マルクス『資本論』を読む
第1部 資本生産過程
第7篇 資本の蓄積
第25章 近代植民理論
 

 

 カール・マルクスの『資本論』を読んでいこうと思います。『資本論』については、たくさんの解説や論説があって、これがどういう著作であるかとか、時代背景とか、後世への影響とか、色々なところで論じられていると思います。ここでは、そういうことは脇に置いて、現物に当たってみて、自分なりにこう読んだというのを追いかけることにします。なお、実際に読むのは、スタンダードな訳として定評のある岡崎次郎の翻訳による大月書店のマルクス・エンゲルス全集版です。参考として、中山元の翻訳で日経BPクラシックスのシリーズで出版されているものをピンク色で適宜へいきすることにします。また、中山訳は本文を小見出しをつけて区切りをつけているので読みやすくなっているので、その小出しの区切りを使います。中山訳は、岡崎訳に比べて分かりやすく、こっちをつかいたかったのですが、フランス版を底本にしていることと、例えば、「剰余価値」と一般に定着している用語を「増殖価値」と訳したりして個性的なところがあって、慣れないところがあるから、参考にとどめています。続けて、黒い明朝体で、それについて私はこう読んだという読みの記録を綴っていきます。そこで、説明の追加をしたり、多少の脱線をします。なお、それでは、細かくなりすぎて全体像がつかめなくなってしまうおそれがあるので、目次の構成の「節」ごとに、そのはじめのところで概要を記すことにします。

 

第1部 資本の生産過程

第7篇 資本の蓄積

〔この篇の概要〕

マルクスは『資本論』全3巻のうち、そのうち第1巻しか自らの手で公刊することができませんでした。その『資本論』第1巻は全7篇から成り、最後の篇は「資本の蓄積過程」と題されています。この第7篇でマルクスは、資本の不断の運動のなかで資本-賃労働関係が再生産され、拡大再生産されてゆく過程を問題とします。

資本として機能する価値量の運動は、一定の貨幣額が市場において生産手段と労働力へ転化する「流通部面」に始まります。運動の第二の局面、すなわち「生産過程」が終了すると、一定量の剰余価値を含んだ商品が生まれますが、この商品がふたたび流通部面に投げこまれなければなりません。商品はいまいちど貨幣となり、その貨幣はあらためて資本へと転化する。この継続的かつ反復的な「循環」が資本の流通をかたちづくるわけです。

資本の蓄積とは、この反復的循環において「剰余価値が資本として充用されること、または剰余価値が資本へと再転化すること」にほかなりません。剰余価値は、実際には、利潤や利子や商業利潤や地代などへと事後的に差異化し、分化することになるけれども、当面は資本の蓄積過程を問題とする場面なので、ここでは論じられていません。これらのすべては剰余価値の「転化形態」であるとはいえ、しばらくは剰余価値のすべては産業資本のもとに止まるものとして、純粋な蓄積過程が抽出されるわけです。

あらゆる社会は消費を停止することができるものではありません。消費はしかも、連続的な過程として起こります。人は今日も渇き、明日も飢えるからです。したがってすべての社会は広義の生産も止めることができず、生産もまた連続的でなければなりません。生産が連続的なものであるかぎりで、いっさいの「社会的生産過程」は「同時に再生産過程」ということになります。そこではまた「生産の諸条件は同時に再生産の諸条件」なのです。

資本は生産−再生産を反復することによって、差異が生まれます。つまり剰余価値もまた生産−再生産されるわけです。反復によって周期的に回帰し、とはいえ増加して回帰する資本価値として剰余価値は、資本の立場からすれば「資本から生じる収入」というかたちを取ることになります。いまこの収入が、資本の人格化である資本家にとって「消費財源」として役だつだけであり、周期的に回帰するものが周期的に立ち去るものにすぎないとすれば、生起するのは「単純再生産」です。すなわち、同規模でおなじ構成で反復的に回帰する再生産であるほかはないのです。

ところがマルクスによれば、この連続的な反復ですら、「あらたないくつかの性格を刻印する」のです。その性格のうち第一に問題とされるものが、いわゆる「領有法則の転回」にほかなりません。市民社会の原則を資本制そのものが蹂躙してゆくのです。

 

第25章 近代植民理論

植民地の特別な状況

経済学は二つの非常に違う種類の私有を原理的に混同している。その一方は生産者自身の労働にもとづくものであり、他方は他人の労働の搾取にもとづくものである。後者は単に前者の正反対であるだけではなく、ただ前者の墳墓の上でのみ成長するものだということを、経済学は忘れているのである。

ヨーロッパの西部、経済学の生まれた国では、本源的蓄積の過程は多かれ少なかれすでに終わっている。そこでは、資本主義的支配体制は、国民的生産全体をすでに自分に従属させているか、または事情がそこまで発展していないところでは、この体制のかたわらに存続してはいるがしだいに衰退してゆく社会層、時代遅れの生産様式に属している社会層を、少なくとも間接的には、支配している。この完成された資本の世界に、経済学者は、事実がイデオロギーを非難する声が高くなればなるほど、ますますやっきになり、夢中になって前資本主義世界の法律観念や所有観念を適用するのである。

植民地ではそうではない。植民地ではどこでも資本主義的支配体制は、自分の労働条件の所有者として自分の労働によって資本家を富ませるのではなく自分自身を富ませる生産者という障害にぶつかる。植民地ではこの二つの正反対の経済制度の矛盾が、両者の闘争のなかで実際に現われている。資本家の背後に本国の権力があるところでは、資本家は、自分の労働にもとづく生産・取得様式を暴力によって一掃しようとする。資本の追従者である経済学者に、本国では資本主義生産様式を理論的にそれ自身の反対物として説明する任務を負わせる利害関係、その同じ利害関係が、植民地では彼をそそのかして「事情を打ち明け」させ、二つの生産様式の対立を声高く宣言させるのである。この目的のために、彼は、労働の社会的生産力の発展や協業や分業や機械の大規模応用などは労働者たちの収奪とそれに対応する彼らの生産手段の資本への転化なしには不可能だということを指摘する。いわゆる国富のために、彼は人民の貧困をつくりだす人工的手段を探求する。彼の弁護論的甲冑は植民地ではぼろぼろになった火口のように次々にこわれてゆくのである。

古典派経済学は、二つの私有の原理を混同しています。そのひとつは生産者が自身の労働によって私有とするもので、もうひとつは他人の労働によって私有するというものです。後者は前者の否定の上に成り立つものです。西欧諸国では本源的蓄積はすでに済ましていて、資本主義的支配体制に国民の生産活動がすべて服しています。

ところが植民地では、いささか状況が異なってきます。そこでは資本主義的体制が障害に直面しています。それは生産者が自らの労働条件を所有し、自らの労働によって自らを富ませるようになっているからです。植民地では、このような体制と資本主義的な体制の対立が暴力的に現われています。

