品を追いかけて行きたいと思います。

 

Ⅰ-1.若き研鑽の日々(1930年代~1945年)

「立春」(右図)という作品を見ると、まるで水彩で描かれた風景画のようです。学校卒業の後の作品なので習作と言うことではないのでしょうが、高山にとって風景は花鳥風月といったパターンとしてのものは、無くなっていたのかもしれません。最初期の作品から、すでに日本画なのか洋画なのか、たまたま日本画の絵の具や筆をつかって、展覧会でもその部屋に出品しているので、そうなっている、とでも言うような作品を描いていた、と思います。

「温泉」(左図)という作品です。2.5×1.9という大画面のほとんど全体が温泉が川になって流れる波紋と、同じようなパターンを踏んでいる、その流れによって侵蝕された岩の文様の描写のマチエールに覆われていて、そのパターンの反復が見る者に強く訴えかけるように圧倒してくるのです。じつは、画面の中央にいる二人の裸婦は、その肌の色と周囲の岩肌が似た色で描かれているのですが、人体の陰影の描き方などは岩の陰影と同じように描かれていて、むしろ岩肌の方が色の感じが強くて、裸婦の存在感は岩と同等か、岩の方が強いのです。“生い茂る草木は写生をそのまま基にしたもので、細部まで緻密に描き込まれている。岩場はあらかじめ水晶末などで凹凸をつけた上で彩色し、ごつごつした質感を再現。水の表現では、斜面を勢いよく落ちる水流や浅瀬の透き通るような透明感、さらに立ち上る湯気までもリアルに描き出している。一方、人物に目を向けると、ほんのりほてった少女の肉体に写実的な描写が認められるか、周りの風景ほどは徹底されていない。むしろ様式化された顔貌表現は大和絵や古典絵画に通じるものである。”という解説がありますが、人間を物体として、岩と同等、もしくは岩ほど強調されないで水の流れを遮って波紋を起こすものとして扱われていると思います。だから、人間的な表情とか、その表情を生む内面のようなものは、この場合は必要がない。そういう人間の描き方をしようとしている。そういう作品であると思います。というよりも、この作品で描かれているのは、人間とか自然とかいう対象物ではなくて、水の流れや岩の形がつくりだす波紋のパターンです。高山の作品は、最初に見た「行人」が縦の構図のパターンであったように、画面構成を設計していくということが描くことの重要な要素であって、人間とか風景とか事物といったものは、その構成のための素材でしかない。それは作品を通じて一貫しているように思います。

「友達」(右上図)という作品では、二人の少女が正面と横向きになって、黄色と紫色のもんぺを着ていて、人というパターンを二様に描き分けている、そういう構成で画面を作っています。そして背景は省略されて、この人物のパターンしか画面にはありません。この作品タイトルは「友達」となっていますが、二人の関係とか、互いにどういう位置関係にあるのか、そもそも二人は視線を交わしたりもしていないので分からない。そういうものを切り捨てていると言ってもいいと思います。これは、余白をとるというのではなくて、パターン以外は余計な要素として捨てていると考えられます。

Ⅰ-2.ゴーギャンとの出会い(1945年~1960年代)

このゴーギャンとの出会いというのは展示の説明ではゴーギャンの伝記を読んで感動したということなので、技法とか題材とか絵画の面での直接的な影響ではないらしいので無視してもいいと思います。ただ、人物の描き方や画面の、のっぺりとした平面的なところはゴーギャンと似ているところがあると思えば、そう見えてくる要素はあると思います。

「浴室」(左図)という作品です。二人の裸婦ですが、前のコーナーで見た「温泉」と比べて見ると、「温泉」の人物にあった物体としての立体感と、それを生んでいる陰影の表現は姿を消したようで、ノッペリとした塗り絵のような彩色になっています。それが象徴的に表われているのが、右側の半身を起こしている女性の腰にかけられた白い手ぬぐいの描き方です。まるで女性の身体を腰のところで空白で切り離してしまうかのようになっています。一応、身体の線に沿って手ぬぐいがかけられているにはなっていますが、背景の白と手ぬぐいの白が同じようにノッペリとした塗り方になっていて、まるで作品タイトルの「浴室」という空間に二人の女性がいるという画面から、二人の女性以外のものは切り抜いてしまって、その後は白くなってしまっている。そんな感じです。むしろ、この作品では、この切り抜かれた空虚な部分、白く塗られている部分が実は核心部で、二人の女性は、その空白を作り出すために何がなければならないので、つまり、空白そのものを描くとはできないので、空白を描くための、空白の反対物として便宜的にそこに描かれた、いわば背景のようなもので、それゆえに空白以上に目立ってはいけない、そこでのっぺりとした塗り絵のようなものとなっている。当然、存在感とか、立体感などは余計なものとなるというわけです。そう考えると、高山という画家の作品は、画面の構成をつくることのために、敢えて描かないということが非常に重要で、それがこの画家の特徴を作っているのかもしれないと思うのです。つまり、この人は何を描いているのか、というと以上に何を描かないかの方が重要な画家ということです。この「浴室」のパターンは、後年の「白い襟のある」などの作品に連なっていくと思います。

