ボストン美術館ミレー展
 

 

2014年11月14日(金) 三菱一号館美術館

9月に府中市美術館の「生誕200年ミレー展 親しきものたちへのまなざし」を見た印象が未だ残るうちに、こんどは別のミレー展があり、それをみる機会に恵まれました。

「生誕200年ミレー展 親しきものたちへのまなざし」の際にも、漏らしましたが、私には、ジャン・フランソワ・ミレーよりはジョン・エヴァレット・ミレイの方を見る機会が多かったので、今年は、われながらちょっと不思議な機会に恵まれた、ということにしておきましょう。

相次いでミレーの企画展を見てきたということで、それぞれを較べながら、それぞれの展示の特徴を含めたミレーという画家の作品の印象について、改めて私なりに整理しながら述べて行きたいと思います。この「ボストン美術館 ミレー展」の大きな特徴は、ボストン美術館のコレクションがミレーに対するある種のストーリーをもって、そこにある作品のラインアップには一つの解釈の姿勢が表われているように見えることです。それは、主催者のあいさつに読み取ることができます。

“田園で働く農民の姿や身近な情景、自然の様子を畏敬の念を込めて描き取ったジャン=フランソワ・ミレーは、写実主義を確立し、近代絵画への先駆者とされています。ミレーは1814年にフランス北部・ノルマンディ地方の農村で生まれ、1849年にはパリ郊外のバルビゾン村に家族で移住、村に集まった芸術家と交流を持ちながら生涯制作を続け、1875年に亡くなりました。それまで美術の対象とは見なされなかった農民の地道な日々の営みを、荘厳な芸術に高めた画期的な試みにより、ミレーは西洋絵画史に大きな足跡を残しました。そして自然に寄り添う人々とその勤勉さを称賛する表現は、日本人の心の琴線に触れるものであり、我が国でも時空を超えて愛され続ける画家となりました。ミレー絵画の素朴かつ崇高な魅力は、ヨーロッパや日本のみならず、アメリカにも波及しています。19世紀半ば、絵画修行のために渡仏してミレーと親交を結んだマサチューセッツ出身の画家たちが、故郷にミレーを紹介したことに端を発し、ボストン美術館は、ミレーの母国フランスにも比肩する充実したミレーの作品群を収蔵することになったのです。”

このあいさつでは、ミレーという画家は農民の働く姿や情景を畏敬を込めて描いた画家としいう捉え方と言う事ができると思います。「種まく人」や「刈り入れ人たちの休息」「羊飼いの娘」といった今回の展示でボストン美術館の3大ミレーと言われるという作品などは、まさにそのようなものとして見ることができると思います。また日本のミレーを愛好する人々も、これらの作品に加え、「晩鐘」とか「落穂拾い」といった有名な作品などから、そのようなイメージを抱いている人も多いのではないかと思います。

また、この展覧会にボストン美術館の館長が寄せている言葉の中にミレーについて次のような一節があります。“1860年代以降、アメリカにおいて、彼の作品について批評家たちがたびたび論じたことからも明らかなように、ミレーは非常に注目を集めていた。ミレーと農民という主題は、道徳性とキリスト教の理想の具現化の観点からアメリカ人に認識されていた。たとえば、彼の作品は子どもの本の中で、立派な暮らし方のモデルとして掲載された。1875年(ミレーの没年)の『ニューヨーク・トリビューン』紙の匿名記事では次のように説明している─「最後に、ミレーという名は聖なるものとなった」。”

府中市美術館でのミレー展との大きな違いは、このようなミレー解釈に由来するものではないかと思います。府中市美術館で展示されていた肖像画や晩年の風景画は、ここでは最初の自画像を除いて展示されていませんでした。これはボストン美術館のコレクションが農民の働く姿や生活の情景を描いた作品に限りなく重点を置いたものになっているからではないかと思います。それは、引用した館長の言葉に中にあった“ミレーと農民という主題は、道徳性とキリスト教の理想の具現化の観点からアメリカ人に認識されていた。”という一節から、ミレーの農村を描いた作品は、絵画として優れていて、人々の好みに沿うものであったという以上の何かを持っていたのではないかと思います。それは、ミレーの作品を見ることにより人々が触発されて紡ぎだすストーリーのようなものではないかと思います。ミレーの作品が制作された当時のボストンと地域を考えてみれば、敬虔で道徳的なピューリタンたちが開拓によって農業を営んでいた地域だったと思われます。そのような人々にとって、華やかで賑やかな都会であるパリを離れて、貧しさのなかで農村に住み、農家の情景を丁寧に描くミレーという画家の姿は、道徳的に共感できるもの、もっと言えば尊敬できるものとして映ったのではないかと思います。その、ミレーの描く農民たちの慎ましく、勤勉な姿は彼らにとって理想の姿として芸術という以上に道徳的なものとして捉えられたのではないかと思います。その様なミレーの捉え方からすれば、いい格好に扮した人物を立派に描く肖像画などは、鑑賞の対象にはあまり入ってこなかったといえるのではないかと思います。他方、ミレー以外にも農民を描いた画家はいたにもかかわらず(例えばブリューゲル、コンスタブル)、ミレーほどの支持を得られなかったのは、そのためではないのかと思います。

このような姿勢は、展示の章立てにも表われていると思います。

T.巨匠ミレー序論

U.フォンテーヌブローの森

V.バルビゾン村

W.家庭の情景

X.ミレーの遺産

私の場合は、ミレーが農村風景を題材として作品を描いたことや、そこに彼の作品を特徴付けていることは事実としてあるとは思いますが、ちょっと違うというのが正直な実感です。これから具体的な作品に則してみて行きたいと思います。 

 

T.巨匠ミレー序論   

ボストン美術館のミレーのコレクションはバルビゾン派の代表的な画家として農民や農村の情景を描いた画家としてミレーを評価しているでしょう。ここでは、ミレーがバルビゾン村に移る前にパリで修行をし、故郷にちかいシェルブールの町で肖像画家として、最初の妻であるポーリーフ・オノや周辺の人たちを中心に肖像を描いていた頃の作品を、「序論」として展示しています。点数も少なく3点しかありません。正直にいえば、ミレーの展覧会で展示されているから見ますが、これらの作品を画家の名を伏せて、他の画家の作品と一緒に並べて展示されていて、この作品に目を留めるかは、甚だ疑問です。素通りしてしまうのではないかと思います。

