2026年2月6日(金) 東京都美術館
再び美術館めぐりをするようになって、改装された上野駅の公園口の人ごみに閉口し、上野公園の美術館の混雑に辟易するようになって、自然と足が遠のくようになりました。入口で長い行列に並ぶのは嫌だし、予約するくらいなら、遠慮させていただく。とはいえ、それでも見たいと思う展示もないわけではなく、そこで一計を案じて、金曜日は、平常日の閉館時間である午後5時以降も開館時間を延長して8時までやっているのを利用することにしました。上野駅に着いたのは、午後5時半ごろ、陽が落ちて、周囲は暗くなっていましたが、駅前の広場には、まだ多くの人がいましたが、公園に進み、東京都美術館に向かうと、だんだんと人影は少なくなりました。チケット売り場で並ぶこともなく、会場へ。まだ、会期が始まって1週間くらいだから空いているかと思っていましたが、それでも、そこそこの人がいました。混雑して作品の前で順番待ちの行列こそありませんでしたが。鑑賞の支障のない程度。これがもし、会期の後の方で、昼間であったりしたら…、想像したくもありません。実際に来ていた人は、時間が時間なだけに勤め帰りの人が多いかと思ったら、制服の高校生もいたり、カップルもいたり、さまざまでした。しかし、グループは少なく、1人か2人といった少人数の人々で、それなりに来館者がいても、会場内は静かでした。それで、落ち着いて作品を鑑賞できたのもよかった。
ここで、主催者のあいさつを引用しておきます。
“ヨーロッパ北部、スカンディナヴィア半島に位置するスウェーデンは、約2万4千もの小さな島や岩からなるストックホルム群島、岩礁が続く海岸線、森林や湖、そして北極圏に広がる山岳地帯など、雄大な自然風景に恵まれた国として知られています。
今日、私たちが思い描く「スウェーデンらしさ」が見いだされたのは、スウェーデン美術の黄金期といわれる1880年代から1915年頃にかけてのことでした。本展はこのスウェーデン美術の黄金期に焦点を当て、その展開を84点の絵画で体系的に紹介する、日本で初めての展覧会です。
1870年代後半からスウェーデンの多くの若い芸術家たちは、芸術の中心地であったフランスへ赴き、新たな美術の潮流に触れるなかで、人間や自然をありのままに描くレアリスムに魅了されました。やがて彼らは故郷スウェーデンへ戻ると、自国のアイデンティティを示すべく「スウェーデンらしい」芸術の創造を目指すようになります。厳しくも豊かな自然や北欧ならではの光、そして身近な人々との暮らしの中にあるささやかな喜び─スウェーデンの画家たちはこうした「日常のかがやき」に描くべきモティーフを見いだし、親密で情感をたたえた表現で描き出しました。
彼らのまなざしは、自然とともに生きる暮らしの豊かさ、そして現代のスウェーデンにも息づくウェルビーイングという考え方へとつながっているのではないでしょうか。本展が、皆様の身近にある「日常のかがやき」に、そっと光を当てるひとときなれば幸いです。”
スウェーデン国立美術館も含めた北欧美術については、一昨年のSOMPO美術館の「北欧の神秘」展で一部を見たのでしたが、その時の印象は、その時々の流行を自国風にアレンジして、差別化を図るという傾向でした。主催者あいさつにある「スウェーデンらしさ」というのが、そういうである面は否定できないと思います。しかし、印象派以降のフランス絵画がセザンヌを経て、抽象の方向に向かって言ったのに対して、スウェーデン絵画は抽象に進むことなく、あくまでも伝統的な具象から一歩も出ることはなかったのは、「スウェーデンらしさ」のゆえかもしれないと思いました。それらについては、これから作品を見ていくことで、分かってくると思います。
T スウェーデン近代絵画の夜明け
19世紀半ばのスウェーデン美術は、ドイツやフランスのロマン主義から大きな影響を受けた風景画が描かれた。その後、19世紀後半のパリで流行り出した戸外での風景画制作が、新しい表現の可能性として捉えられたということです。