〔古典派〕経済学では原則として、二つのきわめて異なる種類の私的所有を混同している。一つは生産者みずからの労働に基づいた私的所有であり、もう一つは他人の労働の搾取に基づいた私的所有である。第二の私的所有は第一の私的所有の墓の上に育ったものであることを、経済学は忘れているのである。

経済学の故郷である西欧では、原初的な蓄積のプロセスはほぼ完了している。西欧では資本制的な支配体制が国民の生産活動のすべてを支配しているか、発展が遅れているところでは、資本制的な生産様式とともに存続している。いずれにしてもこの支配体制は、次第に零落しつつあり、時代遅れの生産様式に属している社会層を、少なくとも間接的に制御しているのである。経済学はこのように完成された資本の世界にたいして、事実がイデオロギーに反するようになればなるほど、ますますやっきになり、熱中しながら、大げさに言葉を飾り立てて、資本制以前の世界の法と所有の観念を、適用してみせるのである。

ところが植民地では状況が異なる。植民地ではいたるところで、資本制的な体制が障害に直面する。それは生産者がみずからの労働条件を所有し、みずからの労働によって、資本家ではなく自分自身を富ませるからである。植民地では、この二つの正反対の経済システムの矛盾が、実際に闘争という形で現れている。資本家が母国の権力を背景にしている場合には、みずからの労働に依拠した生産様式と所有様式を暴力的に除去しようと試みることになる。

母国では経済学は、資本に追従することが利益になるので、資本制的な生産様式を理論的にはその正反対の〔みずからの労働に依拠する〕生産様式と同じものとして説明する。ところが植民地ではこの同じ利益を考慮して、「胸のうちを明かすために」、この二つの生産様式がまったく異なるものであると、声高に宣言するのである。

そのために経済学者は、労働者を搾取し、それに応じて生産手段を資本に変容させなければ、労働という社会的な生産力の発展も、協業や分業や、大規模な機械類の使用なども不可能になることを証明する。こうして経済学者は、いわゆる国富のために、国民の貧窮を作りだすための人為的な手段を探すことになる。ところが植民地では、彼のこうした〔資本制の〕擁護論の鎧は、脆くなった火口のように、次々と剥がれ落ちていくのである。

 

組織的な植民の理論

E・G・ウェークフィールドの大きな功績、それは、植民地についてなにか新しいことを発見したことではなく、植民地で、本国の資本主義的諸関係についての真理を発見したということである。その本源での保護貿易制度が本国での資本家の製造に努めたように、一時はイギリスが法律によって実行しようとまでしたウェークフィールドの植民地論は、植民地での賃金労働者の製造に努めるのである。これを彼は「組織的植民」と呼んでいる。

ウェイクフィールドが植民地でまず第一に発見したことは、ある人が貨幣や生活手段や機械その他の生産手段を所有していても、もしその補足物である賃金労働者、すなわち自分自身を自発的に売ることを余儀なくされている別の人間がいなければ、この所有はまだその人に資本家の極印を押すものではない、ということである。彼が発見したのは、資本は物ではなくて、物によって媒介された人と人とのあいだの社会的関係だということである。彼がわれわれに向かって嘆いているところによると、ピール氏は5万ポンドにものぼる生活手段や生産手段をイギリスからオーストラリアのスワン・リヴァーに持って行ってしまった。ピール氏は非常に用心深くて、そのほかにも男も女も子供も含めて労働者階級から3000人を連れて行ってしまった。ところが、目的地に着いてみると、「ピール氏には、彼のために寝床を用意したり河から水を汲んだりしてくれる召使いは1人もいなかった。」不幸なピール氏、彼は、なにもかも用意したが、ただイギリスの生産関係をスワン・リヴァーに輸出することだけは忘れていたのだ!

これから述べるウェークフィールドの諸発見の理解のために、二つの前置きしておこう。言うまでもなく、生産手段も生活手段も、直接的生産者の所有物としては、資本ではない。それが資本になるのは、ただ、それが同時に労働者の搾取・支配手段としても役だつような諸条件があるときだけである。ところが、生産手段も生活手段のこのような資本主義的なたましいは、経済学者の頭のなかではそれらの素材的実体と非常に緊密に結合されているので、彼はそれらのものを、どんな事情のもとでも、それが資本の正反対物である場合にさえも、資本と名づけるのである。ウェークフィールドの場合もそうである。さらに、多くの互いに独立な自営労働者の個人的所有物としての生産手段の分散を、彼はむ資本の均分配と呼んでいる。経済学者も封建的法学者と同じようなものである。封建的法学者は純粋な貨幣関係にも彼の封建的な法律的レッテルを貼りつけたのである。

マルクスはウェークフィールドの植民地論を俎上に載せます。それは、植民地が宗主国である西欧の資本主義体制との関係から、資本主義の真理を鏡のように映し出しているからです。

彼が植民地で発見したのは、貨幣や生活手段や機械その他の生産手段を所有していたとしても、それで資本家になることができるわけではない。そのためには賃金労働者という他人のために自分を売り物とする者がいなければならないということです。つまり、資本というのは、物ではなく、物によって媒介された人と人との社会的関係であるということです。この発見について理解するために二つの前提をマルクスは説明します。その第一は、生産手段も生活手段も、直接的生産者の所有物であるかぎりでは、資本ではありません。それが資本になるのは、ただ、それが同時に労働者の搾取・支配手段として使われるという条件があるときです。しかし、経済学者は、そうでなくても生産手段や生活手段そのものを資本と呼んでいるのです。さらに彼は、それぞれ独立した自営の労働者の所有していた生産手段が分散してしまうことを資本の均等な分配と呼んでいます。

E・G・ウェイクフィールドの大きな功績は、植民地について何か新しいことを発見したことにあるのではなく、植民地において、母国の資本制的な関係についての真理を発見したことにある。保護貿易システムが最初のうちは母国において資本家を作りだすことを目指したように、ウェイクフィールドの植民地論は、植民地において賃金労働者を作りだすことを目指すのである。イギリスはしばらくあいだ、彼の植民理論を法律によって実行しようとしていたのだった。これを彼は「組織的な植民」と呼んでいる。

まずウェイクフィールドが植民地において発見したのは、ある人が貨幣、生活手段、機械類、その他の生産手段を所有していたにしても、すぐに資本家になるわけではなく、そのためには賃金労働者が、すなわち、他人のために自由意志で自分を売らねばならない他人が存在しなければならないということである。彼は資本とはたんなる物ではなく、物によって媒介された人格のあいだの社会的な関係であることを発見した。

