ラファエル前派の画家達
ジョージ・フレデリック・ワッツ
『オルフェウスとエウリディケ』
 

 

ワッツはオルフェウスとエウリディケの物語を1860年代の後半から制作し、いくつかのバージョンが残されています。ひとつは1869年夏のローヤル・アカデミーの展覧会で公開された作品で、特徴は横長のキャンバスに半身像が描かれている点です。このほかに1872年に縦長のキャンバスに全身像を描いたヴァージョンもあります。

(1)オルフェウスの物語

ギリシャ神話のオルフェウスの物語はオウィディウスの「変身物語」(多分、ワッツはオウィディウスをもとにして描いていると思います)をはじめとした多くの古代の史料で詳しく語られているものです。トラキアの吟遊詩人オルフェウスは竪琴の技をアポローンより伝授されたともいい、彼の技は非常に巧みで、彼が竪琴を弾くと、森の動物たちばかりでなく木々や岩までもが彼の周りに集まって耳を傾けたといいます。彼の妻エウリディケが毒蛇にかまれて死んだとき、オルフェウスは妻を取り戻すために冥界に下りました。彼の弾く竪琴の哀切な音色の前に、冥界の人々は魅了され、みな涙を流して聴き入りました。ついにオルフェウスは冥界の王ハデスとその妃ペルセポネの王座の前に立ち、竪琴を奏でてエウリュディケの返還を求めました。オルペウスの悲しい琴の音に涙を流すペルセポネに説得され、ハデスは、「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件を付け、エウリュディケをオルペウスの後ろに従わせて送ります。目の前に光が見え、冥界からあと少しで抜け出すというところで、不安に駆られたオルペウスは後ろを振り向き、妻の姿を見たのが、ハデスの課した条件を破ることになり、それが最後の別れとなりエウリディケは冥界に戻りました。

その後、妻を失ったオルフェウスは女性との愛を絶ちますが、それゆえに嫉妬に狂ったマイナス(狂乱する女)たちに襲われ、八つ裂きにされ殺されてしまいます。女たちはオルフェウスの首をヘブロス河に投げ込みますが、オルフェウスの首は、歌を歌いながら河を流れくだって海に出、レスボス島まで流れ着きます。オルペウスの竪琴も、レスボス島に流れ着いた。島人はオルフェウスの死を深く悼み、墓を築いて詩人を葬り、それ以来、レスボス島はオルフェウスの加護によって多くの詩人のサッフォーをはじめとして多くの文人を輩出することとなった。

(2)象徴主義絵画とオルフェウス

このようなオルフェウスの物語はルネサンス以降の絵画のテーマのひとつとなっていましたが、1860年代のイギリスの芸術家たち、とくにワッツの近くにいた唯美主義的な傾向を持った人たちに好んで取り上げられました。それは、この物語が、オルフェウスという竪琴を弾く吟遊詩人、つまり、現代で言えば芸術家を主人公とした物語であることがその大きな理由でした。つまり、この物語を取り上げれば、芸術家を描くことができるわけで、その芸術家に描いている画家自身を擬することができる。それは、自身を作品の主人公とすることができることになります。さらに、この物語の中で、冥界でオルフェウスが演奏するということ、そして、オルフェウスの死後も頭と竪琴が音楽を奏で続けたということは芸術至上を唱え象徴主義の考え方をする芸術家たちにとっては、芸術の力と不死を暗示するエピソードとして捉えられました。

例えば、フレデリック・レイトンの「オルフェウス」は、エウリュディケがオルフェウスの後に従って冥界を出ようとしているようには見えず、二人は向き合い、まるで冥界を脱出して抱き合って喜ぶようです。エウリュディケに死の影を窺うことはできず、生き生きとして見えます。それはまるで、芸術の力によってオルフェウスは冥界から彼の妻を救出するという内容で音楽の勝利を描いているように見えます。

