マルクス『資本論』を読む
第1部 資本生産過程
第4篇 相対的増殖価値の生産
第12章 分業とマニュファクチュア
 

 

 カール・マルクスの『資本論』を読んでいこうと思います。『資本論』については、たくさんの解説や論説があって、これがどういう著作であるかとか、時代背景とか、後世への影響とか、色々なところで論じられていると思います。ここでは、そういうことは脇に置いて、現物に当たってみて、自分なりにこう読んだというのを追いかけることにします。なお、実際に読むのは、スタンダードな訳として定評のある岡崎次郎の翻訳による大月書店のマルクス・エンゲルス全集版です。参考として、中山元の翻訳で日経BPクラシックスのシリーズで出版されているものをピンク色で適宜へいきすることにします。また、中山訳は本文を小見出しをつけて区切りをつけているので読みやすくなっているので、その小出しの区切りを使います。中山訳は、岡崎訳に比べて分かりやすく、こっちをつかいたかったのですが、フランス版を底本にしていることと、例えば、「剰余価値」と一般に定着している用語を「増殖価値」と訳したりして個性的なところがあって、慣れないところがあるから、参考にとどめています。続けて、黒い明朝体で、それについて私はこう読んだという読みの記録を綴っていきます。そこで、説明の追加をしたり、多少の脱線をします。なお、それでは、細かくなりすぎて全体像がつかめなくなってしまうおそれがあるので、目次の構成の「節」ごとに、そのはじめのところで概要を記すことにします。

 

第1部 資本の生産過程

第4篇 相対的剰余価値の生産

第12章 分業とマニュファクチュア

〔この章の概要〕

ここでいうマニュファクチュアとは、次章でみる大工業のように機械が本格的に導入されておらず、道具を用いて手工業で生産を行っていた「工場制手工業」を指します。ここでは、たんに協業か行われるだけでなく、協業が作業場のなかでの分業として行われていました。マルクスは「マニュファクチュアが資本主義的生産過程の特徴的な形態として優勢になるのは、おおよそ、16世紀の半ばから18世紀の最後の3分の1期まで続く本来のマニュファクチュア時代のあいだである」と述べています。

ここでも重要なのは、やはり分業という生産方法の変革が労働者に与える影響であり、資本主義的生産におけるその意味です。

『資本論』ではあえてマニュファクチュア的分業の前に前章で「協業」という項目を置いて、それについて詳しく論じています。それは、分業は実際には協業に基づく分業だからで、協業の一形態に他ならないからなのです。分業が協業の一形態と規定されるかぎりで、分業を伴わない協業は単純協業として再規定されます。協業は資本主義的生産様式の基礎であり、その普遍的共通性であるとともに、特殊な協業である分業との対比においては単純協業として特殊化されています。

労働者が集団でお互いに協力し合って労働をするというのが協業であるが、協業のお互いに協力し合ってという側面が最もはっきりとしたものになるのは、それぞれが全体労働の一側面のみを担っている場合です。たとえば、ある生産物を生産するのに5つの工程が必要であるとして、その5つをそれぞれ別の労働者が担っている場合、それぞれの労働者は自分が担当している工程だけでは何ら生産物を完成させることができないのだから、彼らは単純協業の場合よりもはるかに相互に密接に協力し合っていることになる。したがって分業は協業の一形態であるというだけでなく、協業の協業性そのものをいっそう発展させたものと言うことができます。

マニュファクチュアは日本語で「工場制手工業」と訳されます。工場制手工業は、文字通り工場のなかで、機械工業ではなく手工業を行う生産方法のことです。そのような工場制手工業は今も日本に多く残り、世界中に多いはずですが、現在でもなお手工業であるその経営形態からは、あまり分業の発達していない、数人規模の零細工場がイメージされてしまうのではないでしょうか。

しかし、資本主義的生産の最初の段階としてのマニュファクチュアは、少なくとも十数名、多ければ数十名の労働者を雇用する、当時としては最大級の大経営のことであました。

分業に基づく協業がマニュファクチュアにおいて典型的な形態となりました。「それが資本主義的生産過程の特徴的形態として支配的に行われるのは、ほぼ16世紀の半ばから18世紀の最後の3分の1期までの、本来のマニュファクチュア時代のことである」とマルクスは書いています。16世紀の半ばというのは1550年頃だから、日本でいうと織田信長が出てくる時代にあたります。世界貿易がはじまり、日本にもキリスト教宣教師らが渡来した大航海時代です。

18世紀の最後の3分の1期までというと、1766〜67年頃までということです。マルクスがマニュファクチュア時代の終わりと考えた画期は、1769年のアークライトによる水力紡績機の特許取得であった。盗作との非難もあるが、産業革命を代表する発明であり大工業時代への扉を開くものでした。

なお、今日ではきわめて有名な「産業革命」という用語は、24歳のエンゲルスが1845年に書いた『イギリスにおける労働者階級の状態』の序説で使われたのが最初らしい。エンゲルスは「その世界史的意義は今ようやく認識されはじめたばかりである」と書いています。マルクスがそれをさらにくわしく分析したことになるが、しかしそのためには、まずそれ以前のマニュファクチュアからみる必要があると思います。

マニュファクチュアには二つの発生の仕方がありました。

第一は、種々の独立手工業者が、1人の資本家により一つの作業場に結合された場合です。マルクスが例に出しているのは、乗用馬車の製造です。車体を作る車匠、それに馬をつなぐ用具をつける馬具匠、指物匠、鍛冶屋、塗装工、金属メッキ工等々。ガラスを窓にはめ、装飾画を馬車に描きます。レース職人は窓にカーテンでもつけるのでしょうか。こうした種々の独立手工業者を集めて、馬車を作らせたのです。もともと別の仕事をしていた職人たちを、労働者として一つの場所に集めて工場としたのが第一の発生の仕方でした。これらの職人は、本来は馬車以外の物も作っていたのですが、マニュファクチュアのもとで馬車製造に専業化すると、それに熟練する一方で、ほかの物を作る能力を失っていくことになりました。

第二の発生の仕方は、それとは逆に、もともと一つの仕事だったのが自然に分業が生まれて、それがくり返されるうちに偶然的なものから合理的、組織的分業に発展したものです。この発生の仕方のほうが一般的でした。

一方では独立生産者が結合されて非独立化することで、他方では協業が分解されて独立化することで、分業となったのです。

マニュファクチュアのメリットの多くは、その協業としての性格から生じるものですが、分業により労働者が一つの部分機能に転化されてしまうところが、大きな違いです。

今までは一つの全体の仕事をしていたのに、分業によって終生一つの同じ作業に従事することなった労働者は、その作業の一面的・部分的器官に転化することになりました。それによって一連の諸作業を1人で行う手工業者よりは、生産性が上がりました。

分業によって特化された部分労働に熟練することは、社会的分業について資本主義以前からみられることです。それが作業場の中で再生産され、極端にまで進められたのです。

分業は、単純な協業と較べてまた一段と生産性を上げます。道具を持ちかえたり、別の作業へ移るための時間の無駄がなくなるからです。一つの作業を休みなく続けることで、労働が強化され、他方では労働が単調化して、緊張力と高揚力を失わせます。つまり種々の作業をするときには、次の作業に移るときに気分の転換もあるし、刺激がありました。完成させたという達成感もあったでしょう。それがなくなって、一日中、一年中、一生なにか一つの部分労働に従事することが苦痛になってきます。

マニュファクチュアの二つの基本形態として、異種的マニュファクチュアと有機的マニュファクチュアがあります。マニュファクチュアの発生は二重であると書かれていましたが、それとは区別されることです。分業によって、異種的過程に分裂することもあり、逆に異なる手工業が有機的連続性をもつこともあったからです。この両形態は本質的に異なり、大工業に転換するさいにもそれが影響しました。

異種的なものの例として、マルクスは時計の例をあげています。

時計はニュルンベルクの1人の手工業の個人的生産物から、無数の部分労働者の社会的生産物へと発展しました。ここでいう時計とは、掛け時計ではなくゼンマイで動く懐中時計です。ニュルンベルクのペーター・フェンラインが1510年頃にはじめて作り「ニュルンベルクの卵」と呼ばれました。まだガリレオが振り子の原理を発見する前だから、ゼンマイを使う懐中時計のほうがまだ振り子時計よりも先にできていたのです。

懐中時計の場合、多くの部品を最終的に集めて組み立てることで完成します。これが異種的マニュファクチュアです。このように多くの部品が最後に結合される場合、マニュファクチュアといっても、各部品を作る職人それぞれの作業は直接関連がありません。したがって組立工以外の労働物は一つの作業所に集めなくてもよかったのです。大きな工場を建てる必要がなく、そのほうが資本家にとって節約になる場合もありました。

それに対して、第二の形態の有機的マニュファクチュアでは、相互に関連する段階を通過して製品が作られました。たとえば、縫い針製造工場のマニュファクチュアでは72ないし92工程の部分労働の手を経る、と在ります。針金が伸ばされ、切られ、尖らせられ、徐々に形を変えて何段階もの過程を経て縫い針になっていきます。この場合は部品を集めて組み立てるのとはまったく違い、一つの原料が多くの段階を経て完成品になります。

アダム・スミスが『諸国民の富』の冒頭で紹介したのもピンの製造であり、その生産力を絶賛しています。

たしかに、このような分業によって生産力は飛躍的に上昇しました。今では一つの工程が終わってから次の工程へいくまでの、移動の時間と空間が必要だったものが、それが連続することで無駄がなくなりました。しかも、各部分労働者が互いに依存しあっているため、労働の一様性、規律性、強度が強制されます。1人1人だったらマイペースで作業をできたものが、そうした工程の途中に割り当てられたら、その前の過程から次の過程に、停滞させずに自分の労働を遂行することが必要になってきます。経験的に確定された確定された社会的必要労働時間が、生産過程の技術的な法則となっていきます。

労働時間が各種作業に分かれると、作業にとっては早く済む作業と、時間のかかる作業が出てきます。そうすると、時間のかかる段階には二人を割当て、その次の段階はまた1人でするというように、作業の技術的性格による労働者の比例的配分が必要になります。また規模が拡大してくれば、中間的指導労働や運搬労働も必要になります。

マニュファクチュアは互いに関連するマニュファクチュアの結合へも発展します。それが機械使用の際に技術的統一の基礎となったのです。

マニュファクチュアでは労働者が全体として、以前は1人の労働者が行っていたさまざまな労働過程を分業して行うようになったことになります。つまり、それぞれ一画的・部分的な労働の機能を発展させた各部分労働者を合わせた全体の労働が、かつての全体労働者の労働となりました。そのいわば完全性が、マニュファクチュア労働者としての完全性となったといえます。

ところで、その部分的機能には、熟練労働もあり、不熟練労働もありました。そのため労働力の等級制が発展し、賃金体系が形成されました。しかも、なかにはもっとも単純な作業を割り当てられた労働者もいたわけですが、その労働者が単純な不熟練労働から抜けだすことは難しくなっていたのです。

中世の手工業の場合は、もちろん新人の徒弟がもっとも単純な仕事をさせられました。しかし親方の下で修業をしていくうちに、徒弟はだんだん仕事を覚えて、地位が上がっていきます。最後は親方として独立できるという夢をもてたのでした。そういう訓練が手工業者のなかでは行われていました。今でも職人の世界では、たとえばケーキ屋だと朝早く来て卵をまず何百個も割って溶くのが新人の仕事です。新人が最初にやる仕事があって、そこからだんだんステップアップしていきます。

ところが、マニュファクチュアのなかで単純な労働に部分化された労働者のなかには、次のステップへ進む機会がなく、その単純な作業が一生の労働になる者がでました。資本としてはそれでもかまいませんでした。そのためマニュファクチュアのもとではじめて不熟練労働者、いずれは熟練するという意味ではなく、一生不熟練労働者で終わる労働者の一群が生まれることになります。まだ基盤は熟練工による手工業ですが、そのなかに不熟練労働者が一つの階層として固定していくことになったのです。

彼らには修繕費用が不要となり、労働力価値=賃金も低くなるのは当然でした。

社会的分業もマニュファクチュアと同様に二重の起源をもっていました。

第一は、部族内で自然発生的に分業が行われた場合で、非独立的な生産が相互に独立したことになります。男か女か、大人か子供かによって異なる労働が割り当てられました。第二は、部族や共同体が接触して生産物交換が発生した場合で、相互に独立していた生産が、相互に依存する社会的分業に非独立化されたことになる。

マニュファクチュアの分業と社会内の分業は相互に関連しており、似ているところもありますが、本質的には違うものでした。資本主義の社会的分業は、商品流通によって媒介され、それを律するのは価値法則です。つまり、各資本家は無規律的に生産し、それが社会的な使用価値になっていれば売れるし、作りすぎれば価格が下がる。もし社会的に必要な使用価値でなければ売れない。価値法則によって、事後的に調整されて社会的分業のバランスがとれるのです。

それに対してマニュファクチュア内の分業は、まず各工程の間で商品交換がない。商品交換によって分業が媒介されているのではなく、しかもその分業は資本家の計画によって先天的に配分されているのです。

社会的分業はマニュファクチュアの時代にならなくても、当然古代から存在していました。しかし、それは作業場内の分業を発展させるものではなく、むしろそれを排除しようとする傾向をもっていた。その点で、マニュファクチュアは資本主義的生産様式に特有なものでした。

マニュファクチュアは必然的に使用する労働者の数を増加させ、それに合わせて生産手段への投資を増大させる必要がありました。それはマニュファクチュアの技術的性格から生じたことといえます。

一方、労働者は一面的・部分的な労働に特化された部分労働者になり、もはや独立できずに資本のもとでしか生産を行いえない存在となったのです。

部分労働者になってしまうと、なにを作るか、そのためになにが必要かといった、その工場全体にとって必要な知識、洞察、意志が不要となり、それから分離されてしまうことになります。それどころか「無知は勤勉の母である」、つまり労働者は無知であるほうが望ましいと資本家の御用学者ファーガスンは書いています。また、ガルニエは国民を教育することは分業の法則に反すると書きました。1人の人間になぞらえて、頭の労働と手の労働があります。資本家が頭で、労働者が手です。国民一般はみんな手になればよいのであって、頭にならなくてもいいです。頭の労働と手の労働との分業は、社会が富めば富むほどますます明瞭となり、決定的となります。しかし政府が教育によってその分業を妨害し、この自然の進行を阻止してよいのであろうか、という論法でした。

そのことは、この時代に出現した経済学が、社会的分業とマニュファクチュアの分業を区別できず、生産の量ないし価値の側面ばかりみていたことからもわかります。彼らは労働者の部分化・一面化には無批判でした。しかしプラトンをはじめギリシャ時代の著述家は、それとは対照的に社会的分業を質と使用価値の側面からみて、人間の才能が相応の活動領域を見いだすことで個人の能力が発展すると考えていたのである。

とはいえ、マニュファクチュアによる資本主義的生産には多方面の障害がありました。マニュファクチュアは単純な作業に従事する不熟練労働者を生みだしましたが、不熟練労働者はまだ生産の主体になっていませんでした。生産の中心的部分を担っていたのは、やはり熟練労働者でした。手工業的な熟練が必要であり、その熟練労働者が資本に対して抵抗すると、資本はどうしようもなかったのです。

このようなマニュファクチュアの障害を取り除いたのがアークライトです、と資本の代弁者ユアは書きました。「アークライトが秩序をつくりだした」。アークライトは、いうまでもなくマニュファクチュアの時代を終わらせた水力紡績機の発明者です。産業革命によってマニュファクチュアの限界が打破され、機械制大工業に発展したのです。

ところで、アークライトの水力紡績機にしても、あるいはそれと並ぶ重要なはつめいであるワットの蒸気機関にしても、そのような機械を誰が作ったのかというと、マニュファクチュアが創ったことになります。マニュファクチュアは、マニュファクチュア自身の製造物として機械を作ることで、自分自身の基礎を壊していくことになりました。

 

 

〔本分とその読み(解説)〕

第1節 マニュファクチュアの二重の起源

二つの道

分業にもとづく協業は、マニュファクチュアにおいてその古典的な姿を身につける。マニュファクチュアが資本主義的生産過程の特徴的な形態として優勢になるのは、ざっと計算して16世紀の半ばから18世紀の最後の3分の1期まで続く本来のマニュファクチュア時代のことである。

マニュファクチュアは二重の仕方で発生する。

一方では、ある一つの生産物を完成されるまでにその手を通らなければならないいろいろな種類の独立手工業の労働者たちが、同じ資本家の指揮のもとにある一つの作業場に結合される。たとえば1台の馬車は、車工、馬具工、指物工、錠前工、真鍮工、ろくろ工、レース工、ガラス工、画工、塗工、メッキ工など多数の独立手工業者の労働の総生産物だった。馬車マニュファクチュアは、これらのいろいろな手工業者をすべて一つの作業場に集め、そこで彼らは互いに助け合いながら同時に労働する。馬車にメッキすることは、たしかに、馬車がつくられてからでなければできない。しかし、たくさんの馬車が同時につくられるならば、あるものが生産過程の前のほうの段階を通っているあいだに、いつでも他のどれもがメッキされているということが可能である。

そのかぎりでは、まだわれわれは、有り合わせの人と物とを材料とする単純な協業の域を脱してはいない。ところが、やがて一つの重要な変化が現われる。ただ馬車の製造だけに従事している指物工や錠前工や真鍮工などは、自分の従来の手工業をその全範囲にわたって営む習慣といっしょに、そうする能力もだんだん失ってくる。他方、彼の一面化された動作は、いまでは、狭められた活動範囲のための最も合理的な形態を与えられる。元来は、馬車マニュファクチュアはいろいろな独立手工業者の結合体として現われた。それは、しだいに、馬車生産をそのいろいろな特殊作業に分割するものになり、これらの作業のそれぞれが1人の労働者の専有機能に結晶してそれらの全体がこれらの部分労働者の結合体によって行われるようになる。同様に、織物マニュファクチュアやその他の多くのマニュファクチュアも、同じ資本の指揮のもとでのいろいろな手工業の結合から生じたのである。

しかし、マニュファクチュアはこれと反対の道でも発生する。同じことまたは同じ種類のことを行う、たとえば紙とか活字とか針などをつくる多数の手工業者が同じ資本によって同じ時に同じ仕事場で働かされる。これは、最も単純な形態の協業である。これらの手工業者はそれぞれ(おそらく1人か2人の職人といっしょに)一つの完全商品をつくっており、したがって、その生産に必要ないろいろな作業を順にすませてゆく。彼は自分の古い手工業的なやり方で労働することを避ける。しかし、やがて外部的な事情が、同じ場所に労働者が集まっていることや彼らが同時に労働することを別のやり方で利用させるようになる。たとえば、かなり大量の完成商品を一定期間内に供給する必要があるとしよう。そのために、労働が分割されることになる。いろいろな作業を同じ手工業者に時間的に順々に行なわせることをやめて、それらの作業を互いに引き離し、孤立させ、空間的に並べ、それぞれの作業を別々の手工業者に割り当て、すべての作業がいっしょに協業者たちによって同時に行われるようにする。このような偶然的な分割が繰り返され、その特有な利点を現わし、しだいに組織的な分業に固まってゆく。商品は、いろいろなことをする1人の独立手工業者の個人的な生産物から、各自がいつでも一つの同じ部分作業だけを行っている手工業者たちの結合体の社会的な生産物に転化する。ドイツの同職組合的製紙業者が次々に行なってゆく諸作業としては互いに混じり合っていた諸作業が、オランダの製紙マニュファクチュアでは多数の協業労働者が相並んで行なう部分作業に独立化された。ニュルンベルクの同職組合的製針業者は、イギリスの製針マニュファクチュアの基本要素になっている。しかし、ニュルンベルクの製針業者は、おそらく20種にのぼる一連の諸作業を1人で次々にやっていたのであるが、イギリスのマニュファクチュアでは、まもなく、20人の製針工が相並んでそれぞれ20種の作業のうちの一つだけを行い、これらの作業は経験に従ってもっとずっと細分化されて、各個の労働者の専有機能として独立化されたのである。

このように、マニュファクチュアの発生様式、手工業からのその生成は、二重である。一方では、マニュファクチュアはいろいろな種類の独立手工業者の結合から出発し、これらの手工業は、非独立化され一面化されて、もはや一つの同じ商品の生産過程で互いに補足し合う部分作業でしかなくなる。他方では、マニュファクチュアは、同種の手工業者たちの協業から出発し、同じ個人的手工業をそのいろいろな特殊作業に分解し、さらにこれらの特殊作業を分立化し独立化して、それぞれの作業が1人の特殊労働者の専有機能になるようにする。

前章の協業では、資本家あるいはその代理者の指揮監督の下で、同じ空間と時間で多数の労働者が協力して一つの作業をすることで増殖価値を増大させていました。しかし、このなかで、たとえば、オーケストラであれば、メンバーが一つの音楽を演奏するといい中に、バイオリンやトランペットといった異なる楽器をそれぞれ演奏しているわけで、そこには分業ということも自然と生じていました。

この分業ということが明確に意識され、生産様式のひとつとして積極的に活用されるのは、工場制手工業、つまりマニュファクチュアが登場することによってです。

マルクスが念頭においているのは、16世紀なかばから18世紀の後半に及ぶ本来のマニュファクチュア時代と呼ばれるもののことです。マルクスはマニュファクチュアの二重の起源を問題として、複雑ではあるけれども単一な生産過程が、単純で複数的な労働過程へと分解されていく類型と、もともと単純な労働過程が、単一な複合的生産過程へと統合されていく類型とを考えています。ここでは、主に前者について考えていきます。

これは異種的な工場制手工業とよばれるもので、例えば馬車の製造を考えてみましょう。馬車とはその当時、馬を動力する車輛であると同時に、いわば〈移動する部屋〉であるから、馬車の製作には、馬具工から画工に至るまでの諸技術が必要となります。車台作り、馬具作り、仕立屋、錠前工、金属細工職人、ろくろ細工師、レース飾り職人、ガラス屋、ペンキ屋、塗装工、メッキ職人、等々のすべての技術が結集し、多数の生産工程が絡み合って初めて、1台の馬車が製造されるわけです。

馬車製造の工程は、もともと一人の職人が馬車を作っていたという場合なら、線的で単一な時間のなかで、一列に並んで系列化されていたものです。線的な時間である分、しかし半面では、その時間の中には、豊かに多様な工程と、身体運動が分散されて実現されており、時間自体の濃淡、強弱も様々でありえたはずです。この場合、馬車の車体に金箔で塗装することはたしかに、馬車の車体が作られてからでなければできないものです。しかし、たくさんの馬車が工場で同時に作られるなら、ひとつの車体が製造中であっても、別の車体は完成していたりして、いつも、とれかの車体に金箔の塗装することができるようになるでしょう。このようなプロセスは、ひとつであった時間が分解され、製造工程としては複数化された単純化ということができます。時間の複雑化が身体運動それ自体の単線化を、それぞれに分散し、並行的に進行する工程のおのおのについて強いることになるのです。

ここで本質的な変化が生じます。仕立屋、錠前工、金属細工職人などが馬車の製造工場の中で仕事をするようになり馬車の製造だけに従事するようになると、それぞれの職人として、例えば金属細工職人として馬車の飾りに限らず装身具やインテリアなどの様々な金属細工の仕事を受注していたのが馬車の装飾だけに従事するようになり、それに特化していくようになっていきます。その結果、馬車以外のものに金属細工のみに必要な能力は必要がなくなります。こうして、彼の仕事の範囲が狭くなり、馬車以外には応用はきかないが、馬車に最適な能力に変わっていきます。

このようにして、馬車の製造は独立したさまざまな手工業者の組み合わせだったものが、馬車の製造という統合された一連の作業が、それぞれの部分に分割され、その部分の作業は特殊な専門的な労働者が従事するようになります。この労働者を部分労働者と呼びます。

二つのマニュファクチュアのもう一つ、後者について見ていきましょう。すなわち、同じ仕事や類似した仕事をする多数の職人が、同一の資本によって、同時に同じ仕事場で雇用されるというもっとも単純な形態の協業です。

このような職種の職人は自分で、おそらく1人か2人の徒弟とともに、製品が完成するまで製造するのであり、製造のために必要なさまざまな系列の作業を順にこなしていくものです。こうした職人は昔ながらの手仕事で働いています。しかしやがては外的な状況によって、この職人たちを同じ空間に集め、彼らの仕事が同時に遂行されることの利点を、別の形で活用するようになってきます。だとえば、ある期限までに多数の製品を仕上げて供給することが必要になったという場合です。それまでは1人の職人がさまざまな作業を時間的な順序にしたがって遂行していたのが、こうしたさまざまな作業は分割され、個別に分けられ、空間的に同時に並行して行われるようになります。それぞれの作業はそれぞれ別の職人に割り当てられ、協業しながらすべての作業が同時に行われるのです。それまでは独立した職人がさまざまな作業をみずから遂行して作製する個人的な作品となっていたのが、多数の職人の結合体が作りだす社会的な産物と変わっていって、しかも、この製造活動においては、それぞれの人はただ一つの部分的な作業だけを遂行し続けるようになります。