ウェイクフィールドは私たちに嘆いてみせる。ピール氏という人物は、5万ポンドにものぼる生活手段と生産手段をイギリスからオーストラリアのスワン・リヴァーまで運んできたのだった。そして慎重なピール氏は、労働者階級の男性、女性、子供たちを3000人も一緒につれてきた。しかし目的地につくと、「彼のためにベッドを整え、川から水を汲んできてくれる召使の1人もいなかった」のである。不幸なピール氏は、必要と思われるすべてのものを運んできたのに、イギリスの生産関係をスワン・リヴァーに輸出することだけは忘れていたのである。

これから述べるウェイクフィールドの発見について理解するために、次の二つのことを述べておきたい。生産手段も生活手段も、直接的な生産者の所有物としては、資本ではないのは周知のことである。これらが資本になるのは、同時にそれが労働者の搾取と支配の手段として使われるという条件のもとだけである。しかし経済学者の頭の中では、この資本制の〈魂〉が、その素材としての実体とあまりにも親密に結びついているために、まったく正反対の状況にあっても、こうした生産手段や生活手段そのものを資本と呼ぶのである。ウェイクフィールドも同じである。

さらに彼は、たがいに独立した多数の自営の労働者が個人的に所有していた生産手段がばらばらに解体されることも、資本の均等な分配と呼ぶ。経済学者とは、純粋な貨幣関係さえも、封建的な法律用語で呼ぶ封建時代の法律家のようなものである。

 

植民地の特殊事情

ウェークフィールドは次のように言っている。

「もしも資本が社会の全成員のあいだに均等に分配されるとすれば、だれも自分の手で使えるよりも多くの資本を蓄積することには関心を持たないであろう。これは、ある程度までは、新しいアメリカの植民地の状態なのであって、そこでは土地所有への熱情が賃金労働者階級の存在を妨げているのである。」

つまり、労働者が自分自身で蓄積することができるあいだは、そして彼は自分の生産手段の所有者であるかぎり、それができるのであるが、それができるあいだは資本主義的蓄積も資本主義的生産様式も不可能なのである。そのためになくてはならない賃金労働者階級がないわけである。これならば、古いヨーロッパでは労働者からの労働条件の収奪、したがってまた資本と賃労働とは、どのようにして生みだされたのか?まったく独特な種類の社会契約によってである。

「人類は…資本の蓄積を促進するための簡単な方法を採用した」が、もちろんそれはアダムの時代から人類の存在の最終唯一の目的として人類の念頭に浮かんでいるものである。「人類は資本の所有者と労働の所有者とに分かれた。…この分割は自由意志による了解と結合との結果だった。」

一口に言えば、「資本の蓄積」の栄光のために人類大衆は自分自身を収奪したのである。そこで人々は思うであろう、この自己放棄的狂言の本能は、ことに植民地では奔放になるにちがいない、なぜならば、社会契約を夢の国から現実の国に移すことができるような人間と環境とはただ植民地だけに存在するのだから、と。だが、それならば、自然発生的な植民とは反対の「組織的植民」はいったいなんのためのものなのか?だが、しかし、

「アメリカ連邦の北部諸州では、人口の10分の1が賃金労働者の部類にはいるかどうかも疑わしい。…イギリスでは…人民の大部分が賃金労働者から成っている。」

じっさい、資本の栄光のための労働人類の自己収奪本能などというものは存在しないのであって、奴隷制度は、ウェークフィールドによってさえも、植民地の富の唯一の自然発生的な基礎なのである。彼の言う組織的植民はただの応急策である。というのは、いま彼にかかわりがあるのは自由民であって、奴隷ではないからである。

「スペインからサント・ドミンゴへの最初の移住者たちは、スペイン人からは1人の労働者も得られなかった。しかし、労働者なしでは(すなわち奴隷制度なしでは)資本は破滅するか、または少なくとも、各個人が自分自身の手で用いられるくらいの小塊に収縮したであろう。これは、イギリス人によって建設された最後の植民地では実際に起きたことであって、そこでは種子や家畜や用具から成っている一大資本が欠乏のために滅んでしまったのである。そこではどの移住者も自分の手で用いられるよりもあまり多くの資本はもっていないのである。」

すでに見たように、民衆からの土地の収奪は資本主義的生産様式の基礎をなしている。これとは反対に、自由な植民地の本質は、広大な土地がまだ民衆の所有であり、したがって移住者はだれでもその一部分を自分の私有地にし個人的生産手段にすることができ、しかもそうすることによってあとからくる移住者が同じようにするのを妨げないという点にある。これが植民地の繁栄の秘密でもあれば、その癌腫─資本の移住にたいするその抵抗─の秘密でもあるのである。

「土地が非常に安くすべての人間が自由なところでは、そして、だれでも望みしだいに一片の土地を自分で手に入れることができるところでは、労働が非常に高価なだけではなく─というのは生産物のうちから労働者が取る分けまえのことであるが─どんな代価でても結合労働を手に入れることが困難なのである。」

植民地では労働条件とその根源である土地からの労働者の分離がまだ存在しないか、また存在してもただ散発的にかまたは非常に局限された範囲でしか存在しないのだから、工業からの農業の分離も農村の家内工業の絶滅もまだ存在しないのであって、それならば、資本のための国内市場はいったいどこから生まれてるのだろうか?

「奴隷を別すれば、また大きな事業のために資本と労働とを結合する奴隷使用者を別とすれば、アメリカの人口のどの部分も農業を専業としてはいない。自分で土地を耕している自由なアメリカ人は、それと同時に他の多くの仕事をも営んでいる。彼らが使用する家具や道具の一部分は通常は彼ら自身の手でつくられる。彼らは自分の住む家を自分で建てることも多く、また自分の工業の生産物をどんなに遠い市場にでも運んで行く。彼らは紡ぎ手でもあり織り手でもあり、自家用の石鹸や蝋燭、靴や衣服も自分でつくる。アメリカでは耕作が鍛冶屋や粉屋や小売商人の副業になっていることも多い。」

こんな変わり者ばかりがいるところでは、資本家のための「禁欲の場面」はどこに残っているだろうか?