また、キュスターヴ・モローの「オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘」は、八つ裂きにされたオルフェウスの首がトラキアの岸辺に辿りつき、ひとりの娘によって発見された場面を描いています。この首は、ミケランジェロの「瀕死の奴隷」の頭部を参考にしたと言われ、さらに、モローは画面向かって左下に悲嘆を象徴するレモンの茂みを描き、手前右下には2匹の亀を置きました。これは昔、亀の甲羅を竪琴の共鳴板に使用していた事に由来し、亀は貞節のシンボルであることからオルフェウスと妻エウリディケの貞節愛の象徴として描かれているようです。背景には若き日のモローが模写研究したヴェネツィア派やティツィアーノを想起させる黄昏色が広がっています。

ジャン・デルヴィルの「死せるオルフェウス」は上記のモローを参考にして、さらに象徴的な無限の空間とでも考えればよいのか、それを印象的な青が使われ、海面でも海底でも夜空でもない独自の青がさらに印象的です。画面の上方からオルフェウス顔を照らし出すのは自然の光とは考えられず神秘的な光ということになるのでしょうか。それらが相乗効果となって、何かが隠されたような象徴性、漠然とぼかされた意味性が曰くありげな神秘性を盛り上げているといえます。

これらは、たしかに芸術の力や不死を暗示するものということはできます。しかし、その一方で、オルフェウスはエウリュディケを喪ってしまった後は愛を断ち切って孤独に生きてゆきます。つまり、人間世界にいれば他者と関係を結ンデイかなければならないところを拒んで、ひたすら孤独な愛と美に没入していきます。そこに逃避的な傾向、あるいは閉塞したものがあると言えるのではないか。それは、後世からの目に映ったワッツを含めた唯美主義の別の側面をも暗示していると思います。オルフェウスは、竪琴の調べで自然のもろもろを感動させ、それらを調和の想いにふるわせますが、結局は人間たちの悪意によって殺されてしまうわけです。孤立した個としての愛者あるいは美の陶粋者は、とどのつまりは神経症的現象に終始してしまったという限界があったということをも、このオルフェウスの物語は暗示していると考えを広げてしまうのは、ワッツらにとっては少々かわいそうなことかも知れません。

(3)ワッツの「オルフェウスとエウリディケ」

上記のような前置きを踏まえて、ワッツの作品を見ていきましょう。上記の象徴主義の画家たちの作品に比べて、ワッツの作品は単なる芸術礼賛のような象徴性とか神秘性の方向に向かうのではなく、オルフェウスがエウリディケを振り向いて喪ってしまう場面を描いています。オルフェウスは右腕を伸ばして必死に彼女を抱きとめようとしますが、すでに息を失ったエウリディケの青白い身体は、あたかも目に見えない力に引っ張られているかのように大きくのけぞっています。オルフェウスは詩人を表わす月桂冠を被り、その左手にし竪琴の一部が見えています。これは1865年に結婚後わずか11ヶ月で離婚してしまったという伝記的なエピソード、彼の個人的事情の影響が多少はあったのではないか。例えば「クリュティエ」は太陽神アポロンに憧れるが捨てられ悲しみのあまり自身をヒマワリにかえてしまうという女性ですし、「アリアドネ」はテセウスをクノッソスの迷宮から救い出した後に置き去りにされてしまいます。これらと同時期に製作された「オルフェウスとエウリディケ」が、それらの一連の作品にて、オルフェウスがエウリディケをまさに喪うときを描いているのは、偶然ではないのように思えます。それは、クリティエやアリアドネのポーズとオルフェウスのポーズや、正面からではなく斜め後ろのアングルから描いているところなどに共通性があるように思われるのです。

しかも、「オルフェウスとエウリディケ」は、同じ題材を扱った他の画家たちの作品とは大きく異なって、背景や小道具をほとんど省略していて、二人が冥界にいることは、この場面からは分からないし、オルフェウスのシンボルともいえる竪琴も画面には見られません。ワッツの作品ではエウリディケを喪うオルフェウスを描くことに絞って、それ以外の要素を画面から排除しているために、それだけいっそうオルフェウスの喪失感や悲嘆がクローズアップされてきています。これは、もともと初期からのワッツにはラファエル前派のミレーやハントのような細部を明確で詳細に描きこんでいくのとは反対に、明確な輪郭を描きこまず、細部を省略して見る者の想像力に任せる、そして寓意的な画面を志向するところがありました。そこから派生したものでもあると思います。とくに半身像のヴァージョンは上半身のねじれたようなポーズの部分だけをピックアップして、そのねじれが強調され、オルフェウスの姿勢の無理したようなねじれが彼の感情を身体のポーズに仮託しているのが効果的になっていると思います。

