リバプール国立美術館蔵
英国の夢 ラファエル前派展 |
2016年3月5日(土)BUNKAMURAザミュージアム いつもは、仕事で都心に出たついでに、時間の合間にちょっと近くの美術館に寄るというパターンだったので、休日に美術館に出かけるということは、珍しい。しかも、苦手な渋谷の繁華街を通り抜けなければならない。午前とはいえ、休日の雑踏にはうんざりさせられるだろう。とはいっても、美術館は主目的でなく、午後から学校の同窓会の打合せの予定があって、そのついでに、少しはやめに家を出て、時間をつくって美術館まで足を伸ばしたというのが、本当のところ。ちょうど、ラファエル前派展をやっていたのが、終わりそうだったので、という事情。休日でも、午前中だから、それほど混み合うこともなくゆったりと作品を見ることができるだろうと思っていたら、展覧会の最終前日ということで、人の流れは途切れることがなかった。 この展覧会のメインタイトルは「ラファエル前派」ということになっていますが、実際の展示を見ると、少しズレを感じました。その印象を含めて、まずは、主催者のあいさつを引用します。 “リバプール国立美術館は、英国・リバプール市内及び近郊の美術館・博物館7館の総称で、特にウォーカー・アート・ギャラリーとレディ・リーヴァー・アート・ギャラリーは19世紀のラファエル前派とその周辺作家の作品を豊富に所蔵する美術館として世界的に知られています。この度、その代表的な作品をわが国で初めて紹介する貴重な機会をえることができました。この時代のリバプールは造船業や工業製品の輸出で大変栄え、英国の産業革命を担う随一の港町でした。リバプールの企業家は、ラファエル前派を始めとした新興画家の作品を購入します。リバプール国立美術館のコレクションの充実ぶりは、当時の企業家の経済力に多くを負っています。19世紀後半の歴史は、1848年、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレイ、ウィリアム・ホルマン・ハントによるラファエル前派の結成から始まります。彼らはルネサンスの巨匠ラファエロ以前の芸術精神の立ち帰ることを理想とし、「自然に忠実に」という標語の下に、反産業主義的、復古主義的な創作活動を指向します。中世の伝説や聖書、神話を画題に取り上げ、自然の細部を忠実に描写しました。そして、それまで英国画壇を支配してきたアカデミックな絵画とは全く異なる新しい絵画世界を誕生させました。彼らのグループとしての活動は数年の短い期間でしたが、その精神は多くの追随者たちに引き継がれ、やがて一大芸術運動であった象徴主義の潮流を形成します。エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス、ジョージ・フレデリック・ワッツらは、ラファエル前派の影響を受け、英国美術を発展させていきました。本展では、リバプール国立美術館のうち、ウォーカー・アート・ギャラリー、レディ・リーヴァー・アート・ギャラリー、サドリー・ハウスの3施設が収蔵する作品で構成し、ラファエル前派に始まる英国美術の流れを紹介します。” このあいさつを読む限りでは、ラファエル前派の作品を展示しようというのではなくて、リバプール国立美術館の所蔵する作品を展示し、その中にラファエル前派の作家と、その周辺の人々が多かったということではないかと思います。それは、19世紀の産業革命で勃興した企業家が、この作家たちの作品を気に入って購入した結果ということだったと思います。この時代背景について、つぎのように解説されていました。“この時代の大英帝国の美術で広く見られた特徴は、新興する中産階級の文化的な期待や先入観に画家たちが応えていくという形で決定づけられた。このような人々は、大きくて、また多くの場合新築された家に住む傾向があり、そうした快適な邸宅は同時代の画家の作品を飾るための場所を持っていた。美術商たちの世界は、何世代にも渡って受け継がれてきた絵画や美術のコレクションを相続することのない人々の必要を満たそうとしたのであり、パトロンとその家族からなるこの新世代の多くが以前には考えられなかった水準の繁栄を享受していたのだが、彼らの願望を確実にその家々の装飾様式に反映させるということによって発展したのである。それゆえに、19世紀中頃の商工業に携わる中産階級の隆盛と、あらゆる種類の美術作品を手に入れたいという彼らの願望は、多くの芸術家が職業的に自立することを可能にした。” 実際に展示されている作品は、ラファエル前派の代表的な画家、ミレイやロセッティのものが、ありますが、そもそものラファエル前派の名前の由来となった彼らの初期のラファエル前派兄弟団のころの作品ではなく、その兄弟団の理念から離れて彼ら自身の独自の方向性に拡散していった後の作品が展示されていました。ラファエル前派をどのように捉えるかは人によって様々ですが、狭い意味で捉えている場合には、外れてしまいそうな作品が展示されていました。また、バーン=ジョーンズはラファエル前派の後期ということに入る解説されているようですが、ロセッティとの関係からであって、象徴的な作風は初期のミレイやホルマン・ハントの作風とは明らかに異質です。そして、それ以外に展示されているレイトン、ウォーターハウス、ワッツ、ポインター、ムーアといった人々は、ラファエル前派の運動に触発された画家たちで、既存のアカデミーに反抗的な姿勢を持つことができた点では共通し、実際に行き来があった人たちだそうですが、ウォルター・ペイターやスウィンバーンが提唱した唯美主義の波の中で作品を発表した人たち、と私は考えています。 このようなことは、画家たちへのレッテル貼りで話として発展性はありません。では、実のところラファエル前派とは、どのような作品の傾向で、ここで展示されている作品は、それとどのようにズレているのかを、私の個人的な捉え方によるものですが、少しお話したいと思います。ラファエル前派、とくに初期の特徴については、別のところでまとめて説明しましたが、主な点として、伝統的な盛期ルネサンスの透視画法による立体や空間を批判して、輪郭線によって捉えられる事物の優美な形象、簡明な構造、透明な色彩という点です。そして、
“自然をあるがままに”というラスキンの理念で代弁されるような精緻な描写をつきつめていって、現実離れしてしまうほどなのでした。そこから、伝統的な絵画鑑賞とは異質な、見る者が主体的に作品に対峙する、つまり、参加するような場を作る、そこに共感とか親密さが生まれるという物だと思っています。 これに対して、ここで展示されている作品の美というものについて解説で述べてられているのを、長くなりますが引用します。“ヴィクトリア女王の治世の中頃には、人々が芸術の目的についてどのように考えているかという点で大きな変化見られた。美学的洗練が進んだことで、画家たちがその作品において、以前は事実を記録し物語る機能としてみなされていたものを退け、その代わりに観客の想像力を引き出す傾向に向かったのである。1850年代と60年代における進歩的なイギリスの画家たちは、潜在意識の暗示もしくは連想によって鑑賞者たちを巧みに操る方法や、作品の持つ雰囲気に備わる抽象的な特性を喚起することで心理学的反応を引き起こす方法がわかるようになってきた。この時代における道徳的、精神的、また科学的不確かさから、画家たちは彼らの感情や不安に象徴的な表現を与える方法を探すことへと駆り立てられた。人間存在における根源的なもの─愛や死、そして感覚上の体験を─表面上あるいは潜在意識下で取り扱う絵画主題は、多くの優れた画家たちのなかでもレイトンやワッツ、バーン=ジョーンズ、そしてロセッティらによって着手され、やがて、多様な要素がかけ合わされて二重の意味を担うような芸術への取り組み方が生まれたが、これら進歩的な画家たちは皆この様式を奉ずることとなったのである。この画家サークルによって創案されたイメージは人の心をつかんで離さないものだったが、それは観客が単なる目撃者としてというよりむしろ、その出来事に巻き込まれたように感じ、脅威すら感じる気分になるように強いられるからであった。これらの画家たちはとりわけ美術の心理的な力を直感的に理解しており、それゆえに奇妙で暗示的、かつ象徴主義的な彼らの作品はヨーロッパ中で評判となったのである。” それでは、作品を展示に沿って見ていきたいと思います。
