リバプール国立美術館蔵
英国の夢 ラファエル前派展 |
2016年3月5日(土)BUNKAMURAザミュージアム
この展覧会のメインタイトルは「ラファエル前派」ということになっていますが、実際の展示を見ると、少しズレを感じました。その印象を含めて、まずは、主催者のあいさつを引用します。 “リバプール国立美術館は、英国・リバプール市内及び近郊の美術館・博物館7館の総称で、特にウォーカー・アート・ギャラリーとレディ・リーヴァー・アート・ギャラリーは19世紀のラファエル前派とその周辺作家の作品を豊富に所蔵する美術館として世界的に知られています。この度、その代表的な作品をわが国で初めて紹介する貴重な機会をえることができました。この時代のリバプールは造船業や工業製品の輸出で大変栄え、英国の産業革命を担う随一の港町でした。リバプールの企業家は、ラファエル前派を始めとした新興画家の作品を購入します。リバプール国立美術館のコレクションの充実ぶりは、当時の企業家の経済力に多くを負っています。19世紀後半の歴史は、1848年、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレイ、ウィリアム・ホルマン・ハントによるラファエル前派の結成から始まります。彼らはルネサンスの巨匠ラファエロ以前の芸術精神の立ち帰ることを理想とし、「自然に忠実に」という標語の下に、反産業主義的、復古主義的な創作活動を指向します。中世の伝説や聖書、神話を画題に取り上げ、自然の細部を忠実に描写しました。そして、それまで英国画壇を支配してきたアカデミックな絵画とは全く異なる新しい絵画世界を誕生させました。彼らのグループとしての活動は数年の短い期間でしたが、その精神は多くの追随者たちに引き継がれ、やがて一大芸術運動であった象徴主義の潮流を形成します。エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス、ジョージ・フレデリック・ワッツらは、ラファエル前派の影響を受け、英国美術を発展させていきました。本展では、リバプール国立美術館のうち、ウォーカー・アート・ギャラリー、レディ・リーヴァー・アート・ギャラリー、サドリー・ハウスの3施設が収蔵する作品で構成し、ラファエル前派に始まる英国美術の流れを紹介します。” このあいさつを読む限りでは、ラファエル前派の作品を展示しようというのではなくて、リバプール国立美術館の所蔵する作品を展示し、その中にラファエル前派の作家と、その周辺の人々が多かったということではないかと思います。それは、19世紀の産業革命で勃興した企業家が、この作家たちの作品を気に入って購入した結果ということだったと思います。この時代背景について、つぎのように解説されていました。“この時代の大英帝国の美術で広く見られた特徴は、新興する中産階級の文化的な期待や先入観に画家たちが応えていくという形で決定づけられた。このような人々は、大きくて、また多くの場合新築された家に住む傾向があり、そうした快適な邸宅は同時代の画家の作品を飾るための場所を持っていた。美術商たちの世界は、何世代にも渡って受け継がれてきた絵画や美術のコレクションを相続することのない人々の必要を満たそうとしたのであり、パトロンとその家族からなるこの新世代の多くが以前には考えられなかった水準の繁栄を享受していたのだが、彼らの願望を確実にその家々の装飾様式に反映させるということによって発展したのである。それゆえに、19世紀中頃の商工業に携わる中産階級の隆盛と、あらゆる種類の美術作品を手に入れたいという彼らの願望は、多くの芸術家が職業的に自立することを可能にした。”
このようなことは、画家たちへのレッテル貼りで話として発展性はありません。では、実のところラファエル前派とは、どのような作品の傾向で、ここで展示されている作品は、それとどのようにズレているのかを、私の個人的な捉え方によるものですが、少しお話したいと思います。ラファエル前派、とくに初期の特徴については、別のところでまとめて説明しましたが、主な点として、伝統的な盛期ルネサンスの透視画法による立体や空間を批判して、輪郭線によって捉えられる事物の優美な形象、簡明な構造、透明な色彩という点です。そして、
