中林忠良版画展─腐食の旅路─
 

 

2019年11月14日(木) O美術館

海外出張の帰国の便が羽田に昼到着で、その時間だと会社に戻らなくてはならなくなる。そこで、午後は休みをとることにして、骨休めの代わりにと寄って見ることにした。大崎など、このようなことがないと駅で降りることない。O美術館は駅前のオフィスビルの食堂街の一画にある。今回は入場無料だった。

さて、いつものように、私は美術界については無知なので、中林という作家についての予備知識がないので、この人の紹介を兼ねて、展覧会の主催者あいさつを引用します。“中林忠良は東京藝術大学絵画科油画専攻在学中の1960年に集中講義で「版画」と出会いました。油絵とは全く異なる版画の世界に魅了されて以来、銅版画の主に腐蝕技法による表現手法を用いて制作研究を重ね、多くの優れた版画作品を発表。母校東京藝術大学をはじめ、日本の美術大学に於ける版画研究、教育普及や多くの後進の指導に幅広く尽力・貢献しています。人間や自然に対しての深い洞察から生まれる詩情溢れるその作品画面は、理知的で文学的な香気に彩られ、作家自身の折々の思念の象徴として、モノクロームの奥深い世界に見る者を誘います。「囚われ」シリーズ全16点の同時公開やモノタイプによるカラー作品8点、未公開最新作を含む約100点の代表作を一堂に展示。その他、腐蝕銅版画の作品成立過程や素材・道具へのこだわり、そこから派生する社会的貢献や教育スタンス、印象派有縁のフランス渡来プレス機やミュージシャンのコーネリアス・小山田圭吾氏との関わリなど人間・中林忠良の存在が持つ多面的な魅力と影響力も併せて展示紹介いたします。”

.はじめの一歩1960〜1966

中林が版画と出会った頃の作品、いわば習作期になるのでしょうか、「根」(左図)という1962年の作品。銅版画を始めたばかりで、何をどうして良いのかわからない中、試行錯誤をしながら作ったという作品ではないかと思います。何かを描くとか、意図がある前に、銅板を傷つけたり、腐蝕させたりしているうちにできてしまった。そんな印象の作品です。滲むようなボカシの効果で幻想画っぽい画面になっている。展示されている、後の作品にイメージで通じるところがあると思います。主催者あいさつで紹介されている芸大の版画の集中講義の講師は駒井哲郎だったそうですが、駒井の作品とは全く傾向が違っていて、この作品では偶然性というのか、行き当たりばったりで、出来上がってしまった、結果オーライのような感じがします。

「磯からの便りU」(右図)という1966年の作品。これも銅板の上に線を縦横無尽に引いたり、円を描いたりしているうちに、網とか貝とかに見えてきたという印象。「根」が滲みやボカシで形ができたようなのに対して、こちらは細い線の乱舞のように見えてきます。駒井哲郎のような頭の中にイメージができていて、それを作品に再現するというのではないですね。描きながら、作品が出来上がっていく。目的地のイメージよりも、その描くという作業をすることに重きを置いているような印象です。

B.一里塚 青春の軌跡1970〜1975

まずは、『白い部屋』という連作から「薄明」(右下図)という作品。室内に立つ、裸婦の後姿が写真のネガフィルムのような白黒の反転した図像。とくに、その反転した白黒のグラデーションが特に強調されるようになっています。そこでは裸婦の形態とか、身体の柔らかな質感とかいったようなことは、捨て去られるように、残ったものがグラデーションで、しかも反転させられているので、人体の立体的な存在感も捨て去られたようになっている。全体として、背中を向けた裸婦であることが。かろうじてわかるが、そうであることを表現する、美しい作品とする要素を悉く捨て去ったと言えます。画面では、裸婦の手前のテーブルとそこに乗っているバラの花も同じです。あるいは、背景の壁に絵画かけられていて、それを裸婦が見ているような位置関係にあります。それもネガの状態にあって、分かりにくいのですが、よく見ると、おそらくスペイン・バロックの巨匠ベラスケスの「ラス・メニーナス」(右下図)のお姫様を描いた部分ではないかと思います。この作品は、鏡を通して描かれた観るものと描くものの視点を外部に誘う作品で、この絵画は反転した世界ということになっていますが、それをこの作品では、白黒を反転させて画面の中に含ませています。しかも、作品の画面の中で、この挿入された絵画は、この画面から別の世界へ開かれた窓のような位置関係にあります。ということで、この作品には何重か入れ子構造になっています。それが背景にあって、手前の裸婦やバラの花も、そういう構造に、挿入されたものという、それがネガの画面とされることで、ひとつの画面に収まってしまっている。そこに、入れ子構造であれば、きちっと掲載された構築性の高さによる緊張感というか几帳面な感じがするのですが、そういうところはなくて成り立っているのは、その画面と、形がぼんやりしているところにあると思います。