例えば、製針マニュファクチュアは、ニュルンベルクの同職組合の製針業者が行っていた作業手順が、イギリスの製針マニュファクチュアの土台となったと考えられます。しかし製針工程が20の作業に分割されるとすると、ニュルンベルクでは1人の職人がこうした作業を順にこなして針を製作していくのですが、イギリスでは20人の職人がそれぞれに1つの作業を分担して、すべてを同時に進めるように変わっているのです。さらにこの20の作業も、経験に基づいてさらに細分され、切り離され、個々の労働者の専門の職務として独立させられているのです。

以上が、手工業からマニュファクチュアが成立してくる二つの道です。これをマルクスは次のようにまとめています。「第一に、さまざまに異なる種類の独立した職種が結びつけられることによって、マニュファクチュアが成立する。そのときにはそれぞれの職種は独立性を失い、一面的なものとなり、同じ商品の生産過程においてたがいに補足しあう部分的な作業となってしまう。第二に、同じような職種の協業によって、マニュファクチュアが成立する。まず個人の手仕事がさまざまな個別の作業に分解され、切り離され、独立したものとされ、それぞれの作業は特定された労働者の専門の職務となるのである。」

アダム・スミスが『国富論』の中で驚嘆を込めて叙述しているように、マニュファクチュア的分業は強大な生産力上昇をもたらした生産様式上の一大革命だった。それは本来の意味で資本主義が生み出した生産様式であり、マルクスはこれを「独自に資本主義手義な生産様式」と呼んでいる。資本主義的協業もそうした独自に資本主義的な生産様式の一種ではあるが、それ以前の生産様式との一種ではあるが、それ以前の生産様式との違いは微妙であるし、単純協業がそれ自体として生産様式の歴史的一段階を形成するというよりも、むしろマニュファクチュア的分業の一分肢としてはじめて広範に成立するのである。しかし、マニュファクチュアは異なる。それは資本主義の独自の産物としてはっきりと一時代を画したのであり、それゆえスミスは何よりもこの生産様式に注目したのである。

マニュファクチュアが生産力を上昇させることができたのは、一方では、全体としての生産過程をいくつもの部分的工程に分割し、その諸工程に特定の労働者を固定することで、労働の習熟を容易にし、またその技能に特化させることでその水準をも引き上げることができたからである。他方では、そのそれぞれの工程に特化した専門的な工具が開発され、それがさらに労働生産性を引き上げるのに寄与したからでもある。

分業に基づいた協業の古典的な形態が登場するのはマニュファクチュアにおいてである。マニュファクチュアは資本制的な生産過程の特徴的な形態であり、ほぼ16世紀の半ばから18世紀の最後の3分の1期まで、ほんらいのマニュファクチュア時代に主流の生産過程であった。

マニュファクチュアは二つの道で発生した。

一つの道においては、さまざまな種類の独立した手工業分野の労働者たちが、同じ資本家の指揮のもとにまとめられて、手工業で一つの生産物を完成するまで製造する。たとえば馬車は、車台作り、馬具作り、仕立屋、錠前工、金属細工職人、ろくろ細工師、レース飾り職人、ガラス屋、ペンキ屋、塗装工、メッキ職人などの多数の独立した手工業者が製造する総合的な製品である。

マニュファクチュアは二つの道で発生した。

一つの道においては、さまざまな種類の独立した手工業分野の労働者たちが、同じ資本家の指揮のもとにまとめられて、手工業で一つの生産物を完成するまで製造する。たとえば馬車は、車台作り、馬具作り、仕立屋、錠前工、金属細工職人、ろくろ細工師、レース飾り職人、ガラス屋、ペンキ屋、塗装工、メッキ職人などの多数の独立した手工業者が製造する総合的な製品である。

馬車マニュファクチュアは、これらのさまざまな手工業者を一つの作業場に集め、彼らはたがいに協力しながら同時に作業をする。たしかに馬車がすでに製造されていなければ、金箔で塗装することはできない。しかし多数の馬車が同時に並行して製造されるのであれば、その他の部分はまだ製造の早い段階にあっても、つねに金箔塗装をすることができる馬車はあるだろう。

これはまだ、人間と事物を材料とする単純な協業の段階であるが、すぐに本質的な変化が発生する。仕立屋、錠前工、金属細工職人などが馬車の製造だけに従事するようになると、これまではその手工業分野のすべての種類の仕事をしていたものが、やがてはそうした習慣を失い、その能力すら失うようになる。他方では仕事の範囲が狭まるとともに、こうした[馬車の製造だけに]偏った労働こそが、もっとも目的に適ったものとなる。

もともとは馬車マニュファクチュアは、独立したさまざまな手工業者の仕事を組み合わせものとして登場した。やがてはこのマニュファクチュアにおいて馬車の生産が、さまざまな特殊作業に分割されることになり、それぞれの特殊な作業は1人の労働者の専門的な機能として結晶する。そして全体の馬車は、こうした<部分労働者>の仕事が結びつくことで生産されるようになる。同じように織物マニュファクチュアも、その他のさまざまなマニュファクチュアも、同じ資本の指揮のもとに多様な手工業者の仕事を結合されることで発生したのである。

マニュファクチュアはさらにこれと反対の道をたどって成立することもある。同じ仕事や類似した仕事をする多数の職人が、たとえば紙とか活字とか針などを製造する職人が、同一の資本によって、同時に同じ仕事場で雇用されるのである。これはもっとも単純な形態の協業である。こうした職種の職人は自分で、おそらく1人か2人の徒弟とともに、製品が完成するまで製造するのであり、製造のために必要なさまざまな系列の作業を順にこなしていくのである。こうした職人は昔ながらの手仕事で働いているのである。

しかしやがては外的な状況によって、労働者たちを同じ空間に集め、彼らの仕事が同時に遂行されることの利点を、別の形で活用するようになる。だとえば、ある期限までに多数の製品を仕上げて供給することが必要になったとしよう。すると、それまでは1人の職人がさまざまな作業を時間的な順序にしたがって遂行していたが、こうしたさまざまな作業は分割され、個別に分けられ、空間的に同時に並行して行われるようになる。それぞれの作業はそれぞれ別の職人に割り当てられ、協業しながらすべての作業が同時に行われるのである。

このような作業の分割は最初は偶然的に行われるが、この分割が繰り返されると、やがては作業を分割することの利点が明らかになり、組織的な分業として次第に固定していく。それまでは独立した職人がさまざまな作業をみずから遂行して作製する個人的な作品となるのであり、、多数の職人の結合体が作りだす社会的な産物となるのであり、この製造活動においては、それぞれの人はただ一つの部分的な作業だけを遂行し続けるのである。

ドイツの同職組合の製糸業者において順番に連続して行われていた作業が、オランダの製紙マニュファクチュアではそれぞれに独立した作業となり、たがいに協業しあう多数の労働者たちが、同時に並行して部分的な作業となり、たがいに協業しあう多数の労働者たちが、同時に並行して部分的な作業を遂行するようになる。ニュルンベルクの同職組合の製針業者が、イギリスの製針マニュファクチュアの土台となっただろう。しかし製針工程が20の作業に分割されるとすると、ニュルンベルクでは1人の職人がこうした作業を順にこなしていくが、イギリスでは20人の職人がそれぞれに1つの作業を分担して、すべてを同時に進めるのである。さらにこの20の作業も、経験に基づいてさらに細分され、切り離され、個々の労働者の専門の職務として独立させられていくのである。

このようにマニュファクチュアの成立の道は、すなわち手工業からマニュファクチュアが誕生してくる道は二つあることになる。第一に、さまざまに異なる種類の独立した職種が結びつけられることによって、マニュファクチュアが成立する。そのときにはそれぞれの職種は独立性を失い、一面的なものとなり、同じ商品の生産過程においてたがいに補足しあう部分的な作業となってしまう。

第二に、同じような職種の協業によって、マニュファクチュアが成立する。まず個人の手仕事がさまざまな個別の作業に分解され、切り離され、独立したものとされ、それぞれの作業は特定された労働者の専門の職務となるのである。

 

生産過程の〈器官〉となる労働者

こうして、マニュファクチュアは、一方では一つの生産過程に分業を導入するかまたはいっそう発展させるかし、他方では以前は別々だったいろいろな手工業を結合するのである。しかし、その特殊な出発点がどれであろうと、その最終の姿は同じもの、すなわち、人間をその諸器官とする一つの生産機構である。

マニュファクチュアにおける分業を正しく理解するためには、次の諸点をしっかりとらえておくことが重要である。まず第一に、生産過程をその特殊な諸段階に分解することは、この場合には、一つの手工業的活動をそのいろいろな部分作業に分解することとまったく一致する。複合的であろうと単純であろうと、作業は相変わらず手工業的であり、したがって、個別労働者が彼の用具を操作するにあたっての力や熟練や速さや確かにかかっている。相変わらず手作業が基礎である。この狭い技術的基礎は、生産過程の真に科学的な分解を排除する。というのは、生産物の通るそれぞれの部分過程が手工業的な部分労働として行なわれうるものでなければならないからである。このように相変わらず手工業的な熟練が生産過程の基礎であるからこそ、どの労働者もそれぞれただ一つの部分機能だけに適合させられて、彼の労働力はこの部分機能の終生変らない器官にされてしまうのである。最後に、この分業は、協業の一つの特殊な種類なのであって、その利点の多くは協業の一般的な本質から生ずるのであり、協業のこの特殊な形態から生ずるのではないのである。

以上のように、マニュファクチュアが成立するには二つの道がありますが、いずれにせよ、最終的な姿は同じで、人間、つまり労働者を、さまざまな器官として利用する生産機構です。

マニュファクチュアにおける分業の意味は、前章の協業のための分業とは少し違うようです。それは、次のような点です。まず生産過程をその個々の段階に分解する作業は、一つの手仕事のさまざまな段階を個別の作業に分解するのとまったく同じだということです。複数の異なる作業が集まったものであれ、個々の一つずつの作業であれ、どちらも手仕事として行なわれるものであり、個々の労働者が自分の道具を使うときの力、熟練、速さ、確実さなどに左右されるものです。

もともと、製品が完成するために通過していく部分的な過程は、職人の手仕事によって、部分労働として遂行されているものです。このようにマニュファクチュアにおいて生産過程の基礎となるのは、手仕事における熟練であるため、それぞれの労働者は自分の専門とする部分的な機能だけに割り当てられ、この労働力は、一生涯にわたって、この部分的な機能を遂行するための器官に変わってしまうのである。このような分業は協業の特別な形態です。このような分業の利点の多くは、それが協業の特別な形態であることからではなく、協業の普遍的な本質である共同作業から生まれたものです。

マニュファクチュアが生じたのは、たしかに一般的な協業からです。とはいえ、マニュファクチュアは同時に、単純な協業においては前提とされていた手工業的な活動のあり方を分解してしまいました。手工業的活動を分解し破壊することによって、マニュファクチュアは同時にまた、同一の細部作業に同じ労働者を釘づけにしたのです。

このようにマニュファクチュアは、一方では生産過程に分業を導入し、さらに分業を推進する。他方ではそれまでは別の職務だった手仕事を結びつける。マニュファクチュアの成立の出発点がどのようなものだったとしても、最終的な姿は同じになる。人間をみずからのさまざまな器官として利用とする生産機構なのである。

マニュファクチュアにおける分業の意味を正しく理解するためには、次の点を確認しておく必要がある。まず生産過程をその個々の段階に分解する作業は、一つの手仕事のさまざまな段階を個別の作業に分解するのとまったく同じだということである。複数の異なる作業が集まったものであれ、個々の一つずつの作業であれ、どちらも手仕事として行なわれるのであり、個々の労働者が自分の道具を使うときの力、熟練、速さ、確実さなどに左右される。ここではまだ、手作業が土台となっている。

この技術的な土台の狭さのために、生産過程を科学的に分析することはできない。製品が完成するために通過していく部分的な過程は、職人の手仕事によって、部分労働として遂行されなければならないからである。このようにマニュファクチュアにおいて生産過程の基礎となるのは、手仕事における熟練であるため、それぞれの労働者は自分の専門とする部分的な機能だけに割り当てられ、この労働力は、一生涯にわたって、この部分的な機能を遂行するための器官に変わってしまうのである。最後に、こうした分業は協業の特別な形態であるが、その利点の多くは、それが協業の特別な形態であることからではなく、協業の普遍的な本質である共同作業から生まれるのである。

 

 

第2節 部分労働者とその道具

部分労働の功罪

もっと詳しく細目に立ち入って見れば、まず第一に明らかなことは、一生涯同じ一つの単純な作業に従事する労働者は、自分の全身をこの作業の自動的な一面的な器官に転化させ、したがって、多くの作業を次々にやってゆく手工業に比べればその作業により少ない時間を費やす、ということである。ところが、マニュファクチュアの生きている機構をなしている結合全体労働者は、ただこのような一面的な部分労働者だけから成っているのである。それだから、独立手工業に比べれば、より少ない時間でより多くが生産されるのであり、言い換えれば、労働の生産力が高められるのである。部分労働がある1人の人の専有機能として独立化されてからは、部分労働の方法も改良される。限られた同じ行為の不断の反復と、この限られたものへの注意の集中とは、経験によって、目ざす有用効果を最小の力の消耗で達成することを教える。ところが、世代の違う労働者たちがいつでも同じ時にいっしょに生活していて同じマニュファクチュアでいっしょに働いているのだから、このようにして獲得された技術上の手練は、やがて固定され、堆積され、伝達されるのである。

マニュファクチュアは、実際に細部労働者の老練を生みだすのであるが、それは、すでに社会に存在していた職業の自然発生的な分化を作業場のなかで再生産して、それを組織的に極度まで推し進めることによって行われるのである。他方、マニュファクチュアが部分労働をある1人の人間の終生の職業にしてしまうということは、それ以前の諸社会で職業が世襲化され、カーストに石化されるか、または一定の歴史的諸条件がカースト制度に矛盾する個人の変異性を生みだす場合には、同職組合に骨化されるという傾向に対応するものである。カーストも同職組合も、動植物の種や亜種への分化を規制するのと同じ自然法則から発生するのであって、ただ、ある発展段階に達すればカーストの世襲制や同職組合の排他性が社会法則として制定されるという点が違うだけである。

「ダッカのモスリンはその優美という点で、コロマンデルの更紗やその他の織物は染色が華麗で耐久的だという点で、けっしておくれをとったことがない。しかも、これらのものは、資本も機械も分業もそのほかヨーロッパの製造業にあのように多くの便益与えているどんな手段もなしに、生産される。織り手は単独の個人で、、顧客の注文に応じて織物をつくり、その用いる織機は最も簡単な構造のもので、多くは粗雑に組み合わされた木の棒でできているだけである。それには縦糸を巻く装置さえもないので、織機は伸びきったままで置かれなければならず、生産者の小屋には置き場がないほどぶかっこうで長くなり、そのために生産者の労働は屋外でなされるほかはなく、天候の変わるたびに中断されるのである。」

この蜘蛛のように巧妙さをインド人に与えるものは、ただ代々積み重ねられて父から子へと伝えられる特別な技能だけである。しかし、それにもかかわらず、このようなインドの織り手はマニュファクチュア労働者の多くに比べれば非常に複雑な労働をしているのである。

ある一つの製品を生産するさいのいろいろな部分過程を1人で次々にやってゆく手工業者は、場所を取り替えたり用具を取り替えたりしなければならない。ある一つの作業から他の作業に移ることは、彼の労働の流れを中断し、いわば彼の労働日のなかのすきまをなしている。彼が1日じゅう同じ1つの作業を続けて行うようになれば、これらのすきまは圧縮されるか、また彼の作業の転換が少なくなるにしたがってなくなってゆく。生産性は上昇は、この場合には、与えられた時間内の労働力の支出の増加、つまり労働の強度の増大のおかげか、または労働力の不生産的消耗の減少のおかげである。すなわち、静止から運動に移るたびに必要になる余分な力の消耗が、ひとたび到達した標準速度の持続が長くなることによって補われるのである。しかし、他面では一様な労働の連続は活気の緊張力や高揚力を破壊するのであって、この活気は動作の転換そのもののうちにその回復と刺激とを見いだすのである。

マニュファクチュアが生産力を向上させることができたのは、一方では、全体としての生産過程をいくつもの部分的工程に分割し、その諸工程に特定の労働者を固定することで、労働の習熟を容易にし、またその技能に特化させることでその水準をも引き上げることができたからです。他方では、そのそれぞれの工程に特化した専門的な工具が開発され、それがさらに労働生産性を引き上げるのに寄与したからでもあるのです。

分業の分割されたひとつの作業は単純作業となりますが、長年にわたり、専らその作業を遂行している労働者は、その作業に特化するようになって、その作業に限っては、さまざまな作業を代わる代わる順に遂行する職人よりも短時間で仕事をすませることができるようになります。このような部分の一面的な労働者を部分労働者と呼び、このような労働者で構成されたマニュファクチュアの生産全体の労働者集団を全体労働者と呼びます。

この部分労働者は、独立した手工業の職人による生産と比べると、マニュファクチュアでは少ない時間で、より多くの量を生産をすることができるで、労働の生産力が向上していることになります。この部分労働は、担当する1人の労働者の専門の職務として、限られた作業をつねに繰り返し行い、集中していれば、手際よくなり、作業の改善するようになる、その結果、効率的な作業ができるようになっていきます。さらに、同じ作業を異なる世代の労働者が同時に担当し、一緒に働いているので、このように獲得された経験やノウハウが伝えられ、マニュファクチュア全体に蓄積されていきます。

実際にマニュファクチュアの工場では、社会のうちに存在するさまざまな職務の自然発生的な区別を工場の中で組織的に活用しています。それによって、細分化された労働者の技能を効率的に引きだしています。しかし、他方で、労働者の側からすれば、一生同じ作業に縛られることになり、その作業は巧みだが、それ以外には何もできない、いわば「つぶしのきかない」労働者となります。それは、古代のカーストと呼ばれる身分制度に縛りつけられると似たような状況に追い込まれることになってしまいました。

かつて労働者は、生産工程全体に習熟しないかぎり1人前の労働者とみなされなかったのですが、マニュファクチュアの労働者は特定の工程に習熟するだけで1人前の労働者とみなされるようになったのです。たとえば、ある商品生産物を生産するのにAからEまでの5つの工程が存在し、Aの工程に習熟するのに平均で半年、Bの工程に習熟するのに1年、Cの工程に習熟するのに1年半、Dの工程に習熟するのに2年、Eの工程に習熟するのに同じく2年かかるとしましょう。かつては、これらのすべての工程に習熟しなければならないとすれば、労働者は合計で7年の修業を積んではじめて1人前の労働者になることができるというのでした。だろう。しかし、マニュファクチュアでは、それぞれの工程において労働者となり、最も長い時間を要するDとEの工程に特化した労働者でも2年で1人前の労働者となることができてしまうのです。しかも、特定の工程に特化して訓練をつむならば、すべての工程に関して訓練を積むよりも短期間で習熟することができます。かつては7年かけてしか労働者を再生産することができなかったのに、今では半年から多くて2年以内で労働者を再生産することができるというわけです。このような熟練の解体を熟練の水平的解体という。これは一方では、労働者の労働力価値を引き下げるとともに、賃労働者として就労可能な人口を相対的に増大させることができることになります。

例えば、インド地方のモスリンやキャラコは土地の職人が、1人で顧客から注文をうけて織りあげるもので、使用する機械もごく単純な構造の織機です。この職人の技術は父から子へと代々伝えられたものですが、マニュファクチュアの労働者に比べて、はるかに複雑で多岐な作業をしています。もしもこの職人が、マニュファクチュアの労働者のように、1日じゅう同じ作業を連続して遂行するならば、この隙間は圧縮される。あるいはある作業から別の作業に交替することが少なければ少ないほど、この隙間は小さなものになる。これによって生産性は向上するでしょうが、この生産性の向上は、特定の時間のうちに導入される労働力を増大させることによって、すなわち労働の強度を高めることにはなりますが、労働力の生産的でない消耗を減らすことによってえられたものである。作業の交替に伴う静止状態から活動状態への移行に必要な力の余分な消耗は、ひとたび正常なペースが実現された後に、そのペースが長くつづくと埋めあわされる。他方で同じ仕事をずっとつづけていると、飽きてきて、緊張とやる気が失われてしまうのです。作業を交替することで、元気が回復され、刺激が戻ってくるのです。そうして、緊張を保っているのです。

さらに詳しく個別の事例を検討してみるとまず明らかになるのは、生涯にわたって同じ単純作業を遂行する労働者は、自分の全身をその作業を自動的に遂行するための一面的な器官に変えてしまうのであり、さまざまな作業を代わる代わる順に遂行する職人よりも短時間で仕事をすませることができるということである。マニュファクチュアの生きたメカニズムを作りだしているのは、結合された〈全体労働者〉であるが、それはもっぱらこのような一面的な〈部分労働者〉で構成されているのである。

このため独立した手工業の職人と比較すると、マニュファクチュアでは少ない時間で多くを生産することができるのであり、労働の生産力が向上している。この部分労働は、ある1人の専門の職務として自立してくると、その方法も改善される。限られた動作をつねに反復し、この限定的な作業に注意を集中していれば、最小の力を支出することで、目的とする効果をあげられることを経験から学ぶのである。さらにさまざまに異なる世代の労働者たちが同時に生活し、同じマニュファクチュアで一緒に働いていることから、このようにして獲得された技術的な熟練技能は次第に確立され、蓄積され、伝達されるのである。

実際にマニュファクチュアは、社会のうちに存在するさまざまな職務の自然発生的な区別を工場の内部で再現し、それを組織的にその極限にまで進めることによって、細分化された労働者の巧みな技を生み出す。他方で、こうした部分労働を1人の人間の生涯にわたる職業に変えてしまおうとするのは、かつての社会にもみられた衝動である。かつての社会においても、職業を世襲のものとしてカースト化して固定する傾向があったし、特定の歴史的な条件のために、カースト的な固定性に逆らうような個人の流動性が生じている場合には、それを同職組合として固定する傾向があった。カーストも同職組合も、植物や動物を種や亜種に分割[して固定]する自然法則と同じ法則にしたがっているのである。こうした自然法則との違いは、特定の発展段階において、カーストの世襲制と同職組合の排他性が社会的な掟として定められていることにある。

[現バングラデシュの]ダッカのモスリンはその染色の繊細さにおいて、[インドの]コロマンデルの平織り綿布やその他の織物はその染色の華麗さと色持ちの良さで、ほかに匹敵するものがない。しかもこうした製品は、ヨーロッパでの生産に大きな利益をもたらしている資本も、機械類も、分業も、他のいかなる手段も使わずに生産されているのである。これらの土地の織物職人は、顧客から注文をうけて織りあげる1人の個人であり、使用する機械もごく単純な構造の織機であって、木の棒を組み合わせただけのものすらある。経糸を巻き上げる装置すら所有しておらず、そのために織機はその全長まで広げたままで使わねばならず、使いにくい長さになって、職人の部屋の外にまで突き出てしまう。そこで職人は戸外で仕事をしなければならず、天候が変わると作業を中断しなければならないのである。

まるで蜘蛛のように巧みに糸を織るインド人のこの巧みな技は、世代から世代へ、父から子へと伝えられたものにすぎない。それにもかかわらずインドの織物職人は、多くのマニュファクチュア労働者と比較して、はるかに複雑な仕事をしているのである。

一つの製品を生産するために、さまざまな部分過程を時間をおって遂行する場合には、職人はときには場所を移動し、ときには道具を替える必要がある。一つの作業から別の作業に移るときには、その労働の流れを中断することになる。

もしもこの職人が1日じゅう同じ作業を連続して遂行するならば、この隙間は圧縮される。あるいはある作業から別の作業に交替することが少なければ少ないほど、この隙間は小さなものになる。これによって生産性は向上するが、この生産性の向上は、特定の時間のうちに導入される労働力を増大させることによって、すなわち労働の強度を高めるが、労働力の生産的でない消耗を減らすことによってえられたものである。作業の交替に伴う静止状態から活動状態への移行に必要な力の余分な消耗は、ひとたび正常なペースが実現された後に、そのペースが長くつづくと埋めあわされる。他方で同じ仕事をずっとつづけていると、緊張とやる気が失われてしまう。作業を交替することで、元気が回復され、刺激が戻ってくるのである。