T.ヴィクトリア朝のロマン主義者たち
最初の主催者あいさつだの説明だののパネルに人だかりがしているのを横目にスルーして、展示スペースに入ると、まずに出くわすのが、ミレイの「いにしえの夢─浅瀬を渡るイサンプラス卿」(左図)という1856年ころの作品です。彼、というよりラファエル前派を象徴するような代表作「オフィーリア」(右下図)は1952年ころの作品ですから、それほど制作年が離れているわけではありませんが、ここにはミレイが、「オフィーリア」の作風から離れ始めたころの作品と言えます。それは、どのようなことか、ちょっと長くなりますが、私なりに思っていることを、お話したいと思います。さきほどあげた「オフィーリア」のミレイは、画面に情報を溢れるほど詰め込んでいく傾向がありました。「オフィーリア」であれば、シェイクスピアの「ハムレット」に書かれている内容を漏れなく反映させ、描きこまれた植物には象徴的な意味が込められていました。これらを作品で見て分かるためには、「ハムレット」を知悉していたり、植物の知識が求められます。そのためには知識や教養が求められ、難しそうと言ったことになりがちです。それがエスカレートすれば、ゲームでいう隠れキャラ探しのように、ややもすると作品の細部を主題とは無関係に探偵のように探し回るこことにもなりかねません。それは絵画を見るという本来のものから脱線してしまうことになりかねません。 そこで、ミレイが志向したのが、シンボライズされた情報でした。彼の後の時代の象徴主義の人たちが、音楽という媒体に範とした表現をします。音楽は時間の芸術、パフォーミングアートで、絵画のように繰り返すように鑑賞することはできません。一瞬で流れ去ってしまうもので、そこで人々に何らかの情報が伝わるのです。しかし、その情報というは言葉で論理的に説明できるように明確なものではなく、意識下の感情とか気分のような雰囲気的なものです。それは、何度も繰り返す必要もなく、鑑賞者に特別な集中力や知識を要求するものでもありません、しかし、鑑賞者からある種の感情を引き出し、共感を得たり感動を誘うことができるものです。ミレイが目指そうとしたのは、このような情報だったと思います。それは、後にミレイの芸術の大きな特徴として言われるようになる“哀感”とか“詩的なイメージ”と言われるものです。例えば、ラファエル前派の理念では、自然はありのままに描きこむもので、ミレイは博物学的な正確さに基づく精緻な描写を追求していました。花や草といった自然が作品画面では背景の一部として埋没してしまうのではなくて、背景から浮き上がるようにそれ自体で存在感を主張するようになり、主人公の人物と画面上の存在を競うようになり、それが観る者に情報が溢れるような印象を与えていたと言えます。それを、ミレイは、言ってみれば博物学的な客観性の高い自然から、絵画作品を創ったり見たりする人間の感情、つまりは主観の動きに従う、あるいはそれを煽るような主観的な見方に沿うような大胆なデフォルメを施していくようになります。それは、例えば、主人公がある気持ちを表わしているのを補完するような雰囲気を効果的に作り出す小道具のようにアレンジされていくようになります。「オフィーリア」は、その典型的な作品でした。 これに対して、ここで展示された「いにしえの夢─浅瀬を渡るイサンプラス卿」は「オフィーリア」のような元々の文学テクスト、「オフィーリア」ではシェイクスピアの「ハムレット」、がありません。これは、ミレイがテクストがあるかのように場面を想像して絵画に仕立て上げ、観る人に逆にものがたりを自由に想像してもらおうと試みた作品なのです。そこでの自然は写実的に描写するのではなく、また、テクストの中の意味をディテールに託して表わすことはできません。作品の劇的な効果を強調するためのツールとなっています。例えば、人物と馬と背景のバランスが人がリアルと感じるものとはズレていますし、光の使い方が不自然に見えます。その中で、馬のシルエットや騎士の鎧といった厳格な要素は、柔肌が剥き出しになった手足や弱々しさを強調するような子どもたちの不安げな表情と不釣り合いに組み合わされています。一方で、遠景にある神秘的な尼僧たちは、死後の世界への憧憬を仄めかすものでもあり、子供たちが生と死を分ける危険な境界を彷徨っていることを示唆します。ただし、これらは直接的なこうだということを主張しているのではなく、そのような雰囲気を醸し出して、作品を見る者が、ここにあるようなことから、何となく感じ取るように、そして、鑑賞者自身によるこの作品の物語を想像するように巧妙に仕向けられている、と言えます。 同じくミレイの「春(林檎の花咲く頃)」(左中図)という1859年の作品です。「いにしえの夢─浅瀬を渡るイサンプラス卿」から3年後の、ラファエル前派兄弟団の頃の作風からは、さらに離れていっているように見えます。解説によれば、描かれている人物たちは、ミレイ自身の妻や家族とその友人の、とくに若い女性であったといいます。ミレイは、近しく気にかけていることによって、特に個人的な性格を絵に与えたと説明されています。説明はそうなのでしょうが、作品の中で描かれている人物の顔を見ていると、前に見た「いにしえの夢─浅瀬を渡るイサンプラス卿」の馬上の三人に比べると精緻さや描き分けでは数歩譲るように見えます。仮に、この「春(林檎の花咲く頃)」の中の人物がミレイの家族であることを知らないで、見ていたとして、ここの人物の顔だけを取り出して見比べてみて、明確に区別がつくかどうか。しかも、これは顔を細かく描きこんでいないせいかもしれませんが、あまり、それぞれの人物に表情が見えず感情的な表現が交替しているように見えます。 一方、この「春(林檎の花咲く頃)」の画面構成とか、構成は、私には、ルネサンス初期の有名なボッティチェリの「プリマヴェーラ」(右図)と似ているように見えます。タイトルも同じように春であるところにも共通性がありますし、春の花が咲き誇っている木を背景に、それを愛でるように人々の群像が横長の画面に描かれているというところです。そのせいか、「春(林檎の花咲く頃)」は、単にスナップのように家族の情景を写したという作品ではなくて、物語のひとコマでこれから物語りが展開していく予感、それ以上に何らかの象徴的なことを想像させる雰囲気が漂っているように見えます。そのひとつは画面向かって右端の仰臥している少女の上部の振りかざされている鎌の刃です。また、全体として、ミレイのラファエル前派時代以来の平面的で奥行きを描かない手法が背景を写生的に描きながら、人々が果樹園の中にいるように見えない、非現実的な雰囲気(室内で壁に果樹園風景のカラー写真を飾っているのではないかと錯覚してしまう)を醸し出していることも、象徴的な何かありげな印象を与えるのに寄与していると思います。 ミレイの作品が続きますが、「ブラック・ブランズウィッカーズの兵士」(左図)という1860年の作品です。この作品はワーテルローの戦いに赴くブランズウィック騎兵隊の兵士と恋人の別れの場面を題材としたもので、歴史的、ものがたり的な題材を扱ったもので、ラファエル前派時代の物語的な絵画への回帰のようにもみえます。しかし、当時のミレイとは別人のような画家がここにいます。卓越したデッサン力による性格で巧みな描写は相変わらずで、それがラファエル前派時代と変わらぬ数少ない点でしょう。ラファエル前派時代と大きく変わった点は、鑑賞者が作品を見て想像する余地を大きく残している点です。ラファエル前派時代の作品は、「オフィーリア」が典型的ですが、作品の中に意味情報が満載されていて、観る方は沢山の情報をあてがわれて、それを理解する、あるいは解釈するという受け身の態度を取らされることになります。これに対して、「ブラック・ブランズウィッカーズの兵士」の場合は、提示されている情報が抑えられていて、観る人の想像で足りない情報を補う余地が生まれるように仕組まれています。そこに鑑賞者が作品を見ることによって積極的に関わることが可能になってきます。例えば、別れる女性の感情を象徴する細部は「オフィーリア」の時のように描かれていないので、観る者は彼女の身になって気持ちを想像することになります。