ボッティチェリとルネサンス
─フィレンツェの富と美─ |
2015年4月22日(水) BUNKAMURAザ・ミュージアム 急遽、この日の夕方、都心で個人的な用事で人と会う約束となったので、午後を半休にした。約束までの時間の合い間、一番手近なところということで、思い当たったのが、渋谷BUNKAMURA、駅から美術館までの道のりは、とても美術館に行く風情はなくて、好きではないが、寄って見ることにした。上野あたりの美術館とは違って教科書の泰西名画を新聞社や放送局のタイアップで本邦お目見えなどという性格ではなく、だいたいが、おシャレでスノッブな展覧会の傾向があるようで、上野あたりとは客層が異なって、順番待ちのような込み合うことがないのが普通だった。しかし、さすがにフィレンツェ・ルネサンスの著名画家、ボッティチェリの作品が多数やってくるというであれば、いつもと違った客筋(平均年齢が上がったのではないか)で館内はいつもより人が多い。 さて、展覧会タイトルから企画展として考えられているようなので、主催者のあいさつを引用します。“15世紀、花の都フィレンツェではメディチ家をはじめ銀行家の支援を受け、芸術家が数々の傑作を生み出していきました。三泥・ボッティチェリ(1445〜1510年)の美に代表されるフィレンツェのルネサンスは、フィレンツェ金融業の繁栄が生み出した文化遺産といえます。しかし15世紀末、金融業の衰退とともにメディチ家が凋落するとフィレンツェの政治は混乱し、ルネサンスの中心地はローマへ移ります。人気画家だったボッティチェリも、動乱のなかで忘れ去られました。本展では、ヨーロッパ全土の貿易とビジネスを支配しルネサンスの原動力となった金融業の繁栄と近代に通じるメセナ活動の誕生を、フィレンツェの趨勢と運命をともにしたボッティチェリ作品に加え、絵画、彫刻、工芸、資料によって浮彫りにします。”なんとも中途半端で生ぬるい内容でしょう。何を、どのように見せようとしているのか、全く書かれていないので、抽象的なお題目の範疇を一歩も出ていません。実際に展示を見た印象では、当時の金貨とか、それらしいものが陳列されていましたが、それがテーマと何の関係があるのか、お金だから経済に関係するとかいうことでしか思えませんでした。ボッティチェリで展覧会をやりたいけれど、そんなにたくさん集めることはできない、そこで空隙を埋めるためにということで考えた(でっち上げた)程度にしか思えませんでした。私の独断かもしれませんが、私は、ボッティチェリその他の絵画以外の展示は、全く惹かれるものがなく素通りでした。それなら、協賛のイタリア大使館のメッセージで“ボッティチェリの芸術家としての変遷は、金銭、権力、美、そして宗教的感情が入り乱れて変化していったその生涯を象徴するものです。”という一言のほうが、どれほど見ようという気をそそるものであることか。 ということで、15世紀フィレンツェのボッティチェリとその周辺の絵画を見てきた感想を書いていきたいと思います。とはいうものの、私にとってボッティチェリは苦手な画家です。そのことは、以前にウフィツィ美術館展のところでも書きました。そういえば、ウフィツィ美術館展もタイトルに嘘があるような、眉に唾をつけたくなるような展覧会でした。それは、ボッティチェリに独特と思える不自然にひんまがったような人体のわざとらしさなのです。リアルではないし、後世のマニエリスムのような作者の何らかの意図(無意識なものも含めて)も見えてこない、ルネサンス以前のようなパターンに縛られているわけでもない。つまり、何で、わざわざこんな風に描くのか意味がわからないのです。こんなことを言うと、芸術は分かるものではなく、虚心に感じるものだという説教が聞こえてきそうですが、感覚するということは、そこにそれが美しいとか心地よいとかがあると認識しているから感じることができるので、ボッティチェリの作品にはそれを認識することができない、もっというと観賞の対象となるような美術作品としてみることができない、ということです。 そんな私が、どうしてボッティチェリの展覧会などにわざわざ出向いたのか(ついでに寄ったのですが)、という疑問は当然上がるともいます。入場料だって無料ではないのですから。そのことは、措いておくことにしますが、今回の展示を見て、ボッティチェリ独自と私が思っていた、あの不自然さは当時の彼の周囲では、とりたてて特異なものではなくて、そうものだったということが想像できました。その中で、ボッティチェリは突き詰めて行った挙句が、あのようなものとなっていったのが、ボッティチーニとかフィレンティーノといった画家たちの作品をみていて分かりました。そしてまた、そのような画家と比べて、ボッティチェリが有無を言わせず際立っていたのが、聖母マリアや幼児のキリストの肌の色遣いでした。仮に、ボッティチェリと当時の画家たちに、同じテキストの塗り絵で競わせたら、肌色に関してはボッティチェリが突出するのではないか。そこで、私にとって、ボッティチェリの作品を感じるための足掛かりが掴めたような気がしました。とはいっても、好きな作品にはとうていなれないと思います。 それでは、これからの章立てに沿って具体的に作品を見ていきたいと思います。ただし、序章はと第4章はつまらないので通過します。