「少女」(右図)という作品です。この作品の少女の顔を見ていると、ゴーギャンというよりはモディリアーニの描く少女顔に似ていると思えてきます。この作品では、背景のグリーンと少女の服の黄色、そして右下の猫の黒といった、彩色され単純化された面の構成が、この作品の大きな特徴だと思います。とくに、グリーンが引き立っていて、東山魁夷の使っていた深いグリーンを思わせる面が靄のように画面を覆っていて、そこにアクセントを加えるように猫の黒が配され、印象を和らげるように少女の淡い黄色が効果的に使われている。少女の顔に表情はなく、目は空虚に黒く塗られています。「室内」(左図)という作品になると、二人の少女の服の鮮やかな赤と黄色を中心にして、ふたりの周囲の室内の物が色の平面に還元されるようになって、画面全体が色彩で構成されているという、まるでカンディンスキーの初期の抽象画を描き始める直前の作品にようになっています。この時点でいうのは、気が早いのかもしれませんが、おそらく、高山という画家は、自身の資質なのか日本画というのがもともとそういうものなのかは別に措いて、人間を描くというときに、個人の持っている感情とか精神的な内面といったものを単独に、直接的に描くという方向を選択することはしなかったと思います。果たして、人間にはそういうものが有るのかということは別にして、それを描くことはしない。では、高山が人間を描く場合には、どうしたかというと、人間と何ものかの関係を描くということ、つまり、内面ではなく、外面を描くことに徹したと言えると思います。そして、外面として関係性において描くという点で、人間の描き方を追求していく。その起点となっているのが、ここで見ている、ノッペリした背景を引き立てるために、画面で機能している人の姿です。

「出山」(右図)という作品は基調となっている青の諧調とアクセントで挿入された赤が鮮烈な作品です。南宋時代の画家・梁楷の「出山釈迦図」という6年間にわたる山での苦行の末に、その無益さに気付き、真の悟りを求めて山を出る釈迦の姿を描いた作品に触発されて描いたということですが、私には全く関連性が分かりません。この時期、高山は様々なタイプの作品を試行錯誤するように描いていたのかもしれません。画面は人物を中心に据えた色面によるシンプルな構成から、中心のない、より複雑で重層的な構成へと展開しました。色面による平面的な表現とは打って変わって、彫刻的な量塊性を備えた人物群像は、石膏で彫像を作ってデッサンし、構想を重ね、ごつごつとした岩場を思わせる抽象的な風景をつくりだす。それは心の内面を投影したもので、暗く混沌とした画面からは、高山の迷いや苦しみを見る者に、強く想像させる効果を生み出す、と解説されていました。この前の作品がカンディンスキーの初期の色彩的な抽象作品を思い起こさせるのに対して、この作品はむしろジョルジュ・ルオーに似ていると思ったりします。私には、解説の内面性というよりも、画面中央の人物の両手を合わせたL字型を裏返した形が、この人物の横顔もそのパターンだし、左上の背景L字型の組合せになっているし、というように、画面全体がL字型の反復模様のように構成されている。そのパターンに沿って、色彩の基調となっている青の諧調が構成されている。そういう画面です。私には、様々な青でL字型が模様のように反復されている、という作品に見えます。

「穹」(左図)という作品は、画面全部で青が強調された作品です。「出山」やこの作品のころからなのでしょうか、青という色だけで魅かれる作品になってくる、と思います。深い青という色そのものを高山が発見したということ、そして、それだけではなくて、グラデーションを細かくつけていて、そのグラデーションで夜の風景を描いているという構成で見せている。それに対照的に、その青から全く浮き上がって月が立体的で、青い背景の平面的なところとは別の作品であるかのようになっているのが目立っている、という作品であると思います。

「花」(右下図)という作品です。青を基調とした作品ばかり見ているような感じですが、この青という色の使い方や、この作品の背景にあるS字形の川の流れは、最初に見た「行人」の背景の川の流れと同じようですし、「出山」のL字型に手を合わせたパターンが繰り返されるのと共通しているようなところがあるということ。そういう構成の中に、この作品では花が描かれているということ、しかも画面の中央ではなく左に寄っている。これらの作品を制作しているころから、高山は自身の制作パターンをつかみはじめて、それが高山自身の目にもフィードバックし始めたのではないか。高山の作品は見たままを写生とするという作品ではないと思いますが、それでも、このころになると、高山には、このように見えていたという感じがしてきます。それは、人でも月でも花でも、それ自体を独立した存在として見ない。人であれば、一人の人物として精神とか感情といった内面があって、どっしりとした存在感があるという捉え方ではなくて、周囲の環境と関係している結節点のようなもの。それだから人であれば内面や重量は無用で、他と関係している表面、もっというと肌触りのような存在として捉える。だからずっしりとした存在感はいらないわけです。それゆえに却って、日本画で人物を描いた作品が面白くなくて、美人画というのがあっても、それは美人という記号を飾ったように制作しているだけで人間を描いているとは思えないし、歴史画を試みた作品では小説の挿絵としてはいいのだけど・・といった作品ばかりで、それらはペッタンコになっていると思います。それが、高山の作品では、そのことを逆手にとって、もともと人間とは、そういう存在感などないものだという方向で、それをポジティブに描いているように、それがこれらの作品から、高山自身の人を見ている目がそういう見方をするようになってきたと思えるのです。これは、最初に引用した展覧会の主催者あいさつとは正反対の高山作品に対する印象かもしれませんが。

Ⅰ-3.人間精神の探求(1970年代~1990年代前半)