ニルス・プロメールの「草原の妖精たち」(右側)という1850年の作品です。北欧の神話か民間の伝承を絵画にしたものでしょうか。“沈む太陽が地平線を赤く染める黄昏時、薄い衣を身にまとった少女たちが、広々とした草原で手を繋ぎ、輪になって踊っている。美しくもあどけなさの残るその顔は、ドレープが優美な曲線を描く衣裳と同じように、没個性的で神秘的な雰囲気を漂わせている。輪になって踊る少女たちの体は宙に浮かんでいる。少女たちは現実の存在ではなく、この地に宿る妖精である。画面左奥の馬に乗った二人の人物は、あたかも自然には妖精が存在するのが当たり前であるかのように、この幻想的な光景に驚くような素振りは見せていない。”(図録P.30)とくに、少女たちの薄絹の白が印象的です。背後の森は、いかにもロマン派的な描き方で、何か意味ありげです。このような神話か伝承を幻想的に描いた絵画は、以前にSOMPO美術館で見た、アウグスト・マルムストゥルムの「踊る妖精たち」(左側)もフィンランドのロベルト・ヴィルヘルム・エクマンの「イルマタル」もそうでした。いずれも、妖精は白い薄絹を身にまとい、絵画は、その白がとても印象的で独特でした。これは、北欧の絵画に共通する特徴なのでしょうか。

イエーオリ・フォン・ローセンの「大ステーン・ステューレのストックホルム入場」(左側)は1864年の作品。いわゆる歴史画になるのでしょうか。描かれているのは15世紀の出来事ということですが、画面の印象は古色蒼然としている。色彩が黒ずんだ感じで、長い年月でくすんでしまったような感じがします。画面は芝居の舞台のようなつくりで、歴史的建築の壁画によくあるようなスタイルです。それゆえ、15世紀の中世に描かれたと言われたら、信じてしまいそうです。それが、この画家の特徴なのだそうです。しかし、石畳の石のひとつひとつまで描き込まれており、かなり緻密な描写であるのは、中世というより近代のこだわりでしょう。それと、画面全体がくすんでいるなかで中央の人物の頭巾や馬上の人物の上着や掲げられている旗の赤が、とても際立っています。この画家は、ベルギーの歴史画家ヘンドリック・レイスにならったと説明されていましたが、たしかに、この作品はレイスの「シャルル5世の勅令」(右側)とよく似ている。

マルクス・ラーションの「荒れ狂うボーヒュースレーンの海」(左側)という1857年の作品。荒れ狂うように海岸に打ちつける高波。海岸に座礁した帆船と、そこから脱出した人々が岩場に孤立している。曇天の下、雲の切れ間から射し込む陽光がスポットライトのように座礁した帆船と岩場に取り残された人々に絵を見る人の視線を誘います。荒れ狂う波、明暗のドラマチックな描写は精緻で迫力があります。ここには、巨大で厳しい自然に対して人間は小さいとか、荒波の荒天でも雲の切れ間から青空が垣間見えるといった様々な暗示が見えるのは、いかにもロマン主義的です。この作品も、ドイツの画家アンドレアス・アッヘンバッハの影響があるといい、アッヘンバッハの「ノルウェー沖の嵐」(右側)によく似ています。ラーションの作品の方が、はるかに精緻ではありますが。
エードヴァッド・バリの「夏の風景」という1873年の作品。スウェーデン中部の湖水地方の牧畜の風景ということです。ラーションとは対照的な平穏な風景です。ラーションのような執拗なほどの細かさはありませんが、これまで見てきた画家たち、丁寧に画面に描き込んでいるところが共通していると言えるでしょうか。“スウェーデンの白樺の森を発見した”と言われているとのことです。でも、こののんびりとしたような平穏な風景といい、ちょっと粗さを残しながらも丁寧な描写をしているところなど、イギリスの風景画家コンスタブルを想起させるところがあると思います。
