シャヴァンヌ展 永遠のアルカディア ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの神話世界 |
2014年1月15日(水) BUNKAMURAザ・ミュージアム
もう少し突っ込んでみましょうか。展覧会カタログからの引用をしながら、少しだけお勉強の時間です。1860年代にドラクロワやドミニク・アングルが亡くなり、ロマン主義や古典主義の潮流が姿を消して行きます。これとともに色彩に対して形態や線を優先させる絵画表現は、新たな表現に取って代わられていきます。その代表的なものが理想的世界かに隔離したリアリティを重視するクールベやミレーらの作品です。その流れをさらに推し進めたのが印象派で瞬間を捉える感覚に執心し、デッサンよりも光に、人間よりも自然にこだわって行きます。このような流れに対抗していたのが象徴派で「イデアの画家」たろうとした。と図式的に言うことができると思います。このような時代状況の中で、シャヴァンヌはリアリズムを「極端な制限」と見て、“本質を描き出すことを志向する素描と色調を用いた独自の表現法を練り上げ、輪郭を強調した形象表現と、薄青色、灰色、そしたて淡いトーンの独特の抑えた色調によるスタイルを獲得した”と言います。一方で、象徴主義の怪異さを拒み、“「素描と色彩の、ほとんど宗教美術のような制約」の中で単純化されたフォルムと統一された色調の対話を紡ぎ出していく”ことになります。この点で、文学の世界で高踏派と言われる詩人たちが「イデアの美は隠喩を必要としない」として無駄な語彙や無根拠に叙情性を排する代わりにリズム、統語法、語彙の稀少性を重視することにより、シャヴァンヌの方向性に共感していったといいます。シャヴァンヌ本人の言葉が残されていて「あらゆる明晰なイデアのひとつひとつには、それを翻訳するひとつの造形的思考が存在する。しかしほとんどの場合、我々が得るイデアは混乱し不鮮明なものだ。そこでまずそれを解きほぐして、我々の内なる視線によって純粋な状態で見ることができるようにすることが重要である。その感情の中にひそむ思考を、それが自分の目で見て完全に解き明かされるまで、可能な限り明瞭に見えるようになるまで、じっくり時間をかけて練り上げる。それから正確に翻訳できる光景を探し求める。」何か、高踏的ですね。 ちょうど生没年でいえば、ギュターヴ・モローと重なるという時代の人です。モローとは没年が同じですが、日本でのモローとの知名度の隔たりは何でしょうか。ハッキリ言って、モローの象徴主義的な作品は、シャヴァンヌのように純粋で高踏的ではありませんが、モローに比べるのは適切であるかどうかは分かりませんが、モローに比べると、シャヴァンヌの作品は退屈で眠気を誘うものです。心に引っ掛かるところがなく、すっと上滑りしてしまっている感じです。キレイゴトばかり言っているタテマエばかりで人間としての心情が感じられない奴、そんな印象を持ってしまうということでしょうか。ただし、当時のフランスでは、シャヴァンヌは公共的な壁画の依頼を数多く受けて、美術界の要職を歴任していたと言いますから一介の美術教授にすぎなかったモローとは、今の日本評価とは正反対だったことでしょう。多分大衆的な支持という点でも、モローとは比較にならないほど広範に支持されていたと思います。
Ⅰ.最初の壁画装飾と初期作品(1850年代)
シャヴァンヌの修業時代の習作的な作品が並べられています。そこに特徴的なものとか、個性とか何か突出したようなものは見られず、折衷的で、どちらかというと凡庸という印象のものが展示されています。凡庸という喩えは不適切かもしれませんが、蓮實重彦がギュスータヴ・フローヴェールの同時代人であるマクシム・デュ・カンのことを、そのように言った意味で凡庸という形容が当てはまると思います。蓮實は凡庸さを、「それはたんなる才能の欠如といったものではない。才能の有無にかかわらず凡庸さを定義しうるものは、言葉以前に存在を操作しうる距離の意識であり方向の感覚である。凡庸な芸術家とは、その距離の意識と方向の感覚とによって、自分が何かを代弁しつつ予言しうる例外的な非凡さだと確信する存在なのだ」と定義します。例えば、“紋切型”という表現は、個性とか創造性を重んずる芸術では、避けるべきものということになります。