ボストン美術館ミレー展 |
2014年11月14日(金) 三菱一号館美術館 9月に府中市美術館の「生誕200年ミレー展 親しきものたちへのまなざし」を見た印象が未だ残るうちに、こんどは別のミレー展があり、それをみる機会に恵まれました。 「生誕200年ミレー展 親しきものたちへのまなざし」の際にも、漏らしましたが、私には、ジャン・フランソワ・ミレーよりはジョン・エヴァレット・ミレイの方を見る機会が多かったので、今年は、われながらちょっと不思議な機会に恵まれた、ということにしておきましょう。
“田園で働く農民の姿や身近な情景、自然の様子を畏敬の念を込めて描き取ったジャン=フランソワ・ミレーは、写実主義を確立し、近代絵画への先駆者とされています。ミレーは1814年にフランス北部・ノルマンディ地方の農村で生まれ、1849年にはパリ郊外のバルビゾン村に家族で移住、村に集まった芸術家と交流を持ちながら生涯制作を続け、1875年に亡くなりました。それまで美術の対象とは見なされなかった農民の地道な日々の営みを、荘厳な芸術に高めた画期的な試みにより、ミレーは西洋絵画史に大きな足跡を残しました。そして自然に寄り添う人々とその勤勉さを称賛する表現は、日本人の心の琴線に触れるものであり、我が国でも時空を超えて愛され続ける画家となりました。ミレー絵画の素朴かつ崇高な魅力は、ヨーロッパや日本のみならず、アメリカにも波及しています。19世紀半ば、絵画修行のために渡仏してミレーと親交を結んだマサチューセッツ出身の画家たちが、故郷にミレーを紹介したことに端を発し、ボストン美術館は、ミレーの母国フランスにも比肩する充実したミレーの作品群を収蔵することになったのです。” このあいさつでは、ミレーという画家は農民の働く姿や情景を畏敬を込めて描いた画家としいう捉え方と言う事ができると思います。「種まく人」や「刈り入れ人たちの休息」「羊飼いの娘」といった今回の展示でボストン美術館の3大ミレーと言われるという作品などは、まさにそのようなものとして見ることができると思います。また日本のミレーを愛好する人々も、これらの作品に加え、「晩鐘」とか「落穂拾い」といった有名な作品などから、そのようなイメージを抱いている人も多いのではないかと思います。 また、この展覧会にボストン美術館の館長が寄せている言葉の中にミレーについて次のような一節があります。“1860年代以降、アメリカにおいて、彼の作品について批評家たちがたびたび論じたことからも明らかなように、ミレーは非常に注目を集めていた。ミレーと農民という主題は、道徳性とキリスト教の理想の具現化の観点からアメリカ人に認識されていた。たとえば、彼の作品は子どもの本の中で、立派な暮らし方のモデルとして掲載された。1875年(ミレーの没年)の『ニューヨーク・トリビューン』紙の匿名記事では次のように説明している─「最後に、ミレーという名は聖なるものとなった」。” 府中市美術館でのミレー展との大きな違いは、このようなミレー解釈に由来するものではないかと思います。府中市美術館で展示されていた肖像画や晩年の風景画は、ここでは最初の自画像を除いて展示されていませんでした。これはボストン美術館のコレクションが農民の働く姿や生活の情景を描いた作品に限りなく重点を置いたものになっているからではないかと思います。それは、引用した館長の言葉に中にあった“ミレーと農民という主題は、道徳性とキリスト教の理想の具現化の観点からアメリカ人に認識されていた。”という一節から、ミレーの農村を描いた作品は、絵画として優れていて、人々の好みに沿うものであったという以上の何かを持っていたのではないかと思います。それは、ミレーの作品を見ることにより人々が触発されて紡ぎだすストーリーのようなものではないかと思います。ミレーの作品が制作された当時のボストンと地域を考えてみれば、敬虔で道徳的なピューリタンたちが開拓によって農業を営んでいた地域だったと思われます。そのような人々にとって、華やかで賑やかな都会であるパリを離れて、貧しさのなかで農村に住み、農家の情景を丁寧に描くミレーという画家の姿は、道徳的に共感できるもの、もっと言えば尊敬できるものとして映ったのではないかと思います。その、ミレーの描く農民たちの慎ましく、勤勉な姿は彼らにとって理想の姿として芸術という以上に道徳的なものとして捉えられたのではないかと思います。