「自画像」(左上図)は、ミレーが4点しか描かなかった自画像のうちの1点で、画家の27歳の肖像だそうです。後年の農民画では、人の顔や表情を描き込むことを敢えて避けて、丸型の輪郭にまとめてしまっているのですが、ここでは肖像画というせいもあり、顔の造作をきちんと描き込んでいます。その意味で、後年の作風とは異なるミレーがここにいます。画面を見ていると、背景は省略されて塗り込められていて人物が浮かび上がるようになっています。描かれた人物の肌は大胆な色調のコントラストがほどこされ、鼻筋のほぼ白色のハイライトによる線から、頬のピンクやクリーム色へと向かった部分です。これに対して、人物の頭部を強調するためでしょうか赤褐色の背景に黒っぽい衣装を着せて、波打つ茶色い髪の毛は黒いコートの襟に溶け込んでいるように見えます。これによって顔に視線が集まるように工夫されています。このような細かな工夫はミレーの一般的なイメージとは異質です。肖像画家として生きていこうとするならば、このような効果をあげるためのテクニックは必要なものだったのでしょう。しかし、顔がクローズアップされるような工夫がほどこされている、その顔の表情が物足りないというのでしょうか、眼は表情を語っているのでしょうが、口や下あごは陰になってしまって表情を語るまでに至っていません。せっかくクローズアップしても顔自身が弱いので、画面全体の印象が薄いのです。若い画家の自画像であれば、決意とか自負のようなものが強く伝わってきそうなものであってもいいのに、そういう主張はなされていないのです。これであれば、肖像が魅力あるものになったのか。地味という印象は避けられません。ミレーという画家の生来のものであろう地味に作風というのが、ここに表われていると思いますが、それが果たして肖像画というジャンルに適したものであったのか、甚だ疑問です。

「JFミレー夫人(ポーリーヌ=ヴィルジニー・オノ)」(左下図)という最初の妻を描いた作品。府中市美術館の「生誕200年ミレー展 親しきものたちへのまなざし」では、彼女を描いた肖像が3点ありましたが、それらとは趣向の異なる作品。雰囲気は暗く、上目遣いにこちらを見つめているようなポーズです。府中で見た3点とは違って頭巾を被っているため、黒髪は一部しか見えません。しかし、そのため農家の女房のような印象になって、繊細ではかなげな府中の3点(右図)とは違いたくましさを感じさせるものになっています。これはこれで、まとまった作品ではあるのですが、この作品だけを取り出して魅力あるものとピックアップできるかというと、地味であるといわざるを得ません。

これはミレーの対象との距離感によるところが大きいのかもしれません。それが肖像画を描くときには中途半端になってしまうということになってしまう。対象に近づくのであれば思い入れとか愛情が込められた濃厚な表現がなされるのでしょうし、逆に対象から離れるのであれば客観的な視線から特徴を際立たせたり効果をあげるための装飾的な操作を施すこともできるでしょう。しかし、ここでのミレーの描いた肖像は、そのどちらでもなく、淡々と描かれているように見えます。装飾を施すにはてらいがあり、かといって愛情を前面に出すには恥ずかしいというのでしょうか、どちらかに徹することができず、結果として訴えるところの少ない結果となったものと思います。

「グリュシーのミレーの生家」(右下図)という作品。ミレーが19歳まで過ごした生家を描いた作品だということです。生家というタイトル(おそらくタイトルはミレー自身がつけたのではなく、後年に画家以外の人物が他の作品と区別するために便宜的につけたもののような感じですが)をつけている割には、故郷の懐かしい家というような家に対する思い入れが溢れているものになっているとは思えません。石造りの家の建物が正面から描かれているわけではなく、しかも緑に覆われた生垣と木々によって隠されたようになってしまっています。画面では木々・生垣や石造りの塀を描く筆遣いが細かくて、それ以外は、背景として大雑把に描かれています。つまり、風景を淡々と描いていると言った方がいいのではないかと思うのです。それは、郷愁とか思い出を喚起させるという象徴的な小道具や細部が見出せるような距離の近さではなく、かと言って、それ以前の伝統的な大家の人たち、プッサンとかヴァトーといった人々が歴史画の題材として一場面の風景を描いたような遠景の距離感とか空間構成に比べれば、風景を見せるという距離には近すぎます。つまり、中途半端なのです。そのような淡々と描かれた風景は、タイトルである家の建物が後ろに引っ込んでしまっているし、一人だけいる人物についても焦点が当たっているようには見えず、だいたい何をやっているのか定かでない、この作品は何を見ればいいのか、見ていて掴めないのです。

府中市美術館のミレー展では、肖像画の注文を受けるには、そのための技量に欠けるということを思いましたが、ここでの展示をみていて、その原因として、距離感が合わないということを思いました。そして、この距離感こそが、ミレーの特徴であり、後年の農村を描く際にはプラスに転じたのではないか、と思われるのです。それは、次の展示でフォンテーヌブローの森を描いた様々な画家たちの作品を見ると、違いが分かってくると思います。  

 

U.フォンテーヌブローの森   

ミレーの作品に行く前に、ボストン美術館がコレクションしているバルビゾン派の画家による風景画の展示です。描いた場所はバルビゾン村に近いフォンテーヌ・ブローの森です。19世紀前半にパリの画壇にも風景画が普及していったといいます。鉄道網の拡大により、芸術家や旅行者が郊外の手つかずの自然が残る場所へ容易に出かけることができるようになり、このような移動手段の向上により郊外の風景に容易に触れることができるようになり、そのような風景を描いた絵画のニーズが生まれたといいます。現代であれば、旅行やハイキングで記念に写真を残すことができますが、写真のない当時は、その風景を描いた絵画を見ることによって、旅行を思い出したり、まだ行ったことのないところへの思いを馳せるということが生じてきた。そういう新しい風景画のニーズが生まれたと言えます。しかし、当時の既存の風景画は、歴史画の舞台としての古代の風景や物語の舞台背景として都合よく理想化された風景しかなかったと思われます。そんな絵画では新たに生まれたニーズに応えられない。そんなときに、バルビゾン派の画家たちがパリ郊外のフォンテーヌブローの森を写生した風景画は新たなニーズに応えるものであったと言えるのではないか。だからこそ、コローといった大家を含めた何人もの画家たちがバルビゾン村に居を構えたのではないかと思います。この章の展示では、このようなバルビゾン派の風景画を集めて、ミレーの同時代で、彼に近い環境の動きを概観するとともに、個々で展示されている画家たちと比べて、ミレーの独自性が見えてくるということを期待する展示になっていると思います。

