ウフィツィ美術館展

 

2014年10月15日(水)東京都美術館

かつてない大型台風が日本列島を通過して台風一過の晴天と思いきや、あいにくの雨となり、その台風の通過にとともに秋が深まり日中の気温も9月まで残っていた夏の暖かな陽気から一気に肌寒さを感じられるようになりました。もともと人気の高いだろうことは予想がついていたので、そんな外出には躊躇するような日であり、展覧会は会期初めなので、混雑はしていないのでいないかと思って美術館に寄ってみました。しかし、65歳以上の方は入場無料とかある日だったようで、高齢者を中心に入場者は少なくない状況で、ひとつの作品の前には数人の鑑賞者が常時張り付いていました。高齢者の鑑賞者は仲間と誘い合わせて来場した人が多く、仲間同士で話しながら鑑賞するグループがいくつもあったりして、一人静かに絵と向き合うということはできませんでした。

さて、この展覧会は美術館からコレクションの一部を借りてきて見せるということなので、そこに意図とか趣旨を強く反映させることはないと思いますので、いつものように主宰者のあいさつを引用することにそれほどの意味はないと思います。ただ、ウフィツィ美術館の概要のようなことについて展覧会チラシに書かれていましたので、引用します。 “イタリア・ルネサンスの中心都市フィレンツェでは、15世紀後半から工房による組織的制作活動が盛んになり、数多くの優れた芸術家が生まれました。彼らは互いに切磋琢磨し合うなかで、工房の画一的な様式を越えた表現を探求し、やがてヴァザーリが「マニエラ・モデルナ(新しい様式)」と呼ぶところの、16世紀の卓越した新時代様式が開花します。本展は、世界的に名高いウフィツィ美術館の収蔵品を通して、15世紀から16世紀にかけてのフィレンツェ美術の流れを展観します。メディチ家のコレクションを核に設立されたウフィツィ美術館はもっとも歴史が古く、ルネサンスを代表する画家ボッティチェリの多くの作品を所蔵する美術館としても知られています。このボッティチェリの作品を多数紹介するほか、アンドレア・デル・サルトやポントルモ、ブロンヅィーノら16世紀のフィレンチェ美術を牽引した主要な画家たちの約80点に及ぶ作品を通じて、豊かで多様なフィレンチェ・ルネサンスの真髄に迫ります。”

ただひとつ、今回の収穫だったのは、フレスコ画で油彩画が並べて展示されていたことで、フレスコやテンペラに比べて油絵の具で描かれた作品は、まったく異質のものとなっていたのが分かったと言う点です。これらを同じ絵画とひと括りにしていいのか、ということを率直に感じました。具体的にいうと、画面と言う平面の考え方で、フレスコやテンペラの場合は、遠近法とか陰影等の画面に奥行きを感じさせる技法が建物の壁面を飾る浮彫(レリーフ)に似たものを絵画で描こうとする程度に収まっているのです。これに対して、油彩画は立体を画面の平面に再現しようとしている。これを敷衍して考えれば、遠近法の追求とか、その先の写実という考え方は油絵であったからこそ出てきたことで、フレスコやテンペラしかなかったのであれば、もっと平面的で形式的で装飾的な方向に進んでいった可能性もあったのではないか、という想像を膨らませることができた点です。実際に、多くのフレスコやテンペラが展示されていましたが、その中で油彩によるペルジーノの聖母を描いた肖像画(右図)がいかに異彩を放っていたか、ということです。

第1章 大工房時代のフィレンツェ

第2章  激動のフィレンツェ、美術の黄金期の到来

第3章「マニエラ・モデルナ(新時代様式)」の誕生

第4章 フッレンツェ美術とメディチ家

展示は、このように章立てられていましたが、一人の画家の軌跡を追いかけるのではなく、一つのテーマで作品を広く集めたのでもないので、この章立ては従うことはせずに、目に入った作品についてピックアップして述べてみたいと思います。 

 