『ケルビムを伴う聖母子』(左図)という作品です。ボッティチェリの作品であることが19世紀になって判明したということで、なんとなく分かるような気がします。この後で見るボッティチェリの作品に比べて、彼の特徴的な不自然さが目立たないと言えます。たとえば、関節がありえないほど無理した姿勢とか、半開きの空ろな目をした痴呆のような顔(男性向け雑誌のグラビア写真で水着を着た女性が見せている、媚態とも無防備とも痴呆ともとれる顔つきによく似ている)とかいった要素が、あまり見られないし、色遣いも落ち着いたものだったので、変に引っかからずに作品に正対できるものでした。このような作品であれば、中世のイコンの形式に縛られながらも、ルネサンス絵画のような人間的なリアルが少しずつ浸透しつつあったルネサンス前夜の祭壇画として、あまり違和感なく見ることができます。例えば、この後のコーナーで展示されている偽ピエル・フランチェスコ・フィオレンティーノの『聖母子と洗礼者聖ヨハネ』(右上図)と並べてみても、『ケルビムを伴う聖母子』が変わっているとは見えないでしょう。 さて、この『ケルビムを伴う聖母子』の聖母は、後のコーナーの展示作品『聖母子と二人の天使、洗礼者聖ヨハネ』(右下図)の聖母と同じ人物がモデルになっているように見えるほどよく似ているのですが、ボッティチェリの描く女性の中では珍しい丸顔で、多少童顔のようでもあります。それが下方の幼いキリストに向いているように目を伏せているのが、表情をうまく隠しています。それは、ボッティチェリの描く女性の顔は表情が痴呆のようだったり、人形のようにこわばってしてしまうのですが、ここでは結果的にそのような弊害を免れています。そして、それゆえに、この作品では、聖母の頬に心持ち帯びている朱の控えめな色合いと、肌の柔らかく、瑞々しい色が感覚に訴えてきます。抱かれたキリストの顔は見たくありませんが(正直言って、不気味です。性格悪そう。)、その肌の色が嬰児という言葉のイメージにぴったりの柔らかく無垢な印象で、聖母も同じ色調であることから、聖母の無垢で純粋さが肌の色調からイメージされるほどに、この肌色は印象的です。現在のところ、私がボッティチェリの作品を見ることがあるとしたら、この肌色を見るだろうし、これ以外に見るべきものがみつからないです。私には、ボッティチェリがフィレンチェの他の画家に比べて抜きん出ていたとはっきり言えるのは、この肌色です。 この肌色は、後年のボッティチェリの作品では、徐々に鮮やかさを増していきますが、それに反比例するように柔らかい感触や瑞々しさが失われていきます。このことに、気づくとボッティチェリという画家は、キリスト教とか新プラトン主義とかサヴォナローラの敬虔主義とかの様々な理念の盛衰と関係づけて知的な面から解説されることの多い画家ですが、実は、考える人というよりは、直截的な感覚の人だったのではないかと思ったりします。だから、自身の工房での職人たちに対するマネジメントは上手ではなくて、ここで展示されている工房の作品の品質にムラがあるのは、そういうことが原因しているのではないか、と思えてきます。
第2章 旅と交易 拡大する世界
このタイトルについても、海外交易によってフィレンツェ商人の商売が拡大していったことは説明されています。それで、フィレンツェが豊かになったのは分かりますが、そこで展示されている作品との関連性が分かりませんでした。企画の方向性としては興味を持たせるのでしょうけれど、掘り下げがなくて、この章のタイトルにしても、説明にしても、絵画作品以外の展示にしても、刺身のつまほどの意味もないもので、単なるスペースの余白埋め、そんなものなら、最初から展示しないで、余白をゆったりしてくれた方がありがたいし、その余計な展示の費用がなければ、もっと入場料を下げられたのに、と恨めしく思うものでした。 とにかく、私はボッティチェリの作品をフィレンツェの同時代の画家たちと並べて見ることのほうが、ここでは実質的な興味を持てると思います。ゴシック建築のマエストロというのは通称で、名前不詳の画家の作品ということでしょう『港の聖母子と洗礼者聖ヨハネ』 (左上図)という作品です。制作された年代は、前回に見たボッティチェリの『ケルビムを伴う聖母子』(左上図)とほぼ同じ頃で、同じテンペラということもあって、作者はボッティチェリに近いところにいたのか、キリストの顔はよく似ています。横顔で俯きがちに視線を落とすマリアの顔は、この後で見るボッティチェリの描くものによく似ています。マリアの被っている薄いヴェールも、よく見れば、『ケルビムを伴う聖母子』でマリアが被っているに似ています。敢えて、違いを探すとすれば、マリアやキリストの肌の瑞々しさとか柔らかさの色合いの違いです。このように似た作品と比べると、ボッティチェリの個性が見つけられます。そして、今まで、ボッティチェリの際立った特徴と思っていた、中世の名残のような人形のような人の身体の描き方とか、リアルな人体だったら絶対にとれないような無理なポーズとか、敢えて人体バランスを崩すような画面に無理に合わせた形態とかいったことは、実は、同時代の画家には、それほど特異なことではなかったことが分かります。フィレンツェ・ルネサンスという、ダ=ヴィンチとかフラ=アンジェリコといった画家たちが美術の教科書や案内書に出てきますが、そういった人たちと比べるとボッティチェリの作品というのは、さきにあげたような不自然さが目だって、私の場合には、彼らに比べて古臭いへたくそに見えていました。今でも、その認識は変わっているわけではありませんが、この『港の聖母子と洗礼者聖ヨハネ』を見ていると、ボッティチェリの不自然な画風というのはボッティチェリの特異さが突出したものではなくて、同時代の或る傾向の作品が描かれるなかで、ボッティチェリが代表としてでてきて、後世は彼の周辺の凡庸な画家たちが歴史の陰に消えていったのに対して、ボッティチェリだけが残ったので、ボッティチェリだけが突出しているように後世には映ってしまったということになったのが分かりました。