そこに感情移入が生まれます。比喩的な説明になりますが、何かを伝えたいとき、言葉を尽くして説明するのではなく、少ない言葉でニュアンスを表わして後は相手の想像に期待するという方法があります。この方法では、余韻をつくりだす詩的な表現に通じるものと言えます。「ブラック・ブランズウィッカーズの兵士」では、そのた歴史の主役であるヒーローの活躍場面ではなく、平凡な人々に焦点を当て、しかもクライマックスの状況を敢えて外して、ドラマの先行きが定まらない日常的な場面とドラマの境目のようなところを描いています。それが鑑賞者にとって想像を誘うような、想像しやすい設定を巧みに行っているわけです。そして、描き方についてもラファエル前派時代の精緻さから、流麗で大胆な筆遣いにより、画面中の人物に動感を与えています。ここに、ラファエル前派時代に鑑賞者と出会い、唯美主義的な作品や出版物の挿絵などの様々な試行錯誤を繰り返しながら、鑑賞者とのコミュニケイションの形を見つけ出すことができたミレイの姿があると思います。それはまた、消費者のニーズを察知するマーケティングの成功も意味するわけで、人気作家としての地位を確固たるものにしていったのでした。 しかしです。巧くまとまってはいて、広く受け入れられるものになっているのは確かなのでしょうけれど、私には、巧さが先に立ってしまっているように見えます。ラファエル前派時代の、過剰とも言える意味の氾濫に代表される、付け焼刃かもしれないけれど、押しつけがましいところがあるかもしれないが、理念を奉じていた迫力が失われてしまった、と私には見えます。悪く言えば、こじんまりまとまってしまっている。そのため、退屈な印象を避けられません。 ミレイの作品を続けてみてきましたが、最後に、大作ではない小品に近い「良い決心」(右図)という1877年の作品を見ていきたいと思います。このころのミレイはラファエル前派の先鋭的な画家から、多数の注文を抱える肖像画家として、かつて反抗したアカデミーの中に地位を得ていたといいます。もともと、巧い画家ではあるので、人物像の顔の造作などもキッチリ描かれていて、品質の高い肖像画で、趣味もよいし、人々がミレイに注文をしたのも頷けると思います。しかし、ラファエル前派の頃の過剰ともいえる細密な描きこみはここにはなく、その頃に比べると筆遣いは粗い(それは必ずしも悪いことではありませんが)ものとなっています。その代わりに、人物の背後から光を当てるようにして、顔の右半分は影になってしまうものの、うなじから首筋にかけての曲線と髪がほつれるところが映えて、頬のほんのりとした赤みが、この女性の肌の柔らかさを表わしているように見えます。また、彼女の着ているブラウスは粗い筆触により巧みに布のちょっとザラザラしたような質感が見て取れます。ただ、この作品は、あくまでもミレイの作品だから見ようと思う作品で、ミレイにしては・・・というような見方をどうしても、してしまいます。佳品であるとは思いますが。 ミレイの作品についての話が長くなってしまいました。アーサー・ヒューズの「聖杯を探すガラハッド卿」(左図)という作品です。このアーサー・ヒューズという画家は、一昨年の森アーツセンターギャラリーで開催された「ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝絵画の夢」で「四月の恋」という小品ながら青い幻想的な作品に惹かれた作家です。主に挿絵画家として活躍し、目立たない人であったという伝記から、このような大作を制作していたとは思いませんでした。それにしても、夜空と、そこに暗く移る雲と山影をあらわす青とその陰影は、ヒューズ特色がよく出ていると思います。そして、その暗い(深い)青と対照的に天使の光り輝く黄色との対照と、その天使の光に照らし出され、黄色味を帯びる左手の馬上の騎士、そして手前の、暗闇から浮かび上がる岩稜の不気味な影が印象的です。天使の顔がロセッティ風で、顔の描き方が、そのパターンから抜け出ることがなくて、個性とか微妙な表情が見られないところがあります。しかし、この画家は人物のポーズや色彩の陰影などによって、人物の表情に代わり、雄弁に語るところが、この作品でもよく出ていると思います。 ラファエル前派ではミレイと並ぶ看板であるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの作品も展示されていました。「シビラ・パルミフェラ」(右図)という作品です。ロセッティの作品の展示は2点で、もう1点は紙にチョークで描いたものなので、油絵としては、これ1点で、ミレイに比べて少ないと思いました。しかし、ロセッティの作品は端的に言えばワン・パターンなので、これ1点でも、十分に画家の作風が分かってしまうともいえると思います。よい意味でも、悪い意味でも特徴的で個性が強いということでしょうか。ラファエル前派の画家の中でも、ロセッティは、ミレイやハントのように風景画や群像画を描くことはほとんどなく人物画、とりわけ女性のみを描いたように見えます。理屈をどうこう並び立てることは、いくらでもできるでしょうが、根本のところで、ロセッティという人は女性以外を描く気になれなかった人であったと思います。詰まるところ、女性にしか興味がなかったと考えられます。端的にいえば、単なるスケベオヤジであったというわけです。このような視点に立つと、ロセッティの画業はスケベ心を起こして好きな女性を好きなように描くために、紆余曲折を経た苦心の軌跡ということができます。 未だ若いころは、つまり、ラファエル前派のころは、血気盛んであり、若さゆえの衒いもあって、自身をカッコよく見せたいがゆえに稚拙な理論武装を試みたりしました。そしてまた、未だ女性経験もなく、想像の中で理想の女性像を追い求めることになりがちで、それがラファエル前派の物語的な方法論や聖母マリアの純粋で処女性をまとった女性を追い求めたりしたということです。当時のロセッティを取り巻く社会環境はヴィクトリア朝の禁欲的な風潮にあって女性を描くとしても、数多くの制約に縛られていたことも、原因と考えられます。 ロセッティはその中で、もともと素養のあった文学の世界で、自身の思いのたけを想像のなかで追求していったと考えられます。それがダンテの作品のベアトリーチェであったり、中世のアーサー王伝説であったり、ギリシャ神話の女神たちであったりと、ヴィクトリア朝の道徳的社会の中でも、ひとつの抜け道でもあったことから、これらの女性たちに仮託して、作品を制作していったと考えられます。 その後、長ずるにあたって、ロセッティは結婚を経験し、生身の女性を現実に知ることになります。とくに、ロセッティの女性遍歴と、付き合った女性を作品のモデルにしたりとか、その女性たちを介した愛憎の人間関係とかはラファエル前派を解説した著作や文章に詳細に紹介されているので、ここでは採り上げませんが、そこでロセッティは、それまで想像の中でかきたてていた女性を、生身で知るわけです。そこで、ロセッティは付き合っていた当の女性を、そのまま、自らの彼女たちの思いをぶつけるように、彼女たちの肖像を、ロセッティ自身が彼女たちが一番美しく映えるように意匠を凝らして描いていくようになっていきます。そのときに、聖書のエピソードとか神話とか文学のものがたりとか、もっともらしい説明などは不要となっていきます。ロセッティにとっては、目の前に麗しい愛の対象がいるわけです。その愛の感触をそのまま表わすことが、ものがたりの場面を借りるというような面倒な回り道をする必要性を感じられなくなっていったというわけです。そんな回り道をする間に、愛の温もりが冷めてしまいます。ロセッティは、むしろ、そういう温もりを含めて作品として定着させたかったのではないか。それこそが、ロセッティの唯美主義といわれる作品であったと考えられます。 だから、ロセッティと同時期に唯美主義といわれた画家たちとは、その点でロセッティは大きく異なっていたと考えられます。他の唯美主義の画家たちはヨーロッパ大陸に留学しで古代ギリシャやイタリアの美術に触れて、その理想を追いかけたのと本質的に違います。