これまで見てきた作品は、プロメール以外はどれも誰々を想い出させるという誰々風の作品で、描写が丁寧というところで共通しています。ちょうど、日本が明治維新で西洋画を取り入れる際に、黒田清輝らの外光派がフランスの印象派を真似た作品を多数制作したのと同じようなことでしょうか。フランスやドイツに行って、そこで流行っている絵を見て、これはいい、と自国に持っていった、そういうことでしょうか。スウェーデンでは、彼らの作品は新しい絵画として受け容れられた。彼らはフロンティアとして評価された。
U パリをめざして─フランス近代絵画との出合い
19世紀後半、若い芸術はパリを目指し、そこで印象派をはじめとした新しい表現に出会う。彼らが特に魅了されたのは、人間や自然の姿をありのままに描こうとする自然主義やレアリスムだったということです。
カール=フレードリック・ヒルの「モンティニー=シュル=ロワンの階段」は1876年の作品。パリのフォンテーヌブロー郊外の風景だそうです。深い葉に覆われた丘陵の岩肌が露出した急斜面や舗装されていない道、人工的な階段。岩肌や砂利道のゴツゴツした質感を絵の具を置いて積むように盛り上げて、表面に凸凹をつくることで表現しています。そして、茂る草や木の葉の緑は粗く、筆でサッと描かれています。このあたり描き方は、前のコーナーの丁寧さとは対照的で、フランスの印象派とか自然主義などの粗い筆致から点描的になっていくものに倣っている。これは、前のコーナーの画家たちとは、単にお手本が替わったというだけの違いのように見えます。ちなみに、このヒルという画家は、後のコーナーでは、別人のように変貌します。

エリーサベット・ヴァーリングの「ストックホルム群島で読書する女性」(右側)は1890年頃の作品。モネの「日傘をさす女」(左側)と風情がそっくりです。このようにそっくりに描けてしまうことに、驚きました。これは、技巧的にできるとか、恥も外聞もなくやってしまう図々しいところとか、そういうことではないんです。例えば、同時代の日本人の画家が、パリで印象派の作品に触れて、これはいいと思って、日本に帰国したら、このような印象派のパクリのような作品を制作できるか、というと、おそらく難しいのではないかと思います。それは、このような描き方では、日本の光や空気を描くことはできない。それで、フランス帰りの画家たちが、留学で修得した技術では日本の風景などをうまく描くことができないと悩むことが多かったといいます。そこには、陽射しの違いとか、空気の違いとか、例えば、フランスのカラッとした明るい光は、日本の湿潤とした空気や、そこを通ってくるどんよりとした陽光とは決定的に異なるのです。それが、この「ストックホルム群島で読書する女性」では、印象派そのものという描き方がなされている。ここには、フランと日本との違いは、フランスとスウェーデンにはないということが言えると思います。つまり、モネと同じように描いても、まったく見当はずれにはならない。そこには、パリの光や空気とスウェーデンのそれらとは、共通しているのだろうと思えてきます。まあ、同じヨーロッパ大陸にあるのですから、空気や光は共有していたと言えるかもしれません。だから、スウェーデンの絵画は、フランスの絵画に対して、日本の絵画ほど違わない。かなり共通していて、言わば、標準語に対する方言みたいな位置にスウェーデン絵画は位置づけることが可能だというように見えます。スウェーデン絵画などといいますが、遠く離れた日本人の目からみれば、印象派のフランス絵画との違いは、分からないのです。同じような西洋絵画なのです。