まずは大家カミーユ・コローの作品を見て行きましょう。コローは若い頃にイタリアに留学し、古典的な絵画を現地で学んだといいます。古典的な手法で現代的な題材を対象として描いたというのがコローの特徴で、ルネサンスの著名な「モナ・リザ」と同じポーズの女性を描いた「真珠の女」という作品などは、その代表的な例と言えます。風景画についてもこの後で見てみる、他の画家たちに比べて明るい画面で、伝統的な古典の手法でくっきりと明確な輪郭で描かれています。これは、パリのような都会で生活している人々にとって郊外の風景を幾分か理想化し、都会人の抱く自然への憧れを、リアルな自然から乖離させることなく巧みに纏め上げているといえます。例えば、「ファンテーヌブローの森」(左上図)という作品です。典型的なフォンテーヌブローの風景いう都会人イメージを古典的な構成の中で、個々の写実的な描写うまく当てはめていくという方向の作品ではないかと思います。前景、中景、後景の個々の要素により規則的に部活された構図は、中心から左に位置する大木と水を飲むために池に入っている牛が観る者の視線を左から右へと引きつけ、後退する背景へと導くように描かれています。観る者の目はジグザグとした動きの構図を見せる作品に導かれるように羊飼いの娘が水を飲ませるために3頭の牛を連れている道を見つけるに至ります。しかし、それははるかに眺めるに留まるもので、前景にある池を囲む雑草と大きな石が、この風景の中に入ろうとする視線を妨げるはたらきをしているように見えます。ここで詳細で鮮明なコローの描く画面に対して、観る者はコローが一時的につくり出した空間をのぞき込むように眺めるだけです。それは、都会から旅行で一時的なに風景を眺める視線です。いわば、絵葉書的な風景と言ってもいいかもしれません。

「ブリュノワの牧草地の思い出」(左中図)という作品です。ブリュノワとはパリとフォンテーヌブローの中ほどに位置する場所だそうです。この作品でのコローは「ファンテーヌブローの森」のような厳格に描き込んだ風景画から流れるような筆遣いに淡く薄い絵の具の塗りで幻想的な雰囲気の漂う優美な風景に変化してきています。明るい緑の風景の中で、白い花々が白色の軽いタッチで散りばめられ、木々の葉はサッと流れるように描かれています。それがうららかな場面の雰囲気をつくり出しています。二人女性と一人の子どもの三人組が森の中の、右手にいる牛の横を通り小道を奥に進んでいます。コローは、この作品を「思い出」というカテゴリーの一つとしているそうですが、どこか郷愁を誘うようなノスタルジックな幻想の風景のようです。

コローの三つ目の作品は「花輪を編む若い娘」(右中図)という作品です。都会の着飾った淑女にはない、素朴で可憐な少女です。しかし、彼女の着ている衣装は、後のミレーの描く農民のくたびれ色褪せたものと異なり、演劇かオペラの舞台衣装のような感じでスタイルこそ農民風ですが、どこか華やかなところがあります。少女のうつむいた表情は見る者の関心に気づかず、花を編むことに没頭しているようで、それが都会の淑女のように摺れていない、可憐さを引き立てる効果をあげています。少女のちょうど後ろには花輪に使われる色とりどりの花が軽やかに描かれています。その他の草木はスケッチ風で、画面左には石造りの古代風の建物の一部が描かれています。これらはまるで演劇の舞台のようで、そう考えると少女のポーズやうつむいた表情も、どこか演劇くさい、ちょっとわざとらしい造ったような感じもしないわけでもありません。いずれにしても、これらの作品から観るコローの描いたものは、都会から田舎を眺める一時的な風景で、都会と田舎の間には越えられない境界があって、その境界を隔てて観る者は都会にいて珍しい風景をのぞくという視線が貫かれているように思えます。

次に、コローと同世代のテオドール・ルソーの作品を見てみることにしましょう。ルソーの風景画へのアプローチは、コローとは違って古典的な設定や構成に制限されることは少なかったといいます。他方で、精密な空間構成と日常の様子に溢れ、深みのある茶系統の暖かみのある色調のオランダ風景画からの影響を受けていたと言います。形態と構図を理想化し、一場面として装飾されているかのような古典的な風景画ではなく、目の前の情景に素直に反応するような写実的な風景を描いたといいます。

「森の中の池」(左下図)という作品は、コローの描くような明快で整った庭園のような風景ではなく、鬱蒼とした森です。その森が観る者の目前に広がっているかのようです。前景中央を取り囲む木々は精緻に描写され、池の表面のハイライトや野原の草の軽やかな筆致が、森の奥へと観る者の視線を誘うようです。とくに樹木の精緻で力の入った描写が焦点といえると思います。しかし、その一方で、池のほとりにいる赤いマントの農民と牛はまるで補足のようで、これほどまでに小さく描かれていることから、オマケのようなものであると思います。

また「フォンテーヌブローの薪拾い」(右中図)という作品は、画面の中央に、二人の女性が奥の森から続く小道をゆっくりとこちらのほうに進んでくる風景です。茶色く色づいた森や草原の深い緑の秋の気配が漂う風景の広がりに対して、人物は点景のように小さく描かれています。ルソーは森の風景を精緻に描写し、観る者に森へ誘うような迫真の画面を提示しました。コローは森をスケッチした後、アトリエで作品にまとめたのに対して、ルソーは屋外でキャンバスを立てて写生をして作品を制作したといいます。その違いがリアルさとなって表われているのかもしれません。しかし、距離感はコローと、それほど変わりません。ルソーの作品を観る都会の人々は都会とは違う郊外の風景を物珍しさとして見たのではないかと思います。描写が精緻か形式的かの違いはあるにしても、現在の我々で言えばツァーの観光客のような物見遊山の視線のニーズに応えるものであったと思います。