 

道具の細分化

労働の生産性は、労働者の技倆にかかっているだけではなく、彼の道具の完全さにもかかっている。たとえば切る道具とか穴をあける道具とか突く道具とか打つ道具とかいうような同種の道具がいろいろな働過程で使用されるし、また同じ労働過程でも同じ道具がいろいろな作業に役だつ。ところが、一つの労働過程のいろいろな作業が互いに分離されて、それぞれの部分作業が部分労働者の手のなかでできるだけ適当な、したがって専有的な形態をとるようになれば、以前にはいろいろな目的に役だっていた道具の変化が必然的になる。道具の変化の方向は、変化していない形態によってひき起こされる特殊な用途な困難な経験から生まれてくる。労働用具の分化によって、同種の諸道具にそれぞれの特殊な用途のための特殊な固定的な形態が与えられ、また労働用具の専門化によって、このような特殊な用具はそれぞれの専門の部分労働者の手によってのみ十分な範囲で作用するようになるのであるが、このような分化と専門化とがマニュファクチュアを特徴づけるのである。バーミンガムだけでも約500種のハンマーが生産され、そのおのおのが1つの特殊な生産過程だけで役だち、さらにいくつかの種類はしばしば同じ過程のなかの違った作業にしか役だたない。マニュファクチュア時代は、労働用具を部分労働者の専有な特殊機能に適合させることによって、労働道具を単純化し改良し多種類にする。それと同時に、この時代は、単純な諸道具の結合から成り立つ機会の物質的諸条件の一つをつくりだすのである。

細部労働者とその道具とは、マニュファクチュアの単純な諸要素をなすものである。そこで今度はマニュファクチュアの全体の姿に目を向けることにしよう。

労働の生産性の向上が生ずるのは、労働者の技能の熟練だけによるとは限りません。労働者の使う道具によっても左右されます。さまざまに異なる労働過程では、切削し、穴あけし、プレスし、打ちつけるために、同じような種類の道具が使用されています。また同じ労働過程において、同じ道具がさまざまな作業で使われることもあります。しかし、労働過程が分割されて、さまざまに異なる作業が別々に切り離され、それぞれの部分作業を専門に遂行する労働者が割り当てられ、それぞれにふさわしい専属の形態を与えられると、それまでさまざまな異なる目的に使われていた道具も、それに合わせて、より適合したものに変わるようになりました。

道具が、どのように変わっていくかは、経験に基づくと考えられます。同じ種類の作業道具でも、それぞれの特別な用途に合わせて特別の決まった形態に変わっていって、労働のための道具がたがいに区別されるようになる。さらに道具の特化によって発生した特別な道具は、その作業を専門とする労働者に委ねられるときに、その完全な機能をはたすようになります。こうした細分化と特化がマニュファクチュアの特徴と言えるのです。

実際の例として、バーミンガムでは、ハンマーだけで約500種類もの異なるタイプが作られ、使用されています。それぞれのハンマーは特別な生産過程だけで使われ、別の異なった作業のためには、さまざまな派生的な形態も用意されています。

ここで気をつけるべきは、特定の工程ないし特定の作業に特化した専門的道具が開発されることは、労働者の技能水準を引き下げることになるのではなく、むしろそれを高める役割をはたすことです。高度に専門化した道具を使いこなすことは高度に発達した技能を必要とします。したがって、分業は、一方では、工程の分割とそれへの労働者の特化を通じて、熟練を水平的には解体するのですが、他方では個々の熟練の水準を(低めるのではなく)高め、個々の技能を身に着けるための期間を若干長くする役割を果たすのであります。

マニュファクチュアでは、部分労働者に固有の特別な機能だけにふさわしいものとなるように、労働の道具は単純化され、改良され、多様化されました。マニュファクチュアではこのようにして同時に、機械のための物質的な条件を作りだしたのであす。機械というものは、複数の単純な道具の組み合わせなのです。

労働の生産性は、労働者の巧みな技能だけによって決まるものではない。労働者が使う道具がどれほど完全なものかによって大きく左右される。さまざまに異なる労働過程では、切削し、穴あけし、プレスし、打ちつけるために、同じような種類の道具が使用される。また同じ労働過程において、同じ道具がさまざまな作業で使われることもある。しかし一つの労働過程のさまざまに異なる作業が別々に切り離され、それぞれの部分作業を専門に遂行する労働者が割り当てられ、それぞれにふさわしい専属の形態を与えられると、それまでさまざまな異なる目的に使われていた道具も変わる必要がある。

道具の形態がどのような方向に変わっていくかは、道具を変えないとどのような障害が発生するかという観点から、経験に基づいて決められる。同じ種類の作業道具であっても、それぞれの特別な用途に合わせて特別の決まった形態をとるようになり、労働のための道具がたがいに区別されるようになる。さらに道具の特化によって発生した特別な道具は、その作業を専門とする労働者に委ねられるときに、その完全な機能をはたすようになる。こうした細分化と特化がマニュファクチュアの特徴である。

バーミンガムだけで、約500種類ものさまざまに異なるハンマーが製造されている。個々のハンマーは特別な生産過程だけで使われ、同じ生産過程の異なった作業のために、さまざまな派生的な形態も用意されている。マニュファクチュア時代には、〈部分労働者〉に固有の特別な機能だけにふさわしいものとなるように、労働の道具は単純化され、改良され、多様化されるのである。マニュファクチュア時代はこのようにして同時に、機械のための物質的な条件を作りだしたのである。機械というものは、複数の単純な道具の組み合わせなのである。

細分化された労働者とその道具は、マニュファクチュアの単純な要素である。次にその全体の姿を調べてみよう。

 

 

第3節 マニュファクチュアの二つの基本形態─異種的マニュファクチュアと有機的マニュファクチュア

マニュファクチュアの二つの形態

マニュファクチュアの編成には二つの基本形態があって、それらは、ときにからみ合っていることもあるとはいえ、本質的に違う二つの種類をなしており、またことにマニュファクチュアがのちに機械経営の大工業に転化するときにも、まったく違った役割を演じている。この二重性は、製品そのものの性質から生ずる。製品は、独立の部分生産物の単に機械的な組み立てによってつくられるか、または相互に関連のある一連の諸過程や諸操作によってその完成姿態を与えられるかのどちらかである。

マニュファクチュアは二つの基本的な形態に分類することができます。一つは、各部品がそれぞれ独立の工程において別々のマニュファクチュア労働者によって生産された上で、最後に一個の完成品へと組み立てられる異種的マニュファクチュアです。時計の生産や馬車の生産などがその典型例です。もう一つは、原材料が、各々別のマニュファクチュア労働者が従事する連続した一連の工程を順次通って、最終的に完成品になる有機的マニュファクチュアです。それが異種的なマニュファクチュアと有機的なマニュファクチュアで、この二つの分類は、第1節で見た二つの類型、つまり、複雑ではあるけれども単一な生産過程が、単純で複数的な労働過程へと分解されていく類型と、もともと単純な労働過程が、単一な複合的生産過程へと統合されていく類型と重なると考えられます。この二つの本質的に異なる形態はときには絡み合ったりしながらも、マニュファクチュアが機械経営の大工業に変容するにあたって、まったく異なる役割をはたしました。この二つの形態は、マニュファクチュアで製造する製品そのものから生まれたものです。マニュファクチュアでは、独立した部品をたんに機械的に組み立てて製品を製造するか、たがいに関連のある一連のプロセスと操作を行った後に製品が完成するかのどちらかであるからです。

マニュファクチュアは二つの基本的な形態に分類できる。この二つの本質的に異なる形態はときには絡み合ったりしながらも、マニュファクチュアが機械経営の大工業に変容するにあたって、まったく異なる役割をはたした。この二つの性格は、マニュファクチュアで製造する製品そのものから生まれた。マニュファクチュアでは、独立した部品をたんに機械的に組み立てて製品を製造するか、たがいに関連のある一連のプロセスと操作を行った後に製品が完成するかのどちらかである。

 

異種的なマニュファクチュア

たとえば、1両の蒸気車は5千以上の独立部分から成っている。とはいえ、それは大工業の産物だから、本来のマニュファクチュアの第一の種類の実例とは認められない。しかし、時計ならばその実例になるのであって、ウィリアム・ペティも時計によってマニュファクチュア的分業を例解している。時計は、ニュルンベルクの一手工業者の個人的製品から、次にあげるような無数の部分労働者の社会的生産物に転化した。地板工、ぜんまい製造工、文字板製造工、天府ぜんまい製造工、穴石・紅玉爪石製造工、指針製造工、側製造工、ねじ製造工、メッキ工、これらに付属する多くの小区分、たとえば、歯車製造工(さらに真鍮輪と鋼輪とに分かれる)、かな製造工、日の裏製造工(歯車をかなにとりつけたり切子を磨いたりする)、ほぞ製造工、仕上工(いろいろな歯車やかなを組み入れる)、香函仕上工(歯を刻み、穴を適当な大きさにし、調整輪や制逆輪を固める)、整動装置製造工、シリンダー整動の場合には、シリンダー製造工、整動輪製造工、天府輪製造工、緩急針(時計を調整する装置)製造工、整動機製造工(本来の整動装置製造工)。次には香函製造工(香函と調整輪を仕上げる)、鋼磨き工、歯車磨き工、ねじ磨き工、文字工、焼干支工(鋼にエナメルをかける)、竜頭製造工(側の竜頭環だけをつくる)、蝶つがい仕上工(側の蝶つがいに真鍮軸を入れるなどする)、側ばね工(側の蓋あけばねをつくる)、彫刻工、細刻工、側磨き工、等々、最後に、時計全体を組み立てて動くようして引き渡す検査工。時計の部分のうちで違った手を経るものはわずかばかりで、すべてこれらのばらばらな四肢は、最後にそれらを1つの機械的な全体に結合する手のなかではじめていっしょになるのである。このような、そのいろいろな種類の要素にたいする完成生産物の外的な関係は、この場合には、類似の製品の場合と同様に、同じ作業場での部分労働者の結合を偶然的なものにする。部分労働は、それら自身また、ヴォー州やヌシャテル州でのように、互いに独立した手工業としても営まれうるのであるが、他方、たとえばジュネーヴには大きな時計マニュファクチュアができている。すなわち、一つの資本の指揮のもとでの部分労働者の直接的協業が行われている。この場合にも、文字板やぜんまいや側がマニュファクチュア自体で仕上げられることはまれである。この場合には、結合されたマニュファクチュア的経営は、ただ例外的な事情のもとでしか有利でない。というのは、競争は自宅で作業することを欲する労働者たちのあいだで最も激しく行われるからであり、生産が多数の異種の過程に分裂することは共同の労働手段の使用を許すことが少ないからであり、また、分散的製造の場合には資本家は作業用建物などのための支出を免れるからである。とはいえ、自宅でではあるが1人の資本家(製造業者、企業者)のために労働するこれらの細部労働者の地位は、自分自身の顧客のために労働する独立手工業者の地位とはまったく違うものである。

異種的なマニュファクチュアは、先ほどもみたように各部品がそれぞれ独立の工程において別々のマニュファクチュア労働者によって生産された上で、最後に一個の完成品へと組み立てられるマニュファクチュアの形態です。異種的マニュファクチュアを構成する各工程の一部は、マニュファクチュアが成立する以前でも、社会的分業の一環として別々の生産部門を構成している場合があります。その場合、マニュファクチュア的分業は、社会的分業としてばらばらに存在していた各工程を同じ工場内に空間的に集積することで成立します。つまり、このマニュファクチュア的分業は、いわば社会的分業の協業化によって成立したと言えるのです。

代表的な例として時計をあげています。部分労働は、列記されているだけでも、かなりの数にのぼります。

時計の部品には、複数の職人の手によって作られるものはほとんどなく、これらのすべての個別の部品が専門の職人によって製造されて最後に1人の手によって組み立てられて時計となる、ということです。この最終製品としての時計とそのさまざまな部品の関係は外的なものであり、他の多くの同様な製品と同じように、それぞれの部分労働者はたとえ同じ工場で働いていても、相互の関係は偶然的なものである。つまり、時計の各部品は別々に、独立して作られているということで、別々の工場(職人の自宅)で作られて、最終組み立ての際に集められればいいという程度の関係となっています。

この場合、各職人はそれぞれに特化したタコツボのようなものとなり、また、生産過程が非常に多数の異質な部分労働に分解されているために、労働手段を共同で使用することがごく稀だからである。したがって、資本家としては大きな工場を建てて、一箇所に労働者を集めるメリットはない。それゆえ、作業のすべてをマニュファクチュアにまとめても、利益をあげられるのはごく例外的な場合に限られることになります。これは、もっと進んだ大規模な機械制大工業にならないと、利益をあげられにくいと考えられます。

たとえば蒸気機関車は5000個以上の独立した部品で構成されている。しかしこれは大工業の産物だから、マニュファクチュアの第一の種類の製品と考えることはできない。しかし時計はこの第一の種類の製品と考えることはできない。しかし時計はこの第一の種類の製品の代表だろう。ウィリアム・ペティも時計を例にあげて、マニュファクチュアにおける分業を分かりやすく説明している。時計はニュルンベルクの職人の個人的な作品から、無数の部分労働者による社会的な産物へと変貌していったのである。これらの部分労働者はたとえば地板製造工、時計バネ製造工、文字盤製造工、ゼンマイ製造工、穴石・人造宝石軸製造工、時計針製造工、時計枠製造工、ネジ製造工、メッキ工、などであるが、さらにその下部のしごともある。歯車製造工(真鍮製と鋼鉄製の歯車に分けられる)、バネ軸製造工、指針製置工、歯車製置工(歯車を軸にはめ、切り子を磨く)、尖軸製造工、歯車装置組立工(歯車と軸を組み立てて歯車装置にする)、ゼンマイ装置工(歯車の葉を刻み、適切な間隔で穴を空け、調整軸とラチェットを固定する)、制動装置製造工などがいる。シリンダーを製造するには、シリンダー製造工、制動輪製造工、テンプ輪製造工、緩急装置製造工(時計の針の動きを調整する装置)、エスケープメント製造工(ほんらいの制動装置の組み立て)などがいる。さらにレンズ筒工(バネ箱と配置盤を仕上げる)、鋼研磨工、歯車研磨工、ネジ研磨工、数字書き込み工、文字盤製造工(鋼板にエナメルをかける)、止め金製造工(時計の枠を固定する止め金だけを製造する)、蝶番工(枠の中央に真鍮の軸をはめる)、蓋バネ製造工(枠の蓋を開けるバネだけを製造する)、彫り物工、彫金工、枠磨き工などがいる。最後にこの部品から全体の時計を組み立てて動くように仕上げる労働者がいる。

時計の部品には、複数の職人の手によって作られるものはほとんどなく、これらのすべての個別の部品が[専門の職人によって製造されて]最後に1人の手によって組み立てられて時計となるのである。この最終製品としての時計とそのさまざまな部品の関係は外的なものであり、他の多くの同様な製品と同じように、それぞれの部分労働者はたとえ同じ工場で働いていても、そうごの関係は偶然的なものである。これらの部分労働はたがいに独立した工場で実行することができる。たとえばスイスのヴァート州の工場とヌシャテル州の工場で別々に製造することもできるが、一方ではジュネーヴには大規模な時計マニュファクチュアがあり、一つの資本の指揮のもとで部分労働者たちが直接に協業して働いている。

その場合でも時計の文字盤、バネ、枠などが、そのマニュファクチュアで製造されることは少ない。こうした時計などの製品では、作業のすべてをマニュファクチュアにまとめても、利益をあげられるのはごく例外的な場合に限られる。というのは、自宅で作業をしたがる労働者のあいだでこそ、もっとも競争が激しくなるからであり、また生産過程が非常に多数の異質なプロセスに分解されているために、労働手段を共同で使用することがごく稀だからである。さらに資本家にとっても工場を分散しておくほうが、工場の建物に多額の投資をしなくてもすむためでもある。それでも自宅で働いているこうした部分労働者たちは、やはり資本家(工場主、企業家)のために働いているのであり、自分の顧客のために働く独立した職人とは明確に異なる役割を果たしているのである。

 

有機的なマニュファクチュア

マニュファクチュアの第二の種類、マニュファクチュアの完成された形態は、互いに関連のあるいくつもの発展段階、すなわち一連の段階的諸過程を通る製品を生産するもので、たとえば、縫針マニュファクチュアにおける針金は、72種から92種にも及ぶ独自な部分労働者の手を通るのである。

このようなマニュファクチュアが、元来は分散していた手工業を結合するかぎりでは、それは製品の特殊な生産段階のあいだの空間的分離を少なくする。製品が一つの段階から次の段階に移るための時間は短縮され、この移行を媒介する労働も短縮される。こうして、マニュファクチュアの一般的な協業的な性格から生ずる。他方、マニュファクチュアに特有な分業の原則はいろいろな生産段階の分立化を必然的にし、これらの生産段階はそれだけ多くの手工業的部分労働として互いに独立化されることになる。分立化された諸機能のあいだの関連を確立し維持するためには、製造を絶えず1つの手から別の手に、また1つの過程から別の過程に、運ぶことが必要である。大工業の立場から見れば、このことは、一つの特徴的な、費用のかかる、マニュファクチュアの原則に内在する局限性として目につくものである。

一定量の原料、たとえば製紙マニュファクチュアのぼろとか製針マニュファクチュアの針金とかの一定量をとって見れば、それは、その最終の姿になるまでに、いろいろな労働者の手のなかのでいろいろな生産段階の時間的な順列を通る。これに反して、作業場を一つの全体機構として見れば、原料はすべてその生産段階で同時に見いだされる。いろいろな細部労働者が結合されてできている全体労働者は、道具で武装された彼のたくさんの手のなかの一つの部分では針金をつくっており、同時に別の手や道具では針金をまっすぐに引き伸ばしており、さらに別の手ではそれを切ったりとがらせたりしている。いろいろな段階的過程が時間的継起から空間的並列に変えられている。それだからこそ、同じ時間でより多くの完成商品が供給されるのである。その同時性は、たしかに総過程の一般的な協業的な形態から生ずるのではあるが、しかし、マニュファクチュアは、ただ協業の既存の諸条件を見いだすだけではなく、その一部分を手工業的活動の分解によってはじめて想像するのである。他面、マニュファクチュアは、労働過程のこのような社会的組織を、ただ同じ細部作業に同じ労働者を釘づけにすることによってのみ達成するのである。

有機的なマニュファクチュアは、原材料が、各々別のマニュファクチュア労働者が従事する連続した一連の工程を順次通って、最終的に完成品になるという形態です。この有機的マニュファクチュアは、生産的に連続している諸工程を空間的に分離し、時間的に同時化することで成立したものです。ある工程を専門に担う労働者は、その直前の工程を担う労働者のつくる中間的生産物を持ってから自分の工程を始めるのではない。つまり、前の工程が終わるのを待っているのではないということです。工程と工程との間に中間的在庫が形成されることで、各工程の労働者は黙々と自分の工程を遂行していくことができるようになり、それによって効率性が大いに高まることになります。例えば、製針業のマニュファクチュアでは1本の針金が72に、ときには92にまで細分化されたそれぞれ異なる部分労働から構成されています。

このようなマニュファクチュアでは、もともとは空間的に分離されていた個々の手仕事を結合するので、製品の個々の製造段階のあいだにあった空間的な距離が短縮されることになる。それによって一つの段階から次の段階に移行する時間が短縮され、この移行に必要な労働も少なくなります。このようにしてマニュファクチュアでは手工業よりも生産性が向上することになるのですが、この生産性の向上はマニュファクチュアの全般的な協業という性格から生まれるのです。

他方で、マニュファクチュアでは作業を分割して分業を行うことが固有の原則になっているので、個々の生産段階が孤立する傾向があり、多くの職人的な部分労働として互いに独立しているのです。このように孤立した機能のあいだにまとまりを作りだし、それを維持するためには、ある職人の手から別の職人の手へと、あるプロセスから別のプロセスへと、つねに製品を移動させておかなければならない。大工業の観点からみると、それはマニュファクチュアの原則に内在した特徴的な限界であり、これによってコストが高くなる傾向がある。

たとえば、製針業のマニュファクチュアでは、使用する素材である針金が、さまざまな部分労働者の手から手へと渡され、さまざまな生産段階を経由し、一連の系列を通って最終形態へと到達するようになっています。

分業化され単純化された個々の細かな作業行うのが部分労働であるのに対して、原材料から最終的な製品を完成させるまでの全体をひととおりは、部分労働を組み合わせたものですが、それを全体労働と言います。この全体労働者には様々な道具を持つ多数の部分労働者が含まれているわけです。例えば、ある労働者が針金を引いているときに、同時に別の労働者は別の道具を使って針金を引き伸ばしている、また別の労働者は針金を切断している、あるいはまた別の労働者は針金の先を尖らせている、というように。もともとは時間的な系列に従って作業されていたさまざまな段階的な個々の分業が、時間から空間に置き換えられて、同時に併存する。つまり、別々の作業が同時に作業されるようになった。このため、同じ時間のうちで、より多くの完成品を供給することができるようになりました。

このような同時並行で作業するということは、すべての分業が全体として協業の形で遂行されるように外見となり、これは協業の形を真似たことで生まれたと考えられます。マニュファクチュアは、このようにみんなで一緒作業する協業という形を使ったというだけでなく、職人の手仕事を分解することで協業のための条件を作り出したと言えます。

第二の種類のマニュファクチュアの完成形態で製造される製品は、たがいに関連した発展段階を、一連の段階的な工程として通過していく。たとえば縫い針のマニュファクチュアでは、1本の針金が72に、ときには92にまで細分化されたそれぞれ異なる部分労働者の手を通過していくのである。

こうしたマニュファクチュアでは、当初は空間的に分離されていた個々の手仕事を結合するので、製品の個々の製造段階のあいだにあつた空間的な距離が短縮されることになる。それによって一つの段階から次の段階に移行する時間が短縮され、この移行に必要な労働も少なくなる。こうしてマニュファクチュアでは手工業よりも生産性が向上するのであるが、この生産性の向上はマニュファクチュアの全般的な協業という性格から生まれるものである。

しかし他方では、マニュファクチュアでは作業を分割して分業を行うことが固有の原則になっており、個々の生産段階が孤立する傾向があり、多くの職人的な部分労働として互いに独立してしまう。このように孤立した機能のあいだにまとまりを作りだし、それを維持するためには、ある職人の手から別の職人の手へと、あるプロセスから別のプロセスへと、つねに製品を移動させておかなければならない。大工業の観点からみると、それはマニュファクチュアの原則に内在した特徴的な限界であり、これによってコストが高くなる傾向がある。

たとえば製紙マニュファクチュアで使用する素材である布切れや、縫針マニュファクチュアで使用する素材である針金などの一定量の素材を考えてみると、さまざまな部分労働者の手から手へと渡され、さまざまな生産段階を経由し、一連の時間的な系列を通過して最終形態へと到達する。これに対して作業場を一つの全体的なメカニズムとして考察するならば、素材はすべての生産段階をつうじて同時に存在していることになる。

ここで、個々の細かな部分労働を遂行する労働者たちを組み合わせた〈全体労働者〉のようなものを考えてみよう。この〈全体労働者〉にはさまざまな道具をもつ多数の手が備わっているのであり、一本の手が針金を引いているときに、別の手は別の道具を使って針金を引き伸ばしている。別の手はこれを切断し、別の手は先を尖らせている。もともとは時間的な系列にしたがって作業されていたさまざまな段階的なプロセスが、空間的に併存して作業されるようになったのである。このために同じ時間のうちで、より多くの完成品を供給することができる。

この同時性は、すべてのプロセスが全般的に協業として遂行されることによって生まれたものであるが、マニュファクチュアはこうした協業のための条件を発見しただけではなく、職人的な手仕事を分解することで、協業のための条件を部分的に作りだしたのである。しかし他方でマニュファクチュアが労働過程を社会的に組織することができたのは、分解された同じ細かな過程に個々の労働者を固定させることによってであった。

 