このコーナーが人間精神の探求という名前になっていますが、私には、正直なところで、そういうストーリーを想像させる要素を作品の画面に中に見つけることはできませんでした。便宜的に区分する目次のようなものとして章立てを使っていますが、章のタイトルには、意味を感じていないことをはじめにことわっておきます。

「夜明けの時」(左図)という作品です。女性がテーブルに突っ伏して眠っているところを描いていると言えるのでしょうか。女性の横長の楕円形の顔を中心にしてそこかに右回りのように黒い髪の毛が楕円の左手から上を回って右側から下に落ちる。それと、腕枕のように女性の右手が楕円の左側から下回りで落ちている髪の毛の手前にくる。そうすると、顔の楕円を中心として、髪の毛と右手とで右回りの渦巻きを作っています。一方、女性が突っ伏しているテーブルは、女性の顔やこの女性の渦巻きの外形の楕円と同じ楕円です。つまり、画面には大きな楕円が二つ重なって、女性の楕円は、中心に楕円がある渦をつくっている。またテーブルに乗っている花瓶は下が丸く膨らんでいて、その表面に描かれている風景のような模様が渦巻きのようにも見えます。そして、花瓶に活けられているバラの花は渦巻きです。このように、この作品の画面は楕円と渦巻きが重層的に構成されていて、女性はその構成にすっぽりハマっています。そして、この作品のころから高山は点描のようにして絵の具を盛り上げて塗り重ねることをします。油絵のマチエールのようなものです。それは、この作品でもテーブルの表面がそうなっていて、本来であれば表面は滑らかであるはずが、それによって凹凸が生まれていて、それが白いテーブルにゴツゴツした質感を与え、突っ伏している女性の顔を、滑らかで柔らかく見せています。この画面を見ての印象は、この女性は楕円や渦で表われている関係よって画面のなかにハマっている、その姿です。ただ、それまでの作品と違うのは、この画面の渦や楕円のパターンは、例えば「温泉」の波のように画面の前面に表われてはいないということです。これによって、構成そのものが画面の演出として画面を上手く見せるように機能してきている。それで、相対的に女性の姿が余韻をもって表われてくるように見えるようになったと思います。

「白い襟のある」(右図)という作品です。「夜明けの時」の行き方をさらに進めて、ひとつの完成形に近いものとなっていると思います。闇のような背景の中に白い襟をのぞかせた一人の女性の顔と手だけが浮かぶ。黒を基調とした微妙な色彩に、とくにロングヘアーの黒い髪と黒いドレスが溶け込んでしまっているような姿は、不思議な佇まいになっています。おそらく、この作品を制作している重心は女性ではなく、背景の黒の部分のほうだったのではないかと思います。「夜明けの時」のころから高山が多用するようになった点描の絵の具のマチエールのような凹凸で、陰影とグラデーション、として肌触りの多彩な変化を画面につくっていって、黒に多層的な深みを作り出しています。他方で、画面の中心が黒の塗り残しのような空白になっていて、逆にその空白という空虚が人の形が浮かび上がってくる。その人の形は、顔は能面か仏像のように無表情で、とくに目は虚ろに穴が空いているようです。それが、かえって神秘的な雰囲気を見る者に印象付けるものとなっています。人物としての存在感はおよそない、フワフワと浮かんでいるようです。しかし、そういう実体のなさが余韻を生んでいます。個人的には有元利夫の描くヨーロッパ中世風の女性像を想わせます。この後に見ていきますが、高山の人物画は単独の人物でなく数人の群像を描くようになっていきます。それはおそらく、高山が、人物の個体とか単体ではなく、関係という実体のないもの、空虚なものの方に、人間というものを、敢えて言えば人間の存在の本質を見ていたと思えるからです。これは、伝記的な事実ではなくて、高山の作品の画面から想像したことです。それが、群像ではなくて、一人の人物を扱った場合には、こうなる他はないだろうというのが、この「白い襟のある」という作品です。従って、この作品に並んで展示されていた「少女」(左図)という作品は、この展覧会のポスター等でも使われていましたが、私には、あまりパッとしない作品でした。

人物を群像で描くものとして、高山が多く描いたのが家族という題材だと思います。その最初期の作品で「地」(右図)という作品があります。“新古典主義代のピカソを思わせるようなデフォルメされた人体表現で、親子3人の体は真ん丸の頭部を中心に一つの矩形を表わすように表現されている。高山は「男と女と子供というのは、人間にとって一つの単位のように思う」と語っているが、まさにそれを造形化したような親子が一体となって描かれている。”と解説されています。この作品には3人の人物が描かれていますが、それぞれの人物には個性がなくて、3人が一緒になっている関係が外形化されている、それが様式化されたようなポーズで、ひとつまとまりとして描かれています。しかも、この3人のまとまっている矩形が、背景の模様なのか、石段の壁のようなのか分かりませんが、それが矩形で構成されているように無数に、不規則に並んでいます。そういう繰り返しのなかに、この親子の形作っている矩形が画面の中心にある。そういう構成になっています。そのことから、高山は親子とか家族といった人物の集団の実体ではなくて、その関係が形成する外形である矩形が、この作品の中心として描いていた、と私には見えます。妄想を逞しくすれば、高山は、人をそういう関係というものとして、矩形に見えていたのではないか、それを見たまま描いた、そのように私には思えます。比喩的な言い方ですが。