ナルシス・ヴィルジル・ディアズ・ド・ラ・ペーニャという画家は、当時のフォンテーヌブローの森を描いた売れっ子画家だったとのことで「森の奥地」(左下下図)という作品は、ルソーの精緻な描写に色彩や明暗のコントラストをつけ、この作品では木の間を差し込んでくる陽光と影の織り成すコントラストが後の印象派のように強調されています。この作品など、あざとさまではいかないけれど、効果をあげる演出が施されて風景をいっそう印象深くしているといえます。これらに描かれるフォンテーヌブローの森は眺める対象として、離れて在るということで共通しています。これらは共通して映画で言えばロングショットの遠景なのです。

ここで、ミレーの作品が他の作品に紛れるようにひっそりと展示されていました。展示されていた作品はフォンテーヌブローの森を対象とした風景画というよりは、付近の農民の姿を描いた風俗画といえると思います。それだから、というわけではないでしょうが、他の画家たちの作品と比べる対象との距離感が異なっているのです。「木陰に座る羊飼いの娘」(右下図)という作品です。先ほど見たコローの「花輪を編む若い娘」と比べて見てほしいと思います。ふたつとも若い娘を中心にした作品ですが、「花輪を編む若い娘」のほうは立ち姿全身を描き背景には左手にはるか遠景の石造り建物の一部がのぞめます。これに対して「木陰に座る羊飼いの娘」は座った姿を描き背後は大きな木の幹に隠されて僅かに左手に森の木々がのぞいています。二つの作品を比べると、「木陰に座る羊飼いの娘」の方が女性に近寄った視点で、「花輪を編む若い娘」は引き気味の視線で、遠景も入れていることから尚更、その感じが強くなります。そのため、「花輪を編む若い娘」は距離をおいて若い娘を見るという客観性の強い視線になっています。この作品が、どこか舞台装置めいた演劇の一場面のような様相を呈しているように見えるのもそのためでしょうか。これに対して、「木陰に座る羊飼いの娘」は、羊飼いの娘に寄った視線になり、背景はせいぜい森の木々という中景の範囲にとどめて視線の近しい距離にして描いています。しかし、そこまでして、視線を近しいものにして、親近感を抱くことのできるような距離感にしているにもかかわらず、この羊飼いの娘の表情は、ぼんやりとしか描かれていないのです。せっかく近しい距離にして、羊飼いの娘にクローズアップしているにもかかわらず、肝心の娘の顔がぼんやりとしているのです。それはわざわざ観る者の視線を近しいものにしたところで、最後のその視線を突き放すようなことになっているのです。観る者が勝手に想像してくれと言わんばかりです。娘の顔は背景の筆を流しているような草葉と同じような程度の描き込みになっています。これに対して、「花輪を編む若い娘」のほうは可憐な表情まで描かれているのと対照的です。私には、このような視線の距離感が他の画家にない独特のところ、ここでいえば人物画といってもおかしくない作品が風景画のように描かれている、そこにミレーの特徴があって、その不思議な距離感で農民の風景を描くと、客観的に観るというのとは違う印象を観る者に与えることになっているのではないか、そう思わせるところがあるのではないかと思います。 

ここの章は、解説から大部分をパクりました。   

 

V.バルビゾン村   

前座が長くなりましたが、いよいよ真打ち登場です。ミレーがバルビゾン村で農村風景を描いた作品や関連する画家たちの作品です。これと、この後の家庭の情景を描いた作品が、この展覧会の核心部ということになると思います。おそらくボストン美術館のコレクションは、ここでの展示作品がメインとして、それに関連するように周辺の作品が購入されていった結果というのではないかと思います。作品を見て行きましょう。

「種をまく人」から見ていきましょう。この展覧会のポスターにも使われ、ミレーの代表作とされている作品です。そう言われても、私にはピンと来ない作品でもあります。率直に言って、何が描かれているのか分からない。全体として薄暗い画面の真ん中に影のように人の形があって、身体をひねっているようなのがかろうじて分かるという程度なのです。この何が描かれているのか判然とないというのは、抽象絵画のようにはじめから形を崩してしまったようなものではなくて、何かしらが描かれているようなのが、私には読み取ることが困難ということです。この作品は、私には展覧会のあいさつで述べられていた“田園で働く農民の姿や身近な情景、自然の様子を畏敬の念を込めて描き取ったジャン=フランソワ・ミレーは、写実主義を確立し、近代絵画への先駆者とされています。”というミレーに対する評価に疑問を抱かせる作品でもあるのです。この作品が写実的であるとしたら、ミレーという画家の技量が単に下手だということを明らかにしているものと、私の目には映ります。おそらく、この作品にはミレーという画家の特徴が集約的にあらわれていて、それを受け入れることのできる人は、この作品に高い評価を与えることができて、そうでない私には難解際なりないか、下手としか見えないということになるのではないかと思います。気がつくままに、その特徴を挙げていきたいと思います。まず、画面全体が暗くて鈍い色で覆われているため、全体に茫洋としてはっきりしない靄のよう見えるということです。色彩のコントラストは考慮されているようなのですが、一様に鈍くなっているためメリハリがなくなってコントラストの効果が死んでしまっています。また、写実的な画家は多くの場合は鋭角的なほど形態をキッチリと明確に描くのですが、この作品をみていると敢えて明確に輪郭を曖昧にさせているように描いていません。その形態も鋭角的とは反対の鈍角的に意図しているように見えます。そして、この作品にとくに現れていると私には思われるのですが、人物が無理しているとしか見えない不可解なポーズです。この人物はまるで古代ローマの円盤投げの彫像のようなポーズです。これらのことから、私が勝手に考えたのですが(論理的に筋道が通っていないかもしれません)、ミレーという画家は主催者あいさつで述べられているような農民の姿を畏敬をこめて写実的に描いたという人には見えてこないのです。むしろ、当時のアカデミーの古臭い権威であったプサンなどのような古典的で安定し落ち着いた色遣いや柔らかい輪郭の描き方に倣おうとして、時代環境の違いと自身のセンスの鈍さゆえに、題材を同時代の農民に求めざるを得なかったのではないか。それは、ミレーの鈍い色彩感覚が農村風景の全体として地味でパッとしない風景に適したもので、写実的に見えたということではないか。また、丸く形態を捉え、輪郭を曖昧にするというようなミレーの古臭い描き方は、同時代のスマートな都会人には適さないけれど、屋外で着膨れたような格好をして動きの鈍い農民には反対に適していた。そして、当時の絵画の消費者である都会のブルジョワジーなどの中産階級が交通機関の発達によって、農村を含めたそのような郊外の風景を実際に目にすることができて、珍奇で新鮮に映ったその風景を、ミレーは題材としていた。そのように私には思えます。