つまり、この作品のような女性像を盛んに描いた1860年以降の作品は、女性の半身あるいは四分の三を、ほぼ等身大の大きさのキャンバスに、女性が画面に収まりきれずに、画面からはみ出してくるようにいっぱい描かれます。それは、背景とか空間といったものは、もはや描くのが面倒で、女性とそれを飾る付属物、たとえば花や装飾を描いていきます。そして、タイトルについて、神話や文学のタイトルを意味深につけてあげることで、象徴性の飾りをするとともに、それなりの意味づけをしています。そのなかで、描かれている女性はロセッティの好みのタイプの女性であり、彼自身が髪の毛フェチであるかのように、そのほとんどが豊かな髪を結い上げることなく(当時のヴィクトリア朝では一般に女性の髪は結うものであったにもかかわらず)、あえて髪を流して描いて、唇を毒々しいほどに真っ赤に塗って強調しているといえます。 この作品でも、象徴的な意味のあるアトリビュートを画面に入れているようです。例えば、女性が手に持っているのは勝利のヤシの葉であるとか、背後の両脇には愛(キューピット)と死(骸骨)のシンボルが彫刻されているとか、あるようです。しかし、見る者の視線はそんなところには行かず、この作品が赤で埋め尽くされているところではないでしょうか。女性の着ているロープの光沢のある赤が画面の下半分で映えて、画面上方の左右には真紅の薔薇の花束が飾られ、中央には黒い覆いから女性の豊かな赤毛が溢れて流れ出るように広がっています。そして、真ん中に女性の肉厚の赤い唇が鎮座している。そのような赤に囲まれて対照的に映し出されるのが女性の白く柔らかな肌というわけです。つまり、この作品は、いろいろに理屈をつけられますが、真ん中の顔を中心にして、様々な意匠が取り囲んでいる。これをロセッティの側から言えば、女性の顔を際立たせるために、あれこれ細工を施しているということになります。それは、別の見方をすれば、そのような工夫を凝らす必要があったということに他なりません。それは、描かれている女性に存在感がないということです。そこにロセッティという画家の画家としての退廃が見えてきます。これだけ、色々なものを画面にぶち込んでも、迫力がない。画面から溢れんばかりに見る者に迫ってくるようなところがない。全体として、それなりにおさまっている。そのような作品は、ブルジョワの住宅の居間を飾るとか、中でもスノッブな人々の集まりの中でアクセサリーとして飾るという目的には、最適なものだったかもしれません。もともと、そのような狭いサークルの中でカルト的に愛玩されるような性格の作品だったというような気がします。今回の展示で、他の画家たちの作品で並べられているのを見て、そう思いました。 そのようなロセッティの性格を考える契機となったのがアントニー・オーガスタス・フレデリック・サンズの「トロイアのヘレネ」(右図)という作品です。ここで描かれている女性は、ロセッティ風の顔立ちで、しかも「シビラ・パルミフェラ」の女性と同じように豊かな赤毛が流れ出るように画面に溢れています。言ってみればロセッティの亜流というところでしょうか。ロセッティは剽窃というようなことで責めたらしいです。しかし、同じ赤毛の女性を描いているにしても、このサンズの作品は、ロセッティのような意匠を凝らしたところが見られません。画面いっぱいに女性のふくよかな顔と豊満さを想像させる肉体、そして赤い髪で埋め尽くされています。しかも、女性の顔をしかめたような不機嫌な表情が生き生きと感じられます。それだけでも、この女性の生身の存在が見えてくるようです。しかも、赤い髪の生え際の一本一本が精緻に、それこそ偏執的なほど描きこまれているのに圧倒されるように思います。その赤い髪が画面からはみ出してくるような錯覚を覚えます。このサンズの作品は顔や髪の描き込みに比べて首や片から上半身が明らかに緊張が途切れたように、お座なりにも見えてしまうほどバランスを欠いていますが、そんなことはお構いなく、迫真的なリアリティかを感じます。好き嫌いは別にして、訴えるものがある。それは、今回の展示された作品が、唯美主義というのでしょうか、ある種キレイゴトに終始しているのに対して、その枠を飛び越えようとしているものに感じられました。
U.古代世界を描いた画家たち 前のコーナーがラファエル前派兄弟団の画家たちを中心とした展示だったようですが、それに対して唯美主義的な傾向を持った画家たちの作品の展示と、私は個人的に思いました。前のコーナーの画家たちが、当時の社会の動きの応じたような新しさを求めて、権威であったアカデミズムに反抗するように絵画を制作し始めましたが、教訓的だったり説話的であったりといったところが、経済発展に伴って生まれてきた消費社会や大衆社会の萌芽の風潮とはズレはじめて、新たな展開として、ここで展示されている画家たちが出てきたというように、考えています。 ちょっと整理してみましょう。ヴィクトリア朝時代のイギリスは、新しいものの考え方が、経済のみに限らず社会、宗教、科学といったように様々な分野で醸成されました。他方では多くの古い通念が見直されていきました。その中で、人々の自らを見る視点が根本から変化していきました。その象徴的な例がダーウィンの進化論です。「種の起源」の中でダーウィンは人間の起源について、従来の宗教的な説明とは全く異なる科学的な説明を行なっています。それは、従来の宗教上の信念にたいする攻撃ともみなされ(何と言っても、人間はとくに神によって造られた特別な存在ではなく、猿の同類で動物と変わらないとされたわけですから)、当時の人々の間に混乱と狼狽を招きました。その結果として、知的・精神的な土台が崩れてしまうような空白感に囚われて戸惑う人々が現われ、そのような人々の中は、宗教の代替物として芸術を帰依の対象として捉える人々も出てきました。それが美の崇拝の機縁のひとつと言えます。同じ頃、他方では、ヴィクトリア朝文化を遍く特徴付けていた功利主義に対する反動がひろがっていました。発展・拡大する社会にあっては一人の人間にとっての有益な目的とは富を生み出すことであるとして、信念とか美などは取るに足らない絵空事だする人々が多かったのも事実です。しかし、それに対して、時代の苛酷な実利主義からの逃避として芸術の重要性にすがる人々も決して少なくありませんでした。そのような時代の変化の中で、画家たちは、例えば絵画の場合、記録を残し話を伝えるという伝統的な機能から脱皮し、それに代わり見る側の想像力に訴える方向に変わっていきました。画家たちは、潜在意識による暗示や連想といった方法によって観客を扱うすべを獲得し、作品全体の雰囲気に抽象性を持たせることで、心理的な反応を誘発することができるようになっていきました。その結果、愛と死、そして五感による経験といった、いわば存在の根源の部分を意識的に、あるいは識閾下で扱う主題を積極的に取り上げていくようになりました。 その第一歩がラファエル前派だったというわけです。しかし、ラファエル前派のありのままに描くという方向は、見る側の想像力を刺激するものとしては不十分でした。また、ラファエル前派が主として取り上げた題材は盛期ルネサンス以前に還れという主張に沿った宗教的なものや中世イギリスの伝説などでした。これに対して、ギリシャ・ローマの古代社会は、キリスト教に代わってヨーロッパの正統性を証明するものでもありました。また、数多くの神話や伝説に彩られ、あまりに古く遠い時代であったことから、画家の自由な想像を働かせる余地も多く、古代の異教世界を建前としてうまく利用してヌードを作品に登場させて消費者の歓心を買うこともありえました。 ローレンス・アルマ=タデマの「打ち明け話」(左図)という作品です。これは細かい。細密画という点では、初期のミレイにも負けません。ミレイの場合は平面的な空間構成の中で、細密に描かれた部分が存在を主張するようにして、画面から溢れ出るような錯覚を起こさせるのですが、このタデマの場合は、奥行きのある空間に細部がしかるべく収まっています。ですから、ミレイの場合と違って、描かれている個々のもの、この作品で言えば、左側の植木だったり、右手上方の棚に飾られた彫刻や小物、あるいは右下の椅子の脚の彫刻などが、それぞれ細密に描かれていますが、空間の中で位置関係と、それにふさわしい序列がつけられてきちんと配列されています。