“自然をあるがままに”というラスキンの理念で代弁されるような精緻な描写をつきつめていって、現実離れしてしまうほどなのでした。そこから、伝統的な絵画鑑賞とは異質な、見る者が主体的に作品に対峙する、つまり、参加するような場を作る、そこに共感とか親密さが生まれるという物だと思っています。 これに対して、ここで展示されている作品の美というものについて解説で述べてられているのを、長くなりますが引用します。“ヴィクトリア女王の治世の中頃には、人々が芸術の目的についてどのように考えているかという点で大きな変化見られた。美学的洗練が進んだことで、画家たちがその作品において、以前は事実を記録し物語る機能としてみなされていたものを退け、その代わりに観客の想像力を引き出す傾向に向かったのである。1850年代と60年代における進歩的なイギリスの画家たちは、潜在意識の暗示もしくは連想によって鑑賞者たちを巧みに操る方法や、作品の持つ雰囲気に備わる抽象的な特性を喚起することで心理学的反応を引き起こす方法がわかるようになってきた。この時代における道徳的、精神的、また科学的不確かさから、画家たちは彼らの感情や不安に象徴的な表現を与える方法を探すことへと駆り立てられた。人間存在における根源的なもの─愛や死、そして感覚上の体験を─表面上あるいは潜在意識下で取り扱う絵画主題は、多くの優れた画家たちのなかでもレイトンやワッツ、バーン=ジョーンズ、そしてロセッティらによって着手され、やがて、多様な要素がかけ合わされて二重の意味を担うような芸術への取り組み方が生まれたが、これら進歩的な画家たちは皆この様式を奉ずることとなったのである。この画家サークルによって創案されたイメージは人の心をつかんで離さないものだったが、それは観客が単なる目撃者としてというよりむしろ、その出来事に巻き込まれたように感じ、脅威すら感じる気分になるように強いられるからであった。これらの画家たちはとりわけ美術の心理的な力を直感的に理解しており、それゆえに奇妙で暗示的、かつ象徴主義的な彼らの作品はヨーロッパ中で評判となったのである。” それでは、作品を展示に沿って見ていきたいと思います。
Ⅰ.ヴィクトリア朝のロマン主義者たち
ミレイの作品が続きますが、「ブラック・ブランズウィッカーズの兵士」(左図)という1860年の作品です。この作品はワーテルローの戦いに赴くブランズウィック騎兵隊の兵士と恋人の別れの場面を題材としたもので、歴史的、ものがたり的な題材を扱ったもので、ラファエル前派時代の物語的な絵画への回帰のようにもみえます。しかし、当時のミレイとは別人のような画家がここにいます。卓越したデッサン力による性格で巧みな描写は相変わらずで、それがラファエル前派時代と変わらぬ数少ない点でしょう。ラファエル前派時代と大きく変わった点は、鑑賞者が作品を見て想像する余地を大きく残している点です。ラファエル前派時代の作品は、「オフィーリア」が典型的ですが、作品の中に意味情報が満載されていて、観る方は沢山の情報をあてがわれて、それを理解する、あるいは解釈するという受け身の態度を取らされることになります。これに対して、「ブラック・ブランズウィッカーズの兵士」の場合は、提示されている情報が抑えられていて、観る人の想像で足りない情報を補う余地が生まれるように仕組まれています。そこに鑑賞者が作品を見ることによって積極的に関わることが可能になってきます。例えば、別れる女性の感情を象徴する細部は「オフィー しかしです。巧くまとまってはいて、広く受け入れられるものになっているのは確かなのでしょうけれど、私には、巧さが先に立ってしまっているように見えます。ラファエル前派時代の、過剰とも言える意味の氾濫に代表される、付け焼刃かもしれないけれど、押しつけがましいところがあるかもしれないが、理念を奉じていた迫力が失われてしまった、と私には見えます。悪く言えば、こじんまりまとまってしまっている。そのため、退屈な印象を避けられません。 ミレイの作品を続けてみてきましたが、最後に、大作ではない小品に近い「良い決心」(右図)という1877年の作品を見ていきたいと思います。このころのミレイはラファエル前派の先鋭的な画家から、多数の注文を抱える肖像画家として、かつて反抗したアカデミーの中に地位を得ていたといいます。