マニュファクチュアの前提と制約

それぞれの部分労働者の部分生産物は、同時に、ただ同じ製品の一つの特殊な発展段階でしかないのだから、1人の労働者が別の労働者に、または1つの労働者群が別の労働者群に、その原料を供給するわけである。一方の労働者の労働成果は、他方の労働者の労働のための出発点になっている。だからこの場合には一方の労働者が直接に他方の労働者を働かせるのである。それぞれの部分過程の所期の効果をあげるために必要な労働時間は経験によって確定されるのであって、マニュファクチュアの全体機構は、一定の労働時間では一定の成果が得られるという前提にもとづいている。ただこの前提のもとでのみ、互いに補い合ういろいろな労働過程は、中断することなく、同時に、空間的に並列して進行することができるのである。このような、労働と労働とのあいだの、したがってまた労働者どうしのあいだの直接的依存関係は、各個の労働者にただ必要時間だけ自分の機能のために費やすことを強制するのであり、したがって、独立手工業の場合とは、または単純な協業の場合とさえも、まったく違った労働の連続性や一様性や規則性や秩序が、ことにまた労働の強度が生みだされるのだということは、明らかである。ある一つの商品はただその商品の生産に社会的に必要な労働時間だけが費やされるということは、商品生産一般では競争の外的強制として現われるのであるが、それは、表面的に言えば、各個の生産者が商品をその市場価格で売らなければならないからである。ところが、マニュファクチュアでは、一定の労働時間で一定量の生産物を供給するということが生産過程そのものの技術上の法則なのである。

マニュファクチュアによる協業的な分業は、一方で分解された同じ細かな過程に個々の労働者を固定させることによってでありました。この部分労働者が、それぞれ生産する部分の生産物は、その製品の生産段階のひとつということになります。だから、この部分生産物を生産している部分労働者の集団は、次の工程で、それに作業を加えて次の段階に行くということになるので、次の工程の作業のための原材料ということになります。その意味では、ある工程の部分労働は、次の工程の下請けということもできます。

そして、これらの個々の部分労働は、先ほども述べたように、このような縦の時間系列でつながっているのではなく、横の空間的な系列で同時並行に行われています。ということは、時間系列であれば、前の工程が終わって、次の工程に続いていくという形になります。しかし、空間的系列であれば、ある工程と次の工程が同時に並んで行われているので、前の工程が終わるのを待って、次の工程と続くのではなく、それぞれの工程が並行して、ほぼ同時に終わるようでなければなりません。そのためには、それぞれの部分労働に必要な労働時間が定められていなければなりません。その決まった時間で部分労働の生産が完了してこと、それぞれの部分労働が中断することなく、並行して遂行することができるのです。このようにそれぞれの労働はその前のプロセスの労働に直接に依存し、それぞれの労働者が互いに依存しあっている状況のために、それぞれの労働者は自分の機能をはたすために必要な時間で作業を完了させることを強いられているのです。このようにして、マニュファクチュアにおける労働は、独立した職人の仕事とも単純な共同作業とも異なるような連続性、均質性、規則性といった秩序で稼働しているのです。このような秩序が労働の強度を作り出していることをマルクスは指摘しています。

つまり、一つの商品の生産のために、その生産に社会的に必要な労働時間だけが投入され、それ以上は投入されないということで、これは、市場での競争で負けないために必要なこと、つまり市場から強制されるといえることです。それは、商品というものは市場価格で販売しなければならないからです。ところが、これまで述べてきたように、マニュファクチュアの場合は、このように市場から強制されることを、その秩序のあるシステムから必然的にそのようになっているのです。 

ここで第1章でも簡単に触れた労働の強度という概念について確認しておきましょう。というのも、ここで指摘されているように、資本主義的生産においては、生産方法の変革によって、生産力だけでなく、労働の強度もまた高められる傾向があるからです。

労働の強度とは、労働の密度のことであり、労働者がより速いスピードで作業を行うことによって高めることができるものです。これに対して、生産力は労働者の側の努力によっては高めることはできません。生産力はある一定の労働量に対してどれだけの生産物が生産されるかを表す概念ですから、労働者の側が労働の密度を高めて、ある一定時間により多くの生産物を作り出したとしても、その一定時間内にはその分多くの労働量が支出されていることになり、生産力は変化しないことになります。生産力が上昇したと言えるのは、同じ労働量、すなわち同じ労働の強度で同じ時間働いたとしても、以前よりも多くの生産物を生産することができる場合であり、このような生産力の上昇を実現するには、これまでみてきたような協業や分業でみるような機械の導入などが必要となります。

このように、生産力の上昇と労働強度の上昇は、概念的には全く別のものですが、資本主義的生産においては、この両者は絡み合っており、生産力の上昇に伴って労働の強度が上昇することか少なくありません。たとえば、マニュファクチュアの強度が有機的なメカニズムとして作動することが、個々の労働者によりいっそう強度の高い労働を強制するということが言われています。例えば、ある人が布を裁断し、それから別の人がその布を縫うという作業工程があるとすると、裁断者が一定のペースで裁断しなければ、裁縫者が布を縫うことができず、作業が滞ってしまいます。それゆえ、それぞれの作業者には作業の連続性、規則性が求められ、結果として労働の強度が高められることになるのです。協業においては資本家の指揮に従う必要が労働者の資本に対する従属をうながしましたが、ここでは体系化された専門的作業として労働を行う必要が労働者の資本に対する従属を促すようになると言えます。

それぞれの部分労働者が生産する部分生産物は、同じ製品の特別な発展段階の一つにすぎない。だからある労働者または労働者集団は、次の過程で働く労働者または労働者集団が処理するための原材料を製造していることになる。1人の労働者の労働の結果は、次の労働者の労働の出発点となる。その意味では1人の労働者は別の労働者を直接に[下請けとして]雇っているのと同じことである。個々の部分労働で目指す目的を実現するために必要な労働時間は、経験的に定められている。そしてマニュファクチュアの全体のメカニズムは、ある特定の労働時間のうちに、ある特定の結果がえられることを前提にしている。

この前提に基づいてこそ、たがいに補い合うさまざまな労働過程を中断せず同時に、空間的に併存した形で遂行することが可能になる。このようにそれぞれの労働はその前のプロセスの労働に直接に依存し、それぞれの労働者がたがいに依存しあっている状況のために、それぞれの労働者は自分の機能をはたすために必要な時間だけを費やすことを強いられている。これによってのみ、マニュファクチュアにおける労働が、独立した職人の仕事とも単純な共同作業とも異なるような連続性、均質性、規則性、秩序を獲得するのであり、労働の強度も作りだしているのは明らかである。

一つの商品の生産のために、その生産に社会的に必要な労働時間だけが投入され、それ以上は投入されないというのは、マニュファクチュアに限らず、商品生産一般に関して、競争から生じる外的な強制として現れる。表面的に言えば、すべての生産者は商品をその市場価格で販売しなければならないからである。ところがマニュファクチュアではこのような所与の労働時間で、所与の量の製品を供給することは、[外的な強制ではなく]生産過程そのものが生み出す技術的な法則なのである。

 

労働の質的な規定と量的な割り当て

とはいえ、いろいろな作業は、等しくない長さの時間を必要とし、したがって等しい時間に等しくない量の部品生産物を供給する。だから、もし同じ労働者は毎日毎日いつでもただ同じ作業だけを行なうものとすれば、いろいろな作業にいろいろに違った比例数の労働者が充用されなければならない。たとえば、ある活字マニュファクチュアで鋳字工1人では1時間に2000個の活字を鋳造し、分切工は4000個を分切し、磨き工1人では8000個を磨くとすれば、このマニュファクチュアでは磨き工1人について活鋳字工4人と分切工は2人が充用されなければならない。ここでは同種の作業をする多数人の同時就業という最も単純な形態の協業の原理が再現する。といっても、今度は一つの有機的な関係の表現としてであるが。だから、マニュファクチュア的分業は、ただ社会的全体労働者の質的に違う諸器官を単純化し多様化するだけではなく、またこれらの諸器官の量的な規模の、すなわちそれぞれの特殊機能を行う労働者の相体数または労働者群の相体的な大きさの、数学的に確定された割合をもつくりだすのである。マニュファクチュア的分業は、社会的労働過程の質的な編制とともにその量的な基準と均衡をも発展させるのである。

いろいろな部分労働者群の最も適当な比例数が一定の生産規模について経験的に確定されているならば、この規模はただそれだけの特殊な労働者群の倍数を使用することによってのみ拡大することができる。さらに、同じ個人がある種の労働を大きな規模でも小さな規模でも同じように行うことができるということが加わる。たとえば、監督という労働や、部分生産物を一つの生産段階から他の生産段階に運ぶ労働などがそれである。だから、このような機能を独立化することや特別な労働者に割り当てることは、使用労働者数の増大によってはじめて有利になるのであるが、この増大はただちにすべての群に比例的に及ぼされなければならないのである。

あるひとつの商品の生産のために、その生産に社会的な必要な労働時間だけが投入されるのは、その商品の市場価格が、その労働時間で決められているからです。資本家が、それ以上の労働時間を投入すれば、利益をあげることはできないからです。ところが、マニュファクチュアでは、このような商品の生産のための決められた労働時間が、このように市場という外部から強制されることなく、そういう時間で商品を生産するというように工場の工程が作られているということから、生まれていると言えます。

しかし、実際の工場の現場では、分業の区別されたさまざまな作業のための必要な時間は、当たり前のことですが、その作業によって異なります。そのため、同じ労働者が毎日同じ作業をするのであれば、作業ごとに投入する労働者数は、一定の比例関係を保つ必要があります。例えば、活字を製造するマニュファクチュアでは、1時間あたりで活字鋳工は2000個の活字を鋳造し、カット工は4000個をカットし、磨き工は8000個の活字を研磨するというので、磨き工1人に対して、活字鋳工は4人、カット工は2人の比率で配置すれば、1時間に8000個の磨き工の人数分の活字が無駄なく製造することができる計算になります。

このことは協業の原理が単純化されて表われていると言えます。「マニュファクチュアにおける分業は、社会的な〈全体労働者〉のもつ質的に異なるそれぞれの〈器官〉をたんに単純化し、多様化するだけではないのである。これらの〈器官〉の量的な大きさを示すために、算術的に確定された比例関係を設定するのである」。つまり、マニュファクチュアの分業は、ひとつひとつの作業を区分けして、それぞれを単純化させるだけではなく、このひとつひとつの作業を量的に拡大して、全体としては比例させて労働者数を増やせば、無駄なく生産を拡大することができる、という原理です。

ただし、これには例外があります。それは、例えば監督の仕事です。このような仕事は規模を拡大しても比例で増やさず、1人のままで機能をはたすことができます。この場合、生産規模が拡大しても、その拡大の比率に応じて労働者が増えないので、増えない分の差額は増殖価値が増大することになります。

しかしさまざまな作業を遂行するために必要な時間の長さは、作業ごとに異なり、同じ時間のうちに製造できる部品の量も、作業ごとに異なる。そのため同じ労働者が毎日同じ作業を遂行するのであれば、作業ごとに投入する労働者の人数は、ある一定の比例関係を保つ必要がある。たとえば活字を製造するマニュファクチュアで、1時間のうちに活字鋳造工は2000個の活字を鋳造し、カット工は4000個をカットし、磨き工は8000個の活字を研磨することができるならば、磨き工1人にたいして活字鋳工は4人、カット工は2人の比率で雇用する必要がある。

ここには協業の原理がもっとも単純な形で再現されている。同じ作業をする労働者を多数雇用する必要があるのである。しかしそれが今や有機的な形で表現されているのである。マニュファクチュアにおける分業は、社会的な〈全体労働者〉のもつ質的に異なるそれぞれの〈器官〉をたんに単純化し、多様化するだけではないのである。これらの〈器官〉の量的な大きさを示すために、算術的に確定された比例関係を設定するのである。すなわちそれぞれの特別な機能に必要な労働者の総体的な人数を定め、それにおうじて、それぞれの労働者集団の総体的な大きさを定める。マニュファクチュア的な分業によって、社会的な労働過程は質的に分割されると同時に、それによって最も割り当てられ、相互の比例関係が定められるのである。

一定の生産規模について、さまざまな部分労働者の集団の最適な比率が経験によって確定されると、その生産段階の生産規模を拡大するためには、それぞれの部分労働者の集団の倍数を投入しなければならない。ただし1人の個人が、大規模な生産段階でも小規模な生産段階でも、同じように機能することのできる種類の労働がある。監督の仕事や、ある生産段階から別の生産段階に半製品を運搬する仕事などである。こうした機能が独立するか、特別な労働者に委ねられた場合には、[大規模になっても1人でこなすことができるので]雇用されている労働者の数が大きくなった場合に、初めて利益をもたらすことになる。それでも他のすべての労働者集団は、その比率に応じて拡大する必要がある。

 

〈労働体〉とその〈器官〉

各個の群れ、すなわち同じ部分機能を行う何人かの労働者の一団は、同質の諸要素から成っていて、全体機構の一つの特殊器官になっている。しかし、いろいろなマニュファクチュアでは、この群そのものが一つの編成された労働体であって、全体機構はこれらの生産的基本有機体の重複または倍加によって形成されるのである。一例としてガラスびんのマニュファクチュアをとってみよう。それは、三つの本質的に区別される段階に分かれる。その第一は準備段階で、ガラス合成の準備、砂や石灰などの混合、この混合物の流動状ガラス塊への融解である。この第一段階ではいろいろな部分労働者を働いているが、そういうことは、最終段階、すなわち乾燥炉からのびんの取り出しやその品分けや包装などでも同じである。この両段階の中間に本来のガラスの製造、すなわち流動状ガラス塊の加工がある。一つのガラス炉の同じ口で一つの群が作業しており、この群はイギリスでは穴と呼ばれていて、びん製造工または仕上工1人、吹き工1人、集め工1人、積み工または磨き工1人、見習い工1人から構成されている。この5人の部分労働者が単一の労働体の5つの特殊器官になっていて、この労働体は、ただ統一体としてのみ、つまり5人の直接的協業によってのみ、働くことができる。この5部分構成体の一肢が欠ければ、この労働体は麻痺してしまう。しかし、同じガラス炉にいくつもの口、たとえばイギリスでは4つから6つの口があって、そのおのおのに流動状のガラスのはいった土製の融解坩堝が埋めてあり、どの口でも同じ5分肢形態の専属の一労働者群が働いている。各個の群の編制はここでは直接に分業にもとづいているが、いくつかの同種の群の間の紐帯は、単純な協業、すなわち生産手段の一つを、ここではガラス炉を、共同消費によってより経済的に使用するという協業である。このようなガラス炉の一つとその4つないし6つの労働者群とで一つのガラス製造場になり、そして1つのガラス・マニュファクチュアには、いくつものこのような製造場と同時に準備的および最終的生産段階のため設備と労働者とが包括されているのである。

同じ部分的な作業に一定の人数がかけられている労働者の集団は、おなじ道具を使って、同じ作業を、同じ時間で、つまり均質に行っています。つまり、マニュファクチュア全体のメカニズムのひとつの歯車とでもいえるような器官となっています。全体のメカニズム、このような歯車が組み合わさって、それぞれの歯車が繰り返し動くことによって、構成されているのです。

ここでマルクスが例として挙げているのは、ガラス瓶のマニュファクチュアです。この工程は基本的な三つの段階で構成されています。第1の段階は準備段階として、ガラスの成分の用意です。つまり、砂や石炭を混ぜ合わせて、これらの成分を溶解して液状のガラス塊をつくる段階です。第2の段階はガラスの製造段階、つまり液状のガラス塊を加工する段階です。この段階には、ガラス瓶製造工(仕上工とも呼ばれる)、吹き工、集め工、積み工(磨き工)、運びだし工が雇用されています。この5人の部分労働者は、いわば一つの〈労働者〉の5つの特殊な〈器官〉であり、5人が直接に協業し、統一体として働くことで、初めて仕事をすることができるのです。この5つの器官をもつ労働体は、一つの器官が欠けただけで麻痺してしまいます。そして第3の段階は、ガラス製品を乾燥炉から取り出して、分類し、梱包するなどの作業を行う最終段階です。

このそれぞれの段階の個々の労働者の集団の構成は、分業から生まれたものです。そして、それぞれの構成している集団の相互の結びつきは単純な協業です。この例では、生産手段であるガラス炉を共同で使用することで、無駄なく作業をしようとする。このガラス炉がひとつのガラス作業場となります。

同じ部分的な機能をはたしている一定の人数の労働者で構成されている個々の労働者集団は、同じ要素で構成されており、全体のメカニズムの特別の〈器官〉となる。ただしさまざまな均質な要素で構成されており、全体のメカニズムの特別の〈器官〉となる。ただしさまざまなマニュファクチュアでは、こうした労働者集団そのものが有機的に構成された〈労働体〉となっているのであり、全体のメカニズムはこうした生産の基本となる有機的な組織を反復し、倍増することで形成されている。

たとえばガラス瓶マニュファクチュアを考えてみよう。このマニュファクチュアは次の三つの基本的に異なる段階で構成されている。第一の段階は準備段階であり、ガラスの成分を用意し、砂や石炭を混合し、これらの成分を溶解して液状のガラス塊が作られる。この最初の段階では、さまざまな部分労働者を雇用する。それは、ガラス製品を乾燥炉から取り出して、分類し、梱包するなどの作業を行う最終段階でも同じことである。この二つの段階のあいだに、ほんらいのガラスの製造段階が、すなわち液状のガラス塊を加工する段階がある。ガラス炉の一つの開口部で、一つの労働者集団が作業するが、この集団は英語では[]と呼ばれている。この集団には、ガラス瓶製造工(仕上工とも呼ばれる)、吹き工、集め工、積み工(磨き工)、運びだし工が雇用されている。この5人の部分労働者は、いわば一つの〈労働者〉の5つの特殊な〈器官〉であり、5人が直接に協業し、統一体として働くことで、初めて仕事をすることができる。この5つの器官をもつ労働体は、一つの器官が欠けただけで麻痺してしまう。

ガラス炉には複数の開口部があり、イギリスでは4個から6個の開口部があるのがつねである。それぞれの開口部に、液状化したガラスをいれる土製の坩堝が用意されていて、その坩堝ごとに、前期の5人で構成される労働者集団が作業に従事している。個々の労働者集団の内部構成は、分業から直接に生まれたものであり、それぞれの労働者集団相互の結びつきは、単純な協業である。すなわち生産手段であるガラス炉を共同で使用することで、経済的に作業をしようとしているのである。4個から6個の開口部をもち、それぞれに労働者集団を働かせるこうしたガラス炉が、一つのガラス作業場となる。ガラス瓶マニュファクチュアにはこのようなガラス作業場がいくつもあり、さらにその前の準備段階とその後の最終段階の工程に必要な設備と労働者も擁しているのである。

 

マニュファクチュアの結合体

最後に、マニュファクチュアは、そのあるものがいろいろな手工業の結合から生ずることがあるように、またいろいろなマニュファクチュアの結合に発展することがありうる。たとえば、イギリスのいくらか大きいガラス工場は、その土製の融解坩堝を自分で製造する。というのは、生産物の成否が主としてこの坩堝の良否にかかっているからである。この場合には生産手段のマニュファクチュアが生産物のマニュファクチュアと結合されるわけである。反対に、生産物のマニュファクチュアが、この生産物そのものを再び原料として用いるマニュファクチュアかまたは後にそれと合成される生産物を生産するマニュファクチュアと結合されることもありうる。たとえば、鉛ガラスのマニュファクチュアはガラス磨き業や黄銅製造と結合されることもあるが、この鋳造業はいろいろなガラス製品に金属をちりばめるためのものである。このような場合には、いろいろな結合されたマニュファクチュアは、一つの全体的なマニュファクチュアの多少とも空間的に分離された諸部門をなしていると同時に、それぞれが固有の分業をともなう互いに独立した諸生産過程をなしているのである。結合マニュファクチュアは、多くの利点を示してしいるが、それ自身の基礎の上では現実の技術的統一を達成しない。このような統一は、結合マニュファクチュアが機械経営に転化するときにはじめて生ずるのである。

このマニュファクチュア自体が、複数のマニュファクチュアの結合体になることもあるということです。例えば、大規模なガラス作業場では、ガラスの生産だけにとどまらず、ガラスの溶解のために使用する坩堝を自社で製造しています。それは、ガラス製品の品質は、この坩堝の品質によって決まってしまうからです。この例では、ガラスという製品の生産のマニュファクチュアとガラスの生産手段の生産のマニュファクチュアが結合しています。あるいは、産物のマニュファクチュアが、その生産物を原材料として利用するマニュファクチュアと、またはその生産物を自社の生産物と組み合わせて供給するマニュファクチュアと結びつくこともあります。

このように、さまざまな形で結合したマニュファクチュアは、それ自体としては独立していても、もっと大きな全体のマニュファクチュアを構成する部分となることもあるのです。これらは独自の分業体制を利用しながら、互いに独立しています。それゆえ、統一体とはなっていません。それが統一性をもつのは機械経営になってからです。

最後に、さまざまな手工業の結びつきによって生まれるマニュファクチュア自身が、複数の多様なマニュファクチュアの結合体に成長することもできる。たとえばイギリスの大規模なガラス作業場では、自社で溶解のために使用する土製の坩堝も製造している。ガラス製品の品質は本質的にこの坩堝の品質によって決まるからである。これは、生産物のマニュファクチュアと生産手段のマニュファクチュアが結びついた例である。あるいは生産物のマニュファクチュアが、その生産物を原材料として利用するマニュファクチュアと、またはその生産物を自社の生産物と組み合わせて供給するマニュファクチュアと結びつくこともある。たとえばフリントガラスのマニュファクチュアが、ガラス研磨マニュファクチュアや、黄銅製造マニュファクチュアと結びつくこともあるのである(黄銅は、さまざまなガラス製品に金属の縁取りをするために使われる)。

このようにさまざまな形で結合したマニュファクチュアは、空間的には多少なりとも独立しているものの、一つの全体的なマニュファクチュアを構成する諸部門となる。これらは独自の分業体制を利用しながら、たがいに独立した生産過程を遂行する。このように結合されたマニュファクチュアには多くの利点があるが、それ自体としては実際の技術的な統一体を形成するものではない。このマニュファクチュアが機械経営に変貌したときに、初めてこのような技術的な統一性が生まれるのである。

 

マニュファクチュアと機械の利用

マニュファクチュア時代は、商品生産に必要な労働時間の短縮をやがて意識的原則として表明するのであるが、それはまた機械の使用をも散在的には発展させる。ことに、大仕掛けに大きな力を用いて行わなければならないようなある種の簡単な初歩的過程のための機械の使用を発展させる。たとえば、やがて製紙マニュファクチュアでは屑の圧砕が製紙用圧砕機で行われるようになり、また冶金業では鉱石の粉砕がいわゆる砕鉱機で行われるようになる。あらゆる機械の基本的な形態をすでにローマ帝国は水車において伝えていた。手工業時代は、羅針盤や火薬や印刷術や自動時計の偉大な発明を遺した。とはいえ、だいたいにおいて機械は、アダム・スミスが分業の添え物としてそれにあてがっているような脇役を演じている。17世紀にまばらに現われる機械の応用が非常に重要なものになったのは、それが当時の大数学者たちに近代的力学の創造のために実際上の手がかりと刺激を提供したからである。

マニュファクチュア時代の独自な機械は、やはり、多数の部分労働者の結合された全体労働者そのものである。ある一つの商品の生産者によって次々に行われて彼の労働過程の全体のなかで絡み合っているいろいろな作業は、彼にいろいろなことを要求する。彼は、この作業ではより多く力を、別の作業ではより多く熟練を、また第三の作業ではより多く精神的注意力、等々を発揮しなければならないが、これらの属性は同じ個人が同じ程度にそなえているものではない。いろいろな作業が分離され、独立され、分立化されてからは、労働者たちは彼らの比較的すぐれた属性にしたがって区分され、分類され、編成される。彼らの生来の特殊性が基礎となってその上に分業が接ぎ木されるとすれば、ひとたび導入されたマニュファクチュアは、生来ただ一面的な特殊機能にしか役だたないような労働力を発達させる。今では全体労働者がすべての生産的属性を同じ程度の巧妙さでそなえており、それらを同時に最も経済的に支出することになる。というのは、全体労働者は、特殊な労働者または労働者群に個別化されている彼のすべての器官をただそれぞれの独自な機能だけに用いるからである。部分労働者の一面性が、そしてその不完全性さえもが、全体労働者の手足としては彼の完全性になるのである。ある一つ一面的な機能行うという習慣は、彼を自然的に確実にこの機能を行う器官に転化させるのであり、他方、全体機構の関連は、機械の一部分のような規則正しさで作用することを彼に強制するのである。

マニュファクチュアは次第に労働者の手作業から機械の利用も試みられるようになっていきました。それは、商品の生産に必要な労働時間を削減することを目的として、まずは、大きな力を大量に投入する必要のある単純で初歩的な生産過程においてでした。例えば製紙マニュファクチュアにおいて屑布を圧砕するための砕鉱機です。