そこで、ミレイと違って安心して見ていられる。つまり、これだけ細密に描きこんであるのに、それが強迫的に迫ってこない。それがこの画家の特徴であり、広く受け容れられた要因ではないかと思います。二人の人物のうち右側の女性の髪の毛、巻き髪になっているところの細密描写などため息が出るほど細かいのですが、それは、前のコーナーで見たサンズの「トロイのヘレネ」の細かさのように見る者を圧倒するようにはなっていません。それは、これだけ細かく描きこまれているのにもかかわらず、人物の存在感が稀薄なのです。たとえば、二人の人物の表情はくっきりとは描かれず挿絵のように類型的で曖昧なのです。 同じ画家の「テピダリウム」(右図)という作品です。女性の全身ヌードです。テピダリウムとは古代ローマの公衆浴場にあったサウナのようなところらしいです。解説によれば、作品のサイズが小さく、家の中でも、家族が集まる広間ではなく、紳士の喫煙室や書斎向けの高級家具の目的で制作されたのではないかと説明されています。とくに現代の私の目から見れば、浴室という設定は、かつてハリウッド映画でセシル・B・デミルという映画監督が古代を舞台にしたスペクタクル史劇で、観客の興味をひくために、わざわざ、このような浴室のシーンを入れて女優のヌードの場面を入れたことを想い起こさせます。すごく見せ方が似ているように思いますが、そこに、やはり生身の肉体のリアルな息吹を感じることはできません。ここで女性は身体の垢を落としているはずなのでしょうが、動きが感じられないのです。あえて言えば、人間の肌の色に彩色された彫刻とか、写実的な人形といった感じなのです。ただ、人肌の触感などは、大理石の台や敷かれている動物の毛皮との対比で巧みに表現されていますが。ここには、見られるものとしてヌード画像というのでしょうが、そこに何を感じるのかは、後は見る者が自身で想像することだということでしょう。そういうわけで、巧い画家であることは異論の余地はないのですが、私には、高品質の挿絵あるいはインテリアといった印象です。ここで、念のために申し添えておきますが、挿絵あるいはインテリアを芸術ではないとか、ヒエラルキーのなかで一段下とか、そのような見下したことを言っているわけではありません。実際、ルネサンスの名画といったってインテリアの目的で注文されたものだったわけですから、それが画家が描いたものを人々が見ていった結果、当初の範疇におさまりきれない何ものかがあって、それを芸術とでも名づけるしかない、言ってみれば、どうしようもないものがあったということでしょう。そのような、どうしようもないものが、この画家の作品からは感じ取ることができなかった。あるいは、そもそも、タデマという画家にそのような意図、意図がなくても描いているうちに無意識のうちにそうなってしまう業のようなもの、がなかったと、私には感じられたということです。 次に、フレデリック・レイトンの作品を見ていきましょう。「エレジー」(左図)という作品から。一見すると、これまでの色々なものが画面で描かれて、うるさいような作品とは、異質なさっぱりとした作品です。背景は省略されて女性だけが暗い画面の中から浮かび上がってくるようです。“レイトンは、服のひだや肌や髪のテクスチャーなど、透き通るような表面を描くのが得意で、くっきり見える部分と徐々にとけ込んで行くように見える部分を絶妙に配合し、漂うような空虚感を作り出している。これは艶出しのメディウムとともに絵の具を薄めることでできる方法で、彼はこの方法によって、はかなく、この世のものでないような中世的な女性を表現できるようになった。”と説明されていました。たしかに巧い。これならば、女性のみを描いても画面はつくれる。そう思います。ラファエル前派のロセッティやソロモン、ヒューズなどと言った画家たちは、ややもすると想いとか想像とか構想が先に立って、描くことの技量が追いついていない傾向が見て取れなくもありません。また、初期のミレイやハントのような描くことが独り歩きして、暴走してしまって、作品が結果として出来上がってしまったというものもあります。それに比べて、このコーナーで展示されている画家たちはソツがないというのか、総じて、要領よく作品としてまとまっています。破綻がありません。これは、作品が販売すべき商品であるということを考えると、品質を保って、効率がいいということです。いわゆるブランド品のような商品では絶対に必要なことです。解説のレイトンの手法の説明を引用しましたが、作品はそのとおりです。レイトンも含めて、このコーナーで展示されている作品に総じて言えることですが、徹底して表層的であるという特徴が見られるということです。画面に描かれている、その表面がすべてということです。そこの背後とか、底流に何らかのもの、いわく言いたげなものが一切ないということです。この「エレジー」という作品ではタイトルもそうですし、悲しみの表情が描かれているということですが、ここで私が見るのは、そのような女性の人間的なものというより、悲しみの表情をしたポーズとか、かたちとか、そこで生まれる陰影を愛でるということです。何を悲しんでいるか分からないということからではなく、描かれている女性の悲しんでいるように見える顔の形、全体としてのポーズなのです。このような顔の造作で、髪の毛で、スタイルの女性であれば、このように悲しんでいるような表情とポーズが映えるというのでしょうか。だから、この「エレジー」の女性に同情するとか共感するということはないのです。私見では、それが唯美主義ということなのです。 レイトンの作品をもうひとつ見てみましょう「アンドロメダ」(右図)という大作です。海獣の生贄にされたアンドロメダを救うためペルセウスが魔女メデューサを倒し、その首をもって向かうというギリシャ神話のエピソードで、この作品はアンドロメダが海獣に襲われる場面です。前のコーナーで見たミレイの作品などに比べると、一見して何が描かれているということが分かるという、とても分かり易く構成されています。それは、まるで盛期ルネサンスやバロックの作品を現代風にかみくだいて見易くしたというようです。レイトンの練達の滑らかな女性の柔肌の触覚的な描き方と、海獣のゴツゴツした感触の対照。女性が見に纏っている(ほとんどはだけてしまっていますが)白い衣装の布地の襞と、その白が透けて肌が映るような描き方。これらと対照させることによって、ほとんど裸体に近い女性の柔らかさが映えます。海獣に襲われて腰をくねらせるポーズで女性の曲線を強調し、さらに被虐的な味わいを附加するという、ギリシャ神話を隠れ蓑にして直接的なエロチックな表現をしていると思います。この作品でのアンドロメダは王女として国を救うために悲壮な決意で生贄となり、海獣に恐れおののく姿としては描かれていません。女性の裸体のポーズのパターンの背景の舞台設定としてあるわけです。この作品もそうですが、もうひとつの「エレジー」にしても、特徴を言葉にすると感触とか肌触りといった触覚に関する言葉を多用しています。触覚とは物体の表面をなぞることによって知覚するもので、視角のように得た情報を整理して構築するといった展開はなくて、あくまで、直接的な表層の情報をダイレクトに得るだけです。レイトンの作品は、そういった表層の効果に特化していると、私には見えます。とくに、この「アンドロメダ」では、画面全体の基調や構成も、女性の裸体の触感のために構成されていると言ってもいいのではないでしょうか。海獣が恐ろしくないし、アンドロメダを襲うようには見えません。また、神話が本来的にもっている教訓とか説話という要素がこのレイトンの作品からは感じられません。 このコーナーの記述の最初のところであるように、ヴィクトリア朝時代に人々をとりまく既成概念や価値観の転換が起こったときに、それに戸惑い、何かにすがろうとか寄りかかろうとする人々にとって、わかり易く、それほど難解でもないものは、とりあえず、当面のものとして機能を果たすことができるのではないでしょうか。そのようなニーズに応えるものとして、レイトンとかタデマといった画家たちの表層的で、わかり易く、美という価値観を容易に呈示してくれるものだったのではないか、と思います。