その様なミレーの捉え方からすれば、いい格好に扮した人物を立派に描く肖像画などは、鑑賞の対象にはあまり入ってこなかったといえるのではないかと思います。他方、ミレー以外にも農民を描いた画家はいたにもかかわらず(例えばブリューゲル、コンスタブル)、ミレーほどの支持を得られなかったのは、そのためではないのかと思います。 Ⅰ.巨匠ミレー序論 Ⅱ.フォンテーヌブローの森 Ⅲ.バルビゾン村 Ⅳ.家庭の情景 Ⅴ.ミレーの遺産 私の場合は、ミレーが農村風景を題材として作品を描いたことや、そこに彼の作品を特徴付けていることは事実としてあるとは思いますが、ちょっと違うというのが正直な実感です。これから具体的な作品に則してみて行きたいと思います。
Ⅰ.巨匠ミレー序論
ボストン美術館のミレーのコレクションはバルビゾン派の代表的な画家として農民や農村の情景を描いた画家としてミレーを評価しているでしょう。ここでは、ミレーがバルビゾン村に移る前にパリで修行をし、故郷にちかいシェルブールの町で肖像画家として、最初の妻であるポーリーフ・オノや周辺の人たちを中心に肖像を描いていた頃の作品を、「序論」として展示しています。点数も少なく3点しかありません。正直にいえば、ミレーの展覧会で展示されているから見ますが、これらの作品を画家の名を伏せて、他の画家の作品と一緒に並べて展示されていて、この作品に目を留めるかは、甚だ疑問です。素通りしてしまうのではないかと思います。
「JFミレー夫人(ポーリーヌ=ヴィルジニー・オノ)」(左上図)という最初の妻を描いた作品。府中市美術館の「生誕200年ミレー展 親しきものたちへのまなざし」では、彼女を描いた肖像が3点ありましたが、それらとは趣向の異なる作品。雰囲気は暗く、上目遣いにこちらを見つめているようなポーズです。府中で見た3点とは違って頭巾を被っているため、黒髪は一部しか見えません。しかし、そのため農家の女房のような印象になって、繊細ではかなげな府中で見た夫人の肖像(右図)とは違いたくましさを感じさせるものになっています。これはこれで、まとまった作品ではあるのですが、この作品だけを取り出して魅力あるものとピックアップできるかというと、地味であるといわざるを得ません。 これはミレーの対象との距離感によるところが大きいのかもしれません。それが肖像画を描くときには中途半端になってしまうということになってしまう。対象に近づくのであれば思い入れとか愛情が込められた濃厚な表現がなされるのでしょうし、逆に対象から離れるのであれば客観的な視線から特徴を際立たせたり効果をあげるための装飾的な操作を施すこともできるでしょう。しかし、ここでのミレーの描いた肖像は、そのどちらでもなく、淡々と描かれているように見えます。装飾を施すにはてらいがあり、かといって愛情を前面に出すには恥ずかしいというのでしょうか、どちらかに徹することができず、結果として訴えるところの少ない結果となったものと思います。
府中市美術館のミレー展では、肖像画の注文を受けるには、そのための技量に欠けるということを思いましたが、ここでの展示をみていて、その原因として、距離感が合わないということを思いました。そして、この距離感こそが、ミレーの特徴であり、後年の農村を描く際にはプラスに転じたのではないか、と思われるのです。それは、次の展示でフォンテーヌブローの森を描いた様々な画家たちの作品を見ると、違いが分かってくると思います。
Ⅱ.フォンテーヌブローの森
まずは大家カミーユ・コローの作品を見て行きましょう。コローは若い頃にイタリアに留学し、古典的な絵画を現地で学んだといいます。古典的な手法で現代的な題材を対象として描いたというのがコローの特徴で、ルネサンスの著名な「モナ・リザ」と同じポーズの女性を描いた「真珠の女」という作品などは、その代表的な例と言えます。風景画についてもこの後で見てみる、他の画家たちに比べて明るい画面で、伝統的な古典の手法でくっきりと明確な輪郭で描かれています。これは、パリのような都会で生活している人々にとって郊外の風景を幾分か理想化し、都会人の抱く自然への憧れを、リアルな自然から乖離させることなく巧みに纏め上げているといえます。例えば、「ファンテーヌブローの森」(左上図)という作品です。典型的なフォンテーヌブローの風景いう都会人イメージを古典的な構成の中で、個々の写実的な描写うまく当てはめていくという方向の作品ではないかと思います。