「囚われる風景T」という連作の1枚です。“彼の直面する社会の映像のいくつかが転写によって取り込まれながら、時代の閉塞を象徴する箱によって心理的な深まりを持つ光景へと置き換えられる〈囚われる風景〉のシリーズである。様々な銅版画技法が自覚的に操られて、あたかもコラージュのように画面に様々な要素を持ち込んでいる。”ということで、『白い部屋』がコラージュのような手法で構造化された画面に当て込んで作られていたのにたいして、ここでは画面に立方体を設け、そこに転写した事物をいれて、いわば囚われたような様相を作っている。『白い部屋』が室内という状況が分かるものだったのに対して、この作品では、背景が曖昧になって、というよりはシュルレアリスムの不条理な幻想世界のような、模様になっています。ここで言えるのは、『白い部屋』よりもいっそう転写されている個々の事物は、その存在とか形態とかいった画面での意味は、なくなっていて、見る者は、それが何であるか分からなくなっている。おそらく、分からなくてもいいのでしょう。事物が細切れのようにされているので、画面に、何か転写されたものがあって、それが画面にあてはめられているということが分かればよいということになっている。そういうところで作品が成立している。そういう、画面で意味をはく奪すること、結果としてそうなっているのでしょうが。そういうところが、中林という人の抽象的な作品の特徴のような気がします。これが、例えば、同じ銅版画家の駒井哲郎の作品と比べてみると、駒井の作品も抽象的なのですが、それは意図的なもので、おそらく、駒井のイメージを画面に具体化するとそうなったというもので、そこに駒井の意図、つまり画面の意味があって、それを見る者が受け取れるようになっています。これに対して、中林の作品では、もともと彼の中にイメージとか意図というのは、できていないように思います。彼の場合は、作品の画面を制作しているうちに、偶然できたもの、でもともとの意味はない。そう見えます。

「囚われる日々T」(左図)という「囚われる風景」に続いて制作された連作の1枚です。「囚われる風景」と同じような手法でコラージュのような転写が行われていますが、むしろ、目を引かれるのは、その背景となっている縞模様が波打ってうねる様が画面を支配しているような画面の下半分と上半分が空白になっている対照です。というより、下半分の縞模様のうねりです。ただ、これまでの作品もそうですが、作品を見る人で、画面に何かしらの意味づけをしたい人は、そこから何らかの意味づけを自分勝手にするのには、やりやすいような要素を配置もしてあります。例えば、コラージュのように挿入されたものだとか、その挿入されたものどうしの関連性とか位置関係なんかで、様々な意味づけが可能なようになっていると思います。しかし、私には、その挿入されたものが、具体的に何であるか深く詮索する気にならなかったので、アトランダムにある程度にしか見えませんでした。フィルム写真というのは、もともとフィルムに感光させて表面に化学変化を起こさせるものです。それと同じようなことを、銅板の表面に写真の転写をして、銅板の表面が薬剤の腐食による変化で行われる。その際に写真とは違って、ちゃんと転写されないで、元の画像が変質して転写される、その効果の面白さに気が付いて、その効果が最大限になるようなデザインとか素材の選択をした結果連作のような作品集となった。それが、ここで展示されている作品ではないかと思います。

C.原点への回帰1976〜1977

中林は1975年から76年にかけて、文部省の在外研究員としてパリ、ハンブルグ、ニューヨークに研修に出かけます。帰国直後、師である駒井哲郎の逝去、エッチングに用いる有害物質による健康被害等の経験を経て、中林は銅版による表現の原点に立ち返ることを決意した。その時の作品だということです。中林は、駒井の死で、後の「転位」シリーズにつながる「師・駒井哲郎に捧ぐ」を制作。“それまでは状況の中で自分はどうあるべきかを絶えず考えていたが、もっと基本的なことがあるのではないか。それらをきっぱり捨てて、残ったのが物質そのものだった”と自身が語っているそうですが、1977年から「Position」シリーズを制作。1979年からの「Transposition」「転位」シリーズに繋がって行くものだった。という説明です。