ヒューゴ・サムルソンの「落穂拾いの少女」(左側)という作品。バルビゾン派、例えばミレーの「羊飼いの娘」(右側)とかコローの「草刈」などを彷彿とさせます。これは、スウェーデンの農村の風景なのか、お手本となったフランスの風景なのか分かりませんが、日本人の私の目からは、どっちか分からない。それほど、両者は大きく違わない。まあ、当人たちには違うのは当たり前なのでしょうが。というのも、「ストックホルム群島で読書する女性」でても思ったのですが、日本人の西洋画家たちがフランス留学から帰国すると、フランスで習った通りでは日本の風景を描けないとして、深刻に思い悩んだ人が少なくなかったということを聞きます。彼らは、苦闘の末に独自の画風を編み出したりしたわけです。しかし、ここで展示されている作品たちを見ていると、そのような葛藤の痕跡を見て取ることはできませんでした。スウェーデン画家たちは日本人画家たちのような葛藤を迫られることはなかったように見えます。ここに、スウェーデン絵画とフランス絵画の同質性を見てしまうのです。その場合、スウェーデン絵画の独自性というのは、人々がこれはフランス絵画とは違うという差異を意識して、はじめて生まれる、そういう意識的なものだったのではないかと思えてきます。
アンナ・ノードグレーンの「車窓の女性」という作品は、ここで並んでいるなかで、ちょっと異質な感じがしました。周囲の粗い筆遣いに対して、この作品は滑らかで、優雅な雰囲気があります。「ストックホルム群島で読書する女性」などの絵筆の短いストロークで点描のような描き方ではなく、筆の痕跡を残さないような滑らかさは、古式というか、そういう雰囲気を狙っているのか。平面のような列車から女性の顔が飛び出してきたような、奥行を感じさせないのは、ラファエル前派のJMミレイの肖像画を見ているかのようです。
V グレ=シェル=ロワンの芸術家村
パリに留学したスウェーデンの画家たちは、バルビゾン派に倣うようにパリ郊外のグレ=シェル=ロワンという村に集まるようになり、そこで生活しながら制作に励むようになったといいます。彼らは、バルビゾン派はもとより、自然主義的、写実主義的な志向だったということです。
カール・ノードシュトゥルムの「グレ=シェル=ロワン」という1885年頃の作品。題名の通り、芸術家村のあるグレ=シェル=ロワンの風景を描いたものでしょうか。荒野の風景にしか見えないのですが。農村らしきものは、画面中央の上あたりの白煙で、おそらく蒸気機関車のものでしょう。それにしてもラフな描き方。コローを彷彿とさせます。“どこまでも鬱蒼と茂る草地は、目に見えたままの色をそのまま載せるようにアースカラーの斑点を重ねて表現される。前景の枯れ枝は、たっぷりと絵の具のついた筆で描かれ、かさかさとした質感までも再現するようだ。画面右側の草むらから高く突き出た枝が、我々の視線を黒い鳥の群れが遠くに飛ぶ灰色の空へと導く。”(図録P.78)と説明されています。近くで見ると、前景の枯れ枝の描写なんか、乱雑に線を引いたようにしか見えないのが、少し離れて見ると枯れ枝になっている。Tのところで見たマルクス・ラーションの風景画がドラマチックで物語を想像させるところがあるのに対して、この作品は、素っ気ないほど、単に風景を描いているだけという感じ。これも、バルビゾン派というか自然主義というのでしょうか。そういうのを、そのまま描いている。そういう作品のようです。
イエーオリ・パウリの「レース編み」という1885年の作品。前の「グレ=シェル=ロワン」に対して、細かい描写の作品。農家の女性が窓辺でレースを編んでいる。室内に陽光が差し込み、そこで女性が仕事をしているのは、その構成といい、フェルメールっぽいと感じさせるところがあります。ただし、フェルメールは田舎の農家を描きませんでしたが。それは、写実的で物語的なところがない。たんに仕事をしているところを描いているというだけ。バルビゾン派のような郷愁を誘うようなところとか、あるいは民俗的な作品にありがちなメルヘンチックなところが皆無なのが特徴的です。そのことが、もしかしたらスウェーデン絵画の特徴のひとつかもしれない。この静かで、落ち着いた雰囲気は、なかなかあるものではない。