そう考えれば、むしろ、ダ=ヴィンチとかフラ=アンジェリコといった人々の方が、当時としては突出していたのではないかと思えるようになりました。 ボッティチェリの『受胎告知』(右上図)という板に油彩で描かれた直径80cmの、それほど大きくない作品です。画家晩年の亡くなる5年ほど前の作品ですが、妊娠を告げる大天使ミカエルと聖母マリアのポーズはダ=ヴィンチの有名な『受胎告知』(右図)とそっくりです。背景の舞台は違いますが、それにしても二人の作品はまったく印象が異なります。『受胎告知』はダ=ヴィンチの作品の中でも、比較的演劇の舞台装置のような不自然な作為が目立つ作品ですが、ボッティチェリのほうは、それ以上に舞台の書き割りのような印象です。ボッティチェリの作品は、先ほどの説明にもあったように晩年の作品で、壮年時の装飾的な要素が取り除かれた簡素な描き方になっているので、なおさら画面のつくりがダ=ヴィンチと異なっていることが分かります。つまり、ボッティチェリの中でもダ=ヴィンチ的な作品と、ダ=ヴィンチの中でもボッティチェリ的な作品になっているのを、比べると、これだけ異なっているということなのです。両者の大きな違いは、ダ=ヴィンチが二次元の平面の画面に立体的な空間を表わそうとしている、つまり、平面的な画面という限界を意識している、つまり現状に対する懐疑があって、それを突破しようとする志向性があるのに対して、ボッティチェリは平面的な画面のなかで風景や人物を書き割りとして効率的にレイアウトすることに心を傾けている、つまり、平面的な画面を当然のこととして、それを前提にものを見たり、描くことをしようとしている。そういう点です。だから、ダ=ヴィンチの作品では、ひとつの空間があって、そこに天使と聖母がたしかに存在しているということが分かります。これに対して、ボッティチェリの作品では、背景は書き割りで、デザインのようなもので、画面に天使と聖母が単に描かれている、そういう図案があるというように見えます。それは、二人の色彩というものの使い方の違いにもよく表われています。ダ=ヴィンチの場合は、空間という世界やその中に存在する事物や天使や聖母の存在を表わすためのもので、それぞれの事物の存在感を見る者に感得させる実在感、リアルさを表わすものです。これに対して、ボッティチェリの方では、悪く言えば塗り絵のような図案のような画面に明るくて鮮やかな色彩が見る者に映えるように考慮して塗られている。ダ=ヴィンチでは色彩が画面の存在感を補助する道具であるのに対して、ボッティチェリの方では色彩は主役のようにフロントにでて自由に振舞っています。多少大げさかもしれませんが、この違いには世界観の違いが現れているように思えます。物事の存在の本質をイデアという言葉で表わすギリシャ以来の伝統では、例えばプラトンがイデアを説明する時に、椅子というのは様々な椅子があるが、職人が椅子を作ろうとするときには、椅子とはこのようなものがという本質的なイメージがあって、それを時と場合に応じてアレンジして個々の椅子を作るというように説明します。つまり、椅子のイデアというのは職人の頭の中にある椅子の設計図なのです。椅子とはこのようなかたち、形態をしているというのがイデアなのです。これはプラトンのあとを継いだアリストテレスがものの本質を形相にあるといったことにも共通します。アリストテレスによれば、ものの本質は形相にあり、そりに付随するものの性質のなかに重量とか色彩が含まれています。ここでのダ=ヴィンチの作品は、そのような伝統に則って、空間のつくり(構造)の外形をとらえ、それを表わそうとしたものと言えます。天使や聖母を空間の中に配置させ、空間の中の存在という形相、形態を忠実に描こうとしているわけで、色彩はそれに付随する性質として道具のように使われています。ダ=ヴィンチは、そのような意味で形態を突き詰めていった画家ということができます。これに対して、ボッティチェリは形態が第一にはなっていなくて、色彩が前面に出てきています。つまり、形相をものの本質とみる伝統的な本質論とは異なる考えにあるということが言えると思います。だからこそ、形態にこだわって、リアルな形態に拘束されることなく、私などから見れば不自然でリアルでない人体ポーズなども平気でとることができた。これは、或る意味では、日本の浮世絵にも通じるものです。実際、形態よりも色彩を重んじるような画家は、ボッティチェリ以降には、ほとんど表われない空白ともいえる長い期間を経て、浮世絵の影響を受けて近代画家のなかに、リアルな形態にとらわれず、色彩で描く人たち、例えばフォービズムとか。ボッティチェリは、そのような傾向に長いときを隔てて繋がっていると考えられるかもしれません。ダ=ヴィンチの作品に比べれば、ボッティチェリは軽妙で明るく、鮮やかです。しかし、重量感とかリアルさに欠け、どこか深みの足りない印象を受けます。それは、私が形態を本質とみるような伝統に縛られているからかもしれません。実際に、二人の作品の聖母を見ていると同じ色合いで同じようなデザインの衣装を着ているにもかかわらず、印象は全く異なります。ボッティチェリの色彩は衣装の色という枠を超えて、明るい色の鮮やかさが目に入ります。このような目で、この後の展示を見ていくと、私にもボッティチェリの作品を見えるものとして現れてくるようになります。 