とくに19世紀後半から大衆が出現し、それに伴い消費社会がうまれ一部の教養豊かな貴族やブルジョワを相手に深淵だった芸術も大衆を相手にひろく分かり易いものであることに変質してくると、どうしても分かり易さを追求するあまり“紋切型”に陥ってしまう。このとき、“紋切型”を免ようとする。しかし、考えてみれば、“紋切型”がいけないというのは単なる先入観にすぎず、みんなそう思っている、このこと自体がじつは“紋切型”なのです。従って、“紋切型”を免れようという行為そのものが、広い視点で見ると“紋切型”そのものなのです。凡庸というのは、そういうものとして考えると、少しは分かり易いのではないかと思います。ちなみに、ギュスターヴ・フローヴェール晩年の未完の作品『ブヴァールとペキュシェ』の中で紋切型辞典が出てきます。フローヴェールは紋切型と戯れることで、紋切型≠芸術という先入観を笑い飛ばそうとした、とも言えるかもしれません。しかし、マクシム・デュ・カンと真面目に紋切型を追求していった。
それはまた、ここに描かれている三人の人物が、どこかで見たことのあるような類型化されたものであるということです。これまでの他の作品で使われてきたようなパターンを、“紋切型”であれば、描く方も見る人に分ってもらい易いし、メッセージを伝える道具として使いやすい。何よりも、画面そのものが安定して親しみ易いものとなります。
さらに、もう一つは、この作品が何か言いたげで、それが作品のメッセージとして見る人感じるのではないか、というひとつの単純化された作品であるということです。そのメッセージは、実は芸術家のあり方とか言葉にしやすい“紋切型”のようなもので、商品宣伝のポスターに近い考え方であるように思います。もちろん、シャヴァンヌ自身は真摯で真面目に芸術絵画を追求しようと、また、当時のデモクラシーの市民社会を真面目にリスペクトしていたと思います。そういう真面目を追求していくことが却って、“紋切型”を生み出すことになってしまっている。そのこと自体は、すぐれて現代的な問題提起的なことになっている(これも“紋切型”です)。これがシャヴァンヌという人の作品の大きな特徴ではないか、と私は思います。それが、この作品には出発点のように胚胎している。
Ⅱ.公共建築の壁画装飾へ~アミアン・ピカルディ美術館(1860年代)
「休息」(右図)という作品は、新設のアミアンのピカルディ美術館の壁画を後にキャンバスに縮小して描き直した作品です。ギリシャ神話の牧歌的な風景を想い起させるようなものとなっています。壁画を制作した美術館のあるアミアンはいわゆる地方都市で、有名なゴシックの大聖堂があるような歴史のある、言ってみれば保守的なうるさ方がいるような土地柄です。公共的な美術館ともなれば、監督するのは行政当局ですが、その担当の官僚もそうだし、地方議会には地方の名家、実業家、ブルジョワが名を連ねています。そういう人々を満足させるものでなければ、壁画の注文は獲得できないでしょう。そのための一つとして、牧歌的な風景は肥沃な土地柄で農業が盛んということを称揚することにつながります。また、古代を想起させる様式と図式をもちいることで歴史的伝統を強調し、さらには永続的な文化的価値を主張し、国家の継続と安定に関する安心感を主張していると受け取ることもできます。全体として古典様式は上品で教養高いという印象を与えるものでした。
当時の画家たちは作品を売ることで生計をたてていた一方で、芸術家としての自己主張をしていたわけですが、このようなシャヴァンヌの姿勢は芸術家というよりは請負の職人のようです。これは、キャンバスに描いた絵画作品のように、ある程度自由に作品を描いて、それを画廊に飾られて気に入られたものが買われていくというようにもの。つまりは、画家が「どうだ!」と出来上がったものをアピールして買ってもらう。壁画はそうものとは違い、注文を受けてから描くというものであるため、出来上がったものが注文主の意向に反するということが許されないものとなります。どちらかというと買主優位の関係となるため、ある程度迎合的な姿勢はやむを得ないということになるでしょう。すくなくとも、画家がリスクをより多く負うことになるわけです。シャヴァンヌの姿勢は、そういう状況からやむを得ない面もあったと思います。