ブルーノ・リリエフォッシュの「カケス」という1886年の作品。左手前のカケスがとまっている草の先っぽの虫食いの黄色い葉の、変色しているのを点描のように、絵の具を積み重ねられているのが、目を惹きます。とまっているカケスの頭部の羽毛の描き方もそうです。それらだけに注目しすぎると、積み上げられた絵の具の鮮やかさに抽象画が見えてきてしまう。ちょっと強烈なところがあります。しかし、離れてみれば、鳥を写実的に描いた作品です。
ヨーハン=フレードリック・クルテーンの「リンチュービングの庭」という1887年頃の作品。この人は、デンマークのズケーインという漁村で芸術家村に参加したということです。これまで見てきた画家たちが、バルビゾン派に倣うような作品だったのに対して、この作品は明るい光に溢れています。リンチュービングはスウェーデン南部の都市。スウェーデンに、こんな明るい光に溢れた風景があるとは。まるで、南欧の避暑地のような光で、北欧とは思えません。背後の鬱蒼と茂る木々が、かろうじて北欧の感じを出しています。しかし、木々の緑は明るく爽やかです。この作品には、緑があふれていて、その爽やかさと鮮やかさが印象的です。描き方も細部まで丁寧に描かれています。日常の一場面のようですが、どこか古典的というか、落ち着いた構成になっています。
これらの芸術家村ですが、バルビゾンの農村に集まった、いわゆるバルビゾン派の画家たちは相互に影響し合って、例えば、コローとミレーは似たような作風になっていったりしたのですが、ここで展示されている作品をみると、そういう傾向は見られないようです。集まって制作していても、それぞれの画家が各自マイペースで別々に制作していたという感じがします。それがスウェーデンの画家たちの特徴といえるのでしょうか。
W 日常のかがやき─“スウェーデンらしい”暮らしのなかで
ここから、フロアが変わります。
フランスで制作していた画家たちが故郷へともどり、身近な家族や周囲の人々に目を向ける。“まるで日常に隠された小さな「かがやき」をそっと見つけ出し、ひとつひとつ丁寧に拾い集めていく、かけがえのない営みの繰り返し”(図録P.99)のようでもあった、ということです。

カール・ヴィルヘルムソンの「画家の妹」(左側)という1899年の作品です。明るく開放的な室内は、フランス絵画の肖像画での重厚で装飾的なインテリアの室内とは違う雰囲気です。たしかに空気が違う。これまで見てきたラフな筆遣いとは明らかに異質です。そして、室内のディテールを細密に丁寧に並べるように描き込んでいるのは、ラファエル前派を彷彿とさせます。油絵というより水彩画のような表面なんか、まさにそうです。これって、いわゆるユーゲントシュティルの間接的ではあれ、影響が及んでいるということでしょうか。この点については説明は何もなかったのです、私の個人的な思い過ごしかもしれません。
エーヴァ・ボニエルの「家政婦のブリッタ=マリーア・バンク(愛称ムッサ)」(右側)は1890年の作品。これも人物画です。印象派などの新しい潮流というより穏健な写実的な作品でしょうか。描かれている女性が北欧のがっしりとした骨太の体格の、典型的なおばさんという女性です。このような女性が単独で正面から描かれるというのは珍しいのではないでしょうか。このおばさんのどっしりとした存在感はすばらしい。
アンデシュ・ゾーンの「画家ブリューノ・リリエフォッシュ」は1906年の作品。これも人物画です。雪の積もった屋外に立つ画家の姿は、いかにも北欧という感じがします。そういうシチュエーションを活かしてか、この作品は白とグレーによって巧みに構成された画面になっていると思います。雪景色というと白一色となりそうですが、そこにグレーを散りばめて、影とか雪の積もった質感を表現しています。ラフな筆遣いが、雪のスカスカな質感に似合っている。その景色に立っている画家の着ている服が茶色が少し入っているようですがグレーで、これが白い中にはいることで、白とグレーの構成の中にハマっている。