マニュファクチュア時代の機械装置は、多数の部分労働者が組み合わされた工程を機械化したものです。

マニュファクチュアはさまざまな作業を分離し、独立させ、孤立させた後に、労働者たちはそれぞれの得意分野ごとに分けられ、分類され、編成されます。このような労働者たちの個々の優れた特性を土台として成立された分業が組み合わされて全体労働が構成されています。そのような、マニュファクチュアですから、個々の部分労働に関しては、最初から偏った特別な機能にしか役立たないような労働力が発展させられることになるわけです。例えば、ある作業では他の作業よりも強い力を発揮する必要があったり、別の作業では高度な熟練を発揮しなければならなかったり、さらに別の作業では高度な精神力が求められたりするのです。これらを同じ1人の個人がこのようなさまざまな能力を所有していることは、通常あり得ません。

このような部分をひとつで備えるという要請に応えるものが機械装置です。それで、機械は全体労働者に譬えられるのです。このような機械は、生産のために必要なすべての能力を、同じような高度な熟練度で保持しています。部分労働者は、この機械を、それぞれの部分のために利用することで、その部分労働の能力を特化させ、それによって、自身の能力を偏らせていくことになります。いわば個々の部分労働者の能力は偏っているので不完全ですが、それらが組み合わさった全体労働者は完全となるのです。そのために、部分労働者は、さらに機械の一部のような規則性を高めることになるのです。

マニュファクチュア時代には、やがて商品の生産に必要な労働時間を削減することが意識的な原則として表明されるようになり、機械の利用も散発的に発展してくる。とくに大きな力を大量に投入する必要のある単純で初歩的な生産過程においては、機械が利用されるようになる。たとえば製紙マニュファクチュアでは、屑布を圧砕するためにいわゆる砕鉱機が使われるようになる。

またあらゆる種類の機械装置の初歩的な形態として、ローマ帝国から水車が伝えられている。手工業時代には、羅針盤、火薬、印刷術、自動時計などの偉大な発明が行われた。しかしアダム・スミスが指摘しているように、マニュファクチュア時代には機械類は分業のかたわらで付随的な役割をはたすだけだった。17世紀には、機械の散発的な利用が非常に重要な意味をもつようになる。機械類はこの世紀の偉大な数学者たちに、近代的な力学を創造させるための実際的な出発点となり、そのための刺激を与えたからである。

マニュファクチュア時代に独自の機械装置があるとしたら、それは多数の部分労働者が組み合わされた〈全体労働者〉そのものである。商品の生産者が次々と遂行するさまざまな作業が、この〈全体労働者〉の労働過程の全体に複雑に絡み合っているのであり、そのためにさまざまな能力が求められる。ある作業では他の作業よりも強い力を発揮する必要がある。別の作業では高度な熟練を発揮しなければならない。さらに別の作業では高度な精神力が求められる。ところが同じ1人の個人がこのようなさまざまな能力を所有していることはない。

さまざまな作業を分離し、独立させ、孤立させた後に、労働者たちはそれぞれの得意分野ごとに分けられ、分類され、編成される。労働者たちの個々の優れた特性を土台として分業が接ぎ木されるのであるから、マニュファクチュアが導入されると、最初から偏った特別な機能にしか役立たないような労働力が発展させられることになる。

こうして〈全体労働者〉は、生産のために必要なすべての能力を、同じような高度な熟練度で保持していることになる。個別の労働者または労働者集団の特化された特別な〈器官〉をすべてその固有の機能によって利用することで、こうした特性をもっとも経済的に消費するのである。個々の部分労働者の能力の偏りも、あるいは彼らの不完全さすら、〈全体労働者〉の肢体となることで、完璧さへと変わるのである。偏った能力をもつ部分労働者は、偏った機能をはたすことに慣れるために、確実に機能する〈器官〉へと自然に変身していくのである。そして全体のメカニズムとの関係のために、機械の一部のような規則性をもって作業しなければならなくなる。

 

非熟練工

全体労働者のいろいろな機能には、簡単なものや複雑なもの、低級なものや高級なものがあるので、彼のいろいろな器官である個別労働力は、それぞれに非常に程度の違う教育を必要とし、したがってそれぞれ違った価値をもっている。だから、マニュファクチュアは労働力の等級制を発展させるのであり、これには労賃の等級が対応するのである。一方では個別労働者が一つの一面的な機能に同化されて一生これに固着させられるとすれば、同じように他方ではいろいろな作業がこの先天的および後天的技能の等級制に適合させられる。しかし、どの生産過程にも、だれでも生地のままでできるようなある種の簡単な作業が必要である。このような作業でも、今ではもっと内容の豊富ないろいろな活動との流動的な関連から引き離されて、専有の機能として固着されるのである。

それゆえ、マニュファクチュアは、それがとらえるどの手工業のうちにも、いわゆる不熟練労働者という一部類を生みだすのであるが、それは手工業経営が厳格に排除していたものである。マニュファクチュアは、完全な労働能力を犠牲にして徹底的に一面化された専門性を練達の域にまで発達させるとすれば、それはまた、いっさいの発達の欠如をさえも一つの専門にしようとするのである。等級的段階づけと並んで、熟練労働者と不熟練労働者とへの労働者の簡単な区分が現われる。後者のためには修業費用はまったく不要になり、前者のためには、機能が簡単化によって手工業者の場合に比べて修行費は減少する。どちらの場合にも労働力の価値は下がる。その例外が生ずるのは、労働過程の分解によって、手工業経営では全然現われなかったかまたは同じ程度には現われなかった新しい包括的な機能が生みだされるかぎりのことである。修行費の消失または減少から生ずる労働力の相対的な減価は、直接に資本のいっそう高い価値増殖を含んでいる。なぜならば、労働力の再生産に必要な時間を短縮するものはすべて、剰余労働の領分を延長するからである。

マニュファクチュア全体としては、部分労働から構成されていて、様々な機能が、そしてそのための様々な能力が含まれています。そのバリエィションには単純なものから複雑なもの、低級なつまり簡易なものかに高度なものまで、広い範囲にわたっています。そこで個人としての労働力は、その部分で求められる機能のために、それぞれに異なる訓練を必要とし、その訓練を経て、それぞれ異なる価値を備えることとなります。それゆえ、全体としてのマニュファクチュアは労働力の階層構造を作り上げることとなります。そして、その階層によって労働の賃金の段階が決められているのです。個々の労働者は部分労働のための一面的な機能をわりあてられ。しょうがいにわたって縛りつけられます。それに応じて、その作業は、そのために必要な労働者のもともと持っている技量や、訓練により獲得した技量の階層に合わせて調整されるのです。そのなかで、どのような生産過程にも、仕事につけばどんな人でも遂行できるような単純な作業があります。それは、この階層構造の中で、それだけの専属的な機能として固定化されます。

それが非熟練工という階級を生み出しました。これは、以前の手工業経営では、熟練となるための見習いとかの仕事で、職人が合間にやる作業などとして、それが専業となることはありませんでした。これに対してマニュファクチュアは、まったく一面化された専門能力を、その労働者のもつ全体的な労働能力を犠牲にしながら、労働の巧みさにまで発展させるため、その反面として、いかなる能力も発達していない状態を、専業として一つの特殊能力に変え始めたのです。

そこでは、熟練労働者と非熟練労働者という単純なぶんるいも生まれました。マニュファクチュアではかつての職人と比較して、非熟練労働者の訓練費用はまったく不要になり、機能が単純化されているために、熟練労働者の訓練費用もなくなるのです。ここでは、見習いを熟練職人に養成することではなく、非熟練を専門の工程として、ずっと、そこにとどまらせることになるのです。この場合の労働力の価値は低下します。それは訓練費用を投じないからです。その直接的な結果は、資本の価値の増額の拡大です。労働力の再生産に必要な時間を減少させるものはすべて、剰余価値の領分を拡大するからです。

この箇所だけを素直に読むと、非常に明快な議論ですが第1章で扱った「単純労働」と「複雑労働」を思い出しながら読まれた読者は疑問を持たれたかもしれません。すでにみたように、養成により多くのコストがかかる複雑労働は、養成費がかからない単純労働に比べて、その養成費の分だけより多くの価値を生み出すことができます。だとすれば、ここでマルクスが述べているように、分業によって養成費が減ればそれだけ労働力の価値が減少し、したがって増殖価値が増大する、という議論が成り立たないように見えます。というのも、たしかに養成費が減れば労働力の価値は減少しますが、他方でその労働力が生み出す価値もまた減少してしまうからです。

しかし、ある資本家が他の資本家に先がけて新たな生産方法を導入し、生産力を上昇させ、労働力の価値が高い熟練労働者の代わりに、労働力の価値が低い不熟練労働者を雇うようになれば、その資本家はそれだけ増殖価値を増やすことができるでしょう、というのも、商品の社会的価値は相変わらずほかの平均的な資本家が雇用している熟練労働者が対象化する、より大きな労働によって規定されているからです。とはいえ。特別増殖価値を必要としなくなれば、このような不熟練労働者の導入による増殖価値増大の直接的な効果はなくなってしまいます。

この〈全体労働者〉のさまざまな機能には、単純なものも複雑なものも、低級なものも高級なものもある。そのためにこの〈全体労働者〉の〈器官〉である個人としての労働力は、それぞれに異なる養成のための訓練を必要とし、それぞれに異なる価値をそなえている。そのためにマニュファクチュアでは労働力の階層構造を作り上げており、これによって労働の賃金の段階が決定されているのである。個々の労働者は一面的な機能に割り当てられ、生涯にわたってそれに縛りつけられる。それと同じように、さまざまな作業も、そのために必要な労働者の生来の技量や、獲得した技量の階層構造に合わせて、調整されることになる。ところでどのような生産過程にも、仕事につけばどんな人でも遂行できるような単純な作業が必要である。しかしこうした作業もいまや、内容の豊富な活動との流動的なつながりを断たれて、それだけの専属的な機能として硬直化される。

だからマニュファクチュア化されたすべての手工業において、いわゆる非熟練工という階級が生み出される。これは手工業経営では完全に排除されていたものである。マニュファクチュアは、まったく一面化された専門能力を、その労働者のもつ全体的な労働能力を犠牲にしながら、労働の巧みさにまで発展させる。マニュファクチュアはいかなる能力も発達していない状態を、一つの特殊能力に変え始めたのである。

また階層構造による段階分けと並行して、労働者と熟練労働者に分ける単純な分類が登場する。マニュファクチュアではかつての職人と比較して、非熟練労働者の訓練費用はまったく不要になり、機能が単純化されているために、熟練労働者の訓練費用も減少する。どちらの場合にも労働力の価値は低下する。

例外になるのは労働過程が分解されるために、新たな統治機能が登場した場合である。このような統治機能は手工業では存在しなかったか、少なくともマニュファクチュアほどには必要でなかったものである。訓練費用をまったく投じないか減らすことによって、労働の価値は相対的に低下するが、その直接的な結果は、資本の価値の増額の拡大である。労働力の再生産に必要な時間を減少させるものはすべて、増殖価値の領分を拡大するからである。

 

 

第4節 マニュファクチュアの内部での分業、社会の内部の分業

分業の定義

われわれはまず第一にマニュファクチュアの起源を、次にその単純な諸要素、すなわち部分労働者と彼の道具とを、最後にマニュファクチュアの全体機構を考察した。そこで今度は、マニュファクチュア的分業と、すべての商品生産の一般的基礎をなす社会的分業との関係に簡単に触れておこう。

ただ労働そのものだけを眼中におくならば、農業や工業などという大きな諸部門への社会的生産の分割を一般的分業、これらの生産部門の種や亜種への区分を特殊的分業、そして一つの作業場のなかでの分業を個別的分業と呼ぶことができる。

社会のなかでの分業と、それに対応して諸個人が特殊な職業部面に局限されることとは、マニュファクチュアのなかでの分業と同じように、相反する諸出発点から発展する。一つの家族のなかで、さらに発展しては一つの種族のなかで、性の区別や年齢の相違から、つまり純粋に生理的な基礎の上で、自然発生的な分業が発生し、それは共同体の拡大や人口の増加につれて、またことに異種族間の紛争や一種族による他種族の制服につれて、その材料を拡大する。他方、前にも述べたように、生産物の交換は、いろいろな家族や部族や共同体が接触する地点で発生する。なぜならば、文化の初期には独立者として相対するのは個人ではなくて家族や種族などだからである。共同体が違えば、それらが自然環境のなかに見いだす生産手段も違っている。したがって、それらの共同体の生産様式や生活様式や生産物も違っている。この自然発生的な相違こそは、いろいろな共同体が接触するときに相互の生産物の交換を呼び起こし、したがって、このような生産物がだんだん商品に転化することを呼び起こすのである。交換は、生産部面の相違いをつくりだすのではなく、違った諸生産部面を関連させて、それらを一つの社会的総生産の多かれ少なかれ互いに依存し合う諸部門にするのである。この場合に社会的分業が発生するのは、もとから違ってはいるが互いに依存し合ってはいない諸生産部面のあいだの交換によってである。前のほうの場合、つまり生理学分業が出発点となる場合には、一つの直接に結成されている全体の特殊別な諸器官が、他の共同体との商品交換から主要な衝撃を受ける分解過程によって互いに分離し、独立して、ついに、いろいろな労働の関連が商品としての生産物の交換によって媒介される点に達するのである。一方の場合には以前は独立していたものの非独立化が行われるのであり、他方の場合には以前は独立していなかったものの独立化が行われるのである。

すべてのすでに発展していて商品交換によって媒介されている分業の基礎は、都市と農村との分離である。社会の全経済史はこの対立の運動に要約されると言うことができるのであるが、しかしここではこれ以上この対立には立ち入らないことにする。

これまでマニュファクチュアについて、その歴史的起源を考察し、次にその単純な要素である部分労働者とその道具について検討し、そしてマニュファクチュアの全体のメカニズムを調べてきました。そしてここでは、マニュファクチュアの内部での分業と、すべての商品生産一般の基礎としての社会的な分業について見ていきます。

まずは、概念の規定です。まず、労働だけに注目するならば、社会において農業でも工業でも、大きな部門に分かれていることを一般的な分業と呼びます。この大きな生産部門がさらに個別の生産活動に、さらにその下位の区分に分割されているのを、特殊的な分業と呼びます。そして仕事場における分業を個別的な分業と呼びます。

社会的に分業が行われ、それに伴って個人の活動が特定の分野の職業に限定される傾向は、マニュファクチュアが生まれる前から発展してきたことです。例えば、家族の内部から、さらに発展した形で部族の内部から発生する分業は、自然発生的なものといえます。それらは、男女の性別や年齢の違いのために、すなわち純粋に生理的な土台に基づいて発生したものです。その後、共同体が拡大し、人口が増大するとともに、とくに異なる部族との抗争や、ある部族による別の部族の征服が行われた場合には、こうして違いにおいて区別されるための材料が増えることになりました。

他方で、さまざまな家族、部族、共同体が互いに接触するようになると、その経験する場所で生産物の交換が行われるようになります。それぞれに異なる共同体は、周囲の環境において、さまざまに異なる生産手段と異なる生活手段を見いだします。例えば、海辺であれば漁労で食べていくとか、山間部であれば木の実を採集するとかです。そのためそれぞれの共同体ごとに生産様式、生活様式、生産物も異なってきます。この自然発生的な違いのために、共同体が接触すると、たがいに生産物を交換しあうようになり、こうした生産物が次第に商品に変容するようになっていくのです。

このような交換が生まれることによって、異なった生産領域がたがいに関連しあうようになり、社会的な生産の多少とも依存しあう諸分野に変わっていくのです。このように、もともと異なってはいたが、たがいに独立していた生産領域のあいだで、生産物が交換されるようになり、そこで、社会的な分業が生まれるのです。

このような分業を推進するときに、大きな刺激を与えるのが、外部の共同体との商品交換です。この交換によって分業という全体からの分離が成立することが可能となります。そして、交換によって分業が成立することで、労働の相互の関係性が作りだされるようになります。つまり、一方では最初は自立していたものがその自立性を失っていくのであり、他方ではもともとは自立していなかったものが自立するようになるということです。

このようにして分業が発展し、商品の交換によって、さらにそれが進んでいくと、都市と農村の分離といったことが起こってきます。

これまでまずマニュファクチュアの起源について考察し、次にその単純な要素である部分労働者とその道具について検討し、最後にマニュファクチュアの全体のメカニズムを調べてきた。この節ではマニュファクチュアの内部での分業と、すべての商品生産一般の基礎としての社会的な分業について簡単に触れてくる。

労働だけに注目するならば、社会的な生産において農業や工業など、大きな部門に分かれていることを一般的な分業と呼ぶことができるだろう。この大きな生産部門がさらに個別の生産活動に、さらにその下位の区分に分割されているのを、特殊的な分業と呼ぶことができるだろう。そして仕事場における分業を個別的な分業と呼ぶことにしよう。

社会の内部で分業が行われ、それにともなって個人の活動が特定の職業分野だけに限定される傾向は、マニュファクチュアの内部での分業と同じように、それぞれ正反対の極から出発して発展してきたものである。家族の内部から、さらに発展した形で部族の内部から発生する分業は、自然発生的なものであり、男女の性別や年齢の違いのために、すなわち純粋に生理的な土台に基づいて発生する。共同体が拡大し、人口が増大するとともに、とくに異なる部族との抗争や、ある部族による別の部族の制服が行われた場合には、こうして違いにおいて区別されるための材料が増えることになる。

他方ですでに述べたように、さまざまな家族、部族、共同体が接触するようになると、その経験する場所で生産物の交換が行われるようになる。というのも、文化の初期の段階では、互いに独立した存在として接触するのは、1人の私的な人間ではなく、家族であり、部族であり、共同体であるからである。それぞれに異なる共同体は、周囲の環境において、さまざまに異なる生産手段と異なる生活手段を見いだす。そのためそれぞれの共同体ごとに生産様式、生活様式、生産物も異なることになる。この自然発生的な違いのために、共同体が接触すると、たがいに生産物を交換しあうようになり、こうした生産物が次第に商品に変容するようになる。

こうした交換が共同体ごとの生産領域の違いを作りだすのではない。むしろ異なった生産領域がたがいに関連しあうようになり、社会的な生産の多少とも依存しあう諸分野に変わっていくのである。このように、もともと異なってはいたが、たがいに独立していた生産領域のあいだで、生産物が交換されるようになり、社会的な分業が生まれるのである。

生理学的な分業が出発点となる場合には、直接的に統合されていた全体にそなわっていたさまざまな特別な〈器官〉が、たがいに分かれ、分離していく。この分離プロセスの大きな刺激となるのが、外部の共同体との商品交換である。この分離によってこうした特別な〈器官〉は自立し、やがては製品を商品として交換することによって、さまざまな労働の相互の関係性が作りだされるようになる。一方では最初は自立していたものがその自立性を失っていくのであり、他方ではもともとは自立していなかったものが自立するようになるのである。

分業が発展し、商品の交換によって媒介されるようになると。その分業の基礎となるのは都市と農村の分離である。社会の経済史はすべてこの都市と農村の対立の運動に要約できるほどであるが、この対立はここでは立ち入らない。

 

マニュファクチュア時代における社会的な分業

マニュファクチュアのなかでの分業のためには、同時に充用される労働者の一定の人が物質的前提をなしているが、同様に社会のなかでの分業のためには人口の大きさと密度とが物質的前提をなしているのであって、この場合には人口の密度が同じ作業場のなかでの密集に代わるのである。とはいえ、この密度は相対的なものである。人口が相対的に稀薄でも交通機関が発達している国は、人口はもっと多いが交通機関が発達していない国に比べれば人口密度が高いのであって、この意味では、たとえばアメリカ合衆国の北部諸州はインドよりも人口密度が高いわけである。

商品生産と商品流通は資本主義的生産様式の一般的前提なのだから、マニュファクチュア的分業は、社会のなかでの分業がすでにある発展度まで成熟していることを必要とする。また逆に、マニュファクチュア的分業はこの社会的分業に反作用してこれを発展させ何倍にも複雑にする。労働用具が分化するにつれて、これらの用具を生産する産業もますます分化してくる。それまでは本業または副業として他の諸産業と関連していて同じ生産者によって営まれていた産業も、マニュファクチュア経営がそれをとらえれば、ただちに分離と相互の独立が起きる。マニュファクチュア経営がある一つの商品の一つの特殊段階をとらえれば、この商品のいろいろな生産段階はいろいろな独立産業に転化する。すでに示唆したように、部分生産物がただ機械的に組み立てられて一つの全体にされたものが製品である場合には、部分労働そのものが再び独自の手工業として独立化されることもありうる。一つのマニュファクチュアのなかで分業をいっそう完全に行なうためには、同じ生産部門が、その原料の相違に応じて、または同じ原料が受け取りうる形態の相違に応じて、いろいろに違った。部分的にはまったく新しいマニュファクチュアに分割される。こうして、すでに18世紀の前半にフランスだけで100種類以上の絹織物製品が織られており、たとえばアヴィニョンでは、「どの徒弟もつねにただ一種類の製造だけに従事するべきで、幾種類もの織物の製造を同時に修行してはならない」というのが常則だった。特定の生産部門を一国の特定の地域にしばりつける地域的分業は、どんな特殊性でも利用せずにはおかないマニュファクチュア経営によって新たな刺激を与えられる。社会のなかでの分業のための豊富な材料をマニュファクチュア時代に供給するものは世界市場の拡大と植民地制度であって、これらはマニュファクチュア時代の一般的な存在条件に属するものである。ここで入れ以上詳しく示すことはできないが、分業は経済的部面だけではなくそのほかにも社会のあらゆる部面をとらえて、どこでもあのような専門や事業の形成と人間の細分とのための基礎を置くのであって、この人間細分こそは、すでにアダム・スミスの師のアダム・ファーガソンに、「われわれは奴隷ばかりの国民になった。われわれのなかに自由な人間はいない」とまで叫ばせたのである。

社会で自然発生した分業に対して、マニュファクチュアの分業を見ていきましょう。マニュファクチュア内部で分業が発生するための前提となるのは、物質的には、一定の人数の労働者が雇用されていることです。それが可能となるためには、マニュファクチュアがある社会には、そういう分業を可能とできるほど労働者が確保できるように人口の多さと人口密度があることです。ただし、人口密度というのは、ここでは相対的な基準で、仮に人口がそれほど多くなくてもコミュニケーション手段が発展していれば人口密度は相対的に高いと言えるのです。だから、インドは、いくら人口が多くてもアメリカ合衆国の北部と比べると人口密度は低くなってしまうのです。

一方、商品の生産と流通が資本制的な生産様式が生まれるための前提です。その上で、マニュファクチュア的な分業が発生するためには、すでに社会の内部で分業がある程度進展していて、成熟した段階になっている必要があります。つまり、分業という発想が当たり前となっていなければ、マニュファクチュアの中で分業しようと考えることは起こりえないからです。一方、逆にマニュファクチュア的な分業が社会の分業を発展させ、多様なものとさせることもあります。例えば、マニュファクチュアで使う工具が分化すると、この分化した工具をつくる産業が、それに応じて分化していく。

マニュファクチュアの経営が始まり、普及していくにつれて、一つの商品のさまざまな生産段階が、独立した産業になってしまうのです。例えば、自動車の一部であるタイヤは、タイヤのみを生産する大企業が世界市場で競争するという産業分野になっています。

半製品を機械的に組み立てて最終製品として完成するだけという場合には、その半製品をつくる部分労働そのものが独自の手工業として独立する可能性があります。また、あるマニュファクチュアのうちで分業をさらに完全な形で遂行するために、同じ産業分野が、そこで使用する原料が違うために、あるいは同じ原料を使っていてもそれを加工してできる製品の形態が違うために、まったく別のマニュファクチュアに分離されたり、ときにはまったく新しいマニュファクチュアとしてうまれることの起こりえるのです。

また、地域的な分業はマニュファクチュアによって、さらに促進されることになったりもします。そして、この時代に、社会的な分業を促進させる大きな要素になったのは、世界市場の拡大と植民地です。

マニュファクチュアの内部で分業が発生するための物質的な前提となるのは、一定の人数の労働者が同時に投入されることである。そして社会では、職場におけるこの労働者の密度の高さと同じような位置を占めているのが人口密度であり、社会における分業の物質的な前提となるのは人口の多さとこの人口密度である。ただしこの人口密度というものも、かなり相対的なものである。比較的人口が少なくとも、コミュニケーション手段が発展している国は、人口が多くてもコミュニケーション手段が発展していない国よりも、人口密度は高いことになる。だからアメリカ合衆国の北部の州のほうが、インドよりも人口密度は高いのである。