一方で、高山は人間を見ていたと同じ目で風景を見ています。「海」(左図)という作品です。カスパー・ダヴィッド・フリードリヒの「海辺の僧侶」「氷の海」を想わせる作品です。日本画の人物画や花鳥画が物語の挿絵そのもののように、ものがたりをビジュアルで再現しようとする者であるのに対して、高山は作品画面が、そこから見る者に物語を想像させようとするものを描こうとした。それが高山の作品のリアリズムをなしているのではないかと思います。その点で、風景画であろう、この作品がフリードリヒに通じるところがあるのではないか、と思うのです。フリードリヒの「海辺の僧侶」では大きな画面に広がる暗く重苦しい空と海が茫洋と広がっている迫力に圧倒されて、それがドイツ北方の海外の写実的な風景を写実的に描いているのが分かります。その大きな画面の手前左に小さく僧侶らしき人物がポツンと、しかも後姿で描かれています。その事物の表情をうかがい知ることができず、見る者はどうしたのだろうかと想像力を掻き立てられます。高山の作品は、そのフリードリヒよりも、ずっと素っ気ない。たしかに水平線が画面の真ん中に一本引かれていて海であることは分かります。しかし、それ以外は色調は似ていますがフリードリヒの写実的な描き方とは正反対で、抽象的といってもいい、フリードリヒにはあった岸はなくて、海の波なども細かく描かれているわけではありません。画面一面がグレーに塗られていて、そのグラデーションが点描で作られている。そのグラデーションによってパターンあるいは文様のように繰り返しがあるようには見えます。それが高山の作品であることのあらわれでしょうか。それはべつにして、ここには、海であることが分かるようなお約束はありません。しかし、海であることは見る者に想像させている、それで分かる・そういう作品になっていると思います。そこに高山の作品の大きな特徴があると思います。前にも触れましたが、日本画は、一般に高山のこの作品のように画面一般に絵の具を塗りたくるようなことしません。余白の美などという言い方をしますが、それはもともとの日本画が、当初は欧米で絵画として認められず工芸品として扱われたことからも分かるように、挿絵とか食器の絵模様といったものと同じに扱われていたためで、そこで描かれているのは、見てすぐに何が描かれているのか分かるものでした。日本画の画面では、それがあればよい、食器の絵模様が食器の全部の面に描かれているものではなくて、その一部に描かれているのと同じで、日本画も画面全部に描かれている必要はなかった。それを、画面全部を見て、描かれていないところに余白を感じるというのは、後付けの弁解と言えるかもしれません。その描かれているものは、挿絵や模様のように描かれている対象がどういうものか見る者に分かっていて、それが見て分かるように作品が制作されていた。そこで、画家はその前提のもとに、見る者が分かっているうえで細かいところで差異を作り出して画家の個性とした、それが趣向です。高山の作品は、そういう細かな差異という趣向の前提を否定するように、画面全体を作り出そうとしました。それは欧米で常識的に絵画として認められていることを日本画で馬鹿正直にやろうとしたということではないかと思います。だから、余白をつくる余裕など画面に生じる隙もないし、日本画のお約束のような記号が場面に入ってきません。ただし、それは高山が理念からそういう描き方をしたというのではなくて、画面に何か対象物を描いていく行き方でなくて、画面を構成させて作っていくという行き方をしていたことの帰結、つまり、そういう見方をする目を持ってしまったということからではないかと思います。だから、高山の人物画は構成ですべてをつくれない一方で、対象を描くということが稀薄で、人物の存在感がもともと薄いので、類型的な画面に陥っているところがあると思います。むしろ、高山の本領は、このような風景画にあるのではないか。

「灯」(右上図)という作品です。青の色調で統一された、その青がとても美しい作品です。全体のその青のグラデーションを点描風にして、粒々のゴツゴツした肌触りが、夜ということもあって、風景の輪郭を曖昧にして、家屋の中から漏れ出る灯火が印象的に強調されて、輪郭が曖昧に夜の闇に溶けてしまうような家屋や立木などの風景に対して、灯火のはっきりした姿は存在感があって、見る者の視線は、そこに導かれ、想像を掻き立てられます。その意味で、この作品は、実はまったく画面には描かれていない、家の中の光景がじつは中心なのではないかと思われます。それがシンプルに伝わってきます。同じ題名(漢字が違いますが)の「燈」(左上図)では、この作品のようなシンプルさがなくなってしまっていて、そういう想像を掻き立てる要素が拡散してしまった作品なっています。だから、高山は作品によっては、平均的に高い品質を維持するという作家ではなくて、いい時と悪いときがある人ではなかったと、と思います。

「音」(右図)という作品です。白一色の世界を、雪の積もった山里の風景を、白の点描で、主としてグラデーションと影で描いています。この作品では珍しく人物が一人だけ、しかも注意していないと気付かないほどさり気なく控えめに描かれています。フリードリヒの「海辺の僧侶」の手前の人物のようです。しかし、この作品の人物はフリードリヒの作品にくらべて控えめです。しかし、一度気がついてしまうと、この小さく控えめな人物が、それ以外の画面のすべてに対してしまうほど強い存在感を見る者は想像してしまう。見方によっては、この画面に描かれている大きな風景は、この小さな人物の心の中の心象風景なのかもしれないと想像させられてしまうのです。雪が積もって生まれた襞のような模様と地形の凸凹が積雪によってはっきりとした形に浮かび上がり、それらが襞のような波紋を作り出して、それが画面のテーマのようになっていて、それが繰り返されて、地形に変化によって、その繰り返しが変容していく様相が、音楽で言えば主題と変奏のように、変化が変化を生んでいく。以前の「温泉」では川の流れと渓流の岸壁の描写にそういうところが見られましたが、ここでは、それが画面の中心となって、しかも、小さな後姿の人物が、そういう繰り返しに対して異分子のようになっていて、繰り返しを掻き乱す機能をしています。そこで、人物が浮き上がってくる、というわけです。したがって、高山の作品は見る者の想像を掻き立てるものだと述べましたが、その想像力というのは、決して物語といった言葉によるものではなくて、あくまでも視覚的な想像なのです。