フランチェスコ・ボッティチーニの『大天使ラファエルとトビアス』(左図)という作品です。先ほどのボッティチェリの『受胎告知』の背景の左端に二人の人物が描かれていますが、それと同じ題材です。この作品も、ボッティチェリの作品とよく似たつくりをしています。とくにこの作品を見ていて分かるのは、二人の人物の立体感を影で表わしていますが、それは、見方を変えれば、色彩の変化として表現しているようにも見えてくるということです。それは、画面全体に空間があるようには描かれていないと言うことです。それを、ダ=ヴィンチのような巨匠で出現までの過渡的なものとみるか、ダ=ヴィンチという革命家の出現によって、多くいたこのような人々が消えていったと見るかは、後世の見方によるものではないかと思います。美術史(歴史)というものは、多かれ少なかれ、そういうものが慥かにあるものです。
第3章 富めるフィレンツェ
この展覧会の企画の進め方、展示の方法論は、よく分かりません。フィレンツェが経済発展によって豊かになっていくのと、美術作品との関連性を明らかにするという意図ではないかと思うのですが、前章の展示は対外への市場開拓がすすむという方向性ですが、それが具体的に美術作品の傾向にどのように反映しているかということは、全く分かりませんでした。また、この章では、前章の市場開拓があった結果としてフィレンツェが富み栄えたということであれば、時系列が、前章の後になるはずで、展示される美術作品もそのような時系列に従うはずですが、そうでもありません。なにか、恣意的に展示がされているようです。いい加減、と私には思えます。こんなことをするならば、むしろ、各絵画作品を制作年代順に並べてくれたほうが、混乱しなくていいと思います。 さて、ここでの展示で見たいのは、フラ・アンジェリコの作品です。美術史の教科書の記述や、この展覧会の説明でもボッティチェリはアンジェリコの後任としてメディチ家の後援を受けるようになったということがあったことから、前時代の人というイメージを持っていました。しかし、実際の作品を見ると、アンジェリコの作品の方が、ボッティチェリの作品に比べ、親しみやすい、言うなれば近代的な感性が見えてくるように思えました。ほんとに小さな作品がわずか2点しかありませんが。 『聖母マリアの埋葬』(右上図)という細長い作品。小さな作品ですが精緻に描き込まれています。シンプルな構成で、中心に横たわる聖母マリアの左右に会葬者が横並びになって、それぞれの表情がみえるというものです。そのために横長の板に描かれているのでしょうか。しかし、その単純な画面でも、視点がはっきりしていて、それは神のような超越的なものではなく、分散した複眼的なものでもなく、人がそこに立って見ているような、一点からの視界として描かれています。具体的に言えば、真ん中のマリアを中心に、そこに消失点を設定した遠近法という構成です。つまり、この画面は平面ではなくて、空間が設定されているということです。そういう空間にいるからこそ、居並んだ人々の様々な表情がリアルに見えてきて、そのどれかに感情移入することも可能になってくるのです。中心から向かって右側の、手を合わさずに横を向いている男性や、その右隣の手を合わせてはいるものの、あらぬ方向を見上げている男性といった描き分けは、微笑ましさを誘います。ベタベタ貼り付けられた金箔は視線を遮るようで邪魔ですが、それをないものとして画面を見ていくと、聖母の葬式の厳かさだけでなく、葬儀に参列する人々が生き生きと描かれているのが分かります。 『聖母マリアの結婚』(左図)という作品は、上記の『聖母マリアの埋葬』と対のように展示されていました。作品のサイズも同じで、画面構成も同じようなものです。こちらは、背後に建物があって、定規で線引きした図面のようなところはありますが、しっかり建物としての重量感があり、空間に存在しています。その意味では、前章でボッティチェリとダ=ヴィンチを比較しましたが、アンジェリコはダ=ヴィンチの側にいる画家であることが、はっきりと分かります。その中で、明るい色遣いが生きてくる。ボッティチェリのように色彩が浮いていないで、画面の中に納まっています。列席している人々は、埋葬の時とは違って、おめでたい席でもあることから、表情のバリエーションが豊かです。そこに、ボッティチェリにないヒューマニスティックとでも言ってもいいような、存在感のある人々が描き分けられています。 アンジェリコの作品というと、教科書などで『受胎告知』を目にしたことがありましたが、それ以外の作品は、初めてみたような気がします。
第5章 銀行家と芸術家
この前の第4章のフィレンツェにおける愛と結婚は、とくに見る価値もない骨董のようなものが場所埋めのように並べてあったとして思えないので、割愛します。展示に付されていた説明を読んでも、展示の意図も説明の内容も要領を得ないもので、要するに、“分かっていない”ということがよく分かったというものでした。そして、この章の銀行家と芸術家というタイトルは、要は注文主がメディチ家等で、彼らが銀行業で儲けていたということで、その注文と銀行業の関係とか、例えば、フィレンツェ以外の都市では銀行業以外のパトロンが多いてところと傾向の違いがどうだとか、ないと分からないと思いますが、そういうことは一切触れられていませんでした。 で、今回の展覧会のメインの部分の展示を見ていきたいと思います。聖母子を題材とした作品のオンパレードです。