そして、経済の発展で大衆社会と大量消費社会が生まれてくるという状況において、消費するという新たな絵画作品の使い方に、画家たちは適応していった結果として、このような作風となっていったのではないかと、私には思えます。私には、その一線が初期のラファエル前派と彼らの唯美主義を画すものであるように思えるのです。ラファエル前派は伝統的なエリートの芸術観にいたため、アカデミズムに反抗しましたが、唯美主義の画家たちは違う物差しに移ってしまったため、アカデミズムを自身のブランド価値の箔付けとして利用する程度にしか見なかった、というわけです。 次に、エドワード・ジョン・ポインターの「テラスにて」(左図)という作品を見ていきましょう。少女がモザイク模様の床に置かれたクッションに座り、その向こうにはスイカズラ文様の浮き彫りが施された大理石の低い壁が連なっています。この少女はゆったりとしたガーゼのようなドレスを身にまとい、手には団扇を持って、その上に乗っているカブトムシを、明るい色の羽根で弄んでいます。それが南国(地中海?)の明るい陽光のしたで、左手には階段が海に向かって続き、遠景には海の風景。この作品では、背景は雰囲気を醸し出しているものの、前の章でみたミレイやロセッティたちの作品のような、背景で描かれたひとつひとつに象徴的意味が記号化されたというものではありません。だから、ミレイのように輪郭をくっきり描いて存在を主張させたりすることなく、背景として画面の中心である少女の後ろに控えている。そこに、画面全体に中心である少女と背景という構成の奥行きが生まれてくるわけで、見る者としては、前章のラファエル前派の作品に比べて安心して、何となく眺めることができるようになります。ラファエル前派にあった、描く側の切実さとか、メッセージ性に代わって、見る者の視線に心地好い、滑らかに磨き上げられた美ということでしょうか。そして、少女の身につけている白いドレスは薄地の透け透けで脚や腹の肌がすけて見えていて、身体の線が見えています。今の言葉でいえば、着エロのようです。しかもロリータ趣味で、カブトムシと他愛もなく戯れる姿であるわけで、そこにある屈折はかなり、マニアックなロリータ・エロスと言うことのできる可能性があります。(そのように見てしまうのは、私の屈折した欲望に曇った視線ゆえかもしれませんが)。前に見たタデマやレイトンもそうですが、女性のヌードを生々しさを感じさせないことで、ヌードを描くことを実現させていたわけですが、そこに直接的なエロティシズムではない、間接的な想像力を掻き立てさせる淫靡さが隠し味としてあったように見えます。それが唯美主義の画家たちに共通して持っていた、時代の風潮なのではないかと思います。ここでは展示されていませんが、ポインターもアンドロメダを描いた大作があり、バーン=ジョーンズ風に描かれた女性のヌードが画面の中心となった作品です。同じ画家の「愛の神殿のプシュケ」(右図)という作品でも、物憂げな雰囲気の女性を中心に作品がまとめられている、という感じです。 アルバート・ジョセフ・ムーアの「夏の夜」(左図)という作品です。典型的なムーアの作品の傾向は、古代彫刻に見られるような襞のあるたっぷりした衣装を身に着けたギリシャ風の人物(主として女性)が心地よさげに娯楽に興じたり、何もせずに時の流れに身を任すようにしている、というものです。作品のタイトルも恣意的なのか、作品を説明するものでもなく、何かしらの暗示をするようなものでもなく、あえて無内容に徹しているというのか、そのようなもの、例えば絵の中で付随的に描き加えられたアクセサリーにちなんでタイトルにしてしまったりということもありました。多分、ムーアは、何かものがたりの場面をテーマとするとか、何かしらの主張を込めたということはまったくなくて、線と色彩のハーモニーとそれが生み出す造形に、さらに言えば、そこから醸し出される雰囲気のようなものにあったと思います。人物の衣装や背景の色が作品全体の雰囲気を作り出して、その作品を見る人は妙なる調べが聞こえてくるような錯覚にとらわれる、というような評があったということですが、そういうのをムーアは狙っていたと思います。唯美主義といっても、ラファエル前派のミレイのような人は、ものがたりの場面のような題材から、絵画という作品だけで完結した世界をつくって、ものがたりという言葉では表すことの出来ない、厳粛さとか宗教的な雰囲気とかようなものを直観的に感じ取ってもらうことを秘かに意図していたのとはムーアは異なります。ムーアの場合は、もっと表層的で感覚的な喜びに近いもので、ことばでいう内容をできるかぎり切り捨てたようなものだったと思います。そしてまた、この作品では女性のヌードを前方、後方、そして横側とさまざまな方向から描いて、今でいえば3D映像のような見せ方をしています。 このあたりが唯美主義のなかで比較的知られている画家たちではないでしょう。チャールズ・エドワード・ペルジーニというルネサンス期の画家に似た名前の人がいましたが、イタリア系の人のようです。「ドルチェ・ファール・ニエンテ(甘美なる無為)」(右図)という作品は、タデマの「お気に入りの詩人」、ポインターの「テラスにて」あるいはムーアの「夏の夜」といった古代風の背景でくつろぐ女性像ということで共通性がある作品です。ペルジーニは、他の画家が写真でいうとソフトフォーカスのような幾分ぼんやりとさせて雰囲気を醸し出す画面作りをしているのに対して、くっきり、はっきりと明快に描き、全体にカラッとした明るい雰囲気になっています。このように比べて見てみると、これらの画家たちの作品が単独に独立した価値を主張しているというよりは、唯美主義というような一群のグループの中で、他の画家との差異によって相互に引き立て合っていくことで、価値を高めているように思えます。これは、例えば、ファッション・ブランドがそれひとつが単独で新市場を切り開くほどのパワーがないけれど、ファッションの中心地という評判のパリの一区画に集中することで、ライバルのブランドと表面的には競争しながら、実はその単独のブランドで客を吸引するのではなくて、ブランドが集まったというパリのブランドで客を吸引し、その集まった客を奪い合うのと、共通しているように思います。多分、このペルジーニにしても、ポインターにしても、レイトンにしても、一人画家の実力とかネームバリューよりも、画家があつまった唯美主義というブランドで価値を作っていたのではないかと思います。そのためなのか、その結果としてなのかは、分かりませんが、このような共通していながら、個々の画家の個性を差別化できるような諸作品を、画家たちが描いたということではないかと思います。このような言い方をすると、画家たちを否定的に扱っているように思われるかもしれません。しかし、ヴィクトリア朝時代に社会経済上の大きな変化が生まれ、効率的な経済とか大衆消費社会といった傾向がうまれ、伝統的な“ゲイジュツ”という権威が空洞化してしまったという状況で、画家たちは、生活していかなければならない。それまで、技量を磨くために投資をしてきたわけでしょうから、そのリターンを得ようと必死になって、時代の流れを追いかけ、顧客をみつけようと奮闘を続けたのではないかと思います。その暗闘と模索の末に、個々で展示されている作品たちが制作された。結果として、それまでの芸術というものとは意味合いが変容していったということでしょうが、そのプロセスをストーリーとして、私は、想像していました。展覧会主催者の意図とは、まったく離れたことですが、私が、この展覧会で興味を惹かれたのは、そういう点です。 同じ画家の「シャクヤクの花」(左上図)という作品です。よくできた作品で、キレイな作品であると思います。でも、この作品について、この展覧会で、もし間違って、ペルジーニではなく、他の画家の名前で展示されたとしても、見に来たお客さんのうちで間違いに気がつく人はどれだけいるでしょうか。それだけ、この作品もそうだし、ペルジーニという画家もそうだし、他の画家にしても、特筆すべき目立った個性がないということです。作品の価値がどうこう以前に、ひとやまいくらの林檎のようなものなのです。ただし、そのひとやまの価格が高いか安いかは別の議論になります。そして、個々で展示されている画家たちは、ひとやまの中の一個でもいいから、店頭に並ぶこと、売れることが、まず大事だったということではなかったのか。そう思います。私は、そのような妄想を止めることができませんでした。