同じように一面の雪の積もった風景を描いた「雪路」(左図)という作品です。こちらは遠景ではなくて近景ですが、ホワイトアウトといって、雪が一面に降り積もって白一色になってしまう、その結果として風景が分からなくなってしまうような世界になっています。この作品では手前の馬を引いた人影と左端の樹の影以外は雪の塊のしろだけの世界となって、風景の輪郭が曖昧になってしまって、まるで白のグラデーションによってつくられた文様のような抽象的な画面です。それを人と樹の影がかろうじて風景画と分からせてくれる。高山は絵の具をマチエールのようにして盛るようにして画面に凹凸をつけて影をつくったり、あるいは点描で白の微妙な変化を創っています。このような同系色、しかも白というのはメリハリのつけにくい地味な色で、ここまで描くというのは繊細な感性と、途方もない根気の必要な作業の積み重ねではじめて実現するものだろうことは容易に想像がつきます。ここで見ることのできる白の陰影とグラデーションが波打つように、パターンを繰り返してダイナミックにうねるように変化していく様子は、アクセントの人と樹の影があることによって、動きが浮かび上がってくるようです。風景で、これほどまでに動きを感じさせてくれるのはターナーのある時期以降の抽象画のような風景画の様でもあります。しかし、高山の作品はターナーの作品にはない実体の触感のようなものが感じられるのです。

「音」の異分子が画面に入り込んでアクセントをつけていくものが、「月響」(右図)という作品では、異なる次元のものをひとつの画面に一緒にしてしまって象徴的な空間を作っています。青を基調としたシルエットのような平面的な林の風景は、樹のシルエットが繰り返されるパターンになって、リズムを画面左上の月は、それに比べて、はるかな遠景であるはずなのに、シルエットの手前にあるような明確な輪郭で、しかもこちらに球形に盛り上がってくるように見えるほど立体的です。この月が最も存在感がある。さらに画面右手前に皿に盛った花と壺は、それらとは違う空間にあるように、とってつけたように描かれている。それらは月の下であるはずが、月光に照らされたようにも見えないし、月に比べると立体的ではないし、メリハリがない。それがむしろ、月に照らし出されたような林の木々のシルエットのパターンに目が行ってしまうのです。手前の生物の動きのないものに比べると、林のシルエットは静かだけれど動きがあるので、その静かな中のかすかな動きが、比較によって相対的に見る者の前に姿を表わしてくる。

展示のなかで数は多くなかったのですが、静物画は異様さで突出していました。「牡丹(籠に)」(左図)という作品ですが、牡丹の花だけが、他のもの、例えば籠が平面的であるのに対して、生々しく精緻に描きこまれて、しかも、その牡丹の花びらの一枚一枚が陰影が深く、屈曲しているようで、そこにダイナミックな動きを秘めているように見えるのです。主実的に描いているのですが、どこかグロテスクな感じのするものになっています。それは、風景画であれば画面全体に雪の襞のパターンを描いていたのを、この作品では牡丹の花という凝縮された部分に圧縮するように描いている、この場合は何枚もの花びらの繰り返しなのですが、その押し詰められた構成が異様な迫力を生んでいると思います。「椿(赤)」(右図)という作品でも、花びらの繰り返しを強調するあまり、椿の花には見えなくなるほど突出しています。左下の小鳥が花鳥画の記号的なものであるのと対照的で、描かれた椿のグロテスクな生々しさが、見る者に迫ってくる感じです。例えば、高山より上の世代の速水御舟の晩年の「墨牡丹」などと比べて見ると、墨を滲ませる手法で巧みに描いている、というよりも描くということが先にあって、牡丹を描くというよりは、描いたのが牡丹だったというもので、その結果として作品は“らしく”牡丹に見えます。しかし、存在感とか生き物である牡丹の生々しさといったものはなくて、画家が頭の中に浮かんだふわふわしたイメージというかんじです。それはそれで、幻想的とかイマジネイティブといった方向ではいいと思います。しかし、この高山のような、存在感から生じる一種のグロテスクさはない。いわばキレイゴトであるのが分かってしまいます。その違いはどこから来るのでしょうか。おそらく、高山は牡丹の花を一枚一枚の花びらの集積の結果として描いているのに対して、速水は牡丹の花をひとつの物体として描いている違いだと思います。速水のばあい、花びらは花の部品のようなものなのに対して、高山は花びらは花の構成要素であって、その花びらの構成によって花という全体が成り立っている、いわばひとつの全体として花がある。もっというとひとつの小宇宙のようなものです。