資本主義的生産の大きな美点は、それが絶えず賃金労働者を賃金労働者として再生産するだけではなく、資本の蓄積に比例してつねに賃金労働者の相対的過剰人口を生産するという点にある。こうして、労働の需要供給の法則が正しい軌道の上に保たれ、賃金の変動が資本主義的搾取に適合する限度内に制限されうるのであり、そして最後に、あのように不可欠な、資本家への労働者の社会的従属が保証されるのである。それを、本国にいる経済学者は、買い手と売り手との、つまり一方は資本という商品をもっており他方は労働という商品をもっている対等で独立な商品所持者どうしの、自由な契約関係だとうまく言いくるめることができるのである。だが、植民地ではこの美しい妄想は引き裂かれてしまう。そこでは、多くの労働者がはじめからおとなになって生まれてくるので、絶対的人口は本国でよりもずっと急速に増加するが、それでもなお労働市場はつねに供給不足である。労働の需要供給の法則は破られてしまう。一方では古い世界から搾取を欲し禁欲を望む資本が絶えず投げこまれてくる。他方では、賃金労働者としての賃金労働者の規則的な再生産が、非常にやっかいで一部は克服もできない障害にぶつかる。それだのに、資本の蓄積に比例しての過剰な賃金労働者の生産とは、なんということなのか!今日の賃金労働者は、明日は独立自営の農民か手工業者なになってしまう。彼は労働市場から消え去ってしまう、といっても─救貧院に行くのではない。このような、賃金労働者から独立生産者への不断の転化、すなわち、資本のためにではなく自分自身のために労働して資本家さまではなく自分自身を富ませる独立生産者への転化は、それ自身また労働市場の状態にまったく有害な反作用をする。賃金労働者の搾取度がふつごうな低さにとどまっているだけではない。そのうえに、賃金労働者は、禁欲する資本家への従属関係といっしょに従属感情もなくしてしまう。こうして、わがE・Gウェークフィールドがあのようにけなげに、あのように雄弁に、そしてあのように感動的に語っているありとあらゆる弊害が生まれるのである。

ウェークフィールドによれば、労働者は自分の生産手段を自分で所有しているかぎり、自分のために蓄積することが可能です。それができるあいだは資本主義的蓄積も資本主義的生産様式も不可能です。資本主義的蓄積も資本主義的生産様式のために必要不可欠な賃金労働者階級がいないからです。

それでは、ヨーロッパで、どのようにして資本と賃金労働を成立させるために、労働者が労働条件を自分で自由にできなくなったのかを見ていきましょう。そこには、独特な社会契約がありました。そもそも、自ら進んで自身の自由を売り渡す人間などいません。そのような無体なことができるのは植民地という特殊な環境だからというのです。実際のところ、植民地で富を生み出す土台となったのは奴隷制でした。植民地に移住した資本家は穀物の種や家畜や道具などを本国から持って行きましたが、労働者を連れて行きませんでした。賃金労働者がいないので、それら無用になってしまった。本国では、民衆から土地を収奪したことが資本主義的生産様式の基礎をつくりました。植民地では、これと反対に広大な土地を民衆が所有していて、後からやってくる植民者も同じように広大な土地を持ちことができるのです。このように容易に土地を手に入れることができるところでは、労働の方がむしろ高価になるわけです。植民者は労働条件から切り離されいいないし、土地も収奪されていない。そのため、工業と農業は分離されておらず、農家の家内工業も生きています。そのような状態で本国と同じような国内市場が生まれるでしょうか。植民者は、自分が使う家具や道具の一部は、自分で作るのがふつうで、そこでは商品の売買の必要性は低いと言わざるを得ません。

これまでも述べてきたように、資本主義的生産様式は、賃金労働者を再生産し、資本の蓄積に応じて賃金労働者の相対的過剰人口を生みだし続けます。これにより労働の需要供給のバランスが保たれ、資本家への労働者の社会的従属状態が生まれるのです。この従属関係は資本家と労働者とのあいだの自由な契約関係の外観を呈しているのです。

しかし、これは植民地では成立しません。労働市場はつねに供給不足で、需要と供給は不均衡なままです。植民地では、今日の賃金労働者は、明日には独立した自営農民が手工業者になってしまうのです。賃金労働者がたえず独立した生産者になり、資本のためではなく、自分自身のために働き、資本家のためではなく、自分自身を豊かにさせているのです。ここでは労働者の資本家への従属は発生しません。

ウェイクフィールドは「資本が社会のすべての成員のあいだに均等に分配されているとすれば、自分で利用できる以上の資本を蓄積することに利益をみいだすような人は誰もいないだろう。北アメリカの状況はいわばこうした状態なのである。ここでは土地所有の情熱のために、賃金労働者という階級が成立しないのである」と述べている。

労働者が自分の生産手段の所有者であるかぎり、労働者は自分のために蓄積することができるのであり、その場合には資本制的な蓄積も、資本制的な生産様式もありえない。そのために必要不可欠な労働者階級が存在しないからである。それではかつてのヨーロッパで、どのようにして労働者から労働条件を奪いとることができ、資本と賃金労働を成立させることができたのだろうか。それはまったく独特な〈社会契約〉によってである。

「人類は…資本の蓄積を進めるためにごく簡単な方法を採用した」のであるが、その資本の蓄積こそ、アダムの時代以来、人生の唯一のそして最終の目的だったのだとウェイクフィールドは語る。さらに「人類は資本の所有者と労働の所有者に分かれた。…この分割は、自由意志に基づく相互の了解と結合によるものだった」という。

要するに、莫大な数の人間たちが、「資本の蓄積」の栄光のために、みずからを収奪することにしたというわけである。そして植民地では、この自己破壊的な熱狂の衝動が、いかなる束縛もなく自由に放たれるというのだ。社会契約を夢想の世界から現実の世界から現実のものに変えることのできる人間と環境が揃っているのは、植民地だけだからというのである。それでは自然発生的な植民と異なるこの「組織的な植民」は何のために必要なのだろうか。しかし、しかしである。「北アメリカ連邦の州では、住民の10分の1でも賃金労働者とみなせるかどうかは、疑問である。…それにたいしてイギリスでは、大部分の民衆が賃金労働者になっている」。

しかし実際のところ、労働する人間が資本の栄誉のために自己を収奪する衝動などというものは存在しないのであり、ウェイクフィールドすら、植民地の富の自然発生的な土台となるのは、ただ奴隷制だけであることを認めている。彼の組織的な植民というものも、窮余の一策にすぎない。というのも彼が相手にしているのは奴隷たちではなく、自由な人間だからである。

「サント・ドミンゴ島に初めて移住したスペイン人たちは、本国から労働者を送ってもらえなかった。しかし労働者(すなわち奴隷のことである─マルクス)がいないと、資本は駄目になってしまうのか、各人が自分で使うことのできる大きさまで縮小したことだろう。そして実際にそのとおりのことが、イギリス人が設立した最後の植民地で起きたのだった。つまり賃金労働者がいないために、穀物の種や家畜や道具などの多量の資本が無用になってしまい、植民者たちは自分の手で使えるだけの資本しかもたなくなってしまった」。

すでに確認したように、民衆から土地を収奪したことが、資本制的な生産様式の土台を構築した。これとは反対に、自由な植民地の本質は、大量の土地がまだ民衆の所有であり、すべての植民者はその一部を自分の私的所有に、そして個人的な生産手段に変えることができ、そうしても後からやってくる植民者たちが、同じようにするのを妨げないというところにある。これこそが植民地の繁栄の秘密であり、同時にその諸悪の根源、すなわち資本の移住にたいする抵抗の秘密でもある。