「羊飼いの娘」という作品は、ボストン美術館のミレーのコレクションの中でも「種をまく人」に劣らないミレーの代表作であるということです。草原に腰を下ろしている少女の姿を題材にした作品は、同じ会場で展示されていたコローの「草刈り」と比べて見ていただきたいと思います。同じように草原に座った女性を題材にした作品ですが、コローの作品では背景に対して女性が際立つように明確に描かれていて、笑顔を浮かべているものの、どこか表情にしまりがなく疲れが仄見え、肩を落として腰掛けている姿勢や服の着こなしにも崩れたようなところが精細に描かれています。ここから彼女の労働の辛さと疲労を想像することもできるように描かれています。この作品を観る者は、画面の精緻な描写から様々な情報を得ることができ、そのように観察することができるのです。これに対して、ミレーの作品では顔の表情は大雑把で細かく描き込まれていません。座っている姿勢の描き方も人物が座っているというパターンの形態として描かれているようで細かな情報を得ることはできません。画面から得ることのできる情報はコローの作品に比べると限られたものになっていると思います。だから、この作品を観ると、コローの作品の場合のような距離をおいて観察するという態度ではなく、一体何が描かれているのかと、一歩作品に歩み寄り、身を乗り出して画面に入り込もうとするように導かれることになります。しかも、ミレーの作品では少女はコローの作品のように背景から際立たせられているのと反対に背景と同じような描かれ方をしているので背景に溶け込んでいるようなのです。それゆえ、この作品を観ようとするものは、作品の風景の中に入り込んで観ようとしないと、という態度に誘われるのです。このようなことから、ミレーの作品では、コローの作品に対する場合と、観る者が作品に対して置く距離感が異なってくることになります。ミレーの作品では、観る者が作品に一歩近づくことを余儀なくされるのです。それが結果的に作品への距離を近いものにさせ、親密さとか感情移入を誘うものとなっているのではないかと思います。

順番は戻りますが、展示室で最初に目に入ってくるミレーの作品は「刈入れ人たちの休息(ルツとボアズ)」という作品です。大作です。旧約聖書のルツ記の物語の一場面を題材にしているとのことです。これは「種をまく人」でも「羊飼いの娘」でもそうなのですが、これらのミレーの作品は、単に農村の情景を写生したのではなくて、伝統的な歴史画の物語や神話の場面やその構成に農村の人物や風景を当てはめて描いているということです。つまりは、農村の事物をパーツにして歴史画を制作したということです。私には、ミレーという画家は当時にはなかった農村をリアルに描くということを新た表現として打ち立てるほどの独創性はなかったし、本人にもそのような意志はなかったのではないかと思うのです。むしろ、ミレーという人は従来の伝統的な方法論に従って画家としてのキャリアを積み上げたいと考えていたという、考え方とか姿勢としては凡庸な人ではなかったのかとおもうのです。それが、よく表われているのが、この「刈入れ人たちの休息(ルツとボアズ)」という作品ではないかと思います。同じ物語を取り上げた作品として、当時の権威であるプサンの「夏」という作品があります。多分、ミレーはこの作品を参考にしているのではないかと思わせるところがあります。その点からも、ミレーは新しいことをしようとしていなかったことが分かります。しかし、ミレーはプサンのようには描くことができなかった。それは、技量の点や時代状況などの外在的な要因からではないかと思います。そのような意図せざる結果として、彼の農村を描いた作品が生み出されたのではないか、展示されている作品をみていると、私にはそう思われてきます。それは、展覧会の主催者のあいさつや解説で説明されている、ミレーが農家の出身で農村のことを知悉していたとか、農民に対して自ずから共感を抱いていたとかと言うこととは無関係のことです。敢えて言えば、ミレーの持っていたセンスとか感覚を培ったのが、彼の出自によるものかもしれないということくらいでしょうか。少し脱線しました。話を戻しますと、この作品が古典的な歴史画の構成とか方法に則って制作されていたということは、画面全体に安定感を与えると思います。当時の作品を観るひとにとって前衛的といえるような斬新な画面よりも、伝統的なつくりの画面の方が親しみやすいのは確かです。そこで、パーツとして題材になっているのは珍しい新鮮な農村の風景ということで、親しみやすいけれど新鮮さがあるということになったのではないかと、想像するのです。そこに、画家としてミレーの作品が認知される要因があったと私は考えます。