第1章 大工房時代のフィレンツェ

展示室に入り、その大きさと鮮やかな色彩により目立っていたのが、ギルランダイオの「聖ヤコブス、聖ステファヌス、聖ペテロ」(左図)という作品です。テンペラ画というもので、その後一般的になる油彩画とは描き方や絵の具等の道具の異なっていることより、出来上がってくる作品が異なってくるのが、実感としてわかるように思えました。たとえば、この作品の中央の人物の衣服の赤の色調、その色というより色の感触、色が光として目に入ってくる調子が油絵とは異なるのです。言葉にして具体的に説明するのは難しいことです。あえて感覚的な言い方で許してもらえれば、実際に人が衣装として着ている色を写したというのではなくて、赤という色が鮮やかにまず主張されているという印象です。それは、中世の教会の聖堂の壁面に飾られているモザイクのタイルの色の美しさと同じような、まず色ありきで、その色によって組み立てていくという感じです。私が、この「聖ヤコブス、聖ステファヌス、聖ペテロ」にまず、目を奪われたのが人物の衣装の鮮やかな赤とその中の細かい装飾的な模様の金色でした。(まあ、その印象をもっともらしく述べているだけなのですが。)このように画面の構成要素である色が一人歩きしようとしているのは、画面全体が装飾的で平面的であるからです。この作品の画面の構成や構図をみれば中世のイコンのパターンそのままであるように私には見えます。しかし、そこで描かれている個々の人物は平面的なパターンの枠を乗り越え肉体の厚みを備えた人間に見える姿になってきています。そして、背後のアーチも陰影が付されて真っ平らの平面ではなくて奥行きが多少感じられる描かれ方になっています。そうは言っても、画面全体に空間が構成されていて、その中で背景の建築があり、その建築を背後に空間を隔てて人物が立っているという位置関係が構成的に表現されているのではなくて、個々の描かれているものの奥行きとか立体感が装飾の一種のように扱われているように見えます。それゆえでしょうか、後のダ=ヴィンチやラファエルには感じられない鮮やかな色彩が前面に現れ、それだけにも目を奪われる煌びやかさが、この作品にはあります。それは、テンペラ画という油絵に比べて陰影のグラデーションを精緻に施していくのには向いていない代わりに、のっぺりとはするものの色彩の発色が明るく鮮やかで、色相互のコントラストを付けやすそうという、テンペラの限界と特徴を突き詰めていったものではないかと思います。思うに、テンペラ画では建物の壁面を壁画として飾るものだったり、書物などの挿絵のような、なにものかの付属物とか装飾的な役割を担わされていたもので、この作品も絵画として独立した存在で何かを表現するというよりは教会の飾りのようなことを期待されていたのではないか。その中で、私の想像ですが、ギルランダイオは、彼をとりまく注文者や関係者の志向する方向が後のダ=ヴィンチやラファエルのような作品に向いていたのを察知して、あるいは自身にそういう志向性があって、テンペラ画でできるところまで進めたのがこの作品ではなかったかと思います。

同じ頃に制作されたと思われるバルトロメオ・ディ・ジョヴァンニの「砂漠で改悛する聖ヒエロニムス」(左下図)という作品です。上の作品と同じテンペラ画です。こちらもイコンのような平面的で装飾的なものがベースになっていて、画面の中の各パーツが各個に洗練されてこようとしているのが分かります。この作品は聖ヒエロニムスの物語の挿絵の機能を担っていて、その一場面を自立した表現として作品化したというのではないように思えます。言うなれば、聖人の物語の説話的な機能を効率的に伝えるというメディアというもので、そのメディア自体が独立した価値を主張するものにはなっていない、挿絵とか紙芝居のようなものであったように見えました。この作品では、聖人やキリスト教のアトリビュートが雑多に詰め込まれているような感じで、物語の説話的要素、言い換えれば情報をできるだけ多く盛り込んでいこうとする意図が見えます。ここでは作品画面自体のまとまりとか統一性とか見易さのようなものは優先的には考慮されていないように見えます。このような作品を後世のいわゆる芸術作品として見ようとする目からは、人物の肉体表現であるとか、背後の洞窟の特徴的な描き方を面白がるという方向に行くのでしょうか。とはいえ、私には、ここで展示されている作品について絵画としてみるという点では、非常に難解な作品でありました。これらについて好き嫌いを言う前に、分からないというのが正直な感想です。

