ラファエル前派の画家達
ジョージ・フレデリック・ワッツ
『ミノタウルス』
 

 

「ミノタウロス」(左図)はワッツの後期の象徴主義的な作風の時代の作品ですが、その象徴性は社会的なメッセージを秘めたもので、直接的ではありませんが、貧困のうちに女性が投身自殺して溺死した場面を描いた初期の「Found Drowned」のような作品を制作した画家であることがしめされているかのようです。

(1)ギリシャ神話のミノタウルスとその文学的象徴

ギリシャ神話の中で、クレタ島のミノス王の妻パーシパーエが雄牛と交わって生まれたのがミノタウロスで、半牛半人の姿をしていました。ミノス王は伝説の名工ダイダロスに命じて迷宮(ラビュリントス)を建造し、そこに彼を閉じ込めました。そして、ミノタウロスの食料としてアテーナイから9年毎に7人の少年と7人の少女を送らせることとしました。

西洋の芸術と文学の伝統の中で、ミノタウルスは人間の暴力的、善行的衝動を体現する者として象徴的に使われるようになりました。例えばダンテの『神曲』ではでは「地獄篇」に登場し、地獄の第六圏である異端者の地獄においてあらゆる異端者を痛めつける役割でした。また、画家パブロ・ピカソ(右図)は、1933年頃から作品のモチーフに好んでミノタウロスを取り上げました。男をなぶり殺し、女を陵辱し快楽の限りを貪るこの怪物に、ピカソは共犯者意識を持ちつつも、倒されねばならぬ絶対悪の役割を与えました。

ビクトリア朝時代、ミノタウルスは、暴力と堕落の形態である平凡な悪の化身のようなイメージをもたれていたと言えます。

(2)作品の象徴するメッセージと背景

1885年、ポール・モール・ガゼットにウィリアム・トーマス・ステッドによる「現代バビロンの乙女の賛辞」という記事が発表されました。児童の人身売買と売春の実態を告発する、特にロンドンでの児童売春が広範に行われている実態を明らかにしたものでした。ステッドは記事の中で少女を食い物にする者たちをミノタウルスに喩えて、“ロンドンのミノタウルス食欲は満たせません”といった記述をしていました。この後、1885年に刑法改正により13歳から16歳に同意年齢が引き上げにつながったといわれています。ワッツは、この記事に触発されて、ミノタウロスを制作したと伝えられています。

(3)ワッツのミノタウルス

この作品で、ミノタウルスは迷宮の城壁に立ち、船が到着するのを待っているかのように高い欄干から海の向こうに上半身を乗り出すように身体を傾けています。夜明けの日差しは、肩を赤く染めて、彼の身体、とくに背中の盛り上がった筋肉の陰影を強調していて、背中ですらこれほど、ということは正面の胸板の厚さを想像させ、見える以上のすごさを実は表わしています。そんなミノタウルスの表情は斜め後ろから、少しだけのぞく横顔では窺い知ることはできません。ただ、彼が顔を向けている画面左には、かすかに白い帆がみえています。彼の姿勢から、そこに視線を向け、注目しているのは分かります。彼の左腕がちょうど、その白い帆からの直線上にあり、拳のように握られた下には小鳥が押し潰されています。これは、ミノタウルスの破壊衝動の表われであり、潰された小鳥は、遥かな白い帆に乗せられているはずの少年少女の運命を仄めかしています。ミノタウルスの身体の角度は、彼を囲む城壁の欄干の傾きの延長線上にあります。しかし、欄干の直線的な形態と対照的に彼の筋肉の盛り上がった凹凸の曲線の外形は生物的なエネルギーの獰猛さを強調することになっています。縦の画面は垂直性を強調し、白い帆に向けた水平方向の視線と交錯するところで、ミノタウルスは静止しているポーズなのですが、動きを感じさせます。

しかし、ワッツの作品はテキストのメッセージを画像化したものというだけでは収まらないところもあります。それは、後姿のミノタウルスに狂暴さだけでなく、ある種の同情を誘うような脆さ、寂しさのような影も漂わせているように見えるのです。いわゆるprofil perduという背中からの角度で顔の4分の3を頭部で隠して、僅かな側面しか描かない肖像として描かれているミノタウルスは、牛というより犬のように見えて、首から顔のまわりに深くしわが刻まれて、眼球が飛び出るようにむき出して、繊細な睫毛などは、残虐さよりも脆さをイメージさせます。事態は残虐なのは事実ですが、その当人の個人的な姿は、それとは矛盾するようなところがあります。それは、例えばワッツの同時代のアンドリュー・グラハムが評した「新しい時代の悩ましい主観と不安な相対主義」ということが当てはまると思います。そこに、晩年の「希望」のような作品に通じるワッツの特徴が現れていると思います。

 
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