それらの作品をメインであるボッティチェリと比較しながら見ていくというのが、この展覧会の最大の醍醐味だったのではないかと思います。 偽ピエル・フランチェスコ・フィエレンティーノと、名前の前に偽という字が追加された可哀想な画家の『聖母子と洗礼者聖ヨハネ』(左図)という作品です。同じ画家の同名の縦長の衝立のような作品(右上図)が同時に展示されていますが、まるで、コピーのようにそっくりです。説明によれば、フッリッポ・リッピの作品をお手本にして、銀行家とか飛ぶ鳥を落とすような勢いで勃興してきた人々のために量産した作品の一つであると考えられます。そのせいと考えるのは、こじつけでしょうか。輪郭線をはっきりと引いて、人物のポーズはパターン化が進んでいるように見えます。この画家の名前に偽の文字がついているのは本名が知られていない無名の、どちらかという工房の職人に近い人だったようです。多分、注文というのも、フィリッポ・リッピの作品が有名なので、“ああいうのを頼む”とか“あれがいい”とかいうもので、それだけでなくても、聖母子像の注文に対しても、有名な作品に倣ったものであれば顧客はたいがい満足してくれたのではないかと思います。ただし、製品の品質にはうるさかったでしょうから、絵画の素人でも品質が高いということが一目で分かるような細かな装飾を精緻に描き込んで、鮮やかな色を丁寧に塗って、金色でピカピカに光るような装飾を細かく入れていった。そのような描き方で、量産していくためには、デザインなどにこだわっていると効率が悪いので、ひたすら描画作業に集中できるようにパターン化され、描画を効率よくするために、輪郭線ははっきりさせる。そうしていくうちに、顔の造作なども固いくらいにくっきりとした輪郭がつくられていったのではないかと思います。というのも、この作品の聖母の顔を見ていると、とくに直線的な鼻筋とか眉毛の線をみていると仏像の顔に似ていると思えてくるのです。中世のイコンの影響も残っているのかもしれませんが、聖母の顔は、人間らしい柔らかな顔というよりは、ふくよかではありますが、仏像(右中図)の超越的な固めの顔に似ている。その固さがあるがゆえに、金ぴかの装飾が描き足されていますが、全体として禁欲的な、祈りの対象となる凛々しさは感じられるようになっていると思います。そのいみでも、銀行家の室内に飾られ、装飾でもあるのでしょうか、祈りの対象としての機能も果たすことのできるものとなっていたのではないかと思います。そのためにも聖母をはじめキリストもヨハネもリアルな人間というよりは、パターン化されることにより、個別の誰と特定できない人一般の抽象されたものとして、理想化されたような結果となり、そこに見る人は神々しさを見ることができたと思います。 次のラフンチェスコ・ボッティチーニの『幼子イエスを礼拝する聖母』(左図)を見てみましょう。上の作品とシチュエーションはほとんど同じで、聖母の着ている衣装も、ほとんど同じです。しかし、印象は全く異なります。例えば、聖母の顔が、上の作品と違って丸みを帯びた柔らかな線になっています。彼女の顔に仏像の貌を想わせる風情はありません。彼女の身体についてもかすかな胸のふくらみも感じさせ、人間の女性の身体として描かれていることがわかります。そして、彼女の顔にもどると、そこにはパターン化された顔ではなく、明らかに人の個性が描き込まれ、生身の女性であることが想像できるようになっています。しかし、幼子キリストの描き方は、両者をくらべても大きな違いは見られません。それゆえ、この作品では聖母の描き方には人間的な存在感が表われてるものの、作品全体としては貫徹されてはいません。その、聖母の印象だけで、作品全体の印象は大きく変わってしまいましたが。その大きな違いは、聖母が超越的な祈る対象としてのものから、生身の人間でもあると見えることで、親しみを持つことができることです。このことにより、彼女に見る者は感情移入することが可能となります。超越的な神には、人は畏れ、敬いますが、共感することはありません。上の作品の聖母は、まさにそのようなものではないでしょうか。しかし、こちらのマリアは聖母であると同時に、一人の母親と見えます。彼女の口元には、表情が、微笑んでいるように見えるのは、まさに子を慈しむ母親の表情を想像できるのです。このようなマリア像が、ダ=ヴィンチやラファエロたちのような画家によって人間的なものとして描かれていく、その流れの初めの位置に、この作品があるのではないかと、私にはみえます。それは、単に聖母像というだけでなく、近代的なリアルな人物画としてでも、このマリアを見ることができると思います。そう見ると、たいへん美しい女性像です。気品ある、穏やかな女性の姿は、ダ=ヴィンチの『モナ=リザ』にも連なっていくものではないかとも思えてくるのです。 両作品は、だいたい同じ年代に描かれたもので、同時代にまったく異なる方向性の作品が描かれていたことになるわけです。そして、この展覧会のメインである、ボッティチェリも同時代に活動し、同じ年代に彼が描いた聖母子像が、ここで展示されています。それを見て行きましょう。『聖母子と二人の天使』(左図)という作品です。この作品は、上の二作品と同じように人気画家の著名な作品を手本にして描かれたものです。上の二作品と比べて、特段の違いが見られるでしょうか。片やルネサンスの代表的画家として美術史を飾るビックネームであるのに対して、もう一方は無名に近い職人のような人たちです。この『聖母子と二人の天使』がボッティチェリの作品の中でも凡作ということなら、それでもいいのですが、この美術展で展示されているボッティチェリの作品と比べてみても、それほど劣った作品にも見えない。