もともと、巧い画家ではあるので、人物像の顔の造作などもキッチリ描かれていて、品質の高い肖像画で、趣味もよいし、人々がミレイに注文をしたのも頷けると思います。しかし、ラファエル前派の頃の過剰ともいえる細密な描きこみはここにはなく、その頃に比べると筆遣いは粗い(それは必ずしも悪いことではありませんが)ものとなっています。その代わりに、人物の背後から光を当てるようにして、顔の右半分は影になってしまうものの、うなじから首筋にかけての曲線と髪がほつれるところが映えて、頬のほんのりとした赤みが、この女性の肌の柔らかさを表わしているように見えます。また、彼女の着ているブラウスは粗い筆触により巧みに布のちょっとザラザラしたような質感が見て取れます。ただ、この作品は、あくまでもミレイの作品だから見ようと思う作品で、ミレイにしては・・・というような見方をどうしても、してしまいます。佳品であるとは思いますが。
未だ若いころは、つまり、ラファエル前派のころは、血気盛んであり、若さゆえの衒いもあって、自身をカッコよく見せたいがゆえに稚拙な理論武装を試みたりしました。そしてまた、未だ女性経験もなく、想像の中で理想の女性像を追い求めることになりがちで、それがラファエル前派の物語的な方法論や聖母マリアの純粋で処女性をまとった女性を追い求めたりしたということです。当時のロセッティを取り巻く社会環境はヴィクトリア朝の禁欲的な風潮にあって女性を描くとしても、数多くの制約に縛られていたことも、原因と考えられます。 ロセッティはその中で、もともと素養のあった文学の世界で、自身の思いのたけを想像のなかで追求していったと考えられます。それがダンテの作品のベアトリーチェであったり、中世のアーサー王伝説であったり、ギリシャ神話の女神たちであったりと、ヴィクトリア朝の道徳的社会の中でも、ひとつの抜け道でもあったことから、これらの女性たちに仮託して、作品を制作していったと考えられます。 その後、長ずるにあたって、ロセッティは結婚を経験し、生身の女性を現実に知ることになります。とくに、ロセッティの女性遍歴と、付き合った女性を作品のモデルにしたりとか、その女性たちを介した愛憎の人間関係とかはラファエル前派を解説した著作や文章に詳細に紹介されているので、ここでは採り上げませんが、そこでロセッティは、それまで想像の中でかきたてていた女性を、生身で知るわけです。そこで、ロセッティは付き合っていた当の女性を、そのまま、自らの彼女たちの思いをぶつけるように、彼女たちの肖像を、ロセッティ自身が彼女たちが一番美しく映えるように意匠を凝らして描いていくようになっていきます。そのときに、聖書のエピソードとか神話とか文学のものがたりとか、もっともらしい説明などは不要となっていきます。ロセッティにとっては、目の前に麗しい愛の対象がいるわけです。その愛の感触をそのまま表わすことが、ものがたりの場面を借りるというような面倒な回り道をする必要性を感じられなくなっていったというわけです。そんな回り道をする間に、愛の温もりが冷めてしまいます。ロセッティは、むしろ、そういう温もりを含めて作品として定着させたかったのではないか。それこそが、ロセッティの唯美主義といわれる作品であったと考えられます。 だから、ロセッティと同時期に唯美主義といわれた画家たちとは、その点でロセッティは大きく異なっていたと考えられます。他の唯美主義の画家たちはヨーロッパ大陸に留学しで古代ギリシャやイタリアの美術に触れて、その理想を追いかけたのと本質的に違います。つまり、この作品のような女性像を盛んに描いた1860年以降の作品は、女性の半身あるいは四分の三を、ほぼ等身大の大きさのキャンバスに、女性が画面に収まりきれずに、画面からはみ出してくるようにいっぱい描かれます。それは、背景とか空間といったものは、もはや描くのが面倒で、女性とそれを飾る付属物、たとえば花や装飾を描いていきます。そして、タイトルについて、神話や文学のタイトルを意味深につけてあげることで、象徴性の飾りをするとともに、それなりの意味づけをしています。そのなかで、描かれている女性はロセッティの好みのタイプの女性であり、彼自身が髪の毛フェチであるかのように、そのほとんどが豊かな髪を結い上げることなく(当時のヴィクトリア朝では一般に女性の髪は結うものであったにもかかわらず)、あえて髪を流して描いて、唇を毒々しいほどに真っ赤に塗って強調しているといえます。 