これらに対して、これは絵画に近いと感じられたのがペルジーノの作品でした。それらのほとんどはキャンバスに油絵の具で描かれていたものでした。とくに「悲しみの聖母」(右図)という作品は模写なのだそうですが、写実そのもののような画面で、そこに息づく人間が居る作品で、これまで見てきたノッペリしたパターンのような人の形とは異質な、そこには人の個性も、表情もありました。この一作だけで時間がワープして近現代に飛んできてしまったという印象です。この作品には、もはやテンペラ画のような鮮やかな色彩で目を惹くということから、色彩が対象である人物をリアルに写すという画面を構成するために機能することが重視されるようになっています。表現ということが重視され、それを総合的に画面に表わされている。そこには、聖母という抽象的な記号ではなくて、どこそこの誰かと特定できそうな悲しみを湛えた女性が生々しく描かれていました。天上にいる手の届かない存在としての聖母ではなく、実際に目の前にいるような具体的な人間として、共感したりする感情移入ができるものとして描かれている。それを観る人が、個人としてその画面に対峙することができるものになってきているのです。個人に起因する“感動”という反応は、このようなところから誕生してくるのではないか、思わせるものになっていました。この後で、ボッティチェリの作品をみると後退というか、アナクロという言葉が頭の中に浮かんできてしまいます。 

 

第2章  激動のフィレンツェ、美術の黄金期の到来

前章の終わり頃からボッティチェリの作品展示を見ることができました。言うまでもなく、初期ルネサンスを代表する著名な画家であり、今回のウフィツィ美術館展の目玉といわれているものです。

そこで、数点が展示されているボッティチェリの作品の印象を端的に申しますと、「こんなものか」という失望ととまどいでした。展示されているボッティチェリの作品を見てみると、展示されている作品が失敗作というでもない限り、平面的で装飾的な画面の作り方をしていたのが分かります。例えば、今回の展示にはありませんが「ヴィーナスの誕生」は横一列に、同一の線上に人物が並んでいて、背景は書割のように平面で、人物とその余白をうめるために背景が描かれているという構成になっています。その人物も肉体の厚みがなく平面的です。つまり画面全体ではのっぺりとしていて、まるで塗り絵のようになっているわけです。また、それぞれの人物はコスチュームプレイのような形で描き分けられている人かたのパターンにようです。このような描き方の構造を見ていくと、前章でみたペルジーノ、さらにはギルランダイオよりも古いタイプで、バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニに近いタイプではないかと思われてくるのです。では、なぜボッティチェリがルネサンスの代表的な画家で革新的なようなイメージをもたれてしまっているのかといえば、それ以前の画家では取り上げることあまりなかったギリシャ神話のような異教的な題材を先駆的に採り上げたことによるのではないかと、思いました。それまで誰も採り上げていないということは、前例がないということです。そこで、あらたにパターンを創る必要があります。それをボッティチェリがやった。いわばデザイナーです。デザインをしたからといって、作品として優れたものになったとは限らない。今回のボッティチェリの作品を見ていて、そんな想像をしました。このことには証拠も何もないのですが、私なりに、ボッティチェリの作品について、何がいいのかを探してみた挙句、このくらいのことしか見つけることができませんでした。