カール・ラーションの「カードゲームの支度」(右側)という1901年の作品。展示では、この作品の前にだけ木箱が置かれていて、作品に近寄らないようにされていました。描かれているのは画家の自宅のリビングルームで、パリのような都市のリビングルームとは随分と違う。スウェーデンの田舎の住宅はこのような感じなのか。こういうのが民俗的なところというわけなのか。それにしても、広い室内で、しかも食器をはじめとして調度品がたくさんある。この人は人気画家だったのかどうか分かりませんが、日本人のしがないサラリーマンからみれば、ブルジョワといいたくなる豪華な室内です。これを民俗的といっていいのだろうか。スウェーデンの庶民というのは、こんなにリッチだったのか、と不思議に思います。それとも、この人の視線に入ってくるのは、こういうところで下の方には向かなかったのか。当時のスウェーデンの社会状況を良く知らないので、何とも言えません。横長の画面いっぱいに大きなテーブルがデンと置かれていて。その横に子供がいる。室内は奥行き感かあまりなくて寸詰まりのような感じ。こま構成は、ラファエル前派のJMミレイの「両親の家のキリスト」(左側)を彷彿とさせます。しかも、水彩画のような透明感のある色彩が、ラファエル前派的です。
同じ画家の「キッチン(『ある住まい』より)」は水彩画ですが、「カードゲームの支度」とおなじような印象の画面です。ラーションは「カードゲームの支度」を水彩画的な画面にするように描いているのがわかります。おそらく、意識的に油絵の重厚さや色彩の鈍さを避けようとしたと思われます。そこに、メルヘンチックという雰囲気をつくり出そうとしている。
X 現実のかなたへ─見えない世界を描く
日常のかがやきを描く画家たちがいる一方で、感情や気分といった自身の内面の世界に関心を向ける画家たちもいたということです。彼らは北欧神話や民間伝承を題材に象徴主義的な手法をとったということです。抽象とか神秘主義的な方向性にはいかなかったのが、この人たちの特徴のように思います。

アウグスト・マルムストゥルムの「インゲボリの嘆き」(左側)と「フリッティオフの帰還」(右側)です。両方ともエサイアス・テグネールの『フリッティオフの物語』の挿絵として描かれたものです。アウグスト・マルムストゥルムは以前にSOMPO美術館で見た「踊る妖精たち」の作者です。「踊る妖精たち」は、今回の展覧会で最初に見たニルス・プロメールの「草原の妖精たち」を参照しているとのこと。そこで、プロメールの作品に比べて、妖精たちの実体が稀薄になり、まるで霧のような姿で湖上を浮遊している。マルムストゥルムは北欧神話や伝説を主題とした作品を多く制作した人だったそうです。ここで展示されている作品も、スウェーデンの作家エサイアス・テグネールが北欧の伝承であるサーガのひとつに着想を得た物語をもとに描かれたものです。ここで展示されている二つの作品は、神話的な物語の場面ですが、描き方はリアリズム的で、写真を見ているような迫真性があります。あえて言えば、ハリウッド映画の特撮の場面を絵にしたような感じです。この点が、神話を主題とした作品をよく描いたギュスターヴ・モローが象徴主義的というかデフォルメをきかせて画面を意図的に構成してつくっていて、異化作用があるのとは大きく違いま
す。ここでは、さらに色彩の数を意図的に絞って、まるでモノクロの画面で、そこに女性の衣裳の青のみが鈍く抑制されて使われている。それが、白黒映画をみているかのような錯覚を起こさせ、ちょっとした異化効果、あるいは、ノスタルジックな情緒を醸し出しています。
グスタヴ・アンカルクローナの「太古の時代」は1897年の作品です。北欧では、日没後と夜明け前の薄明かりのころ、辺り一面が青い光に包まれるといいます。その時の深い森林をバックにした湖か海の風景を描いた作品と思いました。しかし、水面に浮かぶ二隻の船のシルエットはヴァイキングの乗る昔の船でした。このシルエットが加わることで、北欧の風景画から幻想的な古代を描いた作品になっています。