V.戸外の情景 このコーナーについては、展示の意図がどうであれ、点数も少なく、あっという間だったので、私はインテルメッツォとして、それほど注意せずに、さっとやり過ごしたというのが正直なところです。 ウィリアム・ホルマン・ハントの「イタリア人の子供(藁を編むトスカーナの少女)」(右上図)という作品です。前のコーナーで見てきたキレイな女性像と比べると少女が見る者に迫ってくるところが異質に感じられます。少女を描くのでもレイトンの「書見台での学習」(左図)のような作品のキレイさに比べれば、違いは明瞭です。背景とのバランスとが取れていないし、中心の少女はいいとして、それ以外のところの描き込みはあきらかに落ちています。この作品のような、画面が“うるさい”作品は私の好みではないのですが、それでも作品の前に引き止める力がある作品であると思います。
W.19世紀後半の象徴主義者たち 最後のコーナーは、バーン=ジョーンズのようなロセッティの影響を受けながら、唯美主義の作風も取り入れ、様式化された作品を制作していった画家たちの作品です。今まで見てきた画家たちは、現実的な写生ということを重視して作品の画面つくりをしてきたのに対して、ここの画家たちは、幻想的な画面をパターンで描こうとしている点で大きく異なっていると思います。 ジョージ・フリデリック・ワッツの「十字架下のマグダラのマリア」(右図)という作品です。今まで見た作品とは、ガラッと雰囲気が変わったのにお気づきでしょう。最初の主催者の説明にあった“1850年代と60年代における進歩的なイギリスの画家たちは、潜在意識の暗示もしくは連想によって鑑賞者たちを巧みに操る方法や、作品の持つ雰囲気に備わる抽象的な特性を喚起することで心理学的反応を引き起こす方法がわかるようになってきた。この時代における道徳的、精神的、また科学的不確かさから、画家たちは彼らの感情や不安に象徴的な表現を与える方法を探すことへと駆り立てられた。”というのをが、この作品をみると、典型的に当てはまるだろうと思います。この作品は、“マクダラのマリアが背後に聳え立つ十字架に磔にされたキリストの下に跪いている”姿を描いていて、“彼女の深い悲しみは、天を仰ぐように後ろに反らせた頭部と、力を失ってだらんと垂れ下がった両腕によって表現されている。ぎざぎざに重なった衣服の襞の線は、慰むべくもない彼女の悲しみを代弁しているかのようだ。このような表現は、聖書の挿絵という因習的なジャンルから逸脱したものであり、最も痛切な哀悼の感情という観点から人間を研究したものとなっている。”というような説明が附されていました。しかし、その説明には、少し無理があるように思えます。例えば、この作品を見る限りでは、女性が寄りかかっているのがキリストが磔にされている十字架であるとは分かりようがありません。それらしき、アトリビュートもありません。また、この作品のサイズ等から考えてみても教会に飾られるために描かれているのではないようです。それが分かるのは、作品タイトルから想像することくらいで、あとは、この作品についての説明が附されてはじめて分かるという類のものです。描く題材としては、ワッツはマクダラのマリアを描いたというのは確かでしょうが、描いているうちに、マクダラのマリアを題材にした作品から、マクダラのマリアを題材にして、何かを描く絵画になっていったのかもしれません。おそらく、ワッツはこのような作品を売ることは考えず、自分の好きなように描いたと考えてもいいかもしれません。そしてまた、上記の説明にあるような、この女性の深い悲しみというのが、私には見えてきません。この画面には、悲しみを連想させるものが何もないのです。天を仰ぐように上を向いている彼女の表情からは悲しんでいるようには見えません。両手をだらんと下げている姿勢も悲しんでいるというよりは、呆然としてように見えます。タイトル等の先入観なしにこの作品の画面を見ていると、暗い中でスポットライトのように光が射して、その光に映えるように浮かび上がってうつしだされる女性の姿です。力なく、何かに寄りかかるように、身体を預けて空ろに口をぽかんをあけて光を差す上方を見上げているような表情は呆けているようにみえるのは、一種の忘我のような状態にあるように見えます。作品タイトルのとおり聖書の人物を取り上げているのであれば、その忘我は、宗教的な法悦状態であるかもしれません。この作品が“潜在意識の暗示もしくは連想によって鑑賞者たちを巧みに操る方法や、作品の持つ雰囲気に備わる抽象的な特性を喚起することで心理学的反応を引き起こす”という作品であるとすれば、悲しみといった具体的な感情を描くのではなく、もっと抽象化させる方が理にかなっています。ですから、展示に附されていた説明には論理的に矛盾があるということだけ、断っておきます。まあ、展覧会の説明など、その程度の者でしかないと思いますが。 同じ画家の「プシュケ(クヒドに置き去りにされたプシュケ)」(左図)という作品です。愛と欲望の神クピドの宮殿に運ばれたプシュケが、毎夜、彼女のベッドに通う者の正体を暴こうと、ランプを手にし、恐ろしい怪物と思って、その求婚者の息の根を止めようとして短剣をもって、見たのはクピドの姿だった。クピドは彼女をひとり残して、立ち去ってしまう。この作品は、“クピドから肉体的な愛の喜びの手ほどきを受けたベッドの傍らに立ち尽くすプシュケが、彼の翼から落ちた一枚の羽根と、運命を決したランプのある床に目を落とす姿を描いている。”という説明があります。私には、この説明をできる人の絵を読み取る力に感嘆します。この作品からは、私には、そこまで想像することはできません。ここで描かれているのは、ロリータ・ヌードとも言ってもいい、未成熟な体型の女性の裸体と、その姿勢の恣意的で不自然なところです。あきらかに首の下の胴体と頭部がちぐはぐで、それがぎこちなさを印象付けます。この女性について、首を境にして上と下は別の画家が描いたのかと疑いなくなるほど、描かれ方も色調もが違っているように見えます。そして、顔には表情がなく、まるで死体のようです。
このような解説的な説明よりも、的外れなこじつけかもしれませんが、このプシュケにしてもマグダラのマリアにしても、ワッツの作品からは、画家が意図しているかどうかは別として(多分、そんなことは意図していないと思いますが)人の意識下の領域を想像させるところがあると思えるところがあります。それが、“1850年代と60年代における進歩的なイギリスの画家たちは、潜在意識の暗示もしくは連想によって鑑賞者たちを巧みに操る方法や、作品の持つ雰囲気に備わる抽象的な特性を喚起することで心理学的反応を引き起こす方法がわかるようになってきた。この時代における道徳的、精神的、また科学的不確かさから、画家たちは彼らの感情や不安に象徴的な表現を与える方法を探すことへと駆り立てられた。”ものとして効果を生んでいるのではないかと思えるのです。というのも、ワッツの作品で見た人物には表情とか意思といった、人を起動させるものがありません。というよりも、死んでいるのか、意識がないのか、そんな人物たちです。しかし、それが見ている側に何らかの心理的な効果を生む雰囲気を作り出しているように見える。そこで考えられるのは、ちょうどヴィクトリア朝時代に降霊会とかオカルトといった心霊的なものがブームになり、理性で測れないようなものへの興味が高まったことと、そのなかで催眠術のような心理的なものの興味も同時に生まれ、フロイトが人間の無意識の領域についての論説を学問化するのは、このすぐ後の時代です。全体として、理性とか感情といった意識から生み出されるもののベースに無意識という意識では測れない、不可思議な領域があるが、それが人を突き動かしているらしいということが考えられるようになってきた時代でもあったと考えられます。ワッツの作品に描かれた人物たちの意識がないような状態であるのは、結果として、そのような無意識を想像させることもできたという、画家は思わぬ結果を見る者に生んだように見えてきます。それは、人が意識を持たないように描かれていたということ。