「土地の価格が非常に安く、すべての人間が自由であり、誰でも望めば、自分の土地を手に入れることができるところでは、製品において労働者の労働が占める比率で考えると、労働はきわめて高価であるだけではない。どんな代価を払っても、共同作業をするのが困難なのである」。

植民地では労働者はまだ労働条件から切り離されていないし、労働条件の〈根〉である土地からも切り離されていない。たとえ切り離されていたとしてもまだ散発的に、あるいはきわめて局地的に切り離されているにすぎない。そのために工業はまた農業と分離しておらず、農村の家内工業もまだ破壊されていない。そのような状態でどうやって資本のための国内市場が生まれるというのだろうか。

「アメリカの国民で、農業だけに専従している人はいない。例外となるのは、奴隷とその所有者、すなわち資本と労働を大きな仕事のために結びつける人たちだけである。土地を自分で耕す自由なアメリカ人は、同時にほかにもさまざまな仕事に携わっている。彼らが使う家具や道具の一部は、自分で作るのがふつうである。住む家まで自分で建てることが多く、自家で製造した製品を、どんな遠い市場までも運んでいく。彼らはみずから紡ぎ手であり、織り手である。自分で使う石鹸も蝋燭も、靴も服も自分で作る。アメリカでは農業は、鍛冶屋や粉屋や食料品店の店主の副業であることが多いのである」。

こんな素人ばかりがいるところで、資本家のための「節制の場」がどこにあるというのだろうか。

資本制的な生産の大きな利点は、この生産様式は賃金労働者を賃金労働者として再生産するだけでなく、資本の蓄積と比例して、賃金労働者の相対的な過剰人口をつねに生みだすところにある。これによって労働の需要と供給の法則が正しい軌道に維持され、賃金の変動幅が資本制的な搾取に適切な範囲に保たれる。そして最後に労働者の資本家への従属という社会的に不可欠に依存状態が生まれる。このような絶対的な従属関係こそ、母国の経済学者たちが、あたかも売り手と買い手の自由な契約関係でもあるかのように、資本という商品の所有者と労働という商品の所有者という、同程度に独立した商品所有者のあいだの自由な契約関係でもあるかのように、巧みにごまかそうと苦労している秘密なのである。

しかし植民地ではこのような麗しい幻想は、ずたずたに引き裂かれる。植民地には、多くの労働者がすでに大人になってからやってくるので、人口の絶対数は母国と比較すると、はるかに急速に増えるが、労働市場はつねに供給不足である。労働の需要と供給の法則は破綻してしまう。一方で旧世界は搾取に飢え、節約を求める資本を投入しつづける。しかし〔植民地では〕賃金労働者を賃金労働者として規則的に再生産しようとしても、手のつけようのない障害に、部分的に解決不可能な障害に直面することになる。資本の蓄積と比例して、過剰な賃金労働者を作りだそうとするならば、障害はさらに大きなものとなる。

今日の賃金労働者は、明日には独立した自営農民が手工業者になってしまう。彼は労働市場からは姿を消すが、救貧院へと姿を消したわけではない。賃金労働者がこのようにたえず独立した生産者になり、資本のためではなく、自分自身のために働き、資本家のためではなく、自分自身を豊かにさせることは、労働市場の状況にきわめて有害な影響を及ぼすことになる。賃金労働者の搾取度が、満足できないほどに低いだけではない。賃金労働者は従属関係を投げ捨てるだけではなく、節約する資本家に従属しているという感情すら捨てることになる。このようにして、E・Gウェイクフィールドがあれほど巧みに、雄弁に、感動的に描写する弊害が発生するのだ。

 

資本家の恐怖

賃金労働者の供給が恒常的でなく、規則的でも、十分でもないということを彼は嘆いている。それは「いつでもただ小さすぎるだけではなく、不確実でもある。」

「労働者と資本家とのあいだで分けられる生産物はおおきいものだとはいえ、労働者が取る部分は、彼がまもなく資本家になってしまうほど大きい。…ところが、普通以上に長生きしても大きな富を蓄積することができるものは、わずかしかないのである」。

労働者は、自分たちの労働の最大部分への支払を資本家が禁欲することを、けっして許さない。資本家が抜け目のない男で、自分の資本といっしょに自分の賃金労働者をもヨーロッパから輸入するとしても、どうにもならない。

「彼らはまもなく賃金労働者でなくなり、まもなく独立の農民になってしまうか、または賃労働市場そのもので自分たちの元の雇い主の競争相手にさえなってしまう。」

なんという恐ろしいことだろう!正直な資本家はわざわざ自分自身の生身の競争相手を自分のだいじな貨幣でヨーロッパから輸入したのだ!それではなにもかもおしまいだ!ウェークフィールドが、植民地には賃金労働者の従属関係も従属感情もないということを嘆いているのも、少しも不思議ではない。彼の弟子のメリヴェールは次のように言っている。賃金が高いために、植民地ではもっと安くてもっと従順な労働への、つまり資本家が条件を押しつけられるのではなく、資本家のほうから条件を押しつけることができるような一階級への、激しい渇望がある。…古い文明国では労働者は、自由ではあるとはいえ、自然法則的に資本家に従属しているが、植民地ではこの従属が人工の手段によってつくりだされなければならないのである。

では、ウェークフィールドに言わせれば、植民地におけるこのような弊害の結果はなになのだろうか?それは生産者と国民財産との「分散の野蛮な制度」である。無数の自営的所有者のあいだへの生産手段の分散は、資本の集中を破壊するとともに結合労働のすべての基礎を破壊してしまう。長い年月にわたっていて固定資本の投下を必要とする長期の企業は、すべて実行上の障害にぶつかる。ヨーロッパでは資本は一瞬間もぐずぐずしていな。なぜならば、労働者階級は資本の生きている付属物になっていて、いつでもありあまっており、いつでも利用できるからである。ところが、植民地ではどうだ!ウェークフィールドは一つの非常にいたましい逸話を語っている。彼はカナダやニューヨーク州の数人の資本家を相手に語ったのであるが、これらの地方ではそのうえに移住の波がよどんで、「過剰」労働者を沈殿させることも多いのである。このメロドラマの登場人物の1人は次のように嘆いている。

「われわれの資本は、完了までにかなりの期間が必要な多くの作業のために用意されてあった。だが、われわれは、すぐにもわれわれに背を向けるだろうということが分かっている労働者たちを使ってこのような作業を始めることができたであろうか?もしこのような移住者たちの労働を確保しておけることが確かだったならば、われわれは喜んですぐに彼らを高い値段で雇い入れたであろう。いや、たとえ彼らがいなくなるということが確かだったとしても、もしわれわれの必要に応じて新しい供給があるということが確かだったならば、やはりわれわれは彼らを雇ったであろう。」