しかし、この作品全体としては19世紀初頭の新古典主義的と1860年代のヴィクトリア朝の唯美主義の両方の性格を有した作品で、ルネサンスの伝統を尊重しながらも20世紀のさきがけともなる要素も見られます。

ワッツの新古典主義は、1843年のロンドン国会議事堂の新しい建物の装飾に関するコンペに応募したスケッチに特徴的です。この作品は古典主義と同じくらいルネサンス様式でもある新古典主義後期の特徴が表われています。その一方で、デザインの明快さ、壮大で、普遍的な様式、修辞的な仕草と表現、そして英雄的な主題、公共的な美徳に関係しているといった新古典主義の特徴をすべて備えている。もともと、新古典主義の芸術家たちは詩と神話の題材にしましたが、歴史的や英雄的な題材を避けたのでしたが、ワッツはここで古代、ローマ帝国に抵抗した英雄カラタクスをテーマにしています。ここには、装飾的で牧歌的な唯美主義とは反対の悲劇的と深い人間の情熱を人の身体のポーズで表現する傾向があります。新古典主義の最も重要な教義の1つは、絵画の意味は、読解や解釈が必要な細部や付属品ではなく、形や色の芸術的な特質によって支えられなければならないということでした。ワッツの作品はこの意図の本質的な特徴を具現化するものです。このスケッチでは毅然として正面を向いて屹立するカラタクスに窺うことができます。これは、「オルフェウスとエウリディケ」のオルフェウスのポーズにも同じような画面上の性格が与えられて機能しているように思います。しかも、さきほども触れましたように「オルフェウスとエウリディケ」では背景などの余計なものが極力排除されて、この傾向はさらにすすんでいます。

一方で、唯美主義の要素は前のところで、同時代の画家たちが芸術至上主義の考え方から、オルフェウスという題材を好んで取り上げていたことを述べましたが、さらに、オルフェウスが音楽を奏でる人であったということも、好んで取り上げられた理由の一つであると思われます。そして、唯美主義の審美的な美の様式のベースには、当時のヴィクトリア朝の社会における古代ギリシャへの注目が高まりから、大英博物館に展示されているパルテノン神殿の破風の部分のレリーフ、エルジン・マーブルを美の源泉として評価されていました。それは、人の形を様式化し変形させながら、自然さを失うことなく、人物の壮大さを見る者に印象付けるものといえます。ワッツも、エルジン・マーブルに魅了された一人だったといわれています。それは、この作品でも人物や布地の襞などの表現に顕著に表われています。

また、唯美主義の様式的な特徴として、古典主義をベースにして、画家たちは、そこに他のスタイルを組み合わせて独自のスタイルを作っていたことです。例えば、バーン・ジョーンズは15世紀のイタリア美術を、アルバート・ムーアやホイッスラーは日本の版画を巧みに持ち込んでいます。ワッツの場合は盛期ルネサンスの要素を巧みに盛り込んでいます。例えば、オルフェウスやエウリディケの人物の形態や身体表現はミケランジェロのダイナミックな肉体表現の影響が強く表われています。また、風景の背景と色遣い自由さは16世紀のヴェネツィア絵画の影響が見られます。この作品では、オルフェウスの衣装の赤やカーテンのような背景です。ワッツは、作品の多くでこの二つの要素を融合させようとしました。例えばオックスフォードのアシュモリアン美術館にあるフェイディアスの作品とされるサッフォーの胸像を模写するようにして「ピグマリオンの妻」という作品を描いています。ワッツは、ワッツはティツィアーノ、ティントレット、ジョルジョーネといったヴェネツィア派の絵画からフェイディアスの彫刻を連想した。彼は、これらの芸術家だけが自然の真の偉大さを表すことができたと感じたといいます。そして、「ピグマリオンの妻」では彫刻である女性が、生命を持ってしまうというギリシャ神話から、生きているように見えてしまう、この胸像をモデルに描いたとされています。これも、間接的にはヴェネツィア派の影響といえますが、基本的なスタイルは格調の高い正統派の古典的なものです。

 
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