ということは、私の目が節穴なのだということなのでしょうけれど、ボッティチェリという画家の何が突出しているのか、同時代の画家たちと比べてもはっきりしません。むしろ、同時代の画家のグループの中に埋もれてしまう同質性の高いということ方が、よく分かります。今回の展覧会の収穫は、実は、ボッティチェリの同時代の画家の作品たちと比べてみて、彼の作品が突出して下手でないということが分かったことなのです。 ちょっと脱線しますが、この展覧会で展示されていた『ヴィーナス』 (右図)を見てみましょう。ボッティチェリの最も有名な作品『ヴィーナスの誕生』の中から愛の女神ヴィーナスの姿のみを取り出したものということです。このように背景も何もないところで、人体表現としてだけで描かれたヴィーナスの姿を見ると、ヘンなところを目のあたりにすることができます。“ポーズこそ「恥じらいのヴィーナス」と呼ばれる古代美術の定型に基づいているものの、解剖学的に厳密な身体表現を損なってまで優先させた輪郭線の美しさが黒い背地のおかげで際立つことになり、古代美術をよすがとするポーズは「恥じらい」という本来の意味を示すのではなく、女神の理想的な姿形を強調するものに変容している。”という説明は苦しい弁解に聞こえてしまいます。例えば顔と身体の取って繋げたようなちぐはぐさは、かつてフォトショップを使うことではやったアイドルの顔写真をヌード写真につなげるアイコラと呼ばれる細工を想わせます。顔の大きさは身体に比べて異常なほど小さいし、傾いた角度は、ありえないほど不自然です。私には、こんな角度に顔がかしげていると女神ではなく、ゾンビに見えてしまいます。また、足首に目を向ければ、あらぬ方向にひん曲がり、捻っているように見えます。これもゾンビです。こんなことをして、はたして優美に見えるのでしょうか。私には、このような不自然に身体の描き方は、意図的というよりは、ボッティチェリという人は基本的なデッサン力に欠陥があるためではないか、としか思えません。だから、このヴィーナスを見ていても、理想の女神の姿などというものは微塵も感じられず、失笑を禁じえないのです。 話しを『聖母子と二人の天使』に戻しましょう。『ヴィーナス』とは違って、手本を基にパターン化されている聖母子像であれば、ボッティチェリの造形的な欠陥を露にすることなく、他の画家と並んで遜色なく見ることのできるレベルになっていると言えるのです。私の場合は、このようなボッティチェリの作品を見て、ようやく、彼を画家として見る対象に入ってきた認識することができました。ネルサンスの大画家に対して、勝手なことを言い放題です。美術を知らない人間の主観的な戯言と思って下さい。さて、それではボッティチェリは、下手ではないにしても、無名の職人のような、いわば美術史上の凡庸な画家たちと同レベルなのかということになります。このような人たちとボッティチェリとを分かつものは何なのかということです。私としては、ボッティチェリは凡庸でもかまわないと思いますが、敢えて、上の二つの作品と違っているところを探すと、色彩の扱いではないかと思います。第1章の『ケルビムを伴う聖母子』のところでも述べたように肌色です。この作品が制作されたのは1470年ころと説明されていますから、もう500年以上前のことで、その長い間に汚れ、色褪せているはずですが、現物を見ていると、他の画家との色の違いは分かります。(ただし、画像では区別がつきません)もし、これが描かれて間もない、絵の具の鮮やかな色合いが残っているのであれば、その違いは際立っていたのではないかと思います。また、上の二つの作品がテンペラ画であるのに対して、ボッティチェリの作品は油彩の手も加えられています。ちょうどこの時期は、画家の使う絵の具についても技術革新があって、新たに油彩画という手法が台頭してきて、テンペラの鮮やかさに対して、立体的な陰影や触感のようなものを微妙なグラデーションで表現できる油絵の具が取って替わろうとする時期にあって、ボッティチェリは油絵の具の特性を生かして、人間を表現する基本色である肌色を陰影豊かに使う手法をいちはやく確立し、縦横に大胆に使っていたのではないかと思います。聖母の顔を二つの作品と比べてもらうと分かると思いますが、肌色の違いだけ出なくて、顔の凸凹に対する陰影のつけ方や、その陰影のグラデーションが明らかに違います。ボッティチェリの方が、顔の複雑な凹凸や滑らかで柔らかな筋肉による凹凸が精緻に表わされていて、顔が立体的な肉体として表われてきています。偽ピエル・フランチェスコ・フィエレンティーノの聖母は、たしかに陰影があり、立体にはなっていますが、単に立体というだけで全体に硬くて、彫像のようです。また、フランチェスコ・ボッティチーニの聖母は柔らか味はありますが、彫が浅く平面的です。ボッティチェリの場合には、画面の構成とか造形は手本をなぞっていますが、色の遣い方で立体的な肉体を表現していると言えるのです。多分、ボッティチェリの最大の魅力は、ここにあるのではないかと私は思います。そして、ボッティチェリという画家のものの見方も、造形とか形態といったものよりも、色彩そのベースとなる光の当たり方で見ていたのではないかと思われるのです。それは、遠く時代を隔てた19世紀の印象派の見方に繋がっていくように思えます。もとより、印象派は、私には鬼門というほど苦手な画家たちです。 『開廊の聖母』(左図)という油彩の作品を見ると、そういう色遣いと陰影をはっきり見て取ることができます。