ヨンパウエルの「扉を開けたラップモール」という1913年頃の作品。これまでの写実的な描き方とは異なる幻想画風の作品です。そのため、展示されている作品の中で異質な感じがします。“北欧の深い森の奥の、そのまた奥に住む不気味な生き物。頭からつま先まで熊の毛皮をまとい、首には動物の骨をぶら下げている。森と一体化しているような苔に覆われた石造りの家。その扉を開けて、トロルのラップモールが外に出てきた。”(図録P.154)と説明されています。そのとおりに描かれているのでしょうが、一見では、暗くてぼんやりとした画面で、説明されているような具体的なことまで見えてこず、暗闇の中で、何かおぞましいものがモゾモゾ蠢いているような不気味さしか感じられませんでした。油彩画ではなくテンペラで描かれているのも。その独特の幻想的な色彩なのでしょう。
エウシェーン・ヤーンソンの「ティンメルマンスガータン通りの風景」は1899年の作品です。これも以前のSOMP美術館の北欧展で見た覚えがあります。背景となっている夜空の渦巻いているところなどはヴァン・ゴッホを想わせるところがあります。しかし、ゴッホの明るさや熱さはなく、暗く冷気が漂ってくるような感じがします。建物からは灯りが漏れていますが、その光は、暗さを引き立たせるものでしかない。
カール=フレードリック・ヒルの「馬車のいる荒地の風景」(左側)は1878年の作品。“雪が残る寂寞とした黒い大地が広がっている。空には月が浮かんでいるものの、その光は地面を照らすわけでもなく、今にもかき消されてしまいそうな儚さを漂わせている。目印ひとつない荒地をこの馬車は急いでどこへ向かっているのか。”(図録P.162)といささか文学的な説明がされていますが、そんな感じでしょう。画面3分の2以上を茫洋とした雲が広がるグレーの空が占め、残りの下方は雪の積もった白い荒地で、画面全体が薄いグレーと白というモノクロームな世界。カスパー・ダヴィッド・フリードリッヒの「海辺の僧侶」(右側)を想起させるような人の気配のない荒涼とした、それは孤独とか不安のシンボライズかもしれず。画面の下に馬車の黒いシルエットが小さくあって、その馬車の上部にさらに小さく灯りがともっている。それだけが色と感じられる儚さ。何か、その色も今にも消えてしまいそうな、そんな危うさも感じられます。

Y 自然とともに─新たなスウェーデン絵画の創造
エスカレーターでフロアを上がり、最後の展示室に入ると、今日は“まったりフライデー”とのことで、簡易ベンチを貸し出していて、展示されている絵の前にベンチを置いて座ってゆっくり眺めて下さいとのこと。もっとも、絵の前の最前列にベンチを置くと迷惑になるので、ベンチを置く場所は指定されていました。午後5時過ぎの比較的来場者が少ないゆえ、可能なのでしょう。けっこう、ベンチに座っている人の姿を見かけました。でも、他の人が立って観ているところで、自分だけベンチに座っていると落ち着かないように思います。私が小心者のせいでしょうか。
“スウェーデンの画家たちがフランスで学んだのは、あくまでフランスの風土を描くのに適した表現技法であり、全く異なる気候や光をもつ北欧の自然には、別のアプローチが必要であった。それはやがて「スウェーデンをどう描くか」という問いにつながり、祖国の自然や民族のアイデンティティを映し出すにふさわしい画題と表現を模索するという、新たな芸術的課題へとつながっていった。”(図録P.176)ということで、さまざまな新しい試みの作品が展示される、ということです。とはいっても、日本人の画家たちは、フランスで表現技法を学んで、帰国して描こうとして、学んで技法では日本の風景を描けないことを痛感させられたわけです。それに比べて、スウェーデンの画家たちは余裕があるというか、日本人の画家たちのような切迫感とか焦りのようなものが感じられない。