ウェークフィールドは、イギリスの資本主義的農業やその「結合」労働をアメリカの分散的な農民経営とはなやかに対比して見せたあとで、うっかりメダルの裏側まで見せている。彼はアメリカの民衆を裕福で独立的で企業心に富み比較的教養のあるものとして描いている。ところが、

「イギリスの農業労働者は哀れなやつで、受給貧民である。…北アメリカやわずかばかりの新しい植民地を別とすれば、はたしてどの国で、農村で充用される自由な労働の賃金が労働者の最低必要生活手段をいくらかでも超過しているであろうか?…疑いもなく、イギリスの農耕馬は、一つの貴重な財産なので、イギリスの耕作者よりもずっとましな食事を与えられている。

だが、心配することはない。国の富というのはもともと人民の貧困と同じなのだから。

資本家は労働者を搾取して、その仕事の大部分の支払いを節約したいのですが、植民地では、それができません。生産手段は無数の自営の生産者に分散され、これによって資本の集中が破壊され、協業のすべての土台が破壊されてしまいます。固定資本を長年にわたって投じる必要のある息の長い企画を実行しようとしても、必ず障害に直面することになるのです。

彼は嘆いている。賃金労働者の供給が恒常的なものではないし、規則的でもないし、十分でもない。労働者の供給は「つねに少ないだけではなく、不安定なのである」。「労働者と資本家のあいだで分け合う生産物の量が多いのはたしかだが、労働者の取り分が多すぎて、労働者はすぐに資本家になってしまう。…それにたいして、珍しいほどに長生きしても、巨大な富を蓄積できる人はごく少数である」。

資本家は労働者の仕事の大部分に支払いを行わないように節約したいのだが、労働者はそれを許さない。資本家が抜け目がなく、自分の資本でヨーロッパから自前の賃金労働者を輸入できたとしても、何の役にも立たない。「彼らはすぐに賃金労働者であることをやめてしまう。自営農になるか、賃金労働者市場で前の雇い主のライバルになってしまう」。

この資本家の恐怖を分かっていただきたい。この賢い資本家は、自分の大切な資金を使ってヨーロッパから、なんと自分の生けるライバルを輸入したことになるのである。これでは万策尽きた状態である。植民地では賃金労働者が従属関係にはいらず、また従属しているという感情をもたないことをウェイクフィールドが嘆くのも、無理はない。彼の弟子のメリヴェールに言わせると、植民地では労働賃金が高いので、より安価で、より従順な労働を求める情熱的な願望がある。資本家が労働の条件を指定されるのではなく、労働の条件を指定することができる階級が激しく求められているのである。古くからの文明国〔旧世界〕では、労働者は自由ではあったが、自然法則にしたがって資本家に従属している。〔新世界の〕植民地では、人為的な手段によってこの従属関係そのものを作りださねばならないのである。

それではウェイクフィールドによると、植民地におけるこの弊害のもたらす結果はどのようなものだろうか。その帰結は生産者と国民の財産が「分散する野蛮なシステム」が生まれることだという。生産手段は無数の自営の生産者に分散され、これによって資本の集中が破壊され、協業のすべての土台が破壊される。固定資本を長年にわたって投じる必要のある息の長い企画を実行しようとしても、必ず障害に直面することになる。ヨーロッパであれば、資本がこのような企画に迷うことはない。労働者階級は資本の生ける付属品として、いつでも溢れるほど存在していて、自由に使えるからである。しかし植民地となると!ウェイクフィールドはきわめて苦痛に満ちた逸話を語っている。彼はカナダやニューヨーク州の数人の資本家たちから話を聞いたのだが、これらの地方では移住の波が停滞して、「過剰になった」労働者が沈殿物のように溜ることも多いのだという。

「われわれの資本は」と、このメロドラマの登場人物の1人が語る。「われわれの資本は、完了するまでに数年はかかる事業に使えるように準備されていた。しかしすぐにわれわれに背を向けることが分かっているような労働者たちと、こんな事業ができるものだろうか。この移民してきた人々の労働をずっと使えることが確認できれば、喜んですぐにでも高い賃金で雇い入れただろう。それどころか、彼らがいなくなることが確実であっても、われわれの必要とする新たな労働者の供給が確実なものであれば、彼らを雇い入れただろうに」。

ウェイクフィールドはイギリスの資本制的な農業とその「結合」労働をアメリカの分散された農業経営と巧みに比較対照してみせるが、その後で彼の口からコインの裏側とでも言うべき意見が語られる。彼はアメリカの民衆を豊かで、独立し、企業家精神に富み、かなり教養が高い人々として描く。それにたいして「イギリスの農業労働者は、惨めなならず者たちで、貧乏人だ。…北アメリカとその他のいくつかの植民地を別とすると、農村に投入された自由な労働の賃金が、労働者の生活に必要な額をいくらかでも上回っている国がどこにあるだろうか。…イギリスでは、貴重な財産である農耕用の馬のほうが。農村労働者よりもはるかによい食事を与えられていることは疑いようのないことだ」。

しかし気にすることはない。国の富とはその本性からして、国民の貧窮と同じことを意味するものなのだ。

 

ウェークフィールドの提案

では植民地の反資本主義的な癌腫はどうすればなおるだろうか?もしすべての土地を一挙に国民的所有から私有に転化させようとするならば、それはたしかに悪弊の根源を絶やすことになるであろうが、しかしまた─それは植民地をも滅ぼしてしまうだろう。一石二鳥、それがわざというものである。かりに、政府の力で処女地に需要供給の法則にはかかわりのない価格をつけ、この人為的な価格のために移住者は土地を買って独立農民になれるだけの貨幣をかせぐまでには今よりももっと長く賃労働をしなければならなくなるとしよう。他方、政府は、賃金労働者にとって相対的に禁止的な価格で地所を売却することから生ずる財源、つまり神聖な需要供給の法則の侵害によって労賃からしぼり取られるこの貨幣財源を、それが大きくなるのと同じ割合でヨーロッパから植民地に貧民を輸入して資本家さまのために彼の賃労働市場をいっぱいにしておくために、利用するとしよう。こういう事情のもとでは、最善の世界では万事が最善の状態にあるということになるであろう。これが「組織的植民」の大きな秘書なのである。ウェークフィールドは勝ち誇って次のように叫んでいる。

「この案によれば、労働の供給は恒常的で規則的になるにちがいない。なぜかといえば、第一には、労働者は労働して貨幣をかせいでからでなければ土地を手に入れることができないのだから、すべての来住労働者は、賃金を得るために結合労働することによって、自分たちの雇い主のために、より多くの労働を充用するための資本を生産してやるだろうからである。第二には、賃労働をやめて土地所有者になろうとする人は、だれでも、まさに土地を買い入れること自体によって、新たな労働を植民地に誘致するための財源を保証することになるだろうからである。」