商品の生産と流通が、資本制的な生産様式の一般的な前提である。そしてマニュファクチュア的な分業が発生するためには、社会の内部での分業がすでにある程度まで進展して、成熟した段階にある必要がある。また逆にマニュファクチュア的な分業は、こうした社会の内部での分業を発展させ、多様なものとする効果を発揮する。作業に使う工具が分化すると、こうした工具を製造する産業もますます分化していく。

それまでは他の産業分野とともに本業あるいは副業として、同一の生産者が従事していた産業分野においてマニュファクチュア経営が始まると、そうした産業分野は分化し、それぞれが独立するようになる。一つの商品の特定の生産段階においてマニュファクチュア経営が始まると、その商品のそれ以外のさまざまな生産段階が、独立した産業に変容するのである。

すでに指摘したように、個々の半製品を機械的に組み立てて完成するだけの製品の場合には、部分労働そのものが独自の手工業として独立する可能性がある。あるマニュファクチュアのうちで分業をさらに完全な形で遂行するために、同じ産業分野が、そこで使用する原料が違うために、あるいは同じ原料を使っていてもそれを加工してできる製品の形態が違うために、まったく別のマニュファクチュアに分離され、ときにはまったく新しいマニュファクチュアが登場することもある。

すでに18世紀前半のフランスではすでに、100種類以上もの異なる絹織物製品が生産されていた。そしてたとえばアヴィニョンでは「徒弟は一種類の生産方法だけを学ぶこと。複数の種類の織物の製造に従事してはならない」ことが規則で定められていた。

地域ごとの分業は、特別な生産分野を国の特定の地域に固定するが、あらゆる特殊な事情を利用し尽くそうとするマニュファクチュアによって、こうした地域的な分業がさらに促進されることになる。

このマニュファクチュア時代における社会の内部の分業のために豊富な材料を与えるのが、世界市場の拡大と植民地システムである。これらはマニュファクチュア時代が存在するための一般的な条件に含まれるのである。ここでは詳細に検討しないが、分業は経済だけでなく社会の他のすべての分野にも浸透しており、いたるところで専門分野、専門家、人間の細分化を生み出しているのである。アダム・スミスの師匠にあたるアダム・ファーガソンはかつて「われわれは奴隷ばかりの国になった。われわれのうちに自由人はいない」と叫んだほどである。

 

社会的な分業とマニュファクチュア的な分業の違い

とはいえ、社会のなかでの分業と一つの作業場のなかでの分業とのあいだには多くの類似や関連かあるにもかかわらず、このふたつのものは、ただ程度が違うだけではなく、本質的に違っている。類似が最も適切に争う余地のないものに見えるのは、一つの内的な紐帯によっていろいろな業種がつなぎ合わされている場合である。たとえば飼畜業者は皮を生産し、製革業者が皮を革に変え、製靴業者は革を長靴に変える。この場合には各業者はそれぞれ一つの段階生産物を生産するのであって、最後にできあがった姿は、彼らのいろいろな特殊労働を結合生産物である。さらに、さまざまな労働部門があって、それらが飼畜業者や製革業者や製靴業者に生産手段を供給する。そこで、アダム・スミスのように、この社会的分業はただ主観的に、すなわち観察者にとって、マニュファクチュア的分業と区別されるだけだ、と考えることもできる。この観察者は、後者でいろいろな部分労働が一見して明らかに空間的にいっしょに行なわれているのを見るが、前者では広い面にわたる部分労働の分散と各特殊部門の大きな従業員数とが関連を不明にしているのを見るのである。だが、なにが飼畜業者や製革業者や製靴業者のそれぞれの独立した労働のあいだに関連をつくりだすのか?それは、かれらのそれぞれの生産物の商品としての定在である。これにたいして、マニュファクチュア的分業を特徴づけるものはなにか?それは、部分労働者は商品を生産しないということである。何人もの部分労働者の共同の生産物がはじめて商品になるのである。社会のなかでの分業は、いろいろな労働部門の生産物の売買によって媒介されており、マニュファクチュアのなかでのいろいろな部分労働の関連は、いろいろな労働力が同じ資本家に売られて結合労働力として使用されるということによって媒介されている。マニュファクチュア的分業は、1人の資本家の手中での生産手段の集積を前提しており、社会的分業は、互いに独立した多数の商品生産者のあいだへの生産手段の分散を前提している。マニュファクチュアでは比例数または比例関係の鉄則が一定の労働者群を一定の機能のもとに包摂するのであるが、これに代わって、いろいろな社会的労働部門のあいだへの商品生産者と彼らの生産手段との配分では偶然と恣意とが複雑に作用する。たしかにいろいろな生産部面は絶えず互いに均衡を保とうとしている。というのは、一方では、商品生産者はそれぞれある一つの使用価値を生産しなければならず、つまりある一つの特殊な社会的欲望を満足させなければならないが、これらの欲望の大きさは量的に違っていて、一つの内的な紐帯がいろいろな欲望量を結び合わせて一つの自然発生的な体系するからであり、また他方では、社会が自分の処分しうる労働時間の全体のうちからどれだけをそれぞれの特殊な商品種類の生産に支出しうるかを、商品の価値法則が決定するからである。しかし、このようないろいろな生産部面が互いに均衡に近づけようとする不断の傾向は、ただこの均衡の不断の解消にたいする反作用として働くだけである。作業場のなかでの分業ではア・プリオリに計画的に守られる規則が、社会のなかでの分業では、ただ、ア・ポステリオリに、内的な、無言の、市場価格の晴雨計的変動によって知覚される、商品生産者たちの無規律な恣意を圧倒する自然必然性として、作用するだけである。マニュファクチュア的分業は、資本家のものである全体機構のただの手足でしかない人々にたいして資本家のもつ無条件的な権威を前提する。社会的分業は独立の商品生産者たちを互いに対立させ、彼らは、競争という権威のほかには、すなわち彼らの相互の利害関係の圧迫が彼らに加える強制のほかには、どんな権威も認めないのであって、それは、ちょうど、動物界でも万人にたいする万人の戦いがすべての種の生存条件を多かれ少なかれ維持しているのと同様である。それだからこそ、マニュファクチュア的分業、終生にわたる労働者が細部作業への拘束、資本のもとへの部分労働者の無条件従属を、労働の生産力を高くする労働組織として賛美するブルジョワ的意識が、同様に声高く、社会的生産過程のいっさいの意識的社会的な統制や規制を、個別資本家の不可侵の所有権や自律的「独創性」の侵害として非難するのである。工場制度の熱狂的な弁護者たちが、社会的労働のどんな一般的な組織に向かっても、それは全社会を一つの工場にしてしまうだろう、という以上にひどい呪いの言葉を知らないということは、まことに特徴的なことである。

資本主義的生産様式の社会では社会的分業の無政府とマニュファクチュア的分業の専制とが互いに条件になり合うとすれば、これに反して、それ以前の諸社会形態では諸産業の分化がまず自然発生的に発展し、次いで結晶し、最後に法的に固定されたのであって、このような社会形態は、一方では社会的労働の計画的で権威的な組織の姿を示しながら、他方では作業場のなかでの分業をまったく排除するか、またはそれをただ矮小な規模でしか発展させないか、または散在的偶然的にしか発展させないのである。

社会的な分業とマニュファクチュア内での分業には、類似点が多数ありますが、そのような程度の違いのような違いではなく、本質的な違いがあります。様々な産業分野の中でも関連性がある分野同士では、類似性が明らかで、外からも明確に見ることができます。マルクスはブーツの場合を例として挙げています。つまり、動物の飼育業者が原材料である皮を作り、皮革業者がその皮を皮革にし、靴屋がこの皮革からブーツを作るという分業です。さらに、このそれぞれの段階で、さまざまな業者が部分生産物を製造し、その最後にできあがったのが、これらの業者の特殊労働を結びつけたのが最終製品であるブーツです。さらに、これらの分業を行っている動物の飼育業者、皮革業者、靴屋に生産手段を供給する産業が存在するので、マニュファクチュア的な分業と同じようにものに見えてくるのです。

しかし、動物の飼育業者、皮革業者、靴屋の独立した労働を結びつけているのは、それぞれの商品が商品として存在しているということです。これに対して、マニュファクチュアでの分業の場合には、部分労働は商品を生産していないのです。最終的に生産された生産物だけが商品となるのです。それが大きな違いです。

社会的な分業では、様々な分野で商品として製造された生産物が売買されます。これに対して、マニュファクチュアでの部分労働は、そのマニュファクチュアを所有する資本家が一括して管理して、結合させて商品として利益をえています。社会的な分業ではそれぞれ独立した商品の生産者がいて、生産手段が分散しているのに対して、マニュファクチュアでは、1人の資本家が生産手段を管理してからです。そこでは、マニュファクチュアが効率的に利益をあげるために、比例数または比例関係の鉄則のもとで、特定の機能に特定の量の労働が配分されます。

商品生産者は使用価値を生産し、社会的欲望満たそうとします。ところが社会的欲望の大きさは、それぞれに量が異なります。他方で、価値の計算は社会的な労働時間の割り当てによって定められるのが原則です。しかし、市場価格は需要と供給によって変動し、独立した生産者が常に競争しています。その結果、社会的分業では、バランスをとることがかなわず、バラバラになってしまっているのです。これに対して、マニュファクチュア内の分業では、資本による管理により、計画に従って作業が行われ、労働者たちはマニュファクチュア全体のメカニズムの歯車となるのです。

このようなマニュファクチュアの分業は、資本家にとっては、労働者が細やかな部分労働に生涯にわたって縛りつけられ、こうした部分労働者が資本のもとに無条件で服従させられる、労働の組織化として、労働者の生産力を向上させるものと捉えられるのです。他方が、その資本家が、自分が、その労働者と同じ立場に立たされた場合には、社会的な生産過程への意識的で社会的なあらゆる管理や規制を、個人としての資本家の不可侵であるべき所有権の侵害であり、自由の侵害であり、自立的に決定を下す「独創性」の侵害であると捉えられることになります。

資本制的な生産様式の社会では、社会的分業の無秩序なバラバラと、マニュファクチュア的な分業の専制的な管理とか、たがいの条件となっていると言えます。これに対して、それ以前の社会では社会的な労働を計画的にかつ権威的に組織する一方で、作業場での分業はまったく排除するか、ごくやむをえない範囲で認めるか、あるいは散発的かつ偶然的に発展させるだけだったのです。

社会の内部での分業と作業場の内部での分業には、多数の類似点があり、たがいに関連したものではあるが、たんなる程度の違いではなく本質にかかわる違いがある。さまざまな産業分野のうちに内的な絆が存在している場合には、こうした類似がきわめて明確なものと思える。たとえば[社会的な企業の一例をあげると]動物の飼育業者が皮を作り、皮革業者が皮を皮革にし、靴屋がこの皮革からブーツを作る。このそれぞれの段階で、さまざまな業者が部分生産物を製造し、その最後にできあがったのが、これらの業者の特殊労働を結びつけたブーツである。さらに動物の飼育業者、皮革業者、靴屋に生産手段を供給する産業が存在する[のでマニュファクチュア的な分業と同じようにものにみえる]

しかし動物の飼育業者、皮革業者、靴屋の独立した労働を結びつけているのは何だろうか。それぞれの製品が商品として存在しているということである。これにたいしてマニュファクチュア的な分業の特徴はどこにあるだろうか。それは部分労働者は商品を製造していないということである。多数の部分労働者が力を合わせて作りだした産物だけが初めて商品になるのである。

たしかにさまざまな生産分野はたえずたがいにバランスをとろうとするだろう。ただしすべての商品生産者は、使用価値を生産し、社会的な欲望を満たさねばならない。ところがこの社会的な欲望の大きさはそれぞれに量的に異なるものである。そこで一方ではこのさまざまな欲望の大きさは、ある内的な絆によって、自然発生的なシステムに結びつけられている。他方で商品の価値の法則は、それぞれの特別な種類の商品の生産に、社会的に利用できる労働時間を社会がどの程度まで割り当てることができるかを定めている。

このさまざまな生産分野が絶えずたがいにバランスを取ろうとする傾向は、こうしたバランスが絶えず失われていることへの反応にすぎないのである。作業場の内部での分業では、アプリオリで計画に基づいた規則が守られていたが、社会の内部の分業では、市場価格をバロメーターとする変化に基づいて読みとることのできる内的で沈黙した規則が働いていることが、アポステリオリにかんじられるだけなのであり、商品生産者の規則なき恣意を吹き飛ばす自然の内的な必然性が働いているのである。

マニュファクチュア的な分業では、資本家が労働者たちにたいする無条件な権威をそなえていることを前提としており、労働者たちは資本家の全体的なメカニズムのたんなる肢体にすぎない。社会的な分業においては、独立した商品の生産者がたがいに向き合っている。そこで権威として認められるのは、競争だけ、それぞれの利益がたがいに相手を及ぼす圧力のもつ強制力だけである。動物の世界で、すべての種の生存条件を多かれ少なかれ維持しているのが、万人の万人にたいする闘いであるのと同じである。

だからこそブルジョワの意識は、マニュファクチュア的な分業を、すなわち労働者が細やかな部分労働に生涯にわたって縛りつけられ、こうした部分労働者が資本のもとに無条件で服従させられることを、労働の組織化として、労働者の生産力を向上させるものとして称賛する。その同じブルジョワの意識が、社会的な生産過程への意識的で社会的なあらゆる管理や規制を、個人としての資本家の不可侵であるべき所有権の侵害であり、自由の侵害であり、自立的に決定を下す「独創性」の侵害であると、先の称賛の声と同じほどの大きな声で非難するのである。だから工場システムを熱心に擁護する人々が、社会的な労働を全般的に組織しようとする試みにたいして、それでは社会の全体を一つの工場に変えてしまうようなものだと語るほか、不快感を表明する方歩を知らないのは特徴的なことである。

資本制的な生産様式の社会ではこのように、社会的な分業の無秩序とマニュファクチュア的な分業の専制とが、たがいにたがいの条件となっているのである。それにたいして以前の社会形態では、さまざまな職業分野の分化がまず自然発生的に生まれ、やがては結晶のように固定され、最後に法律によって確定されたのである。こうした以前の社会形態では、社会的な労働を計画的にかつ権威的に組織する一方で、作業場での分業はまったく排除するか、ごくやむをえない範囲で認めるか、あるいは散発的かつ偶然的に発展させるだけだったのである。

 

インドの共同体の分離の実例

たとえばインドでは古代からの小さな共同体が現在でも存在しているが、この共同体は土地の共同所有、農業と手工業の直接的な結びつき、そして明確な分業体制に依拠していた。この分業体制は、新しい共同体を作りだす必要があるときには、その計画と概要を定めるために役立つのである。こうした共同体は自給自足のできる完全な生産体を構成しており、生産面積は百エーカー程度から数千エーカーまで、さまざまである。生産物の多くは、共同体で自家消費するために生産されるのであり、商品として生産されることはない。そのためインド社会の全体でみると生産活動は、商品交換に依拠している分業とは独立して行われる。余剰な生産物だけが商品になるが、その一部はまず国家の所有となる。大昔から国家には、一定量の自然の産物が現物地代として納められてきた。

インドのさまざまな地域でさまざまな形態の共同体が存在するが、もっとも単純な形態の共同体では、共同体の成員が土地を共同で耕し、その生産物を成員のあいだで分けあっていた。これと並行して個々の家族は、家で副業として糸を紡ぎ、布を織っていた。共同体の成員の多くは、誰もが同じような仕事をしているが、ほかに共同体の「長」がいる。これは裁判官、警察官、徴税官を兼ねたような人物である。次に畑の耕作に関する計算を行い、この問題についてすべてのことを記録し、登記する帳簿係がいる。また第三の役人として、犯罪者を追跡し、外部からの旅行者を保護し、共同体の村から村へと案内する人物がいる。また、隣の共同体との境を監視する境番、共同の貯水池の水を畑の耕作のために配分する水番、宗教的な儀礼において役割をはたすバラモン、砂の上に文字を買い手共同体の子供たちに読み書きを教える教師、星占いをして、種まき、収穫、さまざまな農耕の仕事に適している時期と適さない時期を教える暦バラモン、農耕に必要なすべての道具を製造し、修理する鍛冶屋と大工、共同体のすべての成員ために陶器を作る陶工などがいる。ほかにも床屋や、衣服の洗濯を担当する洗濯番、銀細工師、ときには詩人もいる。詩人は共同体によっては銀細工師を兼ねたり、教師を兼ねたりする。

このような1ダースほどの人々は、共同体の費用で養われている。人口が増えると、まだ耕作されていない土地に新しい共同体が建設され、それまでと同じパターンを踏襲する。こうした共同体のメカニズムはたしかに、計画的な分業が行われていることを示すものであるが、鍛冶屋や大工などの仕事の需要は安定している。共同体の規模におうじて、ときに鍛冶屋や大工が1人ではなく、2人か3人必要となることはあっても、こうした分業がマニュファクチュア的な分業になることはない。

共同体の分業を定めている法則は、自然の法則のように揺るぎない権威をもっている。そして鍛冶屋などの特別な職人はすべて、伝承された方法にしたがいながらも独立して、自分のほかにいかなる権威も認めることなく、自分の仕事場で、自分の仕事に必要なすべての作業を遂行している。このような自給自足を営む共同体はたえず同じ形で再生産され、偶然に破壊されることがあっても、同じ場所に同じ名前で再現される。こうした共同体の単純な生産組織こそが、アジア的な社会が不変であることの秘密を明かす鍵なのである。ことはたしかに、アジアの国家がたえず解体し、あらたに建国されること、王朝が休みなく交替していることときわめて対照的なことではある。アジア社会の経済的な基本要素の構造は、政治的な風雲のもたらす嵐には影響されないのである。

たとえばインドでは古代からの小さな共同体が現在でも存在しているが、この共同体は土地の共同所有、農業と手工業の直接的な結びつき、そして明確な分業体制に依拠していた。この分業体制は、新しい共同体を作りだす必要があるときには、その計画と概要を定めるために役立つのである。こうした共同体は自給自足のできる完全な生産体を構成しており、生産面積は百エーカー程度から数千エーカーまで、さまざまである。生産物の多くは、共同体で自家消費するために生産されるのであり、商品として生産されることはない。そのためインド社会の全体でみると生産活動は、商品交換に依拠している分業とは独立して行われる。余剰な生産物だけが商品になるが、その一部はまず国家の所有となる。大昔から国家には、一定量の自然の産物が現物地代として納められてきた。

インドのさまざまな地域でさまざまな形態の共同体が存在するが、もっとも単純な形態の共同体では、共同体の成員が土地を共同で耕し、その生産物を成員のあいだで分けあっていた。これと並行して個々の家族は、家で副業として糸を紡ぎ、布を織っていた。共同体の成員の多くは、誰もが同じような仕事をしているが、ほかに共同体の「長」がいる。これは裁判官、警察官、徴税官を兼ねたような人物である。次に畑の耕作に関する計算を行い、この問題についてすべてのことを記録し、登記する帳簿係がいる。また第三の役人として、犯罪者を追跡し、外部からの旅行者を保護し、共同体の村から村へと案内する人物がいる。また、隣の共同体との境を監視する境番、共同の貯水池の水を畑の耕作のために配分する水番、宗教的な儀礼において役割をはたすバラモン、砂の上に文字を買い手共同体の子供たちに読み書きを教える教師、星占いをして、種まき、収穫、さまざまな農耕の仕事に適している時期と適さない時期を教える暦バラモン、農耕に必要なすべての道具を製造し、修理する鍛冶屋と大工、共同体のすべての成員ために陶器を作る陶工などがいる。ほかにも床屋や、衣服の洗濯を担当する洗濯番、銀細工師、ときには詩人もいる。詩人は共同体によっては銀細工師を兼ねたり、教師を兼ねたりする。

このような1ダースほどの人々は、共同体の費用で養われている。人口が増えると、まだ耕作されていない土地に新しい共同体が建設され、それまでと同じパターンを踏襲する。こうした共同体のメカニズムはたしかに、計画的な分業が行われていることを示すものであるが、鍛冶屋や大工などの仕事の需要は安定している。共同体の規模におうじて、ときに鍛冶屋や大工が1人ではなく、2人か3人必要となることはあっても、こうした分業がマニュファクチュア的な分業になることはない。

共同体の分業を定めている法則は、自然の法則のように揺るぎない権威をもっている。そして鍛冶屋などの特別な職人はすべて、伝承された方法にしたがいながらも独立して、自分のほかにいかなる権威も認めることなく、自分の仕事場で、自分の仕事に必要なすべての作業を遂行している。このような自給自足を営む共同体はたえず同じ形で再生産され、偶然に破壊されることがあっても、同じ場所に同じ名前で再現される。こうした共同体の単純な生産組織こそが、アジア的な社会が不変であることの秘密を明かす鍵なのである。ことはたしかに、アジアの国家がたえず解体し、あらたに建国されること、王朝が休みなく交替していることときわめて対照的なことではある。アジア社会の経済的な基本要素の構造は、政治的な風雲のもたらす嵐には影響されないのである。

 

同職組合と分業

すでに述べたように、同職組合規則は、1人の同職組合親方が使用してもよい職人の数を極度に制限することによって、親方が資本家になることを計画的に阻止していた。また、親方は、自分が親方だったその手工業だけでしか職人を使うことができなかった。同職組合は、自分に対立するただ一つの自由な資本形態だった商人資本からのどんな侵害をもねたみ深く退けた。商人はどんな商品でも買うことができたが、ただ労働だけは商品として買うことができなかった。商人はただ手工業生産物の費用立て替え人として容認されただけだった。外的な諸事情がいっそう進んだ分業を呼び起こせば、現にある同職組合がさらに細かい種類に分裂するか、または新しい同職組合が古いものと並んで設けられたが、しかしいろいろな手工業が一つの作業場にまとめられるようなことはなかった。それゆえ、同職組合組織は、それによる職業の特殊化や分立化や完成はマニュファクチュア時代の物質的存在条件に属するとはいえ、マニュファクチュア的分業を排除していたのである。だいたいにおいて、労働者とその生産手段とは、かたつむりとその殻とのように、互いに結びつけられたままになっていた。したがって、マニュファクチュアの第一の基礎、すなわち労働者にたいして生産手段が資本として独立化するということは、なかったのである。

一つの社会の全体のなかでの分業は、商品交換によって媒介されているかどうかは別として、非常にさまざま経済的社会構成体に属するのであるが、マニュファクチュア的分業は、資本主義的生産様式のまったく独自な創造物なのである。

マニュファクチュア以前の同職組合の場合は、規則で1人の親方が雇うことのできる徒弟の数を制限していました。さらに、親方は自分が専門とする手工業分野だけでしか徒弟を雇うことができないように規制されていました。それらのことが資本主義的になることを防いでいました。この時代の唯一の自由な資本形態は商業資本でしたが、商人資本は労働を商品として購入することができず、つまり、自分で商品を生産することができなかった。商人は親方の生産した商品を卸売りするだけだったのです。

親方が、どうしても分業しなければならなくなった時には、同職組合の下に下部の同職組合が作られるか、あるいは新しい同職が作られるのでした。そこでは、様々な手工業を工場という一ヵ所に集めることは、しませんでした。マニュファクチュアの分業は、取り入れられなかったのです。

商品交換に媒介されているかどうかは別として、きわめて多様な形態の社会において、社会全体における分業が行われています。しかしマニュファクチュア的な分業は資本制的な生産様式に固有の創造物なのです。

すでに述べたように同職組合の規則は、1人の親方が雇える徒弟の人数を制限することによって、親方が資本家に変容するのを計画的に防いでいた。さらに親方は、自分が専門とする手工業分野だけで徒弟を雇うことができた。同職組合に対する唯一の自由な資本形態は商業資本であり、同職組合の侵入には強く抵抗した。商人はどんな商品でも購入できたが、労働を商品として購入することだけはできなかった。商人はただ工業品の卸売業者としてだけ活動できたのである。

外的な状況に迫られて分業を進める必要があった場合には、既存の同職組合の下に下部の同職組合が作られるか、これまでの同職組合とならんで新しい同職組合が作られるのであって、さまざまな手工業を一つの作業場に集めるようなことは行われなかった。同職組合組織の存在、同職組合における職務の特化、孤立、完成は、マニュファクチュア時代の物質的な生存条件の一つではあったが、マニュファクチュア的な分業は排除されたのである。全体としてみると、労働者とその生産手段は、あたかもカタツムリとその殻のように、しっかりと結びつけられていて、マニュファクチュアの最初の土台が、すなわち生産手段が労働者にたいして自立することがなかったのである。

商品交換に媒介されているかどうかは別として、きわめて多様な形態の社会において、社会全体における分業が行われている。しかしマニュファクチュア的な分業は資本制的な生産様式に固有の創造物なのである。

 

 