高山の描く人物像はほとんどが女性で、この展覧会でも展示されている作品の半数近くが単独か複数の女性像です。しかも、作品は一時期に集中しているのではなくて、初期から晩年にわたり、画家の生涯を通じて描き続けているといえます。その中で作風も変化を繰り返してきましたが、中でも1980年代から90年代にかけての女性像は、独特な風貌で、微笑を浮かべていたり、不安げな表情をしていたり、無表情に近かったりと様々ですが、いずれも底知れぬ謎を秘めた奥深さを感じさせ、観る者を深く作品世界に引き込む、と解説されていました。たしかに、そういう感じはしなくもありません。「青衣の少女」(左図)という作品です。一見、そういうイメージで見ることもできるのですが、私には少女の白い顔と手の部分だけが、この作品の中で異様に静か、というよりは空虚のようで、その空虚さに吸い込まれる、まるで気圧の低いところに向けて空気が流れていくような、そういう作品ではないかと思いました。画面をよく見てみると、密度の違いによって、いくつかの部分に分けられていて、例えば一番密度が高いのが手前の花が盛られた部分で、ここは高山の花を描いた作品に共通する小宇宙のような濃密な小空間を作っています。それ次ぐのが、少女の髪の毛と青い衣の部分です。この部分では、絵の具をマチエールのような粒々をつくって画面に盛り上げるようにして凹凸をつくって、それを観ていると画面に独特のグラデーションや陰影を作り出しています。その凹凸が独特の密度を感じさせます。しかも、髪が細かくウェーブがかかったように見えるように伸びて、その先には青い衣のつくりだす皺に連続するように、波のように頭の先から身体全体を通じて足までつづいていて、それが動きを作り出しています。そして、次に窓の外の暗い緑のグラデーションによって波状に描かれた森の風景です。最後に、それらに囲まれるようにして、中心に、それらの密度の高い塗りから取り残されたように空白が形作っているのが、少女の顔と手というわけです。ですから、この作品は一人女性を描いているというよりは、画面の構成のなかに女性が残されているという作品ではないかと思います。したがって、この作品の女性は、みずから表情をもって作品の中で自己の存在を主張しているのではなくて、画面全体が構成されていて、その中でポッカリ空いた穴のようなものです。この時期の高山の描く女性が謎を秘めた奥深さを感じさせると解説されているのは、そういうところから、見る者が、そこに何か意味ありげな印象を受けて、そこに見る者自身の想像を喚起させられるからではないでしょうか。人間だから本来はもっているはずの表情がそこにはなくて、しかも、画面は全体として少女の顔と手以外は濃密に描き込まれている。だから、画面を見ていて、少女が空白であることを見る者は受け容れられない。そこで、見る者自身の想像で穴埋めをする誘惑にかられる。しかし、もともと、そこは空白なのだから、何も出てこない、いやそんなはずはないと、そこに謎めいた感情が生まれてくる。そういったようなプロセスをへて、この少女が神秘のヴェールを見る者が被せていく、そういう効果を巧みに生み出すものになっているのではないかと思います。まあ、神様などというのも、そんなものに近いのではないでしょうか。

「山を行く」(右図)という作品です。描かれているのは少女ではなく釈迦ですが、これも中心である釈迦の顔と足は空虚で、そのギャップは「青衣の少女」よりも徹底しているかもしれません。顔は正面なのに、足は右に向いているという突っ込みは措いて、そこに現われているのは、釈迦を統一したポジティブな存在として描く対象に捉えていないという事ではないかと思います。高山は、それよりも優先して描くべきものがあったから、そういうものは蔑ろにしてしまった。では、その優先されたものとは何か、というと釈迦の着ている衣装と、彼の周囲です。おそらく背景の山に分け入った周囲の風景は、滝にでも打たれているのか、高山の靄に巻かれているのか、定かではありませんが、高山独特の絵の具をマチエールのように物質化して、点描のように貼り付けて立体的にして描いた背景は重厚で動きがあります。厳しい状況の中を歩いているという感じが強くします。しかし、それだけではなくて、画面の凹凸によって見る者には陰影が変化しきて、視点を変えると寺院にある仏像の光背のように見えてくるのです。一方、釈迦の着ている衣は、その背景と同じ白ですが、白の色が濃い。だから空間が濃密になっている。つまり、光背の気が凝縮して実体となったともみえなくない。しかも、衣の皺が大きな流れをつくりだしていて、光背の渾沌として無秩序の動きが、ここでは一定の秩序ある流れに整理されて、しかも凝縮されている。しかし、さらに中心の部分である釈迦の顔の部分は能面のように目鼻のパターンの線が引かれているようにしか見えません。