オーロフ・アルボレーリウスの「ヴェストマンランド地方、エンゲルスバリの湖畔の眺め」は1893年の作品。“本作に描かれた、澄み切った水面と夏の緑に太陽の光が降り注ぐ穏やかな自然の情景は、19世紀末の人々によって典型的な「スウェーデンの牧歌的な風景」であった。そのイメージは20世紀に入ってからも生き続け、本作は1935年にスウェーデン旅行協会が実施したコンテストで「最もスウェーデンらしい絵画」に選ばれた。”(図録P.176)と説明されていることから、この作品をはじめとした一連の作品がスウェーデンらしい風景画のパターンをつくったのではないかと追われます。近代の日本で日本画という絵画ジャンルが人為的につくられて、それがいつのまにか伝統的とみなされていったように。実際に、この作品をみていて、どこがフランス絵画と違うのかよく分かりません。
ゴットフリード・カルステーニウスの「群島の日没」1907年の作品。「ヴェストマンランド地方、エンゲルスバリの湖畔の眺め」もそうですが、澄み切った、風景を鏡のように映す水面というのは、スウェーデンの風景画の典型的パターンなのかもしれません。そして、薄い青の空も。この作品では夕焼けに赤く染まる岩壁が画面の上半分いっぱいに描かれ、下半分は水面に映っている岩壁で、画面全体を岩壁が占めることになっています。夕暮れで影が濃くなっているその姿は陰翳が濃くて、ベッリクリンの「死の島」に似た不気味な雰囲気を持っています。こちらはベックリンと違って人間の痕跡が画面にないので、なおさら不気味です。
クスタヴ・フィエースタードの「冬の月明かり」は1895年の作品。たしかに豪雪の風景は北欧ならではです。特徴的なのは、その雪の描き方で、水色、青、白を基調とする小さな点や線を点描のようにリズミカルに重ねています。画像では分かりませんが、実際に見ると、その小さな点はそれぞれ絵の具が重ねられて盛り上がっていて、画面に凹凸を作り出しています。その凹凸が生み出す陰が、画面に立体性と雪の質感を与えている。それが、独特の静かななかにリズム感を生み出している。
エウシェーン・ヤーンソンの「5月の夜」は1895年の作品です。ここに展示されている作品の多くが点描的で、スウェーデン画家は点描が好きなんでしょうか。この作品では、鈍い色をつかって、夜の淡い光を表現している。とくに、海を隔てた対岸の街の微かな街灯の光が点となって並んでいる。それが海上の霧をわずかに色付かせている。抒情的な雰囲気を作り出しています。
最後のコーナーは大判の画面の風景画が大半を占めて、行き着くところは風景画だったということでしょうか。おそらく、そういうパターンを、このときにつくられていったのだろうと思います。スウェーデンはフランスのような当時の絵画の流行の最先端から離れているとはいえ、同じヨーロッパであることで、日本のような海を隔てた極東とは事情がことなり、同じヨーロッパということで共通する部分も少なくない。それゆえ、スウェーデンの絵画ということについて、日本の場合ほど文化の異質性を画家たちは迫られることがなかった。しかし、そのゆえにスウェーデンの独自性という点についてははっきりしない。そこで、自覚的に差異を際立たせて、独自性をつくっていくことになった。その点で、理念的、その結果としてパターン的になっている。そんな気がします。それには、当時の民族的なナショナリズムの世界的な高揚が影響しているかもしれません。日本の画家たちのように差異を突きつけられたのは明らかに異なる。そのように感じました。日本の異質性は、当時は欧米の文化からは否定的に見られ、それが現在では肯定的に変化したのは時代の変化なのでしょうが、それには1世紀以上の時間がかかった。スウェーデンの場合は、同じヨーロッパということで否定的に見られることはなかったのではないか。展示を見ていて、そのような雰囲気を感じました。