第5節 マニュファクチュアの資本主義的性格

資本の増加

比較的多数の労働者が同じ資本の指揮のもとにあるということは、協業一般の自然発生的な基礎をなしているが、同様にマニュファクチュアのそれをもなしている。逆にまたマニュファクチュア的分業は充用労働者数の増大を技術上の必然性にまで発展させる。1人の個別資本家が使用しなければならない労働者数の最小限は、彼にとって今では、現に行われている分業によって指定されている。他方、さらに進んだ分業の利益は、労働者数のいっそうの増加を条件とし、しかもこの増加はただ倍加を重ねることによってのみ行われることができる。しかし、資本の可変成分が増大するにつれて不変成分も増大しなければならない。そして、建物や炉などのような共同的生産条件の規模のほかに、ことにまた、しかも労働者数よりもずっと速く、原料が増加しなければならない。与えられた時間に、与えられた労働量によって消費される原料の量は、分業によって労働の生産力が高くなるのと同じ割合で増加する。だから、個々の資本家の手にある資本の最小規模が増大してゆくということ、または、社会の生活手段と生産手段とがますます多くの資本に転化してゆくということは、マニュファクチュアの技術的性格から生ずる一つの法則なのである。

かなり多数の労働者が1人の資本家の指揮に従うということは、協業の自然発生的な原因であるのと同じように、マニュファクチュアの原因゛もあるのです。しかし、協業の場合とは逆に、マニュファクチュア的な分業では、その労働者の人数を増やすことは、分業が発展していくために必要でした。個々の資本家が指揮する必要のある労働者の最低人数は、そこで行われている分業によって決まるものでした。しかし、分業をさらに進めることで利益を得ようとすれば、労働者の人数をさらに増やす必要がありました。しかも、その場合、労働者の人数を現在の数倍に増やさなければ、利益を増やすことはできないのでした。

この場合、労働者を増やすということは全体の規模を大きくすることになるということです。実際のところ、労働者がたくさん増えると、いままで建物では労働者が入りきれなくなるだろうから建物の規模を大きくしなければならないし、生産設備などの生産手段を増やさなければならない。それは、資本家にとっては不変資本が増大することになります。また、労働者が増えることだけでなく、分業によって生産力が向上するので、生産量が増えるため、その生産に必要な原材料は労働者以上に増えることになります。このように、社会的な生活手段と生産手段が資本にますます転換されていくのは、マニュファクチュアの技術的な性格から生まれる法則と言えます。

かなり多数の労働者が1人の資本家の指揮にしたがうことが、協業の自然発生的な出発点であるのと同じように、マニュファクチュアの自然発生的でもある。逆にマニュファクチュア的な分業では、投入する労働者の人数を増やすことは技術的に必然的なものとなった。個々の資本家が投入する必要のある労働者の最低人数は、そこで行われている分業によって定められる。分業をさらに進めることで利益をえようとすれば、投入する労働者の人数をさらに増やす必要があるが、それには労働者の人数を現在の数倍にしなければならないのである。

さらに[労働者という]可変条件を増大させれば、不変資本も増やさなければならない。そのためには建物や炉などの共通の生産条件の規模を増やす必要があるだけではない。労働者の人数よりもさらに急速に増やす必要があるのが、原材料である。一定の時間のうちに一定の人数の労働者が消費する原材料の量は、分業による労働の生産力の向上と正比例して増加する。個々の資本家が所有する最低額が次第に増大し、社会的な生活手段と生産手段が資本にますます転換されていくのは、マニュファクチュアの技術的な性格から生まれる法則なのである。

 

マニュファクチュアにおける労働方法

単純な協業の場合と同様に、マニュファクチュアにあっても、機能している労働体は資本の一つの存在形態である。多数の個別的部分労働者から構成されている社会的生産機構は、資本家のものである。それだから、諸労働の結合から生ずる生産力は資本の生産力として現れるのである。本来のマニュファクチュアは、以前は独立していた労働者を資本の指揮と規律に従わせるだけではなく、そのうえに、労働者たち自身のあいだにも一つの等級的編制をつくりだす。単純な協業はだいたいにおいて個々人の労働様式を変化させないが、マニュファクチュアはそれを根底から変革して、個人的労働力の根源をとらえる。それは労働者をゆがめて一つの奇形物にしてしまう。というのは、もろもろの生産的な本能と素質との一世界をなしている人間を抑圧することによって、労働者の細部的技能を温室的に助成するからである。それは、ちょうどラブラタ沿岸諸州で獣から毛皮や脂肪をとるためにそれをまるまる1頭屠殺してしまうようなものである。それぞれの特殊な部分労働が別々の個人のあいだに配分されるだけではなく、個人そのものが分割されて一つの部分労働の自動装置に転化され、こうして、メネニウス・アグリッパの寓話、すなわち1人の人間をそれ自身の身体の単なる一断片だと言うばかげた寓話が現実のものにされるのである。元来は、労働者が自分の労働力を資本に売るのは、商品を生産するための物質的手段が自分のものにないからであるが、今では彼の個人的な労働力そのものが、資本に売られなければ用をなさないからであるが、今では、彼の個人的労働力そのものが、資本に売られなければ用をなさないのである。その労働力は、それが売られた後にはじめて存在する関連のなかでしか、つまり資本家の作業場のなかでしか、機能しないのである。マニュファクチュア労働者は、その自然的性質からも独立なものをつくることはできなくなっているので、もはやただ資本家の作業場の付属物として生産的活動力を発揮するだけである。エホバの選民の額には彼がエホバのものだということが書いてあったように、分業はマニュファクチュア労働者に、彼が資本のものだということを現わしている焼き印を押すのである。

資本は、単純な協業の場合でも、マニュファクチュアの場合でも、労働を機能的に使おうとします。マニュファクチュアの多数の部分労働者で組み立てられた生産メカニズムは資本家が作り、自分のものとしたものです。ということは、協業したり分業したりして個々の労働を組み合わせてまとめることで生まれた生産力は、資本の生産力ということになります。マニュファクチュアとなると、それまでは個々に自立していた労働者は資本の指揮と規律に服するようになります。それだけでなく、労働者たちが階層的な工場の組織体制に組み込まれます。つまり、単純な協業の場合は個々の労働者の働き方やあり方は以前の手工業のころと変わりませんが、マニュファクチュアの場合には労働者の働き方やあり方が根本的に変わってしまいます。

マニュファクチュアでは、「労働者の局所的な熟練を、いわば温室にいれて促成することによって、労働者を歪め、畸型にする」とマルクスは述べていますが、これは個々の労働者は自分の担当する部分労働に就くと、ずっとそのままで、それに専心させられる、その部分郎党に特化するように労働者の能力を特化させていきます。その結果、バランスを欠くほどに特定の部分が突出してしまった労働者の姿を畸形と言っているのです。それは、「特定の部分労働がさまざまな個人のあいだに分配されるだけでなく、個人そのものが分割されて、部分労働をするだけの自動人形のような歯車装置」であり、「自分の身体の断片」とも形容しています。

もともと、労働者は自分自身が商品の生産手段を所有していなかったので、自身を労働力という商品にして資本に売らざるを得なかったのですが、その個人的な労働力は、資本に売ってはじめて商品として機能するものとなっていました。ということは、労働力は資本家の工場の作業場でしか機能できないものになってしまったということです。

このようにして労働者は、上記のようなあり方のために、自身が独立して何か商品を作ることができず、資本家の作業場でしか、生産活動に従事できなくなってしまっている。マニュファクチュアでは、それがさらに徹底されて「資本の所有であるという烙印」を押された存在となってしまったと言っています。

単純な協業の場合と同じようにマニュファクチュアにおいても、資本は機能的な労働体として存在する。多数の個々の部分労働者で組み立てられた社会的な生産メカニズムは資本家のものである。このため労働を結合することで生まれた生産力は、資本の生産力として現れる。ほんらいのマニュファクチュアにおいては、それまでは自立していた労働者は資本の指揮と規律に服するようになるが、それだけではなく、労働者たちのうちに階層的な構造が生み出される。単純な協業であれば、個々の労働者の働き方そのものは全体としてみると変わらないが、マニュファクチュアでは労働者の働き方が根本的に変わり、個人の労働力をその根底から掌握する。

マニュファクチュアは労働者の局所的な熟練を、いわば温室にいれて促成することによって、労働者を歪め、畸型にする。生産に向かう衝動と素質に満ちた世界をこのようにして抑圧するのをみると、ラブラタ地方で、毛皮と脂肪をとるためだけに動物を殺してしまうのを思い浮かべざるをない。特定の部分労働がさまざまな個人のあいだに分配されるだけでなく、個人そのものが分割されて、部分労働をするだけの自動人形のような歯車装置に変えられてしまう。こうした1人の人間とは、自分の身体の断片にほかならないと語るメネニウス・アグリッパの悪趣味な物語が実現されるのである。

もともと労働者が自分の労働力を資本に売ったのは、商品を生産するための物質的な手段を所有していなかったためであるが、今では労働者の個人的な労働力は、資本に売らないかぎり役立たないものになってしまった。労働者の労働力は今では、それが売られることによって初めて成立する連関のもとでのみ、すなわち資本家の作業場のうちでのみ機能するようになった。

こうしてマニュファクチュアの労働者はそのほんらいのありかたからして、何か独立したものを作ることができなくなり、資本家の作業場の付属品としてしか、生産活動に従事できなくなる。選ばれた[ユダヤの]民の額には、ヤハウェの所有する民であるという刻印が押されていたように、分業はマニュファクチュア労働者に、資本の所有であるという烙印を押すのである。

 

知識と科学の意味

未開人があらゆる戦争技術を個人の知能として用いるように、独立の農民や手工業者が小規模ながらも発揮する知識や分別や意志は、今ではもはやただ作業場全体のために必要なだけである。生産上の精神的な諸能力が一方の面ではその規模を拡大するが、それは、多くの面でそれらがなくなるからである。部分労働者たちが失うものは、彼らに対立して資本のうちに集積される。部分労働者たちにたいして、物質的生産過程の精神的な諸能力を、他人の所有として、また彼らを支配する権力として、対立させるということは、マニュファクチュア的分業の一産物である。こうした分離過程は、個々の労働者にたいして資本家が社会的労働体の統一性と意志とを代表している単純な協業に始まる。この過程は、労働者を不具にして部分労働者にしてしまうマニュファクチュアにおいて発展する。この過程は、科学を独立の生産能力として労働から切り離しそれに資本への奉仕を押しつける大工業において完了する。

労働者と違って自営の農民や職人は、自分の生産手段を持っているので、たとえ小規模であっても独立しているので、個人的な範囲にとどまっていたとしても、それを運営する固有の知識や洞察や意志をもっていました。しかし、そういう固有の知識や洞察や意志は、マニュファクチュアの全体が運営されていればいいわけで、そこで部分として歯車になってしまっている労働者には必要ないものとなって、それらは、資本家に集積され、独占されていきました。したがって、労働者は生産に必要な知的能力に限定され、多くの側面での知的能力は必要ないものとして失われてゆきました。

このようにマニュファクチュアの分業は、物質的な生産過程、つまりものづくりに必要な知的な能力や意志など精神的な力が資本家という他者に集められ独占されてしまった。一方で、資本家は、その力の独占により抑圧的な権力として工場の部分労働者に、強制的に従わせるということになりました。このような分離は、もともと自営の農民や職人が持っていたのは個人的なもので、これに対して資本家の持つ抑圧的なものは社会的な労働体の統一性と意志を代表するものとして現れ、分離を促しました。さらに、科学が独自の生産能力として労働から切り離され、資本によって強制的に奉仕させられるようになっていきました。

マニュファクチュアが資本主義的生産にとってもつ意味について論じた、この第5節は次章以降の内容を理解する上で重要な内容を含んでいます。とくに、ここの部分で述べられている内容は極めて重要です。

もともと賃労働者が労働力を商品として資本に売らなければならなかったのは。彼が生産手段をもっておらず自分で商品を生産することができないからでした。ところが、マニュファクチュアでは事情が変化します。いまや彼の労働力は資本によって買われ、分業の体系の中に組み込まれない限りは役に立たないのです。独立の手工業者はたとえ限られたものであったとしても、生産についての知識を持ち、洞察を働かせ、さまざまな状況に臨機応変に対応することができました。しかし、マニュファクチュア労働者はそのような独立の生産者としての精神的能力を奪い取られてしまい、資本が組織した分業の体系に組み込まれない限り役に立たない存在にされてしまいます。つまり、たとえ生産手段があったとしても、自力で生産活動を営み、生活していくことができない存在にされてしまうのです。

このように、マニュファクチュア労働者は独立の生産者としての能力を喪失することにより、たんに生産手段をもっていないというだけでなく、その生産能力の面からも、資本に依存しなければ生産的な活動力を発揮することができない存在にされてしまいます。マルクスが「分業はマニュファクチュア労働者に、彼が資本の所有物だということを示す刻印を押す」と述べている所以です。前章においても、資本主義的生産では協業から発生する生産力が資本の生産力としてしか実現されないことが指摘されましたが、マニュファクチュアにおける分業においては労働の生産力が資本の生産力としてしか実現されないという事情がさらに明瞭になって現れてきます。

さらに、マニュファクチュアにおいては、生産に必要な知識、洞察は、部分作業の体系化を組織する資本に集中され、賃労働者を支配する力として現れることになります。労働者の生産力を高め、彼の能力を豊かにするはずの知が、むしろ彼を支配し、搾取するための力になってしまうのです。

このような生産的知の労働者からの剥奪と資本への集中は、資本主義的生産過程における資本による労働者の支配を考えるうえで、非常に重要なポイントになります。実際、貨幣の力によって労働力を購買し、その使用権を獲得するだけでは、資本による賃労働者の支配力はまだ確固たるものではありません・なぜなら、実際の生産過程において生産手段を扱うのは賃労働者であり、賃労働者が生産にかんする知や技術をもっているうちは生産過程を資本の思うようにコントロールし、支配すことはできないからです。資本は賃労働者から生産に関する知や技術を奪い取ることにより、はじめて資本による賃労働の支配を現実のものにすることができるのです。このような生産的知をめぐる攻防は、次章においても重要なテーマになります。

自営する農民や職人は、たとえ小規模なものではあっても、固有の知識と洞察と意志とをそなえていたものである。これは未開の民族が、戦いのためのすべての技能を、個人的な策略として活用していたのと同じである。しかしこうしたものは今では作業場の全体のためだけに必要なものとなった。たしかに生産に必要な知的な能力の規模は拡大されたが、他方では多くの側面でこうした知的な能力が失われていく。部分労働者が失ったものは、資本のもとに、労働者に対立するものとして集積されていく。

マニュファクチュア的な分業がもたらしたものは、物質的な生産過程にそなわる精神的な能力が他者の所有となり、抑圧的な権力として部分労働者に敵対するものとなるという事態である。こうした分離は、資本家が個々の労働者にたいして、社会的な労働体の統一性と意志を代表するものとして登場していた単純な協業において、すでに発生していた。そして労働者を部分労働者に歪めるマニュファクチュアにおいては、こうした分離がさらに発展する。そしてこの分離は、大工業では科学が独自の生産能力として労働から切り離され、資本に強制的に奉仕させられるのである。

 

分業のもたらす悪影響

マニュファクチュアでは、全体労働者の、したがってまた資本の、社会的生産力が豊かになることは、労働者の個人的生産力が貧しくなることを条件としている。

「無知は迷信の母であるが、また勤労の母でもある。反省や想像力は誤りに陥りやすい。しかし、手や足を動かす習慣は、そのどちらにも依存していない。だから、マニュファクチュアが最も繁栄するのは、人が最もはなはだしく精神を払い去って、作業場が人間を部分品とする一つの機械とみなされうるようになっている場合である。」

じっさい、18世紀の半ばには、マニュファクチュアのうちには、ある種の単純ではあるが工場の秘密になっているような作業には好んで半白痴を使用したものもあったのである。

アダム・スミスは次のように言っている。「大多数の人間の精神は、必然的に彼らの日常の作業から発達し、またそれによって発達する。わずかばかりの単純な作業をすることに全生涯を費やす人は…自分の知力を用いる機会をもたない。…彼人、一般に、一人の人間にとって可能なかぎりの愚かで無知なものになる。」

部分労働者の遅鈍について述べてから、スミスは次のように続ける。

「彼のきまりきった生活の単調とは、当然、彼の精神の元気をも腐らせる。…それは彼の肉体のエネルギーさえも破壊し、一つの細部作業に向くように育成された彼を、その作業以外では自分の力を活発に持続的に使うことができないようにする。彼の特殊な職業における彼の技能は、このように、彼の知的な、社会的な、勇敢な資質を犠牲にして得られたように見えるが、しかし、これは、およそ産業の発達した文明の社会では、労働貧民、すなわち人民の大多数は必然的に陥らざるをえない状態なのである。」

分業のために民衆がすっかり萎縮してしまうのを防ぐために、A・スミスは国家の手によるが国民教育を、といっても用心深く極小量にかぎってではあるが、推奨している。これにたいして、スミスのフランス訳者で注釈者でありフランスの第一次帝政のもとでは当然の成り行きとして元老院議員に脱皮したG・ガルニエは、徹底的に反対している。彼によれば、国民教育は分業の第一の法則に反するものであって、それをやれば「われわれの全社会制度を廃止する」ことになるのである。彼は次のように言っている。

「他のすべての分業と同じように、手の労働と頭の労働との分業も、社会(この言葉を彼は、間違いなく、資本、土地所有、およびこの両者の国家という意味に用いる)が富んでくるにつれて、ますます明瞭になり決定的になってくる。他のどの分業とも同じに、この分業も過去の進歩の結果であり、将来の進歩の原因である。…それなのに、政府がこの分業を妨害し、その自然の進行を阻止してよいものだろうか?分割と分離とに向かっている二種類の労働をごちゃ混ぜにしようとする試みのために、政府が国庫収入の一部を費やしてよいものだろうか?。」

ある種の精神的肉体的不具化は、社会全体の分業からさえも不可分である。しかし、マニュファクチュア時代は、このような諸労働部門の社会的分裂をさらにいっそう推し進め、他面ではその特有の分業によってはじめて個人をその生命の根源からとらえるのだから、それはまた産業病理学のための材料や刺激をはじめて供給するのである。

「1人の人を小分けするということは、彼が死罪に値すれば死刑に処し、それに値しなければ暗殺する、ということである。労働の小分けは人民の暗殺である」。

マニュファクチュアでは、部分労働者ではなく全体労働者が、資本とともに社会的な生産力を豊かにします。その反面で、部分労働者である労働者個人は貧しくなっていきます。それが、全体労働者と資本が豊かになる条件なのです。「無知は迷信の母であると同時に勤労の母でもある。」と言います。労働者は何も考えずに、ただ身体を動かしていればいいのです。このようにマニュファクチュアは、作業場が一つの機械であり、人間がその機械の部品であるほどに、人間が精神を失っている場所になっているのです。

実際に、18世紀のマニュファクチュアでは、単純作業に知能程度の低い人を好んで雇用していました。

アダム・スミスは、労働者が分業によって「わずかな単純作業だけで一生を過ごす人は、…知性を働かせる機会をもたない。…こうした人は人間として考えられるかぎりでもっとも愚鈍で無知な存在になる」と語り、歪められると警告しました。スミス以外にも、似たような指摘をする人もいました。

とくに、マニュファクチュアの分業では、労働者と資本家の分裂が進行し、この分業に固有のしかたで、労働者個人の生活に影響が現われました。

マニュファクチュアでは〈全体労働者〉が、それとともに資本が、社会的な生産力をゆたかにする。しかし労働者の個人的な条件が貧しくなることが、そのための条件なのである。[無知は迷信の母であると同時に勤労の母でもある。熟慮も想像力も間違うことがある。しかし手や足を動かす習慣は、熟慮にも想像力にも依拠していない。マニュファクチュアは、人間がもっとも精神を失っている場所で栄える。作業場が一つの機械であり、人間がその機械の部品であるほどに、人間が精神を失っている場所で]

実際に18世紀半ばのいくつかのマニュファクチュアでは、作業場の秘密に属する作業は、それが単純なものである場合には、知能程度の低い人を雇用することが好まれていた。

アダム・スミスは「多くの人々の精神は、日常の作業のうちで、まだそれによって発展するものである。わずかな単純作業だけで一生を過ごす人は、…知性を働かせる機会をもたない。…こうした人は人間として考えられるかぎりでもっとも愚鈍で無知な存在になる」と語っている。

スミスは部分労働者の愚鈍さを描写した後に、次のようにつづけている。「生活は停滞したものであるために単調になり、精神の活気も自然に失われる。…身体のエネルギーも破壊され、教え込まれている細かな作業のほかに、自分の力を活発に持続して行使することができなくなる。特定の作業では熟練しているが、その人の知的な能力、社会的な能力、戦闘的な能力は犠牲にされている。しかし文明化された産業社会ではどこでも、労働する貧民たち、すなわち大衆の大部分は必然的にこうした状況に陥らざるをえないのである」。

スミスは国民大衆が分業によって完全に歪められてしまうのを防ぐために、国家が国民教育を行うことを勧めている。もっともホメオパシー治療のように慎重に少量だけを処分しながらである。ところがスミスの著書のフランス語版の翻訳者であり、注釈者であるG・ガルニエは、このスミスの考え方を徹底的に批判している(ガルニエはフランスの第一次帝政のもとで本性を暴露して、元老院議員になった)。国民教育は分業の第一の原則に反するものであり、「われわれの社会システムそのものが否定されてしまう」というのである。

ガルニエはこう語っている。「すべての分業と同じように、手仕事と頭脳労働者の分業は、社会が(彼は間違いなく社会という言葉を、資本、土地所有、そしてそれからなる国家に用いているのである─マルクス)豊かになるにつれて、明確で決定的なものになる。すべての分業と同じように、この手仕事と頭脳労働との分業も、過去の進歩がもたらしたものであり、未来の進歩を生み出すものである。…このような分業を政府が妨害し、自然な発展をおしとどめてもよいものだろうか。分割し、分離しようとしているこれに二つの種類の労働のありかたを混乱させ、混同させる試みに、政府が国の収入の一部を投じることが許されるだろうか」。

社会全体における分業もまた、ある種の精神的および身体的な歪みをもたらさらざるをえない。しかしマニュファクチュア時代にあっては、この労働分野の社会的な分裂がはるかに推進され、この分業に固有なやり方で、個人の生活の根に襲いかかる。マニュファクチュア時代はこうして、産業病理学の材料と刺激を初めて与えるのである。「1人の人間を切り刻むのは、その人が死刑の判決をうけていれば死刑の執行であり、死刑の判決をうけていなければ暗殺である。労働を切り刻むのは、国民を暗殺することである」。

 

マニュファクチュアにおける分業の発達

分業にもとづく協業、すなわちマニュファクチュアは、当初は一つの自然発生的な形成物である。その存在がいくらか堅固さと幅広さとを増してくれば、それは資本主義的生産様式の意識的な、計画的な、組織的な形態になってくる。本来のマニュファクチュアの歴史が示しているように、それに特有の分業は、最初は経験的に、いわば当事者たちの背後で、適当な諸形態をとってゆくのであるが、やがて、同職組合的手仕事と同じように、ひとたび見いだされた形態を伝統的に固定しようとするようになり、また場合によっては数百年もそれを固守するのである。この形態が変わるとすれば、それは、枝葉末節のことは別として、いつでも労働用具の革命の結果にほかならない。近代的マニュファクチュア─ここでは機械にもとづく大工業のことを言うのではない─は、ある場合には、たとえば衣服マニュファクチュアのように、それが発生する大都市ですでにできあがっているばらばらの四肢を見つけだして、ただそれが散らばっているのを集めさえすればよい。そうではなくても、ただ単に手工業的生産のいろいろな作業が(たとえば製本の場合のように)別々の労働者に専業として習得されるだけなので、分業の原則はすでにまったく明らかである。このような場合には、それぞれの機能に必要な人手の比例数を見つけるには、一週間の経験も必要ではないのである。

マニュファクチュア的な分業は、手工業的活動の分解、労働用具の専門化、部分労働者の形成、一つの全体機構のなかでの彼らの組分けと組合せによって、いくつもの社会的生産過程を質的編制と量的比例制、つまり一定の社会的労働の組織をつくりだし、同時にまた労働の新たな社会的生産力を発展させる。社会的生産過程の独自な資本主義的な形態でしか発展しえなかったのであるが─、マニュファクチュア的分業は、ただ、相対的剰余価値を生みだすための、または資本─社会的富とか、「諸国民の富」とか呼ばれるもの─の自己増殖を労働者の犠牲において高めるための、一つの特殊な方法でしかない。それは、労働の社会的生産力を、労働者のためにではなく資本家のために、しかも各個の労働者を不具にすることによって、発展させる。したがって、それは、資本が労働を支配するための新たな諸条件を生みだす。したがって、それは、一方では歴史的進歩および社会の経済的形成過程における必然的発展契機として現われ、同時に他方では文明化され洗練された搾取の一方法としても現われるのである。