この作品でも、象徴的な意味のあるアトリビュートを画面に入れているようです。例えば、女性が手に持っているのは勝利のヤシの葉であるとか、背後の両脇には愛(キューピット)と死(骸骨)のシンボルが彫刻されているとか、あるようです。しかし、見る者の視線はそんなところには行かず、この作品が赤で埋め尽くされているところではないでしょうか。女性の着ているロープの光沢のある赤が画面の下半分で映えて、画面上方の左右には真紅の薔薇の花束が飾られ、中央には黒い覆いから女性の豊かな赤毛が溢れて流れ出るように広がっています。そして、真ん中に女性の肉厚の赤い唇が鎮座している。そのような赤に囲まれて対照的に映し出されるのが女性の白く柔らかな肌というわけです。つまり、この作品は、いろいろに理屈をつけられますが、真ん中の顔を中心にして、様々な意匠が取り囲んでいる。これをロセッティの側から言えば、女性の顔を際立たせるために、あれこれ細工を施しているということになります。それは、別の見方をすれば、そのような工夫を凝らす必要があったということに他なりません。それは、描かれている女性に存在感がないということです。そこにロセッティという画家の画家としての退廃が見えてきます。これだけ、色々なものを画面にぶち込んでも、迫力がない。画面から溢れんばかりに見る者に迫ってくるようなところがない。全体として、それなりにおさまっている。そのような作品は、ブルジョワの住宅の居間を飾るとか、中でもスノッブな人々の集まりの中でアクセサリーとして飾るという目的には、最適なものだったかもしれません。もともと、そのような狭いサークルの中でカルト的に愛玩されるような性格の作品だったというような気がします。今回の展示で、他の画家たちの作品で並べられているのを見て、そう思いました。
Ⅱ.古代世界を描いた画家たち 前のコーナーがラファエル前派兄弟団の画家たちを中心とした展示だったようですが、それに対して唯美主義的な傾向を持った画家たちの作品の展示と、私は個人的に思いました。前のコーナーの画家たちが、当時の社会の動きの応じたような新しさを求めて、権威であったアカデミズムに反抗するように絵画を制作し始めましたが、教訓的だったり説話的であったりといったところが、経済発展に伴って生まれてきた消費社会や大衆社会の萌芽の風潮とはズレはじめて、新たな展開として、ここで展示されている画家たちが出てきたというように、考えています。 ちょっと整理してみましょう。ヴィクトリア朝時代のイギリスは、新しいものの考え方が、経済のみに限らず社会、宗教、科学といったように様々な分野で醸成されました。他方では多くの古い通念が見直されていきました。その中で、人々の自らを見る視点が根本から変化していきました。その象徴的な例がダーウィンの進化論です。「種の起源」の中でダーウィンは人間の起源について、従来の宗教的な説明とは全く異なる科学的な説明を行なっています。それは、従来の宗教上の信念にたいする攻撃ともみなされ(何と言っても、人間はとくに神によって造られた特別な存在ではなく、猿の同類で動物と変わらないとされたわけですから)、当時の人々の間に混乱と狼狽を招きました。その結果として、知的・精神的な土台が崩れてしまうような空白感に囚われて戸惑う人々が現われ、そのような人々の中は、宗教の代替物として芸術を帰依の対象として捉える人々も出てきました。それが美の崇拝の機縁のひとつと言えます。同じ頃、他方では、ヴィクトリア朝文化を遍く特徴付けていた功利主義に対する反動がひろがっていました。発展・拡大する社会にあっては一人の人間にとっての有益な目的とは富を生み出すことであるとして、信念とか美などは取るに足らない絵空事だする人々が多かったのも事実です。しかし、それに対して、時代の苛酷な実利主義からの逃避として芸術の重要性にすがる人々も決して少なくありませんでした。そのような時代の変化の中で、画家たちは、例えば絵画の場合、記録を残し話を伝えるという伝統的な機能から脱皮し、それに代わり見る側の想像力に訴える方向に変わっていきました。画家たちは、潜在意識による暗示や連想といった方法によって観客を扱うすべを獲得し、作品全体の雰囲気に抽象性を持たせることで、心理的な反応を誘発することができるようになっていきました。その結果、愛と死、そして五感による経験といった、いわば存在の根源の部分を意識的に、あるいは識閾下で扱う主題を積極的に取り上げていくようになりました。