前景、中景、後景の個々の要素により規則的に部活された構図は、中心から左に位置する大木と水を飲むために池に入っている牛が観る者の視線を左から右へと引きつけ、後退する背景へと導くように描かれています。観る者の目はジグザグとした動きの構図を見せる作品に導かれるように羊飼いの娘が水を飲ませるために3頭の牛を連れている道を見つけるに至ります。しかし、それははるかに眺めるに留まるもので、前景にある池を囲む雑草と大きな石が、この風景の中に入ろうとする視線を妨げるはたらきをしているように見えます。ここで詳細で鮮明なコローの描く画面に対して、観る者はコローが一時的につくり出した空間をのぞき込むように眺めるだけです。それは、都会から旅行で一時的なに風景を眺める視線です。いわば、絵葉書的な風景と言ってもいいかもしれません。
「森の中の池」 (左図)という作品は、コローの描くような明快で整った庭園のような風景ではなく、鬱蒼とした森です。その森が観る者の目前に広がっているかのようです。前景中央を取り囲む木々は精緻に描写され、池の表面のハイライトや野原の草の軽やかな筆致が、森の奥へと観る者の視線を誘うようです。とくに樹木の精緻で力の入った描写が焦点といえると思います。しかし、その一方で、池のほとりにいる赤いマントの農民と牛はまるで補足のようで、これほどまでに小さく描かれていることから、オマケのようなものであると思います。
ここで、ミレーの作品が他の作品に紛れるようにひっそりと展示されていました。展示されていた作品はフォンテーヌブローの森を対象とした風景画というよりは、付近の農民の姿を描いた風俗画といえると思います。それだから、というわけではないでしょうが、他の画家たちの作品と比べる対象との距離感が異なっているのです。「木陰に座る羊飼いの娘」(右下図)という作品です。先ほど見たコ ここの章は、解説から大部分をパクりました。
Ⅲ.バルビゾン村
前座が長くなりましたが、いよいよ真打ち登場です。ミレーがバルビゾン村で農村風景を描いた作品や関連する画家たちの作品です。これと、この後の家庭の情景を描いた作品が、この展覧会の核心部ということになると思います。おそらくボストン美術館のコレクションは、ここでの展示作品がメインとして、それに関連するように周辺の作品が購入されていった結果というのではないかと思います。作品を見て行きましょう。
「羊飼いの娘」(左図)という作品は、ボストン美術館のミレーのコレクションの中でも「種をまく人」に劣らないミレーの代表作であるということです。草原に腰を下ろしている少女の姿を題材にした作品は、同じ会場で展示されていたコローの「草刈り」(右上図)と比べて見ていただきたいと思います。同じように草原に座った女性を題材にした作品ですが、コローの作品では背景に対して女性が際立つように明確に描かれていて、笑顔を浮かべているものの、どこか表情にしまりがなく疲れが仄見え、肩を落として腰掛けている姿勢や服の着こなしにも崩れたようなところが精細に描かれています。ここから彼女の労働の辛さと疲労を想像することもできるように描かれています。この作品を観る者は、画面の精緻な描写から様々な情報を得ることができ、そのように観察することができるのです。これに対して、ミレーの作品では顔の表情は大雑把で細かく描き込まれていません。座っている姿勢の描き方も人物が座っているというパターンの形態として描かれているようで細かな情報を得ることはできません。画面から得ることのできる情報はコローの作品に比べると限られたものになっていると思います。だから、この作品を観ると、コローの作品の場合のような距離をおいて観察するという態度ではなく、一体何が描かれているのかと、一歩作品に歩み寄り、身を乗り出して画面に入り込もうとするように導かれることになります。しかも、ミレーの作品では少女はコローの作品のように背景から際立たせられているのと反対に背景と同じような描かれ方をしているので背景に溶け込んでいるようなのです。それゆえ、この作品を観ようとするものは、作品の風景の中に入り込んで観ようとしないと、という態度に誘われるのです。このようなことから、ミレーの作品では、コローの作品に対する場合と、観る者が作品に対して置く距離感が異なってくることになります。ミレーの作品では、観る者が作品に一歩近づくことを余儀なくされるのです。それが結果的に作品への距離を近いものにさせ、親密さとか感情移入を誘うものとなっているのではないかと思います。