「刈り入れ人たちの休息」という作品について、プサンの「夏」と比べながら観ていきましょう。両者の画面構成の大きな違いは、プサンは手前の人物と背後で農作業に勤しむ人々の姿、そして背景と三つの景色で構成されているのに対して、ミレーは主人公である二人が休息している人々の集団と同じ場面に含まれていて、それら背景と二つの景色で構成されていることです。その結果とし、ミレーの作品では、場面を突き放した客観的な視点が後退しているような外観を呈しているように思います。プサンにはあった遠景がないミレーの作品は空間の広がりでは及びませんが、作品を観る者の視界がプサンの作品に比べて近いものになっています。それが作品の空間に観る者が近しい感覚となる、さらにいうと突き放した客観的な視線ではなく、観る者自らが画面に入り込むような主観的な要素の含んだ視線になってきているのです。その一方で、それだけ観る者の距離感を近しいものとしながら、ミレーの作品では、主人公をはじめとした人物の表情を細かく描き込まれていません。顔はのっぺりとして、一応の形の輪郭までは描かれていますが、そこまでです。しかも、人物の描き方は丸みを帯びた人形のようなパターン化に近い描き方になっています。それが、私にはミレーの作品を観るときに戸惑わされるものでした。せっかく、画面に近寄るように誘い掛けておきながら、肝心のところにくると冷たく突き放されるような印象を受けたのでした。人物に近寄ってみたら無表情で肩透かしをくうのです。ミレーは細かく顔を描けなかったのでしょうか。それは最初に見たような肖像画を描くことが出来るのですから、できるのに敢えて描かなかったのです。そこには何らかの意図があったと思えるのです。それはミレー自身が顔を精細に描くことの意味を考えられなくなっていたことでしょうが。その理由として考えられるのは、描く対象となっている農民の顔が無表情であったということ、都会人のような社交で生きているのとちがって農民には大げさな表情とか演技するということがなく、絵画に描くような明確な表情の変化というものが見られず、敢えて描こうとするとわざとらしくなってしまう、ということ。また、ミレーの描く作品は人物をクローズアップして顔を微細に描く人物画ではなくて、いうなれば中景の距離感で人々の動きを捉えるというスタンスを取り始めていたことから、人々の身体の動きやポージングが雄弁にものがたるものとなっていたため、顔に表情を描き込むと観る人の視線が細かな顔に行ってしまって、身体への目配りが疎かになってしまうことを避けるためにという目的。さらに、画面に接近してみて、顔の表情が描かれていないことによって、観る者に想像させる余地を与えていると考えることも出来ると思います。もしそうであれば、ミレーの作品は単に作品を眺めると言うこと以上に積極的に画面に参加し、観る者は想像力を働かせることを要求するものになってきていると考えることもできます。

もし、そうであるとすれば、有名な「種をまく人」(左上図)に対する見方も変わってくることになります。私には、この作品は何をやっているのか分からない、形態もはっきりしない、暗く薄ぼんやりしたなかで古代ローマの円盤投げの彫像のような無理なポーズをした人体がある程度にしか見えなかったのです。従って、この絵がなぜ、ミレーの代表作とされているのか理由は分かりませんでした。解説の説明によれば、当時のフランスではミレーの作品に対して汚いという評価を与える人々がいたそうですが、さしずめ、この作品などは、その典型的なものではないでしょうか。正直、私もそう思います。それが、この作品が単に種をまく農民の姿をえがいたというだけでなく、聖書の寓話を仮託してもいることがあって象徴的な意味合いも重ねられているゆえに、描かれている人物はシンボリックに見える必要があったということを考えると、そうせざるを得なかったのかもしれないと想像することはできるようになりました。とはいっても、この作品は、私にはとっても相変わらず不自然で、何が描かれているのか不可解な、要するどこがいいのか理解しがたい作品であることに変わりはありません。同様の描き方でも「鋤く人」(左下下図)という作品は、その描き方ゆえに人物にダイナミックな力感があって力強さと土地を耕すということが活写されているようにみえて、こちらの方が私には親しめる作品になっています。  

   

W.家庭の情景

ミレーの農作業風景と供に代名詞ともいえるのが、農家の家族の情景を描いた作品です。農作業の風景と比べて、ほとんど全部が女性や子供が中心となって描かれ、農作業の風景以上に似たような構図で何枚もの作品が描かれたと思います。フェルメールなどの17世紀のオランダのブルジョワの市民生活を描いた風俗画に通じているところが見えます。構図とか、鈍い色遣いとか、暗めの室内とか、まるで17世紀のオランダの市民の室内を19世紀のフランスの田舎の農家の室内に置き換えたようにも見えます。おそらく、そういう物に対するニーズが増えてきたのに応えるように、ミレーは何枚も描いたのではないかと思います。

「編物のお稽古」(左図)という作品は、同じ題名で2枚展示されていましたが、ほとんど同じような作品です。ひとつの安定したパターンとして、細部に細工を施して個々の作品の差別化を行いながら量産していったのではないかと思います。突飛な飛躍かもしれませんが、17世紀オランダの画家フェルメールの有名な「牛乳を注ぐ女」(右図)の女性のポーズと、ミレーの子供に編み物を教える女性のポーズ、とくに上半身は、ほとんど同じというほどそっくりです。そればかりでなく、画面のほぼ中央に人物を配して、左側に窓のある側に位置させて、左手から光を取り入れていて、女性が光に向かうようにしているところまで、そっくりです。おそらく、ミレーはオランダ絵画を勉強したのではないかと思います。そして、フェルメールの作品に体現されているようなパターンを学習して、それをうまく使ったのではないか。このようなオランダ絵画のパターンは、フランスでも受け容れられる普遍的なものになっていた。では、フェルメールを単に農家に場面を替えただけなのでしょうか。ミレーとフェルメールとでは、作品を一見しての印象はまったく異なります。その違いは何なのでしょうか。多分、その違いが、ボストン美術館でミレーのコレクションが作られるほど受け容れられた理由なのではないかと思います。私が受けた両者の違いの大きな点として、ひとつはミレーの方が簡素に見えたということです。実際に画面に描かれた物の数だけを比べるとミレーの方が圧倒的に少ないように見えます。それは、ブルジョワの室内と慎ましい農家の室内という先入観はあるのかもしれませんが、実際の画面をよくみれば、数の違いはあまりなくて、フェルメールのほうは窓下のテーブルに集中的に物が置かれているので、たくさんあるように見えているのに対して、ミレーは文指されているのと、背景になっていて物の存在感が希薄になっているため、物がないような印象を与えていると思います。そのことが、ミレーの方がより簡素に見えてきます。そして、ミレーは細部を細かく描いていません。例によって、人物の顔を描き込むことをせず、フェルメールのように人物の着ている衣服の布地の肌触りの違いや、服地のつくりだすひだやそこに当たる光による細かな陰影といった精細な描写はミレーにはありません。それは、ミレーには筆力が及ばなかったのか、似たような製品を何点も制作する、いってみれば薄利多売で糧を得るためにひとつひとつを細かく描き込む手間をかけられなかったのか、あるいは丸っこい人物表現に見合うように作品全体を統一するために敢えて細部を描き込まなかったのか、それらのいずれも当てはまるような気もします。それによって、農家の慎ましい生活というのがパターンのイメージとして受け取られやすくなっている効果をあげていると思います。一方、フェルメールにある技巧的な感じ、何か仕掛けがあるというのか、隠喩的に何事かが隠されていると勘繰ることに誘われるような、何かありげな思わせぶりな、一種過剰なところは、ミレーではありません。ミレーでは、その簡素さが際立っていて、それがまた農家の情景に見合い、細部を省略しているところが画面を一種寓話的というのかおとぎ話の一場面のように見せるような効果を作り出しています。