ローレンス・アルマ=タデマの「打ち明け話」(左図)という作品です。これは細かい。細密画という点では、初期のミレイにも負けません。ミレイの場合は平面的な空間構成の中で、細密に描かれた部分が存在を主張するようにして、画面から溢れ出るような錯覚を起こさせるのですが、このタデマの場合は、奥行きのある空間に細部がしかるべく収まっています。ですから、ミレイの場合と違って、描かれている個々のもの、この作品で言えば、左側の植木だったり、右手上方の棚に飾られた彫刻や小物、あるいは右下の椅子の脚の彫刻などが、それぞれ細密に描かれていますが、空間の中で位置関係と、それにふさわしい序列がつけられてきちんと配列されています。そこで、ミレイと違って安心して見ていられる。つまり、これだけ細密に描きこんであるのに、それが強迫的に迫ってこない。それがこの画家の特徴であり、広く受け容れられた要因ではないかと思います。二人の人物のうち右側の女性の髪の毛、巻き髪になっているところの細密描写などため息が出るほど細かいのですが、それは、前のコーナーで見たサンズの「トロイのヘレネ」の細かさのように見る者を圧倒するようにはなっていません。それは、これだけ細かく描きこまれているのにもかかわらず、人物の存在感が稀薄なのです。たとえば、二人の人物の表情はくっきりとは描かれず挿絵のように類型的で曖昧なのです。
アルバート・ジョセフ・ムーアの「夏の夜」(左図)という作品です。典型的なムーアの作品の傾向は、古代彫刻に見られるような襞のあるたっぷりした衣装を身に着けたギリシャ風の人物(主として女性)が心地よさげに娯楽に興じたり、何もせずに時の流れに身を任すようにしている、というものです。作品のタイトルも恣意的なのか、作品を説明するものでもなく、何かしらの暗示をするようなものでもなく、あえて無内容に徹しているというのか、そのようなもの、例えば絵の中で付随的に描き加えられたアクセサリーにちなんでタイトルにしてしまったりということもありました。多分、ムーアは、何かものがたりの場面をテーマとするとか、何かしらの主張を込めたということはまったくなくて、線と色彩のハーモニーとそれが生み出す造形に、さらに言えば、そこから醸し出される雰囲気のようなものにあったと思います。人物の衣装や背景の色が作品全体の雰囲気を作り出して、その作品を見る人は妙なる調べが聞こえてくるような錯覚にとらわれる、というような評があったということですが、そういうのをムーアは狙っていたと思います。唯美主義といっても、ラファエル前派のミレイのような人は、ものがたりの場面のような題材か このあたりが唯美主義のなかで比較的知られている画家たちではないでしょう。チャールズ・エドワード・ペルジーニというルネサンス期の画家に似た名前の人がいましたが、イタリア系の人のようです。「ドルチェ・ファール・ニエンテ(甘美なる無為)」(右図)という作品は、タデマの「お気に入りの詩人」、ポインターの「テラスにて」あるいはムーアの「夏の夜」といった古代風の背景でくつろぐ女性像ということで共通性がある作品です。ペルジーニは、他の画家が写真でいうとソフトフォーカスのような幾分ぼんやりとさせて雰囲気を醸し出す画面作りをして 同じ画家の「シャクヤクの花」(左上図)という作品です。よくできた作品で、キレイな作品であると思います。でも、この作品について、この展覧会で、もし間違って、ペルジーニではなく、他の画家の名前で展示されたとしても、見に来たお客さんのうちで間違いに気がつく人はどれだけいるでしょうか。それだけ、この作品もそうだし、ペルジーニという画家もそうだし、他の画家にしても、特筆すべき目立った個性がないということです。作品の価値がどうこう以前に、ひとやまいくらの林檎のようなものなのです。ただし、そのひとやまの価格が高いか安いかは別の議論になります。そして、個々で展示されている画家たちは、ひとやまの中の一個でもいいから、店頭に並ぶこと、売れることが、まず大事だったということではなかったのか。そう思います。私は、そのような妄想を止めることができませんでした。