しかし他方で、このような描き方そのままで、普通にキャンバスに絵画を描くと、当時の一般的に絵画作風とは異質な作品が生まれることになります。例えば「幻想」 (左図)という作品。高い崖を背景にした森の中で、腰掛けた裸のニンフがペガサスを捕えようと葡萄の蔓を投げ、その近くでは裸の子供がリースを作っている。青白い色調で全体のトーンが統一されているのが特徴的な作品です。この特徴的な色調以外の点では、「休息」で見た壁画の特徴が、そのままここでも言えると思います。平面的で書き割り(塗り絵)のような画面構成で、立体空間の奥行きがないことや、人物などの構成要素が類型的であることなどです。ここで描かれているニンフや子供は彫像のようで、形態もギリシャ彫刻にようです、生命体としての生き生きとした感じや、動きが感じられません。ペガサスのポーズも静止している彫像のようです。それゆえに、女性のニンフが裸であっても官能性がなく、絵画としての自己主張が希薄で、絵画という画面そのものよりも、そこに象徴されているだろう寓意とか物語に思いを馳せる効果をあげていると思います。 「瞑想」(右図)という作品では、中心に描かれている女性は肉体の厚みを感じさせるように描いていますが、やはり生身の肉体という感じはしません。「幻想」もそうですが、人物に表情というものがなく、何を思い考えているのか、意識がない人間の価値をした平面とか物体なのです。しかし、それは画家の技量のせいではなくて、あくまでも意図的です。そういう点では他の画家の写実的な絵画とは一線を画すものとなっていた。それは、たとえばスーラのような点描で写実とは違った絵画独自の空間を作ろうという志向の画家たちに通じる点もあった。結果的にそういうことになったのだと、私は思いますが。 これらの作品を見ていて、幻想的な絵画とか象徴主義とか解説されていましたが、むしろ私にはイラストとかポップアートに近いもののように思えました。何か、今回は絵画そのものよりも、理念的な議論が多くなってしまっているので、ここでは説明はしませんが。
Ⅲ.アルカディアの創造~リヨン美術館の壁画装飾へ(1870~80年代)
ヨーロッパ近代の市民消費社会を積極的に推し進めたのはナポレオン3世の治下のフランスでしたが、普仏戦争により唐突に終わりを迎え、それまでの爛熟した文化が、占領下や共和制での混乱で、パリ市街は荒廃します。丁度その時期のシャヴァンヌは、復興における新たな建築の壁画制作の注文を受け、忙しい日々をおくったと言います。
展示スペースには、この作品が実際に美術館の壁面に飾られているのを再現する模型のようなものが作られていましたが、実際にリヨン美術館に赴いて、壁面に描かれているこの作品を注目して眺めるということは、私の場合には、たぶんあり得ないのではないか、と思います。多分は、視線を注ぐこともなく、通り過ぎてしまうことになるだろう。通り過ぎる人の足を止めさせて、壁画に注意を集めさせるような強いものは、この作品には認めることができません。逆に、作品としての存在感を限りなく希薄化させて、作品の独立した存在というよりも、そこに作品があることで、空間に環境とか雰囲気をかたちづくるような配慮が意図されているのではないか、と思われる、好意的に見れば、そういう意図を解釈として受け入れることも出来るでしょう。そうであれば、音楽であれば、自己主張を抑え、かといってBGMでもなく、ひとつの音楽空間を作ろうとする環境音楽のようなことを、この作品が考えていたと解釈することも可能でしょう。そのために、作品は色彩によって区画された面と区画の境界である線に還元されていくことに突き詰められていくことになるわけです。そこでは、リアルであるとか、物語や理念を想起させるアトリビュートとか、背後のストーリーなどといった伝統的な絵画の基盤は無用になっていくはずです。その反面、色彩が見るに与える心理的効果とか、その色彩を組み合わせて構成させることによる複合的効果とか、一種のイメージ喚起といった、インテリアデザインとかビジュアルのマーケティングのような発想でしょうか。前のところで、ポップアートのようなテイストを感じるといったのは、そんなところです。 そうであれば、この作品は観る人ひとりひとりの内面をもった個人に訴えかけることを意図しているのではなく、行動主義的に分析されたマスとしての一般的な人々にとって受け入れやすいということを計算して製作されたものと言うことができます。ポップアートが工業製品を転用してアートとして扱ったのと反対に、芸術作品を工業製品のように製造しようとしたものと言えるかもしれません。だからこそ、私が個人として見れば、退屈を感じてしまうのは、そういうところかもしれません。 |