「春光」(左図)という作品です。これは春の淡い陽光なのでしょうか、2人の少女の顔と花をもった手以外の部分は黄色がかった白で塗られ、その陰影と黄色が混ざり具合の変化のグラデーションが、全体としてタイトルの春光の雰囲気を作っています。しかも、その白のグラデーションによって2人の背後には草が繁り、花が咲いているのが表わされています。画面でみると白一色になってしまいますが。その淡いところが春らしい、しかし、淡いといっても存在感はあるのです。それに対して、2人の女性は、描かれているのですが薄っぺらです。これは、近代以降の日本画が抱えた限界であり、もともと記号のように平面的に人の姿を描いていたやまと絵や浮世絵のようなものが、西洋絵画の立体的で重量のあるような存在感をもった人物像をリアルとみるような人物像に対抗しようとした矛盾を克服しようとした、ひとつの解決策ではないかと思います。日本画では、西洋絵画には正面突破では勝負になりません。だからというわけではないが日本画で人物を描こうとした作品は、押しなべてつまらない、薄っぺらでしかないのを無理に工夫を凝らして、その挙句に挿絵やイラストくらいにしかなっていない。そこで高山がとった戦略は、どうせ人物は薄っぺらにしか描けないのだから、それは画面の空白のようにしてしまって、逆に人物以外の風景や静物は存在感のあるリアルな描写ができるようになってきているのだから、そっちを追求していって、そのなかに薄っぺらな人物を入れ込んで、そこで生まれるギャップから、見る者が人物に視線を吸い寄せられるようになる、という逆転の発想です。これと同じようなものをマンガの世界で「ゲゲゲの鬼太郎」に代表される水木しげるの作品に見出しています。水木の場合は、それによって現実のリアルな場面と妖怪という想像の世界が裏表のように存在していることを作品画面だけで見る者に納得させてしまうのです。これに対して高山の場合は、敢えて言えば、そのギャップで逆照射されるのは、そこに描かれていない人の内面といった窺い知れぬものを、そこで描かないことによって見る者に想像を促しているのかもしれません。

「森」(右図)という作品です。そういう構成による効果で人物を見せていこうとすると、この作品のようなシンボリックな構成をつくる傾向の作品に至るのは、当然の成り行きだと思います。その先には「聖家族」の連作があると思いますが。この作品では、背景は何が描かれているのか判別し難いところがありますが、その背景と4人の人物の髪の毛が絵の具をマチエールにした点描で描かれています。前に見た「山を行く」で釈迦が背景を光背にした姿になっていたと同じような効果を作ろうとしているのか、しかし、この作品では、釈迦一人ではなくて、おそらく家族をシンボライズしているのでしょう4人の性別と年齢のことなる人物を配して、群像にしています。ここで高山は、人物は空白だからと言って、一様にしないで、4人の人物の空白をそれぞれ区分して、いわば空白のバリエーションを作ろうとしているかのようです。それが後の「聖家族」との違いです。

高山は1993年に26点の連作からなる「聖家族」を発表します。“その内容は、寄り添う家族の姿を象徴的に描いたこれまでの家族像とはやや異なる。描かれたのは日常の断片を切り取ったようなありふれた家族の情景であり、家族構成や年齢構成もバラエティに富んでいる。これまでの観念的な家族像とは異なる、血の通った生身の人間の姿がここにある。そして、現実に生きる人間に対する高山の深い共感も読み取れるだろう。”と解説されています。ここで“これまでの家族像”とされているのは、例えば「森」のような作品でしょうか、たしかに観念的な構成がとられています。しかし、私には、例えば、ここで観ることのできる「聖家族」に“日常の断片を切り取ったようなありふれた家族の情景”を見ることはできないのです。しかし、「森」と「聖家族」との違いは、背景の描きこみの有無ではないかと思います。「聖家族Ⅹ」(左図)という作品です。これまで見てきた人物画とは違って背景の描き込みがほとんどありません。画面の右半分は輪郭線を引いた食器が線画であるくらいで、あとはほとんど空白と言ってよく、画面の左半分に3人の人物がかたまっています。おそらく、それまでのネガに対してポジに転じたもの。そのため、画面左の3人の人物を集め、その部分の密度を高めるために、それまで高山が使ってきた絵の具をマチエールのように物体として盛り上げるように塗り固め凹凸をつける手法をエスカレートさせました。それが3人の人物の衣装と髪の毛の部分です。それまでの人物画では背景などの人物の周囲の部分が高い密度で、人物の顔は空白で、虚無のブラックホールのようにして、見る者の視線を却って吸い寄せるようにしてあったのが、この作品では、その背景が空白になってしまったため、その代わりに衣装と髪の毛の部分の密度をより高くしたと、私には見えます。しかし、それで人物の顔に視線が集まるかというと、むしろ空白は背景と顔の部分となったため、視線は顔に吸い寄せられない。そう私には見えます。では、視線はどこに向けられるかというと、人物の衣装ではないか。この作品を経て「聖家族ⅩⅩⅢ」(右図)を見ると、画面への塗りの部分はほとんどなくなって、全体にすっきりしてきて、それらしく彩色されているのは顔と手足という人間の肌の部分になりました。それで、一応、見る者の視線は向けられるようにはなっている。とおもいます。しかし、その視線を受け止めるほどの顔になっているのか。それが、私には、それまで高山が描いていた人物の顔と変わらないように見えます。単に空白の顔に色をつけた。こういうと悪口に聞こえるでしょうか。だから、この作品のシリーズを見ていると、中途半端な印象を受けるのです。