聖母の顔は、これまで見てきた聖母像と明らかに違います。陰影の精細さと、その精細さゆえのグラデーションの滑らかさは、これまで見てきた作品に比べて、ワンランクのレベルの差があるように見えます。それほど、この画面での聖母の顔は立体的で柔らかな肌の顔に見えます。この作品のマリアの顔は、展示されている作品の中でも突出しているように、私には見えます。ダ=ヴィンチやラファエロといった大家たちも、この顔に倣うところが大きかったのではないか。それほど、この顔の部分に限ってはリアルさを見る者に印象させます。しかし、ダ=ヴィンチのように顔を骨格から分析して、立体的な形態を絵画の平面に投射して、人が二つの眼球というレンズを網膜に映して立体を認識するのに倣うように、顔を描き、立体に光を当てると影が生じることを、顔の形状から計算するように、いわば、顔の形状の描写とタイアップするように陰影をつけていっていると思われる。だから、ダ=ヴィンチにより描かれた顔には、その皮膚の下に骨や筋肉が透けるようなところがあるのに対して、この作品で描かれた顔は、徹頭徹尾表面的であるように見えます。前にも書きましたように、ボッティチェリの見るのは形状より色彩ではないか、というのが私の、いわば仮説です。つまり、の作品で描かれている顔は、光と影が、目の前で映っている対比的な映像なのです。たとえ、それが顔の立体性を想わせるにしても、それは目的ではなくて、結果ということです。ボッティチェリの場合の影は、顔の立体性を間接的に表わすものというよりは、それ自体の陰影の対比とかグラデーションが描く対象になっていたと思えるのです。ボッティチェリの場合には、見えているものは立体で、実は立体の向こう側があって、それはこちらからは見えないので描くことはできない、ということはどうでもよくて、とにかく、見えているものを、しかもその表面の色彩というより色彩を映す光を写すことが見て描くということだったのではないか、と思えます。というのも、この作品で、聖母の顔だけが突出しているのです。それは、画面全体のバランスを欠くことになっています。そして、画面全体としてみれば、影の陰影は画面構成の設計には反映しておらず、画面は全体として平面的です。人物の背景では、陰影の精度は聖母に比べて、かなり大雑把です。また、聖母の描き方を見ても、顔は精緻に描かれていますが、その顔が聖母の身体全体の中で、描き方が突出してしまって浮いているようです。 大作『受胎告知』(左下図)を見てみましょう。2.5×5.5mの大壁画で、フレスコ技法で描かれているということです。こんな大きなものを、しかも壁画を、はるか日本まで運んでくるのは大変だったろうな、と変なところで感心しましたが、間違いなく、この展覧会の目玉ということになるでしょう。ただ、そういう労力を考えず、純粋に、私の目に映った作品としてみるならば、どうでしょう。大作の壁画でフレスコ技法で描かれたせいもあるのでしょうが、『開廊の聖母』の聖母の顔にあった精細さは微塵も感じられません。壁画ということで、汚れが付着したり、絵の具が色褪せたり、剥落したりしたのでしょう。きっと制作された当時は、もっと色鮮やかで、光り輝くようであったと思います。そこに、ボッティチェリの表象的な傾向が、適合していたと思います。いわば、銭湯の壁にペンキで描かれた富士山と同じようなものです。表面的で、見る者には、すぐにそれと分かる。しかも色鮮やかで、いかにも見栄えがする。たとえば、天使とマリアはアニメのキャラクターのように単純な図案化され、色の鮮やかさがひきたつように塗り絵のようにべた塗りのようになっています。例えば、同じボッティチェリの前に見た円形の小品では天使ミカエルと聖母の間で、天使は聖母を見つめるのに対して聖母は俯いて視線を受けていない、という視線のドラマがありました。しかし、この大作では、両者の視線を追うことはできず、そもそも視線が設定されていないようなかんじで、それぞれが、それぞれのポーズをカッコよくキメているようにしか見えません。壁画として、不特定多数の人たちが、眺めるというのであれば、そっち方が見やすいし、この壁画作品全体は、そのようなほうが見ていて疲れません。壁画で見る者にある程度の注意の集中を求めるのは、目的に適うものではないでしょう。 これは私の無責任な仮説、あるいは妄想です。ボッティチェリという人は、上で述べたように、表象的なものごとの捉え方をし、しかも、というか、それゆえに例えば、物体の形状を、見えない部分も含めて総合的に把握した上で描こうという画家ではなくて、眼に映っている表面の、その映している光の作用を描こうとした、それは実際には、光が眼に映る色彩の分布ということになるでしょう。だから、彼が描いた画面というのは、二次元の上に、色が塗られた部分が配置され、それを見たものが形状を結果として認識するというものだったと思います。そして、その画風でも光の移ろいや陰影を精緻に追いかけて、結果として表象を精細に再現させる方向を追求していくこともできたはずです。その部分的な達成が、『開廊の聖母』の聖母の顔です。これを極限まで突き進めれば、ダ=ヴィンチのような解剖学的な分析のような形状を極限まで追求した描写とは、別の方向の極限の表現が可能だったかもしれません。ダ=ヴィンチの描写はどちらかというと求心的な方向であったのに対して、ボッティチェリの可能性は遠心的たりえたと思うのです。