Ⅲ.戸外の情景 このコーナーについては、展示の意図がどうであれ、点数も少なく、あっという間だったので、私はインテルメッツォとして、それほど注意せずに、さっとやり過ごしたというのが正直なところです。
Ⅳ.19世紀後半の象徴主義者たち 最後のコーナーは、バーン=ジョーンズのようなロセッティの影響を受けながら、唯美主義の作風も取り入れ、様式化された作品を制作していった画家たちの作品です。今まで見てきた画家たちは、現実的な写生ということを重視して作品の画面つくりをしてきたのに対して、ここの画家たちは、幻想的な画面をパターンで描こうとしている点で大きく異なっていると思います。
同じ画家の「プシュケ(クヒドに置き去りにされたプシュケ)」(左図)という作品です。愛と欲望の神クピドの宮殿に運ばれたプシュケが、毎夜、彼女のベッドに通う者の正体を暴こうと、ランプを手にし、恐ろしい怪物と思って、その求婚者の息の根を止めようとして短剣をもって、見たのはクピドの姿だった。クピドは彼女をひとり残して、立ち去ってしまう。この作品は、“クピドから肉体的な愛の喜びの手ほどきを受けたベッドの傍らに立ち尽くすプシュケが、彼の翼から落ちた一枚の羽根と、運命を決したランプのある床に目を落とす姿を描いている。”という説明があります。私には、この説明をできる人の絵を読み取る力に感嘆します。この作品からは、私には、そこまで想像することはできません。ここで描かれているのは、ロリータ・ヌードとも言ってもいい、未成熟な体型の女性の裸体と、その姿勢の恣意的で不自然なところです。あきらかに首の下の胴体と頭部がちぐはぐで、それがぎこちなさを印象付けます。この女性について、首を境にして上と下は別の画家が描いたのかと疑いなくなるほど、描かれ方も色調もが違っているように見えます。そして、顔には表情がなく、まるで死体のようです。
次にバーン=ジョーンズの作品を見ていきましょう。バーン=ジョーンズはロセッティに見出され、ラファエル前派の後期を代表する画家という説明でいいのではないでしょうか。「フラジオレットを吹く天使」(左図)という水彩画です。この展覧会で、最初にラファエル前派のミレイの平面的で、事物の輪郭を明確な線で描いていた図面のような絵画から、唯美主義の画家たちの奥行きのある空間を画面に導入し、事物の表層の感触を細密になぞるように描写して、科学的思考に沿うようなリアルさ美をわかり易く呈示してきたことから、また、平面的で図式的な絵画にひと回りして戻ってきたような印象です。しかし、そこにはただ戻ってきたのではなくて、表層的でリアルを感じさせるのでは物足りなさを感じたのであろう人々の欲求を充たすべく、幻想性をまじえたものを、現実とは一線を画させるように中世から初期ルネサンスのころのイコンのような図式のような形にしてみせた作品ということができます。ワッツのように現実と幻想が曖昧なものであるのに対して、バーン=ジョーンズは現実と幻想の区別を明確にしてみせます。幻想の無意識の世界は、もはや人々にとってリアルに在るということが前提になっていたら、それが現実に今、生活を営んでいる、その裏に無意識の世界が広がっていることになります。それをリアルに感じてしまったとしたら、人は不安に苛まれることになるのではないでしょうか。
そして、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの「エコーとナルキッソス」(右図)を見ていきましょう。耽美的な画家というイメージを持っていましたが、実際に作品を見ると、描き方が粗いので驚きました。それをある程度のサイズでドカッと呈示してみせることで、そのスケール感と題材とで、繊細とか幻想的とか耽美といった印象を与えている巧みさに感じ入ったというところです。しかし、それでどうしたというところで、これまで様々に見てきた連続性で見ていくと、名声はあるようだけれど、私としては、いささか拍子抜けという感じでした。最後のところが、こんなだったので、画竜点睛を欠くというのが、展覧会全体の印象でした。
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