「師・駒井哲郎に捧ぐ」(右図)を見てみましょう。画面真ん中にあるのは墓標ということでしょうか。その周囲、つまり画面の縁にかけて枠で囲むかのように、花束が絵描かれていて、時折その枠を断ち切るように白い棒状のものが挿入されています。これまでの作品では画面の中心には、変化させられているとはいえ、何らかの事物が具象的に描かれていました。しかし、この作品ではモヤモヤした雲のような意味不明なものが描かれていて、その中心部が白い棒状のものが挿入されています。具体的な事物を指しているとは思えません。このコーナーの展示タイトルが原点への回帰とされているので、中林は、銅板の表面を腐食されたりして生まれる効果を、制作の中心に置いて、それを使って作品の画面を作っていくということになったのか。そうだとすれば、たまたま刷ってみたら、こんなものが刷られたので、それを土台に作品を作ってみた。その中心の描かれたものが、墓標と思えなくもないので、作品タイトルにして、まわりに花を描き足した。その花の枠を断ち切るように挿入される白い棒状の物体は卒塔婆に見えてきます。中心が墓標ならば、です。そんな想像をします。

Transposition-転移-V」(左図)という作品。展示は、この作品の原版を腐食液につけて表面が変化していく過程を追いかけて作品にしたTransposition-転移-V 腐食過程」も並んで展示されていて、似たような画面がたくさん並んでいて、何が何だか区別がつかなくなっていました。この、もとの作品は、ドライフラワーのような花束をエッチングでだろうと思いますが、転写によるものなのでしょうが、執拗に細かい作品です。それが、腐食液に浸すことで、表面が腐食して、その微細な描写がぼんやりとなって、薄くなって、消えていく。そういう変化の効果が、おそらく、中林は面白いのだろうと思います。それは、例えば、料理人が味付けを試すので塩の加減を幾通りも試して、どの加減がいいかを、何度も味わっているのとよく似ていると思います。それで、気に入った加減を採用する。その加減を腐食過程のなかで探していたのだろうか。至った境地が、“自然のものも人工のものも、すべては腐蝕する。そこからしか新しい命は生まれない。”というものだそうです。なんか作ってるな、という匂いがプンプンしてきます。そんなもっともらしいフィクションよりは、腐食で爛れたような表面の銅板にインクをつけて紙に刷ると、表われ出てくる効果が面白くて、それを繰り返しているうちに作品ができた、というフィクションの方が、私には作品の印象に適合しているように思えます。

原点への回帰というのなら、1977年に開始された「Position」というシリーズは、枯草や小石など身近な素材を転写の手法で即物的に画面に定着させることによって、現実世界において自らが寄って立つ足場=Positionを再確認する試みだった、と説明されています。

Position77−5」(右図)という作品を見てみましょう。草と花を転写したものなのでしょうが、これは、草の細かさと茎とか葉とか花というヴァリエーションがありながら、同じような形態が繰り返しているという反復と変化が同時にあるという素材を見つけたという方が、画面のイメージに合うように思います。それは、転写した銅板の表面に腐食を加えて、画面を変質させていく効果が活きてくる。それに適した題材。草の置かれた転写が茫洋として模様のようになっている白い面と上半分の黒い部分が表面を腐食させたカオスのような模様が並べられ。それを対照させて見ることができる作品です。

あるいはPosition78−1」(左図)という作品。木の枝ですが、陰影が深く立体的に見えます。それが無造作に3本平行に並べられている。その下地は白い布か分かりませんが、染みのような汚れがついている。それを写したというだけなのか、そこに何らかの手が加えられているのかもしれませんが。この展示の一連の作品の中で、見ていれば、何かあるはずだと、その痕跡を探してしまう。そういう宝探しとでも言えばいいでしょうか。

D.逍遥と拾い物1974〜

1975年に出版社の企画による金子光晴の詩と中林の版画作品の組み合わせによってつくられた『大腐爛頌』という詩画集は、はからずも中林作品を読み解く上での重要なカギとなっていると説明されています。そこに収められた光晴の詩に次のような一節があるといいます。

すべて、腐爛(くさ)らないものはない!

谿(たに)のかげ、森の窪地、うちしめった納屋の片すみに、去年の晴衣(モード)はすたれてゆく。

骨々とした針の杪(こずえ)を、饑(う)えた鴉(からす)が、一丈もある翼を落してわたる。

 この詩を読んだ時、中林は“それまで地球全体の状況がひとつの終局に向かって動いているという気持ちをずっといだきつづけていた”と、その詩から受けるビジョンと、気持ちがピタリと一致したと言います。それ以来、この“すべて腐らないものはない”という世界観が、すべての中林の作品のテーマとして背景に流れているということです。でも、この詩画集の中林の作品が、それに見合うような腐っていくような様相を明確に表しているか。私には、そうは見えません。銅版画の腐食の手法を駆使して制作するのと、金子光晴の腐食に光を当てた詩句とで、コンセプトが共通していると思ったということだけのように私には、思えます。というのも、中林の作品には、腐食が世界観にまで徹底されているとは見えない。感覚的に、世界が腐っていくようなものは見えてこないと思います。というのも、画面の形の輪郭はしっかりしていて崩れることは決してないからです。だから“すべて腐らないものはない”というように、腐っていくということは爛れたように崩壊していくことです。そういう場面が描かれているようには、私には見えません。そういう深読みをするよりは、表層で腐食した銅板の効果を愛でている、遊戯的な要素、それがこの人の作品の特徴ではないかと思います。 