「刈り入れ人たちの休息」という作品について、プサンの「夏」と比べながら観ていきましょう。両者の画面構成の大きな違いは、プサンは手前の人物と背後で農作業に勤しむ人々の姿、そして背景と三つの景色で構成されているのに対して、ミレーは主人公である二人が休息している人々の集団と同じ場面に含まれていて、それら背景と二つの景色で構成されていることです。その結果とし、ミレーの作品では、場面を突き放した客観的な視点が後退しているような外観を呈しているように思います。プサンにはあった遠景がないミレーの作品は空間の広がりでは及びませんが、作品を観る者の視界がプサンの作品に比べて近いものになっています。それが作品の空間に観る者が近しい感覚となる、さらにいうと突き放した客観的な視線ではなく、観る者自らが画面に入り込むような主観的な要素の含んだ視線になってきているのです。その一方で、それだけ観る者の距離感を近しいものとしながら、ミレーの作品では、主人公をはじめとした人物の表情を細かく描き込まれていません。顔はのっぺりとして、一応の形の輪郭までは描かれていますが、そこまでです。しかも、人物の描き方は丸みを帯びた人形のようなパターン化に近い描き方になっています。それが、私にはミレーの作品を観るときに戸惑わされるものでした。せっかく、画面に近寄るように誘い掛けておきながら、肝心のところにくると冷たく突き放されるような印象を受けたのでした。人物に近寄ってみたら無表情で肩透かしをくうのです。ミレーは細かく顔を描けなかったのでしょうか。それは最初に見たような肖像画を描くことが出来るのですから、できるのに敢えて描かなかったのです。そこには何らかの意図があったと思えるのです。それはミレー自身が顔を精細に描くことの意味を考えられなくなっていたことでしょうが。その理由として考えられるのは、描く対象となっている農民の顔が無表情であったということ、都会人のような社交で生きているのとちがって農民には大げさな表情とか演技するということがなく、絵画に描くような明確な表情の変化というものが見られず、敢えて描こうとするとわざとらしくなってしまう、ということ。また、ミレーの描く作品は人物をクローズアップして顔を微細に もし、そうであるとすれば、有名な「種をまく人」(左上図)に対する見方も変わってくることになります。私には、この作品は何をやっているのか分からない、形態もはっきりしない、暗く薄ぼんやりしたなかで古代ローマの円盤投げの彫像のような無理なポーズをした人体がある程度にしか見えなかったのです。従って、この絵がなぜ、ミレーの代表作とされているのか理由は分かりませんでした。解説の説明によれば、当時のフランスではミレーの作品に対して汚いという評価を与える人々がいたそうですが、さしずめ、この作品などは、その典型的なものではないでしょうか。正直、私もそう思います。それが、この作品が単に種をまく農民の姿をえがいたというだけでなく、聖書の寓話を仮託してもいることがあって象徴的な意味合いも重ねられているゆえに、描かれている人物はシンボリックに見える必要があったということを考えると、そうせざるを得なかったのかもしれないと想像することはできるようになりました。とはいっても、この作品は、私にはとっても相変わらず不自然で、何が描かれているのか不可解な、要するどこがいいのか理解しがたい作品であることに変わりはありません。同様の描き方でも「鋤く人」(左図)という作品は、その描き方ゆえに人物にダイナミックな力感があって力強さと土地を耕すということが活写されているようにみえて、こちらの方が私には親しめる作品になっています。
Ⅳ.家庭の情景 ミレーの農作業風景と供に代名詞ともいえるのが、農家の家族の情景を描いた作品です。農作業の風景と比べて、ほとんど全部が女性や子供が中心となって描かれ、農作業の風景以上に似たような構図で何枚もの作品が描かれたと思います。フェルメールなどの17世紀のオランダのブルジョワの市民生活を描いた風俗画に通じているところが見えます。構図とか、鈍い色遣いとか、暗めの室内とか、まるで17世紀のオランダの市民の室内を19世紀のフランスの田舎の農家の室内に置き換えたようにも見えます。おそらく、そういう物に対するニーズが増えてきたのに応えるように、ミレーは何枚も描いたのではないかと思います。
