「ミノタウロス」(左図)はワッツの後期の象徴主義的な作風の時代の作品ですが、その象徴性は社会的なメッセージを秘めたもので、直接的ではありませんが、貧困のうちに女性が投身自殺して溺死した場面を描いた初期の「Found
Drowned」のような作品を制作した画家であることがしめされているかのようです。
(1)ギリシャ神話のミノタウルスとその文学的象徴
ギリシャ神話の中で、クレタ島のミノス王の妻パーシパーエが雄牛と交わって生まれたのがミノタウロスで、半牛半人の姿をしていました。ミノス王は伝説の名工ダイダロスに命じて迷宮(ラビュリントス)を建造し、そこに彼を閉じ込めました。そして、ミノタウロスの食料としてアテーナイから9年毎に7人の少年と7人の少女を送らせることとしました。
西洋の芸術と文学の伝統の中で、ミノタウルスは人間の暴力的、善行的衝動を体現する者として象徴的に使われるようになりました。例えばダンテの『神曲』ではでは「地獄篇」に登場し、地獄の第六圏である異端者の地獄においてあらゆる異端者を痛めつける役割でした。また、画家パブロ・ピカソ(右図)は、1933年頃から作品のモチーフに好んでミノタウロスを取り上げました。男をなぶり殺し、女を陵辱し快楽の限りを貪るこの怪物に、ピカソは共犯者意識を持ちつつも、倒されねばならぬ絶対悪の役割を与えました。
ビクトリア朝時代、ミノタウルスは、暴力と堕落の形態である平凡な悪の化身のようなイメージをもたれていたと言えます。