それ以外に、その人がおかれている状況が、現実か夢のような幻想か非常に曖昧で(フロイトは無意識を知るために夢を用いたことは有名です)あるかのように描かれていたことにもよっています。ここで展示されていた、ワッツの有名な「希望」のスケッチ(右図)も、そういう想像を掻き立てさせるものであったのではないかと思いました。 次にバーン=ジョーンズの作品を見ていきましょう。バーン=ジョーンズはロセッティに見出され、ラファエル前派の後期を代表する画家という説明でいいのではないでしょうか。「フラジオレットを吹く天使」(左図)という水彩画です。この展覧会で、最初にラファエル前派のミレイの平面的で、事物の輪郭を明確な線で描いていた図面のような絵画から、唯美主義の画家たちの奥行きのある空間を画面に導入し、事物の表層の感触を細密になぞるように描写して、科学的思考に沿うようなリアルさ美をわかり易く呈示してきたことから、また、平面的で図式的な絵画にひと回りして戻ってきたような印象です。しかし、そこにはただ戻ってきたのではなくて、表層的でリアルを感じさせるのでは物足りなさを感じたのであろう人々の欲求を充たすべく、幻想性をまじえたものを、現実とは一線を画させるように中世から初期ルネサンスのころのイコンのような図式のような形にしてみせた作品ということができます。ワッツのように現実と幻想が曖昧なものであるのに対して、バーン=ジョーンズは現実と幻想の区別を明確にしてみせます。幻想の無意識の世界は、もはや人々にとってリアルに在るということが前提になっていたら、それが現実に今、生活を営んでいる、その裏に無意識の世界が広がっていることになります。それをリアルに感じてしまったとしたら、人は不安に苛まれることになるのではないでしょうか。 この作品を見れば、タデマやレイトンといった画家たちの写真をおもわせる一見写実的な人の描き方をしているのに対して、バーン=ジョーンズは写真よりも図案の方を向いたような画風で大きく印象が異なります。画家の伝記的な事実として、中世や初期ネルサンス絵画を勉強したことから、その影響を受けたと言えるかもしれません。しかし、それだけでは、なぜ彼が、このような画風になって、しかも当時の人々が、それを受け容れたのかは分かりません。ひとつには、バーン=ジョーンズは画家だけでなくステンドグラスやタピスリーの図案のデザインをしていたことが、大きく影響しているかもしれません。当時の人々にとって写真よりも、そのような壁掛けや教会のステンドグラスの方が身近に接することができるものだっただろうことから、図案の親しみ易さはあったと思います。バーン=ジョーンズは、それにうまく乗ったと言えないでしょうか。彼が題材として取り上げたのは伝説や神話のエピソードです。そして、当時の人は、その図案のような作品の中に、リアルな現実生活とは一線を画するように幻想とか、その下に潜む潜在的な無意識の象徴を弄ぶことを可能にしたといえるのです。つまり、現実とは表裏の関係で、今、自分がいる一枚皮を剝いだ下に悪夢が広がっているとは、さすがに、そこまで切迫感があると日常生活をあまりに重くなってしまいます。それよりも、現実に隙間に、はるかに垣間見える程度であれば心悩ますほどにはなりません。バーン=ジョーンズの作品は、その絶妙なバランスを保っているのが、魅力となっているのではないかと思います。そこでこそ、イラストのような平面的、というよりは二次元性を強く感じさせるところや、色彩が明るく透明な絵の具の色が映えているところ、この作品であれば登場する人物がいつも同じようになっていてキャラクター化していること、などといったバーン=ジョーンズの特徴が活きてくると思います。 同じ画家の大作「スポンサ・デ・レバノ(レバノンの花嫁)」(左図)はどうでしょうか。3.3×1.6mという水彩の大作です。「旧約聖書」の「雅歌」の一節ということですが、森の中へ続く小径を歩む花嫁が画面真ん中右で、彼女の両側には白いユリの花(純潔の象徴だそうです)が咲いていて、そして、彼女の左上に、擬人化された北風と南風の女性像が渦巻く衣を身にまとい、手を頭の両側にかざしています。この二人の女性像についてはルネサンス初期のボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」 (右上図)でヴィーナスの左側で風を吹きかけるゼフィロスを参考したと解説されています。例えば、二人の女性が口から花を吹いているようにみえるのは、ボッティチェリから持ってきたもののようです。また、二人の女性の顔の形についてもボッティチェリの形を持ってきているように見えます。ボッティチェリという画家は中世の様式的な絵画のティストを大きく残して、リアリズムとは一線を画した画風のひとでしたが、バーン=ジョーンズはそのような性格をうまく使って、当時の人々の好みに合わせて、リアリズムのスパイスをまぶして呈示して見せた、という作品ではないかと思います。例えば、二人の風の擬人化した女性の着ている衣装の襞が、装飾的な文様のようになっていて、衣装の襞から、派生した流れが、彼女たちの背後まで続いて長く伸びて、まるで渦を巻くような文様を形作っています。これは、つむじ風とか風をシンボライズしているのでしょう。ここでは、それをあからさまに風として描くことをしていません。例えば、風が吹いているのであれば、真ん中右の、こちらに歩いてきる女性の衣服や髪の毛が風に吹かれていないし、あしもとのユリの花が風に揺れていません。これは、バーン=ジョーンズが影響を受けた「ヴィーナスの誕生」で、風が吹いて、誕生したばかりのヴィーナスに掛けられようとして衣が煽られている様とは対照的です。バーン=ジョーンズのこの作品では、風は二人のところで吹いているのです。しかし、それがもう一人の女性に届いているかどうか。その雰囲気が、二人の女性の衣装の襞と風の様式化されたデザインのような描き方に表われていると思います。現代でいえば、さしずめ、サブリミナルのような効果を狙っているのではないかと、私には思えます。 このような様式化してデザインのようにして、意識下にシンボルを植えつけるような手法は、バーン=ジョーンズのフォロワーとも言うべき画家たちによって積極的に展開されたと思います。ジョン・メリッシュ・ストラドウィックの「聖セシリア」(右上図)では、中世のイコンのようなデザインを幻想絵画のように描いています。細密画のように衣装や天使の羽根を描き、天使と聖セシリアの顔の皮膚の柔らかさは唯美主義の画家たちの描くような肌触りの柔らかさを印象付けます。その対比を明るく透明な彩色で描いています。これを見ていると、現代ではない時代、中世的な幻想の世界に誘い込まれるような印象を見る者に与えていると思います。 また、ジョン・ロダム・スペンサー・スタナップの「楽園追放」(右図)という作品。まるで、タペストリーの図案のような画面で、細かく花が散りばめられ左手の人物の甲冑や、追放されるイブの髪の毛など、細密画のように、全体が過剰なほど細かく描きこまれています。しかし、全体は図案のようなリアルとは一線を画したもので、バヘーン=ジョーンズの手法を過激に突き詰めた作品と言えるのではないかと思います。それが自然主義のリアリズムを跳び越えて、幻想絵画になってしまっている。後の象徴主義とか、その影響を受けたシュルレアリスムの画家たちに連なる傾向を可能性を持っている作品であると思います。 そして、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの「エコーとナルキッソス」(右図)を見ていきましょう。耽美的な画家というイメージを持っていましたが、実際に作品を見ると、描き方が粗いので驚きました。それをある程度のサイズでドカッと呈示してみせることで、そのスケール感と題材とで、繊細とか幻想的とか耽美といった印象を与えている巧みさに感じ入ったというところです。しかし、それでどうしたというところで、これまで様々に見てきた連続性で見ていくと、名声はあるようだけれど、私としては、いささか拍子抜けという感じでした。最後のところが、こんなだったので、画竜点睛を欠くというのが、展覧会全体の印象でした。
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