そして、フェルメールとちがって、ミレーの画面は全体として暗いのです。その暗さのなかでの明暗の微妙な陰影を観る者に想像させ、ます。そして、暗いということだけで、農家の光の乏しい貧しさ、慎ましさを印象付けます。それが、例えば、アメリカ東部の敬虔なプロテスタントの禁欲的で敬虔な人々にとって共感を誘うものであったのではないと思います。

「糸紡ぎ、立像」(右下図)という作品。他にも「糸紡ぎ、座像」という似た作品が一緒に展示されていました。ボストン美術館のコレクションはこれらをまとめて所有しているのでしょう。ミレーは、糸紡ぎを題材に何点も似たような作品を制作したのでしょう。私は美術作品の知識が豊富ではないので分かりませんが、もしかしたら、これらも過去の作品の構図のパターンを上手く利用しているのかもしれません。このように、ミレーの作品をみてくると、農民を写実的に描いたというような主催者あいさつにあるようなミレーの姿とは異なった姿が私には見えてきます。それは、農民の姿を執拗にスケッチして、その中からあらたな伝統的な描き方に捉われない、新たな表現方法を創り出したというのではなくて、伝統的な構図とか様式を骨格として、農村や農家を題材として当てはめるように描き、そのなかで現れ出てくる矛盾を適宜手直ししながら、作品として筋の通ったものにまとめていった、というのがミレーの芸術ではないか、と私には考えられます。それは、決して、ミレーを貶めようとするものではなくて、実際に、それまでの方法論で想定外のものを新たに絵画の対象とするだけでも大変なことだったはずですから。

実際のところ、ミレーの作品個々については、ひとつを取り出して単独に価値とか意味とかを議論するというものではなくなってきているように私は思います。個々の作品の独立した存在感というよりは、一種、工業製品に近くなっているというのでしょうか。だから、ここでも、個々の作品については、ミレーの作品の例として議論することになっていると思います。それは、ミレーが似たような作品を量産したということもあるでしょうし、時代も大量生産、大量消費の大衆社会に足を踏み入れようとしていた影響ではないかと思います。ミレーは、とりあげた題材こそ農村ですが、その内実とか制作の構造は都会の労働者などの大衆社会に対して、当時の権威である画家たちよりも一歩先んじて適応した画家ではなかったのか、と私には思います。それが、伝統をもたない、アメリカにおいてむしろ受け容れられたのは、そのせいだったのではないか、と私には思われるのです。パターンを量産する、省略の多い描き方は、高尚な芸術という教養を欠く人間からは、むしろ親しみやすいのではないか。それでいて、伝統的な安定的な画面構成は、それを人々は意識していなくても、印象派のような過激な画面に比べれば、人々の常識の範囲内で見る際に葛藤を起こすことがない、しかし、ある意味で格調は維持されているので、それなりのブライドを満たすことはできる。ミレーの作品は、そういうものとして受け容れられた。一方、旧社会である故国フランスでは、大衆に媚びるように教養ある人々の目に映って、軽蔑を招いた。そういう人々は、評論とか、そういう形として残るものをつくる人たちであったので、そういう記録が評価として残ったのではないか。私には、そんな想像をしていました。

そういう想像をさらに助長させたのは、ミレーの遺産として、彼の影響を受けたとされる後代の画家たちの作品をミレーと比べて見たことでした。そして、私にはミレーよりも、後代の画家たちの作品の方が親しみやすいものに思えたのです。

 

X.ミレーの遺産

いわゆるバルビゾン派に属することになっている画家たちで、ミレーよりも若い世代で、ミレーの影響を受けたと考えられている人々の作品です。

ヨーゼフ・イスラエルの「別離の前日」(左上図)という作品です。1×1.25mという大型の画面で、母親が手に顔を埋めて、海で死んだ夫の喪に服している。その子供は裸足で座り込み、母親の足にもたれかかり、そばにろうそくの置かれた棺がかろうじて見える隣の部屋を凝視している、という作品ということです。ここには、前回見たミレーの「編物のお稽古」の暗さよりも深い暗さと光との強いコントラストが劇的な情景を作り出しています。まるでレンプラントのような光と影の対比は、観ている者にものがたりを想起させずはいられません。また、二人の人物の衣服の色褪せ、くたびれた写実的な描写はミレーにはなく、人物の表情は隠されていますが、母親のうつむいて顔を手に埋めるポーズはミレーの作品では見られないものです。光と影の強いコントラストや演劇的な作為も加わった迫真的な描写が、悲劇性とこの人々の生活の厳しさを強く印象付けるものになっています。

ミレーには、このような迫真性とか悲劇性は見られません。ミレーの場合には、その代わりに一種のメルヘンチックな感じ方が可能になったと考えることができます。それは都会の人は経験していないにもかかわらずノスタルジックな感傷を思い起こさせることを可能にするものです。さらに、それは遠くはなれたアメリカ東部の開拓者たちに対して、肯定感を付与するものとなったのではないかと思います。ヨーロッパの都会から遠く離れて、厳しい未開の自然の前で土にまみれて働く開拓民たちに、宗教的な敬虔さを含んで、あなたたちの姿は美しい、とミレーの作品は語りかけるように受け取られたのかもしれません。少なくとも、イスラエルの迫真的な作品では、都会人に農家の厳しい状況をアピールする力はあるでしょうが、ミレーのような受け取られ方は難しいと思います。