国家の定める土地価格はもちろん「十分」でなければならない。すなわち「労働者たちにたいして、他の人々がやってきて賃労働市場で彼らの代わりをするようになるまでは彼らが独立農民になることを妨げるほどに」高くなければならない。この「十分な土地価格」というのは、労働者が賃労働市場から田舎にひっこむ許しをもらうために資本家に支払う身代金を婉曲に言い換えたものにほかならない。労働者は、まず資本家さまのためにもっと多くの労働者を搾取することができるように「資本」をつくってやっておいて、それから労働市場に自分の「身代わり」を立てなければならない。そして、この身代わりを、政府はねこの労働者の費用でそれまで彼の主人だった資本家のために海の向こうから送ってよこすのである。

では、植民地では資本主義的生産は無理なのでしょうか。そこでウェークフィールドは次のような提案をします。まだ誰の所有にもなっていない土地に、政府が需要と供給の法則には依存しない人工的な価格をつけてしまえばよいというのです。そしてその価格をきわめて高く設定して、移住してきた人が土地を購入するために必要な資金を獲得するまでに、そして独立自営農民になるまでに、これまでよりも長い期間にわたって働かなければならないようにすればよいというのです。政府は、賃金労働者にとってはほとんど手がでないような高い価格で移住者に土地を売却し、それで獲得した資金で土地の価格の需要と供給の法則を被って、労働賃金から強奪した資金で、一つの基金を設置します。そしてこの基金に多額の資金を溜め込んでおいて、ヨーロッパから無一文の人々を引っ張ってきて、資本家たちが必要とする賃金労働者の市場を構築し、労働者を溢れさせるというのです。その場合、国が売却する土地の価格は次の世代の労働者たちがやってきて、代わりに賃金労市場に登場してくれるまで、今の世代の労働者が自営農になることができないほどに高い価格でなければならないというわけです。労働者は、資本家たちがさらに多くの労働者を搾取できるように、資本家たちのために資本を作ってさしあげなければならない。そのためには、できるだけ長く自営できないで、資本家の下で賃労働をするように仕向けるというわけです。それを、ここでは「身代金」という言い方をしています。

それでは資本制にさからう植民地のこの諸悪の根源は、どのようにして治療することができるのだろうか。土地を植民者たちの共同所有から私的所有に変えてしまえばこの悪を根絶できるかもしれないが、それでは植民地そのものを破壊してしまうことになる。ところが一挙両得の技がある。まだ誰の手もはいっていない処女地に、政府が需要と供給の法則には依存しない人工的な価格をつけてしまえばよいのである。そしてその価格をきわめて高く設定して、移住してきた人が土地を購入するために必要な資金を獲得するまでに、そして独立自営農民になるまでに、これまでよりも長い期間にわたって働かなければならないようにすればよいのである。

政府は、このように賃金労働者にとってはほとんど手がでないような高い価格で移住者に土地を売却することで獲得した資金で、すなわち〔土地の価格の〕需要と供給の聖なる法則を被って、労働賃金から強奪した資金で、一つの基金を設置する。そしてこの基金に多額の資金を溜め込んでおいて、ヨーロッパから無一文の人々を植民地に輸入して、資本家たちが必要とする賃金労働者の市場を構築し、労働者を溢れさせるのである。この状況では「あたうかぎりの最善な世界のうち、すべては最善である」だろう。これこそが「組織的な植民」の偉大な秘書なのである。

ウェイクフィールドは勝ち誇って叫ぶ。「この計画どおりにすれば、労働の供給は恒常的で規則的なものとなるだろう。第一にどの労働者も、貨幣を獲得するために働かなければ土地を手に入れることはできないから、移民としてきた労働者は誰もが、賃金のために協同して働くだろう、それによって、彼らを雇用する人々、さらに多量の労働を投入するための資本を作りだすだろう。第二に、賃労働をやめて土地の所有者になった人は、土地を購入することで〔基金を富ませ、それによって〕新鮮な労働を植民地にもたらす基金に貢献することになるだろう」。

当然ながら、国家が強制的に押しけた土地の価格は、「十分な」ものでなければならない、すなわち「次の世代の労働者たちがやってきて、代わりに賃金労市場に登場してくれるまで、今の世代の労働者が自営農になることができないほど」に高い価格でなければならない。この「十分な土地の価格」というのは、〈身代金〉という言葉をきれいな言葉に言い換えたものにほかならない。つまり労働者が賃金労働の市場から田舎に引退する許可を得るために、資本家に支払わなければならない〈身代金〉なのである。労働者はまず、資本家たちがさらに多くの労働者を搾取できるように、資本家たちのために資本を作ってさしあげなければならないのである。次に労働市場に、自分の「身代り」を立てなければならない。そして政府がこの労働者の費用負担で、かつての主人だった資本家たちのために、その「身代り」となる人々を海の彼方から送ってくるというのである。

 

イギリス政府の政策

このウェークフィールド氏によって特に植民地用として処方された「本源的蓄積」の方法を、イギリス政府が多年にわたって実行してきたということは、きわめて特徴的である。もちろん、その失敗は、ピールの銀行法の失敗と同じように不名誉なことだった。移民の流れが、ただイギリスの植民地から合衆国のほうに向きを変えられただけのことだった。その間に、ヨーロッパでの資本主義的生産が進展は、政府の圧力の増大をも伴って、ウェークフィールドの処方箋を不要にしてしまった。一方では、毎年アメリカに向けて追い出される絶えまない大きな人間の流れが、合衆国の東部に停滞的な沈殿を残している。というのは、ヨーロッパから移民の波がたくさんの人間を、西へと移民の波が彼らを洗い流すことができるよりももっと速く頭部の労働市場に投げ込むからである。他方では、アメリカの南北戦争は莫大な国債を伴い、またそれとともに租税の重圧、最も卑しい金融貴族の製造、鉄道や鉱山の開発のための山師会社への公有地の巨大な部分の贈与など─要するに最も急激な資本の集中を伴った。こうして、この大きな共和国も、労働者移民にとっての約束の地ではなくなった。そこでは、賃金引き下げや賃金労働者の従属はまだまだヨーロッパで平均水準まで落ちてはいないとはいえ、資本主義的生産は巨人の足どりで前進している。ウェークフィールド自身もあのように激しく非難しているような、イギリス政府の手による貴族や資本家への植民地未耕地の恥知らずな投げ売りは、ことにオーストラリアでは、金鉱が引き寄せる人間の流れや、イギリス商品の輸入がどんなに小さな手工業者でも相手にして行う競争といっしょになって、すでに十分な「相対的過剰労働者人口」を生みだしているのであって、ほとんど毎回の郵便船がオーストラリアの労働市場の供給過剰という凶報を運んでくるほどである。そして、そこでは売春が所によってはロンドンのヘーマーケットにも劣らずはびこっているのである。

