中世の華黄金テンペラ画石原靖夫の復元模写
チェンニーノ・チェンニーニ『絵画術の書』を巡る旅
 

 

2025年2月22日(土)目黒区美術館

土曜日の休日。花粉症の薬を処方してもらいに、早起きしてかかりつけの医院に行ったら、思いの外空いていたので、早く終わって時間ができたので、興味のあった、この展覧会に寄ってみることにした。絵画展というよりは、中世のテンペラ画を復元模写をするという技法を明らかにする博物館の展示のような感じだった。作品を見て楽しむというより、お勉強みたいな性格の展示だったように思います。そのせいか、展覧会チラシも、説明の文字が作品画像のスペースよりも多くを占めている。いつもは、展覧会チラシから主催者あいさつを引用しているが、今回は、あまりに文字数が多いので、ホームページのあいさつを以下に引用します。それでも長い。

目黒区美術館では、これまで、画材や色材をテーマにした展覧会とワークショップを継続的に開催してきました。その一つ「色の博物誌」展は、通常の展覧会では紹介されることが少ない、絵画などの表現を構成する色材とその原料、エピソードなどを取り上げ、作品と組み合わせて構成した企画です。また、古典的な技法や絵具制作の再現などをワークショップで行い、人と色材のかかわりという新たな切り口を提示してきました。

この度の展覧会では、1992年からの「色の博物誌」展とともに開催してきたワークショップ「古典技法への旅」から、“中世の華” とも表すべき黄金背景による「テンペラ画(卵黄テンペラ)」の技法を取り上げます。

金箔を背景に、顔料を卵黄で練って描き上げていくこの技法では、金箔に見事な装飾技法が施され、その表現は工芸的な魅力にもあふれています。この黄金背景を伴うテンペラ画は、主にイタリア14世紀から15世紀前半に発展しました。

石原靖夫(1943ー)は、1970年にイタリアに渡り、黄金テンペラの技法を学び、6年の歳月を、ゴシック期シエナ派の画家シモーネ・マルティーニ(1284頃ー1344)の代表作《受胎告知》(1333年、ウフィツィ美術館蔵)の技法研究に費やし、ローマ滞在中に復元模写を完成させました。1978年の帰国後、すぐに東京都美術館で展示と講座が組まれるなど注目を集めました。目黒区美術館では、1992年の「色の博物誌・青―永遠なる魅力」展において、この復元模写《シモーネ・マルティーニ〈受胎告知〉》を展示し、聖母マリアのマントに使われたラピスラズリの青について取り上げました。石原靖夫と目黒区美術館の関係はこの時から始まり、2019年3月までに専門家向けの内容でワークショップを7回開催し、テンペラ画という古典技法の普及に努めてきました。

ジョット・ディ・ボンドーネ(1265頃ー1337)に代表される当時の工房で行われていた絵画技法が記された書物が、チェンニーノ・チェンニーニ著 "Il Libro dell' Arte" です。この翻訳版、『チェンニーノ・チェンニーニ 絵画術の書』(岩波書店 1991年)(以下、『絵画術の書』)は、目黒区美術館での石原靖夫によるワークショップで重要な教本となっています。チェンニーニの手稿は1400年頃に成立されたと伝わり、現存する3つの写本をもとに訳された本書は、イタリア美術史家の辻茂の技法史研究により長い年月をかけて日本語訳として完成されたもので、シモーネ・マルティーニの《受胎告知》を復元模写した画家石原靖夫と、イタリア語に精通する美術史家 望月一史がその翻訳に加わりました。その後、石原はこの『絵画術の書』を、画家としてさらに読み込み、絵画制作にあたっての技法研究を深化させてきました。

本展では、石原が1970年代に制作した復元模写《シモーネ・マルティーニ〈受胎告知〉》とその制作に関する周辺資料、そして、その後の研究をもとに今回新たに制作した「制作工程」と、その手順を収録した動画を展示します。石原が行ってきた、絵画制作の基礎から金箔の置き方、刻印、彩色、緑土を用いる肌の描写などを、『絵画術の書』が伝える技法に触れながら紹介し、日本の美術館では展示されることが少ない「テンペラ画」の技法と表現の魅力に迫ります。

