ラファエル前派の画家達
ジョージ・フレデリック・ワッツ
『大洪水の後』
 

 

 

ワッツの作品としては、1891年という晩年に近い頃の作品で、それほど有名なものではありませんが、仲間の画家たちの多くから非常に賞賛され、後世への影響も少なくないと言われている作品です。

作品タイトルの「大洪水」というのは、旧約聖書創世記の「ノアの方舟」のエピソードの大洪水のことです。有名な話ですが、その粗筋は次のようなものです。神は地上に増えた人々の堕落(墜落)を見て、これを洪水で滅ぼすと「神と共に歩んだ正しい人」であったノアに告げ、ノアに箱舟の建設を命じます。ノアは神のお告げに従い、箱舟をつくり、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを箱舟に乗せました。洪水は40日40夜にわって続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくします。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとどまります。その間、洪水が起こってから40日のあと、ノアは鴉を放つますが、とまるところがなく帰ってきます。さらに鳩を放しますが、同じように戻ってきます。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきます。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってきませんでした。それで、ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出ます。

この作品は、そのエピソードの中の洪水の雨の40日後、ノアが箱舟の窓を開けて、雨がやんで太陽が再び姿を現した風景を描いています。

もともと、ワッツは父親から福音主義の厳しい教育を受けたため、聖書についての深い知識と教会に対する嫌悪をあわせ持っていました。衆に迎合せず、ひとり神の教えを守るノアの姿に共感するところが大きかったのでしょうか、ワッツはノアと洪水の両方を何度となくテーマとしてとりあげました。一方、ワッツは当時の社会的な価値観において富が最優先するようになってしまい、それが偽善を生み、社会の衰退を招くと強く信じていたようです。ワッツは自身の現代社会に対する認識を、旧約聖書に記されている神が洪水により滅ぼすことを決心した堕落した人々の世界が重なるように見えたと考えられます。

この作品では、大洪水の雨がやみ、雨雲の影になっていた太陽が、最初にあらわれる瞬間を描いています。具体的には、洪水の模様を海の風景を様式化して描いたものになっています。洪水の水面の上に強烈な日光の破裂したような広がり、その光は明るい光線に溢れ、周囲の雲は陽光に映えて、キャンバスの枠からはみ出さんばかりです。この作品は、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775〜1851)が1843年の「光と色(ゲーテの理論)−洪水の後の朝−創世記を書くモーセ」(右上図)という作品の中で、同じ題材を主に明るい光の輪として描いた影響を、見出すことができます。しかし、ターナーの作品では人影らしきものを真ん中に認めることができますが、ワッツの作品には、それもありません。その違いがターナーの作品は明らかに具象画であるのに対して、ワッツの作品は明らかに具象画とみなすことのできる要素がなくなって抽象画とも具象画ともいえるもの、いってみれば抽象画一歩手前のようなものとなっています。

このような晩年、ワッツは神の意思と自然の畏敬を起こさせる出来事を結びつけるイメージを繰り返し描きました。太陽に対する関心は神のシンボルとして彼の長年にわたる興味の反映です。ワッツは以前に1878年の「ギリシャ詩の天才」(左上図)という作品で平らな海面の上方にオレンジ色の太陽を表わしました。しかし、「大洪水の後」のテーマと構成は根本的に違います。「ギリシャ詩の天才」は、働いていたり、遊んでいる人間における自然の力を意味する人物たちと、それが中央の大きな天才の人物によって見られているという構成によって、汎神論を呼び起こすことを目的としています。「大洪水の後」は、明らかに一神教のイメージにより、創造の行為において唯一の全能の神が従事する荘厳さと救済の慈悲を呼び起こすことを目的としています。

ワッツは生涯を通じて風景を描きましたが、彼自身その風景画を主要な作品とは見なされていませんでした。そして、1886年から1902年の間、彼が公共の展示のために国につごう23点の肖像画でない作品を寄付しましたが、その中に風景画は含まれていませんでした。このような国への寄付から洩れてしまった結果として、「大洪水の後」は彼の作品の中で人々に知られるものとはなりませんでしたが、ワットの仲間の芸術家たちから大いに賞賛されました。そして、以後2年以上にわたり、太陽を描いた作品、モーリス・チャバス、ジュゼッペ・ペッリジャ・ヴェルペート、エドヴァルト・ムンク(右下図)らの作品に影響を与えました。

 
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