「パラスとケンタウロス」(左上図)という作品です。今回の美術展のポスターやチラシに使われた、いわば、この美術展のメインの作品です。ボッティチェリの作品の中でも「ヴィーナスの誕生」や「春」ほどではないにしろ、きわめて知名度の高い作品なのだろうと思います。ケンタウロスという半人半獣を人と並べられるようにデザインするということは大変だったのかもしれません。また聖書を題材とした絵画作品のように決まりごとに従えば内容はそれにより込められてしまうことはないわけです。だからデザインができたことで足れりということになっているように思われます。細かいところは工房の職人たちに任せて…。実際、バラスの仕草と表情がちぐはぐ、というよりも、表情まで描き込まれていないでお面のようになっています。人体のバランスも取られていない(バラスの手が長すぎる反面足が短い。また首のすわりが悪い)し、ポーズも不自然です。最初から不自然でいくという方針で描かれたのならいいのでしょうが、見ていると、デザインを考えているうちにポーズを色々といじって、人体の基本的な構造が分かっていないので途中で不自然なことに気付かず、最終的に修正できなかったというのが実際のところなのではないかと思います。このバラスとケンタウロスの並び方はイコンの中の似たパターンをそのままに使っている感じです。背景の描き方もまるで演劇の舞台装置のようで、バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニの「砂漠で改悛する聖ヒエロニムス」に通じるところがあります。文句ばかり並べ立てているようですが、絵画作品として、どこに魅力があるのか分かりかねるというのが正直な感想です。ただし、この作品を発注したであろうメディチ家のサロンにおいて、この作品を飾り、それをネタにその場にはギリシャ神話や文化にくわしいフィチーノやピコ・デラ・ミランドーラたちがギリシャのことを雑談やら何やらで時間をつぶすには、とても便利なものだったのかもしれないということは考えられます。それは絵画作品として鑑賞するというのではなくて、飾りです。一種の職人仕事です。

「ロッジャの聖母」という油彩の作品です。「バラスとケンタウロス」のような大作ではなく小品です。後年の修復でかなりの加筆がなされているとのことですが、前例のある聖母子像なので安心して見ていられるのですが、聖母とキリストについてはイコンを見ているような錯覚に捉われます。聖母の顔は陶器のように冷たい感じがしますし、赤子の顔はイコンのちょっと怖いパターンのままです。多分、ボッティチェリという人はダ=ヴィンチの登場以前の人で、ダ=ヴィンチのような解剖学的な正確さで人を描くという現代の視点でいえば科学的合理主義に基づく視野というのが、なかった人ではないかと思われます。むしろ、伝統のイコンのパターンのほうに絵画のリアリティを感じ、ダ=ヴィンチが現れても、自身の視点に影響を受けることがなかったのでしょうか。だから、油絵の具という新しい機材を与えられてもペルジーノのように、その新機材を生かした表現を展開させていくことはなかった。ただし、小手先になるのでしょうか、聖母の滑らかで柔らかな肌の感じを上手く表現していたと思います。ボッティチェリは他にも聖母子の作品が展示されていましたが、その点だけは、ひとつの魅力としていえるのではないかと思います。

このウフィツィ美術館展の最大の眼目がボッティチェリということでしたが、このように私にはボッティチェリの作品がつまらなかったので、全体としては失望という感想でした。歴史や美術史の教科書で習うルネサンス初期の巨匠ボッティチェリがこんなものなのだとするとルネサンスというのはいったい何だったのか、何か大袈裟ですが、そんな疑問を感じました。近代絵画という言い方が適当かどうかは分かりませんがリアルとか自然とかいうことがキーワードで立体的な空間を二次元の平面的な画面に違和感なく定着させるという考え方。これは、例えば、ここでも何度も触れましたが、レオナルド・ダ=ヴィンチが人間を正確に描くために解剖学的な分析により骨格だとか筋肉の構造まで理解して人の身体を描く表現を展開する。そのようなことがルネサンスを契機として様々な模索が始まった。つまりは、近代絵画の始原がルネサンスあたりにあると考えていた。ところが、そのルネサンスの巨匠であるボッティチェリの作品が、このような近代絵画という視点に入ってこない、時代が異なるものだったというわけです。