このような、マニアックというか、お勉強的な展覧会で、会場に来ていたのは、まさにこの展覧会が目的という人が中心のようで、それほど広いとも言えない展示室で、注意していなければ10分程度で見終わってしまいそうな展示を、立ち止まってじっくりと見ている人が多かったようです。人は少なかったのですが、密度が濃いという雰囲気でした。私のようなマニアでない中途半端な者は、まわりの人々の熱心さを観察したりもしていました。

テンペラ画というのは、中世の絵画技法で、顔料を卵黄で練った絵の具で描いた絵画のことを言うそうです。テンペラ(tempera)は、ラテン語のtemperare(かき混ぜる)から派生したイタリア語で、絵画においては結合剤、または粉末の顔料を練り合わせる、という意味を持ち、卵以外にも、膠、アラビアゴム、カゼインなどで顔料を練った水性絵具の総称として用いられていました。テンペラ画はフレスコ(壁画)と同様に古くからあり、特に中世の写本やルネサンス期にかけての板絵祭壇画などに優れた作品が多く見られます。卵黄テンペラは乾きが速く、耐久性に富み、明るく鮮やかな色を発し、また油彩や膠とは異なる接着特性があるため、金箔と卵黄との組み合わせにより、多くの装飾技法が生み出されたといいます。中世のイタリアでは絵画は宗教と関わりが深く、絵に光を与え輝かせるために金箔と組み合わせて装飾的、工芸的なものとするのに、テンペラ画のそういう特質は適していたのでしょう。しかし、今回の展示を見ていると、テンペラ画で描かれた人物の柔らかな質感は、この後のルネサンスの人物表現、例えばスフマートのような優美なぼかしに感覚的に繋がっていくのではないか感じさせられました。石原によって復元された受胎告知の人物の肌の描き方を見ていると、絵の具を面相筆で広く塗るというのではなく、細い筆による線を重ねるように描いているのがよく分かります。それは、まるで皮膚の角質細胞の細長いのをひとつひとつ描いているのではないかと思わせるほど精緻なもので、それを少し距離をおいてみると柔らかな人の肌の質感が触覚的に感じられるのです。しかも、そこで使われている色に意外なものが混じっていて、驚きでもありました。

メインの展示は、石原靖夫によって復元模写されたシモーネ・マルティーニの「受胎告知」です。オリジナルの作品は右側の画像のように両脇に立ち姿の人物が描かれた部分がありますが、石原は真ん中の部分がシモーネ・マルティーニの真筆であるのは確かだして、その部分を復元したということです。しかし、この復元模写は絵画の部分だけでなく、上方の工芸的な装飾や金箔の部分、それだけでなく、絵の画面のなかにも金箔が貼られ、そこに細かな刻印が施されているのを、すべて石原がひとりで行ったというというのです。だから、この模写は、単に絵を描くというだけでなく、工芸の部分もすべて作ったというわけです。会場での説明も、その工芸的な部分の説明が半分くらいありました。そこで使われた工具の展示や技法の説明はもとより、動画による作業風景はとても興味深かったです。その動画を見ているだけで、時間が経ってしまいました。

別の部屋で、数点の石原の作品が、中世絵画の模写ではない作品が展示してありました。テンペラ画の「輝く森」という作品は、画像では分かりにくいかもしれませんが、細かな工芸的な装飾が施されています。シンメトリーな構図は幾何学的でもあり、中世風の絵画と言えるかもしれません。画風は違いますが有元利夫に通ずる雰囲気といいますか。絵画というよりタペストリーを想わせるような精緻な作品です。また、「古都フィレンツェ」という作品は、いわゆる風景画ですが、前景の木々の細かな描き方はフレスコ画の細い筆の線を重ねるようにして描いたものを想わせます。

 
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