レオン=オーギュスタン・レルミットの「謙虚な友(エマオの晩餐)」(左中図)という作品です。キリストが磔にされた後、復活を遂げて弟子の前に現われた事績を描いています。私には、何年も前にカラヴァッジオの同じ題材を扱った劇的な作品(右上図)の印象が強く印象に残っています。この作品は1.5×2mというサイズの大作で迫力のあるものですが、カラヴァッジオのような光と影の劇的なドラマというよりは、農村の宿屋の日常の風景に置き換え、登場人物を迫真的に描くことによって、人間ドラマとして迫ってくるものがあります。レミレットの作品には他にも「小麦畑(昼の休息)」(左下図)という農作業の休憩を題材とした作品も展示されていました。金色の小麦は真昼の太陽の熱を強調しているようで、束ねられた麦の山の中で農夫と水筒を持ってきた少女が休息している場面でしょうか。素早い筆捌きと光の効果を強調する明るい画面は印象派の作風に似た印象を受けます。それだけに、巧みな画家ではあるのでしょうが、ミレーの鈍重とも言える画面に比べると洗練されすぎているような印象を受けます。レルミットの作品は巧みで分かりやすいものとなっていますが、ミレーのような雰囲気を醸し出すという感じはありません。ノスタルジーというよりは、風景を分かりやすく写生したスナップショットのような印象です。

「謙虚な友」に視線を戻しましょう。画面左側の人物はパンを割り祝福したことで復活したキリストであることを示しています。相対している2人の男性はキリストの弟子たちということになります。中央の禿げ頭の男は恐怖の表情で右手を顔の前に防ぐようにあげるポーズで強調しています。また右の弟子は左手で椅子を握り締めています。それが、バルビゾン村の宿屋をモデルにした、当時の農家の簡素な室内がエマオの奇跡の舞台として違和感なく画面に納まっています。これは、ミレーの「晩鐘」のような作品が有していた宗教性を直接的なものにしていった作品ではないかと思います。これは、これで当時の人々に親しみやすいものだったし、十分にアッピールするものだったと思います。事実、この作品は発表当時高い評価を受け、レルミットは経済的にも成功した画家であったということです。

そして、ジュリアン・デュプレの「牛に水を飲ませる娘」(右中図)という作品です。ミレーのもっていたノスタルジックな性格をさらに推し進め、牧歌的な情景をリアリステックな手法で描いています。ミレーに比べて全体の色調は明るく、真昼の隅々まで光線が行き渡っているようです。ここでは、牧歌的な風景画、あたかも目前に再現されているかのように描かれています。例えば、都会のブルジョワの居間に伝統的な肖像画や歴史画とともに飾っても違和感のないような様式で描かれているともいえるので、ミレーよりも当時のブルジョワや画壇には受け容れやすかったのではないかと思います。「ガチョウに餌をやる子どもたち」(左下下図)という作品などは微笑を誘う一篇の情景となっています。しかも、描写はしっかりしています。そこには、燦燦と降り注ぐ陽光と、その下での健康的な生活、都会では失われつつある家族の絆が多少のユーモアを交えて描かれています。「干し草づくり」(右下図)という作品では、農作業のたいへんさや厳しさの表現は後方に退き、牧歌的な風景が強調されているといえます。ミレーの場合には、ノスタルジックな要素もありながら、厳しい農作業により鈍重となった農民の姿がそれなりに描かれて、様々な要素が入り混じっていたのが、後の世代の人々はミレーの一面をそれぞれに特徴的に展開させていったということでしょうか。その反面、ミレーにあった様々な面が一面的になってしまった感があります。面白いのは、ここで見た画家たちに共通して言えるのは、方向性は異なっているのにもかかわらず、表現技法においては一様にリアリスティックな写実的表現を推し進めている点です。ミレーの写実には一歩距離をとっていた表現には、これらの画家たちは反対していたということでしょうか。

それゆえに、私にはミレーよりもこれらの画家たちの作品に方に、より親しみを覚えます。それは、当時の農村の実際を知らないからかもしれません。府中市美術館での展覧会と、このボストン美術館の名品を集めた展覧会と、立て続けにミレーの作品をまとめて観て来ました。ミレーの農民画家というイメージには、当初から眉唾と思っていましたが、それは半分当たっていて、そのことは実際の作品をみて分かりました。そういう先入見を捨てて観た、ミレーの作品は下手という印象が強く、下手な画家が下手なりに生き残っていくには、他の画家が手をつけていない領域で勝負するしかないとして、農村や農家を描かざるを得なかった。そのように思わせるところがありました。ミレー自身がノルマンディーの農家出身で苦労して絵を学んだというストーリーはとくに開拓時代のアメリカや明治維新で新興の機運のあった日本で宗教的な敬虔さとか勤労を肯定する雰囲気のなかで作品よりも先に評価されてしまったのではないか、という議論には説得力があり、作品はその後でストーリーを裏打ちするものとして評価されてきたという問題意識があったのは府中市美術館の展示で、それは納得できるものでした。そうであれば、ミレーの作品の魅力はストーリーと切り離したところで何なのか、作品自体に魅力はあるのかということには府中市美術館の展示は必ずしも説得力あるものを提示し切れていなかったと思います。また、ボストン美術館のコレクションは府中市美術館の議論以前のミレー観で展示されていたことが、却ってストーリーと作品の両方を並行して見つめることを期せずして可能したことが、私にとってミレーという画家の作品を見直すこととなりました。とはいっても、未だにミレーの作品の魅力はここにあると明確に述べるには至っていませんが。少なくとも、下手としか見えなかったミレーの作品については、事実としてミレーはこのようにしか描けなかったと思いますが、その下手な表現そのものに実は大きな意味があった、その下手でなければ表現できない世界があったと思うに至りました。しかし、そう考えられたとしても、私にはミレーという画家は常日頃から親しみたいという画家ではありません。残念ながら。そういうわけで、またいつかまとまって作品に触れる機会があれば、もやもやしてはっきりしない、この人の魅力について、私的にはっきりさせることがあるかもしれないと思います。

 
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