「糸紡ぎ、立像」(右下図)という作品。他にも「糸紡ぎ、座像」という似た作品が一緒に展示されていました。ボストン美術館のコレクションはこれらをまとめて所有しているのでしょう。ミレーは、糸紡ぎを題材に何点も似たような作品を制作したのでしょう。私は美術作品の知識が豊富ではないので分かりませんが、もしかしたら、これらも過去の作品の構図のパターンを上手く利用しているのかもしれません。このように、ミレーの作品をみてくると、農民を写実的に描いたというような主催者あいさつにあるようなミレーの姿とは異なった姿が私には見えてきます。それは、農民の姿を執拗にスケッチして、その中からあらたな伝統的な描き方に捉われない、新たな 実際のところ、ミレーの作品個々については、ひとつを取り出して単独に価値とか意味とかを議論するというものではなくなってきているように私は思います。個々の作品の独立した存在感というよりは、一種、工業製品に近くなっているというのでしょうか。だから、ここでも、個々の作品については、ミレーの作品の例として議論することになっていると思います。それは、ミレーが似たような作品を量産したということもあるでしょうし、時代も大量生産、大量消費の大衆社会に足を踏み入れようとしていた影響ではないかと思います。ミレーは、とりあげた題材こそ農村ですが、その内実とか制作の構造は都会の労働者などの大衆社会に対して、当時の権威である画家たちよりも一歩先んじて適応した画家ではなかったのか、と私には思います。それが、伝統をもたない、アメリカにおいてむしろ受け容れられたのは、そのせいだったのではないか、と私には思われるのです。パターンを量産する、省略の多い描き方は、高尚な芸術という教養を欠く人間からは、むしろ親しみやすいのではないか。それでいて、伝統的な安定的な画面構成は、それを人々は意識していなくても、印象派のような過激な画面に比べれば、人々の常識の範囲内で見る際に葛藤を起こすことがない、しかし、ある意味で格調は維持されているので、それなりのブライドを満たすことはできる。ミレーの作品は、そういうものとして受け容れられた。一方、旧社会である故国フランスでは、大衆に媚びるように教養ある人々の目に映って、軽蔑を招いた。そういう人々は、評論とか、そういう形として残るものをつくる人たちであったので、そういう記録が評価として残ったのではないか。私には、そんな想像をしていました。 そういう想像をさらに助長させたのは、ミレーの遺産として、彼の影響を受けたとされる後代の画家たちの作品をミレーと比べて見たことでした。そして、私にはミレーよりも、後代の画家たちの作品の方が親しみやすいものに思えたのです。
Ⅴ.ミレーの遺産
ヨーゼフ・イスラエルの「別離の前日」(左上図)という作品です。1×1.25mという大型の画面で、母親が手に顔を埋めて、海で死んだ夫の喪に服している。その子供は裸足で座り込み、母親の足にもたれかかり、そばにろうそくの置かれた棺がかろうじて見える隣の部屋を凝視している、という作品ということです。ここには、前回見たミレーの「編物のお稽古」の暗さよりも深い暗さと光との強いコントラストが劇的な情景を作り出しています。まるでレンプラントのような光と影の対比は、観ている者にものがたりを想起させずはいられません。また、二人の人物の衣服の色褪せ、くたびれた写実的な描写はミレーにはなく、人物の表情は隠されていますが、母親のうつむいて顔を手に埋めるポーズはミレーの作品では見られないものです。光と影の強いコントラストや演劇的な作為も加わった迫真的な描写が、悲劇性とこの人々の生活の厳しさを強く印象付けるものになっています。 ミレーには、このような迫真性とか悲劇性は見られません。ミレーの場合には、その代わりに一種のメルヘンチックな感じ方が可能になったと考えることができます。それは都会の人は経験していないにもかかわらずノスタルジックな感傷を思い起こさせることを可能にするものです。さらに、それは遠くはなれたアメリカ東部の開拓者たちに対して、肯定感を付与するものとなったのではないかと思います。ヨーロッパの都会から遠く離れて、厳しい未開の自然の前で土にまみれて働く開拓民たちに、宗教的な敬虔さを含んで、あなたたちの姿は美しい、とミレーの作品は語りかけるように受け取られたのかもしれません。少なくとも、イスラエルの迫真的な作品では、都会人に農家の厳しい状況をアピールする力はあるでしょうが、ミレーのような受け取られ方は難しいと思います。
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