とはいえ、われわれはここでは、植民地の状態にかかずらっているのではない。ただ一つわれわれの関心をひくものは、新しい世界で古い世界の経済学によって発見されて声高く告げ知らされたあの秘密、すなわち資本主義的生産・蓄積様式は、したがってまた資本主義的私有も、自分の労働にもとづく私有の絶滅、すなわち労働者の収奪を条件とするということである。

イギリス政府はウェイクフィールド氏が植民地で適用するために処方したこの「原初的な蓄積」のための方法を、長年のあいだ実行してきたが、これはいかにもイギリス政府らしいことである。しかしこれはピールの銀行法と同じように、悲惨な大失敗に終わった。その成果といえば、移民の流れがイギリスの植民地からアメリカ合衆国へと向きを変えただけのことだった。さらにその後ヨーロッパで資本制的な生産が発達したために、政府からの圧力の増大もあって、ウェイクフィールドの処方箋はまったく不要になってしまった。

一方では、毎年のように膨大な数の人々がアメリカに移住したために、アメリカ合衆国の東部に人々が「沈殿」して溜まってしまった。東部から西部へと移民の波が流出するよりも多量の移民の波がヨーロッパから流入したために、人々が労働市場に放りだされた。他方でアメリカの南北戦争のため政府は巨額の負債を背負い込むことになって増税せざるをえなくなった。これがきわめて俗悪な金融貴族たちを生みだした。そして鉄道や鉱山で利用するために、膨大な面積の公有地が投機会社に無料で提供された。要するにごく短期間に資本の集中が行われたのである。

このようにしてこの巨大な共和国〔アメリカ合衆国〕は、移民労働者の〈約束の地〉ではなくなった。資本制的な生産は巨大な進歩を遂げた。ただし長いあいだ、賃金の低下と賃金労働者の依存度は、ヨーロッパで通例の水準まで悪化するにはいたらなかった。ウェイクフィールド自身は、開拓されていない植民地の土地を、金融貴族や資本家に無料で提供するイギリス政府の恥知らずなやり方を激しく非難していた。それでもオーストラリアでは、金鉱の発見にともなって移民が大量に流入し、イギリス商品が輸入されるため、ごく小規模な手工業者でも激しい競争に直面したので、十分な量の労働者の「相対的な過剰人口」を作りだしたのだった。そしてオーストラリア行きの乗り合い郵便船が到着するたびに、オーストラリアの労働市場の供給過剰という凶報を運んでくることになったのだった。こうしてロンドンの〔売春街の〕ヘイマーケット並みに、オーストラリアのあちこちで売春がはびこることになった。

しかしここでは、植民地の現状を検討しているわけではない。わたしたちが関心をもつのは、旧世界の経済学が新世界において発見し、声高に語っている秘密だけである。その秘密とは、資本制的な生産様式と蓄積様式は、すなわち資本制的な私的所有は、みずからの労働に依拠している私的所有を破壊することをその条件としていること、すなわち労働者の財産の収奪を条件としていることにある。

 

『資本論』では第24章につづいて「現代の植民理論」という本章を付加しています。目次だけ見たのでは、唐突でその関係が明らかでないように見えますが、これは資本の本源的蓄積に対応して、経済学者の資本観を具体的な事実をもって批判しているという内容です。

経済学者は、自分の国ではすでに資本主義画ある程度完成しているか、あるいはそれまででなくても少なくともその発展の過程にあるために、資本主義社会の事実を理解しないで、資本家的所有関係にたいしても本来は労働に基づくものであるという旧来の想定を固守しようとしているのですが、植民地の事実は明らかにそのことを暴露しているというのです。マルクスはその例としてウェークフィールドの「組織的植民」をあげています。経済学者も資本主義の本国では見ることのできなかった資本の本質に、植民地では触れざるを得ない。機械や道具その他の生産手段も、生活資料も、あるいはこれを購入する貨幣も、直接の生産者自身が土地を得て生活資料と生産手段とを生産しているかぎり、資本として機能するものではない。資本は物ではなく、物をとおして与えられる人と人との関係です。直接の生産者が、生産手段を所有しない賃金労働者であることを前提としてはじめて資本が成立する。物つまり資本を所有する者が資本家となるわけです。直接の生産者が生産手段を所有しているところでは、資本は成立しない。そこでウェークフィールドの「組織的植民」は、たんに資本を移出するだけでなく、また生産者無としての労働者を移住させるだけでもなく、賃金労働者─言い換えれば土地を持たないプロレタリアート─を植民地で確保しようとしたものであるということができるのです。

植民地の土地をただちに私有化してしまうことは、植民地を植民地でなくしてしまう。それではウェークフィールドがせっかくイギリスの農民と対比して讃美するアメリカの農民を失うことになります。そこで政府の力で、植民地の処女地に一定の任意の価格を定め、移住者が土地を買い取って独立の農民となることができるまで賃金労働者として働かせるようにしようというのです。それは一方では賃金労働者を資本にとって確保しながら、他方では土地の売却によって得る資金でヨーロッパからプロレタリアートを移住させることに役立てることになります。要するに植民地の土地を賃金労働者の交代者が来るまでは彼を独立の農民にさせない程度に高い価格で売却させるという計画です。これは、ウェークフィールドがとくに植民地で充用すべきものとして考えた本源的蓄積の方法でした。しかしこれはイギリスがその植民地の開拓民をイギリス領の植民地からアメリカ合衆国へと替えたために失敗してしまったわけです。しかし、アメリカもいつまでも植民地のままではありませんでした。ここでもまた資本主義の発展の基礎がつくられたからです。

このように本章はたんに植民地政策を論じているものではなく、資本家的生産方法は、直接の生産者と生産手段との分離を前提とすることを、経済学者自身も認めざるを得なかった点を指摘しようとするものです。それは、第4章「貨幣の資本への転化」の第3節「労働力の売買」で明らかにされた資本主義的生産様式の前提条件を示すものです。資本主義は、歴史的に旧社会、言い換えれば従来の主たる生産手段である土地が封建的関係の下での農民あるいはその崩壊によって生まれた自営農民という直接の生産者で成り立っていた社会では、この直接的な社会を崩壊させるプロセスとして資本の本源的蓄積という過程を必要としました。このことが、植民地の事情によって反対側からの証明を目論んだのが本章です。しかも、この関係を正しく科学的に認識できなかった経済学者も、事実によって認めざるを得なくなったというのです。

 

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