むしろ「聴」(左図)という作品のような、背景の中に人物が溶け込んでしまっている作品の方が、見る者の想像を掻き立てる余地を作ろうとしているように見えます。絵画で人物を描こうとする前提として、人物の存在がポジティブであって、それを写そうとすることで人物画が成立しているとおもうのですが、日本画の場合には、そういう人物が前提されていないので、どうしても人物を描いても薄っぺらになってしまう。高山は、そこで人物を描こうとして、虚無のようなネガティブに描くことで、薄っぺらでない人物像をつくり出すことはできた。しかし、それは奇手にすぎない。そもそも、ポジティブな人物の存在というには、個としての人間が自立しているという前提があります。そういう個人観が当時の高山や、その周囲にあったのか、何ともいえませんが、そういう個人観は近代西欧に独特のものではないかと思えるので、むしろ様々な関係の中に人がいると見るほうが自然ではなかったかと思います。そういう視点で描こうとした試行錯誤が聖家族のシリーズだったのではないか。その行き方で、ある程度の水準をみたのが、「聖家族」の連作ではなく、この「聴」であるように、私には思えるのです。それは、人物と背景が同じように描かれている。以前の人物画のようなポジとネガの対比はなくなって、同じようなレベルで、顔の薄さに合わせて、背景も衣装も描かれている。しかし、それが背景と顔、顔と衣装という関係が成り立っている。その代わり、虚無のような人物の内面への通路を思わせるところはなくなって、外面をのみ描くことに徹している。ここでは、人物は、その外面が背景や衣装との関係、つまり画面上のバランスに還元される。そういう作品になっているように見えます。だから、背景は稠密に見えませんが、点描で多くの色を微妙に使い分けているようですが、それがさり気なく見えているのです。高山なりの人物の薄っぺらでない、存在感を求めた、ある意味で客観性の高い表現ではないか、と私には思うのです。

Ⅰ-4.森羅万象への未知(1990年代後半~2000年代)

高山の晩年の作品の展示です。“次第に色彩が抑えられ、物の輪郭が背後の空間や自然風景に溶け込むような幽玄な世界を見せ始める。”と解説され、高山本人の次のような言葉が引用されています。「人間とは、日月星辰と一つであること。自然と一つであると思い、日月星辰としたのであります」と。ここには、森羅万象に思いをめぐらせ、絵画をとおして思索を積み重ねてきた高山の世界観が端的に示されていると言います。

「由布の里道」(右図)という作品です。たしかに、解説の言っている通り物の輪郭が背後の空間や自然風景に溶け込むような画面です。それは、実際には、一般的な日本画は違って絵の具を画面に平面的に塗ったり、暈したり、かすれさせたりといった塗り方ではなく、油絵の具のマチエールのように物質化して盛り上げて画面に重ねていくような手法を高山が多用していて、この時期の作品は、それがエスカレートするように、その手法を細かく使っているためではないかと思います。それは、この作品を見ると分かるかもしれませんが、絵の具が塗られた画面の表面は真っ平にはなっていなくて、細かくマチエールの手法で画面に絵の具を盛り上げでいるので細かな凹凸が無数にあって、それが細かいので、あまり注意せずに画面を見ていると、それと気付かないでいて、平面であるかのように見ていると、画面に細かな凹凸があるために、画面に当たる光が平面のような反射でなくて、細かい凸凹によって拡散するように反射することになって、それを平面と同じようにみていると、画面の輪郭がぼやけているように見えてくる。さらに、点描で描いている精度が飛躍的に高くなって、まるで原子か分子レベルまで見通しているような透徹とした視線で高山が描いているようにも見えます。そういうレベルでみれば、大雑把な視点で映る形態など分解されてしまいます。この作品でいえば、夜の風景を青を基調に彩色していますが、その青を、青一色のグラデーションだけでなく、黄色や緑や白のそれぞれの色の濃淡の細かい点の集まりになっていて、夜の光景にこれだけ多彩なものを高山は見出していたと言えるのではないかと思います。その細かさに便宜的な形態が解体されていく、そういう作業が、この作品を描くことだった、その結果現われた画面というように、私には見えます。

人物画でも「聴」のようなすっきりした画面から、「由布の里道」の細部の過剰とも言えるような画面を「三人」(左図)という作品に見ることができると思います。これは、「聴」の人が周囲に溶け込んでいく方向性をより推し進めたものといえるのでしょうが、点描による描法が過剰になって形が解体していって、顔だけが空白なのでのこってしまったと言えます。どうして、この顔の部分も他の部分と同じように描いて解体してしまわないのか、私には不可解ですが、それが高山という作家の個性のよって立つ所なのかも知れません。つまり、この能面のような形が高山にとって一番大切な形で、これを解体することはできない、そういうギリギリのところで描いているといえるかもしれません。そう考えると、高山の作品、とくに人物画はこの能面のような形は一貫して持っていて、実に、高山の人物画は、この形を画面にどのように活かすかの試行錯誤といえるかもしれません。それは、リアルとか人間の内面とかいったように理念的なお題目なんぞより、高山の描くという行為の実体の感覚に近いところで本人が意識していないところも含めて、画家の目と描く手が、肉体の動きと感覚で追いかけていたのかもしれません。そういう形が入っていない「牡丹 洛陽の朝」(右図)という作品では、全体としてのぼんやりとした輪郭はかろうじて残っていますが、点描の細かさに地と図の区分は限りなく曖昧になって、もはや点の集合という、渾沌の一歩手前ところまで、形が解体されてしまっています。おそらく、このような画面は高山の目では、そのように見えていたのであり、限りなくリアルな描写なのではないかと思います。

そう思って、高山の作品を振り返ってみると、顕微鏡のような微細な視点で見るという志向は一貫してあって、それは生涯をとおして深まっていったと思います。それは、他の日本画の画家たちは持ち得なかった視点ではないかと思います。彼の作品に人間の本質とか森羅万象を見る人は多いのかもしれませんが、逆に分子レベルの微細さへの志向が、晩年になって漸くすなおに画面に表れてきて、もともと、それが通底していた、という方が、私には、高山の作品のゴツゴツとした点描につながるように思えます。

 
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