だから、教科書から想像するようなルネサンスというのが革命的ともいえるような運動というイメージではなくて、北部イタリアのフィレンツェやミラノ等の都市の一部のごくローカルなところで、ダ=ヴィンチ等のような人々かそれぞれに 

しかし、この後、その失望を補うほどではありませんでしたが、小さな発見が数個あって、それらが今回の収穫となったと思います。 

 

第3章「マニエラ・モデルナ(新時代様式)」の誕生

派手な大作はボッティチェリでほぼ出尽くし、この後は小品に面白いものが数点ありました。

アンドレア・デル・サルトの「ピエタのキリスト」(左図)という作品です。ボッティチェリの絢爛豪華とは正反対の作品。デル・サルトが意図して描いたのか、結果としてこのような形で残されたのかは分かりません。ピエタという題材は多くの作品(右図)ではキリストの死体を聖母マリアや弟子たちを含めた人々が取り囲み、その死を悼むという情景が描かれているものですが、そこにはキリストを抱きしめる人や涙を流す人など様々な人物が描かれているものです。しかし、この作品では中央に死んだキリストがぽつねんと腰掛けている姿があるだけです。キリストの姿だけを取り出してみれば、同じく展示されていたペルジーノの同名の作品に通じるところがあって、現実の人間のリアルな人体になっています。後輪光も見えずアトリビュートもほとんど見られません。ここにいるのは、独りの男の死体だけです。その寂しい姿は、どのような人であろうとも、たとえキリストであろうとも死ぬときは独り死んでいくしかない、死そのものの孤独さを表わしているかのようです。がっくりと肩を落として俯いた姿からは表情を読み取ることもできません。しかし、その肩を落としたような姿はまた、耐え切れないほどの重みを背に負った姿にも見えます。それは、両腕を広げたようなポーズや、背をかがめているにもかかわらず、腹筋が張っているように見えることから窺われます。私はキリスト教徒ではないので、キリストの逸話を知悉しておらず、そこに想像をめぐらすには限界がありますが、受け取り方によっては、その死によって大きなものを抱え込んだ姿が時には崇高に見えてくるかもしれない、と想像することもできなくはありません。この姿は、言うなれば、人が独りの個人として神とか信仰に向き合ったときに、その独りの個人に対して訴えかける作品になっているといえないでしょうか。それは、教会に通い形式的な儀礼に参加することが信仰であるというマスとしての民衆ではなくて、個人としての内面を持つにいたった、つまりはパスカルに代表されるような独りの精神として神に向き合うという信仰の姿に応じたものになっているのではないか、と私には思われます。それは教会に大々的に掲示され、人々を教え導くのではなくて、一人ひとりの自覚した精神に働きかけ、問いかけようとするものなっているのではないか、と思えます。その意味で、近代的な精神の信仰に適ったものとして見ることができるものになっていると言えます。それは、別の意味では、感動とか共感といった近代的な鑑賞にも耐えうるものになっているということです。

アンドレア・デル・サルトという画家は、他にも「自画像」などの作品が展示されていましたが、本人が意図してこのような描き方をしたのかは分かりませんが、後世の近代主義の世俗化された芸術とか精神とかに十分に沿うことのできるものを残していた画家として、私にとっては今回の大きな収穫でした。ボッティチェリに対しては、落胆しかなかったのを埋め合わせるに十分でした。

この後の展示では、プロンヅィーノなどのマニエリスムの画家たちの展示がありましたが、残念なことに場つなぎの数量あわせとしか、私には思えない展示としか見えなかったので、感想を書くほどのもでもないと思います。全体として、日本人というのはヨーロッパの人からはなめられているのであることが、全体の展示を見ていて感じました。こんなものでも本場ものとして、ありがだがるのだろうと、たかを括っているというイタリアの姿勢が透けて見えた、というのでしょうか。私が僻みっぽい性格だからかもしれません。

 
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