ラファエル前派の画家達 ジョージ・フレデリック・ワッツ 『希望』 |
おそらく、一般には、画家とか作品タイトルを知らなくても、どこかで目にした記憶があるのではないかと思えるほど、様々なところで引用されたり、使用されて、普及している作品ではないかと思います。油彩で2つのヴァージョンがあり、サイズの大きなバージョンは(個人蔵、ロンドン)(上図右側)は1885年の12月に着手され、翌86年ニュー・ギャラリーに出品されました。その年にもう一つの作品が描かれました。ワッツはずっと、「希望」のヴァージョンの一つも含め、国に作品を寄贈することを考えていましたが、結局この第2のヴァージョン(上図左側)を選び、1897年に新設されたテート・ギャラリーに贈りました。 画家の後期の作風の根源的で普遍的な内容を扱った、象徴的な意味が込められた寓意画です。「希望」は「信仰」、「慈愛」とともにキリスト教の三つの徳の一つで多くの芸術家がテーマとしてきた主題ですが、決まった表現法や慣習的な図像がないため、多様な表現がありました。 (1)作品の背景 当時、この「希望」という概念に対して、ヨーロッパの文化において疑問視する動きが生まれ、急速にひろがりました。例えばフリードリッヒ・ニーチェのいう「神は死んだ」という主張に象徴されるニヒリズムという思想風潮は、人類の進歩に懐疑の声をあげ、希望ということに対して、それは無駄な努力にエネルギーを費やすことを奨励するものだと否定するような主張をしました。社会経済的にも1870年代の不景気はイギリスの経済と自信を破壊し、日常生活の機械化の浸食と社会格差の拡大、都市化の進展による伝統的なコミュニティの崩壊などが現代生活をますます無情にしていると感じた。 ワッツ自身は、「不確実性、競合、紛争、信念が不安定であり、景気の悪化と環境悪化が人々の進歩と神の存在という概念に疑問を呈している社会において、希望の描写を再考する」というようなことを、この作品の制作動機として語っているということです。 また、この時期に芸術家たちは「希望」を様々に描こうとしました。例えば、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌは有名な「希望」を描き、その中で普仏戦争によって神聖を汚された風景の中にオリーヴの小枝を手にもつ裸の少女を表しましたし、イヴリン・デ・モルガンは、1887年の「Hope in the Prison of
Despair」(左図)という作品で、詩篇137のイメージと追放された音楽家が囚人のために演奏することを拒否したという内容を描いています。また、1871年にエドワード・バーン=ジョーンズは、
ホプトン・オン・シーの聖マーガレット教会への希望を描いたステンドグラスの下絵(右図)を制作しました。 (2)作品の構成 この作品の構成について、ワッツ自身は「私は、地球の上に座り、1本を残して全ての弦がちぎれた竪琴を弾く、両目に包帯を巻いた希望の絵を描いている。彼女は全力を尽くしてかすかな音に耳を傾けながら、能う限り全ての音楽を奏でようとしている」と述べています。明るい未来の見通しがほとんど全て失われていたとしても、ともかく希望がある限りは最善説の精神がまさるという考え方でしょうが、それはロセッティの「パンドラ」にも共通するところがあるといえます。同時代の画家として、通じるところがあったのか、かれらは小さなグループの中にいたので、空気を共有していたと言えると思います。 この「希望」という作品の女性は他の人物が目に見えず、伝統的な仲間の愛、愛と信仰がない、それを象徴するように単独の姿で描かれています。彼女は古代ギリシャ風の衣装を着ていますが、これはギリシア神話における希望の相反する性質(つまり、パンドラの箱のエピソードです)を喚起するために、意図的に選ばれたと考えられています。彼女のたたずむ姿勢はミケランジェロの夜の姿勢に基づいていると考えられています。彼女は、周囲が曇った小さなオレンジ色の不規則な地球上に座っていて、ほとんど空白の青白い背景がある。図は星空のように後ろからかすかに照らされ、あたかも観察者が光の源であるかのように正面から直接照らされる。
ワッツの光と色調の使用は、形の明確な定義を避け、より典型的には油絵よりもパステル作業に関連したきらきらとした溶解効果を作り出しています。 また、この地球の上で、雲に包まれて佇んでいるというデザインはエドワード・バーン=ジョーンズの「ルナ」(右図)という作品に共通するところがあります。ワッツ自身の1885年制作の「アイドル・チャイルド・オブ・ファンシー」(左図)という作品と似ていて、関連性が指摘されています。この「アイドル・チャイルド・オブ・ファンシー」もまた、雲に包まれた地球儀の上に座るというポーズで美徳(この場合は愛とされています)の伝統的な人格化と言うことができます。しかし、「希望」のように目隠しをしてはいません、したがって、「アイドル・チャイルド・オブ・ファンシー」は愛を真っ直ぐに見ています。 竪琴のかたちは大英博物館に展示されているカブト虫と木の姿でつくられた竪琴をベースにしていると考えられます。壊れた楽器というモチーフはヨーロッパ美術でよく使われるモチーフですが、ワッツはこれをはじめて「希望」と関連づけました。「希望」の竪琴は、画面の女性が演奏しようとしている1本の弦しか、もはや残されていません。この壊れていない1本の弦は最後に残されたという脆弱性と、しかし最後の最後まで残ってきている永遠性を象徴し、絶望と希望の近さということでもあり、しかも彼女はその微かな音を聴くように緊張を強いられているかのようです。 大きな画像でないと気がつかないと思いますが、画面の上の方の中央に小さな星が1つ輝いています。これは女性の上部にあって、実はその女性以上にさらなる希望の象徴となっているものです。その女性から星への距離、そして彼女の視界の届かないところにあるということは、彼女に目隠しがなくても、見えるとは限らないということを表わしています。つまり、この作品の中心である彼女の知らない場所に希望の星があるということが、さらに希望というものの遠さを強調することになります。 |