E.覚醒の視線1980〜1992

だいたいのところ作品は年代順に展示されているといえるので、中林の作風の変遷を追いかけるように、会場に来た者は、作品を見ていくことになります。で、このあたりの展示が、会場全体を見渡すと、ここから後半に入るという位置関係にあるように見えます。作品の傾向も、この展示の作品から、いろんなところから図像を転写などして持って来て、それらを画面に配置していくという、いわゆる「絵づくり」のような作業から生み出された作品だったのが、説明によれば、作家自身のありようを確認するような作業にかわった。具体的には、足元の草や地面を見つめ、克明に描くようになっていった、と。

「転位‘88--U(横浜A)」(右図)という作品です。石かコンクリートの表面に草か何かが散らばっている。下半分は泡のようでしょうか。それを接写レンズで精細に撮ったような、その表面の質感と変化を捉えているという作品のようです。石かコンクリートの硬い面から連続するように下側の泡立っているようなところに変化していく、そのつなぎが滑らかです。そこに断絶がなくて一連のように見えます。

「転位‘82--U(秋)」(左下図)という作品。草地か雑木林の枯草となった地面に葉っぱが数枚落ちているのを接写したというような作品。枯草で敷き詰められたようなところは、無数の枯草が細い線が絡み合うように見えて、そこにアクセントのように枯葉が線の絡みに被さっている。目を凝らしていると、線の絡みは、かなり複雑な様相で、ときには激しくもつれるようなところもある。そういうところをクローズアップしてみせた、といえると思います。

ただし、これらの作品は、中林自身がビュランや鉄筆を持って、題材をもとに自身で描いた、つまり白地に作家の手で像を創ったというものではなくて、題材を撮影し、それを銅板の上に転写して、それを腐食の手法で表面に手を加えたというものです。作品が制作された1980年代ではフィルム写真しかない時代です。撮影した写真はフィルムに感光し、それを現像という化学処理で定着させるしかありませんでした。それを中林は銅版に焼き付けて、表面処理を加えることで作品を制作していたのだろうと思います。当時は、フィルム自体に処理をすることは難しく、銅板に焼き付けて、薬剤で腐食させて表面処理をして画像を加工するというのは、熟練した専門的な技能が必要だったのだろうと思います。したがって、このような作品は中林しか作れないユニークなものだったと思います。しかし、いまならデジタルカメラが主流で、撮影した画像はデータ化され、容易にコピーできて、デジタルの画像処理技術によって、ほとんど中林が熟練作業でやっていた画像の加工がある程度可能となった。おそらく、素人でも使えるソフトで、これらの作品に近いものを作れてしまう時代になっているのではないかと思います。つまり、制作当時はありえたユニークさが、40年後の現代ではほとんど喪失してしまっているように見えます。実際のところ、この手の画像は、陳腐とまでは言えないかもしれませんが、どこにでもある、という感じがしています。デジタル技術を駆使する写真家の人には、鋭いと感心させられるものがあり、そっちの方に興味が行ってしまうのを避けられない。

一方で、中林自身の方向性は、画面をデザインするとかいう方法を捨てて、いわば作品について、様々な要素を捨て去って、方法を限定していったわけです。今の流行の言葉でいえば、断捨離です。そこで残ったのは、いろいろ理屈をつけて理論化されているような解説を無視すれば、どこかにある事物をもってきて、それを加工して作品としてこしらえるというものです。ほとんど。作家の手が入っていないので、持ってくる題材の強度によって作品が決まってしまう要素が大きい。そこでは、何を持ってくるかという中林のセンスが命ということになります。そういうように、私は見えます。それゆえに、私には、後半の作品はシンプルでした。それを簡素とか、よい意味にとる人は、この展覧会のチラシにあるような単純ゆえに奥深いと感じ事ができるのだろうと思います。それは、見る人の好みの問題だと思うのですが、私の好みでは退屈と感じました。そして、作品のタイトルがシンプルなんだけれど深読みを誘うようなところがあったり、作品のサイズが大きくなったりして、これはごまかしているのでは、と勘繰ったりしました。繰り返しますが、これは私の個人的な感じ方による感想です。それで、この後の展示は横目でサラッと流してしまいました。

 
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