もともとマニュファクチュアの分業は自然発生的に生まれたものでした。分業が、繰り返されて定着し、それに伴って次第に規模が大きくなってくると、計画的で体系的な組織だったものとなっていきます。それは必然的に資本制的な生産様式に重なってくるものでした。マニュファクチュアの歴史を調べてみると、分業は、まず経験に基づいて、そこで働いている人がとくに意識することなく、仕事をやりやすくするとかいったことで、自然と適切な形態になっていったことが分かります。その見いだされた適切な形態が定着し、踏襲され固定されました。それが同職組合などでは、伝統となりました。

この形態が変化するのは、道具の革命的な変化が起こったときです。近代のマニュファクチュアでは、分業の伝統を土台にして、手工業的な活動を分析し、そのための個々の分業のための作業工具を特化させ、部分労働者を養成し、部分労働者を全体のメカニズムのうちで集団に分けて組み合わせることによって、社会的な生産過程を質的に分類し、さまざまな機能に必要な労働者の数を比例分配して量的に均衡させました。そして社会的な労働を特定の形で編成し、これによって同時に、労働者の新たな社会的な生産力を発展させたのです。

このようにマニュファクチュアの分業は、資本制の生産様式に固有の社会的な分業の形態です。それ以前にも分業は存在していましたが、このような形態に発展することはありませんでした。その要因の一つは資本制があるかないかの違いです。資本制とは端的に言えば、労働者の犠牲によって相対的増殖価値を作り出して、利潤、資本の自己増殖を増やしてということです。畢竟、それが社会的な富に至るという考え方です。

このような考え方では、労働の社会的な生産力は、労働者のためではなく資本家のために発展させることが当たり前で、だから、生産力を高めるために、個々の労働者を歪めることができてしまうのです。その結果、マニュファクチュアの分業によって、資本が労働を支配することを後押しするのです。それは、一方では社会の経済的な発展の要素として現われ、他方では文明化され、洗練された搾取の手段としても現われたのです。

ここで、まとめて考えてみましょう。これまで見てきたように難易度や作業量の異なるさまざまな工程に労働者が特化されることで、まず第1に、労働者は特定の工程しか行いえない部分労働者となり、マニュファクチュアの資本制的な生産様式のメカニズムの歯車とならざるをえなくなります。したがって、そのメカニズムの外部ではもはや1人前の労働者として自立化することができず、資本への従属が形式的のみならず実質的にも進展してしまいます。第2に、労働者間に階層関係が生じることになるのです。例えば、半年で習熟できる工程に特化している労働者は事実上、単純労働者となり、2年で習熟できる工程に特化している労働者引き続き技能労働者、複雑労働者とみなされることになる。これは労働者を分断し、労働者間の団結を阻むことになります。そして実際、その後の労働組合の多くはこのような細かく分割された職能ごとに組織されることになったのです。

このような階層化は、実は指揮管理機能を担う者の内部でも生じました。工場内分業が発達すればするほど、全体としての協業の規模もまた大きくなるだけでなく、各工程を指揮監督するそれぞれの管理者が必要になるので、これらの異なった諸部門の管理者を統制するより上位の管理者も必要になってきます。こうして、管理者の内部でも垂直的分業が発生し、より複雑な上下関係、指揮命令系統が生まれました。そうなると、もはや資本家が通常の管理者を兼ねることは次第に不可能になり、管理者自身が賃金労働者たちの階層の頂点に位置する最上位の管理者の地位を占めるようになりました。

このような管理をする労働者が生まれたことによって生産的な意味での指揮監督機能と階級的な意味での管理統制機能とは人格的に異なった担い手に分裂することになります。管理労働者は主として前者の機能を担い、最上位の管理者としての資本家は主として後者の機能を担います。しかし、管理労働者は、資本家階級に代わって労働者を統制するための階級的機能をも部分的に代行することを求められます。しかし彼がいかに階級的機能を代行しようとも、彼自身はあくまでも労働力を資本家に売って賃金を得ているにすぎず、労働者階級の一員であるにすぎません。労働者の一部が管理労働者として分離することによって、それ以外の一般労働者は作業労働者として再概念化されることになりました。

こうして、先ほど見た種々の工程の難易度に応じた技術的階層性が労働者のあいだにつくり出されるだけでなく、管理労働者と作業労働者とのあいだの分割による人格的階層性も生み出されたのでした。労働者の主体性や能動性は、この管理労働者と作業労働者との間に不均等に配分されるようになりました。管理労働者は、以前にもまして主体性と能動性の発揮が求められるが、作業労働者は、その労働者に与えられた工程で黙々と作業を繰り返す程度の主体性と能動性しか求められず、資本主義的労働過程の核心たる労働者の客体化と物化がいっそう進展する。このようにして、資本主義的労働過程における、労働者の主体性と客体化との乖離は、管理労働者との人格的分割を通じて媒介されたのです。

分業に基づいた協業、すなわちマニュファクチュアは、その発端においては自然発生的なものであった。分業がある程度の安定性と幅をもったものとなると、資本制的な生産様式の意識的で、計画的で、体系的な形態になる。ほんらいのマニュファクチュアの歴史を調べてみると、マニュファクチュアに固有の分業は、まず経験に基づいて、働く人々がとくに意識することなく、適切な形態を獲得していったことが分かる。やがて同職組合の手仕事と同じように、ひとたび発見された形態を伝統的に固定することが試みられたのであり、数百年にわたって固定されてきた分業形態も存在するのである。

この形態が変わるのは、副次的な事柄を別として、つねに労働で使う道具の革命的な変化が起きた場合であった。ここでは機械制の大工業については触れないが、近代のマニュファクチュアは一方では、たとえば服飾産業のように、それが成立した大都市において、すでにその断片が、詩でいう詩人の散らばった四肢がすでに完成しており、ただその断片を集めるだけで成立したのだった。他方では製本業のように、手工業的な生産ためのさまざまな作業が、それぞれ個別の労働者の専業として割り当てられていて、分業の原則が自明のことになっている場合もあった。このような場合には、一週間もすれば、さまざまな機能に必要な人数の比例関係を理解できるのである。

マニュファクチュア的な分業は、手工業的な活動を分析し、作業工具を特化させ、部分労働者を養成し、部分労働者を全体のメカニズムのうちで集団に分けて組み合わせることによって、社会的な生産過程を質的に分類し、量的に均衡させる。そして社会的な労働を特定の形で編成し、これによって同時に、労働者の新たな社会的な生産力を発展させるのである。

マニュファクチュア的分業はこのように、資本制に固有の社会的な生産過程の形態であり、既存の基盤の上では、このような資本制的な形態をとらずには、発展することができなかったのである。これは相対的増殖価値を作りだし、労働者の犠牲のもとで、資本の自己増殖を、あるいは人々が社会的な富とか、国富とか呼んでいるものを増大させるための一つの特別な方法にほかならなかった。

これは労働の社会的な生産力を、労働者のためではなく資本家のために発展させるだけなく、個々の労働者を歪めることによって、生産力を高めるのである。マニュファクチュア的分業は資本が労働を支配するための新たな条件を作りだす。だからマニュファクチュア的分業は一方では歴史的な進歩として、社会の経済的な形成プロセスの必然的な発展の要素として現れるが、他方では文明化され、洗練された搾取の手段としても現れるのである。

 

古代と近代の経済学

マニュファクチュア時代にはしせめて独自な科学として現われる経済学は、社会的分業一般を、ただ単に、マニュファクチュア的分業の立場から、同量の労働でより多くの商品を生産するための、したがって商品を安くし資本の蓄積を速くするための手段として、考察する。このように量と交換価値とを強調するのとはまったく正反対に、古典的古代の著述家たちはただ質と使用価値だけにしがみついている。社会的生産部門の区分の結果として、諸商品はよりよくつくられ、人間のいろいろな性向や才能は自分に適した活動分部面を選び、制限のないところではどこでもたいしたことはなされなくなる。こうして、生産物も生産者も分業によって改善される。たまたま生産物量の増大にも言及することがあっても、それはただ使用価値のいっそうの豊富ということに関連して言われるだけである。交換価値とか、商品を安くするということなどは、なにも考えられていない。このように使用価値の立場は、分業を諸身分の社会的区別の基礎として取り扱うプラトンの場合にも、また、その特徴的な市民的本能によってすでに作業場内の分業にもっと接近しているクセノフォンの場合にも、支配的である。プラトンの共和国は、そこで分業が国家の形成原理として展開されるかぎりでは、ただエジプトの身分制度のアテナイ人的理想化でしかないのであって、エジプトは、プラトンと同じ時代の他の人々、たとえばイソクラテスにとっても、産業上の模範国とみなされるのであり、また、ローマ帝政時代のギリシャ人にとってさえもまだこのような意義を失っていなかったのである。

一般に経済学という学問は、近代以降、つまりマニュファクチュアの時代になって科学として成立した学問です。したがって、マニュファクチュアが前提になっているといえます。そのため、社会的な分業について、マニュファクチュアの分業という観点からしか考察しません。つまり、経済学にとって分業とは、同一の労働量でより多くの商品を生産する手段としてしか、すなわち商品を安価にして資本の蓄積を加速させる方法という肯定的な捉え方しかしないのです。

これらの経済学は量と交換価値を重視するもので、対照的に古代の人々は質と使用価値に注目していました。古代の人々は、社会的な生産分野が区別されるようになったために、よりよい商品が生産されるようになり、人間のさまざまな衝動と才能が、それにふさわしい活動分野を選択するようになった、と考えました。分業という生産の形態がなければ、それはできなかった。だからこそ、そういう分業が、生産物も生産者も発展させることができると考えたのでした。

彼らの考える生産量の増大は、使用価値を充実させることと結びついた内容ら限られていました。そして、交換価値や、商品を安価にすることについては考えられることもなかったようです。このように使用価値だけを重視する考え方は、当時の産業の先進地であった古代ギリシャでひろく考えられていました。

経済学という学問は、マニュファクチュア時代になって初めて独自な科学として登場した学問であり、社会的な分業一般をマニュファクチュアにおける分業の観点からしか考察しない。この学問は社会的な分業を、同一の労働量でより多くの商品を生産する手段としてしか、すなわち商品を安価にして資本の蓄積を加速させる方法としてしか考察しないのである。

量と交換価値を重視するこれらの経済学とは経済学者とは対照的に、古典古代の人々は質と使用価値だけに注目していた。彼らによると社会的な生産分野が区別されるようになったために、よりよい商品が生産されるようになり、人間のさまざまな衝動と才能が、それにふさわしい活動分野を選択するようになったという。[分業という]ある程度の制約なしでは、大したことはできないと考えるのである。こうして分業によって、生産物も生産者も改善されると考えられていた。

ときに生産量の増大について触れられることはあったが、それは使用価値を充実させるという目的と関連させた場合にすぎない。交換価値についても、商品を安価にすることについても、まったく触れられていない。このように使用価値だけを重視する考え方は、分業を身分の社会的な区別の基盤と考えたプラトンにおいて、市民的な本能によって、作業場での分業に近いことを語っているクセノフォンにおいても支配的である。プラトンは『国家』で分業を国家の形成原理として論じているが、これはエジプトの身分制度をアテナイ風に理想化したものに過ぎない。当時エジプトは産業の進んだ模範的な国家と考えられていた。プラトンと同時代の人々、たとえばイソクラテスなどもそう考えていたのである。ローマ帝政時代のギリシャ人たちにも、エジプトはこのような国とみられていた。

 

労働者の抵抗

本来のマニュファクチュア時代、すなわちマニュファクチュアが資本主義的生産様式の支配的な形態である時代には、マニュファクチュア自身の諸傾向の十分な発達は多方面の障害にぶつかる。すでに見たように、マニュファクチュアは、労働者の等級制的編制をつくりだすと同時に熟練労働者と不熟練労働者との簡単な区分をつくりだすとはいえ、不熟練労働者の数は、熟練労働者が優勢によって、やはりまだ非常に制限されている。

マニュファクチュアはいろいろな特殊作業をマニュファクチュアの生きている労働器官の成熟や力や発達のいろいろに違った程度に適合させ、したがってまた女や子供の生産的搾取を促すとはいえ、このような傾向はだいたいにおいて慣習や男子労働者の抵抗に出会ってくじける。手工業的活動の分解は労働者の養成費を下げ、したがってまたその価値を下げるとはいえ、いくらかむずかしい細部労働にはやはりかなり長い修業期間が必要であり、また、それがよけいな場合にも、労働者たちによって用心深く固執される。たとえば、われわれがイギリスで見るところでは、7年間の修業期間を規定する徒弟法はマニュファクチュア時代の終わりまで完全に効力を保ち、大工業時代によってはじめて廃棄されたのである。手工業的熟練はマニュファクチュアでも相変わらずその基礎であり、マニュファクチュアで機能する全体機構も労働者そのものから独立した客観的な骨組みはもっていないのだから、資本は絶えず労働者の不服従と戦っているのである。そこで、おなじみのユアは次のように叫ぶのである。

「人間性の弱点が大きく現われて、労働者は、熟練すればするほど、ますますわがままになって取り扱いにくくなり、その結果、彼のひどい気まぐれによって全体機構に重大な損害を与えることになる。」

というわけで、マニュファクチュア時代の全体を通じて、労働者の無規律についての苦情が絶えないのである。そして、たとえ当時の著述家たちの証言がなかったにしても、16世紀から大工業時代に至るまで資本はマニュファクチュア労働者の利用可能な全労働時間を自分のものとすることに成功していないとか、マニュファクチュアは短命で、労働者の出入りにつれて、一国にある自分の本拠を棄てて他国にそれを築くとかいうような簡単な事実が、万巻の書に代わってそれを語るであろう。「なんとかして秩序を確立しなければならない」、たびたび引用した『産業および商業に関する一論』の著者は1770年にこう叫んでいる。秩序、それは66年後にはドクター・アンドリュー・ユアの口をつうじて次のようにこだましてくる。「秩序」は「分業というスコラ的独断」にもとづくマニュファクチュアにはなかったが、「アークライトは秩序を創造した」、と。

近代のマニュファクチュアの時代になって、マニュファクチュアが資本制的な生産の形態となっていたにもかかわらず、分業のもともとのかたちのままでいることはできなくなりました。例えば、労働者を熟練労働者と非熟練労働者に分割するという単純な分業も行われましたが、熟練労働者が大部分を占めて、非熟練労働者の法はほんの少ししかいませんでした。

これに対して、マニュファクチュアでは、生ける労働器官の成熟度、腕力、発達度などに合わせてそれぞれに特別な作業だけを行わせたのでした。また、女性と子供たちも生産の場で搾取しようとしましたが、社会的な抵抗が強く、これについては頓挫しました。手工業的な活動が細かに分割されていたために、個々の部分労働のための訓練の費用は低下し、個々の労働者の価値も低下しましたが、困難な細部の作業にはやはり長い習得時間が必要であり、このような習得が不要なところでも、労働者たちは熱心に習得の必要性にこだわったのです。

例えばイギリスでは、マニュファクチュア時代が終わるまで、徒弟の7年間の修業期間を定めた徒弟法が機能していました。マニュファクチュアの土台となっていたのは手工業的な熟練のままです。未だ労働者そのものから離れた客観的なシステムが、全体のメカニズムを動かすまでには至っていませんでした。つまり、労働者は独立した職人の意識が抜けず、気乗りしなければ仕事をしないなど、規律や勤勉さにとぼしく、自由気ままなところが残っていました。そのため、資本は労働者の不服従に悩まされていました。

そのため、マニュファクチュアの時代を通じて、労働者の規律の欠如への不満が、資本家にあいだにたまっていました。大規模な工場の時代が始まるまで、資本はマニュファクチュアの労働者のすべての労働時間を使いきることに失敗していたというために、マニュファクチュアの時代というのが短命に終わったといえるのです。

ほんらいのマニュファクチュア時代、すなわちマニュファクチュアが資本制的な生産の支配的な形態であった時代にあっても、そのもともとの傾向を貫徹しようとする試みはさまざまな障害に直面した。すでに考察したように、労働者を階層構造に分類しようとする試みと並行して、労働者を熟練労働者と非熟練労働者に分割するという単純な分類も採用されたが、熟練労働者が優勢であり、非熟練労働者の数はごく少数だった。

マニュファクチュアは、生ける労働器官の成熟度、腕力、発達度などに合わせてそれぞれに特別な作業を行わせた。そして女性と子供たち生産の場で搾取しようとしたが、この試みは男性労働者の抵抗とそれまでの習慣のために、全体としては挫折したのだった。手工業的な活動が細かに分割されていたために、訓練の費用は低下し、労働者の価値も低下したが、困難な細部の作業にはやはり長い習得時間が必要であり、こうした習得が不要なところでも、労働者たちは熱心に習得の必要性にこだわった。

たとえばイギリスではマニュファクチュア時代が終わるまで、徒弟の7年間の修業期間を定めた徒弟法が完全な効力を維持していたのであり、これが葬られた大工業時代になってからである。マニュファクチュアの土台であったのは相変わらず手工業的な熟練であり、労働者そのものから離れた客観的な〈骨組み〉がそこで働いている全体のメカニズムを動かしていたわけではないために、資本はたえず労働者の不服従と戦っていた。

おなじみのユアは叫んでいる。「人間性にはきわめて大きな弱点がある。労働者は腕がたつほどにますます頑固で、扱いにくくなる。そして彼らのきまぐれな強情さのために、全体のメカニズムが著しく損ねられるのである」。

そのためマニュファクチュア時代を通じて、労働者の規律の欠如を嘆く声が響きつづけた。そのことについては同時代の著者たちの証言があるだけではない。図書館の万巻の書物にもまして、16世紀から大工業時代が始まるまで、資本はマニュファクチュアの労働者のすべての労働時間を使いきることに失敗していたという単純な事実が、そしてマニュファクチュアは短命であり、労働者たちが流入したり流出したりするのにおうじて、本拠をある国から別の国に移していたという単純な事実が、実情を雄弁に語っているのである。

これまで繰り返して引用してきた『産業と商業に関する試論』の著者は1770年に、「ともなく秩序が必要だ」と叫んでいる。その66年後にはアンドリュー・ユア博士の口からも「秩序を!」という叫びが響き渡った。「分業というスコラ的なドグマ」に依拠しているマニュファクチュアには秩序というものがなく、「秩序を作りだしたのはアークライトだった」のだと。

 

マニュファクチュアの限界

同時に、マニュファクチュアは、社会的生産のその全範囲にわたってとらえることも、その根底から変革することもできなかった。マニュファクチュアは、都市の手工業と農村の家内工業という幅広い土台の上に経済的な作品としてそびえ立った。マニュファクチュア自身の狭い技術的基盤は、一定の発展段階に達したとき、マニュファクチュア自身によってつくりだした生産上の諸要求と矛盾するようになった。

マニュファクチュアの最も完成された姿の一つは、労働用具そのものを生産するための、またことに、すでに充用されていた複雑な機械的装置を生産するための、作業場だった。ユアは次のように言っている。

「このような作業場は、さまざまな度合いの分業を示していた。限のみや旋盤は、それぞれ、技能の程度に従って等級制的に編成された固有の労働者をもっていた。」

マニュファクチュア的分業のこの産物はまたそれ自身として生みだした─機械を。機械は、社会的生産の規制原理としての手工業的活動を廃棄する。こうして、一方では、労働者を一つの部分労働に一生涯縛りつけておく技術上の根拠は除かれてしまう。他方では、同じ原理がそれまでは資本の支配に加えていた制限もなくなる。

マニュファクチュアは、社会的な生産のすべてを掌握することはできませんでした。それゆえに、変革することもできませんでした。だから、マニュファクチュアは、都市の手工業と農村の家内工業を土台にして、花を咲かせた、接ぎ木のようなものでした。マニュファクチュアそれ自身の根を張ることができなかった。具体的には、マニュファクチュアの技術的基盤は既存のもので狭いものだっただめに、マニュファクチュア自体が発展すると、その技術がついていくことができずに、発展した生産の必要に応えられなくなってしまいました。

マニュファクチュアのもっとも完成した姿がみられるのが、労働工具を生産する作業場であり、すでに利用されていた機械化された複雑な装置を生産する作業場です。マニュファクチュア的な分業が、生産機械を生み出すことにつながっていきました。つまり、手工業を分析して、工程を分割し、作業を単純化したことで、その作業に従事する労働者は、作業に熟練する必要がなくなり、それが機械に作業を肩代わりさせることを可能にしたのです。この機械化によって、手工業的な作業の仕方は社会的な生産の原則ではなくなったのです。他方で、労働者の専門性の必要性が失われていったのです。それによって、資本は生産様式によって制約を受けていたのが、その制約から解放されることになったのです。

マニュファクチュアが生じたのは、一般的な協業的な形式からです。しかし、マニュファクチュアは、単純な協業においては前提とされていた手工業的な活動のあり方を分解してしまいました。つまり、マニュファクチュアは同一の単純な部分作業に同じ労働者を釘づけにしたのです。

マニュファクチュアの段階にあってすでに、小規模な手工業的生産過程においては「時間的継起」であったものが「空間的な並置」へと変換される。つまり同じ工場で人々が同時に順番に作業していたことが、分業された作業を、それぞれが同時並行に行いもやがては、同じ場所で行う必然性もなく、別々の場所でまとまった人数で同じ部分の作業を行うようになっていきます。このように空間化された時間は資本の時間化作用の効果であるとともに、それ自身とてつもない強度をともなう時間のかたちを組織してゆく。

マニュファクチュアは全体としては、多数の部分労働者が結合された全体労働者そのものであるとマルクスは述べます。労働者はそこで「機械の一部分のような規則性をもって作用することを強制されるのです。

また、マニュファクチュア的分業をしるしづけるものは、部分労働者は商品を生産しないということで、それはすでに資本家の手の中に生産手段が集中していることを前提しています。生産の全体は資本家によって管理され指揮されているのです。マニュファクチュア以前の様々な形態は、労働様式を根本的に変更するものではなかったのを、マニュファクチュアはそれを根底的に変容させ、マニュファクチュアは労働者の身体動作を一面的なものとし、部分労働者としてしまったのです。この過程は科学を独立の生産能力として労働から切り離し、それに資本への奉仕を強要する大工業にあって完了しましたマニュファクチュアが一方で科学を、他方では機械そのものを生み出しました。しかし、機械の発明は労働者の労苦を軽減するものではありませんでした。むしろ、機械は商品を安価にすべきもの、労働日のうち労働者が自分自身のために必要とする部分を短縮し、彼が資本家に無償で与える別の部分を延長するべきものだったのです。機械とは、増殖価値を生産するための手段でした。このような視点から、以下マルクスは、機械の意味、機械を商品生産へと導入することの意義を、原理的にも歴史的にも跡づけてゆくことになります。

さらにマニュファクチュアは、社会的な生産のすべてを掌握することはできなかったし、それを深いところで変革することもできなかった。都市の手工業と農村の家内工業を幅広い土台として、その頂点に花を咲かせた経済的な芸術作品のようなものだった。マニュファクチュアの技術的な基盤は狭いものであったために、ある発展段階において、みずから作りだした生産の必要性と矛盾するようになったのである。

マニュファクチュアは、社会的な生産のすべてを掌握することはできなかったし、それを深いところで変革することもできなかった。都市の手工業と農村の家内工業を幅広い土台として、その頂点に花を咲かせた経済的な芸術作品のようなものだった。マニュファクチュアの技術的な基盤は狭いものであったために、ある発展段階において、みずから作りだした生産の必要性と矛盾するようになったのである。

マニュファクチュアのもっとも完成した姿がみられるのが、労働工具を生産する作業場であり、すでに利用されていた機械化された複雑な装置を生産する作業場である。ユアは「この種の作業場は、分業のさまざまな段階を目に見えるように示している。ポーリング機、ドリル機、旋盤にはそれぞれ専門の労働者が働いていた。こうした労働者はその熟練度におうじて序列が定められていた」と指摘している。

マニュファクチュア的な分業の産物が、機械を作りだした。こうした機械によって、手工業的な活動は、社会的な生産の規制原理ではなくなったのである。そして一方では、労働者を生涯にわたって一つの部分労働の機能に縛りつけておく技術的な根拠が失われたのだった。他方では、そうした原理が資本の支配に加えていた制約も、とりのぞかれたのである。

 

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