しかし、ボッティチェリに対して、周囲の求めたのは、彼の表象的で、色彩の塗りに長けた特徴を、表面の広がり重視、つまりは深さを求めない、パッと見でわかりやすい、そして装飾を加えやすい、一方で、色彩に長けているのを鮮やかで見栄えのする効果を求める、そういう方向に求めたのではないか。ボッティチェリ自身も、注文があれば、そうするし、そのほうが儲かるでしょうから。さらに言えば、ボッティチェリの注文主たちも、そういう表面的な作風であったからこそ、古代ギリシャのエキゾチックな題材を、自分たちの受け入れられる尺度を計るのに都合がよかったのかもしれません。仮に、『ヴィーナスの誕生』をダ=ヴィンチやミケランジェロが描いたとしたら、もっとリアルで深刻なものになって、物議を起こす危険性は高かったかもしれません。その意味で、この大作『受胎告知』はボッティチェリの限界を予想させるものかもしれないと思います。
第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容
フィレンツェはサヴォナローラの登場によって、いわゆるルネサンスに対して異議が唱えられ、ボッティチェリのパトロンであったメディチ家が退場する事態となります。そこで、ボッティチェリの晩年の苦境が始まる。そういう説明があっての展示です。 『ロレンツォ・デ・ロレンツィの肖像』(左図)を見てみましょう。前回に見た『受胎告知』の方向性を進めていった作品にように、私には見えます。例えば、顔を描く際の線の存在感が強くなってきていること、悪く言えば、塗り絵の感じを強める傾向になっていること。顔の陰影のつけ方が線に付随するようになっていること。それだけパターン化されている。ということは、見る人には単純化して、わかりやすくなっているということです。絵の具の塗り方も、精細さよりも、単純化による分かりやすさを前面に出してきているようで、肌の柔らかな触感を想像させることはなくなっています。聖母像では印象的だった肌色の色合いが、ここでは喪われてしまったのでしょうか。近くに展示されていたロレンツォ・ディ・クレディの『ジャスミンの貴婦人』(右図)と比べて見たいと思います。『ジャスミンの貴婦人』も奥行きを感じさせることの少ない、どちらかというと平面的な作品です。背景の窓外にひろがる風景は遠近法を意識した奥行きが意識されてはいないし、隔てている空気感もありません。中心の人物と背後の壁との間の間隔も感じられません。その中で、女性の顔と首から肩にかけての陰影と、肌色の色合いのグラデーションは点描をみているような、あるかないか分からないほど精細に描きこまれています。それゆえか、この肖像画はパターン化された図案のようでありながら、不思議な息吹を感じさせ、個性のある人間を想像させるものになっています。女性のポーズとか描いている角度などが、ダ=ヴィンチの『モナ=リザ』に似ていますが、似て非なる独特の輝きを放っている作品であると思います。私は、ボッティチェリの『開廊の聖母』でやっていたことの普及版のように、この肖像を見ていました。ボッティチェリには、こういう肖像を描く方向性もあったのではないか。彼なら、この作品以上に繊細なものを描けたかもしれなかった。私には、そう思えます。しかし、彼は、その方向に行かなかった。その結果として、ボッティチェリの描いたのは『ロレンツォ・デ・ロレンツィの肖像』ではないか。展示の説明では、メディチ家というパトロンを失い、サヴォナローラの宗教的な狂信の影響によってボッティチェリの芸術は混迷していくということでした。しかし、私には、『受胎告知』の装飾やきらびやかな色彩を追求していくような方向で、その派手な部分を取り去ってしまった残りが、これ以後のボッティチェリの作品傾向となってしまったのではないかと思えるのです。それは、この展覧会のポスターでも使用された『聖母子と洗礼者聖ヨハネ』(右下図)にも、そのような兆候は見えると思います。この作品での聖母の衣装の青と赤は、これまで見てきたボッティチェリの聖母像に比べて、派手できらびやかです。それだけアピールするところが大きいと思いますが、反面、その色に頼っているところがあります。それ以前のボッティチェリの聖母像にあった絵の具の塗りの精細さは、むしろ減退しているように見えるのです。多分、精細に塗りをやってしまうと、きらびやかな色彩の効果を生かせなくなることになるからでしょう。そのため、塗りがパターン化として、衣装の布地の触覚がなくなってしまって見えます。それ以上に、聖母の顔の肌の柔らかさとか細かな陰影が感じられなくなっています。そのため、全体としてノッペリとしてきています。私には、ボッティチェリは、この方向に進んで行った挙句、袋小路にはまっていった。そのプロセスにおいて『ロレンツォ・デ・ロレンツィの肖像』のような作品が生み出されたと思うのです。 『聖母子と6人の天使』(左図)を見てみると、正確には、ボッティチェリと工房ということなので、彼一人の責任に着せられるものではないでしょうが、明らかに形態は崩れて、描かれている人物は人形のようにパターン化されて生彩がありません。陰影のつけ方にしても、ベタッとした塗りにはならないように形式的につけられているおざなりのようです。 私の好みの偏向したところで、ボッティチェリに対しては、不当に貶めるようなことを述べていると思います。今回の展覧会は、ある程度のまとまった点数の作品を見ることで、彼の作品を見るための手がかりは得られたと思います。しかし、私にとっては、相変わらず、他の画家を差し置いてまでも、積極的に見たいと思う画家ではありません。 らら |